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2011年1月 1日 (土)

「早春賦」を聴きながら

Img  2011年元旦の朝、訳も理由もなしに何気なく、CD「早春賦~吉丸一昌作品集」を聴いた。かつて、大分・臼杵の「吉丸一昌記念館」で買ったものだ。

 窓の外から青いカーテン越に心地よい太陽の日差しをを感じた。確かに今は冬であるが、早春のような明るい気分だった。

 「♪春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てずに・・・・・♪」

「早春賦」 You Tube サイト

 元旦早々、心地よいメロディーに身を任せながら、信州・安曇野、豊後・臼杵を思い描いていた。思い出してしまった。10年前に豊後・臼杵を訪ねて一文をしるしたことを。確かブログにも掲載した記憶があった。わがブログ内を検索して探し出した。新年早々、雑文、長文ではあるが再掲載する。

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「早春賦 吉丸一昌・ふるさと臼杵」(2001.3.23)

 1999年、師走のあわただしい夜だった。大阪・難波の居酒屋で酒を飲み仲間と別れた。若かりし頃から酒を飲んで一人になると、決まってある場所に行きたくなってしまう習性がある。それが、いいのか悪いのかは、人それぞれの価値判断でしかない。ただ、悪くもない習慣であると自分自身では思っている。

 そこは、新刊本屋と古本屋・レコ-ド店(古くさい名である)、オ-ルドファションな人間である。閉店間近の灘波ジュンク堂書店に入った。あわただしく本棚に目を配り、本の題目を追った。その一瞬、発作的に、本当は何らかの理由、意味が存在していたのかもしれないが、「唱歌・童謡ものがたり」(岩波書店)という定価2200円の本を買い求めた。

春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てずに 時にあらずと 声も立てずに

 難波発の奈良行き快速急行は、私をも含めて酔いどれ客でいっぱいだった。その中で本を開いた。最初の項目が「早春賦」であった。4ペ-ジの短文であった。つり革に右手でぶら下がりながら、左手に本を持ち、珍しく集中して文章を追った。その時、私自身が疲れていたがために、全く違った世界の情念にひきつけられたのかもしれない。一気に読み終えた。

 長い長い生駒トンネルを走り続ける電車の中、ほろ酔い気分でいろいろな事柄が映像として脳裏をよぎった。その時、私は、唱歌「早春賦」の作詞者・吉丸一昌のふるさとである大分県・臼杵の町を訪れたいと思った。

氷解け去り 葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく 今日もきのうも 雪の空 今日もきのうも 雪の空

 吉丸一昌は、明治6年9月15日に豊後国北海郡海添村(大分県臼杵市海添)の下級武士の長男として生まれた。吉丸家の生活は苦しく、父は荒地を耕し、母は針仕事に精を出した。吉丸は臼杵高等小学校、大分中学校とも成績優秀であった。中学卒業を目前にした3月、両親は吉丸ひとりのみを養うだけで精一杯の生活の苦しさから、二男の章(5歳)、三男の充(3歳)を栃木県塩田郡へと養子に出した。

 その後、吉丸は第五高等学校(現熊本大学)、東京帝国大学国文科に進む。第五高等学校時代の教授であった夏目漱石の多大なる影響を受けた。成績優秀者として、臼杵の名門稲葉家の奨学金を受け、勉学に励んだ。吉丸は大学在学中から、向学心に燃え、地方から東京に出て苦学する学生のために「修養塾」をつくり、衣食住の世話から勉学、就職に至るまで面倒を見た。

 明治33年9月 同郷のユキと結婚した。しかし、2年後の明治35年9月 妻ユキは病が元で死去した。吉丸は29歳、ユキ21歳であった。小学生のころ両親を亡くした薄幸のユキにとって、たった2年間の結婚生活であったが、夫また弟のような修養塾生たちに囲まれ、短くも楽しい日々を送った。それから9年後、吉丸がユキの墓参で臼杵に帰郷した折に、彼女を想いつづった歌がある。

むかし見し かの初恋の 初日の出 いまなき人の おくつきにさす

 この頃、吉丸は、家庭の事情で勉学できない若者たちのために、小学校の教室を借り「下谷夜間中等学校」を創設した。当時としては、初めての試みであった。吉丸が「修養塾」「夜間中等学校」を創設し、地方からの勉学に燃える苦学生たちを支えようとしたのは、自分自身を支えてくれた両親、故郷の稲葉家への感謝、また、勉学に励めたくとも励めない、栃木に幼くして里子に出された弟たちへのうしろめたさが、どこかにあったであろう。

 その後、明治38年に10年余りぶりに実弟である充と再会した。吉丸は弟の充の将来を察して、修養塾で苦学させている。ただ、実弟である充には、従兄弟であるとのみ伝え、実兄であることを生涯名乗らずに。

 明治42年4月、吉丸は東京音楽学校の教授となる。明治45年5月 「尋常小学唱歌」が発刊され、編集委員に吉丸一昌の名前がある。同年より大正3年まで、吉丸は「新作唱歌」全十集75曲を発表することになる。その中に「早春賦」がある。

 また、多数にわたる校歌の作詞も手がけた。しかし、大正5年3月7日早朝、吉丸一昌は急逝した。吉丸家では彼の意志を尊重して、「・・・御供物は御辞退申上候、・・・此広告以外には御通知不申上候、」と新聞広告に掲載した。ふるさとを出て20年余り、享年43歳であった。

人見れば 人はうつくし 花見れば 花はうつくし されば悲しや

 2001年2月、私は吉丸一昌のふるさと豊後・臼杵を訪ねた。臼杵は戦国末期に生きたキリシタン大名・大友宗麟の本拠地、かつては、宣教師や南蛮人が行き交う国際都市・港町であった。今はその当時の面影はなく、ひっそりとした小さな城下町の風情であった。

 小雨降る肌寒い万里橋を渡る時、小言で話をしながら男二人が釣り糸を垂れていた。橋の上で立ち止まり、臼杵川の川面をのぞきこんだ。おまえは、休暇をとってまで、なぜこの町に来たのか?なぜ「早春賦の舘」を一人訪れようとするのか?自問自答する。なぜ? なぜ? ただ単なる物好きか? 閑人か? 孤独が脳裏をよぎった。

 臼杵湾に注ぐ臼杵川の河口近く、万里橋の川べり路地のかたわらに、「早春賦の館・吉丸一昌記念館」があった。亡妻ユキの実家であった。古い民家風の建物で、来訪者の気配はない。恐る恐る格子戸をゆっくりと開けた。しんと静まり返っていた。奥から若い女性が「いらっしゃいませ!」と顔をのぞかす。美しく魅力的な女性である。旅に出れば出会う女性すべてが、それぞれ魅力的に見えてしまう。日常の中ではそれぞれの魅力は、隠れているだけなのかもしれない。

 入館記帳簿に住所と名前を記した。全国津々浦々から吉丸一昌を訪ねてこの記念館を訪れていた。宮城県、新潟県、千葉県、沖縄県等々からの来館者の名前が記されていた。万里橋の上で感じた孤独感はいっぺんに吹き飛んだ。やはり、仲間はいた。日常の中では、なかなか巡り会えない感性と情感の一部を、共鳴できるであろう人間が確かに存在した。孤独とは、自分勝手に自分自身のことを孤独だと、思い込んでいるに過ぎないことかも知れない。ほんとうは、どこにでも仲間はいるということを知らないだけだ!

かなしくも あらぬこころを 強いてだに 語らねばならぬ 歌人のむれ

 小さな古ぼけた民家の部屋に上がった。「早春賦」のうたが流れている中、吉丸一昌の写真、記念の品々を見て回った。ふるさとびとの情念を背負い、それに答えて生きようとした人間の軌跡であつた。静寂の中、お湯を沸かしている音がかすかに聞こえてきた。吉丸一昌の生きてきたさまに想いをはせると、涙腺の奥のほうが少し潤んできた。

 土間から降りて靴を履こうとした。さきほどの女性が、「お茶をどうぞ!」と小さな湯のみを差し出した。うだつの上がらない風采の中年男と30代前半の魅力的な女性が、古い民家の土間に腰かけお茶を飲みながら二人きりで、とりとめもない世間話をした。日常では感じることの少ないゆったりとした豊かな時を過ごした。

「お茶を飲むのに事欠かなかったならば、世界など滅んでしまってもよい!」というロシアの文豪は書いた。差しだされたのが「お茶」であってよかった。「酒」であれば、ときを忘れて身を滅ぼしてしまう。つかの間のふしだらでありながらも清らかなひとときであった。

君見れば 心に動く 心かな わかきむかしの 心にも似て

 夕暮れ時、小雨降る万里橋を渡った。まだ、傘を差した二人の釣り人は、臼杵川に釣り糸を垂れていた。龍源寺の古ぼけた三重塔が見えた。臼杵は歴史を感じさせる小さな町だった。今日だけは、この町にとどまりたいと思う気持ちがふつふつと湧いてきた。

 石垣や白壁が並ぶ落ち着いた雰囲気の、「二王座歴史の道」を散策しながら、臼杵城跡に向かった。大友宗麟によって築城された海に面した城跡は、春になれば桜が咲き乱れるのだろう。今は冬であった。臼杵の春、桜満開の町を思い描いた。「早春賦」の作詞者である吉丸一昌が、生まれ育ったというだけで訪れた臼杵の町は、作家である野上弥生子が生まれ育った町でもあった。風土は人を育てる。

旅とは、人と出会い、人を育てた町をさまようことなのかもしれない。人が生きてきた軌跡を、全身の感覚でどれだけ受けとめきれるのかという踏み絵なのかもしれない。美しい風景は、ただの添物でしかない。いつの日か同行二人、それが誰となのかは知る由もないが、再び臼杵の町を訪れたい。

この町をさまよい、風に吹かれ、川面を見つめ、酒に酔い、過ぎ去りし日を想い、尚も、それぞれのゆめを語る。その日が来ることを、心に想いえがき、後ろ髪を引かれながらも臼杵の町をあとにした。(2001.3.23)

※文中の詞「早春賦」、短歌は吉丸一昌自身の創作を掲載しました。

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