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2012年5月 5日 (土)

「鹿深」について記した事を思い出して

 5/3(木)・4(金)の両日、日帰りで、滋賀県湖南市で行われた「第25回鹿深中学生サッカーフェスティバル大会」に参加した。

 何年か前に初めてその地を訪れた時に、「鹿深」という地名を「かふか」と読むのだと知った。神秘的、幻想的で、すてきな地名だと思った。

 今年もまた、その「鹿深」の地を訪れた。ふと、以前にブログで、「鹿深」のことについて書きしるしたことを思い出した。「鹿深」の地への思いをこめて、その一文を、下記に再掲載する。


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「“甲賀”と“鹿深”という地名が気になった!」(2010.5.5)

 5/3・4日の両日にソレステバスの運転手として滋賀県・湖南市を訪れた。「甲賀」と「鹿深」という地名が気になった。アクシデントで「公立甲賀病院」へ電話した時に、私は「こうが病院ですか?」と聞いたが、「こうか病院です!」と電話口で女性の声で返答があった。

 思い込みとは恐ろしいものだ。私は「甲賀」を「こうが」と濁点を含んでいたが、「こうか」と清音のみが正しかったのだ。加えて、「鹿深」という地名を、恥ずかしながら「しかふか」と読んでいた。でも、「鹿深」は「かふか」と読むことを知った。実に私の教養のなさをさらけ出した。

 ただ、私のへんてこな臭覚が、「甲賀」(こうか)と「鹿深」(かふか)の地名に興味を抱かせた。「鹿深」を「かふか」と読むことから、連想としてまったく関係はないが、「カフカ」を思い浮かべた。作家・村上春樹さんの「海辺のカフカ」という小説がある。また同氏は「カフカ賞」を受賞した。作家のフランツ・カフカを思い浮かべた。

 「鹿深」(かふか)という地名は、作家フランツ・カフカと同様に幻想的な名だった。気になり続けていたので、Webサイトで調べてみた。「鹿深」という地名は、「日本書紀」にもその名がしるされているほどに古くからあったという。「山深いところに鹿がいる」地だったようだ、なるほど、いにしえからの歴史ある地なのだ。

 「鹿深」(かふか)が、「甲可」(こうか)、「甲加」と変遷して、現在の「甲賀」(こうか)となった。「かふか」から「こうか」となったことを、恥ずかしながら私は初めて知った。かつて渡来人たちが居住していた「鹿深」(かふか)の歴史ある地を思い浮かべた。


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「フランツ・カフカ“”城」(2010.5.6)

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    滋賀県湖南市の「鹿深」(かふか)という地名は、歴史書「日本書紀」にもしるされている、いにしえの地名である。山深い地に鹿が多く生息していたことから名づけられたという。

 わが国に、「かふか」という地名が、ほかにあるかどうかは知らない。その音の響きは神秘的である。

 「かふか」という名に触発されて、本棚の片隅の奥深くで、ほこりをかぶった「カフカ」全集第1巻「城」を取り出した。全4~5巻の全集だったと記憶している。しかし、本棚には第1巻しかない。おそらく当時、買い続ける金銭的な余裕がなかったのだろう。

 第1巻の末尾を見た。初版:昭和28年2月(1953年)、第13刷:昭和47年5月(1972年)と記載されていた。この本を買ったのは、1974年、大学入学した頃だったのだろう。

 第1巻は450ページ余りだ。読み返すことも苦労がいる。今、その意思はない。集中力が続かない。冒頭の数ページを読んでうつらうつらとなった。 

 「Kが到着したのは夜もふけてからであった。村は深い雪に埋もれていた。城山は少しも見えず、霧と闇が山を包んで、大きな城のあることを示すほんのわずかな燈火さえも見えなかった。」(新潮社/カフカ全集第1巻冒頭)

 滋賀の「鹿深」(かふか)から、当時のチェコ、プラハ生まれのあまりにも現代的な「不条理」を描いた、フランツ・カフカを思い描いた。「鹿深」(かふか)は、「カフカ」に繫がった。

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