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2009年11月29日 (日)

「一福」で、「旅こよみ」を・・・

Img_0004  11/27(金)夜、鶴橋駅に降り立ち、駅頭のパンフレットケースから「旅こよみ12月号」をいただいた。その足で「一福」へ寄った。カウンター越しに座った。まもなく右側の席に若い二人連れの女性が座った。彼女らは黒ビールの小瓶を注文した。続いて左側の席に初老の男性と中年の男性の二人連れが座った。私はビールを飲みながら「旅こよみ」のページを繰っていた。

 表紙は金沢・兼六園の「雪吊り」だった。18ページ目の熊本県、「米の町、山鹿」「山鹿燈籠浪漫」を開いていた。突然に私の左側に座っていた初老の男性が、「俺のふるさとや!」と私に体を寄せながら大きな声で叫んだ。「ふるさとですか? 山鹿燈籠、八千代座を訪ねて見たいなあと思っていたところです」と私は初老の男性に声をかけた。

 「八千代座は俺の実家のすぐ近くや!」 右手の親指と人差し指で「マル」を作りながら、「これがあったなら、すぐにも山鹿へ帰りたいがな」と私に微笑みながら彼は言った。「マル」はお金なのだろう。私が読んでいたページから「ふるさと」を思い出させたのだろう。彼にとって、「ふるさと 山鹿」はずっと帰りたい場所なのだ。兼六園の「雪吊り」が、見知らぬ者同士の交差点で、「行きずり」の縁となった。

「山鹿探訪ナビ」Webサイト

2009年11月21日 (土)

金曜日の夜、御幸森天神宮で

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 11/20(金)夜、大阪鶴橋、猪飼野にある「御幸森天神宮」へ出向いた。私の実家の氏神さまである。境内に人影はなかった。金曜日の夜になると、鶴橋近辺をさまよう機会が多くなった。6月に母が亡くなってからその頻度は多くなった。私とともに同じ家の中で過ごしたおとなたちがすべていなくなった今、祖父母、父母を、彼らが生きたその町を心の奥底から愛しむようになってきた。

20091114_059 20091114_067  私のお宮参りの地は、ここ「御幸森天神宮」だ。その時の写真が自宅にあった。昨晩、境内にいた時、自宅にあったその写真が浮かんだ。私の祖父母、父母もその日、私のすこやかなる「生」を祈ったのだ。ただその祈りに応じて私が、すjこやかな「生」を全うしているかどうかは自分自身で疑問でもあるが。ただ、祖父母・父母の心配をよそに、成果は別にして、まじめにに感じ、思い、考え、生きてきたことだけは事実だ。

20091114_063 20091114_060  私の長女に男の子が生まれたことを遅くなったが報告がてらに氏神さまへ立ち寄った。第三者からみれば、別に私がこの地へ出向くこともないのだが、私自身の奥底から湧き出る想いがそうさせた。孫がある年齢になれば、この町を一緒に歩きたいものだ。どのように見え、感じ、思い、考えるかは知る由もないが、私の「ふるさと」の町の血が繫がっていることをささやかであったとしても伝えておきたい。

2009年11月19日 (木)

近鉄鶴橋駅東口での思い出

近鉄鶴橋駅東口での思い出

 昨日、近鉄鶴橋駅東口の改札口を携帯で写した写真だ。その時は、余り感じることもなく改札口を通り過ぎた。今日、携帯に保存した写真を見ながら思い出した。そのことは、自宅に帰ってから書こう。(携帯19:53)

 あれから30年近くが経つ。この改札口の左側のステンレス柵の上で、妻は仕事へ行く前に、生後3月の長女を私の母に毎日預け、仕事帰りには同じくその場所で、私の母から引き取った。

 私たち夫婦は24歳で結婚し、奈良県生駒市、阪奈道路俵口インター近くの賃貸ハイツの一室に新居を構えた。それから32年間共働き生活をし続けてきた。私たちが25歳の時に長女が生まれた。すぐに生駒市で保育所を捜したのだが定員超過のため入所することができなかった。やむなく、鶴橋の実家に預けることになった。

 その頃、私は東大阪市布施、妻は大阪市中央区が勤務先であった。妻は、自宅から徒歩15分の近鉄生駒駅まで歩き、快速電車で20分余りの鶴橋駅まで、毎日、長女を私の母に預け、仕事帰りに引き取り、生駒の自宅まで帰っていた。妻が仕事で忙しかった時には私がその役割を受け持った。その頻度は妻とは比べものにならない。

 隠れていた記憶は何かの拍子で突然に表れてくる。今晩もそうだった。30年前の光景が思い出された。預かってもらっていた私の母は6月に亡くなり、このアルミ柵の上を行ったり来たりしていた赤ん坊であった私の長女も、先月に長男を産んだ。年月の経つのは速いものだ。

 妻はといえば、3人の子どもたちを育てながら、今も養護学校教員として働き続けている。その疲労の蓄積なのだろうか、最近は家で寝込んでいることが多くなった。その姿を見ると私の心の中に、後ろめたさを感じざるを得ない。近鉄鶴橋駅東口の写真を見ながら、素直に一言書きしるせば、妻に対しては、謝!謝!謝!
 

2009年11月18日 (水)

教会のネオン十字架

教会のネオン十字架

 鶴橋駅近くの教会の十字架だ。漆黒の夜空に光るネオンの十字架がずっと気になっていた。教義、教派は知る由もない。その瞬間の私には何ら意味をなさない。どこかわびしくもあり、神々しくもある。(携帯19:25)

2009年11月16日 (月)

今晩、鶴橋「一福」に寄った

 今晩、職場帰りに、鶴橋「一福」に立ち寄った。店に入るなり女将さんからお礼を言っていただいた。11/14(土)、高校サッカー大阪大会決勝戦帰りに、三人で立ち寄ったことに対しての丁重なお礼だった。反対に恐縮してしまう。いつもと同じように少しだけ飲んで、30分ほどでその店を出た。「一福」で「いっぷく」してから富雄の自宅へ帰還した。

2009年11月14日 (土)

昭和時間を旅する~雑誌「男の隠れ家」を読んで

Img  昨晩、近鉄富雄駅前のジャパンブックスで、雑誌「男の隠れ家」12月号を買った。布団に入りページを繰りながら、ゆるやかに「昭和時間を旅する」気分になった。64年間の「昭和時代」も歴史となりつつある。

 「建築」「食」「風俗」「文化」「モノ」のジャンル別に記事が満載されていた。その中に「山手線沿線 闇市酒場 飲み喰い歩記」を興味深く読んだ。

 「闇市」は、戦後まもなく、非合法のヤミ商品を自由に売買する市場(マーケット)として多くは主要鉄道の駅前に出現した。その記事の最初のページには、その当時の代表的な「闇市」の写真が掲載されていた。「闇市」第1号の新宿、そして上野、渋谷、大阪・鶴橋。それは人々のエネルギーの集積の光景が写しだされていた。

 「闇市」があった代表的な街は、東京では新宿・上野・渋谷・池袋・新橋・有楽町・赤羽、大阪では鶴橋・難波・梅田・天満・天王寺だった。それらの「闇市」が、後に飲食街に発展したのだろう。「闇市酒場」の名残としての各所の「横丁」の写真を見ていると、足を運んでみたい気持ちが湧いてくる。

 番外編・大阪のページでは、見開きで難波楽座に在るおでん屋「白蓮」の写真が掲載されていた。そういえば、永らくその店には寄っていない。もう1年以上になるだろうか。今度、難波に出かけたならば寄ってみようと心が動いた。

 その記事の中で、「大阪での焼け跡闇市の歴史は昭和20年9月頃に始まる。最大のものは省線(現:大阪環状線)と関西急行電鉄(現:近鉄)の交差する鶴橋駅にあった」「現在も飲食店だけでなく、あらゆる日常品が売買される商店街として機能している」「闇市ができた当時は日本人や中国・台湾出身者が混在した“国際マーケット”だった」と書かれていた。

 「国際マーケット」という呼び名でなく、僕たちは「国際市場(こくさいいちば)」と呼んでいた。昨晩もこの雑誌を買う前にその「国際市場」の中を歩いた。私は昭和28年生まれであるので、焼け跡の「闇市」を現実に観たことはないが、「国際市場」の中を歩いていると、現代から隔絶したその光景から当時を推測できる稀有な街だと感じる。私は鶴橋の街を歩くと、奈良を歩く時とは全く異質な思いにかられる。その思いを一言で表すならば、「ここはアジアなのだ!」と。

 昨晩、鶴橋の街を歩きその後にこの雑誌を買って読んだ。確かに「昭和時間」を、正確に言えば、「昭和時間の後期」を旅した。私が生まれ育った時間と場所への「郷愁」はないとは言えない。私は24歳でその街を出て、生駒市、東大阪市小阪、奈良市ニ名と移り住んだ。それ以降、その街で住んではいない。ただ、ずっと想い続けていることは事実だ。

 その街を歩くことは、「郷愁」それだけではなく、私自身の未来への「再生」という想いが強い。雑誌「男の隠れ家」という誌名を拝借すれば、大阪・鶴橋は「私の隠れ街」なのだ。

「男のの隠れ家」Webサイト


「大阪鶴橋市場」Webサイト

2009年11月 6日 (金)

鶴橋駅近くのたこ焼き屋

鶴橋駅近くのたこ焼き屋
(携帯20:32)

 比売許曽神社から鶴橋駅へともどる途中に、「たこ焼き屋」があった。たこ焼き&ビールは実に手頃である。少しお腹がふくれほろ酔い気分になり一石二鳥のようなものだ。また、たこ焼きの「球体」という形状がよい。角があるものよりも丸いものが愛着が湧いてくる。

 残念ながらその店の中を外からのぞいただけで通り過ぎた。なぜならば、鶴橋駅前の「王将」でぎょうざ&ビールを食べてしまったから。

比売許曽神社の灯籠

比売許曽神社の灯籠
(携帯20:25)

 金曜日の夜、職場からの帰り、鶴橋まで寄り道をして、駅から徒歩5分の比売許曽神社へ寄った。鶴橋駅近くの喧騒とは無縁に静けさが漂う。暗闇の中のほのかな明かりをともす灯篭だ、携帯電話での写真なのでうまく写すことはできなかった。

 本殿前のポスターには、 「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意思に属する。」(アラン「幸福論」)の一説がしるされていた。付加えて、「“やらされてる”という気分ではなく、“やってみる”という意思が切り拓く」とあった。誠に誠に御意!(自宅PC 21:28)

2009年10月22日 (木)

鶴橋の本屋へ

鶴橋の本屋へ
近鉄鶴橋駅西口前にある「高坂書店」へ寄った。今日は見るだけで買わなかった。今から自宅へ帰る。(携帯20:08)

2009年10月 9日 (金)

比売許曽(ひめこそ)神社へ寄って

ひめこそ神社へ寄って
 ちょっと鶴橋駅で途中下車して、比売許曽(ひめこそ神社)へ立ち寄った。夜の神社は誰むいず静かであった。ただ黙って手を合わせてきた。
 近鉄鶴橋駅の東口から乗車した。写真はその改札口近くの光景だ!(携帯20:15)

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