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2009年12月 3日 (木)

CD「エレガンス」を聞きながら

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 「ユニセフ」の郵便を見て、女優オードリー・ヘップバーンを思い浮かべた。CDジャケットが彼女の写真のイージーリスニングのオムニバス盤「エレガンス」という2枚組みのCDをBGMにして聞いた。

 「ミスター・ロンリー」「ライムライト」「エーゲ海の真珠」「ある愛の詩」「シバの女王」「ひまわり」「恋は水色」など34曲が入ったCDを聞いた。平日の夜、神経が苛立つことが多いが、「ユニセフ」からの連想で、オードリー・ヘップバーンを思い浮かべ、「エレガンス」を聞いていると、心地よい気分になった。今宵は、癒されながらぐっすりと眠れそうだ。

2009年11月23日 (月)

CD「カルメン・マキ&OZ ライブ」を聴きながら

Img_2  11/22(日)夜、久しぶりに、CD「カルメン・マキ&OZ」を聴いた。この2枚組のCDをいつ買ったかは定かではない。恐らく1996年頃、今から10年以上前だったような気がする。その時も間違いなく、CD「カルメン・マキ&OZ」を無性に聴きたかったのだろう。

 今から30年以上前、1977年5月 日比谷野外音楽堂、同年10月 新宿厚生年金会館にて収録されたライブ盤だ。昨晩、二階堂を飲みながら「空へ」「私は風」を聴いていると、不覚にも網膜の奥底が潤んでいた。私は、カルメン・マキが唄う「空へ」が大好きなのだ。

【空へ】
「・・・・・・・・・遠く聞こえる おまえの唄が いつも私をささえた いつかはきっと おまえのように 飛んでみせるよ 私も 明日はきっと おまえのように 翔んでみせるよ 私も」

 
 カルメン・マキは、私の若かった頃、私にとってあの時代の唯一の女性ロックシンガーであった。昨晩ライブ盤「空へ」「私は風」を聴きながら、そのことをあらためて、私は心の中で確認していた。

 カルメン・マキのWebサイトを開いてみた。「Maki's Real Life」の中の「同士1」(2009.11.22)を読ませていただいた。
『同時代を共に生きてきたという実感を持つ者同士は
どれほどの空白期間があっても再会すればすぐ基に戻る。
でもこれは60年代~70年代の怒涛の時代の洗礼を受けた者
特有の感覚かもしれない。

あの頃青春時代(死語?)を過ごした者、
特に学生運動をやっていたり、やっていなくても社会に対して
何らかの問題意識
を持っていた者には
「話好き」が多い。』
私はこの言葉を詠みながら心の中でうなづいてた。
カルメン・マキは、「ミューズ」としてあの頃からずっと今も詠いつづけているのだ。

「カルメン・マキ」Webサイト

2009年10月 4日 (日)

CD「誘惑」を聴きながら~スティーブ・キューン・トリオ~

Photo_4  今晩、風呂上りにジャズのCDを聴いている。スティーブ・キューン・トリオ「誘惑」だ。なぜ、このCDを聴こうとしたのか? たまたまの偶然なのだろうか? いや違う! 今日のサッカーゲームを観戦した余韻が、私の手元にある数少ないCDの中から、その時の気分で選んだ。「誘惑」という言葉が選択のキーワードだった。

 「誘惑」という言葉を「広辞苑」で引けば「人を迷わせて、悪い道にさそいこむこと」とある。でも、私は今日の気分を「人を迷わせて、良い道にさそわれた」という思いから「誘惑」という題名のCDを自然と選らんだのだ。

 それは今日、ソレステジュニアユースの選手たちのプレーを見たイマージュだった。彼らのプレーには指導者のゆるぎない「軸」が不完全であるのかもしれないが、「積み石」のように表現されている。10/10のそれぞれのカテゴリーの勝敗の結果は、選手やスタッフは勝ち取るべきものだ。しかし、私には今日のゲームのぶれない「軸」の確認と、その成果を垣間みることができて、ささやかな心地よさを感じている。それは私だけが思っていることなのだろうか?

 妻が買ってきた安価な焼酎「かのか」を飲みながら「誘惑」「黒い瞳」「思い出の夏」「ジャンゴ」「言い出しかねて」などのスティーブ・キューン・トリオのロマンチシズム溢れる演奏を聴いている。今宵は心地よく眠れそうである。

2009年9月22日 (火)

ビル・エヴァンス「ワルツ・フォー・デビイ」を今宵に

Img_2  9/22(火)の夜、ジャズピアニスト・ビル・エヴァンス「ワルツ・フォー・デビイ」のアルバムCDをBGMに流しながら、焼酎を飲んでいた。

 秋の気配が色濃くなってきた。「ワルツ・フォー・デビイ」を繰り返し聴きながら、窓の外から聞こえる虫の音も心地よい。ピアノトリオの軽快なタッチに反して、虫の音はゆっくりと己のペースで奏でている。どこか不思議なコラボレーションを感じてしまう。

 ビル・エヴァンスは姪のために、「ワルツ・フォー・デビイ」という曲を贈った。実に素敵な曲だ!今宵もリピートで何度も繰り返し聴いた。

 9/26(土)は私の姪の結婚式である。心から幸多かれと祈る!

2009年9月21日 (月)

マリオネット「エグゾチカ・ドラマチカ」をBGMにして

Img_0001  今日は5:30に起床した。平日は5:00起床が習慣になっているが、休日は少しだけ遅く起きる。朝早くから概ねBGMを流しながら新聞や本を読んだり、インターネットを検索したりして時を過ごすことが多い。

 今日のBGMアルバムは、マリオネット「エグゾチカ・ドラマチカ」だった。3年ぐらい前に買ったものだろうか。ポルトガルギターとマンドリンの二人のアンサンブルだ。ポルトガルギターの音色と調べが心地よく耳に響く。

 ポルトガルの風が吹いてくるような異郷の旋律が静かに流れる。最近は年齢のせいだろうか静かな音楽に耳を傾けることが多くなった。今日、奈良は快晴、外出日和、サッカー日和である。

2009年8月 9日 (日)

香芝東中・平城東中・都跡中の3校が関西吹奏楽コンクールへ

 8/7(金)・8(土)の両日にわたり橿原文化会館で、第51回奈良県吹奏楽コンクール中学校Aの部が行われた。参加校は50校だった。香芝東中・平城東中・都跡中の3校が関西吹奏楽コンクールへ出場することになった。登美ケ丘北中は金賞、二名中は銀賞だった。

2009年7月18日 (土)

S&G 「明日に架ける橋」を土曜日の早朝に聴く

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 7/13(月)夜、大阪市西区・京セラドームで、アメリカのフォークデュオのサイモン&ガーファンクル(S&G)のコンサートが行われた。40歳~60歳代を中心とした35,000人が、その音楽に酔いしれた。日本公演は16年ぶり、大阪公演は27年ぶりになるそうだ。

 S&Gは、1960年代後半~1970年代前半、透明なハーモニー、メロディ、詞で、その当時の若者たちを魅了した。私もまたその中の一人だった。混沌とした若者たちの叛乱も終息に向かう中、その音楽は、多くの若者たちの心を癒した。

 このアルバム名の一曲目は、「Bridge Over Troubled Water」(明日に架ける橋)という素敵な曲だ。1964年、ポール・サイモンが作詞・作曲した代表曲で、静けさと透明感が漂い、歌詞が心にしみる。その当時も、今も。

君が疲れて、しょげているなら 
瞳に涙があふれているなら、僕がすべてふいてあげる

君のそばにいるんだ、辛い時だって
友達が近くにいなくても
荒れた海にかかる橋のように

僕が体を横たえるから

2009年7月12日 (日)

「東京ブラススタイル」の「放課後プロジェクト」とは?

 「東京ブラススタイル」という11人のガールズ・ブラス・ユニットが活躍している。ジャズ。ロック、スウィング、ラテンなどの曲をブラスバンドスタイルにアレンジして、パフォーマンスで魅了し大人気を博している。

 わが国の小中学校での文化会系部活動の中で、最大級の人数を誇るのが、「吹奏楽部」だ。高校部活のスポーツ大会の応援に、「吹奏楽部」はつき物である。高校野球、高校サッカー、高校駅伝しかり。「吹奏楽部」は文化会系に属するのであろうが、私にはどちらかといえば、体育会系のように感じている。まさに肉体を酷使する。

 「東京ブラススタイル」は、「放課後プロジェクト」を実施している。全国各校の吹奏楽部を訪れ、演奏したり、楽器の指導を通じて、音楽の楽しさ、プロへの夢を育む、最後は合同演奏、素敵な体験プロジェクトだ。素直に書き記しておけば、私は楽器など演奏できはしないが、「吹奏楽部」が大好きなのだ!

「東京ブラススタイル」公式サイト

2009年7月11日 (土)

ストリートライブ 「楓」(かえで)

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 大阪市西区・九条から西梅田にある「ジュンク堂書店」へ本を買うために寄り道した。地下街を歩くのは閉塞感があって余り好きではない。それより暑かったとしても太陽を浴びながら地上を歩きたい。もうひとつ高い場所に立ちたいというのが、私の変な性向だ。

 梅田阪急百貨店前の歩道橋を渡った。地下や平面の地上を歩けば労力も少なく快適であるはずた。でも、その歩道橋を渡った。遭遇した!歩道橋の上で若者たちがストリートライブをしていた。グループの名は「楓」(かえで)というようだ。

Photo_4  室内のライブコンサートのように特定の若い観客が来ている訳ではなく、通りすがりの者たち、年齢・性別はさまざな人々が耳を傾けていた。仲間たちはチラシを配布していた。私もまた、一観衆として立ち止まりしばらくの時間、彼らの音楽を聴いていた。

 ライブコンサートではもっと派手なメイク・衣装で演奏するのだろう。ストリートライブはおそらく彼らの「自然なありのままの姿」が表現されている。聴いているのか、聴いていないのかわからない、通りすがりの者たちに、一生懸命に彼らの想いを伝えようとしていた。

 自分たちが、何を伝えたいのかにこだわれば良い。第三者が若さの未熟さを指摘しても、気にすることはない。歌え!叫べ!素直な自分自身であれ!きっと自分自身も変わり、周りをも変えていくことの希望が見えてくるはずだ。頑張れ!頑張れ!!
 

2009年7月 9日 (木)

「私を断罪せよ」~岡林信康フォークアルバム~

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 7/7(火)、七夕の日、日本経済新聞夕刊の文化面の記事、「岡林フォークに若者 共感」を読んだ。 1960年代末、若者たちにとって「フォークソングの神様」として岡林信康(62)は存在した。40年を経て、今再び脚光を浴びている。「暗い社会情勢の中、若者たちが明日を模索する歌詞に共鳴し、音楽の新鮮さに心を動かす」そのような状況が共感を生み出している背景にあるという。

 久しぶりに、岡林信康の復刻盤「私を断罪せよ」を聴いた。1969年に録音されたことははっきりと明記されていた。1992年、私が38歳の時に復刻された。私がそのCDアルバムをいつ買ったのかはっきりとしない。そのCDアルバムが我が本棚の片隅に存在するということは、その時、岡林信康の歌を聴きたいと思い買ったことは確かだ。

 「くよくよするのはもうやめさ 今日は昨日を超えている」 (今日をこえて)
 「暗い手紙になりました。だけど、私は書きたかった」 (手紙)
 「それで自由になったのかい それで自由になれたのかよ」 (それで自由になったのかい)
 
「あいつにあったなら あの世で二人また旅に出よう」 (ランブリング・ボーイ)
 
「友よ この闇の向こうには 友よ 輝く明日がある」 (友よ)

 
岡林信康の歌は、間違いなく、その時代をはっきりと映し出した音楽であることは間違いない。今晩、「私は断罪せよ」というCDアルバムを聴きながら、岡林信康、本人が彼自身をどのように判断しようがしまいが、1960年代末を象徴するシンガーであったことは、大袈裟かもしれないが、まさに歴史的事実そのものだ。「友よ」という歌を叫び歌っていた青臭い、純情なあの頃を、今、思い出した。

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