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2012年2月22日 (水)

「玉津3丁目」で育った方からメールをいただいて

 2月13日(月)16:54、わが生まれ育った大阪・鶴橋、大成通1丁目、現在は玉津3丁目で育った女性から「ボランチノートを拝見しました」という表題のメールを頂いていた。その一文を読みながら、うれしくて、ウレシクテ、嬉しくて、心あたたまるような一文に、素直に言えば瞳がソフトフォーカス気味になってしまった。

 ただ、個人的に自分自身の記録として、わがふるさとの町をしるした文章に対して、その感想のメールをいただくとは思っても見なかった。正直に、「めちゃくちゃにうれしい!」と言うのが掛け値なしの気持ちだ。

 そのメールの一文の中の固有名詞を見ていると、パソコンの画面があたかも映画のスクリーンのようになり、突然その町の風景と光景が浮かんできた。「太陽亭」「亀の湯」「ミヤマヤ」「中川の理髪店」「山田セル」という名称が懐かしい思いを呼び起こした。

 その周辺を今記憶をたどり思い出す。私の実家を出て徒歩1分足らずで、かつての大成通商店街に出る。その角に「三日月」の不動産屋、会計事務所、マッサージ屋があった。その角を右に折れる。道の左側には、制服の「ホシヤ」、美容室「ロゼ」、クリーニング屋、喫茶店。道の右側には、「更科」「氷屋」「ブリキ屋」「畳屋」が並んでいた。

 四つ角に差し掛かる。そこには洋品店、食堂、「竹内のたばこ屋」「ミヤマヤ牛乳店」があった。少し行くと左側に酒屋がある。確か「坂井酒店」だった。今も実家によると、妹が私に言う。「ビール飲むか?家にないけど買ってくるわ!」と、その「坂井酒店」の自動販売機へと出かける。少し歩いて右側が「山田セルロイド」だった。その会社の正式名称は知らない。その会社の手前の狭い道を近鉄線の方角にゆくと、私が通っていたそろばん学校があった。

 「玉津3丁目」で育ったひとりの方からのあたたかいメールをいただいて、とりとめもなく、あの町の風景と光景が眼前に広がった。「玉津3丁目」それは、私の町、「大成通1丁目」だ。春近しだがいまだ冬の日、その町への想いが自ずと湧き出た。

 今、ブログに書きしるしている間に、記憶の奥底から浮かぶ上がったことがある。東京・本郷の菊坂の路地で石畳を見かけた。わが実家の前の路地も石畳であった。確か、「坂井酒店」を曲がった辺りに、石畳があったような気がする。昔むかしの遠い記憶なので定かではないが。今度の休日に、少しばかり、その辺りを歩いてみたいと思っている。

 つたないブログを読んでいただき、メールまでをいただいた方へ、心より御礼申し上げます。

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