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2009年11月10日 (火)

夕暮れ時に、富雄川沿いを歩きながら

 11/8(日)夕暮れ時、高校サッカー奈良大会決勝を観戦した後に、近鉄富雄駅から自宅への道を歩いていた。選手・スタッフが一生懸命取組み、保護者が声援を贈る姿に感銘を受けた余韻を引きずりながらも、ふと、「Good Game」であったろうか?と自問していた。結論は「Good Game」ではなかったと、すこし物憂い気分で歩いていた。

 富雄北商店街のはずれから富雄川沿いに出たところで、息子の携帯へ電話を入れた。いつもどおり面倒くさそうな声で出た。

「今日、高校サッカーの決勝を見てきた」
「どうやった?」
「一条が、5-0で勝った」
「ああ! ソレステの子は?」
「一条に4人、育英に4人がエントリーされていた」
「出てたんか?」
「ああ、スタメンで出てた! 頑張ってた!」
「そう!」
「今晩のパルセイロの懇親会には参加でけへん。みんなによろしく」
「ああ、また」

 息子の出身校は敗れた。ただゲームの内容は一切私に聞かなかった。ただ、「ソレステ」の子どもたちのことを聞いた。私にはそのことが嬉しかった。恐らく名前も顔も知らないかもしれないが、息子にとって小学校・中学校年代、サッカーで過ごした場所と人の記憶のつながりが、「ソレステの子は?」という言葉に現れたのかもしれない。私の物憂い気分が晴れた。息子自身のサッカーの出自は、しっかりと自分自身の心の中に刻み込み続けて欲しい。そのことが父親としてのささやかな願いである。

「AC長野パルセイロ」公式サイト

2009年10月 3日 (土)

「長野市立昭和小学校」へ出向いたのか!

2009927_001  10/3(土)早朝に「AC長野パルセイロ」公式サイトを閲覧した。「ホームタウン長野出張交流事業」で、9/30に「長野市立昭和小学校」を出張訪問した時の記事が掲載されていた。その記事を読むと、私の息子も参加したことを知った。

 「長野市立昭和小学校」は、4年近く前に私の息子が大学を卒業して、信州・長野市へ出向いて初めて勤めた職場だ。教員ではなくあくまで用務員として働き始めた。その頃は、小学校で一日用務員として働き、夜に長野エルザ(現:AC長野パルセイロ)の練習・試合に取り組んでいたのだろう。

 子どもたちと接する機会はあっただろう。教員ならいざ知らず用務員という仕事柄では、息子が好きなサッカーを伝えたくとも伝えることはできなかっただろう、フラストレーションがあっただろうと,父親としては推測している。

 9/30、AC長野パルセイロの一員として、自分自身の初めての職場へ出向き、子どもたちに接する機会をいただいた。子どもたちサッカーを通じて接する中で、息子にとって、何らかの想いが脳裏に湧き出ただろうか? 自分自身の子どもの頃は?、今までの自分自身のサッカー人生は?、AC長野パルセイロというクラブの存在意義は?、子どもたちに自分自身は何ができ伝えることができるのか?等々。

 Jリーグのクラブ・選手だけがサッカーの楽しみ・喜びを伝える伝道師ではない。それ以外のクラブ・選手の方が圧倒的に多数の中で、「グラスルーツ(草の根)」の中でこそ、サッカーの楽しさ・喜び、生きることの大切さを伝えきらなければならない。

 無名であったとしても、息子が26歳になるまでサッカー選手として続けて来られたのは、さまざまな人々が「積み石」をしていただいた想いの結晶としてある。だからこそ、自分自身が紡いできたことを子どもたちに伝え繋ぐことに、主体的に取り組んで欲しいと願っている。

 選手としてピッチにたつかどうか、活躍するかどうかなど父親としては些細なものだ。根源的な意味において。本当にサッカーが好きだという証は、自分自身が一生懸命に取組み、成果は別にしてもおとなたちに対してではなく子どもたちに対して好きなことを伝えきれるかどうかだと思っている。そのことがサッカーに取り組んでいる息子に対しての父親の「評価」だ。

 「長野市立昭和小学校」の子どもたちに、まず子どもたちのことを第一番に考えて接しただろうか?息子は本当のサッカーの楽しさを伝えることができたのだろうか?自分自身が好きなことを素直に表現できただろうか? そのことは伝わったのだろうか? とちょっぴりと気がかりでいる。

 価値ある事業を創出し継続されているAC長野パルセイロに対して心からの敬意を抱いている。10/17(土)千葉県・市原スポレクパークへ全国社会人サッカー選手権大会応援のため出向く。まずは大会二連覇を、選手・スタッフ・サポーター一同の奮闘と魂闘を、まほろば奈良の地から祈念する。

「AC長野パルセイロ」公式サイト

「長野市立昭和小学校」Webサイト 

2009年9月 5日 (土)

息子に声を掛けずにスタジアムを出た

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 8/30(日)午後3時過ぎ、ゲーム終了後、表彰式も見ず、息子に声を掛けずに「アルウィン総合球技場」を出た。ゲームに敗れたすぐに父親の顔など見たくもないだろう。息子は私が「アルウィン」に来ているかどうかは知る由もないだろう?行くと連絡もせず、来たとも知らせず、黙してスタジアムをあとにした。

 予約して来てもらったタクシーに乗り、JR松本駅までの途上、自責の念が生じた。ハーフタイムに誘惑に負けて、イワナの塩焼きを食べてしまったこともパルセイロの敗因に加担したと自分勝手に思い込んだ。妻にも言わずに信州・松本まで日帰り観戦した。そのことが漏れれば、妻は必ず言うだろう。「あんたが、応援に行くから負けるねん!」と。妻の姿を思い浮かべると憂鬱な時が流れた。

2009年7月22日 (水)

信州の息子から電話が架かってきた!

 7/22(水)21:58 信州にいる息子から携帯に電話が架かって来た。日頃は、私から、また息子からも電話のやりとりはしない。携帯メールなど論外だ。なぜ? お互いにメールアドレスを知ることもないから。今晩、久しぶりに息子から電話が架かった。「誕生日やから?」 と。

 私の56歳の誕生日の夜に、息子が電話などを架けてくる必要もないと思いながら、ちょっぴりと嬉しくもあることは事実だ。「ケガはしていないのか?」と聞くと、「ケガはしていないけど、ちょっと、調子が悪い。」という。「お前は、いつも調子がわるいやんけ!」と言葉を返すと電話の向こうで、息子は私の冗談を受けとめていた。

 「最終戦、新潟へ来るの?」と息子は私に聞いた。AC長野パルセイロが最終戦に消化ゲームのような状況になれば、誰が、まほろば奈良の地から遠路はるばる越後の地まで、高価な資金投入をして出向けることができるのだろうか?

 今週末、ホームグラウンド南長野で、AC長野パルセイロがツエーゲン金沢戦に勝利し、同日、Japan SC 対 松本山雅FCが引き分けた場合、最終戦、新潟で、AC長野パルセイロ対Japan SCの勝者が北信越フットボールリーグの覇者となる。その場合には出かけるかもしれない?と私は答えた。

 今日、氏神様「御幸森天神宮」へ出かけ、そこで、息子が所属してきたクラブの魂闘を願い祈ったことを息子に伝えた。もしかしたら、息子は心の中で笑止しているのかもしれないが、一人の父親としてのささやかな想いなのだ。わが56歳の誕生日に、AC長野パルセイロの魂闘を心から祈念する!!

「AC長野パルセイロ」公式サイト

2009年7月 3日 (金)

[パルセニスタ」からのメール

 1ヶ月前、6/6(土)信州・長野からメールが届いた。自称「生粋のパルセニスタ」(長野パルセロナファン)の男性の方からだった。恐らく30歳代後半の男性の方なのだろうか?長野の地で生まれ育ち、7歳の息子さんがいらっしゃると記されていた。息子さんと共にAC長野パルセイロを応援されているという。

 
私の息子のことについて、印象を書いていただいていた。素直にありがたいことだと感謝している。「一番好きな選手」、「サッカーに餓えてる、勝ちに餓えてる雰囲気が一番漂っている」。その方の「ファンになる基準」は「敗者の姿」で「その負けた時の“立ち姿”」が良いのだそうだ。味わい深い言葉だと父親として思う。

 息子は学園南保育園でボールと出会い、小学校時代、見てくれはサッカーだったように見えるかもしれないが「ボール遊び」に興じ、中学校から初めて「サッカー」という競技を始めたように思う。それから高校・大学そして長野エルザ、クラブ名が変更になりAC長野パルセイロと、能力の如何は別にして競技としてのサッカーに取り組み続けてきた。

 父親としてゲームを観戦した数は、一般的に熱心な保護者と比べて少ない部類になるだろう。その数少ないゲームを振り返ると、「敗れた」時の息子の姿が脳裏に残存している。極端に言えば「敗れた時の姿」ばかりのように思える。

 書家・相田みつをさんの「一生感動 一生青春」という本の中の「負ける練習」という詩がある。「負け方や受身の ほんとうに身についた人間が 人の世の悲しみや 苦しみに耐えて ひとの胸の痛みを 心の底から理解できる やさしく暖かい 人間になれるんです。」

 続く一文で、「子供の頃から、負ける練習、失敗の練習、恥をさらす練習をたっぷりさせておくことです。そして、負けに強い人間、失敗に強い人間、恥をさらすことを恐れない人間に育ててやることが、子供の一生を通しては幸せなのではないかと思うのです。」と。

 父親として意図的に「負ける練習」の環境づくりをするのは難しい。おそらく、「サッカー競技」が、息子を育てる一番大きな環境を作り出したのだろう。でき得れば、サッカー競技の世界で、今まで息子を叱咤しながら指導していただいた人々
、また信州・長野の地のさまざまな人々の支えをいただきながら、「人の世の悲しみや 苦しみに耐えて ひとの胸の痛みを 心の底から理解できる やさしく暖かい 人間に」なることを、父親としては唯一願っている。

2009年5月28日 (木)

「ショーヘイコール」を聞いて

 今晩、なにげなくインターネットで、興味ある言葉や知人・家族の名を入力して検索していた。偶然にも、昨年か一昨年かはわからないが、南長野運動公園総合球技場でのAC長野パルイセイロのゲームで、息子の名がサポーターからコールされているビデオと偶然に遭遇した。有り難いものだ。

ビデオ」Webサイト

2009年5月23日 (土)

JR長野駅前 海鮮酒家「北の家族」にて

Img  5/17(日)18:00、JR長野駅前の「東急百貨店」前の広場で息子と待ち合わせた。「何を食べる?」と聞くと、「何でもいい、居酒屋でいい!」と言うので、昨年末に一人で立ち寄った「飛騨」へ行ったが、残念ながら日曜日なので休んでいた。一作年に二人で入った「花の舞」を通り過ぎ、「東急百貨店」北側にあった「海鮮酒家 北の家族」に入った。

 北海道直送というだけあって魚はおいしく、店の雰囲気もよかった。小部屋のようにパーテーションで区切られていたのでちょっとした隠れ家気分だった。ひもじい思いをしているのかどうか知らないが息子はよく食べる。私はと言えばそれほど食欲もなく、その姿につられながらビールや焼酎を久しぶりによく飲んだ。心地よく酔えた。

 息子にとっては嫌な奴と飲んでいる気分でいるのかもしれないが、私には心地よい気分だった。さまざまな話題が対話として流れ続けた。18:15から飲み始め、はっと気づいたのが21:45だった。3時間30分はあっと言う間に過ぎ去った。、誰にも気兼ねせずに酒を飲んだまれなひとときだった。

 さまざまな話題が出た。「サッカー」がキーワードだった。息子の過去から現在に至るまでのそのサッカー環境、また関わっていただいた人々の名前や現況のことが会話として流れた。現在所属するAC長野パルセイロのサッカー環境の良さ、いままでサッカーをしてきた小中高校・大学のサッカー環境の良さを、私が言うまでもなく息子本人がはっきりと認識していた。

Img_0001  奈良のサッカー環境の変化についてもよく知っていた。友人・知人のネットワークからの情報なのだろう。「信州ダービー」のゲームについては、私が述べる資格などはないので観客として見た感じを少し私は述べたが、別段それ以上の詳細については何も語ることもなかった。

 一般的なサッカーの技術の話題で、「ボールタッチ」という言葉が息子から出た。「ソレステでは、ボールタッチを大切にしてるの?」と聞くので、ソレステ・ジュニアユース指導者である、息子の教育実習の折の指導教官、また中学校時代のサッカー部指導者の名を挙げ、「サッカーの生命線として、一生懸命に取り組んでいる!」と伝えた。私と同様に、いや当たり前のことなのだが、育てるためにも勝つためにも、小中学生にとっての「ボールタッチ」の習得の重要性を息子は私以上に認識していた。

 酒の酔いに身を任せながらも、私は息子の「一途な気持ち」は受け止めた。小・中・高校、大学で、またその他の社会人チームであれば、自分自身がそこでプレーし続けたいと願うならば概ね実現できる。しかし、地域リーグで上を目指すクラブでは、クラブ事情で願いを叶えられないことは当然に在りうるべきだ。ただ、息子の言葉の端々から、クラブがどうであれ、AC長野パルセイロと命運を共にするという、古風で化石的な想い、私流の言葉を使えば「曽根崎心中」的な想いを抱いているのだろうと受け止めた。

 酒を飲み楽しい気分に没入しながらも、これだけは冷静になって息子に伝えて置かなければならないということがあった。一つは、「好きに生きたらええ!」ということ。二つ目は、「サッカーをし続けられている一番の功労者はおかあさんの存在だ!」ということだ。その二つのことだけを、信州の夜に二人だけの会話の中で私は父親として伝えたかった。

 息子と「北の家族」の店の前で別れた。信州・長野の夜道をひとりホテルまで歩きながら、身体能力、サッカー能力が人に比べて劣る息子が、今もサッカー選手としてピッチに立ち、活躍できるかどうかなどとは関係なくボールを追いかけることができているのは、サッカーを始めてから出合った無数の人々、小学校時代の地域のおじさん・おばさん、中・高校、大学時代の指導者、それぞれの仲間たち、そして、AC長野パルセイロの指導者・選手・サポーターの御蔭だと一人の父親として万感の思いを抱きながら、さまざまな人々の顔を想い描いた。感謝!!

「海鮮酒家 北の家族」公式サイト

2009年4月14日 (火)

4/9(木)夜、息子から電話があった!

 4/9(木)21:00、信州にいる息子から携帯に電話がかかってきた。今年の正月から会ってはいないだけでなく、私の方から電話をかけることも、また、かかってもこなかった。久しぶりの声を聞いた。奈良はすでに桜が満開だと伝えた。長野は桜の気配もなく、まだ寒いと言う。

 住んでいるマンションは同じだが部屋が変わった。股関節が激しく痛み、休養をとりトレーニング・ゲームを休んだ等を息子は私に伝えた。祖母の具合も心配して聞いてきた。鶴橋の実家近くの施設に入り元気だということを伝えた。最後に、「4/11(土)から、リーグ戦が始まる!」と言った。「ああ、そうか、また長野へ行くわ!」と自然にその言葉が出た。

 久しぶりに父親に電話をかけてきて、一番伝えたかったのは何だったのだろうか?とふと考えた。部屋が変わったことか? ケガをしていることか? それとも祖母の体の具合なのか? 電話から聞こえてくる息子の声の抑揚から、息子が私に一番伝えたかったことは、「北信越フットボールリーグ戦が始まる!」ということなのではなかったか? 自分自身の意思表示と父親に対するささやかな報告を、リーグ開幕2日前に伝えたのだろう。と私は身勝手に解釈している。

 息子が小学生だった頃、サッカーの試合の前夜、楽しみでしょうがなく、はしゃぎまわっていた時のことを思い浮かべた。信州から私に電話をかけてきた夜、ケガをした憂鬱な気分など感じさせず、おそらく子どもだったころと同じようにワクワクとしていたのかもしれない。その気持ちを誰かに伝えたかったのだろう。

 ケガをしてゲームには出場できないかもしれないが、その状態であったとしてもチーム、クラブのために貢献できることはいくらでもある。好きなものに夢中になればよい。やりきることで何かが産まれる。父親としては、その取組み姿勢と奮闘を祈っている。
 5/17(日)、AC長野パルセイロ対松本山雅FCの「信州ダービー」へ必ず出向く。

2008年11月24日 (月)

息子から携帯メールが届いていた!

 昨日、母が急遽入院したので、今日11:00頃に、大阪・森之宮駅近くの病院へ長女とともに見舞いに出かけた。見舞い帰り、「向こうは、旗が触れないほどの天気みたいやで、雨やて」と長女が私に言った。信州・中野市在住のサポーターが長女に現地情報を携帯メールで送って頂いていた。現地に出かけていらっしゃるのだろう。北九州も雨なのか、寒いのかもしれない。悪コンディシヨなのだろう。長女とは森之宮駅で別れた。

 大阪・鶴橋駅前で遅い昼食を食べようと中華料理「眠眠」へ入った。注文する前に携帯電話で速報を確認した。「AC長野パルセイロ2-3バンディオンセ加古川」の文字を見た時、ショックを受けた。ああ無情、AC長野パルセイロが敗れた。残念至極である。残念会のつもりでビールと酢豚定食(750円)を注文した。

 料理が出てくるまで、ビールを飲みながら携帯電話を見ているとメールが受信されていたことに気づいた。そのメールを開いた。息子からだった。13:43 「負けたわ。」 たったの5文字、それだけだった。返信はしなかった。ただ北九州の地にいる息子を思い描きながら、明日にむかって、やりきればよい!と心の中でつぶやいていた。

2008年11月22日 (土)

武骨なまでに奮闘せよ!

Photo_3   昨日、AC長野パルセイロは長野の町から北九州へ出陣した。長野から東京へ出て、羽田空港から飛行機で北九州へと向かい、現地でトレーニングを行ったという。クラブにとっての晴れの舞台である。わが息子もそのクラブに所属している。クラブ同様、息子にとっても、小学校年代からサッカーに興じて来て、最高の晴れの舞台である。少なくとも父親としてはそう思っている。

 クラブに勝利の女神が微笑むのかどうかはわからない。息子がピッチに立つか立たないか、活躍するかしないか、そのことは父親としては些細な問題だ。何が大切か? 一生懸命、一所懸命にその瞬間をサッカーのために、クラブのために、自分自身のために夢中になることだ。

 息子はサッカーをはじめてから多くの人々の支えを受けて今がある。身体能力に劣っていたとしても、選手として有能でなかったとしても、今までの想いを受けた人々のためにも、全身全霊をかけて大会に望んで欲しいと願う。全国地域リーグ決勝大会の初戦、南紀・紀伊田辺で心から勝利を祈っている。奮闘せよ! 武骨なまでに奮闘せよ! 

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