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2012年4月 4日 (水)

奈良市出身 舞踏家・田中誠司さんの記事を読んで

 3/31(土)奈良新聞に掲載されていた、「奈良市出身 新進舞踏家 田中誠司、帰郷公演」の記事を読んだ。

 まず、紙面の「危篤の母親に贈った舞台」という大見出し、「舞踏は人生そのもの」という中見出しが目に入った。右側には公演時の写真が掲載されていた。そこまでは、なんら感情高ぶることなく目が自然と流れた。

 次に、左上の「奈良市出身 新進舞踏家」という見出しの中の「舞踏家」という文字が見えた。あれ?と、思い描く文脈の流れが止まった。一般的な「ダンス」の記事ならば、「ダンサー」という言葉を使えばよいはずだ。でも、「舞踏家」という言葉だ。

 「舞踏家」とは、実は「あの世界」のことなのだろうか? 40年前、土方巽、大野一雄が生み出した、日本独特のにおいを放った「コンテポラリーダンス」、すなわち、「舞踏」のことなのだろうか? と思いをめぐらした。記事を読み進むにつれて、確かに、私が思い描いていた「舞踏」のことだった。

 奈良県出身の著名な「舞踏家」と言えば、桜井市出身の麿赤児(大駱駝艦)さんのことが思い浮かぶ。独特な個性を放つ「舞踏家」だ。私の知る限りでは、田中誠司さんは二人目の奈良県出身の「舞踏家」かもしれない。

 若かった頃に見た「舞踏」は衝撃的だった。どろどろとした異様な世界だった。でも、なぜか惹きつけられた。でも、長年忘れつつあった。

 数年前に、舞踏家・土方巽の最後の公演のドキュメンタリー映画「夏の嵐」を、大阪・九条の「シネ・ヌーヴォ」で見た。強烈な印象が焼きついた。

 なぜ、田中誠司さんは、「舞踏」の道へ歩まれたのか、お話を聞いてみたい誘惑にとらわれている。

「舞踏家・田中誠司」 公式Webサイト

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