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2011年10月15日 (土)

「グエン・フォン・リー」を思い出して

大阪・難波の「HUB<br />
 」で、日本対ベトナム戦を観戦している。(<br />
 携帯20:20)

 10/7(金)夜、大阪・難波「HUB」で、日本対ベトナム戦を観戦した。ベトナムは日本に対して善戦していた。ウイスキーを飲みながら、テレビの映像を眺めていた。「ベトナムか?」とつぶやきながら連想が広がった。「ベトナム」→「アオザイ」→「サイゴン」→「ベトナム戦争」と。その連想の最後に、「グエン・フォン・リー」の名が浮かんだ。

 「グエン・フォン・リー」とはベトナムのひとりの女性の名だ。もう40年以上前になる。僕が高校生だった時、その名を新聞の記事で知った。写真入りだった。年齢で言えば、当時、僕よりも少し上だったような気がする。その記事と写真に心の琴線が鳴った。その新聞から彼女の写真を切り抜いて定期券入れの中に忍ばせていた。

 現在のベトナム社会主義共和国は、当時、社会主義国家・北ベトナムと資本主義国家・南ベトナムに分断されていた。ベトナム戦争は政治思想と経済体制が異なる大国が小国を舞台にして戦った代理戦争のようなものだった。でも、それは政治思想を超えた「民族独立戦争」でもあった。

 その当時、僕は社会主義国家に嫌悪感を抱いていた。どちらかと言えば、保守的な人間の部類に位置していた。加えて非政治的な人間だった。そのことは今も変わらない。その記事で紹介されていた「グエン・フォン・リー」は間違いなく、僕と立ち位置が相違する女性だった。

 でも、あの新聞記事と彼女の「微笑み」を抱いた顔を見て初めて気づいたのだ。政治思想、経済体制の相違などに関係なく、人は毎日、老若男女を問わず一生懸命に生きているのだ。それが「民衆」だと。

 彼女がその当時どのような活動をしていたかの詳細は知らない。彼女の存在が僕の幻影かもしれないとWebサイトで検索した。詳細はわからなかったが、ささやかな記事を見つけた。彼女は僕の幻影ではなく確かに存在したのだ。

 あれから40年余りを経た。今、僕は58歳だ。いろいろなメディアを通じて、無数の人の名を見たが多くは忘れ去ってしまった。確かに記憶に刻まれていた一般的には無名な「グエン・フォン・リー」という女性の名と姿を、日本対ベトナム戦を眺めながら思い出したのだ。

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