« 大阪・千日前 居酒屋「正宗屋」へ | トップページ | 今日の一日 2012.10.27 »

2012年10月27日 (土)

大阪・千日前「天地書房」のショーウィンドーを眺めて



 10/26(金)夜、大阪・千日前、古書店「天地書房」のショーウィンドーを眺めた。多くの知らない名、書名がずらりと並んでいた。



 「シュトルム選集」は、まだあった。誰も買わないのだろうか?今度来たときには無くなっているのだろうか?



 ドイツの詩人、ライナー・マリア・リルケの独文の書簡全集があった。「リルケ」の名を見た時、一昨年の秋、山口の「中原中也記念館」で偶然お会いした男性を思い出していた。

 

 古書店「天地書房」のショーウィンドーを眺めながら、2年前の秋のあの日のことを思い浮かべていた。


☆2年前に山口・湯田温泉で出会ったすてきな男性のことをブログに掲載していた。その時の一文を下記に、再掲載する。

 

☆・・・・・・・・・・・・・・・☆

「素敵な“淡い恋物語”を聴かせていただいて(2010.10.24)

20101017_019

 10/17(日)10:30頃、山口・湯田温泉にある「中原中也記念館」を訪れた。館内をめぐり終えてテラス近くに出た。突然に、「どちらから来られたのですか?」とソレステのジャージ姿の私を見て、キャップをかぶり身分証明書を首からかけた記念館にお勤めの男性が私に話しかけてきた。おそらく、ジャージ姿と詩人の記念館がミスマッチしていたせいかもしれない。

 「奈良から来ました!社会人サッカーの大会を観戦がてら、ここに来ました!」と私は答えた。続けて「自宅は奈良なのですが、息子が信州・長野のチームに所属しているので」と付加えた。「信州」という言葉が誘引となったのだろう。「一度でいいから信州・伊那へ行きたいのです!」と、その男性の口から唐突な言葉が出た。

 なぜなのだろう?と素朴な疑問を抱いた。「どうしてですか?」と聞いた。そのことが引き金になり、私は初対面の60歳代後半のその男性の50年前の「淡い恋物語」を聴くことになった。

 その男性から私が聴いた「淡い恋物語」を要約すると、今から50年前、昭和36~37年頃、19歳だった。熊本の大学に在学していた。まかない付きの下宿屋で生活していた。その下宿屋の男子学生たちは、近くの女子学生たちと交流していた。

 ある日、保育園の先生をめざしていた2学年上の女子学生が、アルバイトか実習で小金が入ったのだろう。その男性に食事を奢ってくれることになって食堂に入った。そこでカレーライスを食べた。「おいしかった!忘れられない!強烈な印象として今も忘れられない」と。

 その女子学生が大学を卒業して何年かは文通が続いた。ただ、その男性も社会人となり転勤の連続で、文通も途絶えた。その男性は、伊那市天竜町という地名を覚えているという。今もその女性からもらった小さな写真を大事に持っている。

 「もう、71歳になられているのだろう!今一度、お会いできたらなあ!」と、その男性は恥ずかしながらも昔を懐かしむようにつぶやいた。それが、その男性の「淡い恋物語」だった。

 その男性は、前日にラグビーのゲームを観戦に福岡まで行かれたという。大学ではラグビーをしていたと聴いた。その男性は、「ラグビーをしていたんですけど、バッグの中に入れたリルケの詩集を読んでいました!」と初対面の私につぶやいた。「ライナー・マリア・リルケですか?」と私はその男性に聞いた。「フルネームをご存知なのですね!」「ええ、むかし読んだことがあります!」とその男性に答えた。

 遠い遠い昔の話である。「リルケ」というドイツ抒情派の最高の詩人の名を日常会話の中で聞いたのは、恐らく35年以上ぶりだろうか? その人名は死語のままで時は過ぎた。時代は違えど、バッグの中に、その男性はリルケの詩集を読みラグビーを、私は中也の詩集をしのばせサッカーをしていた。変わり人の奇遇だった。

 遠くから、「ボッオッ~」という汽笛が聞こえた。ふと、その音に耳が傾いた。その男性は私の微妙な変化を感じ取ったのだろう。「SL山口号が、11時間頃、湯田温泉駅を通るのですよ!」と教えていただいた。

 素敵な「淡い恋物語」を聞かせていただいた。付加えれば、記念館横の酒屋で売っていた「中也ビール」を飲みながら世代は違えど話し続けていたかった。そんな気もちが湧いていた。でも、サッカー観戦に出かけなければならなかった。のどかで、なつかしく、たおやかな時を過ごさせていただいた。謝!謝!

« 大阪・千日前 居酒屋「正宗屋」へ | トップページ | 今日の一日 2012.10.27 »

モノローグ」カテゴリの記事