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2014年4月13日 (日)

「Face book」のカバー写真を変更した!

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 4月12日(土)、「Face book」のカバー写真を上の写真に変更しました。古い写真です。路地裏、わが生まれ育った家、祖母が営んでいた駄菓子屋「大成屋」の前での家族写真、ただ弟は写っていませんが。

 この一枚しか当時の実家前での家族写真はありません。個人的には貴重で好きな写真です!無名でありながらも、コツコツと生き、逝った父母が写っています。親不孝者の還暦贖罪として、カバー写真としました。

 親父の向かって右にある「のり」は、「味付けのり」ではなく「洗濯のり」が店にあるよ!というささやかな広告です。

 家の前は石畳、わが実家も隣の家と同じように格子戸でした。隣の家との間には「共同井戸」がありました。この写真ではバラックが建っています。そこへ、おばちゃん連が集まり「井戸端会議」をしていたのをはっきりと覚えています!

 わが本棚から1995年10月21日発行の雑誌「太陽」を取り出しページを繰りました。建築家「安藤忠雄」さんの特集号です。それ以前にお名前と「住吉の長屋」という作品を写真や図面で存じ上げていました。大いなる疑問があったのです。なぜ「長屋なのか?」と。

 その時、この雑誌を読んで初めてその理由を理解しました。その中の一文に「私の育った家は、大阪の典型的な下町にある。近所には、大工、鉄工所、ガラス工場、石屋があり、町全体がものをつくるところであった」「街が学校だった」と。

 今も安藤忠雄さんの作品に興味がありつ
づけています。その方のルーツが下町だということがずっと心の中に生きています。自分にとって、「学校」はあくまでも「学校」以上のものでも以下でもなく大切な場所だったのですが、「路地」は間違いなくそれ以上の「学校」だったと今思っています。

 カバー写真をわが実家前の家族写真に変えたのは、笑われようが自分自身のささやかなルーツのあかしを残しておきたいという想いがあったのです。人から見れば美しくもなく何の変哲もない写真でしょう。でも、自分にとってはかけがえのない情景を写しとった大切なものです。まさに「路地は学校だった!」

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