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2012年2月28日 (火)

「そろばん学校」を思い出して

 小学生だった頃、私は「そろばん学校」に通っていた。今は「学習塾」やさまざまな「習いごと教室」がある。多くの子どもたちもそこへと通っているのだろう。「塾」「教室」という言葉を使えば、「そろばん塾」へ通っていたとなるのだが、小学生低学年だった時、祖母が「しげる、そろそろ、そろばん学校へゆくか?」と聞いた。「うん!」と答えた。その時から今になるまで、私には、「塾」「教室」よりも、「そろばん学校」という言葉が染み付いている。

 なぜ、「そろばん学校」のことをしるすのか? 「宇田川のそろばん学校」を隠れていた記憶の奥底から思い出したのだ。なぜならば、先日、玉津3丁目にお住まいであった方からのメールで、同じ「そろばん学校」だったことを知った。「そろばん学校」の同窓生だったのだ。私は小学3年生から6年生まで、その「宇田川のそろばん学校」にお世話になった。今から思うと牧歌的な楽しい時間を過ごさせていただいたと思う。

 自宅を出て路地の端を右に曲がる。少し歩いて三日月アパートの角を左に曲がる。「シンヤのパン屋」の角に出る。大成通商店街と一条通が繋がる道だ。その通りを越えて50メートルほどの左側に、「宇田川のそろばん学校」はあった。普通の民家のような玄関から入ると、板張りの作業場で、その手前を歩いて奥の階段を登った。二階が「そろばん学校」の教室だった。二階に上がると、奥の壁の上に、段級順で名前が記された木札が掛かっていた。

 ある日、そのそろばん学校で、「8ミリカメラ」の映写会があった。天井からスクリーンがつるされていた。娘さんがハワイに行かれた時に写されたものだ。生徒たちみんなでちょこんと行儀よく座りながら見た。私がテレビ以外でハワイの映像を見たのは、その時が初めてだった。恐らく刺激的だったのだろう。45年以上経った今でもその映写会の光景は瞼に浮かぶ。

 またのある日、同じそろばん学校に通っていた女子が病気で亡くなった。みんなでお通夜へと出かけた。その場所は、今から思うと、あの「路地の石畳」近くの家だったような気がする。大人になった今の言葉を使えば、その時、「さびしさ」「せつなさ」というものが感情として溢れ出したという記憶がある。その女子は色白で可愛いかった。今その姿が瞼に浮かぶ。

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