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2009年10月16日 (金)

上六・南海飯店へ

上六・南海飯店へ

 金曜日の夜、少し体調不良である。疲労回復、滋養のため、終着駅・近鉄上本町で下車して南海飯店で餃子を食べビールを飲む。又、楽しからずや!(携帯18:55)

 「南海飯店」は上六・「ハイハイタウン」1Fにある。かつてはそこは「ジャンジャン横丁」であった。高校時代によくそのあたりを仲間たちと徘徊した。「ジャンジャン横丁」にあった頃の「南海飯店」へは良く出かけた。餃子一人前とラーメンばかり食べていた。大きな餃子と輪切りの玉子が乗ったラーメンだけを食べるだけで満腹になった。
 まだ、大阪外国語大学が上六にあった頃だった。学生街の匂いが立ち込めていた。今晩、ビールを飲みながら餃子を食べ、学生街だった頃の上六を懐かしく思い出した。(自宅22:00)

2009年10月12日 (月)

千日前・天地書房へ

千日前・天地書房へ
 千日前の「ビッグカメラ」西側にある古書店「天地書房」に立ち寄ってから富雄の自宅へ帰る。(携帯16:30)

千日前・ジュンク堂書店へ

千日前・ジュンク堂書店へ
 鶴橋駅から近鉄電車に乗り、なんばで下車して、千日前・ジュンク堂書店へ立ち寄った。興味深い本があったので買ってしまった。(携帯16:00)

2009年8月16日 (日)

織田作之助文学碑~法善寺横丁~

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「行き暮れて ここが思案の 善哉かな」 (作之助)

法善寺の水掛地蔵

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 8/15(土)午後、姪の結婚祝いを届けた帰りに大阪・なんばに出て、千日前にある法善寺横丁に寄り道をした。たくさんの人々が法善寺の水掛地蔵を拝むために並んでいた。

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 水掛地蔵は供え物として水を幾年にも掛けられつづけて緑の苔で覆われていた。正式名は西向不動明王と言うようだ。千日前、道頓堀、御堂筋という繁華街の中にありながらも、線香の香りが漂い独特な雰囲気を醸し出していた。

2009年7月19日 (日)

「東横堀水辺新聞」を偶然に・・・・

Img_0002  7/15(水)午前、定期健康診断を受診するため、大阪・堺筋本町近くのセンターへ出向いた。一連の検査を受け終わり、職場への帰路、まっすぐに帰るのも一興がない。本町橋のほとりの「濱田屋」でアメリカンコーヒーを飲み、横堀川の水面を眺めていた。

 レジで勘定を済ませようとしていると、「東横堀水辺新聞」が立てかけてあったのが目に入った。無料だとわかりその小冊子を手にとった。職場へと戻る地下鉄の中で読んだ。街中でも、何かを変えて行きたいという行動が実践されていることに、文化を継承してゆこうという想いに感銘を受けた。

「e-よこ会」公式サイト

「濱田屋」公式サイト

2009年7月12日 (日)

「ジャパン・ビアフェスティバル大阪」が京セラドーム大阪で開催

 7/18(土)~20(月・祝)、日本地ビール協会主催の「ジャパン・ビアフェスティバル大阪」が、大阪市西区・京セラドーム大阪で開催される。約50社140種類以上の地ビールが出展される予定だ。

 入場料は当日4300円、地ビールが飲み放題となる。今回で12年目となる。毎年、出かけてみたいという気持ちが湧いては来るのだが、残念ながら実現できてはいない。今年もまた出かけることはできない。

「日本地ビール協会」公式サイト

2009年7月 1日 (水)

大阪・「森之宮プラネットステーション」の装飾

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 亡き母が入院中、見舞いの帰りに森之宮駅周辺をよく歩いた。いつだったのだろう。大阪城公園には寄らずに、中央通沿いの坂道を西へ、大阪府立青少年会館に隣接する「森之宮プラネットステーション」へ立ち寄った。その場所は若者たちの「演劇」のメッカ、その日は多くの子どもにも出合った。建物の入口にあった装飾を写真に収めた。

2009年4月19日 (日)

小説「泥の河」の三つの橋に立ち寄って

 4/18(土)午後、「杉本博司 歴史の歴史」展を見て、地下鉄肥後橋駅へ戻ろうと思った。土佐堀川の橋を渡りながら河口の方を見ていると、この河を下った場所が、宮本輝「泥の河」の舞台となった場所だったことを思い出した。その原作を映画化した小栗康平「泥の河」のモノトーンの映像が浮かんできた。行ってみようと思い立ち、土佐堀川沿いを15分ほど歩いた。

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 大阪中央卸売市場近くの河岸から堂島川に架かる船津橋を眺めた。遠くに白い高層ビルが聳え立っていた。

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 大阪中央卸売市場近くの河岸から土佐堀川に架かる端建蔵橋(はたてぐらばし)を眺めた。船津橋を渡るとすぐに端建蔵橋が続いている。その端の中央から海の方角を望んだ。海は見えなかったが、濁った深緑の河面の向こう側に「住友倉庫」の建物が見えた。

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 端建蔵橋を渡り右に折れると木津川に架かる「昭和橋」だ。木津川を少し下った所に「木津川橋」がある。その橋の上から「昭和橋」を遠望した。「昭和橋」のたもとに、「橋和昭」と刻まれた石がその昭和30年代初頭当時の面影を残していた。

Img  宮本輝「泥の河」は処女作で、1977年(昭和52年)太宰賞受賞作品である。私が社会人となりすぐに結婚した当時にその小説を読み、小栗康平が映画化した作品を観た。その時、強烈な感銘を受けた事実は、幾星霜を隔てた今、その橋を訪れたことからも証明される。「泥の河」の冒頭の一文は、このように書かれている。

「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川がまじわるところに三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋(はたてぐらばし)、それに船津橋である。」と。

 河のほとりに住む少年と廓舟に暮らす姉弟との交流と哀歓を描いた短編小説の名品である。その冒頭の一文に記された三つの橋は、当時の面影はなく何の変哲もないどこにでもある橋なのだが、少なくともその橋の名は私にとってずっとずっと心の中で刻み込まれている。

2009年3月 9日 (月)

「旧真田山陸軍墓地」に立ち寄って

 大阪市天王寺区にたたずむ旧真田山陸軍墓地は、1871年(明治4年)に、わが国ではじめて作られた「陸軍墓地」である。明治10年の西南戦争が始まる前までに230基あまりの墓碑が建てられたという。長い年月の中で墓碑も傷みが激しいが歴史的遺跡として存在し続けている。

 
3/7(土)母のもとを訪ねたのちに東成区大成通近辺を歩き、母校・清水谷高校を訪れた。帰路、「旧真田山陸軍墓地」へ立ち寄った。私の小学校時代の路地裏の仲間とちょっと遠出した時のフィールドだった。鬼ごっこ、探偵ごっこ、冒険遊び、野球をしたなつかしい場所だ。

 そのフィールドに大人たちはいなかった。子どもたちだけの世界だった。どこの誰だかわからない面々と幾度か「野球の果たし試合」をしたことは忘れることがない。いつも、わが「路地裏野球少年団」は、「山の手野球少年団」に負け続けた。一度は勝てそうなものだが、本当に負けてばかりであった。

 あの頃はこの「陸軍墓地」で時も忘れて夢中に遊んでいた。今振り返ると墓碑銘に刻まれた方々にはひんしゅくを買ったのかもしれない。朽ち掛け墓碑銘、何気なく横倒しになった墓石、無縁仏に無言で手をあわせて祈り、その思い出の「旧真田山陸軍墓地」を後にした。

「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」公式サイト

2009年2月 1日 (日)

大阪・なんば 酒房「大さわ」

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大阪・なんばにある居酒屋である。近鉄なんば駅改札口を出て、長いエスカレーターで地下街に上がり、高島屋方面へと向かい、30秒程歩くと、左の写真の「酒房大さわ」という看板が見える。地上への階段を登り、踊り場にその店はある。

 奈良・富雄から大阪・なんばへと出る機会は少ない。そこは大阪の繁華街である。人々が多数行き交う。私はなんばに出れば、概ね居酒屋に入る習性がある。高価でトレンディ、見てくれの良い店構えの処は避けて通る。分相応の好ましい店へ立ち寄る。少なくとも私には、千日前「正宗屋」と、この酒房「大さわ」しかない。常連ではない。大阪・なんばに出かける頻度が少なく、他の客に比べて立ち寄る頻度も少ない。

 なぜ、そこへ立ち寄るのか? その店で飲んで、近鉄なんば駅改札口までは徒歩2分、走れば1分以内に到着できる。店員のおねえちゃん、いや、おばちゃんが庶民的で自分自身の肌に合う。料理がおいしい。という3つの要因が、そこへ足を運ばせるのだろう。

2009年1月10日 (土)

大阪城 「多聞櫓」 2008.11.2

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 大阪城大手門をくぐると、石組みに囲まれた広い空間がある。巨石で石組みされた上に櫓がある。それが、現存する櫓の中で、最大規模を誇る「多聞櫓」だ。普段は多くの人々がその櫓の下を通り天守閣へと向かう。「多聞櫓」は大阪城の正面玄関口の最重要な櫓として建造された。

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 特別公開で「多聞櫓」の内部に入ると、薄暗く細長い廊下を歩いた。タイムスリップしたような感覚に陥った。窓から大手門枡形を望むと人が行きかっていた。見る時間・位置・角度をかえることで、日常の視点だけでは、見えないものが見えてくる。

大阪城 「千貫櫓」 2008.11.2

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 大阪城大手門にある「千貫櫓」だ。城内において最古の建造物のひとつである。大手門を側面から防御するために築かれた。国の重要文化財に指定されている。

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 日頃は「千貫櫓」の内部は公開されていない。春と秋にそれぞれ3日間だけ特別公開される。内部に入ると、外から眺めていた時の印象との違いを鮮明に感じた。美しさと堅牢さとのコントラストに魅了された。

2008年12月27日 (土)

大阪城公園内 「教育塔」

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 大阪城公園内にある「教育塔」だ。馬場町交差点北東の角にある。大阪城大手門からも近い。「教育塔」は、1934年9月室戸台風によって、学校においても教職員・児童600名余りが亡くなった。災害直後、大阪の教育界は子ども、教職員を追悼し、その名を永くとどめるため、記念碑の建設を発議し、当時の帝国教育会が記念塔を建設することを決定した。その後、戦後、全国の教育関係者が合葬されるようになった。大阪城公園の傍らで、「教育塔」は、今も天に向かって聳え続けている

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 私は小学生だった頃に学校の課外授業で「教育塔」へ写生会に出かけた。昔も今も絵を描く才能は微塵もない。じっと集中して写生をした記憶は薄れているが、「教育塔」の周りを駆け巡っていたり、その石段で弁当を食べたことは不思議と思い出す。それとともに、「教育塔」の歴史的な背景など知る由もなかったが、青空に突き刺すような塔の存在にひきつけられたことを鮮明な印象として今も記憶に残っている。

2008年12月25日 (木)

「集合写真」を撮って

Photo  11月のある昼下がり、大阪城公園噴水前で「集合写真」を撮った。写真に映っている人々の中に私の知る人はいない。まったく私とは無関係な人々の集まりである。どのような集まりなのかは知る由もない。ただ、楽しそうに「集合写真」を撮ろうと盛りあがっている光景に惹かれ、その集まりの最高の瞬間を撮ろうとカメラを向けていた男性の傍らでシャッターを押した。彼は私の存在には気づかなかった。また被写体である人々も。まるで、私は闖入者だった。「集合写真」というものはやはり素敵だ。その人々から、図々しくも幸せな瞬間をいただいた。

2008年12月24日 (水)

大阪城の記念撮影スポット

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 11月初旬に大阪城を訪れた時、どこの観光地にもある左の写真のようなベニヤ板で作られた記念撮影用ツールを観た。アジアのどこかの国から大阪城を訪れた女性たちが、和やかに記念撮影をしていた。ただの、のっぺらぼうのカラフルなベニヤ板でしかなかったとしても、人々に思い出を刻む。

2008年11月13日 (木)

「旧大阪市立博物館」を眺めて

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 大阪城天守閣前にある旧大阪市立博物館の建築を眺めた。1931年、旧陸軍第四師団司令部として建築され、戦後は大阪府警本部の庁舎となり、その後、大阪市立博物館となった。現在は博物館は移設されて、建物だけが残っている。有効的な活用をするのかそれとも取り壊すのか定かではない。いずれにしろ、今、私の眼前にそのロマネスク様式の建築は存在している。

 この地にある旧大阪市立博物館、天王寺公園にある大阪市立美術館の二つの建築は、私には「昭和の匂い」がする。建築は時代を表現し、時代は建築を築くのだろう。旧大阪市立博物館の建築を観ていると、タイムスリップした気分になった。

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2008年11月12日 (水)

「修道館」でのアルバイトを思い出して

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 大阪城内にある大阪市立「修道館」だ。柔道・剣道の道場だ。ここで私はある時期、アルバイトをしていた。どのようなアルバイトかといえば、畳の上げ下ろしという肉体労働だった。柔道の試合があって、今度は剣道の試合があるという時に畳を上げる。次に柔道の試合があるという時には畳を敷く。その繰り返しのアルバイトだった。大部分が夜だった。

 夏の暑い日には、畳の匂いにむせながら汗が玉のように吹き出た。鶴橋の実家からは自転車でやって来た。土曜日の夜など、汗を拭きながらタオルを首に巻き、公園内を通って帰宅した。よく仲の良いカップルとすれ違った。楽しそうに二人で笑顔を振りまきながら会話をしていた姿を垣間見て、うらやましくて、うらやましくて、居たたまれなかった。「修道館」の建物を見て、そのような日々をふと思い出した。

「大阪市立修道館」公式サイト

大阪城・大手門

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 大阪城の表門である大手門から城内に入った。最寄り駅は、地下鉄谷町線「谷町4丁目」だ。地下から地上に出て緩やな坂道を東の方へ徒歩10分で、大阪城大手門へ出る。天守閣へは一番緩やかな行程だ。JR環状線森ノ宮駅、大阪城公園前駅から天守閣をめざすと、老齢者・障害者等には少しハードな登りとなる。そして距離も長い。初めて大阪城へ出かける人には、歩く負担の少ないこのコースがお勧めかもしれない。

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2008年11月 9日 (日)

「箱舟」のような塊を見て

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 11/2(日)午前、大阪城公園内の「大阪砲兵工廠」跡あたりの大阪城堀端づたいの道を森之宮駅へ向かって歩いていた。周りの風景と違和感がある「塊」が私の眼に飛び込んできた。何だろうと思い近づいて見た。名所・旧跡ならば立て札があるはずだが何もなかった。もう一度周りを見回した。どうしても違和感だけが生じた。この道を整備した時に、なぜ撤去しなかったのだろう?と不思議さを抱いた。

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 その「塊」の上部は窪みがあり、まるで小さな池のように深緑色の水が溜まっていた。変わった形をした「石」だなあと思いながら、手で触れてみた。あれ? 「石」? いや違う。それは「石」ではなくその手触りから間違いなく「鉄」だった。戦時中にこの場所にあった東洋一の兵器工場「大阪砲兵工廠」と何か関係があろのだろうか?と思いながらその場所を立ち去った。

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 奈良・富雄の自宅に戻ってからも、その「鉄の箱舟」のような塊が気になり、インターネットで、「大阪砲兵工廠」というワードで検索したら、私が見た「鉄の箱舟」ような塊のことが掲載されていた。確かに「大阪砲兵工廠」の遺物だと知った。溶鉱炉の底の鉄が固まったものだという。また、怖い話も載っていた。あまりの重量で撤去でできなかったようだ。60年以上もその場所に存在し続けていることに、私は不思議な想いを抱いた。

2008年11月 6日 (木)

「大阪城甲冑隊」に出会って

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大阪城天守閣前でイベントが開催されていた。「大阪城甲冑隊」という名の一団が参加していた。舞台では演技が披露されていた。紹介のアナウンスを聞いていると、信州・上田市にある「上田城甲冑隊」とともに活動をしているようだ。「大阪城」と「上田城」、なぜだろうと一瞬何の繋がりか即座に解らなかった。しばらくして、そうか、「真田家」なのだと理解した。

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 「NPO法人大阪城甲冑隊」公式サイト

「上田城甲冑隊」公式サイト

2008年11月 5日 (水)

「大阪城」の雄姿を見ながら!

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 JR大阪環状線・森ノ宮駅から大阪城公園に入った。大阪城の表玄関・大手門からは程遠く裏門にあたる玉造口から大阪城を目指した。とぼとぼと歩きながら、大阪城がだんだんと近づいてきた。とびっきりの観光名所がどうかは知る由もないが、この城と公園には愛おしさを感じる。

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 私が在学していた高校から、大阪城公園へは自転車で15分程度だった。高校時代に授業に出席せずに、私は大阪城公園でのんびりと昼寝をしたり、母が作ってくれたお弁当を学校で食べずに、この公園で食べながら時を過ごしたこともあった。同級生は教室で授業を受け勉強しているのにも関わらず。

 そのことだけでなく、さまざまな要因で、出席日数がたらずに、高校2年生、3年生と連続で「留年」、すなわち「落第」の協議をする職員会議にかかってしまった。私の父は、「お前は本当にまっとうに生きていけるのか? 普通に生活できるのか?」と、17歳の私に言った。父親としては息子のことが心配だったのだろう。

 今、私は55歳になった。自分自身で言えば、30年あまり当たり前のように普通に生きている。人に誇れるものは何もないが、ただ父が心配するようなこともなく生きてきた。それは不思議なくらいだ。大阪城の天守閣を仰ぎながら、17歳だった頃と今を比較しながら、本当に成長したのだろうかと自問しながら、今は亡き父を想った。「おとうちゃん! 俺はなんとかまっとうに、普通に生きてるで!」

2008年11月 3日 (月)

ピンクの自転車に乗る少女

Photo_6  11/2(日)午前、あるテーマを抱いて大阪城公園を訪れた。自分自身の社会体験学習の時間が終了し、歩きつかれて森之宮口近くの噴水の前のベンチに座っていた。ぼんやりと噴水を眺めていた。突然に「ピンクの色彩」が私の視野の中をあわただしく行き来した。緑、白、茶という色彩の中でピンクは刺激的であった。ピンクの自転車の動きが妙に気になりだした。その少女は躍動的に噴水の周りを疾駆していた。もしかしたら、空へ飛んで行ってしまう程に。

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2008年11月 2日 (日)

JAZZ パークライブ 大阪城公園

Photo_5  「ストリートライブ」というよりも、公園の中の通り沿いのライブ、「パークライブ」と呼んでもいいのだろう。スタンダード「枯葉」を聴いた時、昼日中、屋外でライブで聴いたのは初めてだった。素敵だった。演奏だけでなく、楽器を自分自身で運び、通りすがりの人々に「ジャズ」、いや「音楽」の楽しみを伝えようとする。彼らの想いは木漏れ日の中で輝いていた。さまざまな領域で「情熱」を抱いて行動している人々がいる。彼らに乾杯!!

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2008年9月14日 (日)

その美術館は毅然として、今も空を仰いでいた!

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 9/12(金)夕刻、新世界へ行く前に、隣接する大阪市立美術館へ立ち寄った。すでに閉館時間を過ぎていた。老夫婦がこの階段を二人手を取りながら下りてきた。彼らがこの日の最後の観覧者なのだろう。老夫婦の後姿を見送ったあとにデジカメのシャッターを押した。

 美術館・博物館に時々出かけることがある。中学生の時まで、そのような場所など無縁な世界だった。高校1年生の冬に初めて美術館へ入った。それが大阪市立美術館だった。同級生の女の子に連れられてやってきた。無料入場券があるからというのでこの美術館に来た。そのような場所に入るのは初めてだった。私は心の中で不安が募った。

 その女の子と二人で館内に入った。その展示物の詳細は記憶にない。ただ、いままで体験したことのない、静寂な雰囲気とゆっくりとした時間の流れを感じた。生まれ育った路地裏の町とは、まったく違った世界だった。あまりに新鮮だった。異世界への窓が開かれた。

 人生にもしも、ということはなのかもしれない。ただ、ふと思う。サッカーに夢中になっていた高校1年生の冬に、その女の子に、この美術館へ連れてきてもらわなかったならば、路地裏小僧が、今のように美術館・博物館へ興味をもって訪ねることなどなかっただろう。それほど、私にとって強烈な革命記念日だった。その美術館は毅然として、今も空を仰いでいた!
 39年前のその日は、私の生まれて初めてのデートだった。今はおばさんになっているだろう、その女の子に心から感謝している。

大阪市立美術館」公式サイト

夕暮れ時の「ラジウム温泉」に入浴できずに

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  大阪・通天閣の真下に「新世界ラジウム温泉」がある。過去、幾度か入浴した。入浴料は410円だ。その日は時間がなかった。「串かつ」か「銭湯」かの二者択一を迫られた。いずれもを取れば時間が無くなる。屈従の決断で「串かつ」を取った。その選択は、「お風呂セット」をバックに入れるのを忘れたことも一因だった。後ろ髪を惹かれるような気持ちで、地下鉄堺筋線「恵比須町駅」へ帰路を急いだ。

 通天閣の真下に銭湯があるということを、大阪の人はご存知ですが、奈良の人、それ以外の地域の人はご存知かどうか? 通天閣を見上げ、ちょっとひと風呂浴びて、串かつ、そしてビールを。ただ、A級ではなくB級グルメかもしれませんが私などに最高のコースです。

「新世界ラジウム温泉」公式サイト

「王将」を覗き込む人々

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 大阪・通天閣の下には、かの有名な明治・大正時代の将棋指し、「阪田三吉」のl顕彰碑がある。その碑文に、「翁によって大阪人の土根性の偉大さをしらしめたる功績は私たちの追慕してやまなざるところここ由縁のち通天閣下にこれを顕彰する。」と刻まれている。

 阪田三吉は将棋に人生を賭けた。困窮の果てに妻、小春(コユウ)は先立った。その臨終の折に、「お父ちゃん、あんたは将棋が命や。どんなことがあっても、アホな将棋は指しなはんなや。」と三吉に告げたという。

 近くの「ジャンジャン横丁」に「王将」という将棋クラブがある。その日も外から窓越しに食ういるように見続けている人々がいた。私たちは、彼らほどに何かに無言で食い入るように見る対象があるだろうか?その一瞬に、彼らにとって将棋とは何のだろう?

 「アホな手は打ってはならないのだ」。「勝負」が命であったとしても、そこで「アホな手」を用いて勝つこと自体に意味はないのだ。阪田三吉は、妻の言葉通り、「アホな将棋は指さなかった」。だからこそ、今もその名は王将・阪田三吉として生き続けている。

2008年9月13日 (土)

「スマートボール」をしてみたかったが!

Photo_31  9/12(金)夕刻、大阪・新世界を歩いていて「スマートボール」店に出くわした。懐かしい!子どもの頃、祭や縁日で「スマートボール」でよく遊んだ。面白かった。好きだったのだろう。今も、懐かしさとは別の感情が湧いてくる。

 大人になって、祭りの日に「スマートボール」をしたことがあった。「スマートボール」が好きだったその延長で、学生時代は「ピンボール」も好きだった。その時代は「ギャンブル」でも何でもなかった。ただの夢中になることができる「遊び」の一つだった。

 「パチンコ」は機種として同様の形態だが、大きく違うことがある。「ギャンブル」云々ではなく、「球体の落下」の相違だ。「パチンコ」の球体は垂直に落下する。「スマートボール」「ピンボール」の球体は斜面を緩やかに落下する。「パチンコ」はスピード、「スマートボール」「ピンボール」は緩やかさだ。「新世界」という街には、「スマートボール」が似合う。

「スマートボール」Wikipediaサイト

「ピンボール」Wikipediaサイト

新世界「ジャンジャン横丁」で串かつ&どてやき

 大阪「新世界」と言えば、「通天閣」と「ジャンジャン横丁」だ。その街の食べ物と言えば、「串かつ」と「どてやき」だ。少なくとも私はそう思っている。久しく「ジャンジャン横丁」で串かつを食べていなかった。生ビールとあては串かつとどてやき、もうそれだけでよい。至福だ!ジャンジャン横丁の「八重勝」に入った。

Photo_30  カウンターの左隣は、二人連れだった。私と同年輩の男性の方と70歳は超えられているご婦人だった。親子のように見えた。二人、生ビールで乾杯をしていた。そのご婦人、おばあさんなのだが、「ここの串かつはおいしい! 家で生のキャベツは食べへんけど、ここではよう食べるねん!」と楽しそうに息子らしい男性に話していた。二人とも驚くほど食欲旺盛だった。生きていく源泉なのだろう。

 カウンターの右隣も、二人連れだった。仕事関係なのだろうか?女性は30歳代後半か?男性は30歳代前半か?聞いてはいないので定かではない。店に入りカウンターの前に座るなり、その女性が注文した。「生ビール2杯!それと串かつ6本、どてやき6本」。男性は無言だった。その女性は同伴の男性に手ほどきをした。「あのねえ! キャベツは手で取って、ソースをつけて食べるの、串かつも出てくるけど、ソースを二度つけしたらだめよ!」と。あたかも「母親」のようだった。その女性は生き生きしていた。

夕暮れどきの大阪「通天閣」

 9/12(金)、「安治川隧道」から大きく遠回りして、何年ぶりかで天王寺「新世界」へ寄った。「道頓堀」、「新世界」とう二つの街が大阪らしさを味わえる昔ながらの姿を残している。「新世界」は特別な雰囲気を醸し出す庶民の街の筆頭だ。私にとっては、惹きつけれ、忘れがたく、琴線に響く街であり続けている。

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大阪・「安治川隧道」へ

 9/12(金)わが家の大掃除後、午後に所要で大阪の町へ出かけた。わずらわしい所要の後、ちょっと遠回りして「安治川隧道」へ寄ることにした。

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 そこには、私が小学生4年生だった頃、父にはじめて連れてもらった場所だった。「川の下にトンネルがある。見に行くか?」と父はその時私を誘った。その当時、父の勤務先は弁天町にある港消防署だった。「安治川隧道」がある西九条は近い。おそらくその近辺の人に情報を仕入れたのだろう。あれから45年ほどが経つ。観光名所でもない場所にそれから幾度来たことだろう。

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左が源平橋側、右が西九条側の「安治川隧道」への入り口だ。

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 左が西九条側から安治川べりの源平橋側の建物、右が西九条側からの二つの建物、2009年春開通予定の「阪神なんば線」の架橋が見える。

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 「安治川隧道」の中だ。川底の狭い道は周辺の人々に日常的に利用されている。

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 「安治川隧道」へは、地上からエレベーターか階段を利用する。自転車等はエレベーターだ。地上から階段ではビルの3階くらいから降りたようjな気分だ。

 
初めてその場所に父に連れられてやってきた時、もっと大きなエレベーターが稼動していてて、車が川底の道を通っていた。地上では車がエレベーターの前に順番を待っていた。そのような記憶がある。

 人から見れば何の変哲もない場所だろう。しかし、私にとって、そこは何かの匂いを発している場所なのだ。だからこそ、忘れた頃にその場所へ出かけていく。帰りがけに、美しくもない安治川の流れを眺めた。その川は、宮本輝の「泥の河」の舞台でもある。

 あなたにとって、今まで生きてきて、「思い出の場所」というきれいなものではなく、もっとどろどろとした「匂いを発している場所」とはどこなのでしょう?

「安治川トンネル」You Tubeサイト

「泥の河」You Tubeサイト

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