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2011年12月23日 (金)

2006年2月「長野エルザSC」を知った日

 2006年2月 息子が「長野エルザSC」(現AC長野パルセイロ)というクラブへ行くということからその名と信州・長野市にあることを初めて知った。他地域のサッカー状況については詳しくなかった。信州・長野市とサッカーというものが結びつかなかったことは事実だ。ただ、「長野」・「エルザ」という言葉から、ふと脳裏を過ぎったことがあった。

 ひとつには、「長野」から「信州」を思い浮かべた。自分自身の中で、かねてから「信州」は特に魅惑を感じ続けていたエリアだった。その影響から子どもたちが幼かった頃、5度ばかり毎年夏に、3泊4日ぐらいで北アルプスの山々を訪れていた。子どもたちからは「また、信州やの?」という言葉を聞きながら。

 でも、それ以降、2006年当時、「信州」へは個人的にも10年間ぐらいは訪れていなかった。息子が「長野」へ行くということを聞いた時、これは年一回ぐらいは大義名分で「信州」へいくことができるかもしれないと邪念を抱いた。

 もうひとつは、「エルザ」という名だった。その名を聞いた時、若かったころ見た映画「野生のエルザ」を思い浮かべた。詳しいストーリーは忘れていた。「エルザ」という雌ライオンが人間に保護されていた状況から、本来の野生にもどってゆく過程を描いたものだったように、おぼろげながら記憶していた。

 クラブ名を「エルザ」と命名したのは、「ライオン」「野生」「母」そしてアフリカの「大地」を思い浮かべてのことだろうと推測していた。だが個人的には、「エルザ??」「エルザ?」「エルザ!」とつぶやくうちに、その名から魅惑的な女性を思い浮かべていた。

 それ以前10年間にわたり「信州」を訪れていなかった。「長野エルザSC」というクラブを知ってから6年が経った。足しげくというほどでがないが幾度も「信州」を訪れた。「長野エルザSC」というクラブ名は、自分自身の若かりし日からの「信州の風土へのあこがれ」を「リバイバル(復活)」させた始点だったと、今振り返っている。

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