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2012年2月 4日 (土)

町名「大成通」のブリキ板を見かけて

 先月、鶴橋の実家近くを歩いていると、昔風情の家の前を通った。懐かしい風景だった。私が幼かった頃の実家もこのような家だった。路地に面して、格子戸があった。路面は石畳だったが、いつの間にかその風景は消え去って行った。

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 私の実家の町名は、もとは猪飼野大通1丁目だった。昭和19年1月(1944年)に町名変更で大成通1丁目となった。そして、昭和45年(1970年)9月1日、高校2年生(17歳)の時に大成通の名は消えて玉津3丁目となった。

 私は大成通に生まれて、24歳までそこで過ごした。おそらく「玉津」の方が歴史的には由緒ある地名なのだと思うが、個人的には「大成通」という町名に、すこぶる愛着がある。しかし、その町名が消えてから、すでに40年余りが経つ。

 この年の年始、この家の玄関上に、旧町名「大成通」のブリキ板が堂々と掲げ続けられていたのを見た。わが実家はもうかなり以前に格子戸もなくなっていた。また町名のブリキ板も消えうせていた。でも、その家には、凛として磨きぬかれたように町名ブリキ板が輝き残されていた。

 おそらく、40年以上前に消えうせた「大成通」という名に、頑なまでに「思い」「想う」人が住まわれているのだろう。心から敬服してやまない。

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