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2012年10月20日 (土)

JR鶴橋駅前で散髪し、「散髪学校」を思いだして

 10/19(金)夜、職場帰り、JR鶴橋駅前で散髪をした。髪の毛も薄くなり散髪は無縁だ、などと思われそうだが、風雪に耐えきり残存している髪は、それでも生きているので伸びる。完全に散髪と縁切りとはいかない。ただ、一般的な料金を払って散髪をしようなどとは露ほども思わず、安価な理容店で済ましてしまう。昨晩もそうだった。

 その店に入り、鏡の前の理容椅子に座った。黙して目をつぶった。はさみのチョキチョキという髪を切る音がリズミカルに聞こえた。その音を聞いているうちに、幼い頃によく出かけた「散髪学校」の」光景を思い出していた。

 小学生だった頃、自宅近くには理容店が何軒かはあったのだが、自宅から徒歩30分ほどかかる通称「散髪学校」へとよく通った。そこは格別に安価であった。祖母は、「しげる、散髪学校へ行っといで!」とよく言ったものだ。

 今でいう家計の経費削減だった。近くの理容室へ行くための料金の6割くらいのお金を貰って、「散髪学校」へ行った。そこの料金はそれよりも安価で、散髪をしてもらってもお金が余った。そのお金は小遣いとなった。

 確かに、自宅から「散髪学校」へ行くには、子どもの足で30分程度かかっただろう。それでも、往復路は楽しいものだった。散髪をしてもらった上に、余ったお金で、帰り道に夏はかき氷、キャンディ、冬は肉屋「明治屋」のほくほくのコロッケを勝って食べた。

 「散髪学校」へ行く時は、路地裏の班の仲間連と一緒だった。そこからの帰り、みんなの髪はすっきりとなっていた。新鮮な気分でかき氷、コロッケを食べていた。今から思うと、あまりに楽しく牧歌的なひとときだった。

 「散髪学校」とはどんな所なのか?要するに今でいう「理容専門学校」だ。そこの生徒さんたちが散髪をしてくれるのだ。見習いのため、失敗が頻繁にあるので、最後は本職の先生が手直しをしてくれた。

 僕たちは受付でお金を払って、小さな楕円形のセルロイドの番号札をもらう。番号が呼ばれたら理容室へと入る。幾部屋もあったと記憶している。鏡の前の理容椅子に座る。生徒さんがやって来る。おもむろに髪を切りだす。

 ある時のことを思い出した。生徒さんの実習は終わった。先生がやってきた。その出来栄えを講評した。「何だ!この刈り方は、失敗やないか!」と。子どもながらに思った。「僕のは、失敗作なの?」と。先生が真剣に手直ししてくれた。

 また、ある時、散髪をしてもらっている時、少し離れた場所で、生徒さんが風船を膨らませて、その上にシェービングクリームを塗って、カミソリで顔剃りの練習をしていた。力を入れすぎたのだろうか? ときたま風船が割れる音が聞こえた。子どもながらにも、ちょっぴりと不安が生じた時があった。それもまた懐かし!

 また、また、ある時、小学校6年生だった。今から思うと、恐らく二十歳前なのだろうか、女子の生徒さんが顔剃りをしてくれた。安全カミソリなどではなく、大きく分厚いカミソリだ。不幸にも、僕のあごの下あたりが少し切れた。「切れちゃった!」と不安そうに僕に言った。

 言葉を続けて、「だいじょうぶ!大丈夫よ!心配ないから!」とつぶやきながら、鏡の前に置いてあった「メンソレータム」を取り出して、指先につけて、その切った所へやさしく塗ってくれた。その女子生徒さんの指の肌ざわりと「メンソレータム」の匂いが、今も印象ぶかい。

 小学校6年生頃になると、仲間たちが近くの理容室へと行きだしていた。素直に僕も行きたいなあと思っていた。あの日、女子生徒さんに「メンソレータム」を塗ってもらった日、自宅に帰り、これ幸いに祖母に言った。「切られてしもうた!」とあごの下を見せた。本当は、「散髪学校」に行き続けたいと思いながらも。

 祖母は言った。「安いから、しょうがないやないか!」と。その言葉で理容室へ行くことを拒まれた。そのことは失望でもなかった。それ以降も、仲間たちの理容室への想いなどとは別に、また女子生徒さんに、「メンソレータム」を塗ってもらえるかなあと、不謹慎な楽しみを持って、中学校入学の折に丸坊主にするまで、僕は「散髪学校」へ通い続けた。

 昨晩、JR鶴橋駅前で散髪しながら、とりとめもなく、少年期に「散髪学校」へとよく出かけたことを思い出してしまった。その頃の生徒さんたちも、それぞれの人生を過ごして、早、65歳~70歳になられているのだろう。

 今思うと、実に牧歌的でありながら、子どもながらにも生徒たちの一生懸命な姿を見た。だから、印象に強く刻まれているのだろう。その方々のご健康とご多幸を心から念じる。



※余談になるのだが、「メンソレータム」を、日本で初めて発売したのは「近江兄弟社」だった。かの著名な建築家・ウイリアム・メレル・ヴォーリズが創始した。昔むかし、僕がヴォーリズの建築群を巡り歩いたのも、また何かの「縁」(えにし)なのだろう。

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