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2009年12月12日 (土)

「菊池契月展」のパンフレットを観ながら

Img  生誕130年記念「菊池契月(きくち けいげつ)展」
【開催日】2010年1月2日(土)~1月24日(日)
【会場】 美術館「えき」KYOTO

 昨晩、なにげなくJR鶴橋駅の駅頭で「菊池契月展」のパンフレットを手に取った。自宅へ帰る電車の中で眺めていた。繊細でありながら凛とした女性の姿が描かれていた。幾枚かの絵が掲載されていた。その絵に惹き付けられた。

 恥ずかしながら無知をさらけ出すと、私は「菊池契月」という画家を存じ上げていなかった。美術に造詣が深い人々にとっては著名なのだろうが、私は今まで知ることもなかった。自分自身を恥じた。

 プロフィール・解説を読み、「現在の長野県中野市で生まれた契月は・・・」という一文から、縁あって訪れた信州・中野を思い描いた。そうか、「故郷」「紅葉」などの唱歌の作詞をした高野辰之と、また、AC長野パルセイロのサポーターのご家族と同郷なのだ。

 高野辰之は1876年(明治9年)、菊池契月は1879年(明治12年)の生まれだ。幼少時代をその地で過ごしたのだろう。そこに何らかの交錯する時空はあったのだろうか? そのような他愛もない事柄が脳裏に浮かんだ。2009年5月16日(土)、私はJR飯山線「替佐駅」から徒歩で、「高野辰之記念館」をめざした。その道すがらの風景が眼前に蘇った。

 正月早々から「菊池契月」の展覧会が開催される。新たな年の初めに、その展覧会へ出かけようと思い抱いている。
 

2009年12月 6日 (日)

素敵なストリートダンサー

20091129_010

 長居スタジアム外壁のガラスに向かい中学生の彼女らは舞い踊っていた。ダンスを通じて何かを表現したいという思いが彼女らを突き動かしていた。夢中になって取り組むべきものがあることは素敵だ。若きストリートダンサーよ、君たちのステージで、刹那であったとしても、炎のように舞い踊れ!

2009年11月17日 (火)

「日中交流作品展」~大阪芸大&上海大美術学院

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 JR阪和線・天王寺駅で見かけたポスターだ。大阪芸術大学と上海大学美術学院が姉妹校提携をしており、交互に学生たちの「日中交流作品展」を開催しているという。

「大阪芸術大学ブログ」

2009年11月11日 (水)

大橋 歩のポスターを見て

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 11/8(日)午前、近鉄奈良駅構内で、三重県立美術館「大橋歩展」のポスターを偶然に見かけた。懐かしかった。雑誌「平凡パンチ」の表紙が目に浮かんだ。そのイラストは斬新だった。使い古したアディダスの黒のバッグからデジカメを急いで取り出し、シャッターを押した。

「三重県立美術館」公式サイト

2009年11月 3日 (火)

第15回高山サイエンスタウンフェスティバル

 11/14(土)10:00~15:00 「第15回高山サイエンスタウンフェスティバル」が開催される。奈良先端科学技術大学院大学、高山サイエンスプラザほかの会場で大人も子どもも楽しいイベントや子ども向け体験プログラムが企画されている。

 わが自宅からも車で15分程度の場所にあり、出かけてみたい気持ちに誘われる。ほんとうは、クラブや近所の子どもたちを引き連れて弁当持ちで出かけたならば、どんなに楽しいことだろうと、祝日の朝に身勝手に思い浮かべている。

「(財)奈良先端科学技術大学院大学支援財団」公式サイト

2009年10月27日 (火)

庶民の信仰「円空・木喰展」

Img  11/7(土)~29(日)、美術館「えき」KYOTOにおいて、庶民の信仰「円空・木喰 展」が開催される。全国を行脚し幾多の独創的な木彫りの仏像を創作し続けた「円空」「木喰」の時代を超えて人を魅了してやまない造形を紹介した展覧会だ。

 円空(1632~1695)は自由奔放な荒々しさ、木喰(1718~1810)はやわらかな笑みたたえた丸み、対照的でありながら、いずれも魅了される。行脚しながらということは、旅をしながらもその土地に住み、木彫りの小さな仏像を彫り続けたのだろう。私好みの展覧会である。是非とも出かけるつもりでいる。

 

2009年10月17日 (土)

「炎舞」~速水御舟~を観て

20091017  10/17(土)、山手線・恵比寿駅から徒歩10分の「山種美術」へ立ち寄り、「速水御舟展」を観た。本当はサツカー観戦後に上野へ出かけるつもりでいた。

 新幹線車中で、今日の日本経済新聞朝刊の文化面の「東京都心で新築相次ぐ 私立美術館発信力磨く」という記事を読んでしまった。そこに「山種美術館」が、新たに東京・広尾で10/1に開館されたことを知った。

 その記事を読んで、「速見御舟展」が開催されていることを知った。同氏の作品「炎舞」が私の脳裏を強烈によぎった。画集でしか知らないが、私は「炎舞」という画に若かりし頃、惹きつけられた。忘れていたことを偶然にも思い出した。サッカー観戦後、「炎舞」を必ず観に行こうとその時決めてしまった。

 「炎舞」を観た! 画集で観た印象とは違った。細長い縦長の長方形の画だった。狂おしくまでに炎が立ち上がっている。原画を観て、今までの想像の領域を超えて現実に我が前に存在していることに、立ち震えるほどの感銘を受けた。その画はまさに情念そのものであるような気持ちを抱いた。

 偶然、東京へと向かう車中でその記事を読まなければ、恐らく私は「炎舞」を見逃していた。偶然というものに感謝すべきなのだろう。美術館で速水御舟の画集を買ってしまった。その「情念」「情動」もまた私らしいと自分自身では思っている。

「山種美術館」公式サイト

2009年10月 5日 (月)

今日は、「レモン忌」だった!

Img  今日は、詩集「智恵子抄」に詠われた高村智恵子の命日、「レモン忌」だった。高村光太郎は、精神を病んだ末に53歳で病死した妻・智恵子への想いを詩集「智恵子抄」に綴った。永遠の愛の詩だ。

 2002年秋に、宮城県で国体が開催された折に、私は妻と義母に福島市でおち合い仙台へ向かうことになっていた。前日に私はひとり会津若松を訪れて後に、その日、郡山から福島へ新幹線で向かった。

 二本松近くにさしかかった時、車窓から智恵子が生まれた故郷を遠くから眺めた。遠くに、「阿多多羅山」が見えた。列車よゆっくり走れという願いもむなしく、新幹線は非情なまでに速すぎた。その風景はすばやく車窓から通りすぎ去った。いつかは二本松へ、智恵子の故郷を訪れたいとその時思った。あれから7年が経つ。未だに訪ねられずじまいだ。

 今日は「レモン忌」だ。久しぶりに本棚から新潮文庫「智恵子抄」をとりだしページを繰った。黄ばんだ表紙には、智恵子の「切抜絵」が飾られてる。精神を病みながらも本能的な美への希求をし続けていたのだろう。

 光太郎は死に向かう智恵子の最後を詠った。それは、まさに愛の絶唱だった。

「レモン哀歌」

そんなにもあなたはレモンを待っていた 
かなしく白くあかるい死の床で 
わたしの手からとった一つのレモンを 
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ 
トパアズいろの香気がたつ 
その数滴の天のものなるレモンの汁は 
ぱつとあなたの意識を正常にした あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑う 
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの喉に嵐はあるが 
かういう命の瀬戸ぎはに 
智恵子はもとの智恵子となり 
生涯の愛を一瞬にかたむけた 
それからひと時 
昔山麓でいたような深呼吸を一つして 
あなたの機関はそれなり止まった 
写真の前に挿した桜の花かげに 
すずしく光るレモンを今日も置こう 

(高村光太郎)

「高村智恵子/二本松市」Webサイト

「モンデンモモ」Webサイト
 

2009年10月 2日 (金)

ラミダス猿人「アルディ」~440万年前人類最古の全身骨格を復元

 10/2(金)朝日新聞・日本経済新聞朝刊で両紙とも掲載されていた記事を興味深く読んだ。「人類440万年前の一歩 ラミダス猿人国際チーム復元 二足歩行 森で雑食生活」(朝日)、「人類最古の全身骨格 440万年前 東大などエチオピアで発見 樹上でも生活」(日経)と見出しが並んでいた。

 1994年~2000年まで、約36体、約120点の頭、腕、足などの骨の化石がエチオピアで発見された。その後、分析が続けられて、東京大学・カリフォルニア大学・エチオピアリフトバレー研究所の国際合同チームが人類の化石から全身像を復元することに成功した。約400万年前の猿人アウストラロピテクスよりさらに古いアルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)の人類像が初めて描きだされた。

 骨格から見て女性と推定され、復元されたラミダス猿人は愛称「アルディ」と名づけられた。身長は約120cm、体重は約50㎏で、人類の全身骨格としては「アルディ」が最古となる。すでに二足歩行をしており、樹上でも生活していたと推定されている。

 人類と類人猿の共通の祖先は約700万年前に分岐した。気の遠くなるような時を経て、約10万年前に現生人類(ホモ・サピエンス)がアフリカで誕生し、壮大な旅が始まり世界中に広がった。約440万年前を、ホモ・サピエンスの壮大な旅を思い描こうにも私の想像力では如何ともしがたい。新聞に掲載された「アルディ」を眺めながら、ふと愛おしい気持ちが湧いた。

2009年9月 5日 (土)

「環日本海」~共感の海~

Img_0001  先日、私の部屋の大掃除をして本の整理や粗大ゴミを搬出した。如何せん、忘れていたさまざまなものが出てきて捨てようにも捨てきれなかった。このリフレットもその一つだった。20033月に東京原宿「表参道・新潟館ネスパス」で開催されたシンポジウム「繋がる~日本海」のものだった。そのシンポジウムに参加したわけではなく、正確な日時を覚えていないが、東京でのスポーツ研修が終わり、「表参道・新潟館ネスパス」に立ち寄った折に、このリフレットをいただいた。

 
新潟県生まれの私の父は、常々、新潟県は裏日本の豪雪地帯で遅れている地であると私につぶやいていたことがある。恐らく父にとって自分自身の学歴と故郷に劣等感を抱き続けていた。確か私はこのリフレットを持参して実家に立ち寄り、父に対して「新潟館が東京の中心・原宿にある。新潟は裏ではなく、昔から表だった。日本海は大陸からの人と文化の通り道だった」と伝えたことがあった。その時、確かに父は微笑んだことを覚えている。

 
富山県のHPで「逆さ地図」を眺めながら「日本海」はあたかも湖のように見える。大陸から人々が「渡来」し、様々な文化を運んできた大切な交流路、かつて開催されたシンポジウムの表題を借りれば、まさに「繋がる」「共感の海」だ。

 
この小さく薄いリフレットを手にしてから6年余りが経つ。私自身の興味は、今も日本の太平洋沿岸にはなく、日本海沿岸にある。そのキーワードは「渡来」だ。長崎・佐賀・福岡・島根・鳥取・京都・福井・石川・富山・新潟・山形・秋田・青森・北海道、その海岸沿いの地域に、加えて海岸線から入った長野に興味を抱く。この薄いリフレットは、無知な私に大切な視点をはじめて教えてくれた宝物かもしれない。

「環日本海諸国図/逆さ地図」富山県HP

「表参道・新潟館ネスパス」Webサイト

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