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2013年2月11日 (月)

昭和九年三月十四日の写真を見て~南紀白浜「やなぎ屋」

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  台紙付きの一枚の記念写真が出てきた。70名あまりの人々が写っていた。その中に、恐らく、わが祖父母、父母がいるのだろうかと一人ひとりの顔を追った。確かに写っていた。最前列の左の女の子が母である。母が6歳だったろう。その上の白っぽい服を着た赤ちゃんの上に写っているのが祖母だ。それ以外に見知った人はいなかった。

  その写真の日付は、欄外にペン字で「昭和九年三月十四日」としるされていた。何の集まりだろうと写真を見ていた。写真中央近くに、御一行の名がしるされている紙が見えた。「大阪長」とまでは読めるが、その下の文字は人の顔で見ることはできなかった。

  ここはどこなのだろうか?と写真を見ていると、中央左に、「やなぎ屋」と屋号がしるされていた。よく見ると、建物欄干の下に、「柳屋旅館」の木の看板があった。ここは、店ではなく旅館なのだと知った。約70名の人たちが、「昭和九年三月十四日」にそこを訪れたのだ。

  そこは、大阪なのだろうか、それとも他の地域なのか、と思いをめぐらした。インターネットのグーグルで、「やなぎ屋」で検索した。最上段に南紀白浜温泉「柳屋」とあった。その旅館のWebサイトを開いた。すると、まず最初に、昔のその旅館の写真が目に飛び込んできた。自分自身の手元の写真と見比べた。間違いなくここだ。偶然の一発ヒット、いや、一発ホームランだった。

「 南紀白浜の宿 柳屋」公式サイト


  今、大阪・鶴橋から白浜へと出かけるのには、大阪環状線で天王寺駅に出て、阪和線・紀勢本線に乗り換え、「特急くろしお」を利用すれば、約2時間30分で着く。昭和9年当時、今のように観光バスを利用してなどとは考えられない。恐らく鉄道を利用したのだろう。

 今ほど鉄道の便はよくなかった。何時間かかったのかはわからない。その御一行の白浜行楽は日帰りだったのか、宿泊だったのか定かではない。でも、恐らく宿泊したのではないかと推測している。

  「昭和九年三月十四日」、その日か前日か、祖母と母が、よそ行きの衣服に身をつつみ、大成通の路地から鶴橋駅へと楽しそうに歩いてゆく姿が目に浮かぶ。南紀白浜へとご一行とともに過ごした行楽のひとときは、二人にとってどのようなものだったのだろうか?

  私が初めて大きな「海」を眺めたのは、6歳の時だったろうか、祖母に連れられて行った出雲・日御碕灯台からの「海」だった。その時の印象は、50年以上経ても鮮やかに脳裏に焼き付けられている。もしかしたら、「昭和九年三月十四日」、祖母と母が大きな「海」を初めて眺めた日ではなかっただろうか、と想像を巡らした。




 

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