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2009年11月 3日 (火)

第15回高山サイエンスタウンフェスティバル

 11/14(土)10:00~15:00 「第15回高山サイエンスタウンフェスティバル」が開催される。奈良先端科学技術大学院大学、高山サイエンスプラザほかの会場で大人も子どもも楽しいイベントや子ども向け体験プログラムが企画されている。

 わが自宅からも車で15分程度の場所にあり、出かけてみたい気持ちに誘われる。ほんとうは、クラブや近所の子どもたちを引き連れて弁当持ちで出かけたならば、どんなに楽しいことだろうと、祝日の朝に身勝手に思い浮かべている。

「(財)奈良先端科学技術大学院大学支援財団」公式サイト

2009年10月27日 (火)

庶民の信仰「円空・木喰展」

Img  11/7(土)~29(日)、美術館「えき」KYOTOにおいて、庶民の信仰「円空・木喰 展」が開催される。全国を行脚し幾多の独創的な木彫りの仏像を創作し続けた「円空」「木喰」の時代を超えて人を魅了してやまない造形を紹介した展覧会だ。

 円空(1632~1695)は自由奔放な荒々しさ、木喰(1718~1810)はやわらかな笑みたたえた丸み、対照的でありながら、いずれも魅了される。行脚しながらということは、旅をしながらもその土地に住み、木彫りの小さな仏像を彫り続けたのだろう。私好みの展覧会である。是非とも出かけるつもりでいる。

 

2009年10月17日 (土)

「炎舞」~速水御舟~を観て

20091017  10/17(土)、山手線・恵比寿駅から徒歩10分の「山種美術」へ立ち寄り、「速水御舟展」を観た。本当はサツカー観戦後に上野へ出かけるつもりでいた。

 新幹線車中で、今日の日本経済新聞朝刊の文化面の「東京都心で新築相次ぐ 私立美術館発信力磨く」という記事を読んでしまった。そこに「山種美術館」が、新たに東京・広尾で10/1に開館されたことを知った。

 その記事を読んで、「速見御舟展」が開催されていることを知った。同氏の作品「炎舞」が私の脳裏を強烈によぎった。画集でしか知らないが、私は「炎舞」という画に若かりし頃、惹きつけられた。忘れていたことを偶然にも思い出した。サッカー観戦後、「炎舞」を必ず観に行こうとその時決めてしまった。

 「炎舞」を観た! 画集で観た印象とは違った。細長い縦長の長方形の画だった。狂おしくまでに炎が立ち上がっている。原画を観て、今までの想像の領域を超えて現実に我が前に存在していることに、立ち震えるほどの感銘を受けた。その画はまさに情念そのものであるような気持ちを抱いた。

 偶然、東京へと向かう車中でその記事を読まなければ、恐らく私は「炎舞」を見逃していた。偶然というものに感謝すべきなのだろう。美術館で速水御舟の画集を買ってしまった。その「情念」「情動」もまた私らしいと自分自身では思っている。

「山種美術館」公式サイト

2009年10月 5日 (月)

今日は、「レモン忌」だった!

Img  今日は、詩集「智恵子抄」に詠われた高村智恵子の命日、「レモン忌」だった。高村光太郎は、精神を病んだ末に53歳で病死した妻・智恵子への想いを詩集「智恵子抄」に綴った。永遠の愛の詩だ。

 2002年秋に、宮城県で国体が開催された折に、私は妻と義母に福島市でおち合い仙台へ向かうことになっていた。前日に私はひとり会津若松を訪れて後に、その日、郡山から福島へ新幹線で向かった。

 二本松近くにさしかかった時、車窓から智恵子が生まれた故郷を遠くから眺めた。遠くに、「阿多多羅山」が見えた。列車よゆっくり走れという願いもむなしく、新幹線は非情なまでに速すぎた。その風景はすばやく車窓から通りすぎ去った。いつかは二本松へ、智恵子の故郷を訪れたいとその時思った。あれから7年が経つ。未だに訪ねられずじまいだ。

 今日は「レモン忌」だ。久しぶりに本棚から新潮文庫「智恵子抄」をとりだしページを繰った。黄ばんだ表紙には、智恵子の「切抜絵」が飾られてる。精神を病みながらも本能的な美への希求をし続けていたのだろう。

 光太郎は死に向かう智恵子の最後を詠った。それは、まさに愛の絶唱だった。

「レモン哀歌」

そんなにもあなたはレモンを待っていた 
かなしく白くあかるい死の床で 
わたしの手からとった一つのレモンを 
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ 
トパアズいろの香気がたつ 
その数滴の天のものなるレモンの汁は 
ぱつとあなたの意識を正常にした あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑う 
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの喉に嵐はあるが 
かういう命の瀬戸ぎはに 
智恵子はもとの智恵子となり 
生涯の愛を一瞬にかたむけた 
それからひと時 
昔山麓でいたような深呼吸を一つして 
あなたの機関はそれなり止まった 
写真の前に挿した桜の花かげに 
すずしく光るレモンを今日も置こう 

(高村光太郎)

「高村智恵子/二本松市」Webサイト

「モンデンモモ」Webサイト
 

2009年10月 2日 (金)

ラミダス猿人「アルディ」~440万年前人類最古の全身骨格を復元

 10/2(金)朝日新聞・日本経済新聞朝刊で両紙とも掲載されていた記事を興味深く読んだ。「人類440万年前の一歩 ラミダス猿人国際チーム復元 二足歩行 森で雑食生活」(朝日)、「人類最古の全身骨格 440万年前 東大などエチオピアで発見 樹上でも生活」(日経)と見出しが並んでいた。

 1994年~2000年まで、約36体、約120点の頭、腕、足などの骨の化石がエチオピアで発見された。その後、分析が続けられて、東京大学・カリフォルニア大学・エチオピアリフトバレー研究所の国際合同チームが人類の化石から全身像を復元することに成功した。約400万年前の猿人アウストラロピテクスよりさらに古いアルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)の人類像が初めて描きだされた。

 骨格から見て女性と推定され、復元されたラミダス猿人は愛称「アルディ」と名づけられた。身長は約120cm、体重は約50㎏で、人類の全身骨格としては「アルディ」が最古となる。すでに二足歩行をしており、樹上でも生活していたと推定されている。

 人類と類人猿の共通の祖先は約700万年前に分岐した。気の遠くなるような時を経て、約10万年前に現生人類(ホモ・サピエンス)がアフリカで誕生し、壮大な旅が始まり世界中に広がった。約440万年前を、ホモ・サピエンスの壮大な旅を思い描こうにも私の想像力では如何ともしがたい。新聞に掲載された「アルディ」を眺めながら、ふと愛おしい気持ちが湧いた。

2009年9月 5日 (土)

「環日本海」~共感の海~

Img_0001  先日、私の部屋の大掃除をして本の整理や粗大ゴミを搬出した。如何せん、忘れていたさまざまなものが出てきて捨てようにも捨てきれなかった。このリフレットもその一つだった。20033月に東京原宿「表参道・新潟館ネスパス」で開催されたシンポジウム「繋がる~日本海」のものだった。そのシンポジウムに参加したわけではなく、正確な日時を覚えていないが、東京でのスポーツ研修が終わり、「表参道・新潟館ネスパス」に立ち寄った折に、このリフレットをいただいた。

 
新潟県生まれの私の父は、常々、新潟県は裏日本の豪雪地帯で遅れている地であると私につぶやいていたことがある。恐らく父にとって自分自身の学歴と故郷に劣等感を抱き続けていた。確か私はこのリフレットを持参して実家に立ち寄り、父に対して「新潟館が東京の中心・原宿にある。新潟は裏ではなく、昔から表だった。日本海は大陸からの人と文化の通り道だった」と伝えたことがあった。その時、確かに父は微笑んだことを覚えている。

 
富山県のHPで「逆さ地図」を眺めながら「日本海」はあたかも湖のように見える。大陸から人々が「渡来」し、様々な文化を運んできた大切な交流路、かつて開催されたシンポジウムの表題を借りれば、まさに「繋がる」「共感の海」だ。

 
この小さく薄いリフレットを手にしてから6年余りが経つ。私自身の興味は、今も日本の太平洋沿岸にはなく、日本海沿岸にある。そのキーワードは「渡来」だ。長崎・佐賀・福岡・島根・鳥取・京都・福井・石川・富山・新潟・山形・秋田・青森・北海道、その海岸沿いの地域に、加えて海岸線から入った長野に興味を抱く。この薄いリフレットは、無知な私に大切な視点をはじめて教えてくれた宝物かもしれない。

「環日本海諸国図/逆さ地図」富山県HP

「表参道・新潟館ネスパス」Webサイト

2009年8月29日 (土)

だが、俺である。~メローコズル エクセレント~

 週刊新潮の9月3日号の中で、鹿児島・小正醸造㈱の長期貯蔵焼酎「メローコズル エクセレント」の広告文を読んだ。

「だが、俺である。
ひとはひとに愛されるために、ときとして演技をしながら生きている。
だが、どんな自分を演じても、決して魂までは曲げられない。・・・・・


 コピーは人の想像力を掻き立て、その商品と作り手を思い描く。商品の写真が眼に入った。次にヘッドコピーの「だが、俺である。」に惹き付けられた。商品と関係ないような文章だが、それは作り手、売り手の思い想うこと、すなわち思想がにじみ出る。言葉はその商品へと誘う。私は「メローコズル エクセレント」を飲んだことはないが飲んで見たいような気になってくる。

「小正醸造株式会社」公式サイト

2009年8月23日 (日)

俵口・桜ケ丘・あすか野 全国大会へ~関西小学生バンドフェスティバル

 8/21(金)大阪・舞洲アリーナで関西小学生バンドフェスティバルがあり、あすか野小・桜ケ丘小・俵口小の生駒勢3校が、11/28に大阪城ホールで開催される全国大会に参加する。
【金賞】 あすか野小・桜ケ丘小・俵口小
【銀賞】 都跡小

2009年8月14日 (金)

奈良県勢4校 関西小学校バンドフェスティバルへ

 8/21(金)、大阪市の舞洲アリーナで、12校が参加して関西小学校バンドフェスティバルが開催される。優秀団体は11/28に大阪城ホールで開催される全国大会に出場する。参加校12校の中で奈良県勢は、都跡小(奈良市)、俵口小・緑ケ丘小・あすか野小(以上生駒市)の4校が出場する。

高円高校・一条高校 関西吹奏楽コンクールへ

 8/11(火)奈良県吹奏楽コンクール高校Aの部で、17校が出場した中、高円高校と一条高校が奈良県代表として関西吹奏楽コンクールに出場を決めた。
【高校A】
(金賞) 添上、高円、奈良、一条、平城、登美ケ丘、郡山

2009年6月29日 (月)

「全国高総文祭みえ’09」~もうひとつのインターハイ~

 「第33回全国高等学校総合文化祭」が、7/29より三重県で開催される。若者たちが、「青春」という時に打ち込むのは、スポーツだけではない。文化的活動もその対象となる。真夏の季節の晴れ舞台、もうひとつのインターハイに賭ける高校生たちもいる。

 6/29(月)「和太鼓 青春の響き」という記事が朝日新聞朝刊に掲載されていた。旧奈良工業時代に「和太鼓部」が結成され、1997に「総文祭」に初出場した。2007年旧奈良工業、奈良商業が統合し奈良朱雀高校となって後、「総文祭」に初めて参加する。

 「秋篠」という曲を演奏するという。聴いてみたいものだ。「青春」はスポーツのみではない。「奈良朱雀高校「和太鼓部」の健闘を祈る!

「全国高総文祭 みえ’09」公式サイト

2009年6月21日 (日)

あなたの思い出の曲ベスト10~うたの旅人~

 朝日新聞土曜別刷りに連載「うたの旅人」の読者調査で、「思い出の曲ベスト10」が、6/20(土)紙上で発表された。

【あなたの思い出の曲ベスト10】
①「なごり雪」 伊勢勢三  ②「神田川」 かぐや姫  ③「川の流れのように」 美空ひばり  ④「上を向いて歩こう」 坂本九  ⑤「ガンダーラ」 ゴダイゴ  ⑥「青葉城恋歌」 さとう宗幸  ⑦「虹と雪のバラード」 トワ・エ・モア  ⑧「初恋」 村下考蔵  ⑨「千の風になって」 新井満  ⑩「椰子の実」 島崎藤村・作詞

 読者調査の対象年代は、私と同年代の人が多いのだろうか? 「あなたの思い出の曲は?」と問われれば、私は何と答えるのだろう? 「思い出の曲はありません!」 と、ただ、そう答える。

2009年6月11日 (木)

ベネッセアートサイト直島に「アート銭湯」

 6/11(木)日本経済新聞朝刊の記事によると、「アート」をコンセプトとした島づくりを実践している、瀬戸内海に浮かぶ「ベネッセアートサイト直島」に、「アート銭湯」がお目見えする。「現代アートと銭湯の融合」をテーマにした入浴施設だそうだ。アーティストが、内外装、備品までのデザインを手がけるという。一度は出かけてみたい島だと思っていたが、また楽しみがひとつ増えた。

「ベネッセアートサイト直島」公式サイト

2009年6月10日 (水)

サマーキャンプ参加者募集中~アルプス子ども会~

Img 「生きる力」は子ども同士の仲間体験から、「野山でのびのび」「外で、仲間と遊ぼう」

 長野県駒ヶ根市東伊那にある「アルプス子ども会」が「サマーキャンプ」の参加者を募集している。同こども会は1975年に発足し、34年の歴史と実績がある団体で、「命令・服従型」の指導を排して、子ども同士のつながりをつくることを最重視している。

 「サマーキャンプ」の内容は、川遊び、アウトドア料理、テントサイトキャンプ、集団遊び、竹・わら細工、登山、つり、草木染め、等、多彩なプログラムが用意されている。詳しくは下記のWebサイトを参照してください。

「アルプス子ども会」公式サイト

2009年6月 9日 (火)

「0系」新幹線 埼玉・鉄道博物館で展示へ

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大阪市・弁天町「交通博物館」で展示されている「0系」新幹線
(今春に「交通博物館」へ訪れた際の写真)

 
JR東日本は、6/8(月)、初代新幹線「0系」の先頭車両を、さいたま市の鉄道博物館で展示すると発表した。開業当時の東京駅ホームも再現するという。今年の10月から展示される。東京方面に出かけたなら、一度はさいたま市・「鉄道博物館」に立ち寄りたいものだ。

「鉄道博物館」公式サイト

2009年6月 8日 (月)

「国宝 阿修羅展」 最高潮の中で閉幕!

Img  東京・上野、東京国立博物館で開催されていた、興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」が、6/7(日)盛況の内に閉幕した。会期中の入場者総数は、946,172人で、同博物館で開催された日本美術の展覧会としては、史上最多の入場者数を記録した。加えて、過去同博物館の展覧会の最高入場者数の記録、①「モナリザ展(1974年) 約150万人 ②「ツタンカーメン展(1965年) 約129万人に次ぐ歴代3位の入場者数を記録した。

 「国宝 阿修羅像」は魅力的だ。だからこそ、人々はその御姿に惹きつけ魅了された。360度から「阿修羅像」を拝顔できるという企画は素敵だ。奈良では真正面からしか見えない。素直に言えば、私も東京へ出かけたい気持ちが確かにあった。その気持ちを抱かせたのは、360度から拝顔できるとことだった。残念ながら、その想いは実現できなかった。はっきりと言えば後悔している。

 「仏像ブーム」が生じているという。中高年のみならず若者たちも興味を抱いている現象が垣間見れる。神社仏閣を訪ねると、今までになく、確かに若者たちと出会うケースが増えた。「仏像」もまた若者たちの何かの興味の枠内に入ってきたのだろう。それが、「歴史」なのか、「美術」なのか、「キャラクター」なのか、「フィギュア」なのか、いずれにしても、若者たちが「仏像」に興味を抱きだした。それは、人として現実世界で失われつつあるものの、それぞれの心の中での復興を示しているのだろうか?

 「国宝 阿修羅像」は、東京国立博物館から九州国立博物館へと旅に出る。奈良へ帰還するのは秋になるという。今度は、九州の人々にその御姿の魅力的な肢体と芳しい香りでもって、その地の人々の心を虜にするのだろう。「国宝 阿修羅像」の旅路の無事を祈る。

「九州国立博物館」公式サイト

「阿修羅ファンクラブ」公式サイト

「仏像ガール」公式サイト

2009年6月 6日 (土)

村上春樹「1Q84」 異例の売れ行き!

 6/5(金)朝日新聞夕刊の記事によると、5/29に発売された作家・村上春樹さんの新作「1Q84」が異例の売れ行きを示しているという。「発売前増刷」、「発売1週間で100万部に迫る勢い」「例のない事態」と報じている。確かに、昨晩、大阪なんばのジュンク堂千日前店でも売切れていた。東京の大型書店、紀伊国屋書店、八重洲ブックセンターでも完売が続出した。

 ノーベル文学賞候補に挙がり、また、過日のエルサレム賞でのスピーチが、読んでみようという思いと購入するという行為に現れたのだろう。来年は、同氏のベストセラー「ノルウェイの森」も映画化される。「村上春樹」風の小説は現代という時代的な気分にフィットする。、新たな「村上春樹ファン」を生み出すのだろう。

2009年5月 9日 (土)

「千手観音My夢Dream」奈良公演

「折れたる花は 折れたるままに 香りかぐわしく 花を咲かせる
 すべての生命は尊厳を持つ すべての生命には価値がある」


 2009年日中交流 中国障害者芸術団の「千手観音My夢Dream」奈良公演が、5/24(日)に「奈良100年会館」で開催される。その芸術性の高い公演は世界各地40カ国以上の地を訪れ、障害者に夢と希望を与え続けている。2004年のアテネパラリンピック閉会式、2005年愛知で開催された愛地球博、世界的にも高い評価を得た。

「千手観音My夢Dream」公式サイト

2009年5月 4日 (月)

指揮者・小澤征爾氏の言葉を読んで

 5/3(日)日本経済新聞朝刊で、わが国が誇る指揮者・小澤征爾氏の若手育成にかかる言葉を読んだ。「日中韓とも演奏技術は驚くほど向上している。ただ、良い音楽を楽しみながら作っていく姿勢、音楽家なら普通に持ち合わせているべき姿勢が欠けているようだ」「多少キズがあっても音楽を受け入れる文化土壌も必要だろう」と。

 音楽の世界の中の話なのだが、その領域をこえて、サッカーのみならずスポーツ全般にも相通ずる。育成とは大人たちの責任の範疇だ。若手育成の課題は、大人たちを含めた環境創出の問題としてある。人は遺伝ではなく環境によって左右される。その環境を創りだすのは大人たちでしかない。「普通に持ち合わせているべき姿勢が欠けている」のは、子どもたちなのだろうか?それともわれわれ大人たちなのだろうか?

2009年4月26日 (日)

「ピクニック」の復権

 毎日読んでいる新聞記事の中で興味あるものについては、抜粋して無造作に机の横に積んでいる。何気なくその中の一枚を取り出した。2008年10月17日(金)日本経済新聞朝刊の文化欄「ピクニックの200年を散策」(執筆:太田浩史さん)を改めて読んだ。

 その記事によれば、1802年、英国ロンドンで世界で初めての「ピクニッククラブ」が誕生した。当初は、若者たちが、屋内で音楽・芝居をして夜を明かす過激な集まりであったようだ。ピクニックが外遊びとなるのは、英国での都市化に伴う環境悪化が主因となり、社交を求めて、その当時整備されつつあった公園へと人々は向かったのだという。

 その記事を改めて読み、「ピクニック」のことを思い浮かべた。むかし、テレビか映画で観た光景を思い出した。緑の丘の頂きで、若い二人が布の敷物の上で、微笑みながらコーヒーとサンドイッチを食べている。ただ座り黙って遠くの風景を見ている。実にのどかな光景が、今も印象として残っている。

 Picnic (ピクニック)という言葉を高校時代に買った「研究社英和中辞典」で調べてみると、「①遊山、行楽、遠足 ②特別楽しいこと、楽な仕事」という意味が記されていた。また、「広辞苑」で調べてみると、「野遊び、遠足、遊山」とあった。いずれも、のどかでゆったりとした意味合いを表している。

 正直に言えば、最近というより永らくピクニックに出かけてはいない。確かに一人で出かけることはあるが、それはピクニックなどいうのどかで郷愁を抱かせるようなものではない。ピクニックは最低催行人員が二人だ。それ以上でなければならない。ただ男二人ではどうなのだろう? それでは男女二人? それが一番素敵なことではあるのだが。それは無理だ。よし!それならば、「みんなで、トレドの森へ、ピクニックに出かけよう!」と言ったとしても、怪訝な想いを抱かれるのかもしれない。今こそ、「旅行」ではなく「ピクニック」の復権を望む。

「東京ピクニッククラブ」公式サイト

2009年4月19日 (日)

「杉本博司 歴史の歴史」と安藤忠雄の建築

1_006  4/18(土)午後、大阪・中之島にある「国立国際美術館」へ出向き、「杉本博司 歴史の歴史」展を観た。1月に金沢で開催された。私にとっては、冬の金沢、春の大阪でと二度目の観覧となった。同じ展覧会を二度つづけて観たのは今までに経験がない。私自身の微弱な感性の根底にあるものが激しく震えたからなのだろう。

 あの「ボーデン湖 ウットヴィル」ほか、合計9枚の海の写真があった。金沢では360度の円の外周に沿い飾られ、その中心に十一面観音立像があった。大阪では、やわらかい曲線の壁面に横一列で9枚の写真が並んでいた。横幅の長い展示室の中に長いすが置かれていた。そっと座って9枚の写真を観た。私の前方180度の角度の中でモノトーンに近い海が広がっていた。十一面観音立像のような想いが涌いた。

 さまざまな作品と収集品を時間をかけてゆっくりと観てまわった。余りにも刺激的だった。男女を問わず若い人々が多いのに驚いた。中心年齢が30歳代だろうか? 彼らの姿を見ているとほっとした気持ちになる。日常生活の重みを感じ始める年代に、「アート」に触れるという時間を自ら選択したのだ。

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 「国立国際美術館」は建築家・安藤忠雄が設計した建築である。地上面は写真の通りにパイプが曲線を描きうねっていた。一瞬、ここがほんとうに美術館なのだろうかと思ってしまう。正面の入口から入り、長いエスカレーターを下ると地下2F、3Fが展示場になっていた。地上からでは想像もできないほどのスペースが広がっていた。エスカレーターに乗って地下に下り美術館に入るというのは、実に不思議な感覚だった。まさにモダンな地中美術館だ。

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 巨大な高層建築の地中には、「アート」は存在しない。「国立国際美術館」の地中では、「アート」は存在し続ける。人は目に見える場所で何かを創り出そうとする。しかし、人は日々の中で、ほんとうは目には見えない場所で何かを創り出そうとする営為を積み重ねているのだ。地上でのパイプの曲線の先は、まるで槍のように天空を指し続けていた。

「国立国際美術館」公式サイト

2009年4月18日 (土)

「愛」と「また旅人なり」

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 大阪・長居スタジアムのバックスタンド下に、「大阪市立長居ユースホステル」がある。その入口近くに写真のような毛筆で書いたものが掲示されていた。毛筆とユースホステルという取り合わせに興味が涌いた。ユースホステル入口へと向かいまわりを見回すとポスターがあった。私は理解した。ユースホステルで習字教室が開講されているのだ。

 左の写真は、さままな「愛」とい文字を毛筆で表現していた。人それぞれに「愛」という文字から、「愛」を感じている。その「愛」というものは、どこにでもあるものなのだろうか? それとも数少ない一部の人のみの崇高なものだろうか? いずれにしろ、人は「愛」を求めて生きる。

 右の写真は、松尾芭蕉「おくのほそ道」の名文を毛筆でしたためたものである。「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也・・・・・」。芭蕉は、「漂泊のおもひやまず」と書き記した。生きることは旅であり漂泊なのだ。

 人は、人間や森羅万象を対象としての「愛」を求めて「旅」に出る。一瞬に「愛」を得ることはできない。ただすべてをかけた「漂泊」の中から「愛」は産み出されるのだろう。私はほんとうに「愛」を求めて行動しているのだろうか?

「大阪市立長居ユースホステル」公式サイト

2009年4月14日 (火)

TVドラマ 「駅路」を観て

Img_0002  4/11(土)夜、テレビドラマ「駅路」を観た。2時間集中してテレビを観たのは久しぶりだった。この10年ぐらいはテレビを観ることが極端に少なくなってきた。子どもの頃は夢中でよく見たものだが、最近は夕食の時にBGM代わりに見るぐらいだ。概ね、本を読んだだり、音楽を聞いたり、インターネットで調べたりしている時間の方が楽しい。ではなぜ、松本清張原作の「駅路」を観たのか?

 今年は作家・松本清張生誕100年にあたる。その記念出版として、光文社文庫で「松本清張短編全集」全11巻が、2008年9月から毎月1冊刊行されている。今月まで8冊が出版されているが、そのすべてを通勤電車の中で読んだ。

 「社会派推理小説」というのだろうか。大学生だった時もよく読んでいた。妻の今は亡き父親も清張ファンだったらしい。その影響か妻もまた同様に愛読していた。生誕100年ということで、松本清張の作品を読み直していた。戦後という色合いが濃厚に立ち込めた作品は、学生の時に読んだ以上に面白さを抱いた。

 4月始めに町の書店で、新潮文庫の「駅路」を買い読んだ。定年を迎えた男のはかない顛末だった。その文庫本の、「TVドラマ化」、脚本が向田邦子、出演が役所広司、深津絵里という文字が目に飛び込んできた。どんなテレビドラマとなるのか興味が涌き見たいと思った。

 テレビドラマ「駅路」を見終わって、その余韻に酔った。いいドラマだった。一緒に見ていた妻に私は言った。「よかったなあ!」「主演の役所広司、深津絵里もよかった!」と。しかし、無言の世界だけが広がっていた。私の言葉で余韻を妨げられたくなかったのだろう。私もまた、あと4年で定年を迎える。定年というその駅にたどり着き、分岐路を迎える。その「駅路」ののちの顛末を、私はいかなるものとしようとするのだろうか?

2009年4月12日 (日)

「杉本博司 歴史の歴史」展 大阪で開催

 4/11(土)朝日新聞夕刊の記事で、現代写真の前線に立つ杉本博司氏の「歴史の歴史」展が、4/14(火)から大阪・中之島の「国立国際美術館で開催されると知った。

 今年1月、「フットボールカンファレンス」に参加するため金沢市を訪れた際に、「金沢二十一世紀美術館」で同展を観覧した。不思議で刺激的な映像と空間に魅了された。世界各地の海を描いた数枚の絵に囲まれ観音仏像が立つ部屋は、私の五感をかぎりない静寂の世界へと誘った。種々雑多な収集品にも圧倒された。化石、隕石、石器、寺院の古材、仏画、仏像、宇宙食等々。

 稀有な経歴が独特な表現に結びつくものなのだろう。同氏はかつて古美術商を職業としていた時期があったという。美術家として専念するようになってから古美術の売り手から買い手へと逆転した。その収集品には独特の質の高さがあると言われる。同氏の収集の基準は「心が動くもの。目が喜ぶもの。」と簡潔である。

 同氏の作品・言葉が、私にとっては、フットボールに対する考え方にも繋がっていた。私がデジカメで何気なく写真を撮る。同氏が「日本海礼文島」の写真を撮る。いずれも「写真を撮る」という行為は同じ価値を含んでいる。しかし質的には「低」と「高」、第三者は、私が「町のデジカメ小僧」で同氏は「世界的なアーティスト」となる。

 フットボールの世界でも同様だ。同じボールを追いかけているものがあったとして、すべての者はフットボールに興じているという意味では同様な価値が生じる。しかし、そこには「愛好家」から「アーティスト」の階層が自然と形成される。

 同氏は、「アートとは技術のことである。」という。それは「眼には見ることができない精神を物質化するため」だと言う。新聞記事を執筆した編集委員の方が、「技術を伴わない表現はアートではない」「技術と精神が両輪となりアートを突き動かしている」という二つを杉本博司氏のアートに関する持論だと読み解いていた。

 フットボールの「競技」もまた「心が動くもの。目が喜ぶもの」の刺激の中で、「精神」と「技術」という両輪を積み重ねた上で、ピッチで「表現」するという「アート」なのだと思う。

 4/18(土)に、再度、「杉本博司 歴史の歴史」展を観覧するために、大阪・中之島の「国立国際美術館」へと出向く予定にしている。

「大阪・国立国際美術館」公式サイト

2009年3月28日 (土)

駅弁を初めて食べた日

 3/23(月)日本経済新聞朝刊の文化欄に上杉剛嗣氏(高校教諭)が執筆されていた「駅弁“掛け紙”そぞろ神」という記事を読んだ。冒頭に、「小さな折箱にその土地独特の食材が詰まった駅弁。旅先で車窓を見ながら食べる味は格別だが、その中身に負けず劣らず私の旅情をかきたてるものがある。お弁当を包む“掛け紙”である。」 その一文にひかれ文章を読つづけていると、駅弁は明治18年(1885年)の宇都宮駅が始まりだということを初めて知った。確かに駅弁の掛け紙は旅情をそそるが、歴史をたどりそれを現実に収集されていることに感服する。

 私が初めて駅弁を食べたのはいつだったのだろうか? 時間をさかのぼった。ある情景以前は浮かんでこなかった。それは、私が5~6歳の頃だった。祖母と隣組のおばさん数名が一団になって、出雲方面へ大旅行へ出かけた時のことだった。後年、祖母が私をその旅行へ連れていくことを家族は反対したそうだ。しかし、祖母は大反対を押し切って私を連れだした。

 その旅行の途上、ある駅に停車した。山陰本線のどこかの駅だったのだろう。列車の窓を開け、祖母が窓から乗り出して、駅弁売りのおじさんを手をふり呼んだ。だが来ない。業を煮やした祖母は列車を降りてホームにある駅弁屋を急ぎ早に往復して、人数分の駅弁とせとものに入ったお茶を運んだ。列車が動き出して私たちは駅弁を開いた。きれいでおいしかった。それが私が初めて駅弁を食べた日だった。「駅弁“掛け紙”そぞろ神」という記事を読み50年近く前の情景が脳裏に浮かんだ。

駅弁の小窓」公式サイト

「にほんの里100選」

 朝日新聞社と森林文化協会がわが国の美しい里を募集し、応募地の中から候補地を絞り込み現地調査も行った上で、景観、生物多様性、人の営みの3要素を選定基準として「にほんの里100選」として選定委員会が総合的に判断して選んだ。「にほんの里100選」Webサイトを見ながら、日常的な風景にはない、わが国「里」とその地で生き守り続けてきた人々の美しさを思い浮かべた。「異邦人」としてでも一度は訪れたいという旅心に誘われた。

「にほんの里100選」公式サイト

2009年3月15日 (日)

「国宝阿修羅展」 3/31東京国立博物館で開幕

 東京国立博物館で、3/31より興福寺創建1300年記念「国宝阿修羅展」が開幕する。日本でもっとも有名で人気のある仏像の一つである。興福寺「阿修羅像」が東京に出陳されるのはほぼ50年ぶりである。魅惑的な少年か少女かいずれにも思い描けるスリムなプロポーションと独特のフォルムを有する「阿修羅像」は、仏像ファンだけでなく多くの人々を魅了してきた。

 「阿修羅像」は奈良・興福寺では概ね正面からしか拝顔できない。東京国立博物館では「阿修羅像」が360度から拝顔できるように展示されるという。前回の「阿修羅像」上京の際には多くの観覧者で盛況であったと聞く。今回はそれ以上に多くの人々が「阿修羅像」に接することになるだろう。

 
東京では阿修羅像とともに八部衆像と十大弟子像の14体すべてが一堂にそろう。興福寺境内の外で14体がそろって展示されるのは初めてである。また、「阿修羅像」をはじめ出展品約70件の写真をポスター・図録のために、写真家・金井杜道氏が一人で撮りおろした。

 昨秋、「阿修羅像」が上京するということを新聞で読み、無性に「阿修羅像」を拝顔したくなり興福寺へ出かけた。人影少なく静けさが漂う「国宝館」で「阿修羅像」と向き合うとその魅惑のまなざしと奥深さに魅了された。3月東京国立博物館、7月九州国立博物館へ「阿修羅像」はおもむく。奈良に帰還するのは秋になる。「阿修羅像」の旅のご無事を心から祈る。

「国宝阿修羅展」公式サイト

2009年3月13日 (金)

京都創生座 「四神記~神降る都の物語~」

Img  第3回公演 「四神記~神降る都の物語~」
   守り給へや四方の神

 「京都創生座」は、京都市が「国立京都伝統芸能文化センター」の整備に向けて、ジャンルの異なる伝統芸能である能、狂言、歌舞伎、舞踏、音楽による新しい作品の創作、若手の育成を主眼として活動している。

 伝統芸能という言葉から、古臭く消え去りつつあるものというイメージを抱く人々がいる。本当にそうだろうか? 少なくと私には大きな価値を持っているものだと思っている。それはスポーツ、サッカーの根底につながっていると信じている。いずれにしろ、それらは「文化」なのだ。

「京都創生座」公式サイト

2009年3月12日 (木)

すき焼きの作り方 関西風それとも関東風

 すき焼きの作り方には、「まず肉を焼き、砂糖としょうゆで味を調え、野菜を入れる」という関西風と「割下を使って肉と野菜を同時に煮る」という関東風の二通りがある。かつては、関西地方は関西風、関東地方は関東風というように地域での味の好みや文化がはっきりと分かれていた。最近は人の移動に伴い、食の文化もむかしほどに地域での好みが明確ではない状況となっている。さきほどのすき焼きの作り方でも、関西地方に住んでいる人々でも、関東風の作り方を好む人もいる。関東地方に住んでいる人々でも関西風の作り方を好む人もいる。わが家は関西風である。そういえば、最近、すき焼きを食べていないような気がする。

2009年3月 3日 (火)

若狭・小浜の「お水送り」

 奈良では今は「お水取り」の季節だ。その伝統行事が終わらなければ、ほんとうの春はやってこないと言われている。「お水取り」があれば「お水送り」という行事がある。奈良「お水取り」に使われる「聖水」は、若狭・小浜から運ばれてくる。その地の「お水送り」の伝統行事が3/2に行われた。

 若狭と奈良は古来から深く結びついている。「お水送り」と「お水取り」という伝統行事がそのことをはっきりと証明している。若狭・小浜の「お水送り」の伝統行事の写真を見た。それはまさに「土俗」だ。

 とかく私たちは「伝統」、「歴史」を忘れ日常に埋没してしまう。そのことは、刹那的に多忙な時の流れに身を任せ、さまざまな人々が生きた証を無にしているのだろう。伝統行事は、私たちが今生存し、その存在はどこから来たのかをく知らせてくれる。

「お水送り/小浜市」Webサイト

春三月、弥生、「白線流し」~岐阜県立斐太高校卒業行事~

Img  3/1(日)、飛騨高山にある岐阜県立斐太高校で、毎年恒例のの卒業行事、「白線流し」が行われた。卒業生が男子生徒は学帽の白線、女子生徒はセーラー服の白いスカーフを繋ぎ合わせ、学校のそばの川へ流す卒業の儀式だ。

 17年前、1992年3月、テレビのドキュメンタリー番組「別離の歌~飛騨高山の早春賦“白線流し”」を観た。その番組は私に多大なる感銘を与えた。その後、テレビの連続ドラマで「は白線流し」が取り上げられ人気を博した。

 学帽のl白線、セーラー服の白いスカーフを繋ぎ結び合わせる。その時、その場所で過ごした生徒たちが、旅立ちの儀式を迎えた。春が来る。

「YOMIURI ONELINE」Webサイト

「岐阜県立斐太高等学校」公式サイト

※写真の本は、「白線流しを知っていますか~18歳の別れ、旅立ち~」(角川書店:1993.03)

2009年3月 2日 (月)

「紀伊半島一周390km~熊野古道を歩く」の新聞広告を見て

 「紀伊半島一周390km~世界遺産 熊野古道を歩く」の新聞広告を見た。、「新しいチャレンジの第一歩を踏み出そう!」「心と体の健康ウォーク」がキャッチフレーズだ。和歌山県海南から紀伊田辺、串本、紀伊勝浦、新宮を経て伊勢神宮へ2年間で完歩する。日帰り12回、1泊8回の合計20回。2008年1月には初めての完歩者88人が、2009年11月には106人が伊勢神宮へ到着したという。

 モータリゼーションの世の中で、私たちは歩くことの大切さをどこかへ置き忘れてきた。かつて、「旅」は歩くことだった。最近、健康のための「ウォーキング」が流行している。私の自宅近くの富雄川沿いをさまざまな年代の人々が歩いている姿を見かける。人間はいかなる動物も成し遂げることができなかった「直立二足歩行」という革命的な進化を遂げた。車は確かに便利な乗り物である。利便性とスピードの世界から、今一度、歩くことに回帰してみよう。見過ごしていた世界が、新たに見えてくるかもしれない。

「紀伊半島一周390km~世界遺産 熊野古道を歩く!」公式サイト

2009年3月 1日 (日)

今年は、七年に一度の「善光寺御開帳」

 今年は七年に一度の盛儀「善光寺御開帳」の年である。善光寺本堂に安置されているご本尊は秘仏となっている。鎌倉時代にご本尊の見代わりとして前立本尊が造られ普段は宝庫に安置されている。七年に一度だけ特別にその姿を拝むことができる。それが、「善光寺御開帳」だ。

 善光寺は日本最古のみ仏を祀り、1400年の歴史を誇る。宗派を問わず老若男女の庶民信仰の霊場である。創建以来、11回の火災に遭いながらも、そのたびに復建された。国宝である本堂は威容を誇り、宗派に関係なくすべての者たちを受け入れるような懐の深さがある。

 善光寺へは高校時代の夏季旅行で初めて訪れのち幾度か立ち寄った。全国から一度は善光寺へと訪れる人々があとをたたない。「牛にひかれて善光寺参り」。今年は「御開帳」の季節に訪れたいものだと、ふと、日曜日のゆるやかで暖かい朝の日差しの中で思っている。

「善光寺御開帳」公式サイト

2009年2月27日 (金)

「芸術新潮3月号」を買った!

 2/26(木)最寄り駅の近鉄奈良線・富雄駅近くの「ジャパンブックス」で、なにげなく本を物色していた。「芸術新潮3月号」の表紙に目が行った。特集・興福寺創建1300年記念「阿修羅のまなざし」に惹きつけられた。その雑誌のページを繰った。3/31から東京国立博物館で「国宝・阿修羅展」が開催される。仏像・阿修羅の魅惑的な姿に魅了された。

 その雑誌を続けて見ていると、小特集が「写真家・小島一郎が切り撮った北国」だった。15枚余りの写真が掲載されていた。つい昨日に初めて知った、それも心の共鳴を抱いた写真家・小島一郎の特集だ。偶然とは奇異なものなのだ。その写真を見ながら、再び自分自身の感性が震えた。

 またも偶然にも、「エマニュエル・リヴァ 彼女のヒロシマ・モナムール」の小特集があった。広島を舞台にしたアラン・レネ監督の映画「二十四時間の情事」の主演女優である彼女が、1958年、撮影の始まる前の一週間、美しく魅惑的な女優がカメラ片手に町を歩き広島を写し撮った。長年、彼女の実家のトランクに忘れ去られていた。それが偶然にも表舞台に出た。1958年当時のその写真には多くの広島の子どもたちが映し出されている。

 阿修羅、小島一郎、エマニュエル・リヴァという興味ある対象が一冊の雑誌に掲載されていた。迷わずに「芸術新潮3月号」を買った。おそらくその雑誌は、私の本棚の中でずっと存在し続けるだろう。

「芸術新潮」公式サイト

2009年2月26日 (木)

昨日、写真家・小島一郎の存在を初めて知った~青森のミレー~

 2/25(水)、「泳げたい焼き君」的な日常の中で、近鉄奈良線富雄駅6:37発の大阪なんば行きの準急に乗った。カバンから日本経済新聞を取りだし、まず文化面開いた。「青森のミレーは写真家」という表題と、「早世の小島一郎、農民と自然の共存・戦いを撮る」という言葉が目に入った。その横に小さな写真が掲載されていた。

 朝のけだるさが漂う通勤電車の中で、その写真に目と心を奪われた。小島一郎「つがる市稲垣付近」(1960年)という写真だった。それは1960年頃の津軽の農民を写し撮った絵画のような作品だった。

 その掲載記事は、青森県立美術館の女性学芸員のかたが執筆されていた。青森県で生まれ育ったその女性が、初めて小島一郎氏の津軽の農民と風景の写真を見て心の奥底に刻まれ、情熱的に同氏の写真展を開催することの一念を抱かれていた。その努力が結び、青森県立美術館で「小島一郎~北を撮る」という企画展に成就した。

 その女性学芸員の方が日本経済新聞に記事を執筆されなかったならば、その新聞記事を私が見なかったならば、少なくとも私は、写真家・小島一郎の存在を知ることもなかったかもしれない。私の心の奥底の感性に共鳴版のように響く写真だった。

 青森県と言えば、そこで生まれ育った人を思い描くと、私にとって、太宰治、棟方志功、寺山修司が浮かんでくる。そして、そこに、昨日から小島一郎が付け加わった。青森県立美術館へ行きたいと思えど、余りにも遠い。

「青森県立美術館」公式サイト

2009年2月24日 (火)

村上春樹氏 「エルサレム賞」 受賞スピーチ全文を読んで

 2/15(日)、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した作家・村上春樹氏の受賞スピーチ全文を読んだ。2/24(火)新聞広告で、「週刊朝日」がその受賞スピーチ全文を掲載することを知り、仕事帰りに駅の売店で同誌を買い、帰宅する電車の中で読んだ。

 「エルサレム賞」は、社会における個人の自由」に貢献した文学者に贈られるもので、授賞式出席の是非が取りざたされ、同氏の小説の不買運動を行うという警告をうけた中で、同氏は、エルサレム市での授賞式に参加して受賞スピーチを行った。

 私は同世代の作家では、村上龍・村上春樹両氏の存在が気になり続けている。2/21(土)にこのブログにおいても、村上春樹氏のスピーチでの言葉を記した。今、全文を読み終えて新たな感慨を抱いている。

 「ここに高くそびえる壁と、壁にぶつかると壊れてしまう卵があるとすると、私はいつでも卵の側に立つ。たとえどんなに壁が正しくて、卵が間違っているとしても、私はつねに、卵に寄り添います。」 
 「子どもの頃、父が毎朝食事の前に、自宅の小さな仏壇の前で深い祈りを捧げているのを見て育ちました。一度、父に聞いたことがあります。なぜ、祈るのかと。すると父は言いました。戦場で命を失った人たちのために祈っているのだと。敵、味方に関係なく、戦争で亡くなったすべての人たちのために祈っているのだと。」
 「今日、私がみなさんに伝えたいことはひとつです。それは、私たちの誰もが、国籍や人権や宗教の違いを超えて、人間であるということです。」 
(村上春樹氏のスピーチより抜粋)
 
そのスピーチが終わった後に、会場ではスタンディングオーベーションが起こったとその記事には記されていた。

 上記のスピーチで言い表された言葉を読みながら、私が村上春樹氏の小説に惹かれ続けてきたのは、「弱さを抱いた人間」に寄り添うという琴線に触れる本質的な意味での共鳴があったのだと、今日初めてその理由が分かった気がしている。
 

2009年2月21日 (土)

「高くて固い壁」と「壊れる卵」

 2/15、作家の村上春樹氏がイスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した。その受賞式講演の要旨が、2/21()、奈良新聞紙上の「ならティーンズ」欄に掲載されていた。同紙は、ティーンズ読者にとって有益な講演と考え受賞講演要旨を掲載した。

 その中で、同氏は受賞することで誤解が生じることもあるとしながらも、欠席して何も言わないより話すことを選び、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ攻撃を「高くて固い壁」と「壊れる卵」にたとえて批判した。

 「私が小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁とそれにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるのだろうか。」(受賞講演要旨の一部抜粋)と。

 同氏の小説は、各国語に翻訳され世界中で読まれている。世界的に見て人気ある現代日本の作家と言っても過言ではない。その言葉の影響は大きい。おそらく賛否両論が渦巻くのだろう。ただ、少なくとも私は、同氏の存在をかけた言葉を通じての勇気ある行動であったと考えている。

2009年2月20日 (金)

世界で2500言語 消滅危機 ユネスコ発表

 2/19(木)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は世界で2500言語が消滅の危機にあると発表した。わが国ではアイヌ語が「最も危険」な状態にある言語と分類された。南西諸島の各方言も独立の言語とみなされ、8言語がリストに加えられた。

 わが国でアイヌ語の話し手が15人とされ、きわめて深刻であると分類された。わが国では方言として認知されている八重山語、与那国語、沖縄語、国頭語、宮古語、奄美語、八丈語の8言語が、独立の言語として評価され、「重大な危険」「危険」として分類された。

 言語が消滅するということは、歴史的に積み重ねてきた文化の伝達が途切れてしまうことを意味する。わが国は日本語という単一言語の国家であるという錯覚がある。しかし、現実は多様な方言ではなく言語が存在していた。1950年以降、世界で219言語が消滅したという。そのことは、それぞれの固有の文化が消滅したということだ。わが国のアイヌ、南西諸島の言語もその運命をたどるのだろうか。

2009年2月14日 (土)

「さざれ岩」 年齢350歳 樹高275cm

Photo_2  2/13(金)夜、大阪環状線・鶴橋駅の構内で、「長浜盆梅展」のパンフレットを手に取った。盆梅の写真の横に、「さざれ岩 年齢350歳 樹高275cm」「サトル 年齢7歳 身長110cm」というコピーが並んでいた。「さざれ岩」という盆梅の大きさが強調されていた。確かにでかい。あまりに美しい。

 「長浜盆梅展」へは、二度ばかり出かけた。二度目に訪れてからもう15年以上も経つのだろうか?展示場内に入った瞬間、芳しい梅の香りが漂っていたのを覚えている。巨大な盆梅を見たが、それが「さざれ岩」かまた他のものかはわからない。ただ、巨大さと併せ持つ造形と梅の花の美しさ、その芳しい香り魅せられた。「長浜盆梅展」へと出かけたいという想いが湧き出てきた。

「長浜盆梅展」公式サイト

2009年2月12日 (木)

今日は、「菜の花忌」

 今日は、「菜の花忌」だった。作家・司馬遼太郎氏の命日である。菜の花のような黄色い花が好きだったことから、「菜の花忌」と命名されたという。東大阪市、近鉄奈良線の小阪駅と八戸ノ里駅の間、南側に「司馬遼太郎記念館」がある。建築家・安藤忠雄氏が設計したものだ。その場所へ出かけようと思いつつも、立ち寄ることができていない。いつでも行けるという怠慢さがそうさせているのだろう。

「司馬遼太郎記念館」公式サイト

2009年2月 6日 (金)

児童向け「つばさ文庫」 3月創刊 

 子どもたちに読書の楽しみを。3月、角川書店が児童向けの「つばさ文庫」を創刊する。児童向け図書としては、講談社の「青い鳥文庫」、ポプラ社の「ポプラポケット文庫」がある。本のサイズはそれらと同様に新書サイズとなる。子どもの頃から本に親しむ習慣をつけることは大切である。私は17歳の時から本を読み出したが、もっともっと本を読みたいと思い続けている。なぜなら、楽しいから、知らないことを教えてくれるから、小さな人間でしかないのだが世界が広がるような気持ちになるから。

「角川つばさ文庫」公式サイト

2009年1月17日 (土)

「一調一管」を聴いて

 1/16(金)第6回フットボールカンファレンスのオープニングは、「一調一管~峯子・乃莉~」の調だった。会場の座席に座り、プログラムを見て、その名から現代的な雰囲気のオープニングを思い描いた。しかし、私が思い描いていたのとは全く違った、私にとって最高の感銘と感激を受けた、金沢の歴史に積み重ねられた伝統的芸術をライブで体験することが出来た。

 鼓と横笛の二重奏である。芸術的なことの詳細は分からないが、恐らく能楽の演奏形式なのかもしれない。加賀百万石の城下町、かつての歴代藩主は芸術・文化を奨励したという教科書的な知識が脳裏に浮かんだ。楽譜もなく二人だけの無言の意思疎通に基づいた鼓と横笛の音色に鳥肌が立った。音が並び無の時間が少ない西洋的音楽とは一味違った。「間合い」「音と音との間の無」という日本的な音楽に魅了された。得もいわれぬ激しさと美しさが伝わり、私の聴覚を襲い、なんとも言えぬ心地よさに寄った。「一調一管」のお二人は、合計年齢で150歳余りだと聞いた。その姿は、「凛」とした佇まいが醸し出されていた。

 加賀百万石文化の伝承と継承されている光景に私は圧倒された。何百年も積み重ねられてきた伝統を肌で感じて。私は本当に、地域でフットボール文化を創出する意思を持ち、その文化を継承しようと思い描いているのだろうか?と自問した。

2008年12月23日 (火)

エマニュエル・リバ写真展 「HIROSHIMA」

 アラン・レネ監督「二十四時間の情事」(1959)の映画に主演した女優エマニュエル・リバさん(81)によって、当時1958年、広島ロケの際に撮影したスナップ写真が、昨年自宅で見つかった。その写真50点の写真展「HIROSHIMA 1958」が、広島・東京で巡回して開催されている。12/29まで、東京・銀座ニコンサロンで。

 その映画は大学生だった頃に映画館で観た。その当時、ジャン・リュック・ゴダール、アラン・レネ、ルイ・マルのヌーベルバーグのフランス映画を良く観ていた。「二十四時間の情事」も印象深い映画だった。スクリーンでのエマニュエル・リバを今も脳裏に描くことできる。それほど私には魅力的だった。その映画がはじめて上映されて50年、私が映画館で観てから40年が経つ。

 映画のロケ前の一週間、広島のカメラ片手に町を歩き、子どもたち・街の情景を、彼女はスナップ写真として収めたという。その作品が昨年、彼女の自宅のトランクで発見された。新聞紙上で記事が掲載されていたのを覚えている。その作品の評価が高く、今回の写真展となったという。東京・銀座へは行くことができない。出版されている写真集を購入しようと思っている。

「ニコンサロン」Webサイト

「二十四時間の情事」 YouTubeサイト

2008年12月13日 (土)

「インド仏立像」の絵葉書

Photo_3 Photo_4  「インド古代彫刻展」で購入した絵葉書3枚の内の一枚だ。本棚から突然といえるほどに現れた。封筒の裏面には、「京都会場 京都国立博物館 1984年5月22日(火)~7月8日(日)」と印刷されていた。24年前のその期間のある日に訪れ、この絵葉書3枚を購入したのだろう。その日付は特定できない。また、その時の記憶ははっきりとはしない。ただ、現実にこの絵葉書がある。30歳頃だったのだろう。インドとかガンダーラの地に憧れを抱いていたのは事実だ。その絵葉書の裏面に、「仏立像 6世紀 サールナート出土」とある。若かりし頃に、その展覧会へ出かけて購入した絵葉書を見ながら、その仏立像を今も「美しい」と思う私がいる。

京都・大山崎 「聴竹居」に惹かれ

 京都・大山崎の山腹に「聴竹居」(ちょうちくきょ)という平屋建ての和洋建築がある。1928年に建築家・藤井厚二がモダニズムと数奇屋造りを融合させたその当時の実験住宅である。その先駆的な試みは、現代においてなお一層輝きを増している。その建築が本格的に公開されるという。「聴竹居」を訪れてみたいという好奇心がうずいてくる。

「聴竹居」公式サイト

信濃毎日 連載記事 「風土と哲学~日本民衆思想の基底へ」

 12/6(土)付、信濃毎日新聞朝刊が手元にある。出かけて行った地域で地方新聞を買って読むという習慣が私にはある。今回は買うことなく、一日遅れの12/7(日)、長野市役所前駅近くにあるビジネスホテル「ホテルナガノアベニュー」のフロントでいただいた。ソファーに座りながら毎土曜日に連載されている哲学者・内山節氏が執筆した「風土と哲学~日本民衆思想の基底へ」の102回目の連載記事「無事な社会をつくるには」を読んだ。102回の内、2-3回しか読んではいないが、その連載記事に興味を抱き続けている。「風土」「哲学」「日本民衆思想」というキーワードに誘われているのだろう。

 「伝統的な民衆の精神から学びとる必要がある。自然と結ばれていた人々はどんな精神を持っていたのか。地域とともに生きた人々は、何を考えていたのか。彼らはどのようにして無事な社会をつくろうとしていたのか。近・現代の総決算の時代を迎えて、求められているのは、過去から学び、新しい想像力を創出することである。」(内山節)

 今年の夏にその連載記事をはじめて読んだ時、内山節氏がどのような方なのかを、無知な私は存じ上げていなかった。その後、著名な哲学者であることを知った。この連載記事が単行本として刊行されることを願っている。歴史の中の民衆・庶民の思い・想いに興味を抱き続けている者として、その時は購入してじっくりと読んでみたい。

「哲学者 内山節」 オフィシャルサイト

2008年12月 5日 (金)

久しぶりに「ラティーナ」を買って

Photo  今日、久しぶりに、世界の音楽情報誌「LaTIna(ラティーナ)」12月号を買った。表紙の「愛に溢れたディーヴァ、オマーラ」というコピーに惹かれた。キューバの歌姫、オマーラ・ポルトゥオンドの記事が掲載されていた。60年間も歌い続けているという。

 キューバという国は社会主義国家、カストロ、チェ・ゲバラが革命を起こし社会主義体制を敷いた。アメリカとは目と鼻の先にある。ハバナという町とキューバ音楽からどうしても社会主義国家であるというイメージが私にとっては薄い。その国は独特な匂いを放っている。

 アストル・ピアソラの盟友、フェルナンド・スアレス・パス(ヴァイオリン)とタンゴピアノの巨匠、オズバルド・レケーナがデュオを組み、来年1月から4月までの3ヵ月間にわたり、民音創立45周年記念公演として全国を巡る。奈良公演は無いが、3/3(火)大阪公演があるので、出かけてみたいものだ。

「ラティーナ」公式サイト

「オズバルド・レケーナ スアレス・パス公演」Webサイト

2008年11月18日 (火)

今日、週刊「昭和」創刊!

Photo  今日、グラビア雑誌、週間「昭和」が創刊した。昭和20年の終戦から昭和64年の昭和最後の日まで40冊が刊行される。創刊号は昭和39年(1964年)号だった。「1964年東京オリンピック」が開催され、東海道新幹線が開通した年でもある。わが国が、まれに見る経済成長を遂げ世界の先進国の仲間入りを果たした象徴的な年である。

 確かに、「1964年東京オリンピック」はスポーツイベントとしてではなく、確かにその当時の大規模な国家事業だった。40年余りを経ても創刊号の表紙にとりあげるほど、その時代の象徴的なイベントだった。個人的には、もうすでに、6年前の「2002年日韓W杯」の印象は薄れてはいるが、44年以上前の「東京オリンピック」は、今も強烈な印象として心に焼き付けられている。豊富な写真や魅力的な記事が掲載されていた。ページをめくりながらあの頃を、あの時代を思い出した。

「週間昭和」スペシャルサイト

2008年11月 7日 (金)

寺山修司の声を聴く 現代短歌朗読集成

 休日前の夜、「現代短歌朗読集成」で自作の短歌を朗読する寺山修司の声を聴いた。不思議な想いが湧き出てきた。学生時代に惹きつけられ、今も魅了し続けている。劇作家、詩人、歌人、映画監督という枠にとらわれない表現者としての存在が、私の中で今も輝き続けている。その肉声を聴きながら、寺山修司の短歌をぼそぼそと小さな声で詠んでいた。

ほどかれて少女の髪にむすばれし葬儀の花の花ことばかな

濁流に捨て来し燃ゆる曼珠沙華あかきを何の生贄とせむ

吸いさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず


「寺山修司/死の1ケ月前のインタビユー」 You tubeサイト

「現代短歌朗読集成/オンラインショップ」Webサイト

2008年10月19日 (日)

「西部公民館文化祭2008」へ出かけた!

Photo Photo_2  








 10/18(土)近鉄奈良線・学園前駅に隣接した「西部公民館」で開催されている「文化祭2008」へ、娘が「ふれあいコンサート」で演奏するというので妻と二人で出かけた。

 私は3階の「学園前ホール」に入った。プログラムを手にとり開いた。その内容を見た。ピアノ独奏、ヴァイオリン独奏、ピアノ連弾などのプログラムなどが並んでいた。会場を間違ったことに気づいた。娘に電話を入れた。実は6階の「体育室」が会場だった。「体育室」前の狭いピロティでは、おばさんたちの手作りのちらし寿司、ぜんざい、うどん、飲み物などが、「せいぶ食堂」として店を開いていた。

Photo_3 Photo_4








 いよいよ「Ikoma CitySide JazzOrch」の演奏だ。小グループでの演奏と思い込んでいたが、ビッグバンドジャズだった。久しぶりにビッグバンドジャズの生の演奏を聴いた。大学生だった頃、ジャズ喫茶へ入り浸りモダンジャズを夢中になっていた感覚が蘇った。ジョン・コルトレーン、マイルス・ディビス、ビル・エバンス、ウイントン・ケリー。スイングジャズのビッグバンドも好きだった。デューク・エリントン楽団、グレン・ミラー楽団、ベニー・グットマン楽団。

 「0n the sunny side of the street」が演奏された。泣きたくなるほどに懐かしい曲だった。エンディングはラテンジャズでよく取りあげられる「テキーラ」だった。入場無料の「体育室」でのアマチュア演奏が、私の心に、音の楽しさを味わせた。付け加えると娘はドラムスなのです。

2008年10月18日 (土)

「現代短歌朗読集成」購入の手続きをした!

 10/18(土)朝日新聞朝刊の文化欄で、「聴く短歌文学100年史」という見出しの記事が掲載されていた。興味深く読んだ。52人の近代・現代歌人の自作、朗読、朗詠の集成が5枚のCDに収められている。直販形式だというので、「同朋舎メディアプラン」Webサイトを開いた。

 与謝野晶子、斉藤茂吉、寺山修司などの歌人の肉声が視聴できた。寺山修司の「田園に死す」という言葉とその声を聴いた時、心はすでにこの「CD本」を購入していた。歌も詠めず、歌を解らずに過ごしてきた者ではあるが、すぐさま、同サイトで購入手続きをした。

「同朋舎メディアプラン」Webサイト

「Yuzo SAEKI」展へ行けずに!

Photo  パリで夭折した大阪が生んだ天才画家・佐伯祐三の展覧会が大阪市立美術館で開催されている。明日が最終日となる。残念ながらその絵を観ることができなかった。

 佐伯祐三は1928年にパリで30歳の若さで亡くなった。没後80年を迎える。個性豊かな絵は、今もなお人々に熱烈なまでの想いを引寄せ、日本近代美術史上に輝き続けている。

 9月の休暇の折に、大阪市立美術館前まで出かけた。しかし、閉館時間を過ぎていた。門の外から美術館内の佐伯祐三の絵を思い描いていた。

「大阪市立美術館」公式サイト

2008年9月29日 (月)

「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」

 今晩、会社帰りに車内で雑誌を読んでいた。「第60回正倉院展」の記事を見た。10/25(土)~11/10(月)まで奈良国立博物館で開催される。今年は69件が公開される。その内、初公開が19件となっている。今年の公開品の中で、昭和59年(1984年)に「正倉院展」に私が訪れた際に公開された「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」があった。雑誌のグラビアを見ながら、本物に出会いたい気持ちが募った。

 24年前に私はこの目で見た。確かにその時魅了され絵葉書を買った。そのことは先日このブログに書いたところだ。何かの偶然なのだろうか? 突然現れた「平螺鈿背八角鏡(へいらでんはいのはっかくきょう)」、気分はむかしの恋人に再会するような気分だ。それは別の宝物かもしれないが。今年は「正倉院展」に出かける。

「第60回正倉院展/奈良国立博物館」公式サイト
 

2008年9月27日 (土)

昭和59年正倉院宝物絵葉書

Photo_30 Photo_31  わが部屋の本棚の隙間から現れた。昭和59年(1984年)に正倉院展に出かけて絵葉書を買ったのだろう。24年前、私が31歳の時だ。そのしるしが、この封筒と八角鏡の絵葉書だ。出かけたのは覚えてはいるが、その絵葉書を購入したことははっきりと覚えてはいない。ただ、その絵葉書があるということは、その国宝である八角鏡に、その時魅了されたのだろう。いや、今その姿を見ても魅了されている。今年は、「正倉院展」に出かけてみよう。

みやと祭り~太鼓秋祭り~

Photo_9 10/26(日)11:00~16:00 奈良県庁内噴水広場で、「第三回みやと祭り~太鼓秋祭り~」が開催されます。
【開催内容】 和太鼓演奏、和太鼓体験、踊り、紙芝居

 ワールドミュージックが注目を浴びています。原点は民族音楽の歌と踊り、そして打楽器だと思っています。さまざま民族で打楽器は原初的なエネルギーを生み出してくれるものなのでしょう。わが国において打楽器といえば「太鼓」です。秋の日に「太鼓」のエネルギッシュな音に酔いしれることも一興かも。

「寧鼓座」公式サイト

明日香 秋の夜 「天響祭」

Photo_10  10/11(土)、明日香の里に天に向かって太鼓が響き渡る。奈良県明日香村・風舞台(国営飛鳥歴史公園石舞台地区常設舞台)で、「大和之国まほろば天響祭2008」が開催される。今年は入場無料だ。

「天響祭」公式サイト

2008年9月21日 (日)

伝統守り、全校生徒15名が民話劇

 9/21(日)朝日新聞の教育欄で、「全校一丸の民話劇」「集落訪ね、伝統を守る」という見出しの記事を読んだ。山梨県早川町立早川北小学校が紹介されていた。

 山あいの全校生徒15名が民話劇に取り組んでいる。30年間続く毎年の恒例行行事だという。5月頃に近辺の集落を訪れ、住民からその地区の伝承民話を聞かせてもらい、それを元に台本を作る。舞台けいこを経て、約半年の時間をかけて10月4日の本番に臨む。

 画一化した教育の中で、これからはその地域の独自性に基づいた試みが大切だ。その地域に伝統や文化が伝承されていることほど、これからは生きた教材としての意義が生じてくる。同小学校のすてきな伝統行事の継続を心から願っている。

「山梨県早川町立早川北小学校」公式サイト

2008年9月20日 (土)

興福寺で見る 名画の夕べ 「母べえ」

Photo_4  第5回なら映像祭 「興福寺で見る 名画の夕べ」が開催されます。上映作品は、吉永小百合主演の「母べえ」(かあべえ)。興福寺の国宝・五重塔の下、野外での映画鑑賞だ。当日は、五重塔がライトアップされる。ただし、上映中は中断する。

【日時】 10/5(日) 17:30~21:00 (雨天決行)
【会場】 興福寺東金堂前 特設会場
【料金】 当日券800円

第39回奈良県芸術祭 9/13(土)~11/30(日)

Photo_3  夏が終わり秋がやって来た。その季節は何の季節なのか? スポーツ、読書、さまざまな文化・芸術に触れるためのベストシーズンだ! 「いしにえの都から文化芸術の創造と発信」として、9/13(土)~11/30(日)、第39回奈良県芸術祭が県各会場で開催される。

 なぜに人は古来から現代に至るまで「文化」「芸術」というものに魅了されてきたのか? 惹きつけられながらも、高尚な知識を持ち合わせない、違いのわからない非文化的な人間が、秋の日に、ふと、奈良市二名公民館でこのパンフレットを手に取った。

「第39回奈良県芸術祭」Webサイト

「第1回なら国際映画祭シンポジウム」開催!

 2010年に「なら国際映画祭」が開催される。そのプレイベントとして、10/4(土)「第1回なら国際映画祭シンポジウム」が、奈良市の「なら100年会館」で開かれる。

 同映画祭が開催されることは、映画ファンの一人として楽しみだ。奈良独特の歴史香るお寺の境内や屋外で、世界の未公開映画を上映する企画があるという。世の中はあわただしく、無機質になりつつある。そのような時代だからこそ、ひとそれぞれの中で、「文化」の見つめなおしが必要だ。「映画」もまた魅力的な文化媒体であり続けている。2010年「なら国際映画祭」の開催を楽しみにしている。

「第1回なら国際映画祭シンポジウム」公式サイト

2008年9月14日 (日)

そのダンスが気になり続けていた!

 今年の春頃に、「You Tube サイト」で、日本語でアルゼンチンタンゴの映像を検索していた。何本かのダンス映像を観た。ふと惹きつけられた一本をブックマークして、その日から時々繰り返し観るようになった。そのダンス映像が下記のサイトだった。

「tango」You Tubeサイト

 「tango」というタイトルの映像だった。バックに流れる音楽の曲名も、ダンサーの名も表記もなかった。タンゴダンスの知識も全く無い、そのダンスを踊れない、踊ろうとも思わない者が、その映像のダンスの批評などできる訳がない。ただずぶの素人でも、それぞれの感覚がある。幾本かの映像を観た。その中で、専門的な知識を持ち合わせていない私だが、自分の感覚でこの映像のタンゴダンスを選択した。それは私にとって魅力的だった。なぜなのだろう? ダンサーは誰だのだろう? 疑問が湧き続けていた。

 9月中旬に長野から奈良へ帰ってきた翌日の夜に、ブックマークからではなく、「You Tube」で日本語を使い再度検索し直してその映像を観た。そのサイトの中で、「Natacha Poberaj」という文字があった。これが女性ダンサーの名なのかと思い、日本語ではなく、アルファベット文字を使い、「You Tube」で検索した。たくさんの映像が抽出された。その一本一本を観た。これは無名な女性ダンサーではないという直感が働いた。その中の一本の映像をブックマークした。それが、下記のサイトだった。

「Natacha Poberaj and Jesus Velasquez」You Tubeサイト

 次に、「グーグル」を使いアルファベットで検索した。抽出されたのは、アルファベットの羅列だった。詳細は不明だった。女性ダンサーらしき名のアルファベット文字を、自分自身の感覚で、日本語に置き換えた。「ナターシャ・ポベラ?」 再度、「グーグル」を使い、日本語で検索した。一件、抽出された。そのWebサイトは、「アルゼンチン日系センター」の2006.9.1のメールマガジンだった。

「アルゼンチン日系センター/メールマガジン2006.9.1」 Webサイト

 第4回世界タンゴ選手権(ブエノスアイレス市主催)は27日にサロン部門、28日にステージ部門の決勝がそれぞれ行われ、サロン部門ではアルゼンチンのナターシャ・ポベラ(31)とファビアン・ペラルタ(33)のペアが(中略)優勝した。サロン部門を制したナターシャは妊娠6カ月での出場で、大きくなった腹部をゆったりと覆う衣装をまとい緩やかな動きながら豊かな表現力を見せつけ、優勝をものにした。」(上記メールマガジンより)

 私は、ただ偶然に観た女性タンゴダンサーのダンスに惹かれた。それが誰だったのか、有名なのか、無名なのかわからなかった。今、その女性ダンサーが「第4回世界タンゴ選手権」(2006年)の優勝者「ナターシャ・ポベラ」だと知った。

2008年9月 3日 (水)

漢字学者・白川静の掲載記事を読んで

Img_5  9/2(火)夜、近鉄鶴橋駅の売店で、「素晴しき日本語の世界」という特集記事に誘われて「文藝春秋季刊秋号」を買った。その中の一文「辞書界の巨人たち」(紀田潤一郎)の中で、「白川静と〔字統〕〔字訓〕〔字通〕」を読んだ。白川静氏は、わが国の漢字学研究の第一人者で文化勲章も受章され、その世界では知らぬものもいない大きな存在だ。2006年逝去された。

 その一文の中で、「白川静は明治43年(1910)福井県福井市の洋服屋に生まれた。同郷の文人橋本左内(幕末志士)や橘曙覧(国学者)に憧れ、ミシンを踏むのがいやで、尋常小学校を卒業後大阪に出た」という冒頭の文章にひきつけられた。

 白川静氏が子どもの頃、福井が生んだ幕末の若き思想家「橋本左内」に憧れたということを知った。人はその風土のさまざまな交錯の中で、紡がれたものが繋がるのだと、改めて痛感している。

2008年8月31日 (日)

「書」に賭ける青春

 8/20(水)朝日新聞朝刊によると、高校の書道部が人気を集めているという。なぜなのだろう?「書の甲子園」があるとは知っていたが、書道人口が減少の一途をたどっているのに、若者たちが、どちらか言えば、ナウくない「書道」に興味を抱いている。

 埼玉県にある女子高校の合宿並びに練習風景が紹介されていた。夏の合宿の夜半、大広間で生徒たちが黙々と筆を走らせる。「一筆入魂」の横断幕、午後9時半以降は自主練習、大広間の電気がきえたのは午前3時過ぎだった。日常の練習は、午前7時半からの1時間の朝錬、放課後は3時間の練習、大会前になると合宿で筆を走らせ作品を仕上げる。筋トレやランニングも練習でこなすという。運動部顔負けの光景だ。それでも、部員たちはにぎやかで笑顔が絶えないという。

 その人気の理由は、「書道パフォーマンス」、音楽に合わせ集団で一斉に歌詞などを揮毫する。強豪高校書道部のほとんどが行っている。書道は個人と思いがちだが、「書の甲子園」などでは入賞作の合計点で高校ごとの勝敗が決まる。またパソコンの普及で筆に触れることが少ないが、だからこそ書をやって見たいという若者が少なくないという。書道の世界も変革されつつある。連綿と続いた歴史の中で今も筆を走らせる若者たちがいるということは、文化が伝承されているのだ。

 北京五輪マラソン優勝者、ワンジル選手も書道をしていた。そのようなニュースがWebサイトでも紹介されていた。「マラソン」と「書」、「スポーツ的なもの」と「文化的なもの」は繋がっていないと思い込んでいる常識がある。それは過去の常識なのだろう。

「書の甲子園:川口高校インタビュー」

「ワンジル選手:書の甲子園でも金メダル」

2008年8月30日 (土)

「バサラ祭り」が始まった!

Img_0007  「Xデーは、30日。今年は初日が見逃せない!」と今日から奈良の晩夏の恒例「バサラ祭り」が始まった。現地に出かけることもなく、今晩、バサラ祭りをもっと楽しくするフリーペーパー「2008 BASARA SPECIAL GUIDE BOOK」をぱらぱらと開き、「バサラ祭り」公式サイトで、「LIVE中継」を見ていた。老若男女を問わず、汗を流しながら踊りに夢中になっている。躍動感とエネルギーに満ち溢れている。祭りと踊りは、非日常の中で人を陶酔させる装置だ。古来からその機能に変わりはない。伝統ある祭り、新興の祭りであってもその根底は同様だ。「まほろばの地」で、古来からの祭りを伝承しつつ、新たな市民参加型の「バサラ祭り」が継続することを願っている。

「バサラ祭り」公式サイト

信州松代 夢空間めぐり

Img_0003_2  「NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会」が発行した「信州松代 夢空間めぐり」という案内本が手元にある。今年8月初めに松代を訪れた時に買った。先人、古樹、松代城、水、城下町、童謡、古寺、民話等をキーワードに松代の町の見所を紹介している。その町を訪れた時、タクシーの運転手が「松代は見所が多いですよ!」という言葉を思い出した。奈良へ帰って来て、この本を開いて、そのことが本当だと思っている。実に魅力的な本、Mook、だ。郷土を愛するがゆえにこのような素敵な本を産み出すことができるのだろう。

「NPO法人夢空間松代のまちと心を育てる会」公式サイト

越中八尾 おわら風の盆

Img  毎年、9月初旬に富山県・越中八尾で、「おわら風の盆」という祭りが行われている。哀愁漂う調べと優雅な踊りに、例年、20万人の観光客で賑わう。立春から数えて二百十日目、台風襲来の厄日とされ、農民たちもこの時期は作業を中止して五穀豊穣を歌や踊りに託して祈ったという。しなやかさとひたむきさが「おわら」の心意気なのだろう。

 私がその祭りを知ったのは、高橋治「風の盆恋歌」(1985年)という小説だった。その作品は、妻子ある中年男女が毎年、年に一度、「風の盆」の三日間だけ、越中八尾で時を過ごすという叙情的な恋愛物語である。古風な日本的情緒が漂いながらもモダンな恋愛小説でお奨めの一冊である。新潮文庫にもラインアップされている。そして。歌手石川さゆりは「風の盆恋歌」(1989年)を歌った。

 幻想の世界で、胡弓の調べに舞う姿は詩的で美しい。越中おわら節の冒頭に「見たさ会いたさ想いもつのる」という歌詞がある。その言葉の身体表現が哀愁漂う優雅な舞を生み出したのだろうか? 秋が近づくと一度は、越中八尾を訪れ、その舞を見てみたい気持ちが湧く。

「越中八尾おわら風の盆」公式サイト

「風の盆恋歌/石川さゆり」You Tube

「裸足のイサドラ」を思い出して

 イサドラ・ダンカン(1878~1927)という女性舞踏家がいた。モダンダンスの創始者と言われている。古典ダンスとは違った自由に創造的な踊りに挑戦した。踊る時は裸足だったので、「裸足のイサドラ」と呼ばれた。1968年、彼女の伝記映画として「裸足のイサドラ」が製作された。「You Tube」で検索すると、古く短い映像ではあるが、彼女のダンスを見ることができた。

 ストリートダンスという言葉に触発されて、ふと、イサドラ・ダンカンを思い出した。初めて知ったのは私が大学生だった頃だった。若かりし頃の興味は記憶から消え去ることはないのだ。

「イサドラ・ダンカン」You Tube サイト

ストリートダンスが表舞台へ

 8/29(金)奈良新聞を読んでいると、「ストリートダンス 表舞台へ」という記事が掲載されていた。全国の中学校・高校で「ストリートダンス部」の創設が増えているという。自由な雰囲気と最先端ファッション・軽やかなステップがその魅力だそうだ。

 夜、大阪・なんばのビルの片隅で、ショーウインドーに向って踊る若者たちを見かける。その時、ストリートダンスは、サッカーや野球等と同じ価値を持つスポーツだと思ってしまう。若者たちは「湧き上がる想い」を言語ではなく身体自体とその動きで表現しようとしている。現代という時代の中で、人間は多様な表現形態で、自分自身を伝えようとするのだ。

2008年8月29日 (金)

「DANCE DELIGHT vol.5」開催

 日本一のストリートダンサーを決める「第15回JAPAN DANCE DELIGHT」が、8/30(土)大阪中央体育館で開催される。出かけてみたいとは思いませんか?

「DANCE DELIGHT」Webサイト

2008年8月23日 (土)

2008バサラ祭り~踊る・なら・そらっ!~

 8/30(土)・31(日)「バサラ祭り」が奈良市内の会場で開催される。奈良では珍しく躍動感のある市民参加型の祭りだ。工夫を凝らした衣装でダンス・パフォーマンスを繰り広げる。町中がストリートダンスで狂乱する。古都奈良のイベントしては斬新だ。

 ダンスは身体表現だ。それだけでなく、思想の一つの表現形式なのだ。サッカーも然り。夏は本来は若者たちのためにあると思い続けている。踊り狂えばよい。エネルギーの続く限り。その汗の中から何かが浮かび上がってくるだろう。

 奈良のイベントの中で「動」を感じさせてくれる現代的なイベントであると興味を持ち続けている。個人的な秘密なのだが、私は踊れもしないのに、昔から「ダンス」が好きだ。いつの日か、帯同付き添いでもいいから、子どもたち・若者ものたちのチームを組んで「バサラ祭り」に参戦したいと思っている。

「バサラ祭り」公式サイト

2008年8月20日 (水)

福井新聞論説「橋本左内に学ぶ」

 8/17(日)朝、JR福井駅で「福井新聞」を買い、越前鉄道「福井駅」から「三国港」行きの列車に乗り込んだ。座席に座り買ったばかりの新聞を開いた。第一面からゆっくりと紙面を開いた。第七面の記事が目に入った。「橋本左内に学ぶ」というサンデー論説記事だった。集中して読んだ。

 その記事によると、幕末期に活躍した福井藩士、橋本左内が安政の大獄で獄死して150年に当たるという。福井市では市内にモデル校を設置して、子どもたちに橋本左内の遺徳を継承し愛着心を育てる事業に取り組んでいる。

 子どもたちが、自分自身の住む地域から育った歴史上の有名・無名の人々の生きた証を知ることは、彼らの将来に大きな礎となるだろう。

「橋本左内に学ぶ/福井新聞」Webサイト

2008年8月15日 (金)

「木崎夏期大学」の記事を読んで

 信州・松代で買った8/2(土)付の信濃毎日新聞を再度じっくりと読んだ。私は地方新聞が好きだ。旅先では必ずといってよいほど地方新聞を読む。国民宿舎「松代荘」で8/2に買い読んだ。その中で興味ある記事を再度読み直した。

 「木崎夏期大学 初日300人聴講」 「木崎夏期大学」は今年で92回目を迎える。大正6年から毎年継続して開催されている。戦時中もしかり。今年も、振鈴が鳴り響き授業が行われた。嫌々登校するものでなく、自主的な意志による参加である。さまざまな人々が「学び」を選択する。日常の安逸よりも更なる高みのために。「信州」には、歴史的に「学び」の風土がある。若かりし頃に抱いた「信州」への憧れが、自分自身の心の中で復興している。

「木崎夏期大学」公式サイト

2008年8月13日 (水)

「KAZARI~日本美の情熱~」

Img  8/2(土)~9/15(月・祝)京都文化博物館で、「KAZARI~日本美の情熱」という展覧会が開催されている。8/13(水)日本経済新聞夕刊でこの展覧会の記事が掲載されていた。

 その中で、「日本文化の特色といえば、“わび” “さび”に象徴される禁欲的精神性が強調されがちだが、伝統文化のもう一つの極には、飾り立てる感覚的な美意識が連綿と存在する」という。日本の文化を形成する上で「かざる」情熱はもうひとつの大きな原動力となったのだろう。

「京都文化博物館」公式サイト

2008年8月12日 (火)

哲学者:梅原猛 書き下ろし新作能「河勝」初演

 哲学者の梅原猛が書き下ろした新作能「河勝」が、8/27に大阪城の西の丸庭園で開催の「大阪城薪能」で初演される。モチーフは、聖徳太子の重臣、秦河勝(はたのかわかつ)を主人公にした「和の精神」を説く。一度ゆっくりと能を見てみたい衝動に駆られている。

「大阪城薪能」公式サイト

2008年7月27日 (日)

高校生たちの「青春ストリート」~ダンス・フォークソング・和太鼓~

 7/27(日)朝日新聞朝刊を見て、7/20.21の両日に大阪府内の公立3校が、大阪・ミナミの路上で「青春ストリート」と題してパフォーマンスを披露したことを知った。今宮高校ダンス部、住吉商業フォークソング部、芥川高校和太鼓部が、コラボレーションしてパフォーマンスの原点として路上演技を試みた。

 発端は、高校生の文化活動での表現の場が少なくなりつつある状況の中、「既成イベントから飛び出すチャンス。道行く人々に見てもらうパフォーマンスの原点を生徒に経験させたい」というダンス部顧問の女性教諭の言葉だった。かつてイベントで知り合った3校合同の「青春ストリート」を大阪・ミナミの「ジュンクドウ書店」前で披露した。当日、それぞれのダンスや演奏に多数の人々の手拍子や声援が生じたという。これを機に、ストリートでの活動を続けていくようだ。陰ながら声援を送る。

「今宮高校ダンス部」公式サイト

「住吉商業高校フォークソング部」公式サイト

「芥川高校和太鼓部」公式サイト

2008年7月17日 (木)

サントリーオールドのCMが好きだった

 若かりし頃、テレビを見ていると、番組の間に流れるCMが好きだった。特に、サントリーと資生堂のCMに惹きつけられた。昔観たCMを今、「You Tube」で観ることが出来るとは知らなかった。今宵、サントリーオールドのCMを、ウイスキーを飲みながらではなく、焼酎を飲みながら観た。「恋は遠い日の花火ではない」

「サントリーオールドCM 父の上京編」(You Tube サイト)

サントリーオールドCM 恋は遠い日の花火ではない編」(You Tube サイト)

国境を越えた風

 70年を超える歴史を持つ純文学の登竜門「芥川賞」を、初めて日本語を母語としない作家・楊逸(ヤンイー)さんが受賞した。22歳で来日した時、日本語は「こんにちわ」というあいさつ言葉だけを知っていただけだという。それから20年、彼女は日本語で書いた小説で栄誉ある「芥川賞」を勝ち取った。

 生まれも育ちも日本人、幼少期から日本語を使う環境で育った外国人によって、日本の文学が執筆されるというのが一般的な常識だった。しかし、最近は様相が変化してきた。今回の芥川賞受賞の楊逸さんのように、外国人が日本の文化に新たな風を吹き込む現象が生じてきた。そのことは、われわれ日本人に国や民族その文化をどう見つめていくかという命題を突きつけられている。

2008年7月16日 (水)

日本語を母語としない作家が「芥川賞」を受賞

 7/15(火)、中国人の楊逸(ヤンイー)さんが、中国人として日本語を母語としない作家として、初めて「芥川賞」を受賞した。1964年、中国・ハルピン市で生まれ、1987年に来日した。日本語を学んだのは来日以降であるという。同女史は、母語および母国語が中国語だが、日本語で文章をつづり、純文学の登竜門である「芥川賞」を受賞した。

 「大人になって日本にやってきた作家の日本語による小説が芥川賞を受賞したことは、日本文学の開国を決定づける出来事だ。・・・・」(藤井省三:東大教授/7/16日本経済新聞朝刊)と論評されていた。文学の世界でも、大きなうねりの時代が到来した。わが国の若者たちの読み書き能力の低下と読書ばなれが取りざたされている。この領域でも、わが国の将来への不安と危惧が浮かびあがってきたと語る論者もいる。

「母国語」よりも「母語」の方が用例として一般化している

 最近、新聞を読んでいると、「母語」という単語を目にする機会が増えた。
【用例】
「日本語力をつける上でも、母語の基礎がしっかりないと中途半端になる」(6/29朝日新聞朝刊)
「同校では英語が母語の子どもは200人ほどしかいない」(7/10奈良新聞)
「日本語を母語としない非日本語圏の作家が初めて受賞したことになる」(7/16産経新聞朝刊)

 「母語」とは何か? 「生まれてはじめて出会い、それなしには人となることができない、またひとたび身につけてしまえばそれからはなれることができない、このような根源のことばは、ふつう母から受けとるのであるから、「母のことば」、短かく切って「母語」と呼ぶことにする」と、田中克彦著「ことばと国家」に明記されている。

 「母国語」とは何か? 母なる言葉と母なる国(国家)が結びついたもの。国籍を有する国家で話されていることばである。

 私は日本で生まれ育ち今生きている。私が生まれた時、周囲の人々は「日本語」を話していた。私の「母語」は「日本語」である。私が住む国(国家)の多くの人々は「日本語」を話している。私の「母国語」は「日本語」だ。多くの日本人の場合、「母語」と「母国語」は一致する。そのことは、一般的なものではなく、世界を見渡せば例外的なものだ。「母語」が存在しても「国家」を有しない例もある。その場合、「母国語」という概念は成立しない。

 「大多数の日本人の場合には、故国と祖国が一致するように、母語も国語も一致し重なりあう。そのときは、それらをかけあわせた母国語という表現に矛盾は起きないのである。しかしそれは、たまたまそうなっているにすぎないのであって、どのような状況でも通用しうるだけの一般性を欠いている」(田中克彦「ことばと国家」)ということからも、現代の多様な民族が存在する中で、例外的な状況を表す「母国語」という言葉が、使われる頻度が少なくなってきた理由なのだろう。

参考 著者:田中克彦 「ことばと国家」/岩波新書(1981.11)

2008年7月13日 (日)

北原白秋「思ひ出」と柳川

 7/13(日)夕刻に、昨日の日本経済新聞夕刊に掲載されていた文学周遊「北原白秋 思ひ出」の記事を読んだ。

「私の郷里柳河は水郷である」 「水郷柳河はさながら水に浮いた灰色の柩である」 「要するに柳河は廃市である」と白秋の一文で始まっていた。日曜日の夕刻に焼酎を飲みながら、白秋と「おもひで柳川を思い浮かべた。

 私は二度、筑後柳川を訪れた。当時、長女が佐賀県の大学に在学していた。それでもなければ、わざわざ九州まで出かけていくこともない。ただ二度も訪れたのは、白秋と水郷の柳川というだけではなく、大林宣彦「廃市」という映画が印象深く残っていた。その原作は、福永武彦「廃市」という小説だった。映画と原作を若かった頃に読み、白秋と水郷・柳川に惹かれたからだ。

 白秋記念館で、なけなしのお金で、写真・文集「水の構図」と詩集「おもひで」を買った。今も本棚に鎮座している。今日、夕刻にそのページを久しぶりに開いた。読みながら、水郷・柳川を思い浮かべた。今度訪ねるときは、「どんこ舟」に揺られながら、水郷の掘割を漂いたいものだ。

「北原白秋記念館」公式サイト

「柳川御花」公式サイト

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「ダーウィン展」

【開催日】 7/19(土)→9/21(日)
【会場】 大阪市立自然史博物館 (長居公園内)

Img  [ダーウィン」という名を聞いただけで、「ビーグル号」「ガラパゴス諸島」「進化論」「種の起源」という言葉が浮かび上がってくる。世界を驚かせた自然史学者だ。最近も新書で、彼についての本が出た。今もなお論及の対象とされている。購入しようと思ったが読むことができていない。一年に一回ぐらいは、地域の子どもたちを引き連れて、このような展覧会に出かけてみたいものだ。

「ダーウィン展」公式サイト

2008年7月10日 (木)

天神祭で大阪を楽しもう!

 大阪の夏の風物詩、日本三大祭の天神祭が始まる。天暦5年(951年)にはじまった天神祭は千年余りの歴史を持つ。7/24(木)宵宮祭、7/25(金)陸渡御、船渡御。毎年、天神祭の時期は、大阪でも一番暑いといわれる。熱気を帯びた祭のエネルギーに、日常を忘却して酔いしれることもまた必要か。何年も天神祭に出かけていない。子どもの頃は毎年、両親・祖母に連れられて船渡御を見に出かけてものだ。

「天神祭」Webサイト

「大阪天満宮」公式サイト

Art 「モディリアーニ展」

【開催日】 7/1(火)~9/15(月・祝)
【会場】 国立国際美術館(大阪・中之島)

 20世紀初頭、パリ・モンパルナスで活躍したアメデオ・モディリアーニの展覧会だ。原始美術的な関心が独特な女性像を描いた。一度見たら忘れられない絵だ。

「モディリアーニ展2008」公式サイト

「国立国際美術館」公式サイト

2008年7月 7日 (月)

ウエス・モンゴメリーのギターの音色に

 私が高校一年生の時だった。サッカーの練習が終わり教室に荷物を取るために寄った。友人が机の上に座りアンプに繋いだエレキギターを奏でていた。曲名を聞くと「サニー」と答えた。「ウエス・モンゴメリーの曲を練習してんねん!」と友人は私に教えてくれた。その時、私は、はじめてウエス・モンゴメリーというジャズギタリストの名を知った。後日、別の友人からウエス・モンゴメリーのレコードを借りて、路地裏の自室の卓上ステレオで聞いた。柔らかい音色だった。なぜこのような音を奏でられるのだろうか? と不思議に思った。ウエス・モンゴメリーを好きになった。今晩、「You Tube」で映像を見たが、今でも、彼のマイルドなギターの音色が好きだ。

「ウエス・モンゴメリー/ラウンドミッドナイト」 You Tubeサイト

2008年6月28日 (土)

素敵な「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」

Img_2  キューバ音楽を始めて知ったのが、この「ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」というCDアルバムだった。4年ほど前、偶然に、大阪難波の、ある場所の受付で流れていた。直感的に、中南米の音楽だと推測した。受付の女性に聞いた。「今、流れている音楽は?」 彼女はCDのアルバムシャケットを示して教えてくれた。名前とジャケットの図柄を覚え、心斎橋の三木楽器で即刻、購入した。

 キューバはといえば、カストロ、チェ・ゲバラ、社会主義国家というイメージしかなかった。その国の音楽など知る由もなかった。そのCDを聞いてひきつけられた。のちに、その受付の女性から、ビデオを貸していただいた。それを見て、より興味を抱いた。社会主義国家で、なぜこのような音楽が作り出せるのか? なぜ、年老いた人々がこれほどまでに音楽に夢中になれるのか? 不思議でならなかった。

 「You Tube」でその映像を見ると、いまさらながらキューバ音楽に魅了される。

「You Tube ブエナ・ビスタ・ソーシャル・クラブ」 

2008年6月23日 (月)

CM 「♪のんびり行こうよ♪」 杉山登志

YOU TUBE 「モービルガソリンCM」 Web

 6/23(月)朝日新聞朝刊文化面、「杉山登志は終わらない」という記事を読んだ。杉山登志(1936~1973)は、高度経済成長期においての最も著名なCMデイレクターだった。

 1971年、私が高校生だった時、テレビで上記の「モービルガソリン」のCMが流れていた。「♪のんびり行こうよ俺たちは・・・・♪」という曲と映像に、広告というもの以上の一つの物語を見ていた。惹かれた。その時は、誰が創ったのかなど興味などなかった。

 1973年新聞記事で、「夢がないのに 夢をうることなどは とても 嘘をついてもばれるものです」という遺書を残し、37歳で自ら命を絶ったCMデイレクター杉山登志という存在と、彼が「モービルガソリン」のCMの制作者だということをその時初めて知った。

 彼はCMという広告媒体の中で「30秒の狙撃兵」として、人間を描きひとつの映像作品を創り上げた。「♪のんびり行こうよ♪」は、あの高度経済成長期に生きた人々への警鐘の意味合いのようにも今受け止めている。あれから35年以上経て、現在のCM界でも、ずっと生き続けていることに感銘を覚えている。CMもまた芸術の一翼を担うものかもしれない。

2008年6月22日 (日)

北海道おといねっぷ美術工芸高等学校への讃歌

 6/22(日)朝日新聞朝刊、「村に活力 美術の輪 北海道おといねっぷ美術工芸高校」の記事を読んだ。「全国から入学、寮生活送る」の文字が目に飛び込んできた。その高校の存在を私は今朝まで知らなかった。個性的で魅力的な高校である。

 北海道・音威子府村(おといねっぷ村)は人口が953名、そのうち同高の生徒が107名を占める。生徒は、村から通う1名を除く106名は寮生だ。大部分が道内出身者だが、東京5名、埼玉・神奈川・山梨・兵庫・広島各1名が在校している。

 村には、コンビニが1軒、遊興施設はない。生徒たちは休日も寮で過ごす。野山を散策したり、川で釣りをしたりして時を過ごすという。生徒曰く、「ここは時間がゆったり流れている。何もないのでかえって制作に集中できる」と。

 今は死語となりつつある「青春」という時を、寮生活をしながら、自分自身にとって好きなこと、興味あることに夢中になることほど素敵なことはない。人にはさまざま選択肢がある。同高の生徒には、きっとかけがえのない宝物になるだろう。

 記事の末尾に、同村村長の言葉があった。 「高校がなくなったら村は立ち行かない。『基幹産業』であり、村民の精神的な支えでもあるのです」と。そこに,「村」と「学校」の一心同体としての「パトリ」(郷土愛)がある。われわれが今住む地域の中にある「学校」が、「われわれの精神的な支え」であると言い放つことが出来るだろうか?

「北海道・おといねっぷ美術工芸高等学校」公式サイト

サマースクール「科学のマドンナ」

 8/8~8/11、東京理科大学は、女子高校生を対象としたサマースクールを北海道・長万部キャンパスで開催する。キャラクターは「マドンナちゃん」、文豪・夏目漱石の「坊ちゃん」の主人公が、同大学の前身である東京物理学校出身にちなんでつけたようだ。理科好きな女子学生たちと、学生寮で3泊4日を過ごす。詳細はWebサイトで紹介されている。

「科学のマドンナ」Webサイト

2008年6月20日 (金)

昨日は、「桜桃忌」!

 6/19(木)、作家・太宰治をしのぶ「桜桃忌」が東京都三鷹市の禅林寺であった。太宰が玉川上水に身を投げて、60年が経つ。各地から太宰ファンが参加し、墓前にさくらんぼ、花束、ウイスキーなどが供えられたという。

 太宰治は、日本の作家の中でも、読み継がれ人気ある作家だ。弱さをさらけ出し尽くし生きた姿に魅了されるのだろうか? 生まれ故郷の津軽との相克の中で、弱々しくも真摯に生きたのだろう。60年を経ても、太宰は生きている。恐ろしい強さを持って。

 禅林寺には、森鴎外の墓もある。

「禅林寺」公式サイト

「太宰治記念館『斜陽館』」公式サイト

2008年6月19日 (木)

「国宝法隆寺金堂展」開催中!

 6/14(土)~7/21(月・祝) 「国宝法隆寺金堂展」が奈良国立博物館で開催されている。世界最古の木造建築である法隆寺金堂は仏教美術の宝庫だ。金堂に安置されてきた日本最古の四天王像(飛鳥時代)が、四体そろって初めて法隆寺の外へ出る。見逃せない展覧会だ。

「朝日新聞・国宝法隆寺展覧会」公式サイト

「奈良国立博物館」公式サイト

2008年6月14日 (土)

Cinema 「白い馬の季節」

奈良シネマクラブ第146回例会
【日時】 6/21(土)19:00  6/22(日)9:45
【会場】 学園前ホール(奈良市学園南3丁目:近鉄奈良線学園前駅南出口前)
【会費】 月会費1000円 入会金1000円
【問い合わせ】 奈良シネマクラブ 0745-78-5799

 昔ながらの遊牧民生活が困難になっている中国・内モンゴルの遊牧民家族のくらしを描いた映画である。

「白い馬の季節」公式サイト

「シニアカレッジ2008」とは?

 「シニアカレッジ2008」とは、50歳以上の人々を対象とした、国立大学とJTBによる滞在型の生涯学習プログラムである。今年も、夏から秋にかけて開催される。国立大学法人化された中で、生き残りをかけている。大学経営から見れば、大学生だけでなく、その他の年齢層をもターゲットにして、大学の施設と人材を有効活用していく必要がある。各大学がオリジナルな講義と魅力的なプログラムを創出することが大前提となる。

 この「シニアカレッジ」は、私個人にとっては魅力的なプログラムだと思う。機会があれば参加したいという気になる。今回なども、 「信州大学」(アルプスの風に乗せてお届けする信州の魅力」、「弘前大学」(とことん学べ!! 津軽 つがる TSUGARU)、「岩手大学」(イ-ハトーブの学舎)など参加してみたい想いにかられる。残念ながら今は実現できないが。

「シニアカレッジ2008」公式サイト

2008年6月 7日 (土)

鑑真の足跡をたどる日本・中国学生交流参加者募集!

 奈良時代の日本に仏教の戒律を伝えた高僧・鑑真の足跡をたどる日本と中国の学生交流 「鑑真和上渡日記念・逆渡航日中青年交流計画」を早稲田大学・木下俊彦客員教授が進め、9月に実施される。参加者を公募している。詳細は、下記のWebサイトをご覧ください。

早稲田大学客員教授「木下俊彦」Webサイト

2008年6月 1日 (日)

第4回小学生パティシエ選手権 参加者募集!

 第4回小学生パティシエ選手権が開催される。小学生を対象に、自分の夢をテーマにしたオリジナルのお菓子を募集している。優勝者には、「親子ペア・フランスパティシエ体験の旅」が進呈される。詳細は下記のWebサイトを参照願います。

「第4回小学生パティシエ選手権」公式サイト

リーダーとしての行動哲学「江戸しぐさ」

 「江戸しぐさ」は、江戸商人のリーダーたちが培った行動哲学である。人間関係を円滑にするための知恵でもあった。江戸時代は平和な時代が続いた。その社会を支えたのが「江戸しぐさ」という人づきあい、共生の知恵だった。

【江戸しぐさの一例】
【うかつあやまり】 謝る相手に対し、「私もうかつでした」などと謝る。場がなごむ。
【あいづちしぐさ】 相手が話している時は、しっかり聞き、話の腰を折らない。
【許すこころ】 相手に非があっても頭ごなしに怒らず、許す心の余裕を持つ。

「NPO法人江戸しぐさ」公式サイト

2008年5月31日 (土)

エコール・ド・まつしろ

 8/2(土)信州・松代へ出かける。Webサイトで調べ、「エコール・ド・松代」公式サイトにアクセスした。城下町に魅かれる。「松代文武学校」を訪ねたいと思っている。開国論者であった佐久間象山は、吉田松陰の師であったことを思い出した。最近、とみに地方文化というものに興味が湧いてくる。よく日本は画一化が進んでいると言われてはいるが、表面的には確かにそのことは否めないが、根底の部分では、各地域の独自性が存在している。文化とはいともたやすく消失するものではないのだ。

「エコール・ド・まつしろ」公式サイト

「地名」も文化

 5/30(金)日本経済新聞朝刊の文化面「私の履歴書」で、民俗学者の谷川健一氏が執筆された「地名の研究」の一文を読んだ。地名というものは、「日本人のアイデンティティ(自己確認)に不可欠な存在」、「日本人の情緒を触発する媒体」、「大地に刻まれた百科辞典の索引」、「時間の化石」だという。

 確かに、「歌枕」の大部分は地名である。かねて日本人は、その地を訪ね、感じたことを歌に詠んだ。芭蕉はみちのくの「歌枕」を訪ね歩き、紀行文の傑作「おくの細道」を残した。古き地名をなくし、珍妙な新しい地名をつけることに、同氏は「誇りを失った日本が滅亡する予兆」と警鐘をならす。

 グローバルな時代になればなるほど、自分自身の寄って立つ場所を自己確認しておくことの重要性が叫ばれている。われわれは、「日本文化」の重要性を教えられることもなく、時を過ごしてきたのかもしれない。

2008年5月30日 (金)

第23回 香・大賞発表

 「香老舗 松栄堂」が主催するエッセイ・コンテスト「第23回 香・大賞」が発表された。金賞に輝いたのは、京都府にお住まいの80歳の男性が応募された「金婚」というエッセイだった。5/30(金)日本経済新聞朝刊紙上で読んだ。味わい深い一文だった。興味のある方は、下記Webサイトでご覧ください。

「香老舗 松栄堂」公式サイト

2008年5月25日 (日)

唐招提寺 「鑑真和上坐像・御影堂障壁画」特別開扉

 奈良・唐招提寺で、5/31(土)~6/8(日)の9日間、「鑑真和上坐像・御影堂障壁画」の特別開扉が行われる。唐の高僧・鑑真が五度にわたる難破、漂流の艱難辛苦を克服しわが国に渡航した。そののち唐招提寺を創建した。国民的画家・東山魁夷は、鑑真和上に捧げるために御影堂の障壁画を描いた。

 奈良にある寺の中で、一番好きな寺はどこかと聞かれれば、唐招提寺を一番に上げる。どことなく、のどかでおおらかな静けさに包まれた雰囲気を醸し出している。現在、天平時代の傑作といわれる金堂は大修理の途上だ。ギリシャ・ローマのエンタシスを思い起こさせるような巨大な円柱の美しさ、威風を今一度眺めたいものだ。

 奈良をこよなく愛した歌人・會津八一は、唐招提寺と鑑真和上について歌を詠んだ。

おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ

とこしへに ねむりておはせ おほてらの いまのすがたに うちなかむよは

「唐招提寺」公式サイト

2008年5月22日 (木)

奈良大 「會津八一書簡展」

Img  奈良市山陵町の「奈良大学博物館」で、歌人・書家・美術史家である會津八一の「書簡展」が開催されている。會津八一は新潟で生まれ育ち、古都に見せられ奈良をこよなく愛した。
私は昨年、新潟を訪れる機会があった。新潟市内にある「會津八一記念館」を訪れたいと思いながらも、時間的な都合でその機会を失った。やむなく、JR新潟駅前の本屋で「會津八一悠久の五十首」という本を買い、新潟空港から伊丹空港までの飛行機の中で読んだ。美しい言葉の響きに酔った。わが地元近くの大学で、會津八一の未刊の書簡が公開される。今度の土曜日に出かけてみようと思っている。

あきしの の みてら を いでて かえりみる いこま が たけ に ひ は おちむ と す(會津八一)
(秋篠の み寺をいでて かえりみる 生駒が岳に 日は落ちんとす)

「奈良大学」公式サイト

「會津八一記念館」公式サイト

2008年5月17日 (土)

岩波講座「哲学」全15巻 刊行

 岩波書店から岩波講座「哲学」全15巻が刊行される。20年前にも同講座は刊行された。「哲学」という実生活上、無益、無用な学問だと一般的には考えられている。また、難解で堅苦しいものだと受け止められている。混沌とした社会の中で大きな転換点を迎えている今、 「私たちとは誰か.私たちはどこから来て,どこへゆくのか」。この「根源的な問い」を「考えること」の重要性が増している。 「考えること」から逃避してきた我々のために、「『考えること』の原点に立ち帰り,混沌とした風景に一つの展望を拓こうとする企て」として、講座は刊行される。対象は高校生から熟年までをターゲットとしている。

「岩波書店」公式サイト

2008年5月14日 (水)

「唱歌」が聞こえる!

Img  明日、久しぶりに平日に有給休暇をとる。夜半に焼酎を飲みながら、ゆったりとした気分でいる。以前に読んだ「日本唱歌集」(ワイド岩波文庫2001.0410刷)を繰りながら、さらに心地よい気分になっている。唱歌の作詞者の中で、なぜこのような詞をつぐむのかと気になる三人がいる。そのことは言葉を変えて素直に言えば、愛おしい人を想うがごとく好きなのだ。彼らを産み出した風土を知りたくて、吉丸一昌の大分県・臼杵を、犬童球渓の熊本県・人吉をかつて訪ねた。だが、高野辰之の長野県・中野を訪れる機会に恵まれなかった。8月には長野に出向くことになった。でき得れば訪れたい気持ちでいる。

吉丸一昌

「早春賦」 (大正2年2月)

春は名のみの風の寒さや。谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てずに。時にあらずと 声もたてずに。・・・・・

「You Tube 早春賦」
「故郷を離るる歌」 (大正2年7月)

園の小百合、撫子、垣根の千草。今日は汝をながむる最終の日なり。思えば涙、膝をひたす、さらば故郷。さらば故郷、さらば故郷、故郷さらば。・・・・・
「You Tube 故郷を離るる歌」

 

犬童球渓

「旅愁」 (明治408月)

更け行く秋の夜、旅の空の、わびしき思いに、ひとりなやむ。恋しやふるさと、なつかし父母、夢じにたどるは、故郷の家路。・・・・・

「故郷の廃家」 (明治40年8月)

幾年ふるさと、来てみれば、咲く花鳴く鳥、そよぐ風、門辺の小川の、ささやきも、なれにし昔に、変わらねど、あれたる我家に、住む人絶えてなく。・・・・・

高野辰之

「春の小川」 (大正元年12月)

春の小川は さらさら流る。 岸のすみれや れんげの花に、においめでたく 色うつくしく 咲けよ咲けよと ささやく如く。・・・・・

「故郷」 (大正36月)

兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川、夢は今もめぐりて、忘れがたき故郷。・・・・・

「Tou Tube 故郷」

2008年5月10日 (土)

「ルノワール+ルノワール展」

 「ルノワール+ルノワール展」が、5/20(火)~7/21(月・祝)に、岡崎公園内にある京都国立近代美術館で開催される。画家の父、映画監督の息子の競演。近代美術の巨匠ピエール=オ-ギュスト・ルノワール(1841~1919)と彼の次男でフランスを代表する映画監督ジャン・ルノワールの展覧会だ。絵画と映画、静と動の世界。どのような展覧会なのか興味が湧く。

「京都国立近代美術館」公式サイト

2008年5月 3日 (土)

「吾唯足知」

 「吾(われ) 唯(ただ)足るを 知る」と読む。「人は欲張らず、今の自分を大切にしなさい」という意味だそうだ。京都・龍安寺にある蹲踞(つくばい)に刻まれている有名な言葉だ。蹲踞とは茶室の庭にある石の手水鉢(ちょうずばち)のことで、茶客が手を洗うのに低いので、つくばうから、蹲踞と言うようになった。
Img_0001_2  もう十年以上も前に、石庭を見るために龍安寺を訪れた折に、このキーホルダーを買った。それからずっと持ち続けている。その言葉の深い意味など私には解らないが、この品には愛着だけはある。「吾ただ足ることを知る」は「吾ただ足りないことも知る」ことも含まれているのだろう。一瞬の内に消えていく言葉は数あるが、いつまでも残り続ける言葉は少ない。時には先人の言葉に耳を傾ける必要があると、自分自身に言い聞かせている。

「龍安寺」公式サイト

2008年4月26日 (土)

Cinema 「アイム・ノット・ゼア」

 映画「アイム・ノット・ゼア」が今日から公開される。「生ける伝説」、ボブ・ディラン。1960年代の音楽シーンにおいて若者たちを魅了し続けた偉大なるミュージシャンだ。2002年、米国「ローリングストーン」誌で、現代の偉大なるアーティストランクで、1位のビートルズに次ぎ、2位にボブ・ディランだった。詩人、無法者、映画スター、革命家、放浪者、ロックスターの6つの顔を映画は描き出す。見てみたい映画だ! 
 彼は、詩人として幾度となく「ノーベル文学賞」候補にあがっている。4/26(土)朝日新聞朝刊「文化面」においても、「ボブ・ディランって何者」という特集記事を掲載した。ある大学教授が「デイランは詩としての歌だし、歌としての詩。セットでないとうまく作動しない。ホメロスと同じ口承文学なんです」と語った。
 「来月67歳になるというのに、成熟を拒否し、大地に根をはらす、何者でもない者であり続ける。」 私が高校時代だった時、友人から借りたレコードを聞いた。あのかすれた声で歌う「風に吹かれて」が今も耳に残り続けている。

「アイム・ノット・ゼア」公式サイト

2008年4月20日 (日)

東山魁夷 「道」を眺める

Img  4/20(日)、東京・竹橋にある東京国立近代美術館で開催されている「生誕100年 東山魁夷展」を観覧した。東山魁夷の画業についての過去最大の回顧展だった。戦後の日本画界を代表する風景画家、国民的画家であるため、多数の人びとが入館していた。概ね私の年齢よりも上の世代が多かった。
 「道」という絵の前に立った。最初は遠くから眺め、徐々に近づき、ほんの目と鼻の先で、そして左斜め、右斜めからと多様な角度からその絵を眺めた。じっと見ていると、その描かれた小道の中に自分自身の存在が吸い込まれていくような錯覚にとらわれた。確かにその道を歩いているような、遠い彼方の連なる道の向こうに向かって、まるで人生を感じさせるような叙情が心の中に染み渡った。

「東京国立近代美術館」公式サイト

2008年4月18日 (金)

惜別 松永伍一

 4/18(金)朝日新聞夕刊で「惜別」の紙面に、今年のひな祭りの日に77歳で逝去した詩人・評論家である松永伍一の記事が掲載されていた。わが本棚にある同氏の著作の「ふるさと考」(講談社現代新書・1975年6月)を手に取った。
 その新書の表紙に、 「『まち』が、新しい時代を切り開いてゆく若者であるとすれば、『ふるさと』は『まち』を静かに育む母親である。近代が、まさにそういう時代であった。『まち』にはなんと多くの言葉が費やされたことか。いまこそ、『ふるさと』が語られるべきである」と記されている。
 30年余り前に、「今こそ語られるべき『ふるさと』とは?」という問いかけに、その当時、大学生だった私は、生まれ育ったその地に住み続ける者にとって『ふるさと』という言葉とイメージは存在し得ない。その地を『捨てた者』にとって贖罪の念が『ふるさと』という清く美しい言葉と郷愁を作り出したのだろう。その土俗的な雰囲気の著作から受け止めた。『ふるさと』という言葉から郷愁よりも、混沌とした土俗的な匂いを抱いている。同氏の「ふるさと考」の影響を今も心の中に生き続けている。だからこそ、わが『ふるさと』を本当の意味で問い続けなければならない。

2008年4月17日 (木)

「おくのほそ道」ひとつの情景

Img  4/16()、雑誌「サライ」を買った。今晩、別冊付録「おくのほそ道」(全文・全現代語訳)を読んだ。幾度か「おくのほそ道」を読んだが、いくつかの情景に、いつも惹きつけられる。

 そのひとつが、越後・親知らずの地を越えた宿での話である。芭蕉が、難所を越え疲れの中で早く寝た折に、襖一枚隔てた部屋から若い二人の女の声が聞こえる。越後の国の遊女であった。おちぶれて、浅ましい身の上になり、前世の行いがどんなに悪かったのでしょう。と話すのを聞きながら芭蕉は眠りについた。

 翌朝、芭蕉が宿を立とうとすると、二人の遊女が、伊勢参りに出かけるのだが、道中が不安で悲しい。どうか道中ともにさせて欲しい。人を助けるご出家の情けで仏道に入る縁を結ばせて欲しいと涙ながらに哀願する。芭蕉は、所々で滞在することが多いので、とても同行はできないと伝えた。かわいそうなことをしたという気持ちがしばらく収まらないと、その話を結んだ。その折に一句を読んだ。

一家(ひとつや)に遊女も寝たり萩と月

思いがけずひとつ屋根の下の宿に泊まることとなった。自分のような男と遊女とは、いわば空の月と萩の花のような取り合わせだ。無縁に思えるのだが不思議な取り合わせの妙味だ。)

 この一話が好きだ。幾度となく読むにつれてよりいっそう惹かれる。

「歌人の群れ」に想う

 平安中期に能因法師はみちのくを旅した。平安末期に歌人・西行は、能因法師の足跡を追い、1144年、歌枕の聖地を訪ね初めてみちのくへ旅した。その五百数十年後、1689年、江戸時代の俳人・芭蕉は、西行と同様にみちのくの歌枕を訪ね、不朽の紀行文「おくのほそ道」を記した。その五十年余り後、1742年、芭蕉に憧れた俳人・与謝蕪村もまた、みちのくを旅した。四人の歌人は繋がっている。

 西行が、はじめてみちのくを旅して後、860年余りが経つ。歌も詠めず日常に埋没している路地裏育ちの凡人に、歌人の群れは、みちのくへの旅心を誘う。いつかその足跡をたどりたいものだ。

2008年4月16日 (水)

偉大な紀行文に「こヽろをくるはせ」

 4/16(水)、近鉄奈良線・富雄駅近くのジャパンブックスで、雑誌「サライ」を買った。新聞の広告で、特集「おくのほそ道を旅する」という表題にひきつけられた。別冊は「おくのほそ道」全文・全現代誤訳の冊子、全文朗読CDが付録としてついていた。

 今宵、人事異動というけじめの中で、雑誌「サライ」を読んだ。芭蕉に想いをはせた。西行の想いをこころに抱き、芭蕉は旅に出た。人は誰かの想いを繋いでいくものなのだ。偉人だけではなく、巷の凡人も然り。

2008年4月 6日 (日)

永遠のプリマ・プリセツカヤ、「ボレロ」舞う

 4/5()、桜満開の花見帰りの近鉄奈良線、奈良行き快速急行の中で、日本経済新聞朝刊を手にとり読んだ。「アート探求」欄に目を奪われた。「永遠のプリマ、『ボレロ』舞う」「プリセツカヤ、梅若六郎との舞台」「語る瞳に魅力」「圧倒的な存在感」という文字が目に飛び込んできた。大きく紙面に掲載されていた。3/30夜、20世紀を代表するロシアのバレーダンサー、マイヤ・プリセツカヤが、能楽師「攻めの六郎」こと梅若六郎を相手に、ラベルの「ボレロ」~幻想桜~を舞った。場所は、桜さく京都・上賀茂神社の細殿だつた。

 

 新聞記事の中で、「ちょっとしたしぐさやステップなど体だけですべてを語り、『永遠のプリマ』と称される理由を見せつけた。」「体を折り曲げつつ正面を見据え、両手を優雅に羽ばたかせる。背後と前方から照明を受けた姿は圧倒的な存在感だ。」「手にしていた桜の枝と扇をパッと左右に投げた。」「拾い上げた桜の枝を、客席に投げ入れて舞台は終わった。」試演2回で本番にのぞみ、当日は雨という悪条件の中での即興的な舞であったという。

「プリセツカヤの魅力は「語る瞳」とともに「凛」とした姿にある。普通に歩く姿、階段を上る姿からして美しい。」「この存在感、特異なカリスマ性こそ、『20世紀最高のバレリーナ』と称される由縁であり、年齢を感じさせない根本と印象づける舞台だった」と記者は結んだ。

 新聞にはプリセツカヤと梅若六郎の舞姿がカラー写真で掲載されていた。プリセツカヤは黒のレオタードに、白地に藤の文様の能装束といういでたちで、両手を左右に大きく羽ばたかせ、右手に桜の小枝、左手に扇をもち、軽いステップを踏み舞っている。正面には梅若六郎がたたずみ、彼女を見上げている。彼女は口元を引き締めながら、瞳は鋭く誘うように梅若を見据えている。その舞の一瞬の姿に美しさとエロチシズムを感じる。

 観てみたかったという想いが募る。その舞台があることを以前から知ってはいた。でも、いけなかったことは事実である。ただ、新聞等でその舞台の模様を知り、そのことを読んだだけも感銘を受けている。「永遠のプリマ」・プリセツカヤ83歳と「攻めの六郎」・梅若六郎59歳の1対1の「激舞」であるとともに、永遠に咲く花の如く「美しい舞」であったのだろう。

「微笑がえし」キャンディーズ

 4/5()大阪城公園へ花見に出かけるため、近鉄奈良線の快速急行に乗っていた。日本経済新聞と朝日新聞の両紙をバッグの中に入れていた。まずは朝日新聞からと読み出した。社会面の 「年下の男の子、2000人ああ青春、キャンディーズファン」という短い記事に目がゆき電車に揺られながら読んだ。

 「キャンディーズ1970年代のアイドル3人組コーラスグループだ。後楽園球場での解散コンサートから30周年の本人たちが出演しないフィルムコンサートの「同窓会」が、4/4(金)東京ドーム近くのホールで開催され、往年の「キャンディーズ」ファン、50歳前後の人々2000人が集まり、大絶叫したという。イベント企画のきっかけは、昨年に50歳過ぎの男性ファンが大腸がんで亡くなった際に、「出棺の折にはキャンディーズの曲を流して欲しい」という遺言が発端だった。その想いを受けて知人が当時のキャンディーズのマネジャーに企画を投げかけ実現した。10,500円の入場券は完売し、2,000人の熟年ファンが2万本の色とりどりの紙テープを上映された「キャンディーズ」フイルムに投げられた。このイベントの収益は、「日本対ガン協会」へ寄付された。

 197842日に私は24歳で結婚した。44日「キャンディーズ」解散コンサートは、新婚旅行中に開催された。だからこそ良く覚えている。その当時、私もまた「キャンディーズ」が好きだった。私はその新聞記事を読み、なぜ「同窓会」なのだろう?という疑問が生じた。何かが、その発端があるはずだ。自宅に帰った折にWebサイトを検索して理解した。一人の死に面した時のなおも抱く熱き想いが、誰かに伝えられ、受容され、行動へと、実現へと運んだ人々がいたことを知った。そのことは、素敵なエネルギーだ。

「僕らは3人に会いたいのではなく、あの時の連帯感を取り戻したくて・・・・」という一男性ファンの言葉がWebサイトに掲載されていた。いかなる対象であったとしても、想いを抱き情熱を傾け実行することは大切なものだ。人ひとりだけでは卑小なものしか生み出せない。連帯が大きなものを生み出す力となる。あの頃を思い出し、さらに今と未来に情熱を!「キャンディーズ」とこのイベントを企画し、そこに集まられた人々からの「微笑がえし」をいただいた。

「キャンディーズ」公式サイト

「全国キャンディーズ連盟2008」公式サイト

2008年3月28日 (金)

特別展「天馬」

 特別展「天馬~シルクロ-ドを翔ける夢の馬~」が、4/5(土)から奈良国立博物館で開催される。人の想像力が生み出した空飛ぶ馬、「天馬」は、紀元前一千年以上前に西アジアで誕生し、世界各国に伝わったといわれ、西欧では「ペガサス」と呼ばれている。日常という時間の中で埋没しかけているかもしれない我々は、想像力の欠如を確認するためにも、古今東西の「天馬」の名品を眺める時間を持つことも大切なのだ。

「奈良国立博物館」公式サイト

2008年3月27日 (木)

「早春賦」を聴く

 月曜日から仕事の都合で帰宅が遅かった。今晩、意図的に早く仕事を終えた。会社帰りに肌寒さを感じきながら、ふと「早春賦」の歌を口笛で吹きながら富雄川沿いを歩いて帰宅した。 「♪♪春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど・・・・」。以前訪れた大分臼杵にある「吉丸一昌記念館」で買ったCDを我が家に帰り「二階堂」を飲みながら聴いた。

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大正元年に「早春賦」は作られ、大正
2年に文部省唱歌「新作唱歌」第2集に収められ今も歌い継がれている。この歌の作詞者は、吉丸一昌である。明治6年に大分県・臼杵で生まれ、苦学の末、熊本・旧制五高に進み、夏目漱石との出会いが彼の進路を決定した。東京帝国大学に進学し、貧しい学生の身でありながら、身寄りのない若者たちを集めた夜間学校「修養塾」を開き、勉学、衣食住、就職の面倒を見続けた。

 1999年春に、私は吉丸一昌のふるさとである大分県臼杵を訪れた。2006.12.31付にて当ブログのカテゴリ-「旅人」に雑文ながらも掲載した

 1999年、師走のあわただしい夜だった。大阪・難波の居酒屋で酒を飲み仲間と別れた。若かりし頃から酒を飲んで一人になると、決まってある場所に行きたくなってしまう習性がある。それが、いいのか悪いのかは、人それぞれの価値判断でしかない。ただ、悪くもない習慣であると自分自身では思っている。そこは、新刊本屋と古本屋・レコ-ド店(古くさい名である)、オ-ルドファションな人間である。閉店間近の灘波ジュンク堂書店に入った。あわただしく本棚に目を配り、本の題目を追った。その一瞬、発作的に、本当は何らかの理由、意味が存在していたのかもしれないが、『唱歌・童謡ものがたり』(岩波書店)という定価2,200円の本を買い求めた」(1999年)

春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てずに 時にあらずと 声も立てずに 

 「難波発の奈良行き快速急行は、私をも含めて酔いどれ客でいっぱいだった。その中で本を開いた。最初の項目が「早春賦」であった。4ペ-ジの短文であった。つり革に右手でぶら下がりながら、左手に本を持ち、珍しく集中して文章を追った。その時、私自身が疲れていたがために、全く違った世界の情念にひきつけられたのかもしれない。一気に読み終えた。長い生駒トンネルを走り続ける電車の中、ほろ酔い気分でいろいろな事柄が映像として脳裏をよぎった。その時、私は、唱歌「早春賦」の作詞者・吉丸一昌のふるさとである大分県・臼杵の町を訪れたいと思った」(1999年)と。 私は雑文として残した。

 吉丸一昌の妻ユキは、小学生のころ両親を亡くした。たった2年間の結婚生活であったが、夫また弟のような修養塾生たちに囲まれ、短くも楽しい日々を彼女は過ごした。彼女は病がもとで死去した。吉丸29歳、ユキ21歳であった。それから9年後、吉丸がユキの墓参で臼杵に帰郷した折に、彼女を想いつづった歌がある。私には、この歌がいつも心に刻み込まれている。 春は名のみの夜に、ふと声を出して口ずさんだ。

 むかし見し かの初恋の 初日の出 いまなき人の おくつきにさす


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2008年3月22日 (土)

滋賀・水口の町への想い湧く

3/22(土)ソレステレ-ジャジュニア5・4年生の帯同で、バスの運転手として、「第2回甲賀市長杯少年サッカー大会」へ出かけた。会場は、滋賀県甲賀市・水口スポーツの森だった。サッカ-の試合はさておき、滋賀県水口は歴史ある文化漂う町であることを知った。

滋賀県甲賀市水口町は、城下町であり、東海道五十三次の五十番目の宿場町だった。規模は近江の東海道五宿のうち大津に次ぐものであった。漂う文化の香りは、城下町だった名残なのだろうか。

「水口曳山祭」が4月に開催されるというポスタ-を目にした。その祭を観てみたい想いが湧いた。町にはウイリアム・メリル・ヴォ-リ-ズの建築も残っているという。今一度ゆっくりと立ち寄りたい気持ちになった。

「水口町観光協会」Webサイト

ふと、マリ-・ロ-ランサンが・・・・

Img_0002  3/22()朝日新聞夕刊の文化面を見ていると、美術評「マリ-・ロ-ランサン展」が目に入り読んだ。「生誕125年記念マリ-・ロ-ランサン展」がサントリ-ミュ-ジアム「天保山」で5/11まで開催されているという。淡い「魔法の色彩」の中に染まった女性たちを描いた女流画家・マリ-・ロ-ランサン。以前にどこかで彼女の展覧会を見た記憶がある。いつだったのだろうか? どこだったのだろうか? ふと、気になり本棚を物色した。その時に展覧会場で購入した図録を捜し出した。本棚での保存状態が悪く、表紙の一部がくすんで茶色がかってしまった。その図録から、1996年、神戸市立博物館へ出かけたことを思い出した。ただ、妻と出かけたどうかは定かな記憶がない。

マリ-・ロ-ランサン展」Webサイト

長野県・蓼科高校ジャズクラブ 米国公演へ

 長野県立蓼科高校ジャズクラブが、3/29から米国・ワシントンで開催される桜まつりの開会式で演奏を披露する。映画「スウィングガールズ」は、兵庫高砂高校のジャズバンド部から発送され、蓼科高校ジャズクラブのエピソードを盛り込み製作された。
 ジャズバンドといえば、グレン・ミラ-楽団、デユ-ク・エリントン楽団を思い浮かべるが、高校のジャズバンドがあることを映画「スウィングガールズ」が上映された時に初めて知った。高校生には「スウィング」が似合う。
「長野県立蓼科高校」公式サイト
「映画:スウィングガ-ルズ」公式サイト

2008年3月20日 (木)

Cinema 「チェスト!」

小学校6年生のクラスメイト全員が、薩摩半島と大隅半島に挟まれた4.2kmを泳ぎきる「錦江湾横断遠泳大会」に出場し、それをきっかけに生まれる子どもたちの葛藤と友情の物語である。「負けるな!嘘をつくな!弱いものをいじめるな!」という鹿児島伝統の「郷中教育」の魂を受け継いだ映画だ。

「チェスト!」公式サイト

SFの作家・クラーク氏逝去

Img_0003  3/19(水)朝日新聞夕刊を見ていると、SF 「2001年宇宙の旅」の原作者・ア-サ-・C・クラ-ク氏が同日に移住先のスリランカで死去したとの記事が掲載されていた。享年90歳だった。同氏はダイビングを愛し、スリランカの海に魅せられその地に移住したという。

 私が高校時代に、映画「2001年宇宙の旅」を初めて観た。監督がスタンリ-・キュ-ブリックだった。今も映画史上最高のSF映画との評価が高い作品だ。それ以降も幾度か劇場・テレビで観た。SF、すなわちサイエンス・フィクション、科学的な空想物語だ。「2001年宇宙の旅」は不思議な感覚を私自身の中にかもし出した。難解であると言われているが、それにもかかわらず私の手元にそのビデオがある。

2008年3月18日 (火)

「永遠のプリマ」と「能楽界のファイタ-」の競演

ボリショイ・バレイ団の元プリマ、マイヤ・プリセツカヤと能楽シテ方の梅若六郎が、3/30()、京都・上賀茂神社で、桜をテーマに「異種融合」を試み共演する。マイヤ・プリセツカヤは、現代最高のベレリ-ナと称されたロシアのバレ-ダンサ-で、80歳を超えて今も現役である。「能楽界のファイタ-」で人気・実力を兼ね備えた梅若六郎が、「マイヤの映像を見て感動し、負けたと思った。今の僕に彼女の持つ何がないのか知るためにも、一緒に踊りたいと思った」という。当日の演目は、ラベルの「ボレロ」だ。踊り続けている「永遠のプリマ」と「能楽界のファイタ-」、「ボレロ」に「能の香り」の競演を見たいという思いが湧き上がってくる。

2008年3月14日 (金)

春だ!一番!「おじゃるず」

 3/14(金)、花の金曜日か、それともストレスの金曜日か。朝の通勤電車の中で日本経済新聞を読んでいた。23面の全面広告に目が吸い寄せられた。電話の「OCN]の広告で、昨年10月に東京・上野公園で遭遇した大道芸人「おじゃるず」の写真が掲載されていた。メジャ-になったんだ!上野公園で、日本文化の本丸、東京国立博物館を借景して演じていた姿を思い浮かべた。その姿はプロテスト、チャレンジ、プライドがにじみ出ていた。広告の写真を見てメランコリーな気分が吹っ飛んだ。

Photo_2 (Photo:2007.10.20 東京・上野公園)

昨年10月にブログに書いた一文を下記に再掲載します。

10/20()の昼頃に、上野公園内の大通りを国立博物館の方へ向かって歩いていた。桜並木の通りの両側には等間隔でベンチがあり、さまざな人々が座り、各々の思いを抱きながら憩いを取っている。噴水前にさしかかった時、奇妙な服装をした二人が私の視野の行く手に現れた。大道芸人だった。傍らに立てかけてある小さな板には「おじゃるず」と書かれていた。立ち止まり路上に座ってその二人の大道芸を眺めていた。噴水前の広場は多くの人手でにぎわっていた。大道芸の背景には噴水が見え、遠くには国立博物館の建物が遠望できる。パフォ-マンスのロケ-ションとしては最高の場所であった。ただ偶然にその場所ではと言うのではなく、恐らく意図してその場所を選択したのだろう。

自己を表現する仕方にはスポ-ツ・文化でのさまざまな形態がある。大道芸もまた表現の一形態である。眺めていると不思議な感覚に襲われた。私たちは、演じている彼らを眺めている。反対に彼らは、演じていないかのような私たちを眺めている。彼らと私たちが。本当は表現という同じ舞台に立っているのだ。「あなたには自己を表現しようとする意思がありますか?」と、彼らの鋭い無言の声が聞こえた。【2007.10.27(土)カテゴリ-[旅人」】
「春だ!一番!OCN!」Webサイト
 大道芸人おじゃるず」Webサイト

2008年3月 1日 (土)

真夜中に下りゆきし女

真夜中の 倶知安駅に 下りゆきし 女の鬢(びん) 古き痍(きず) (石川啄木)

 2/29(金)日本経済新聞朝刊で、大田幸夫氏の「鉄路の啄木、追跡の旅」という一文が文化面に掲載されていた。同氏は民間人であるが、鉄道をキーワードとして啄木を研究されている。啄木が上記の歌を詠んだのは、具体的には真夜中の何時だったのか?という疑問を抱き調べられた。

博物館で明治時代の古い時刻表を丹念に調べ、同氏は真相を明らかにした。明治40年9月、「啄木は十三日午後7時に函館を出発。倶知安駅の停車時刻は午前1時55分から2時5分までの十分間だった。初秋の北海道の丑三つ時、鬢に傷のある女の後ろ姿が闇に消えていくのを、啄木は窓から眺めていたのか。ふと物思いに誘われた」と。

明治の世に、深夜のさびれた駅にひとり降り立つ女。その後姿を眺めている男。どこかさみしさが漂う。その女はどこから来てどこへ行ったのだろう?と今晩、丑三つ時に酔いながらその情景を想いうかべる。

2008年2月29日 (金)

「プロジェクト・フィランド」

 「プロジェクト・フィンランド」は、フィンランドの自然や社会、文化について楽しく学ぶことができます。フィンランドにとっての教育とは、子どもたちが自分から学ぼうとする力や自分で考える力を育てることです。「学力低下」が指摘されているわが国の教育において何を大切にしていかなければならないのか?ふとそんな事を考えてしまいます。
「プロジェクト・フィンランド」公式サイト

2008年2月27日 (水)

「雁風呂」

2/27(水)日本経済新聞夕刊を職場で見ていると、「雁風呂」の話が記事として掲載されていた。津軽半島に言い伝えとして残る物語である。なつかしい気持ちで読んだ。「雁風呂」の物語を知ったのはいつなのだろうか?ふとそんなことを職場で思い出していた。その記事の結びに「雁たちは秋に小枝をくわえて海を渡り、疲れるとそれを浮かべて休み、陸に着くと小枝を置いて、帰りに再びその枝をくわえて戻る。春になっても浜辺に残された枝は帰れなかった雁たちの分で、それらを集めて風呂を立て雁たちの供養をした。――もちろん伝説ですが津軽らしい物語です」と。せつなくかなしくも、心に残る伝説だ。

1973年、「サントリ-ウイスキ-角瓶」のCMで「雁風呂」篇がテレビで放映された。私は、はっきりと覚えている。印象深く、ロマンチックでしみじみとしたCMに魅了された。

(ナレーション) 「月の夜、雁は木の枝を口にくわえて北の国から渡ってくる。 飛び疲れると波間に枝を浮かべ、その上に止まって羽を休めるという。そうやって津軽の浜までたどりつくと、いらなくなった枝を浜辺に落として、さらに南の空へと飛んでいく。日本で冬を過ごした雁は、早春の頃再び津軽に戻ってきて、自分の枝をひろって北国へさっていく。あとには生きて帰れなかった雁の数だけ枝が残る。浜の人たちはその枝を集めて風呂をたき、不運な雁たちの供養をしたのだという。」 
(山口瞳)
 「あわれな話だなあ。日本人て不思議だなあ。」

ながらくウイスキ-を飲んではいない。焼酎ばかりを飲んでいる。ふと、その新聞の「雁風呂」の記事を読んで、久しぶりに「サントリ-角瓶」を飲んでみたい気になった。

2008年2月22日 (金)

ヴォ-リズの建築

「建築物の品格は、人間の人格の如く、その外装よりも、むしろその内容にある」 (ウイリアム・メリル・ヴォリ-ズ)

Img 滋賀県立近代美術館で、建築家・ウィリアム・メリル・ヴォ-リズの展覧会が開催されている。明治38年、24歳でキリスト教の伝道師として滋賀県近江八幡市に赴任した青年は、建築家の活動を始め、明治45年、近江ミッション(のちの近江兄弟社)を設立した。

何年か前に、私はヴォ-リズの建築をみるために滋賀県近江八幡の町を訪ねたことがあった。彼が半生を過ごした近江八幡の町、また日本各地にも幾多の建築が今も残っている。東京・山の上ホテル、大丸心斎橋店、関西学院大学・神戸女学院大学キャンパスなどもヴォ-リズの作品だ。建築を見るためには現地へ出かけて自分で見ることが必須である。ただ、彼の思想と精神を知るには、このような展覧会に出かけてみたいとは思う。

「滋賀県立近代美術館」公式サイト

「一粒社ヴォーリズ建築事務所」公式サイト


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2008年2月12日 (火)

生誕100年「東山魁夷展」

 Img_0012 日本人が最も愛した画家・東山魁夷、生誕100年の展覧会が、3/29から東京国立近代美術館で開催される。昨年の秋に信州・長野を訪れた際に、「長野県信濃美術館・東山魁夷館」に立ち寄った。なぜ、魁夷が自分自身の大事な作品を長野県に寄贈したのだろうと不思議に思っていた。答えは簡単だった。魁夷は信州の地を愛していたのだ。私が若かった頃に、図書館にあった美術全集で、魁夷の「道」という作品を見て心魅かれた。その「道」の風景が、どこはかとなく日本人である私の情感を刺激した。一度は、「道」の原画を見てみたいものだ。

「東京国立近代美術館」公式サイト

2008年2月 9日 (土)

Cinema 「潜水服は蝶の夢を見る」

 人間が生きるとは何か? 「話せず、身体は動かないが、確実に生きている」脳梗塞で身体の自由を失った男性が、唯一動く左目のまばたきによる言語療法士とのコミュニケーションで書きあげた自伝の映画化である。2/16(土)「梅田ガーデンシネマ」「シネマート心斎橋」でロードショー!

「潜水服は蝶の夢を見る」公式サイト

2008年1月27日 (日)

「いいちこ」の深い世界

「下町のナポレオン・いいちこ」で著名な三和酒類株式会社は、「精神」「民俗」「環境」「場所」の四つのキーワードでもって、文化誌「季刊iichiko」を発刊している。現代の見えにくくなりつつある固有の文化を掘り起こし考え続けている。

 「焼酎」もまた「文化」である。企業がただ「焼酎」を製造しているだけという存在ではなく、底流には「文化」を意識しつづけていることに感銘を受ける。ときどき、Webサイトを見るたびに、その企業の「文化」と「美」を感じる。
「iichikoポータルページ」Webサイト

2008年1月26日 (土)

源氏物語千年紀

 今年は「源氏物語千年紀」である。「紫式部日記」の西暦1008年(寛弘5年)11月1日の日記に「源氏物語」についての記述があり、その時から千年を迎える。「源氏物語千年紀委員会」は11/1に京都国際会館で記念式典を開催する。

 残念ながら、私は「源氏物語」全編を読んでいない。部分的なことしか知らないが、千年も時が経ても日本の美しい物語であるという評価に鑑み、一度は読んでおかなければならないと反省している。

「源氏物語千年紀実行委員会」公式サイト

2008年1月23日 (水)

「哀れっぽい橋」

 1/7(月)日本経済新聞夕刊(15面)「プロムナ-ド」に、評論家である松本健一氏の「内子町の『哀れっぽい』橋」というエッセイが掲載されていた。愛媛県内子町にある弓削神社の「太鼓橋」の話である。5段に書かれた文章の最終壇を読んだ。

 その一文の末尾には、「その木造の細い橋を弓削神社へと渡りつつ、わたしは、これが人間世界から神への領域へと通ずる、日本の「哀れっぽい」橋なのだな、という思いに浸っていた。保田與重郎の長編エッセイ『日本の橋』を読んだのは、今から43年前、私が18歳の頃である。そこには弓削神社の橋のことは出てこない。しかし、そのころから私は西洋の建築の延長線上にある堂々たる石の橋に対して、弓削神社の前にある『哀れっぽい』木の橋こそが日本文化、いや日本の美の象徴であると思い続けてきたのである。『はし』は本来繋ぎ合わさっていないもの、たとえば人間と神()、此岸と彼岸、天と地、男と女を結び合わせる。その意味どおりの橋だった。」と。

 その一文を読み「哀れっぽい」木の橋がどのようなものなのかを知りたいと思い、Webサイトで内子町・弓削神社の太鼓橋を検索した。その写真を見て私は、松本健一氏が「哀れっぽい」と形容した木の橋に惹きつけられた。それは日本人としての感性なのか、それとも私自身の独自の感性なのかわからないが、一度は訪れてみたいものだ。

「内子町」Webサイト

2008年1月17日 (木)

「父の背を」

 1/16(水)日本経済新聞朝刊の文化面で東京・神田のオフィス街の一室に集まる「同巣会(どうそうかい)・ジョ-クサロン」の存在を知った。競い合いながら笑いのセンスに磨きをかけているようだ。記事に載っていた中で気に入ったものをひとつ紹介する。

      父の背を 見て育ったら この程度

「文化服装学院」の輝き

 1/14(月)日本経済新聞朝刊、「人脈追跡」で、「文化服装学院、モ-ド界けん引」「『日本』担うデザイナ-輩出」のコピ-に惹かれ記事を読んだ。文化服装学院の第1世代には、コシノヒロコ、コシノジュンコ、高田賢三(ケンゾ-)、松田光弘(「ニコル」立ち上げ)がいた。

 彼らは「花の九期生」と呼ばれ、やがて世界に羽ばたいた。高田賢三は、「不思議と馬が合い、いつも一緒だった。ジャズ喫茶に通いつめては終電に乗りそびれ、神宮外苑でたき火をして夜を明かしたこともある」と、1958年から1960年の当時を回想している。

 何事を成すにも、先ずは熱い想い、人とのつながり、そして語り合う時間と場は必須用件だ。インターネット・携帯電話など便利なものが幅を利かせている時代だ。ただそのような時代だからこそ、face to faceの直接なコミュニケ-ションを確保できる「青春時代」のような時間と場が人を繋げ、クリエイト(創造)な世界を作りだす。

2007年12月25日 (火)

レッド・ツェツペリン再結成

 12/25(火)日本経済新聞夕刊において、12/10英・ロンドンで一日だけ再結成された1970年代を代表するロックバンド「レッド・ツェッペリン」のライブを見られた音楽評論家の渋谷陽一氏の「期待超えた見事な復活」というリポ-トが掲載されていた。

 1969年に結成された伝説的なロックバンドでロバ-ト・プラント(ボ-カル)、ジミ-・ペイジ(リ-ドギタ-)、ジョン・ボ-ナム(ドラムス)、ジョン・ポ-ル・ジョ-ンズ(ベ-ス)の4人編制のバンドだった。ジョン・ボ-ナムの死去に伴い、1980年に解散した。

 復活ライブではドラムスをジョン・ボ-ナムの息子が叩いた。渋谷氏によれば「この日はまるで親父が乗り移ったかのようなプレ-を見せてくれた 「6週間の徹底したリハ-サルを行った。ステ-ジでもストイックに音と向き合った。その成果が勝利につながったのである」とそのリポ-ト記されていた。音楽もスポ-ツもスタンスは同じだ。

2007年12月19日 (水)

「レッド・ツェッペリン」一日だけの復活

 ロック史に永遠に残るイギリスの伝説的なハ-ドロックバンド「レッド・ツェッペリン」が、12/10、ロンドンで19年ぶりに一日だけの復活コンサ-トを開催したと、12/12朝日新聞朝刊で報じられていた。1970年代、世界中で圧倒的な人気を誇ったロックバンドである。1971年の初来日公演は日本の音楽史上に残る伝説となった。

 高校時代に、初めて買ったロックのレコ-ドが、「レッド・ツェッペリンⅡ」というアルバムだった。ジミ-・ペイジのリ-ドギタ-に酔いしれた。アルバムジャケットの飛行船「ツェッペリン号」の図柄が印象深く残っている。そのレコ-ドがわが部屋に残っているかどうか捜してみたがなかった。恐らく誰かに貸したままになっているのだろう。

2007年12月 8日 (土)

Cinema 「夕凪の街 桜の国」

奈良シネマクラブ第141回例会兼奈良県映画センタ-上映会
【日時】 12/8(土) 19:00  12/9(日) 9:45
【会場】 奈良市・学園前ホ-ル
【入場料】 一般1,500円 中高生600円

第161回けいはんな映画劇場
【日時】 12/13(木)①10:30 ②14:00  12/14(金)①10:30 ②14:00 ③19:00  12/15(土)・12/16(日)①10:30 ②13:30 ③16:15
【会場】 けいはんなプラザメインホ-ル
【入場料】 一般1,000円 中学生以下700円

「夕凪の街 桜の国」公式サイト

2007年12月 2日 (日)

「その男の人生をCMで」

 伝説のギタリスト、エリック・クラプトンの人生を綴ったCMが、アルバム「ライフタイム・ベスト」、12/5発売記念として12/2(日)~8(土)の7夜連続で一日一話づつ放映される。

 「ある日、彼はギタ-を手にした。ある日、彼は伝説となるバンドを組んだ。ある日、彼は薬物依存症になった。ある日、彼は愛息を失った。ある日、彼はアルコ-ル依存症になった。ある日、彼は音楽を再びはじめた。ある日、彼はギタ-の神様と呼ばれるようになった。そして、今年、彼は生涯をかけたアルバムを作った。彼の音楽をどれだけ知っているだろうか、彼の人生をどれだけ知っているだろうか。」 (12/2朝日新聞朝刊全面広告コピ-より)

【放映時間】 毎日放送(4チャンネル) 「情熱大陸」「NEWS23」「ブロ-ドキャスタ-」に続きオンエア。
(日)23:30頃 (月)24:25頃 (火・水・木)23:50頃 (金)24:35頃 (土)23:24頃

「エリリック・クラプトン『ライフタイム・ベスト』」Webサイト

2007年11月18日 (日)

小学生バンドフェスティバル【結果】

 11/17(土)大阪城ホ-ルで開催された第26回全日本小学生バンドフェスティバルの奈良県勢の結果は次のとおりです。

【金賞】 生駒市立桜ケ丘小学校 
【銀賞】 生駒市立俵口小学校

「全日本吹奏楽連盟」公式サイト

2007年11月17日 (土)

「関西文化の日」今年で5年目

 11/17(土)・18(日)は「関西文化の日」キャンペ-ンが行われます。「関西から文化力」をキャッチフレ-ズに関西2府4県内の美術館・博物館などの318の文化施設において、11月の一定期間、常設展に限り入場料が無料となります。

「関西文化.com」Webサイト

2007年11月16日 (金)

小学校バンドフェスティバル&マ-チングコンテスト開催

 第26回全日本小学校バンドフェスティバル、第20回全日本マ-チングコンテストが、11/17(土)、18(日)に大阪城ホ-ル(JR大阪城公園駅下車)で開催される。11/17(土)にはマ-チングバンドが大阪城天守閣前庭をパレ-ドする。
 小学校バンドフェスティバルには、奈良県代表の生駒市立俵口小学校・桜ケ丘小学校の両校が出場する。

「全日本吹奏楽連盟」Webサイト

2007年11月11日 (日)

伊勢迄歩講(いせまであるこう)

 年末から元旦にかけて、大阪・京都から伊勢まで歩く「伊勢迄歩講」(いせまであるこう)という企画が大阪ユ-スホステル協会主催で実施される。旅の原点である歩くことを通して自然や歴史・文化に触れる。参加者募集中!

【大阪コ-ス】 (170キロ) 12/28出発・大阪・玉造稲荷神社→奈良→榛原→御杖→伊勢内宮1/3:00解散 参加費:38,000円
【京都コ-ス】 (170キロ) 12/28出発・京阪宇治駅→奈良(奈良コースと合流) 参加費:38,000円
【榛原コ-ス】 (100キロ) 12/29出発・初瀬の宿舎(30日から大阪コ-スと合流) 参加費:33,000円
【問合せ】 大阪ユ-スホステル協会 06-6205-4723

 かつて、江戸時代に農民・町民等の庶民の移動は制限されていた。しかし、「お伊勢参り」だけは例外的だった。道中において今で言う観光をしながら「伊勢神宮」をめざす。日常の辛苦から離れた庶民の夢であった。「一生に一度はお伊勢参り」。

 当時の庶民にとって伊勢参りの費用は多大な額だ。「お伊勢講」と言う仕組みが支えた。それぞれが金銭出し合い積立金とする。その中から誰が行くかを「くじ引き」で決める。「講」の全員がいつかは当たるよう配慮されていた。選ばれた者は、「講」の代表として伊勢へ旅立つ。ただ、その者には道中の見聞等の情報・知識をその講に所属する者に伝達する義務があった。

 人は宗教心の有無に関係なく、「聖地」を求めて歩む。「サンチャゴ巡礼路」「お遍路」「お伊勢参り」。古来より現代まで、すたれることもなく続いている。それは「旅」であり、原点は「歩く」ことだ。

 

2007年11月 1日 (木)

「日本の史跡101選」

 日本経済新聞朝刊に、「出かけよう日本の記憶をたどる旅へ」というキャッチフレ-ズで「日本の史跡101選」が連載されている。下記のWebサイトでも見ることができる。朝、通勤電車の中で読むと旅情をそそられる。

「日本の史跡100選」Webサイト

2007年10月24日 (水)

秋篠寺 「十五夜の宴」

 10/27(土)、奈良・秋篠寺で「十五夜の宴」が開催される。作家・堀辰雄が「東洋のミュ-ズ」と賞賛した「伎芸天立像」などが夜間拝観できる。沖縄・インド・中国の民族音楽を聴きながら幻想的な雰囲気でお月見を楽しむことができるかもしれない。詳しくは下記のWebサイトを参照!

「らほとも.com」Webさいと

2007年10月21日 (日)

生駒中学校 吹奏楽で金賞!

 第56回全日本吹奏楽コンク-ル「中学の部」が、10/20(土)に東京・杉並区にある「普門館」で「中学の部」が開催された。関西代表である奈良県生駒市立生駒中学校が「金賞」を獲得した。同コンク-ルには各地区代表の中学校29校が参加した。金賞は9校だった。

「社団法人全日本吹奏楽連盟」Webサイト

2007年10月12日 (金)

第55回全日本吹奏楽コンク-ル

 第56回全日本吹奏楽コンク-ルの中学校の部が、10/20(土)に東京・杉並区にある「普門館」で開催される。関西代表として生駒市立生駒中学校が出場する。同部は部員数86名で、平成10年以降、毎回同コンク-ルに出場し、金賞5回、銀賞2回を受賞した。

「社団法人全日本吹奏楽連盟」Webサイト

2007年10月11日 (木)

第59回正倉院展

 日本の歴史的宝物を間近で見ることができる「正倉院展」が開催されます。

【開催日】 10/27(土)~11/12(月)
【会場】 奈良国立博物館

【奈良国立博物館】Webサイト

2007年10月 5日 (金)

「トプカプ宮殿の至宝展」

~トルコ・イスタンブ-ル歴史紀行~
 オスマン帝国の威容をしのばせる至宝展。昨晩、近鉄奈良線・生駒駅近くのの居酒屋で隣にいた壮年3人組が、ほろ酔い気分でこの展覧会の話をしていた。トルコ・イスタンブ-ル・シルクロ-ドなどの単語が耳に入った。彼らの風体からして芸術とは無縁なように見えたが、人間なんてわからないものだ!

「京都文化博物館」Webサイト

2007年10月 4日 (木)

シャガ-ルがやって来る!

 愛と幻想を描き色彩豊かなマルク・シャガ-ルの展覧会が開催される。

生誕120年記念 「シャガ-ル 愛と自然の讃歌」

【開催期間】 10/6(土)~12/16(日)
【会場】 奈良県立美術館

奈良県立美術館」Webサイト

2007年10月 1日 (月)

天衣の面影

 著名な編集者・著述家である松岡正剛氏が、先日亡くなられた山口小夜子さんの送る会の模様を「セイゴチャンネル」は9/21、「千夜千冊」は9/22にWebサイト上で写真入りで記されていた。「山口小夜子さんを送る会」のメッセ-ジカ-ドの「自分のからだと心の関係、死とか生とか、そういう精神とからだの関わりを探っているというか、見つけようとしている旅なのかなと思うんです。」という彼女の言葉が心に刻み込まれた。山口小夜子さんはファションモデルの枠にとどまらない天の衣を身にまとった表現者だった。

「セイゴチャンネル」Webサイト

「松岡正剛の千夜百冊」Webサイト

2007年9月29日 (土)

講座 「親もこどもも楽になる子巣立ちコ-チング」

~こどもの自立を願う保護者ヘ~
 「こどもの自立は大切」だと頭の中で理解していても、現実は全く違う行動をしていしまい、こどもの自立を阻害してしまうこともあります。こどもが自立していく時期は親・こども双方にとってしんどい時期です。 「親離れ」「子離れ」のヒントについて実習をまじえて学ぶ講座が開設されます。

【主催】 大阪市  【実施団体】 (財)大阪市教育振興公社
【日時】 10/25(木)10:00~12:00 より毎週木曜日 全5回
【講師】 岡本彰子さん(財団法人生涯学習財団)
【定員】 20名   【対象】 思春期のこどもを持つ保護者
【会場】 大阪市立こども文化センタ-(大阪市西区北堀江4-2-9)
      地下鉄千日前線「西長堀駅」下車       
【締め切り】 10/15(月)
【問い合わせ】 (財)大阪市教育振興公社 06-6348-8208

2007年9月26日 (水)

クアルテ-ト☆クアトロシェントス

会田桃子アルゼンチンタンゴ四重奏団コンサ-ト
【日時】 9/30(日) 14:30開場 15:00開演
【会場】 なら100年会館中ホ-ル
【入場料】 3,500円

「なら100年会館」Webサイト

「会田桃子タンゴ楽団」Webサイト

大阪メチャハピ-祭

 10/8(月・祝)、踊り子の祭典である「大阪メチャハピ-祭」が大阪城ホ-ルで開催されます。Dance! Dance! Dance! 興味のある方は下記Webサイトをご覧ください。

「大阪メチャハピ-祭」公式サイト

2007年9月 8日 (土)

永遠の美神(ミュ-ズ)

 モデル・俳優・ダンスパフォ-マ-であった山口小夜子さんが8/14急性肺炎で逝去された。享年57歳だった。1972年パリコレクションに鮮烈なデビュ-を果たし、1977年、米・ニュ-ズウイ-ク誌に「世界の6人のトップモデル」に選出された。19701980年には資生堂の広告・ポスタ-を飾った。長い黒髪のおかっぱ頭、切れ長の瞳という日本人形を髣髴させる日本的・東洋的神秘を醸し出す美しい容姿に当時大学生だった私は魅了された。

彼女が亡くなって各新聞紙上では惜別・追想歌が掲載された。以下抜粋して記す。

「私が山口小夜子という美しい名前をはじめて知ったのは、多くの人々がそうであるようにパリでモデルとして華々しくデビュー・・・・資生堂のポスタ-の中で、国境や人種や文化の違いを軽々と超えた美の世界に登場なさった時でした」(森村泰昌・美術家)

「小夜子さんが布をまとうと、それが服になった」 (三宅一生・デザイナ-)

「相手の光を受け入れて自らも輝く月のような存在」 (松岡正剛・評論家)

「カメラの前で静かに動き続けた空気と戯れるような動きは、身体表現の域に達していた」「小夜子さんの魂が月の光をまとって帰ってくるかもしれない。そんな夢想に誘われる」(西岡一正・朝日新聞記者)

太陽よりも月が似合う蜻蛉(かげろう)のような『幽玄の美』に思わず引き込まれた」「多くの神秘性を残した『かぐや姫』のように真夏の夜空に旅立った」 (小林明・日本経済新聞編集委員)

それぞれの人々が山口小夜子さんという存在に魅了された。彼女は「着るという意識さえあれば、何でも着ることができるだろうと思っている。空気も、水も」  (「太陽]20002月号)と話した。モデルという小さな枠にとどまらずに演劇・舞踏という世界にまで一人の表現者として踏み込んだ。存在自体が美であり思想であった。永遠の美神(ミュ-ズ)・山口小夜子さんのご冥福を祈る。

参考:朝日新聞(9/5朝刊、9/7夕刊)/日本経済新聞(9/7夕刊)

2007年8月 4日 (土)

「なら燈花会」へ

 明日、8/5(日)から奈良の新しい夏の恒例行事である「なら燈花会」が始まります。「火」と「灯」は原初の時代から人々を魅了し続けてきました。夏の夜に、ふと現世を忘れ幻想の世界に身をおくのも一興か。

「なら燈花会」Webサイト

2007年7月26日 (木)

新聞記事「還暦カミ-ノ」

 7/26(木)日本経済新聞夕刊を見た。「還暦カミ-ノ スペイン巡礼記」という記事に目が吸い寄せられた。キリスト教三大巡礼路の一つであるスペイン北西部、聖地サンティアゴ・デ・コンポステ-ラをめざす「サンティアゴ巡礼路」、800キロの行程を、定年・還暦を迎えた記者が39日間で歩いた紀行文である。

 巡礼・巡礼路には、かねてから興味があった。なぜ、人は、過酷な状況に自らを追いやりながら歩き続けるのか? 人はなぜ、カミ-ノ(巡礼路)を求めるのか? 今日から連載が始まったのを偶然にも知った。毎日の夕刊を楽しみに待ちたい。

 映画「サン・ジャックへの道」は、「サンティアゴ巡礼路」を描いた作品です。詳しくは下記のWebサイトを参照願います。
Webサイト 「サン・ジャックへの道」公式サイト

2007年7月20日 (金)

夏は、「花火大会」

 夏になると「花火」が恋しくなります。さまざまな「花火大会」が全国で開催されます。ひと夏に一度は「花火」を見よう! 下記Webサイトは、全国の「花火大会」の情報を提供しています。

Webサイト「日本の花火」

「天神祭」 大阪っ子の祭

 夏の大阪の恒例イベントである「天神祭」が開催されます。詳しくは下記Webサイトを参照願います。

Webサイト「天神祭」

第61回水都祭

 火と水の祭典である天神祭奉納花火「水都祭」が開催されます。詳しくは下記Webサイトを参照願います。

Webサイト「水都祭」

2007年7月 7日 (土)

薬師寺夏休み寺小屋

 全国から小中学生が奈良・薬師寺に集まり、さまざまな学年の人たちといっしょに「お寺の生活」を体験する。
【日時】 8/3(金)~8/6(月) 3泊4日
【対象】 小学5年生~中学3年生 130人
【参加費】 15,000円 

 スポ-ツの世界以外でも、子どもたちの成長を願いさまざまなプログラムが企画されている。最近とくに子どもたちの異年齢での関係が少ない。同学年だけで行動することが多い。そこに、子どもたちの成長という視点から捉えると、社会性等の大切なものを習得する機会を狭めている。子どもたちが親元を離れ、異年齢の関係へ、また日常とは全く違った世界に身をおく。イベントであったとしても、何かの刺激と契機になる可能性がある。

※Webサイト「薬師寺」
詳細については、上記Webサイト「薬師寺」トップペ-ジ 「お寺の紹介」→「年中行事・定例行事」→「夏休み寺小屋」を参照して下さい。

「ペルシャ文明展」

~煌く7000年の至宝~
 ペルシャ文明の多種多様な遺品をはじめ、名品200余点により、東西交流の拠点であったペルシャの美と歴史の展覧会です。
【開催日】 7/11(水)~9/17(月)
【開催場所】 大阪歴史博物館
【入館料】 大人1300円 高大生900円 中学生以下無料

2007年6月30日 (土)

企画展「日中考古学交流のさきがけ」

50年前の訪中考古学視察団の足跡
 日中国交正常化以前、1957年、考古学者たちが訪中し中国考古学の状況を視察した。その画期的な出来事も風化しつつある今、当時の視察団の足跡をたどる企画展である。

【開催日】 6/30(土)~7/29(日)
【開催場所】 奈良県立橿原考古学研究所付属博物館
【観覧料金】 大人400円、高大学生300円、小中学生200円
詳細は上記Webサイト「奈良県立橿原考古学研究所付属博物館」をクリックしてください。

2007年6月29日 (金)

ハトシェプスト女王が判明!

 6/28(木)朝日新聞朝刊の掲載記事によると、エジプト文化省が、古代エジプトのハトシェプスト女王のミイラを特定したと発表した。同女王はエジプト第18王朝の統治者だった。1903年、英国の考古学者であるハワ-ド・カ-タ-が「王家の谷」で発見した2体の女性ミラのうちの1体である。その当時は、誰のミイラかは不明のままだった。今般、CTスキャナ-、DNA鑑定で、1世紀ぶりにハトシェプスト女王であることが判明した。ハワ-ド・カータ-は、そのミイラ発見の19年後の1922年に、有名な「ツタンカ-メン」を発見した。今回の判明は、「ツタンカ-メン以来の重要な発見である」と考古学会は興奮気味である。

2007年6月23日 (土)

第38回奈良新聞川柳大会

 夏の恒例行事「奈良新聞川柳大会が開催されます。
【日時】 7/29(日) 10:00~
【会場】 奈良県文化会館小ホ-ル(奈良市登大路町・「県庁前下車」)
【会費】 3,000円
※詳細については、奈良新聞Webサイトトップペ-ジ左サイド中段「注目の情報」を参照してください。

奈良女子大管弦楽団プラハ公演

 6月19日奈良新聞の掲載記事によると、奈良女子大学管弦楽団が来年3月10日にチェコ・プラハにあるスメタナホ-ルで海外公演を行う。ドボルザ-ク交響曲第9番「新世界」、ビゼ-交響曲第1番等を当地で演奏する。

2007年6月20日 (水)

講座「生活改善のアドバイス」

【奈良新聞社 市民公開健康講座】
病気に対する正しい知識と健康について考える講座が開催されます。
【日時】 7/19(木) 14:00~15:00
【場所】 奈良市・学園前ホ-ル
【講師】 高の原中央病院 副院長・西村公男医師
【定員】 300名
【問合せ】 奈良新聞社企画部 Eメ-ル planninng@nara-np.co.jp

2007年6月18日 (月)

Art 「舞台芸術の世界」

~ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン~
20世紀のはじめにヨ-ロッパで注目を浴びた「ロシアバレエ団」の輝きに満ちた舞台芸術の品々の展覧会
【開催期間】 6/9~7/16
【開催場所】 京都国立近代美術館
※詳細は上記美術館Webサイトを参照してください。

2007年6月17日 (日)

講座「メタボリック・シンドロ-ムって何?」

 メタボリック・シンドロ-ムの予防法や運動療法のちょっとした工夫などの講演がある。
【開催日】 6/30〈土) 14:00
【場所】 奈良県立奈良病院(奈良市平松1丁目)
【受講料】 無料   【募集人数】 先着100人
【問合せ】 同病院 0742-46-6001

2007年6月 9日 (土)

Concert 「インド古典音楽&舞踏の夕べ」

インドのトップア-ティストの公演。打楽器パカワジ、弦楽器シタ-ル&インド舞踏。
【開催日】 6/17(日) 18:00
【会場】 「アジア食堂Rupa」 (奈良市柳生町)
【出演者】 ミュシュラ、スラワニ・ビスワス、シュルティ-・ビスワス
【入場料】 一般2,500円 中学生以下1,000円

Art 「ティアラ展」

華麗なるジュエリ-の世界。高貴な女性たちの頭上を飾り続けた 「ティアラ」約100点を展示。
【開催日】 6/9(土)~7/22(日)
【開催場所】 京都文化博物館 (京都市中京区)
【入館料】 一般1,300円 高大学生900円 小中学生600円

2007年6月 1日 (金)

Concert 「奈良交響楽団」

奈良交響楽団 第49回定期演奏会
【開催日】 6/17(日) 13:30 
【会場】 奈良県文化会館国際ホ-ル
【曲目】 シュ-ベルト「交響曲第8番」、 ビゼ-「カルメン組曲」ほか
【入場料】 1,000円

Event 「弥生琴の音色を復元する」

帝塚山大学市民大学講座 
【開催日】 6/9(土)14:00 
【開催場所】 帝塚山大学(奈良市帝塚山7丁目)
【講師】 深沢芳樹氏(奈良文化財研究所) 
※聴講無料・申込不要

2007年5月29日 (火)

河瀬直美監督 「殯(もがり)の森」 グランプリ受賞

 奈良市出身の河瀬直美監督(春日中→一条高校)の作品「殯(もがり)の森」が、5/28、第60回カンヌ国際映画祭で、最高賞パルムド-ルにつぐ2席のグランプリを受賞した。
 受賞のスピ-チで、「目に見えないもの 誰かの思いとか、光とか風とか、亡くなった人の面影とか 私たちはそういうものに心の支えを見つけたときに、たった一人でも立っていられる、そんな生き物なのだと思います」と彼女は語った。河瀬直美監督の人生観・世界観が独特で誌的な映像の根源なのだろう。

2007年5月19日 (土)

日光・月光菩薩の二人旅

5/19(土)奈良新聞掲載記事によると、薬師寺金堂の「日光菩薩」「月光菩薩」が初めて二体そろって、来春、東京博物館で開催される「国宝薬師寺展」に出展することが決まった。白鳳時代に作られた日光・月光菩薩は、国内の仏教彫刻で最高傑作のひとつであり国宝に指定されている。

白鳳時代から寺内にある二体のうち、「月光菩薩」は、昭和46年に一度だけ東京へ赴いた。「日光菩薩」は初めて寺外に出る。亀井勝一郎「大和古寺風物誌」の中で、「白鳳仏にこもる祈りは柔軟に音楽的なのだ」と記した。来春、東京博物館にて、芳しい「音楽」を奏でるであろう。「日光菩薩」「月光菩薩」の二体の初旅の無事を祈る

2007年4月14日 (土)

「星の王子さま」原画1枚発見

 4/4(水)朝日新聞朝刊第一面の記事に、サンテグジュペリの「星の王子さま」の挿絵に使われている原画1枚が、「えほんミュ-ジアム清里」(山梨県)の所蔵品から見つかったとの記事が掲載されていた。サンテグジュペリ自筆の「星の王子さま」原画は47点あるとされるが大部分は行方不明である。5点だけは確認されている。今回の原画が見つかったことにより6点となった。1994年、東京の古本市で美術館の主宰者が偶然見つけたものである。今般、サンテグジュペリ研究者に鑑定を依頼し本物であることが確認された。

2007年3月17日 (土)

「昭和の町」へ

 昭和の町が国東半島、大分県豊後高田市にある。昭和30年代をイメ-ジした全長550メ-トルの商店街が生き返った。さびれた商店街が「ひとつのコンセプト」を生み出し、集い、町としての人と人との息づかいが復活した。(興味のある方は、文中の「昭和の町」をクリックしてください。)

「ワルツ」~放浪修行~

2006.12.27朝日新聞朝刊「独・マイスタ-への登竜門~放浪修行 陰る伝統」という記事を、興味を持って読んだ。ドイツでは中世以来の徒弟制度の伝統を受け継ぎ手工業の技を次代に伝えるマイスタ-制度がある。マイスタ-(親方)でないと独立・開業が認められない。マイスタ-になるためには、工場・職業訓練学校などで3年間学び、「ワルツ」という放浪修行・工場・企業実務体験のどちらかを経て、マイスタ-試験に合格して、マイスタ-の資格を取得できる。

中世から続く手工業職人の修行者を「ワルツ」と呼ぶ。修業期間は「3年と1日」である。3年間徒歩かヒッチハイクで各地を放浪し、仕事現場に飛び込み親方(マイスタ-)の職人技を習得する。修行中の3年間は親の死亡時、大病などの他は故郷の半径50キロ以内に立ち入れない。「ワルツ」には決まりごとがある。服装は大きな帽子、黒づくめの服、ジャケットにズボン、ベスト姿、ジャケットに6個、ベストに8個のボタンがある。「週6日、18時間働く」ことを意味する。帽子は食事、睡眠、祈りなどの以外は着用する。持ち物は杖と布包みである。役場で手帳にスタンプをもらい、放浪先を証明してもらう。30歳以下の独身に限る。

ある若者の放浪メモが紙面に掲載されていた。「仕事がある時以外はほとんど公園か駅で寝泊りする」「洗濯は川や湖、公衆トイレで」「仕事にありつけないまま国境を越えた。零下15度、ヒッチハイクしようにも車がこない」「一文無し、野宿した公園で遠いかかりの英国人旅行者に朝食をごちそうになる」「ミュンヘンでサッカ-W杯開幕、はためく、ドイツ国旗の中を歩いて孤独感が癒された」。「ワルツ」に臨む若者たちは、ここ数年300400人だそうだ。年々減少しているという。職人をめざす若者たちも減り、マイスタ-制度も大きな変革と見直しの時期がドイツに訪れている。「ワルツ」という苦労を経て「マイスタ-資格」を取得しても職業とし維持できない現実がある。「時代遅れ」として伝統は消えていく。

「ワルツ」という名称は素敵な名である。資格を取得するための修行としては、確かに時代錯誤的な面があり衰退していくことに歯止めはできないだろう。しかし、「放浪の苦労は若者にとってかけがえのない宝、豊かな時代になって数が減るのは避けられないが、伝統はやすやすとなくならない」という職人組合幹部の強い言葉が印象的であった。

2007年2月24日 (土)

長野県歌「信濃の国」

223日〈金〉付、朝日新聞朝刊に『県歌 長野はなぜ熱い?』という記事が掲載されていた。息子が長野市に住んでいるので、興味を持ってその記事を読んだ。

1899年、長野師範学校(現・信州大学教育学部)の教師が小学生向けに作詞し、翌年、同じ学校の音楽教師が運動会での女子ダンスように作曲、師範学校の卒業生が、各地の学校で広まった」。この歌を長野県の伝説にしたのは、「1948年の県議会。南北に広がる長野県は山や谷で地域が隔てられ、『信州合衆国』と言われるほど地域間対立が激しかった。この年、県庁の一部焼失を機に、北の長野と南の筑摩で分県論が激化。分県案が採決されようとしたまさにそのとき、傍聴席から『信濃の国』の大合唱がおこり、結局、分県案は流れたという実話だ」。

この歴史を踏まえて、1968年、長野県は『信濃の国』を県歌に制定し、多くの県民が歌うようになった。日本には「国歌」があると同じように、各都道府県にも「歌」がある。ただ、大阪・兵庫・広島・大分の4府県は制定していない。各都道府県の「歌」の中で、ご当地において歌われている頻度が多いベスト1が、長野県歌「信濃の国」である。通信カラオケにもあるようだ。日本で唯一、カラオケで歌えるのは「信濃の国」である。県庁電話の保留メロディ、出初式、小学校運動会でも使用されている。長野青年会議所は英語版のCDも作成した。長野県下、シングルCD2005年度年間売り上げベスト1を記録していることからもわかるように、長野県民にとって、県歌『信濃の国』は大切な歌のようだ。「歌」は、人々を繋ぎ結びつけるものである。そこに住むものにとって、みんなといっしょに歌える「歌」があるということは素敵なことである。共有できるものが、人々の「幸せ」を紡ぎだす。

2007年1月 3日 (水)

東京駅復元計画

2007年元旦、日本経済新聞紙上の「東京駅 昔の姿に」という記事を読んだ。当時設計を担当した東京帝国大学工科大学学長であった建築家・辰野金吾の断片的な設計図を下に1914年当時の姿に東京駅丸の内駅舎を復元する。2011年度に完成予定である。

経済的な視点から、首都の玄関口の一等地を有効活用することを考えれば、近隣エリアで高層ビジネスビルが林立したのと同様に、さまざまな経済的な収益を生み出す、駅とビジネス機能を併せ持った高層ビルを建設するのが得策である。しかし、今までのような経済中心主義でほんとうによいのだろうか?

「東京駅」は日本を代表する駅である。荘厳なレンガ造りの丸の内側駅舎は建築として国の重要文化財に指定されている。日本で「駅(ステ-ション)」は人々の暮らしが交差する文化的な場所である。建築としてのみならず文化的機能として、首都の玄関駅以上の価値をもっている。「東京駅復元計画」が、「経済」から「文化」へ重点をシフトする契機となることを願っている。

最近の写真

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  • 12:10 鴻ノ池陸上競技場へ到着
  • 11:08 近鉄奈良駅前「シャンブル
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