Books

無料ブログはココログ

2009年12月 8日 (火)

大阪・梅田に、サッカースタジアム建設構想?

 12/8(火)朝日新聞朝刊によると、JR大阪駅から北へ徒歩10分の旧貨物駅跡地(北ヤード)に、収容人数8万人のサッカースタジアム建設構想を、12/7、日本サッカー協会が大阪市へ正式に提案するという記事が掲載されていた。

 大阪の経済界は梅田・北ヤード再開発地の集客力ある目玉施設として期待を抱いている。スタジアム建設は利便性からして最高の立地条件を有している。JR大阪駅、阪急・阪神の梅田駅、地下鉄の梅田駅・東梅田駅・西梅田駅がある大阪で一番のターミナルで周辺は繁華街である。ゲーム観戦後はその余韻を楽しむために素早く繁華街へと繰り出すことができる。

 現実的な問題としては、用地買収に多額の資金を必要とする。大阪市並びに民間との協働での事業主体をなしたとしても、資金調達という困難な壁が立ちはだかる。現在の経済状況下で、大きなプロジェクトに行政・企業が賛同して実行できるか不安視される。国との共同プロジェクトとして、「国立スタジアム」というプランニングもありうるが、昨今の事業仕分けの現況では懐疑的にならざるをえない面もある。

 いずれにしても、「夢物語」が実現するのか、ただの「空想物語」として消え去るのか、興味わく楽しい話題である。

2009年10月16日 (金)

上六・南海飯店へ

上六・南海飯店へ

 金曜日の夜、少し体調不良である。疲労回復、滋養のため、終着駅・近鉄上本町で下車して南海飯店で餃子を食べビールを飲む。又、楽しからずや!(携帯18:55)

 「南海飯店」は上六・「ハイハイタウン」1Fにある。かつてはそこは「ジャンジャン横丁」であった。高校時代によくそのあたりを仲間たちと徘徊した。「ジャンジャン横丁」にあった頃の「南海飯店」へは良く出かけた。餃子一人前とラーメンばかり食べていた。大きな餃子と輪切りの玉子が乗ったラーメンだけを食べるだけで満腹になった。
 まだ、大阪外国語大学が上六にあった頃だった。学生街の匂いが立ち込めていた。今晩、ビールを飲みながら餃子を食べ、学生街だった頃の上六を懐かしく思い出した。(自宅22:00)

2009年10月12日 (月)

千日前・天地書房へ

千日前・天地書房へ
 千日前の「ビッグカメラ」西側にある古書店「天地書房」に立ち寄ってから富雄の自宅へ帰る。(携帯16:30)

千日前・ジュンク堂書店へ

千日前・ジュンク堂書店へ
 鶴橋駅から近鉄電車に乗り、なんばで下車して、千日前・ジュンク堂書店へ立ち寄った。興味深い本があったので買ってしまった。(携帯16:00)

2009年8月16日 (日)

織田作之助文学碑~法善寺横丁~

010 009










「行き暮れて ここが思案の 善哉かな」 (作之助)

法善寺の水掛地蔵

001 002










 8/15(土)午後、姪の結婚祝いを届けた帰りに大阪・なんばに出て、千日前にある法善寺横丁に寄り道をした。たくさんの人々が法善寺の水掛地蔵を拝むために並んでいた。

004 006










 水掛地蔵は供え物として水を幾年にも掛けられつづけて緑の苔で覆われていた。正式名は西向不動明王と言うようだ。千日前、道頓堀、御堂筋という繁華街の中にありながらも、線香の香りが漂い独特な雰囲気を醸し出していた。

2009年7月19日 (日)

「東横堀水辺新聞」を偶然に・・・・

Img_0002  7/15(水)午前、定期健康診断を受診するため、大阪・堺筋本町近くのセンターへ出向いた。一連の検査を受け終わり、職場への帰路、まっすぐに帰るのも一興がない。本町橋のほとりの「濱田屋」でアメリカンコーヒーを飲み、横堀川の水面を眺めていた。

 レジで勘定を済ませようとしていると、「東横堀水辺新聞」が立てかけてあったのが目に入った。無料だとわかりその小冊子を手にとった。職場へと戻る地下鉄の中で読んだ。街中でも、何かを変えて行きたいという行動が実践されていることに、文化を継承してゆこうという想いに感銘を受けた。

「e-よこ会」公式サイト

「濱田屋」公式サイト

2009年7月12日 (日)

「ジャパン・ビアフェスティバル大阪」が京セラドーム大阪で開催

 7/18(土)~20(月・祝)、日本地ビール協会主催の「ジャパン・ビアフェスティバル大阪」が、大阪市西区・京セラドーム大阪で開催される。約50社140種類以上の地ビールが出展される予定だ。

 入場料は当日4300円、地ビールが飲み放題となる。今回で12年目となる。毎年、出かけてみたいという気持ちが湧いては来るのだが、残念ながら実現できてはいない。今年もまた出かけることはできない。

「日本地ビール協会」公式サイト

2009年7月 1日 (水)

大阪・「森之宮プラネットステーション」の装飾

Photo_5 Photo_6










 亡き母が入院中、見舞いの帰りに森之宮駅周辺をよく歩いた。いつだったのだろう。大阪城公園には寄らずに、中央通沿いの坂道を西へ、大阪府立青少年会館に隣接する「森之宮プラネットステーション」へ立ち寄った。その場所は若者たちの「演劇」のメッカ、その日は多くの子どもにも出合った。建物の入口にあった装飾を写真に収めた。

2009年4月19日 (日)

小説「泥の河」の三つの橋に立ち寄って

 4/18(土)午後、「杉本博司 歴史の歴史」展を見て、地下鉄肥後橋駅へ戻ろうと思った。土佐堀川の橋を渡りながら河口の方を見ていると、この河を下った場所が、宮本輝「泥の河」の舞台となった場所だったことを思い出した。その原作を映画化した小栗康平「泥の河」のモノトーンの映像が浮かんできた。行ってみようと思い立ち、土佐堀川沿いを15分ほど歩いた。

1_011_2 1_012_2








 

 大阪中央卸売市場近くの河岸から堂島川に架かる船津橋を眺めた。遠くに白い高層ビルが聳え立っていた。

1_013 1_016








 

 大阪中央卸売市場近くの河岸から土佐堀川に架かる端建蔵橋(はたてぐらばし)を眺めた。船津橋を渡るとすぐに端建蔵橋が続いている。その端の中央から海の方角を望んだ。海は見えなかったが、濁った深緑の河面の向こう側に「住友倉庫」の建物が見えた。

1_018_2 1_017_2








 

 端建蔵橋を渡り右に折れると木津川に架かる「昭和橋」だ。木津川を少し下った所に「木津川橋」がある。その橋の上から「昭和橋」を遠望した。「昭和橋」のたもとに、「橋和昭」と刻まれた石がその昭和30年代初頭当時の面影を残していた。

Img  宮本輝「泥の河」は処女作で、1977年(昭和52年)太宰賞受賞作品である。私が社会人となりすぐに結婚した当時にその小説を読み、小栗康平が映画化した作品を観た。その時、強烈な感銘を受けた事実は、幾星霜を隔てた今、その橋を訪れたことからも証明される。「泥の河」の冒頭の一文は、このように書かれている。

「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川がまじわるところに三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋(はたてぐらばし)、それに船津橋である。」と。

 河のほとりに住む少年と廓舟に暮らす姉弟との交流と哀歓を描いた短編小説の名品である。その冒頭の一文に記された三つの橋は、当時の面影はなく何の変哲もないどこにでもある橋なのだが、少なくともその橋の名は私にとってずっとずっと心の中で刻み込まれている。

最近の写真

  • Img
  • Img
  • Img_0001
  • Img
  • Img
  • Img
  • 生駒山ケーブルカー
  • 20091206_050
  • 20091206_044
  • 20091206_040
  • 20091206_038
  • 20091206_035