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2011年1月30日 (日)

「ムーミン」のような先生を思い出して

2011122  左の写真は、雑誌「芸術新潮」の2009年5月号だ。特集は「ムーミンを産んだ芸術家 トーブェ・ヤンソンのすべて」だった。僕が初めて、「ムーミン」を知ったのは高校3年生の時だった。先日、「冬のデナリを読んで」の中で書きしるしたが、高校時代の英文法の授業の副読本が洋書「ムーミン」だった。確かペリカン社から出ていたものだったと記憶している。

「ムーミン谷へようこそ」公式サイト


 僕の高校時代の英文法の先生は西前四郎先生だった。すらりと並んだ英文の横文字には全くと言っていいほどに興味がわかなかった。でも、「ムーミン」のイラストは楽しく眺めていた。西前先生の姿と較べていた。その当時、僕は、一般的に教師というものに反感を持っていた。でも、西前先生だけは違った。素直に好感を抱いていた。

 西前先生は山岳部の顧問だった。僕が高校3年生だった初夏の頃だと記憶している。高校西門近くのクラブ部室棟からの階段を降りた場所で西前先生とであった。「白馬(はくば)に行ってみないか?」と話しかけられた。

 その年、山岳部が信州・白馬で合宿をするのだという。それに誘われたのだ。一瞬、唖然となった。サッカー部に所蔵しているのに山岳部の合宿などに参加できるわけがないし、参加したいとは思わなかった。その話を断った。「山はいいぞぉ!」と先生は僕につぶやくように言った。

 その当時、僕は西前先生が登山家だと人づてに聞いてはいた。昔ながらの山男という先入観があった。そのイメージからかけ離れていた。30歳代半ばを過ぎた小柄で、どこか頼りなげで柔和な存在だった。本当に登山家なのだろうかとちょっぴり疑問を抱いていた。でも不思議と好感を抱いていたことは事実だった。


 それから16年後、僕が34歳になった時、家族一同で信州の安曇野・八方尾根へ旅行に出かけた。その時、家族一同で初めて信州を訪れた。長女9歳、次女7歳、長男4歳だった。ロープーウェイとリフトを乗り継ぎ、そこから徒歩でハイキング気分で八方尾根の八方池まで歩いた。

 八方池のほとりで弁当を広げた。「向こうに見える山は何と言うの?」と長女が僕に聞いた。解らなかった。近くの案内板を見て僕は長女に伝えた。「あれは、白馬(はくば)や!」 「今度はあの山に登ろうよ!」と長女は言った。その時だった。確かに、「白馬へ行ってみないか!」という西前先生の言葉と姿を思い出した。

 それからの5~6年間、僕たち家族は、毎年夏に信州詣でをすることになった。3泊4日か4泊5日の行程だった。翌年は富山の立山へ、続いて、白馬岳、奥穂高岳、槍ゲ岳、北穂高岳に登頂した。

 ちょうど、長男が保育園年長児だった頃、1989年12月31日~1990年1月7日に、家族を引き連れて、ネパールのアンナプルナ・マナスルを望む低山トレッキングに出かけた。もうすでに20年以上前の話だ。

 その影響だろうか、長女は今はもう存在しないがニ名中学校山岳部に入部した。また、長男は中学3年の春、中学校が荒れていた時、僕が運転するおんぼろタウンエースの中で、「山へ行きたい!」と言った。今、26歳になる息子は長野市に住んでいるが、何年か前、チームメートと二人で、戸隠山に登ったと、遠くにその山が見えるリバーフロントのピッチで僕は聞いた。

 1996年、西前先生は逝去された。2004年3月に「冬のデナリ」を読むまでは、わが家族の山歩きと西前先生との結びつきをそれほど思ってはいなかったが、その本を読んだ後に想い続けていることがある。

 わが家族が一般的なコースタイムよりも大幅に遅くゆっくりと、多くの山歩きの人々に抜かれならも楽しく歩いたことの誘因(インセンティブ)は、西前先生の「白馬(はくば)に行ってみないか?」 「山はいいぞぉ!」という言葉にあったのだろう。僕が18歳の時に聞いた西前先生の何気なく僕に話しかけつぶやいた言葉が、意識下ではなく無意識下の中で育まれ続けていたのかもしれない。

 僕の子どもたちの山との関わりは、元はといえば西前先生の言葉が世代を越えて、つながったものだ。僕は57歳を過ぎた。その年になって「ムーミン」が好きだといえば笑止されるのだろう。でも好きだ。だから、雑誌「芸術新潮」を買った。そのことは西前先生の英文法の授業のおかげなのだろう。 「山歩き」と「ムーミン」は、教師らしくない西前先生から頂いた大切な贈り物だと今思っている。

「カモシカクラブ/西前四郎“冬のデナリ”」Webサイト

「意志による楽観主義のための読書日記」Webサイト

「西前四郎氏のこと/デナリ冬季初登頂の真実」Webサイト
 

 

 

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