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2011年7月 2日 (土)

「信州ダービー」へ寄せて 2011.7.2

 7/3(日)JFL後期第1節 AC長野パルセイロ対松本山雅FCの一戦が長野市・南長野運動公園総合球技場で行われる。地域リーグ時代から両雄の一戦を「信州ダービー」と呼ぶと言うことを以前に知った。AC長野パルセイロがJFL昇格を果たして、カテゴリーを上げて、「信州ダービー」は繫がれた。明日は今季のダービー第2戦となる。

 わが国にも、多くの「ダービーマッチ」と名がついたものがある。そこに、本質的な「街と地域の歴史の葛藤」があるだろうか、もしあれば、それは言葉通りに「ダービーマッチ」と言える。でも、それがなければ、名ばかりの商業主義的な盛り上がりや集客を意図した、ただのイベントでしかない。

 「英国のダービーマッチ」(ダグラス・ビーティ)の訳者あとがきで、翻訳家・実川元子さんは「ダービーマッチ」の二つの条件を示された。

 ①クラブ同士に共通するものと対立するものがあること。とくに同じ地域にあるという共通点があり、ファン層が、社会階層、宗教、民族、政治で対立してきた歴史があること。

 ②クラブ、選手、スタッフ、ファンの全体が、相手を強く意識し、激しい敵対心と連帯感の両方を持っていること。

 この二つの条件を満たしてこそ、本来の「ダービーマッチ」と呼ばれるのだ。わが国でもさまざまな「ダービーマッチ」が繰り広げられている。それらの歴史についてすべて知ることもない。だから、それらが本物の「ダービーマッチ」なのかどうか肯定も否定もできない。ただ、誰が名づけたかは知らないが「信州ダービー」は、僕にとっては、本物の「ダービーマッチ」の匂いを感じている。

 何年か前に、初めて「信州ダービー」を観戦するために、AC長野パルセイロホーム「南長野」を訪れた。何もわからず、JR篠ノ井駅から徒歩で「南長野」へと向かった。僕の前を中学生の一団が歩いていた。彼らの後ろ姿を追いながら、30分程度は歩いただろうか。やっと「南長野」に着いた。

 今まで見たこともない光景だった。オレンジやグリーンのゲームシャツを身にまとった人々が闊歩していた。傍らには、両クラブのファミリー連の微笑ましい姿を観た。信州の地で、かつ地域リーグのゲームで、多くの人が集まり熱狂している姿を見るなどと思ってもみなかった。

 即座にその時、僕はフットボールの発祥地・イングランドの小さな町で行われている「ダービーマッチ」を想起した。素直に言えば、僕は香ばしいその匂いを敏感に感じた。この目の前に現出している、ピッチ内外、選手・スタッフ・クラブ・ファン・サポーターの総体としての光景は、「サッカー」ではなく、まぎれもなく「フットボール」だった。



 「信州ダービー」第1戦は、4/30(土)松本市・アルウィンで行われた。観客数は1万人を越えていた。第2戦は、7/3(日)長野市・南長野運動公園総合球技場で行われる。もし、長野市にアルウィン同様のJリーグ仕様のスタジアムがあれば、同様な観客数となるだろうが、如何せん、南長野のキャパは少ない。

 今回、第2戦の観客数も安全管理の上で4,000人に抑えられている。発売日当日に即刻にチケットは完売している。長野市では、NBC長野放送ではテレビ生中継(解説:川渕三郎さん JFA名誉会長)、SBC信越放送ではラジオ生中継(解説:元川悦子さん サッカージャーナリスト)が行われる。また、長野市・松本市の両市ではパブリックビューイングも実施される。

 Jリーグならいざ知らず、JFL(日本フットボールリーグ)のゲームで、チケットが完売し当日券が発売されないという状況、また当日にテレビ・ラジオ生中継が行われるなど、聞いたことがない。それほどに熱狂し盛り上がるには、ただの「サッカー」のゲームではなく、「地域の歴史の葛藤」が背景としてあるのだろう。

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 現在の長野市・松本市は、7世紀後半に制定された「大宝律令」の律令国の名で言えば、「信濃国(しなののくに)」に属する。その当時、その国の中心とされる「国府」は、現在の松本市周辺に設置されたという。

 古来から、「信濃国」また「信州」と呼ばれた。連綿としてその地域は「信濃国」というひとつの「国(くに)」だったのだ。その国の名を分断したのが、明治維新期の明治4年7月、天皇から「廃藩置県」の詔書だった。明治4年11月、長野市は「長野県」、松本市は「筑摩県」に属することになった。明治9年8月、二県が合県して現在の「長野県」となった。

 その後、分県・県庁移設問題で、「長野県」は南北間の対立が生じた。明治の初めから戦後の昭和まで長く続いたという。そのような歴史的な背景から、特に長野市と松本市の対抗、対立意識が生じてきたのだろう。

 1968年5月、「信濃の国」が県歌に指定された。信州の近代という時代の歴史・政治的な分断から融和・統合への道筋への、ひとつの象徴的な出来事だった。それ以降も、長野市と松本市は強烈な対抗意識とライバル意識を持ち続けて、双方とも、行政単位の「市」(City)として確固たる地位を築いた。

 Jリーグを目指すフットボールクラブであるAC長野パルセイロと松本山雅FCの一戦、「信州ダービー」は、「長野市」と「松本市」の強烈なライバル戦の具現化されたものかもしれない。クラブ対クラブという枠組みを超えた「City戦」の様相を呈している。

 地域リーグ時代から、またJFLで、スタジアムに緩衝地帯を設置しているのは、AC長野パルセイロ対松本山雅FCの一戦のみだ。それだけ刺激的で熱狂する場なのだ。それは、「祭り」「祝祭」のようなものだろうか。もしかしたら、日本の夏祭りの「だんじり」合戦かもしれない。

 強烈なライバル意識を前面に、スタジアムで素直に素敵に表出しながらも、東日本大震災・長野県栄村支援活動で、両サポーター・クラブが協力して、活動した事実を過日に知った。両クラブの本拠地、長野市と松本市は車・鉄道でも1時間程度かかる。その距離と時間をものともせずに、彼らは「ワッソ」(行き来)したのだ。日頃の対立意識に隠れた両クラブの連帯意識を観た。正直に素敵なクラブだと思う。

 だからこそ、素敵なクラブ同士、7/3(日)JFL後期第1節、AC長野パルセイロ対松本山雅FC、「信州ダービー」は輝くだろう。いずれかのクラブに歓喜と悲嘆が渦巻くかもしれない。それでも、両クラブ、また両市とも、自ずとさん然と存在感をしめしているのだ。

 7/3(日)早朝に、まほろば奈良二名春日を発つ。若かりし頃からの興味ある地、「信州」へ、「信州ダービー」を観戦するために。両クラブの選手、スタッフ、サポーター、ファン、関係者一同に敬意を表しつつ、「魂闘」を心から願っている。

「松本山雅FC」公式サイト

「AC長野パルセイロ」公式サイト

 

 

 

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