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2009年10月 4日 (日)

CD「誘惑」を聴きながら~スティーブ・キューン・トリオ~

Photo_4  今晩、風呂上りにジャズのCDを聴いている。スティーブ・キューン・トリオ「誘惑」だ。なぜ、このCDを聴こうとしたのか? たまたまの偶然なのだろうか? いや違う! 今日のサッカーゲームを観戦した余韻が、私の手元にある数少ないCDの中から、その時の気分で選んだ。「誘惑」という言葉が選択のキーワードだった。

 「誘惑」という言葉を「広辞苑」で引けば「人を迷わせて、悪い道にさそいこむこと」とある。でも、私は今日の気分を「人を迷わせて、良い道にさそわれた」という思いから「誘惑」という題名のCDを自然と選らんだのだ。

 それは今日、ソレステジュニアユースの選手たちのプレーを見たイマージュだった。彼らのプレーには指導者のゆるぎない「軸」が不完全であるのかもしれないが、「積み石」のように表現されている。10/10のそれぞれのカテゴリーの勝敗の結果は、選手やスタッフは勝ち取るべきものだ。しかし、私には今日のゲームのぶれない「軸」の確認と、その成果を垣間みることができて、ささやかな心地よさを感じている。それは私だけが思っていることなのだろうか?

 妻が買ってきた安価な焼酎「かのか」を飲みながら「誘惑」「黒い瞳」「思い出の夏」「ジャンゴ」「言い出しかねて」などのスティーブ・キューン・トリオのロマンチシズム溢れる演奏を聴いている。今宵は心地よく眠れそうである。

2009年9月22日 (火)

ビル・エヴァンス「ワルツ・フォー・デビイ」を今宵に

Img_2  9/22(火)の夜、ジャズピアニスト・ビル・エヴァンス「ワルツ・フォー・デビイ」のアルバムCDをBGMに流しながら、焼酎を飲んでいた。

 秋の気配が色濃くなってきた。「ワルツ・フォー・デビイ」を繰り返し聴きながら、窓の外から聞こえる虫の音も心地よい。ピアノトリオの軽快なタッチに反して、虫の音はゆっくりと己のペースで奏でている。どこか不思議なコラボレーションを感じてしまう。

 ビル・エヴァンスは姪のために、「ワルツ・フォー・デビイ」という曲を贈った。実に素敵な曲だ!今宵もリピートで何度も繰り返し聴いた。

 9/26(土)は私の姪の結婚式である。心から幸多かれと祈る!

2009年9月21日 (月)

マリオネット「エグゾチカ・ドラマチカ」をBGMにして

Img_0001  今日は5:30に起床した。平日は5:00起床が習慣になっているが、休日は少しだけ遅く起きる。朝早くから概ねBGMを流しながら新聞や本を読んだり、インターネットを検索したりして時を過ごすことが多い。

 今日のBGMアルバムは、マリオネット「エグゾチカ・ドラマチカ」だった。3年ぐらい前に買ったものだろうか。ポルトガルギターとマンドリンの二人のアンサンブルだ。ポルトガルギターの音色と調べが心地よく耳に響く。

 ポルトガルの風が吹いてくるような異郷の旋律が静かに流れる。最近は年齢のせいだろうか静かな音楽に耳を傾けることが多くなった。今日、奈良は快晴、外出日和、サッカー日和である。

2009年8月 9日 (日)

香芝東中・平城東中・都跡中の3校が関西吹奏楽コンクールへ

 8/7(金)・8(土)の両日にわたり橿原文化会館で、第51回奈良県吹奏楽コンクール中学校Aの部が行われた。参加校は50校だった。香芝東中・平城東中・都跡中の3校が関西吹奏楽コンクールへ出場することになった。登美ケ丘北中は金賞、二名中は銀賞だった。

2009年7月18日 (土)

S&G 「明日に架ける橋」を土曜日の早朝に聴く

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 7/13(月)夜、大阪市西区・京セラドームで、アメリカのフォークデュオのサイモン&ガーファンクル(S&G)のコンサートが行われた。40歳~60歳代を中心とした35,000人が、その音楽に酔いしれた。日本公演は16年ぶり、大阪公演は27年ぶりになるそうだ。

 S&Gは、1960年代後半~1970年代前半、透明なハーモニー、メロディ、詞で、その当時の若者たちを魅了した。私もまたその中の一人だった。混沌とした若者たちの叛乱も終息に向かう中、その音楽は、多くの若者たちの心を癒した。

 このアルバム名の一曲目は、「Bridge Over Troubled Water」(明日に架ける橋)という素敵な曲だ。1964年、ポール・サイモンが作詞・作曲した代表曲で、静けさと透明感が漂い、歌詞が心にしみる。その当時も、今も。

君が疲れて、しょげているなら 
瞳に涙があふれているなら、僕がすべてふいてあげる

君のそばにいるんだ、辛い時だって
友達が近くにいなくても
荒れた海にかかる橋のように

僕が体を横たえるから

2009年7月12日 (日)

「東京ブラススタイル」の「放課後プロジェクト」とは?

 「東京ブラススタイル」という11人のガールズ・ブラス・ユニットが活躍している。ジャズ。ロック、スウィング、ラテンなどの曲をブラスバンドスタイルにアレンジして、パフォーマンスで魅了し大人気を博している。

 わが国の小中学校での文化会系部活動の中で、最大級の人数を誇るのが、「吹奏楽部」だ。高校部活のスポーツ大会の応援に、「吹奏楽部」はつき物である。高校野球、高校サッカー、高校駅伝しかり。「吹奏楽部」は文化会系に属するのであろうが、私にはどちらかといえば、体育会系のように感じている。まさに肉体を酷使する。

 「東京ブラススタイル」は、「放課後プロジェクト」を実施している。全国各校の吹奏楽部を訪れ、演奏したり、楽器の指導を通じて、音楽の楽しさ、プロへの夢を育む、最後は合同演奏、素敵な体験プロジェクトだ。素直に書き記しておけば、私は楽器など演奏できはしないが、「吹奏楽部」が大好きなのだ!

「東京ブラススタイル」公式サイト

2009年7月11日 (土)

ストリートライブ 「楓」(かえで)

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 大阪市西区・九条から西梅田にある「ジュンク堂書店」へ本を買うために寄り道した。地下街を歩くのは閉塞感があって余り好きではない。それより暑かったとしても太陽を浴びながら地上を歩きたい。もうひとつ高い場所に立ちたいというのが、私の変な性向だ。

 梅田阪急百貨店前の歩道橋を渡った。地下や平面の地上を歩けば労力も少なく快適であるはずた。でも、その歩道橋を渡った。遭遇した!歩道橋の上で若者たちがストリートライブをしていた。グループの名は「楓」(かえで)というようだ。

Photo_4  室内のライブコンサートのように特定の若い観客が来ている訳ではなく、通りすがりの者たち、年齢・性別はさまざな人々が耳を傾けていた。仲間たちはチラシを配布していた。私もまた、一観衆として立ち止まりしばらくの時間、彼らの音楽を聴いていた。

 ライブコンサートではもっと派手なメイク・衣装で演奏するのだろう。ストリートライブはおそらく彼らの「自然なありのままの姿」が表現されている。聴いているのか、聴いていないのかわからない、通りすがりの者たちに、一生懸命に彼らの想いを伝えようとしていた。

 自分たちが、何を伝えたいのかにこだわれば良い。第三者が若さの未熟さを指摘しても、気にすることはない。歌え!叫べ!素直な自分自身であれ!きっと自分自身も変わり、周りをも変えていくことの希望が見えてくるはずだ。頑張れ!頑張れ!!
 

2009年7月 9日 (木)

「私を断罪せよ」~岡林信康フォークアルバム~

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 7/7(火)、七夕の日、日本経済新聞夕刊の文化面の記事、「岡林フォークに若者 共感」を読んだ。 1960年代末、若者たちにとって「フォークソングの神様」として岡林信康(62)は存在した。40年を経て、今再び脚光を浴びている。「暗い社会情勢の中、若者たちが明日を模索する歌詞に共鳴し、音楽の新鮮さに心を動かす」そのような状況が共感を生み出している背景にあるという。

 久しぶりに、岡林信康の復刻盤「私を断罪せよ」を聴いた。1969年に録音されたことははっきりと明記されていた。1992年、私が38歳の時に復刻された。私がそのCDアルバムをいつ買ったのかはっきりとしない。そのCDアルバムが我が本棚の片隅に存在するということは、その時、岡林信康の歌を聴きたいと思い買ったことは確かだ。

 「くよくよするのはもうやめさ 今日は昨日を超えている」 (今日をこえて)
 「暗い手紙になりました。だけど、私は書きたかった」 (手紙)
 「それで自由になったのかい それで自由になれたのかよ」 (それで自由になったのかい)
 
「あいつにあったなら あの世で二人また旅に出よう」 (ランブリング・ボーイ)
 
「友よ この闇の向こうには 友よ 輝く明日がある」 (友よ)

 
岡林信康の歌は、間違いなく、その時代をはっきりと映し出した音楽であることは間違いない。今晩、「私は断罪せよ」というCDアルバムを聴きながら、岡林信康、本人が彼自身をどのように判断しようがしまいが、1960年代末を象徴するシンガーであったことは、大袈裟かもしれないが、まさに歴史的事実そのものだ。「友よ」という歌を叫び歌っていた青臭い、純情なあの頃を、今、思い出した。

2009年7月 5日 (日)

夕暮れ時に、ピアソラを聴いて

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 7/5(日)午後、体調芳しくなく、奈良県スポ少大会を途中で切り上げ自宅へ帰宅した。最近確かに体の変調をきたすことがただある。少し、自分自身では気になってはいる。

 夕暮れ時、わが家の一室で、音楽を聴いていた。「ピアソラ名曲選~アストル・ピアソラ、伝説のライブ」(ビクター/2005)だ。そのアルバムの中の「リベルタンゴ」を繰り返し聴いた。私はアストル・ピアソラのその曲が大好きだ。「リベルタンゴ」とは日本語に訳せば「自由なタンゴ」となるのだろうか。

 かつて、サッカーで「リベロ」というポジションがあった。最後尾で「自由に」動ける役割りを与えられた。ドイツのフランツ・ベッケンバゥアーがまさにそのものだった。サッカーの世界でも衝撃的な変革が生じたこともあった。既成概念からの自由を求めて。

 アルゼンチンという国の民族音楽でしかない「タンゴ」にも大きな変革が生じた。アストル・ピアソラは、まさに、その「タンゴの革命児」なのだろう。 既成概念を打破しようとしたアルゼンチンが生んだ人間はと問われれば、「チェ・ゲバラ」、「ディエゴ・マラドーナ」、「アストル・ピアソラ」を、私は挙げてしまう。

 アストル・ピアソラが絶頂期にあった1984年、生まれ故郷であるマル・デル・プラタのロキシー劇場での収録されたライブでの「リベルタンゴ」を繰り返し聴いた。アップテンポで演奏されている。どこか歯切れがよくまた情念的だ。故郷での演奏がそうさせているのだろうか?観客の拍手が私の耳に心地よく響いた。

2009年5月30日 (土)

かぐや姫「神田川」を聴きながら

Img  5/26(火)朝日新聞で、シンガーソングライター・南こうせつ氏のインタビュー記事が掲載されていた。36年前に発表した“神田川”は、いまも団塊の世代にとって“青春の歌”である。この曲を歌い続ける南こうせつさんも、2月で60歳になった。」とその記事は始まっていた。

 「神田川」という歌は1973年に発表された。その時代を象徴するような歌だった。その頃、私は大学生だった。「♪貴方はもう忘れたかしら 赤い手拭マフラーにして 二人で行った横町の風呂屋 一緒に出ようねっと言ったのに ・・・・・若かったあの頃何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが怖かった」昨晩、寝る前に、CD「かぐや姫セレクション」を久しぶりに聴いた。「神田川」「赤ちょうちん」「22歳の別れ」「なごり雪」等々の曲を。あの頃を思い出した。

 夢を抱いてはいなかった。希望と不安とが入り混じったけだるい日常が続いていた。ただ、あの女の子がいたから日常の均衡を保ててはいた。冬の中ノ島公園のベンチで二人で長時間話をした日があった。何を話したのか聞いたのかは記憶から飛んでいる。ただ、寒かった。

 いざ帰ろうとしてベンチから立ち上がると二人とも寒さで固まってしまって普通に歩けなかった。体を温めるために、やむなく京阪電鉄天満橋駅まで歩いた。手持ちのお金は少なかった。駅近くの安い居酒屋で二人で初めて日本酒を飲んだ。心も体も暖かくなった。その日のことをふと今晩、昨日のことのように思い出した。

 あの頃は、よく「神田川」という曲が流れていた。確かに二人でのささやかな生活を望んだ。あの女の子と初めて出会ってから40年が経つ。その女の子であるわが妻は6月で56歳の誕生日を、私たち夫婦は結婚して32年目を迎える。二人とも外見は変わり果てた。ただ、心の奥底の根幹はそれぞれ余り変わっていない気がする。

 少なくとも私にとって「ただ貴方のやさしさが怖かった」ままに年月が過ぎ去り続けている。「二十四色のクレパス」を買おうか、「小さな花束」を買おうかと思いつくも、56歳の誕生日に嫌味に受け止められるかもしれない。ただ、日常どおりになにげなく小さなショートケーキでも買ってこようか?「神田川」を聞きながら、わが永遠の「観音さま」にそのようなささやかな気持ちを抱いた。


「神田川・かぐや姫」You Tubeサイト

2009年5月23日 (土)

CD「中山晋平傑作集」

Img_0006 Img_0005  昨晩の深夜は、5/16(土)、信州中野の「中山晋平記念館」で買ったCD「中山晋平傑作集」を聴いていた。わが国の歌謡史で偉大な足跡を残した作作曲家・中山晋平は、大衆の誰もが口ずさめるような伸びやかな永遠のメロディで人々を魅了した。同氏の作品である童謡、流行歌は今も我々の心の唄としてあり続けている。

 全30曲を静かに聴いた。「シャボン玉」「あの町この町」「てるてる坊主」「肩たたき」「兎のダンス」「砂山」「カチューシャの唄」「ゴンドラの唄」「波浮の港」「船頭小唄」「東京音頭」等々の唄が心地よく耳に聴こえた。

 大正3年(1914年)に、作家・島村抱月、女優・松井須磨子が立ち上げた「芸術座」の舞台、トルストイの「復活」の劇中歌として松井須磨子によって歌われた「カチューシャの唄」は、わが国の初めての流行歌と言ってよい。中山晋平、27歳の時のデビュー曲で、当時、爆発的にヒットした。
 「カチューシャかわいや わかれのつらさ せめて淡雪 とけぬ間に 神に願いを(ララ)かけましょうか・・・・」。

 私はその時代には生きてはいないが、ラジオかテレビで流れていた「カチューシャの唄」は、印象深く心にに残り続けている。好きな曲だった。その曲を聴きながら、私は松井須磨子を思い浮かべた。わが国で初めての「女優」といっても過言ではない。大正8年(1919年)、島村抱月がスペイン風邪で亡くなった3日後、松井須磨子は自ら命を絶ち、その炎の人生に幕を引いた事実を、後年、私が大学生だった頃に初めて知った。

 松井須磨子は、信州・松代で、作詞家・高野辰之、作曲家・中山晋平は信州・中野で生まれ育った。「唄」というものに誘われて、私は北信濃の地を訪れたのだと思う。昨晩、深夜丑三つ時に、「風土は人を育てる」とい余りにも単純明快なことが、脳裏にこびり付いていた。

2009年3月14日 (土)

FM音楽番組 「ジェットストリーム」を聴いていた頃

 3/13(金)朝の通勤電車の中で日本経済新聞朝刊を読んでいると、「ジェットストリーム」放送オリジナル原盤CDの通信販売の全面広告記事が掲載されていた。初代パーソナリティーで絶大な人気を誇った「城 達也」が突然、脳裏に浮かんだ。

 FM音楽番組「ジェットストリーム」は1967年にはじまり、放送時間は月~金、深夜0:00~1:00だった。私は中学3年生の頃からラジオのAM深夜放送をよく聴いていた。高校生になると、音質の良いFM放送を聴きだした。フランク・プゥルセルオ-ケストラの「ミスターオンリー」がオープニング曲にかかり、城達也の語りを聴く時、ほっと安らいだことを思い出す。さまざまなイージーリスニング音楽が心地よかった。たくさんの曲を聴き曲名を覚えた。

 「午前0時、今、旅立ちの時・・・」というキヤッチフレーズ、「ジェットストリーム」CD全10枚組、全152曲収録、定価29,800円という広告の内容を見た。今は買うことができない。でも、いつかは買って、まどろみの中、午前0時に聴いてみたいものだ。

2009年3月12日 (木)

久しぶりに、「クリーム」を聴いた!

 3/2(月)日本経済新聞夕刊で、「ギターの神 夢の競演」という記事を読んだ。ロックギターの名手、エリック・クラプトンとジェフ・ベック両者の世界初の本格的競演だったという。ロック界の「世界三大ギタリスト」と言えば、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、そして、過日、北京オリンピックの閉会式でベッカムと並んで、ギターを奏でていたジミー・ペイジだ。1960年代後半から1970年代はじめにかけて、若者たちのカリスマとしてのロックギタリストだった。

 私は、エリック・クラプトンが好きだった。いや、今も好きであり続けている。私が若かった頃、彼がリードギター、ジャック・ブルースがベース、ジンジャー・ベイカーがドラムスのロック史に残る伝説的なバンド「クリーム」が大好きだった。

 テーマ~長いアドリブ~テーマ、その長いアドリブが大好きだった。リーギター・ベース・ドラムスのまさに戦闘だった。「スプーンフル」「クロスロード」の曲をライブ盤で聴いた時は感激で鳥肌が立った。今晩、新聞記事に触発されて、ボリュームを落としながら久しぶりに「クリーム」のCDを聴いた。むかしと同様な感覚が襲った。「スプーンフル」「クロスロード」に酔った。

2009年3月 3日 (火)

「TANGO en skai」(まがいもののタンゴ)を聞いて



 3/3(火)ひな祭りの夜に、「YOU TUBE」サイトを開いた。トップページの「あなたへのおすすめ」の中で、この「TANGO en skai」が気になりクリックしてみた。「あなたへのおすすめ」という言葉通りだった。魅了されてしまった。私の好みがデータ解析されて正確にフィードバックされた。

 テレビCMでも聞いたことがある曲だった。ギタリスト・村治佳織が弾いていたような気がする。「TANGO en skai」とは、「まがいもののタンゴ」という意味らしい。チュニジア生まれの有名なギタリスト・作曲家であるローランド・ディアスが作曲した。この映像は彼の演奏である。ひな祭りの夜に焼酎のお湯割を飲みながら、心地よいしらべに酔った。

※ブログに「YOU TUBE」サイトの映像を掲載することをトライしてみた! トップ写真の三角しるしをクリックして映像が現れるまで少し時間がかかります。

2009年1月11日 (日)

J・S・バッハ「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェロのためのソナタ」を朝早くに聴いて

Img  最近は、平日・休日に関わらずに5:30に起床するようになった。休日に朝早く出かける時以外は、起きてから1時間程度、CDで音楽を聴きながら本を読んでいることが多い。

 今日は早朝から曇り空だ。久しぶりに静かで爽やかなクラッシックのCDを取り出し聴いた。J・S・バッハ「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェロのためのソナタ」。ジャズピアニストのキース・ジャレットがチェンバロ、キム・カシュカシャンがヴィオラのデユオだ。

 CDのライナーノーツには、発売年が1994年と記されている。おそらく15年近く前に、「キース・ジャレット」「バッハ」「チェンバロ」という文字に惹きつけられて、このCDを買ったのだと思う。今朝、このCDを聴いたということは、初めて聴いた時の心地よさが今も残り続けているからなのだろう。

2008年10月26日 (日)

ギドン・クレーメル「ピアソラへのオマージュ」を聴きながら

Photo_7 Photo_8  クラッシックの奇才ヴァイオリニスト、ギドン・クレーメルの「ピアソラへのオマージュ」を聴いている。なぜ、クラッシックのヴァイオリニストが、アストル・ピアソラのタンゴなのか?

 ギドン・クレーメルはラトビアで生まれた。クールで技巧的な演奏が持ち味だ。西欧的であるクラッシックの弦の名手・クレーメルもヨーヨーマもなぜにピアソラなのか?論理的に私には理解できていない。

 ライナーノーツの文章から、「受難」と「パッション」がピアソラにあると。クレーメルの「受難」が「パッション」を伴い、「闘うタンゴ」の実現者としてのアストル・ピアソラの情念に、根底では同一であると魅了されたのだろうか?

2008年9月27日 (土)

「ザ・ワールド・ルーツ・ミュージック・ライブラリー」が発売!

 キングレコードから世界の民族音楽を集めたCDシリーズ「ザ・ワールド・ルーツ・ミュージック・ライブラリー」が発売された。1970年代にレコードで発売され、それ以降三度、内容を吟味、見直しされた。今回はアジア重視をコンセプトにして、シリーズ内の録音の音源も1990年台以降収録したものが3分の2含まれている。わが国で最大級の世界の「伝統民族音楽」のシリーズだ。

「ザ・ワールド・ルーツ・ミュージック・ライブラリー」公式サイト

2008年8月23日 (土)

岡林信康 幻の名作復刻CD 8/22発売!

 岡林信康は、1960年代末から1970年代初頭、私の高校時代に、一世を風靡したかつての「フォークの神様」だった。デビュー40周年記念の幻の名作復刻CDシリーズが発売されている。彼の歌声はその時代の若者たちの「プロテスト(抵抗)」の象徴だった。

「はっぴえんど・岡林信康/私たちの望むものは」You Tubeサイト

「DIW PRODUCTS GROUP」公式サイト

2008年8月15日 (金)

「ベインテ・アニョス」(20年の歳月)/オマーラ・ポルトゥオンド

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 オマーラ・ポルトゥオンドはキューバの歌姫だ。1930年生まれ。初めて彼女の歌を聴いた時、私は惹きつけられた。ワールドミュージックというジャンルが注目を浴びていた。ブエナビスタソシアルクラブのCDを購入した。そのアルバムに「ベインテ・アニョス(20年の歳月)があった。聴きながらいい曲だと思い、ライナーノーーツの歌詞を見た。よりいっそうにこの曲が好きになった。

 私にとって、「ベインテ・アニョス(20年の歳月)」という曲がオマーラ・ポルトゥオンドそのものだ。キューバは社会主義国家だ。その国に属する彼女が、麗しい歌声を聞かせる。イデオロギー(政治思想)、社会体制とには関係なく、その風土と歴史の育みの中で共有できる文化が存在するのだろう。夕暮れ時に、彼女の歌声を聴きながら心地よい気分になった。

「ベインテ・アニョス(20年の歳月)の最後の歌詞は、
なんて悲しいの 逝ってしまう愛を見つめる二人 情け容赦なく離れていく 魂のかけらのように

「オマーラ・ポルトゥオンド/ベインテ・アニョス」(You Tube サイト)

「オマーラ・ポルトゥオンド/ベインテ・アニョス/ビデオミュージック」(You Tube サイト)

2008年7月27日 (日)

セザリア・エヴォラ/ガボ・ヴェルデの歌姫

 セザリア・エヴォラは、ガボ・ヴェルデの歌姫である。「ヴォス・ド・アムール」(愛の唄)というアルバムで以前にグラミー賞を受賞した。ポルトガルのファドとアフリカンブルースが混ざった独特の音楽で、「郷愁」と「人生」を歌う。

Img_0002  西アフリカ、セネガルの沖合い450キロの大西洋上に、ガボ・ヴェルデ共和国がある。彼女はその島で生まれた。位置的にはアフリカだが、かつてはポルトガル領だった。15世紀、ポルトガルとブラジルを結ぶ中継地として賑わった。文化の交差する場所で、独特な音楽が芽生えた。セザリア・エヴォラは「裸足のディーバ(大女性歌手)」と称される。彼女の歌声は甘美で、まろやかで、大西洋の小島の風の香りが漂う。

 偶然に、数年前、大阪・天王寺にあるミュージックショップ「新星堂」で彼女の曲が流れていた。その時、歌声となにか郷愁を誘う曲に惹かれCDを買った。それが「ヴォス・ド・アムール」というアルバムだった。私のお気に入りになっている。今晩、You Tubuで、彼女の歌声を聴き、彼女の生まれ育った島の風景を見た。

「セザリア・エヴォラ/ガボ・ヴェルデ」 (You Tube サイト)

2008年7月25日 (金)

2008こどもコーラスフェスティバル

 7/22(火)、55歳の誕生日の日に朝日新聞朝刊を読んでいると、「響け自慢の歌声 2008こどもコーラスフェスティバル」の記事が目に入った。8/1から東京で開催されるという。なにげなく出演団体を見ていた。奈良県からの出演は見当たらなかった。四団体が写真入の記事で掲載されていた。「晋平少年少女合唱団」(長野県)が初めて全国の舞台に立つ。

 流行歌「カチューシャの唄」で知られている作曲家中山晋平の生誕100年を記念して、故郷の長野県中野市で結成されたという。唱歌の著名な作詞家高野辰之も同郷だ。幾度も写真やメールをお送りいいただいているパルセイロ・サポーターのご家族も長野県中野市在住だ。その日は私は長野へ行く。その地の子どもたちは東京へ。「朧月夜」「中野小唄Rhapsody」「セピア色になっても」の3曲を披露する。東京の地で精一杯に自慢の歌声を響かせて欲しい。

「2008子どもコーラスフェスティバル」公式サイト

「中山晋平記念館」公式サイト

「高野辰之記念館」公式サイト

2008年7月17日 (木)

真夜中に、「リベルタンゴ」

 「You Tube」でダンス「リベルタンゴ」を真夜中に見ていた。アルゼンチンは、スペインの植民地だった。タンゴとフラメンコという音楽にはダンスがつきものである。「情熱」「情念」が根底に息づいている。民族性の繋がりはたやすく切れるものではないのだろう。

 ふと思い浮かんだ。アルゼンチンが生んだ偉大なるサッカー選手、アルフレッド・ディ・ステファノ、ディエゴ・マラドーナは、タンゴの風土の中で生まれ育った。タンゴのステップと身のこなしは、サッカーに繋がったのだろうか?

「リベルタンゴ」(You Tube サイト)

2008年7月14日 (月)

ピアノデュオ 「リベルタンゴ」

 Anderson&Roeのピアノデュオが奏でる「リベルタンゴ」(アストル・ピアソラ)を「You Tube」で観た。「リベルタンゴ」は「自由なタンゴ」という意味である。タンゴの革命児アストル・ピアソラの代表曲だ。自由にピアノデュオで奏でる「リベルタンゴ」は、狂うおしくエロチシズムが漂う。タンゴは情念と猥雑さを持つ民族的な文化として、いまもなお存在し続けている。タンゴには反欧米的な匂いが充満している。

「Anderson&Roe/リベルタンゴ」You Tubeサイト

2008年7月 8日 (火)

早朝に、グレン・グールドを聴いて

 7/8(火)、今日は休暇である。と言ってもゆっくりと出来る日でもない。春先からの体調不良の関係で午前中に病院へ出向く。午後は大阪・長居第二陸上競技場へ出かけ、総理大臣杯、中京大対流通経済大のゲームを観戦することにしている。

 早朝に目覚め、朝からジャズやタンゴとはいかず、伝説的なグレン・グールドのピアノを聴いた。

「グレン・グールド/バッハ・パルティータ」You Tubeサイト

2008年7月 6日 (日)

懐かしの歌声を聴いて

 私が中学生だった頃、布団に入りながら深夜ラジオをよく聞いてた。イヤホンから聞こえてきたのは、さまざまな外国のボップス音楽だった。そのイヤホンの彼方から外国がやってきた。路地裏の小さな部屋から外国に憧れた。小学生だった頃は、テレビからアメリカへの憧れを抱いた。中学生になってからは、その憧れの対象がヨーロッパとなった。

 今晩、フランス・ギャル「夢見るシャンソン人形」、シルビー・バルタン「アイドルを探せ」という懐かしの歌声を聴いた。ラジオの深夜放送を聴いていた中学時代を思い浮かべた。痛風の発作が出ているにも関わらず、焼酎を飲みながら心地よい気分だった。少し、痛風の痛みが和らいだような気がしている。

「フランス・ギャル(夢見るシャンソン人形)/You Tube」

「シルビー・バルタン(アイドルを探せ)/You Tube

2008年6月28日 (土)

「なごり雪」を聴いて

 6/27(金)夜、自宅で食事をしていると、テレビからイルカの「なごり雪」が流れてきた。30年以上も前、私が大学生だった頃に、よくかかっていた曲だ。歌われ続けている名曲だと思う。イルカと亡きご主人との物語が放映された。感銘を受けながら、イルカが歌う「なごり雪」を聞いた。妻も傍らにいた。二人とも無言だった。「懐かしいなあ!」「あの時はよかったなあ!」などと口に出して言えば、返り血を浴びかねない。私は、その場の空気を読み口をつむぎその曲を聴いていた。

Img_0002_2  「汽車を待つ君の横で ぼくは時計を気にしている 季節はずれの雪が降っている・・・・」、自分の部屋に戻り、音を出さずに口ずさみながら、その曲を作詞・作曲をした伊勢正三氏と、大林宣彦氏が監督した映画「なごり雪」を想い浮かべた。


 名曲「なごり雪」は、東京駅から出発するブルートレインをイメージとした男女の物語と受け止められるが、伊勢正三氏は、映画「なごり雪」のプログラムの中、大林宣彦氏との対話で、「・・・僕の心象風景の中では、田舎の駅から出発する汽車のイメージが明らかにあったんです」と。彼は、大分・津久見の出身だ。そのふるさとの町から東京へと出るときの心象風景を男女の物語として紡ぎだしたのだろう。

 1995年頃、彼がブラジルでコンサートを開催した時、当日の曲目に入れていなかったが、現地で日系人が「なごり雪」をカラオケなどでよく歌っていることを聞き、ステージで急遽、歌うと何千人もの観客が大合唱したという。「なごり雪」は、世代と海をも越えた日本の「名曲」なのだ。

 2002年に公開された映画「なごり雪」は、伊勢正三氏のふるさと津久見の隣町である臼杵を舞台にしている。一言で言えば、50歳を迎えた中年男の悔恨、別れ、旅たちの物語だ。京都・新京極近くの映画館で見た。「なごり雪」のメロディとその物語に、胸を突き刺されたような気持ちを抱いたのを、昨日のように覚えている。

「You Tube イルカ なごり雪」

「なごり雪/さすらい人の小経・映画の棚」Webサイト

2008年6月27日 (金)

タンゴがお好きなのですか?

Img  「タンゴがお好きなのですか?」と尋ねられたとしたら、素直に「好きです!」と答える。正確に言えば、タンゴだけが好きなのではなく、もっと広く言えば民族音楽が好きなのだろう。サンバ、フラメンコ、ファド、キューバ音楽、ジャズ、そして演歌も入るのだろうか?民衆の喜び、怒り、悲しみ、楽しみが湧き出たどろどろした世界に惹かれるのだろう。

 タンゴはアルゼンチン・ブエノスアイレスの民衆の祭から生まれ、スラム街と娼家で育まれた。タンゴは社会の底辺に生きる人々の感性的な表現だった。港を通じて欧州へ渡り、認知されて正当性を獲得し、世界に広まった。

 今晩、「You Tybe」で、映画「タンゴレッスン」の映像を見た。世界的なチェリストであるヨーヨー・マが奏でるアストル・ピアソラの「リベルタンゴ」をバックに、ダンサーが舞う。情熱の響きと狂おしさに魅了された。タンゴは現代という時代に、忘れられてはならない情念の美しさを教えてくれる。

「You Tube : リベルタンゴ/タンゴレッスン」

2008年6月21日 (土)

「五つの赤い風船」を思い出して

Img_3  6/20(金)23:00、ほろ酔い気分で、いつものように、自宅へと富雄川沿いを北へ歩いて帰った。富雄北商店街を抜け、つじた動物病院前を通り過ぎると、川沿いの視界が広がった道に出る。なぜか口笛を吹きながら歩いていた。無意識のうちに、「遠い世界」「恋は風に乗って」「ささ舟」「母の生まれた街」など、かつてよく聞いたフォークグループ「五つの赤い風船」の曲を一人で口笛を吹いていた。思い出してしまった!

 1971年秋、高校3年生の時の文化祭で、僕たちはフォークグループ、いや正確に言えば、フォークロック・グループとして舞台に立った。「五つの赤い風船」の曲を演奏した。ヴォーカルの女の子の声が素敵だった。僕たちのグループ名を忘れてしまった。でも、あの日歌った曲は忘れてはいない。

Img_0001_3  自宅にたどり着き、あの時買った楽譜が残っているのかと部屋中を探し回った。酔っていたので、記憶力が散漫の中でようやく探し出した。古ぼけて、ぼろぼろの楽譜が出てきた。捨てたのかもしれないと思いながら、やはり捨てきれていなかった。

「♪遠い世界に旅に出ようか それとも赤い風船に乗って♪」(遠い世界に)

 あの時の仲間たちのことを思い浮かべた。あれから35年以上の時が流れた。それぞれが50歳代半ばを迎えている。振り返ると、その演奏の出来不出来に関係なく、確かに僕たちはあの時歌ったのだ。青二才であろうが、確かに想いを歌った事実は消えない。

 あの日舞台に立った仲間たちへ、元気にしていますか? 僕は、風体はすっかり変わり果ててしまったが、感じたり、考えていることは、あの頃とあまり変わってはいない。成長してないのか、それとも何かにこだわり続けているのか?

「遠い世界に」(You Tubeサイト)

「恋は風に乗って」(You Tubeサイト

2008年2月 9日 (土)

「カフェ・アトランティコ」を聴いて

 奈良市は一日中、大粒の雪が降り、我が家の前の道も雪が積もっている。近所の子どもたちは珍しい光景にはしゃいでいる。夕方になっても降り止まない。玄関に出て、空を見上げた。大粒の白い雪がどんよりとした空から降ってくる。自然の恵みなのか、それとも災難なのか。否応なく我が家に閉じ込められた。

 本を読むのに疲れ久しぶりに、Photo_4 セザリア・エヴォラ「カフェ・アトランティコ」のCDを聴いた。セザリア・エヴォラは西アフリカ・セネガル西方の大西洋上に浮かぶ小国「ガボ・ヴェルデ共和国」の歌姫である。「アフリカの太陽と大西洋の潮風」の香りが漂ってくるような歌声である。

2008年1月 1日 (火)

風に吹かれて

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 昨年12月初めにわが部屋の大掃除とした時、人から見れば粗大ゴミなのかもしれないが、私にとって捨て切れなかったものが多量に出現した。シングル盤レコ-ド「BLOWIN'IN THE WINDBOB DYLAN」(風に吹かれて/ボブ・ディラン)もそのひとつだ。定価600円と印刷されている。おそらく高校生の時に購入したと記憶している。「風に吹かれて」「ライク・ア・ロ-リング・スト-ン」「ミスタ-・タンブリンマン」「時代は変わる」の4曲が収録されている。

 その時代に確かに私はボブ・ディランのギタ-とブル-スハ-モニカをかなえでながら、しわがれた声で歌う姿に惹きつけられた。今すぐに聞きたいと思いながらも、残念ながらわが家に今レコ-ドを再生する装置がない。

「ボブ・ディラン全詩集」がわが部屋の本棚に鎮座している。英文・和文2冊組、自筆挿絵入りの本である。初版1974.2.30 第121988.7.10となっている。私が21歳の時に初版が、35歳の時に第12刷が出版された。私はこの本を199812月、35歳の時に購入した。当時定価で3,200円と高価だったので覚えている。

「どれだけ道を歩いたら 一人前の男として見られるのか?」「何度見上げたら青い空が見えるのか?」「何度ひとは顔をそむけ 見ないふりをし続けられるのか?」。結びのリフレイン「その答えは、友だちよ、風に舞っている 答えは風に舞っている」と詩人・片桐ゆずるは訳している。「風に吹かれて」の詩の中の言葉に当時も惹きつけられた。

 この本を購入した1年後の198912月に、家族の山歩きの延長と仕事中心の自分自身の生活を振り返るために家族を引き連れてネパ-ルまで出かけた。帰国してから旅の記録として撮影したビデオを、編集する機械もなく手作りで紙芝居風にまとめた。ナレ-ションは長女と次女、紙芝居めくりは長男、私はビデオ監督だった。「ゴダイゴ」というグル-プの曲をBGMに使った。題名をつけなければと思い、すぐにひらめき、ボブ・ディランの曲「風に吹かれて」の題名をタイトルにした。

 正月からまたも長女夫婦が焼きなおししてくれた自作DVD「ネパ-ルの旅~風に吹かれて~」を見ている。元旦、ちっとお屠蘇を飲みながら、「ボブ・ディラン全詩集」をぱらぱらとめくっている。今日の頭の中のキーワ-ドは、ネパ-ル、ボブ・ディラン、ゴダイゴ、明日の箱根駅伝。

 

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