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2013年6月 9日 (日)

ジョルジョ・ムスタキが死去したことを知って~フランスのシンガーソングライター

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 フランスのシンガーソングライターのジョルジョ・ムスタキが、5月23日、南仏のニースで死去した。79歳だった。と6月7日(金)夜に初めて知った。

  本来ならば、もっと早くに知っていても不思議ではなかった。まず新聞の訃報記事を見過ごしていた。

  高校時代の友人が5/28~6/6までフランス・パリに出かけていることを、彼のFace bookで知り、毎日の魅力的なパリの写真を楽しく眺めていた。

  6月2日(日)、彼のFace bookに、「ムスタキをしのぶパリの広告塔」というコメントとともに写真が掲載されていた。電車に乗る直前に、急いで携帯でその記事を確認したため、「ムスタキを」という言葉だけ強烈な印象で残った。

  そのあとの「しのぶパリの広告塔」という言葉を見逃していた。本当はその時点でも知ることができたはずだった。

  「ムスタキ」という四文字を見て微妙に脳が反応した。「ムスタキ」とは、フランスのシンガーソングライターの「ジョルジョ・ムスタキ」のことだ。彼は、ギリシャ系の家庭で、エジプト・アレクサンドリアで生まれた。

  17歳でパリに出て、さまざまな仕事を経たのち作曲家として活躍した。その後、歌をうたいだした。「異国の人」が世界的なヒットとなった。

  1974年3月~9月にテレビ放映された木下恵介人間の歌シリーズ「バラ色の人生」の主題歌が「私の孤独」(ジョルジョ・ムスタキ)だった。そのドラマを見ていて、初めてジョルジョ・ムスタキの存在と彼の歌を知った。僕が二十歳の時だった。

「私の孤独/ジョルジョ・ムスタキ」You tubuサイト

  この35年来、ジョルジョ・ムスタキについて、日常会話でその名もその歌のことを人に話したこともなく、人から聞いたこともなかった。40年近く会っていない高校時代の友人のFace bookで、その人名を見た時、ジョルジョ・ムスタキの歌を思い出した。

  6月6日(木)夜、ジョルジョ・ムスタキのレコードがあったはずだと、本棚の上のレコードをさがした。確かにあった。1974年、ポリドールレコード(発売元日本グラモフォン)「異国の人/ジョルジョ・ムスタキ」。

 わが家にはレコードの再生装置はない。聞くことができない。そのジャケットを眺めているだけだった。「CDを買おう!」と思い立った。6月7日(金)仕事帰りに、大阪・難波「タワーレコード」へ立ち寄って、「ジョルジョ・ムスタキ ベスト」(2009年6月)を買った。

  その夜、夕刻から左手首に再発した痛風のいたみを感じながら、買ってきたばかりのジョルジョ・ムスタキの歌を聞いた。エキゾチックな雰囲気の曲が心地よかった。 そののち、Webサイトで「ジョルジョ・ムスタキ」を検索した。その時だった。2013年5月23日、まさに先日に死去したことを初めて知った。

 あわてて、高校時代の友人のFace bookを開いて、6月2日の記事を確認した。「ムスタキをしのぶパリの広告塔」としるされていた。「・・・・・しのぶ・・・・・」を見逃していた。その友人が「ムスタキ」という四文字をしるしていなかったならば、僕は、ジョルジョ・ムスタキを思い出すこともなく、CDも買うことも聞くこともなかったかもしれない。

  高校時代の友人がFace bookに「ムスタキ」としるしてくれたことに感謝する。ジョルジョ・ムスタキの歌は、今も、僕にとって素敵だ!! ジョルジョ・ムスタキのご冥福を祈る。

「僕の自由/ジョルジョ・ムスタキ」 You tube サイト

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