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2011年5月28日 (土)

山本作兵衛(炭鉱記録画家)の絵画・日記 ユネスコ「世界記憶遺産」に登録

 5/26(木)朝日新聞朝刊によると、筑豊の炭鉱記録画家・山本作兵衛(1892~1984)の絵画・日記がわが国で初めてユネスコ「世界記憶遺産」に登録されたという。

 「世界記憶遺産」とは、言語や民俗、文化性を反映した貴重な文書や書籍、絵画、映画フィルムなどの保存と公開を進める目的でユネスコが始めた事業だ。「ベートーベンの交響曲第9番の草稿」「グーテンベルク聖書」「英領カリブの奴隷の記録」「アンネの日記」など、これまで76カ国193件が登録されている。

 福岡・飯塚市で生まれた山本作兵衛は、子どもの頃から筑豊周辺の炭鉱で働いた。1950年(昭和30年)頃から、孫にかつての「炭鉱」での生活を伝えようとして絵を描き始めた。その絵は、わが国の近代化を支えた「炭鉱」を、働く者からの視点で描いたものだ。

 新聞紙上第一面に掲載された山本作兵衛の絵は、明治時代中期の坑内の模様なのだろう。低く狭い坑内で、寝そべりながら手掘りしている裸の男女の姿だった。先山(さきやま)に男、後山(あとやま)に女が過酷な状況の中で「石炭」を掘り出している。

 それでもその絵の男の顔には無心さ、女の顔には微笑みが描かれているような気がする。それは、共感者としての筆致だ。

 かつて、「石炭」は燃料として、わが国の産業を支えた時期があった。それは過酷な労働環境の「炭鉱」で働いていた人びとによって掘り出されたものだ。私は昭和28年生まれであるが、自分自身の日常生活の中でも「石炭」は確かに存在していた。

 小学生だった頃、大阪市の街中の小学校に通っていたが、冬の季節、教室のストーブの燃料は「石炭」だった。当時の子どもたちの日直の仕事は、石炭ストーブの灰の掃除と燃料置き場から、「石炭」を細長いバケツのようなものに入れて教室まで運ぶことだった。

 当時、テレビで「炭鉱」の落盤・爆発事故の映像が映し出されていたのを覚えている。1963年三井三池炭鉱の爆発事故は映像を通して私の眼にも確かに残っている。今振り返ると、私が小学校4年生の時だった。子どもながらに「炭鉱」という場所が危険を伴い、厳しい仕事だと知った。

 「黒いダイヤ」ともてはやし、国策として国は「石炭産業」を支えた。それから「石油」、「原子力」へと時代は変遷した。基幹産業としての「石炭産業」、そこで働く人びとの「炭鉱」という場所もフェードアウトして行った。

 炭鉱記録画家・山本作兵衛の絵画・日記がユネスコ「世界記憶遺産」に登録されたことは、わが国の近代史を振り返る意味で、また現代に生きる我々の今の生活は誰が創りだして来たのかをあらためて考えなければならない。「歴史」は我々の「未来」のために何かを伝えている。

「田川市石炭資料館」Webサイト

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