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2009年7月12日 (日)

「太陽は美しく輝き あるいは・・・・・」

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 太陽は美しく輝き あるいは太陽の美しく輝くことを希ひ
 手をかたくくみあわせ しずかに私たちは歩いて行った
 かく誘うものの何であろうとも 私たちの内の
 誘わるる清らかさを私は信じる・・・・・・・・・・・
 
(わがひとに与ふる哀歌/伊藤静雄)

 
「日本浪漫派」の代表的な詩人・伊藤静雄(1906~1953)が詠った詩の一節である。何かに誘引されて、本棚の分厚い一冊を取り出してページを開いた。黄ばんで破れたパラフィン紙が、永年、本棚に忘れられて見向きもされず、放置され続けていた証なのだろう。償いの意味を込めて、太陽の下で、その本を写真に収めた。

 
「定本 伊藤静雄全集」 昭和49年11月(1974)重版発行、定価4800円となっている。余りにも高価であった。35年前、私が20歳、大学生の頃、大阪市・福島区にあったシルクスクリーン印刷工場でアルバイトをして得た収入をつぎ込んで買った。おそらく大阪・梅田の旭屋書店だったと思う。

 恋歌である。かつて、はじめてその詩を読み、確かに、詩人・伊藤静雄に惹かれた。今、その詩を読んでも同じ想いだ。忘れてはならない「清らかさ」を、消え去ってゆく危うさに怖さを感じながらも、ずっと胸に刻み続けていたい。

2007年6月 6日 (水)

高群逸枝 (1894~1964)

われら貧しかりしかど 二人手をたずさえて 世の風波にたえ ついに今日にいたりぬ いのち終わるまで またかくてあるべし しかしてその日きたらば 最後の一人この書を墓にもちゆき 泥土に帰さん (逸枝)

 高群逸枝(たかむれ いつえ)は、「母系制の研究」「女性の歴史」等で、女性史学に前人未到の領域を築いた。それには夫の理解と労苦をともにする心の支えがあった。ふたりの故郷「火の国」熊本県水俣市にある夫婦墓にこの詩が彫られている。

2007年4月 1日 (日)

小野茂樹(1936~1970)

あたらしきペ-ジをめくる思ひしてこの日のきみの表情に対す 〈茂樹)

日常の中で鈍化した感覚が、毎日が気づかないままに怠惰と倦怠の日々を生む。新たに生きたいと願い、あたかも書物の新しいペ-ジを開くかのような気持ちで、特別なその日に「きみの表情」に接する。「きみの表情」が、さらに私の「あたらしきペ-ジ」を開く。 凛とした透明感ある恋歌である。歌人は1970年交通事故で死亡した。享年34歳だった。

2006年12月24日 (日)

大手拓次(1887~1934)

こひびとよ、おまへの よるのくちびるを化粧しないでください、その やわらかいぬれたくちびるに なんにもつけないでください、その あまいくちびるで なんにも言わないでください、ものしづかに とぢていてください、こひびとよ、はるかな 夜のこいびとよ、おまへのくちびるをつぼみのように ひらかうとしてひらかないでいていください、あなたを思うわたしのさびしさのために。(拓次)

 萩原朔太郎、室生犀星、とともに北原白秋門下の三羽がらすと騒がれるも生前一冊の詩集を発刊することもなく、四十七歳の人生をただひたすら「詩」に捧げた。大学を卒業後、二十九歳の時ライオン歯磨広告部に入社する。以来二十年、昼はサラリ-マンとして、夜は下宿で幻想の詩人としての生活に明け暮れた。

 人には二面性がある。それは良くも悪しきも人間性の深みを感じさせる場合がある。日常という生の流れに飽き足らない人種にとって、自分自身の人間性を回復するため、人が人らしく生きて行くため、誰にも見られることのない場所で本当の意味で生きようとするのかもしれない。

 大手拓次にとっての片恋。この詩の中で歌われている「こひびと」とは、昼の勤め先でみそめた可憐な少女。名作「夕鶴」を演じて有名な山本安英 女史であった。ただ想うだけの片恋の中にこそ「恋」というものの本当の意味での本質がある。

2006年12月17日 (日)

立原道造(1914~1939)

それは あやまちではなかつたろうか いまもなほ 悔いではなかつたろうか だが しかし ゆるやかに 私たちの眼ざしの底から 熱い夢のような しあはせが 舞ひのぼる 陽炎のように 〈道造)

道造の恋人である水戸部アサイは、療養所で末期の道造に献身的につかえ、残雪が寒風で凍てる夜も、ベッドの下の床にふとんを敷いて寝た。パステル画とハ-モニカをこよなく愛した建築家・詩人である立原道造は、看病の甲斐もなく、24歳の生涯を閉じた。アサイに対する想いを、詩集にまとめようとするも実現には至らずに。道造の死より8年後、周りの人々の手で詩集「優しき歌」が刊行された。

19歳の晩夏、信州・軽井沢近くの信濃追分のはずれ、からまつ林の中を僕たち四人は歩いていた。自分たちの未来を、灰色にしか描きれなかった男女2人組だった。ひとりの女は、その4年後に22歳で結婚するも、まもなく別の男と仙台へ駆け落ちした。もうひとりの女は、関西学院大学院心理学専攻課程を修了し、カウンセラ-として病院に勤務し結婚するも子供はいない。ひとりの男は、20代で離婚し、佛教大学の通信課程で教員資格を取得して、大阪市内の小学校の教員になった。

もうひとりの男である私は、今、19歳の想いを心に引きずり「迷える子羊」のままに、ささやかな幸せを求めつつ、地域の子どもたちのサッカ-クラブに関わって小市民的な生活を送っている。人それぞれの想い。人それぞれの人生。道造の詩を読むと、ふと、昔のあの時が甦る。

良 寛 (1758~1831)

夢の世に かつまどろみて 夢をまた 語るも夢も それがまにまに 〈良寛)

 貞心尼(三十歳)が、良寛(七十歳)に贈ったおりの返歌である。「しょせん、この世は夢幻の世界です。夢を語り、夢を見ているに過ぎません。あなたはこの出会いを覚めやらぬ夢のようだという。夢でない出会いなど、どこにありましょうか。私たちの出会いが、夢の中で夢を見ているのだとしてもそれで良いではありませんか。」

越後の厳しい冬、荒涼とした風景に耐えたのち、生命の息吹が春のそよ風とともにやってきた時、村の子供たちと日が暮れるのを忘れて、一日中、戯れ遊ぶ良寛の姿がある。すみれ、たんぽぽが咲き乱れるようになると、子どもたちは自然と良寛のまわりに集まってきたそうだ。子供たちに好かれた良寛。貞心尼に想われた良寛。純粋無垢な心が良寛という人間の中に宿っていたのだろう。かつて、村人たちは如何なる想いと言葉で良寛に接したかは知る由もない。ただ、良寛没後百五十年近くなった今も禅僧良寛は人々の心の中に生き続けている。

2006年12月16日 (土)

島木 赤彦(1876-1926)

眼のまへに その人はあり とこしへに 消えてゆくべき その人はあり   〈赤彦)

 島木赤彦はアララギ派の指導的歌人にして「信濃教育」で名高い教育実践者であった。信州、諏訪の小学校長の職にあるとき、妻子をおいての単身赴任だった。赤彦、三十六歳。新任教師、静子、十八歳との恋。

 

 私たちの常識では思いもつかないことかもしれない。しかし、事実は小説よりも奇なり。実直な心と純情な心のつづれおり。しかし、世間の目は冷たく教育者にあるまじき姿に写っていたのだろう。ただ、人の心の中までは誰にもわからない。たった二年間の恋。もしや、清らかなる想いが存在したのだろう。

 大正十年、赤彦、五十歳、死の年の静子宛ての年賀状の隅に「十年はつつがなく生きました。なほ前途の幸福を祈ります。」と書き記す。          

川田 順(1882~1966)

「若き日の恋は、はにかみて おもて赤らめ、壮子時(をさかり)の 四十歳(よそじ)の恋は、世の中に かれこれ心配れども、墓場に近き老いらくの恋は、怖るる何ものもなし。」(川田 順)

財界人トップの座を目前にして財閥・住友を去り、54歳で歌人となる。東宮作歌指導役、三大新聞の歌壇の選者を歴任する地位にあるとき、京大教授夫人 俊子との恋。夫と三人の子女がいる女性との相思。そのとき、順、68歳、俊子、38歳であった。「老いらくの恋」という流行語を生む。恋に年齢はないのかもしれない。また、年齢差も然り。しかし、想いの強さに驚嘆する。くわしくは、「虹の岬」(1994年度 谷崎 潤一郎賞受賞) 著者 辻井 喬(財界人 清二) 発行 中央公論社 を参照。

恋歌風塵によせて

恋をしていますか?恋という言葉を日常会話の中で最近使ったことがありますか?風采が上がらない男が、恋という文字を記すことに否定的な声が聞こえてきそうです。「何を考えているの?」「恥ずかしくないの?」「馬鹿じゃない?」「いやらしいわ!」「女性問題で悩んでいるのよ。」「ぜったいに、ぜったいに、愛人が居るのよ。」等々、男女間の情愛、情欲に人の妄想は膨らんでいきます。「恋」は日常生活の中で存在しない感情、憧れはあっても抱いてはいけない感情、今の私たちの年代にとって、抑圧してしかるべき感情としてとらえられています。しかし、「恋」とはそんなにいけないものでしょうか? ふと疑問に思えるときがあります。

恋とはいったい何でしょう?「広辞苑」をひも解けば、「恋」とは、(1)一緒に生活できない人や亡くなった人に強く引かれて、切なく思うこと。また、そのこころ情。(2)植物や土地などに寄せる思慕の情。とある。「恋」という文字はかつて、上に「糸言糸」を並べ、下に「心」と記した。漢字の成り立ちからは、もつれた糸に言葉でけじめをつけようとしても、心が乱れて思い切りがつかないことが本来の意味です。そこには、男女間だけという限定はありません。今、私たちは「恋」を男女間の情愛、情欲という小さく狭い鉄柵に閉じ込めているようです。言葉の原義に基づけば、森羅万象のすべてを対象にして、どうしようもないほど引き付けられ、心が乱れ、満たされず苦しくつらい想いを「恋」と呼んでもいいのかもしれません。

 その対象にどうしようもないほど引き付けられ、しかも、満たされず苦しくつらい気持ちを、自分自身の心の中にしまいきれずに、誰かに伝えたい。古来より、人はその時の気持ちを何かの形で表現してきました。それが恐らく今ある文化を生み出した底流となっているのでしょう。古今東西の「恋歌」を読んでいると、その時の激しい男女間の情愛、情欲のほとばしりを言葉でもって表現されています。普遍的な意味で、人が人として生きていく上で、森羅万象に対する「想い」「心」が如何なるものか。また、どれだけ価値があるものかを、教えてくれているような気がします。

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  • 12:10 鴻ノ池陸上競技場へ到着
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