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2012年4月 7日 (土)

大成通、あの工場(こうば)の跡地で

 私が小学生の頃だった。大成通の実家裏の工場(こうば)の跡地があった。そこは原っぱとなっていた。路地の子どもたちが群れて、そこでよく遊んだ。中学生のお兄ちゃんお姉ちゃん連、路地裏小学生連とともに。

 50年近くの前のある日、中学生のお兄ちゃんの発案で、「この鉄くずを、くず鉄屋に持ち込んでお金に変えよう! 好きなものが買えるでえ!」という言葉に、男女十名弱の者たちが共感して、工場跡地に埋もれていた「鉄くず」の塊を乳母車に積み込んだ。確か乳母車二台だった。

 乳母車に積み込んだ「鉄くず」を乗せて、工場跡地を出た。ミヤマヤ牛乳店を過ぎて、平野運河にかかる南弁天橋のたもとにあるくず鉄屋へと向かった。

 くず鉄屋への行き道は、うきうき、わくわく、どきどき、みんなの朗らかだった。僕たち小学生連もそれにつられて、「きぼう」「のぞみ」に満ち満ちていた。もうすぐに、「きぼう」と「のぞみ」が実現するのだ、とすべての子どもたちが笑みを浮かべはしゃいでいた。

 くず鉄屋につくと、中学生のお兄ちゃんが大人の人に買って欲しいということを伝えた。すると、「こんなもの、くずや! 持って帰れ!」と門前払いだった。みんなはその言葉に、一瞬にして、しょげ返った。「きぼう」と「のぞみ」は無残にも打ち砕かれた。

 南弁天橋からの戻り道では、みんなが無言だった。「鉄くず」を積んだ乳母車は重かった。工場跡地に、その「鉄くず」を戻した。中学生のお兄ちゃんは腰にぶら下げた手ぬぐいで、乳母車の汚れを拭いた。「解散や! 今日のことは内緒や!」と僕たちはそれぞれの自宅へと帰った。

 「きぼう」と「のぞみ」はすべて実現されるものではなく、一瞬にして無残にも消え去ることもあるのだ。50年前の僕たちの他愛もない話だ。それでも、ずっとずっと記憶に刻まれていたことは確かだ。その情景を、ふと懐かしく思い出した。

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