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2012年6月21日 (木)

「長野県の満州移民〜三つの大日向をたどる〜」(長野県立歴史館)へ出かけて 2012.6.16



 6/16(土)午後、「長野県立歴史館」で開催されていた「長野県の満州移民」という企画展を観に出かけた。

「長野県立歴史館」公式サイト

 JR長野駅コンコースの天井から大きな吊り広告で、その企画展が開催されていることを知った。なぜ、「長野県」と「満州移民」なのだろうという素朴な疑問が発端だった。

 「満州」という地名を初めて知ったのは、昭和30年代の初め、小学校低学年の頃だった。私の祖父の関係のおじさんが、よく大成通の実家へとやってきていた。いつも、格好よい帽子と長いコートを着ていた。その人は、「満州」帰りだと、その妹もまた産婆として「満州」に渡り帰って来たと、祖母は私に言っていた。

 私の父は新潟で幼少期を過ごした。末っ子であったため、「満蒙青少年義勇軍に参加しようと思ったが、勇気が無くて行けなかった!」という昔むかしの父の言葉も蘇った。

 「満州」帰りのおじさん、父のこと、その二つの印象が「満州」に結びつき、その企画展へと足を運ばせた。 長野県が「満州移民」として、渡満した人数がわが国で第一位であったという事実を初めて知った。意外だった。2位の山形県の2倍以上の人たちを送り出したという。

 「満州大日向村」の日常を撮った写真の幾枚かを見た。「開拓民の居室」「広いひろいグランドでお遊戯」「満州大日向国民学校の運動会、かけっこのスタート」「運動会に集まった開拓民」等の写真に眼が止まった。写真の下には撮影年と所蔵館の名がしるされていた。「熊谷元一童画写真館」とあった。

 「長野県立歴史館」を出た。ふと、「満州大日向村」の子どもたちの写真、「熊谷元一」という名が気になった。どこかでその名を見たかすかな記憶があった。どの本だったのだろうか、確かに見たような気がした。

 6/17(日)夜、奈良二名春日の自宅に戻って、本棚を捜した。確かにあった。岩波写真文庫「一年生~ある小学教師の記録」の写真集をとりだした。それは、南信濃出身の小学教師「熊谷元一が1950年代初めに写した子どもたちの姿だった。魅力的な写真だ。

 戦中1943年(昭和18年)、「熊谷元一」は、満州大日向村」で子どもたちの姿をカメラに収めていたのだ。「熊谷元一童画写真館」が昼神温泉にあることを初めて知った。訪れたいという思いが募った。

 「長野県の満州移民〜三つの大日向をたどる〜」の企画展を観て、日頃考えもしなかったことが、わが愚鈍なる脳裏をよぎり続けた。



 ※ その日、長野県立歴史館の玄関脇の傘たてに安価な傘を入れて鍵をかけた。そのセルロイドの札のついた鍵を、奈良まで持って帰ってしまったのだ。
 6/18(月)朝、職場から同館へ電話してその旨を伝えた。早々にその鍵を郵送して返却した。僕のちょっとした失敗だ。

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