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2011年6月16日 (木)

わが路地裏にて~「パトリ」を想う~

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 6/11(土)母の三回忌と祖父の五十回忌のため、鶴橋の実家に出かけた。僕が生まれ育った旧「大成通」の路地は、かつて石畳で格子戸の家が並んでいた。それぞれの家の軒先には、鉢植えの花々があった。自然とは縁遠い場所であるからこそ、その路地の人びとの想いだったのだろう。

 その姿のままであれば、大阪・京都の今も残る町屋のように昭和初期の趣きある町並みとなったかもしれない。でも、いつの頃からか、石畳はアスファルトへ、格子戸は普通のモルタルの壁へと変わって行った。

 今は僕の実家の敷地内になっているが、家の横には共同井戸があった。昭和30年代初めでさえ町中であっても、その井戸で近所のおばさん連が井戸水を汲み、洗濯板を使って洗濯をしていた。そこでのおばさん連の井戸端会議の光景がいまだに目に焼きついている。

 その狭い路地には、さまざまな人びとがやって来た、魚屋、豆腐屋、ロバのパン屋、焼き芋屋、わらび餅屋、ぽん菓子屋、置き薬屋、さお竹屋、中華そば屋、包丁研ぎ屋、雨傘修理屋、行商人、紙芝居屋、チンドン屋、傷痍軍人、母娘巡礼、托鉢僧、虚無僧、等々のもしかしたら、それぞれが旅人のような人びとであったのかもしれないと、今、僕は想う。

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 路地は通路であった。行き交う人びとのさまざまな姿があった。それは道行く旅人と出会うようなものだった。また、路地は遊び場、グラウンド、走路、広場、集会所、催し会場でもあった。

 そこには、「学校」という場よりも、楽しく、面白く、興味ある体験がころがっていた。厭なこと、悲しいこと、さみしいことも多だあった。あれから半世紀が経った。今、素直に冷静に考えると、この狭く美しくもない旧「大成通」の路地は、少なくとも、僕にとって、「もう一つの学校」、善きつけ悪しきにつけ、「学び舎」、また「パトリ(家郷)」だったと確信している。

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