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2012年12月15日 (土)

「出雲日御碕灯台」 登録有形文化財に~6歳の夏の日を思い出して

 12/15(土)読売新聞朝刊の社会面を見た。「東京タワー 登録文化財に」という記事だった。文化審議会は12/14(金)に27都道府県の計126件の建造物を登録有形文化財にするよう文部科学省に答申したという。

 その記事を読み進んだ。末尾に、「1903年に建設され、現役の灯台としては高さ44メートルと最も高い“出雲日御碕灯台”(島根県出雲市)なども含まれる」とあった。

 「出雲日御碕灯台」という文字を見た途端に、私が6歳の時に一度だけ出かけた時の美しい白亜の灯台の姿が眼前に現れた。

「出雲日御碕灯台/出雲観光協会」公式サイト



 以前に、ブログに、「出雲日御碕灯台」のことを書きしるした記憶があった。ブログ内を検索すると、2010年8月28日にその記事があった。あらためて読み直した。「出雲日御碕灯台へ、今一度行きたい!」という想いが募った。

 下記に、そのブログ記事を再掲載する。


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「1959年8月 出雲日御碕灯台にて」(2010.8.28)

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 盆前に、JR西日本のフリーマガジン「旅こよみ8月号」をJR鶴橋駅でいただき電車の中で読んだ。愛読フリーマガジンだ。今月号は島根県・出雲市近辺が特集だった。ページを開いた。大好きな出雲・日御碕灯台の写真が掲載されていた。その場所へは、たった一度だけしか行ってはいない。6歳の時だった。その鮮やかな夏の日の色彩の印象が強烈に残り続けている。

Img_0001  1959年8月、わが大阪・鶴橋・大成通り路地裏のおばさん連中とともに、島根県出雲へ出かけた。僕は6歳だった。もうすでに50年余り前の話だ。なぜそのような遠方まで出かけていったのか理由は今になってはわからない。

 1959年8月、出雲・日御碕灯台の前での写真に映っているおばさん連中は大部分が今はこの世にいない。唯一私の右側にいらっしゃる方はご存命である。もう90歳を超えていらっしゃるのだろうか。

 僕の後方に祖母がいる。後年、母からの話によると、祖母が強情なまでに周囲の反対を押し切って、この旅行に僕を連れ出したようだ。「私が初めて行く場所やから、しげるを連れてゆく!」と。

 僕はその旅行の詳細の記憶については残っていない。漠然と、長い時間、汽車に乗って、美保関・出雲大社・日御碕灯台を巡ったという薄い記憶がある。どこに泊まったのかは覚えていない。

 なぜこの写真が残っているのか?路地裏のおばさん連中にカメラなどの持ち合わせはない。おぼろげながらその時のことを覚えている。どこの誰かは知らないカメラを持ったおじさんに写してもらった。祖母がその人に住所と名前を教え幾ばくかのお金を渡して郵便で送ってもらったのだ。まだゆるやかな時代だった。

 ただ、鮮やかに記憶していることがある。未だに忘れがたい。僕にとっての風景革命だったかもしれない。それが出雲日御碕灯台だ。夏の日になると脳裏に、6歳の時に一度だけしか訪れていないその灯台の白が浮かび上がってくる。

 夏の暑い日に、おばさん連中が日傘をさしながら、ゆるやかな坂道を歩いていた。僕は祖母の手に引かれ、どこへ行くのかと聞いた。祖母は「灯台」だと言った。それが何なのかその時の僕には解らなかった。しばらく歩くと白い細いものが見えてきた。

 そのものの下に着いた。真っ白で細い槍ののようなものが、青い空と白い雲に向かって刺すように伸びていた。僕はびっくりした。そのようなものを今まで見た事がなかったのだ。それが「灯台」だった。周りを見た。また驚いた。濃い緑の海が広がっていた。空と海が繫がっていた。またも見たこともない風景だった。

 僕たちは灯台の中に入り、螺旋階段を昇った。ゆっくりゆっくりと。灯台の上に出た。路地裏では見ることもない、青い空、白い雲、濃い緑の海、水平線という鮮やか色彩と綺麗な風景が僕の目に飛び込んできた。ああ!あの日、あの時、あの風景は、50年経った今も、僕の網膜の奥底に刻まれ続けている。

Img_0002 出雲大社での記念撮影だ。これもまた見ず知らずのおじさんに写してもらい送っていただいた。私の後方に立つのが祖母である。明治生まれの干支は剛の虎で勝気でありながらも優しかった。

 祖母は僕によく話しかけた。「おばあちゃんは尋常小学校を中退して女中奉公に出たんや!」と幾度もその話を聞かされた。おそらく劣等感をいだいていたのだろうと思う。実に反骨心が強く、行動的な女性だった。いや、今更ながらに思うのは女性の域を超えていた。

 50年前、路地裏の女性連へ出雲旅行を働きかけたのも恐らく祖母であろうと推測する。僕の父母・祖父の反対を押し切って、祖母が僕を出雲旅行に連れ出した。僕がそこで見た風景の鮮やか印象が、僕の今の本質的な「旅好き」を創りだしたのだ。祖母は、僕の心の中でつながり生きている。

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