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2011年10月 1日 (土)

人生の大きな区切りの夜に、薩摩「郷中教育」と会津「什の掟」を思い出して

 2011.9.30は、ただの一年の中での一日、社会的に何ら重要な記念日でもない。でも、個人的な意味では、大きな区切りの日であった。いや記念すべき日だったのだろう。サラリーマン生活での役職定年の日だった。感慨は深い。職場の同僚と二人、JR鶴橋駅近くで酒を飲み別れて自宅に帰った。久しぶりの酔いどれ舟だった。

 その夜、なぜか振り返り思い出してしまった。「薩摩・郷中教育」と「会津・什の掟」のことを。確か以前に、そのことについてブログに掲載した。自分自身のブログ内を検索して、その記事を見つけて読み直した。余りいい文章だとは言えない。でも心の中でつぶやいていた。「ああ、そうか、俺は書いていたのか!」と。

 大学を卒業して一介のサラリーマン生活を続けてきた者にとって、役職定年という大きな区切りのの夜に、なぜそのようなことが思い浮かぶのだろうか? もっと他のことを思い浮かべることができないのか? 今、はっきりと論理的に説明できない。ただ、思い浮かんだという事実がある。二名春日に住む、一介の信用金庫職員のひとりとして、そのことを記録し、以前に書いた雑文を再掲載しておく。ひとつの区切りの夜に。

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「薩摩・郷中教育」(2007.11.25)

 2001
年(平成13年)83日に熊本から人吉を経て、鹿児島に立ち寄った。夕刻閉館まじかの旧鹿児島(鶴丸)城本丸跡にある鹿児島県歴史資料センタ-「黎明館」に入館した。閉館時間が近づきある中、ある展示場所で立ち止った。「郷中教育」に関しての展示であった。

 私は「郷中教育」(ごじゅうきょういく)という言葉をその時初めて知った。内容なども知る由もなかった。ただ興味が湧いた。だが閉館時間が来たので、詳細を見ることもできず、やむなく不完全燃焼のまま館外に出た。


 「郷中教育」というものが頭から離れなかった。「異年齢」・「地域」・「教育」というキ-ワ-ドが脳裏にこびり付いていた。翌朝、再び今度は開館と同時に「黎明館」に入り「郷中教育」の展示の前に行き、今一度ゆっくりと展示物を眺めノ-トにメモをとった。

 「郷中教育」とは、薩摩藩独特の教育であった。45町(約440550メ-トル)四方の「方眼」(ほうぎり)と呼ばれるエリアを基盤とする。概ね4080戸中で居住する青少年を教育する仕組みであった。青少年を4つのグル-プに分ける。

 「小稚児」(こちご 
610歳)、「長稚児」(おせちご 1115歳)、「二才」(にせ 1525歳)、「長老」(おせんし 妻帯した先輩)。そのグル-プごとに「頭」(かしら)を選び、その者が郷中の生活の一切と監督の責任を負った。それは子どもたちの自治区であった。

 「小稚児」の子どもたちは、早朝、毎日先輩の家へ行き本読みを習い、午前中はその復習をしたのち広場や神社の境内などに集まり、相撲、旗とりなどの山坂達者(今で言えば体育・スポ-ツ)によって身体を鍛えた。午後は、読み書きの復習をした後、先輩や先生の家にいって夕方まで、剣、弓、馬術など、武芸の稽古をした。 

 「長稚児」たちは、夕刻に「二才」たちが集まっている家に行って、「郷中の掟」を復唱し先輩たちに教えを受けた。薩摩藩の子どもたちは、一日のほとんどを同年代・年上の人たちと一緒に過ごしながら、心身を鍛え、武芸を身につけ、勉学に励んだ。

【郷中の掟】
・武士道の義を実践せよ  ・心身を鍛錬せよ  ・嘘を言うな ・負けるな  ・弱いものいじめをするな  ・質実剛健たれ

 
「武士道」という言葉に違和感を持つ人がいるも知れない。現代の時代から見て、「武士道」を「人の道」と置き換えてみる。「人の道の義を実践せよ」となる。「義」とは「広辞苑」によると「人間の行うべきすじみち」という意味がある。その言葉は今も通じる。つづく「心身を鍛錬せよ」「嘘を言うな」「負けるな」「弱いものをいじめるな」「質実剛健たれ」など、当たり前の常識的な事柄だ。そのことを日常生活の中で、子どもたちを育もうとする教育の仕組みがそこに存在した。

 
大人たちはあくまでもアドバイザ-・サポ-タ-として存在する。その中で子どもたちは切磋琢磨しながら自分自身の人間性を磨いた。「学校」という存在は近代以降の産物である。それ以前、「教育」は今でいう「地域」が多くの部分を受け持っていた。今、そのような仕組みはあるのか?
 

※鹿児島「維新ふるさと館」を訪ねた時、当時の教育水準の高さを誇った薩摩藩の「郷中教育」と並び称されるものに、「白虎隊」で有名な会津藩の「什」があることを知った。

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「会津藩・什の掟と日新館」

 200110月、「異年齢」「地域」「教育」という三つのキーワードを胸に、私は会津若松市にある「会津藩校日新館」を訪れた。地域でのサッカーという場に関わり、私にとってその場がただなんとなくスポーツをする場というだけでなく、子どもたちの成長にとって、将来の糧になるヒントを得る学びの場であると常々思っていた。しかし、子どもたちの「自律」「自立」「規範」という概念の薄さを感じていた。それは子どもたちの責任ではなく、先に生きている私たち大人の責任が大きい。

 
日本人に「品格」を問い、ベストセラーとなった藤原正彦氏の「国家の品格」(2005.11)でも、「会津藩の教え」として「什の掟」を紹介している。田嶋幸三氏の「言語技術が日本のサッカーを変える」(2007.11)の中でも、数ページにわたり「什の掟」のことを論じている。「『日新館』という藩校を中心とした会津若松の子弟教育からJFAアカデミーのスタッフは多くのヒントを得ることができました。」「日本流サッカーを作り上げていくためのヒントでもあるのです。」「什の掟」は「人間として絶対に身につけなければならない、自分の意思決定の基準を表した内容です。」と

 
サッカー関係の書籍の中で、私は上記のような言葉を初めて見た。現代でいうプレ・ゴールデンエイジの時期に、かつては「郷中教育」「什の掟」の教育内容が実践されていた。われわれはそのようなことを実践しているのであろうか。そのことを成さずに時が経過した時、ジュニア高学年、ジュニアユース、ユース、トップとつけを回すような状況になる。

 習慣は幼い頃からの積み重ねである。サッカーおよび人間としての「よい習慣」は、やはりジュニア年代から積み重ねるべきものである。エリート教育の側面からではなく、地域でのノーマル教育としてジュニア年代の「自律」「自立」「規範」に関するクラブでのコーチングは不可欠である。

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「備前冬ノート2002」(2006.12.31)

 JR山陽本線・
吉永駅で降りる。鄙びた小さな駅である。特別史跡「閑谷学校」に立ち寄った。徳川時代における庶民教育の歴史的な場所である。この夏に訪れた会津・日新館もそうであったが、周りの環境がすばらしい。自然と調和している。現代においての教育環境とは? 教育理念とは? 教育実践とは? ものすごく考えさせられる面が多々あった。

 
学校自体を地主にした。池田家が取り潰されたとしても、学校が経済的にも永続できるようにした。寄宿舎での生活は6:00起床、7:00自主勉強、10:00講堂・習字所で勉強、16:00夕食、その後勉、22:00消灯。毎月5・10日は休日、掃除・洗濯をした。

 他領地の子どもの入学も認められていた。寄宿舎において、一部屋に異年齢で数名が寝起きしていた。教官宅でのグル-プ指導、個別指導がなされていた。興味ある事実である。

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「鹿児島県歴史資料センター 黎明館」公式サイト

「会津藩校 日新館」公式サイト

「特別史跡 旧閑谷学校」公式サイト

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