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2013年2月19日 (火)

ノーベル賞作家・川端康成 初の新聞小説 86年ぶり発掘!に想いて

  2/17(日)読売新聞朝刊の記事を読んだ。その第一面の見出しは、「川端 埋もれた新聞小説」「昭和2年 初の連載 “美しい!”」「27歳、“伊豆の踊子”直後」。

 社会面での見出しは、「川端“美の原点”」「短く大胆“野心的”題名」「自筆年譜未記載 地方文学館 地道な調査」とあった。

  1968年、わが国初のノーベル文学賞を受賞した川端康成の未確認作品が発掘された。「伊豆の踊子」を発表した直後の27歳の時に、福岡日日新聞(現:西日本新聞)に連載された。

  その作品は、川端康成自身がしるした年譜にも記載がなく、研究者の間でもその存在が知られていなかった。川端康成が書いた新聞小説としての初作品だともいう。原稿用紙20枚程度の短編で、題名は「美しい!」。

  主人公は実業家の男性で、障害をもった息子が亡くなり、息子と交流を持っていた足の不自由な少女も、墓参中に事故にあって亡くなってしまう。二人を「美しい」と感じたその男性が、碑文に「美しい少年と美しい少女共に眠る」としるしたという内容だという。

  今年1月、姪の結婚式で横浜へと出かけた。その帰り、伊豆を旅しようと計画を練ったが、世のしがらみの中で頓挫することになり、伊豆へ行けずじまいとなってしまった。なぜ、伊豆へと出かけたいと思ったのか? 若かりし頃に読んだ、川端康成「伊豆の踊子」が印象深く記憶に残っていたからだ。

  川端康成が学生だった頃、修善寺から下田への天城越えのひとり旅の道中で、偶然に知り合った旅芸人一行との交流と、踊子の少女との淡い恋の体験に基づいて、川端康成は「伊豆の踊子」を書いた。

 住む世界、生きる世界が異なっていたとしても、それぞれを認め合う交流の中で、か弱き存在である旅芸人の踊子の中に、純粋無垢な心を作者は見たのだろう。その視点は、か弱き者へのいたわり、おもいやり、いつくしみに溢れている。

  今回発掘された「美しい!」は「伊豆の踊子」が発表されて間もない頃の作品だという。「日本人の心の神髄を表現している」との評価で、1968年に川端康成はノーベル文学賞を受賞した。その際の受賞スピーチの題名は「美しい日本の私」だった。

 川端康成は、わが日本列島に住む人々の、歴史と風土に育まれた固有の心性の中での 「美しさ」「美しい」とは何なのかと、問い続け作品として数々の傑作を残した。

 グローバリゼーションの潮流の中で、わが国固有の「ナショナリティー」にそれほど見向きをせずに、社会は、また人々は突っ走ってきた。明治維新期の「脱亜西欧」、それ以降の「欧米に追いつき追い越せ!」と。

  今回、「美しい!」という作品が発掘された。そのことは、グローバリゼーションの潮流の中で、他の国々に対する優位性でなく差異性として、「美しさ」に対するわが国の人々の固有の心性とは何なのかと、今一度考えてみろ!という自分自身へのメッセージだと受け止めた。

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