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2012年1月16日 (月)

「旧真田山陸軍墓地」に立ち寄って

 1/15(日)実家からの帰りに、遠回りをして「旧真田山陸軍墓地」に立ち寄った。大阪環状線・玉造駅から西へ徒歩5分、鶴橋駅から西北へ徒歩10分の場所にある。小学校時代、「陸軍墓地で遊ぼう!」と、近所の路地裏仲間たちと遠出して探偵ごっこ、鬼ごっこ、野球をしながら遊んだ場所だ。

 在学していた高校がこの墓地の近くにあったので、自宅への帰り道に、ときどき立ち寄ったものだ。大人になってから、その墓地がわが国でも貴重な歴史的遺産であることを知った。

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 「旧真田山陸軍墓地」は明治4年(1871年)に創設された。わが国でも最古の「陸軍墓地」で、その当時の姿を残す数少ない貴重なものだ。

 西南戦争(明治10年:1877年)、日清戦争(明治27~28年:1894~1895年)、日露戦争(明治37~38年:1904~1905年)当時の戦病者の個人墓碑が整然と立ち並んでいる。

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 墓碑上部に「独逸」の文字が見える。下部にはカタカナで個人名が記されていた。

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 この墓碑上部には「故清国」の文字が見える。下部には漢字で個人名が記されていた。

 この墓地には、当時の対戦国人々、おそらくわが国で病に倒れたのだろう。その者たちまでもが葬られていた。削り取られた石に刻まれていたのは、「俘虜」という文字だという。

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 軍人だけではなく、一般人もまた葬られていた。この墓碑上部には「看護人」の文字が記されていた。

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 これは「通信員」だ。

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 「軍役夫」だ。いずれもが確かに個人名が記されていた。

 かつては、個人墓碑が建立されていたのだ。ただ、その後、数ある戦争において膨大な 戦病死者が生じたため、個人墓碑は建立することが不可能になり、合葬墓碑、忠魂碑となっていったのだろう。

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 風雪に耐えかねて崩れつつある、また崩れ去った墓碑も無数にあった。明治の時代の戦病死者だ。その子孫といえども、その墓の存在を忘れ去ってしまったのだろうか?

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 一基の墓の前に、真新しい石が見えた。近づいてみた。

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 平成22年10月建立の文字が刻まれていた。100年以上前に戦死された方の鎮魂のために、子孫の方が建立されたのだろう。

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 「旧真田山陸軍墓地」は街中にあるのだが、実に静寂な世界だ。最近、近くに高層マンションが建設された。彼ら明治の戦病死者たちはいかなる思いで、その威容を眺め見ているのだろうか?

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「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」公式サイト 

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