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2008年4月 7日 (月)

信州からの便り

 昨晩、長野に住む息子から、私たち夫婦の「真珠婚式」に長文のメッセージが届いた。抜粋すると、「今はすごく充実した日をすごしています。「プロから来た人からすごい刺激をもらったり、勉強になることがあって、またひとつ成長できるかなあって思っています。「今年は試合に出られるかどうかわからないけど、絶対にJFL昇格を実現させたいです。」 「今は一日一日を充実したものにしていこうと思います。でも、しっかりと考えていることはあるので安心してください。」24歳になっても好き勝手サッカーをやらしてもらえるのも両親のおかげだと思っています。だから、しっかり自分で責任を取るところは取っていきます。」「お父さんはビールを飲まないように!! お母さんはあんまり働きすぎたらあかんのと腰を大事にしてな!じゃあまた連絡します。」

 長女が私たち夫婦の前で、このメッセージを朗読した時、少し私の目が潤んだ。今しかできないこともある。後悔のないように、信じることをやりきれば良い。ピッチに立てなくとも、チームにどうしたら貢献できるのか、クラブのために何ができるのか、お世話になった人々に何を、どのように返すことができるのか、そのことは自分自身で考えて行動するしかない。父親としては遠くで見守るだけである。如何なることがあったとしても、信州の地で奮闘すること、夢中になって取り組むことを心から願っている。

「AC長野パルセイロ応援」ブログ

「AC長野パルセイロニュース」Webサイト

2008年1月27日 (日)

その写真には・・・・

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 この写真は画像が悪くて見えにくい。何かの冊子をコピーして保存していたのだろう。いつ、どこでかはわからない。ただ、写真に写っている人物から、2002年仙台国体前の夏の日の光景であると推測している。

1997.12.24奈良新聞切り抜き

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 1997.12.24 奈良新聞の切抜きである。昨年末大掃除をして整理していた時に突然に出てきた。画像は悪いが今見てみると、たかが新聞の切り抜きでしかない。しかし、サッカーだけではなく、いろいろな情景が思い浮かぶ。

2008年1月20日 (日)

心配りへの御礼

 Photo  2007.12.28()の真夜中に、息子が長野から車で奈良に帰ってきていた。AC長野パルセイロのバルディエール・バドゥ・ビエイラ監督の奥様から私と妻への手土産を息子から通じていただいた。心配りに感謝の気持ちでいっぱいである。おそらく選手全員がそのような品々をいただいたのだろう。

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  私へのラッピングされた品を開けると、純米清酒「満つる月」135mlの瑠璃色の小瓶であった。小さなカードが添えられていた。瓶の表面には「PETIT MOON」という名称が印字されていた。日本語に訳せば「小さな月」という意味なのだろうか? 浪漫的な響きの品であった。

サッカー選手という範疇の中で、息子はそれほどの能力はない。にもかかわらず、恵まれた環境の中でサッカーに取り組ませていただいている。加えて、そのような暖かい心配りを受けていることに父親としては感謝しきれないほどの気持ちでいる。

  19971116日、日本代表はマレ-シアのジョホ-ルバルにあるランキン・スタジアムでイラン代表に3-21-0/2-2)で勝利しフランスW杯出場を決めた。バドゥ監督は、その当時のイラン代表監督だ。その人の下、サッカーに取り組むことができるだけでも幸せ者である。

 息子には、サッカー選手としてピッチに立つか立たないかなどではなく、一人の人間としての原初的な意味での「スタンス」、「取組姿勢」の軸をしっかりと持ち、やり切ってほしい欲しい。クラブのために、ささやかであっても何ができるのかを考え実践して欲しい。と父親としては願っている。

 バドゥ監督ならびに夫人に感謝の気持ちをいだきつつ、AC長野パルセイロのご健闘とご隆盛を心から祈念いたしております。

2007年12月31日 (月)

大晦日の夜に

 妻の「お風呂へ行って来たら」という言葉かけに甘えて、22:00自宅を出て、息子と一緒に年末恒例となった学園前・大和の湯へ出かけた。ゆったりと湯船につかりながら、別に何を考えるでもなくリラックスした気分でいた。湯上りに、二人でソフトクリ-ムを食べた。54歳の男と24歳の若者が一緒にソフトクリ-ムを食べる光景は滑稽なのか、微笑ましいのかはわからない。ただ、昔、保育園の迎えの帰路に学園前のイズミヤでソフトクリ-ムをよく食べたことを思い出す。

 いずれにしろ今宵は2007年大晦日である。これで今年の書き納めといたします。もうすぐ新年を迎えます。皆様方のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。
                           2007年大晦日23:30

2007年12月25日 (火)

二人の選手に感謝!

 今晩、「AC長野パルセイロ」のWebサイトを確認した。息子は来年も長野の地でプレ-するのだろう。12/25「退団選手」が発表になっていた。その中で二人の名前があった。寂しい気持ちが湧き出てきた。

 蒲谷選手は中京大学で息子とは同じ釜の飯を食った同級生で、大学時代には奈良市富雄にある私の祖母の家にも泊まった。祖母が作った食事をおいしそうに食べたと、祖母が私の妻に嬉しそうに話していた。祖母に言わせれば孫よりも好青年だ言う。

 小原選手は中京大学での先輩で、息子が大学を卒業してサッカ-を続けようとした時に、ACパルセイロ(長野エルザ)へと誘っていただき、息子に信州の地を踏ませていただいた。感謝申し上げます。

 二人の選手に対して、前途の幸せを願い心より厚くお礼申し上げます。

「AC長野パルセイロ」公式サイト

2007年12月 3日 (月)

「息子が、また始めた。」

~言葉のコラ-ジュ~

 「『勝ったよお』 サッカ-の試合から、息子が帰ってきた。『今日ね、後半に試合に出たんだ。ちょっとだけどさ』 『そうか、よくやったなあ』 息子の言うとおり、わずかなプレ-だっただろう。土で汚れていないユニフォ-ムを見れば想像がつく。身長はクラスで前から3番目と低く、徒競走ではいつもビリ。そんな息子に、試合に出るチャンスはほとんどやってこない。しかし、そんなことはどうでもいい。ゼッケン13番の補欠だろうと、息子がいきいきとサッカ-をしている。それで十分ではないか。『監督にほめられちゃった』息子は鼻をぴくぴくさせながら、私を見て笑った。」 (1995.11 週刊誌からの切り抜き)

 1995年11月に、この広告文を読んで同感した。ピッチに立つ、立たない、勝った、負けた、などは父親にとっては些細なものだ。ただ、「息子がいきいきとサッカ-をしている。それで十分ではないか」。今もそのときの気持ちは変わらない。

「駄馬二代」

 ~言葉のコラ-ジュ~

「『お父さんが子供の頃には』という話は、たいていの場合はウソだ。思い出は美しいものだからね。本当に僕は、息子に自慢しているようなスポ-ツ万能な子供だったのだろうか。50m競争で走る息子を見ていると、いくら半分は女房の血筋とはいえ、あいつは遅すぎる。ま、普通でいいんだよ、普通でね。くやしい気持ちもあいつの肥やしになるんだから。」 (1995.11.20 週刊誌からの切り抜き)

1995年11月、私が42歳の時、息子は小学6年生でサッカ-に夢中だった。確か週刊誌を読んでいて、この広告文に目が留まった。私は駄馬であるのに息子が駿馬であろうはずがない。普通でいいんだ。元気に走り回っていればそれでいい。「駄馬二代」。息子が、駄馬としての誇りを胸に生きていけばそれでいい。その日、父親としてそのように思った。

2007年11月14日 (水)

息子にささやかな一報を

 11/11(日)高校サッカ-選手権奈良大会決勝が終了して後に、競技場近くの「やすだ食堂」で遅い昼食を摂った。昨年、昨ゝ年と2年連続で決勝戦は仕事の関係で、観戦したいと思っていたが観戦できずにいた。3年ぶりで観戦できて心地よい気分になり、くだらないかもしれないが、「決勝戦を観戦できておめでとう!」とひとりその食堂で祝杯を挙げた。

 個人的には、正直に言えば両チ-ムに中立的な想いで応援していた。ただ、奈良県代表が全国での旋風を引き起こしてくれることが一番の願いである。ただ、長野県でサッカ-を続けている私の息子が奈良育英高校サッカ-部出身なので、一報を入れておかねばと思い、「奈良育英が全国へ出場する!」と携帯電話で息子に連絡した。「ああ!」といつもの無愛想な返事が返ってきた。続けて「Tは出場してた?」と聞いてきた。「先発や、右MFで出場してた!いいプレ-をしてたで!」と息子に答えた。ソレステ出身の選手、高校の後輩のことを気にはかけていることを知り、父親としてはほろ酔い気分の中で、少しだけ嬉しい気持ちになった。

2007年9月29日 (土)

それしかなかったから!

 「AC長野パルセイロNews」の選手・スタッフインタビュ-の過去記事を読んだ。「・・・・・その体には奈良育英時代の恩師、上間監督に叩き込まれた教えがいまも染み付いている。 『2タッチ以上はボールに触るな。さばいて守れ。そう言われました。まあ、とくに身体能力も高くないし、早さも高さもない僕がサッカーで生きていくには、それしかなかったから』・・・・・」との息子の記事が掲載されていた。

 息子は走るのが遅い、敏捷性が低い、筋力が弱い、ジャンプ力が劣っている、背が低い、身体的な能力から見ればスポ-ツ選手としては大きく見劣りしている。高校・大学時代にも身体的な能力を科学的に測定したならチ-ムでビリのほうだと言っていた。妻も私もそのことを小学生の頃から認識していたので、いくらサッカ-が好きだとは言っても、高校年代ぐらいで壁にぶち当たり挫折するかもしれないと思っていた。

 Off the Ballでの 「視野の確保」「状況判断のスピ-ド」等の大切さをコ-チングによりさまざまな指導者から伝えられ、また、「早さも高さもない僕がサッカーで生きていくには、それしかなかったから」とそのことを自分自身で自覚することにより、その面を重点的に研ぎ澄ましたのだろう。そのことと自己肯定感が、身体能力に劣る息子をしぶとくも今も有能とは言いがたいが、サッカ-で生き残らせている最大の要因なのだろう。

 「ボランチ」というポジョンのみで生きてきた息子のプレ-を見た時に思った。ピッチを駆け巡っている姿には小学校・中学校・高校・大学そして現在のクラブにいたるさまざまな指導者の技術・戦術的コ-チングと人間的なコ-チングが集積されたものが血となり肉となって映し出されている。自分で育ったのではなく、さまざまな方々に育てていただいたものだと父親としては感謝し続けている。

「AC長野パルセイロNews」Webサイト

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