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2009年11月 1日 (日)

週刊「松本清張」~「点と線」

Photo  10/17(土)早朝の新幹線・京都駅内の売店で購入した。千葉・市原へ向かう車中で読んでいた。遠くへ出かける時は、いつも本を二冊ほどバッグへ入れて行く。、加えて、出かけた先でも、その時の興味の趣くままによく本を買ってしまう。この雑誌もその一冊である。創刊号であったため、定価が290円だった。

 表紙の言葉にあるように、松本清張は、確かに「昭和の社会派推理小説の巨星」だ。別の側面から見れば、「鉄道ミステリー」の創始者だろう。「トラベルミステリー」「旅情ミステリー」へと繋がる開拓者といえるかもしれない。

 私は以前に松本清張の推理小説をよく読んでいた。今年生誕100年を機に、何冊かを読み直した。今読んでも新鮮で興味深く面白かった。好みで言えば、長編では「点と線」「砂の器」「ゼロの焦点」「球形の荒野」等、短編では「張込み」「駅路」「西郷札」「或る小倉日記伝」「地方紙を買う女」等が好きだ。

 松本清張が処女作「西郷札」で文壇デビューを果たしたのが、41歳の時であった。83歳で亡くなるまで膨大な量の作品を生み出した。その作品群は多くの読者を今も魅了してやまない。私もまた清張ファンのひとりかもしれない。九州・小倉にある「松本清張記念館」へ一度は訪れたいと思い続けている。

「松本清張記念館」公式サイト

2009年10月26日 (月)

Books 「五足の靴」

Img_0001 著者:五人づれ/発行:岩波文庫(2007.05)/定価:460円+税/P.140

明治40年盛夏。雑誌「明星」に集う若き詩人たちの旅行きの記録

 鉄道を利用して大和二見駅で降りて、サッカー観戦に出向いた。車中で、この文庫本を読んでいた。若き詩人たち、北原白秋、平野萬理、木下杢太郎、吉井勇、そして、与謝野鉄幹の五人づれが、長崎・平戸・島原・天草へと旅にでた紀行文である。

 「五足の靴」たちは東京から鉄道を乗り継ぎ九州へ、南蛮文化を徒歩で探訪した。交代で匿名で寄稿した紀行文は、著者が「五人ずれ」となっている。この本を読みながら、明治というわが国の青春時代、そして彼らの青春時代の息吹を感じ取った。人は、想いのおもむくままに、歩きながら何かを見て感じ取り己の糧としていくのだと。徒歩の旅に私は誘われた。「踏みこそ鳴らせ、大靴を」。

2009年10月21日 (水)

Books 「英国のダービーマッチ」

Img_0001 著者:ダグラス・ビーティ/発行:白水社(2009.10)/定価:2700円+税/P.338

「ひとつの街にあるフットボールのライバル関係を知ることは、絵画を鑑賞する手助けのようなものだ」

【コンテンツ】 シェフーイルド~始まりは鉄だった/バーミンガム~不穏なイースター/ノースロンドン~土地柄、嘘、そしてラザニア/マンチェスター~二つのクラブの立ち位置/リヴァプール~マージー川を越える熱気/グラスゴー~歴史にとらわれた街/エジンバラ~紋章のハーブをめぐる争い/タイン アンド ウィア~国境を越えて

2009年10月、フットボールのダービーマッチについての興味深く楽しい意義のある本が相次いで刊行された。大阪・千日前のジュンク堂書店に立ち寄った時、強烈に私の視野をその本が入ってきた。迷うこともなくなけなしのお金をはたいて二冊を購入した。奈良行き快速電車に乗り自宅に戻った時には財布の中は空っぽに近かった。

 「ダービー!!~フットボール28都市の熱狂」は、千葉・市原へ出向く前に読み終えていた。本書「英国のダービーマッチ」は、新幹線往復の車中・宿舎で読んでいた。著者あとがきで「サポーターたちにとってダービーとは、自分たちの歴史、自分たちのカラー、自分たちのチームを誇示し、クラブがある地の精神と価値観を投影し、自分たちのサッカーといえるものを見せる場だ。」としるされた一文を読んだ時、素直に実感として、「ダービーマッチ」そのものを理解した。

 サッカーというスポーツは確かに夢を希望を与えるものである。しかし、それだけでは熱狂というものには成らないのだろう。また文化ともなりえないのかもしれない。連綿としたサッカーの歴史は、綺麗ごとの「夢」「希望」のみではなく、ドロドロしたした人々の情念が渦巻く世界が、「フットボール文化」を支えてきた事実がある。

 「ダービーマッチ」についての二冊の本を読み終えて、「フットボール」の歴史の重さを感じるとともに、なぜ、英国で「フットボール」が生活・文化で言い切れるのか少しは理解した。「フットボール文化」は、上位からの掛け声だけでは形成することはできない。下位からの情念の歴史の積み重ねが、本物の「フットボール文化」を形成する。その意味では、わが国では、「フットボール文化」という言葉を使うには程遠いのかもしれない。そのようなことをこの本を読みながら痛切に考えた。

2009年10月20日 (火)

Books 「ダービー!!」

Img 著者:アンディ・ミッテン/訳者:深山大輔/発行:東邦出版(2009.10)/定価:1600円+税/P.333

「フットボール28都市の熱狂」 「魂を揺さぶるサッカーの血戦」

【コンテンツ】 赤い劇場、赤い激情/すべての戦いが生まれし地/ゲームを超えた何か/いつもホット、いつもレッド/愛の、愛の島/羊とやるか、ロバをひくか/永遠の都、永遠の戦い/ほか

世界各国で現地取材した「ダービーマッチ」の熱狂を書きしるしたノンフィクションだ。

サッカーでいう「ダービーマッチ」とは何か? 「ダービー」の語源は「競馬」にある。「競い合う馬」の伝統から生じた。「ダービーマッチ」はただ単なる同じ街、エリアにあるチーム同士の試合ではないのだ。「地理、歴史、派閥抗争、階級、宗教、さらに経済状況が、ダービーに彩どりを加えていく」。

 世界各国での「ダービーマッチ」の詳細を私に伝えていただいた興味深いノンフィクションであった。

2009年10月13日 (火)

Books 「モウリーニョの流儀」

Img 著者:片野道郎/発行:㈱河出書房新社(2009.09)/定価:1600円+税/P.254

「勝利をもたらす知将の哲学と戦略」
「自分が世界一の監督だとは思わない。しかし、私以上の監督がいるとは思わない。」

【コンテンツ】 モウリーニョ見参/イタリアという洗礼/4-3-3の挫折/イタリアでの飛躍とヨーロッパでの躓き/最も長くナーヴァスな2週間/スクデッドへの道

 ポルトガル生まれの監督、ジョゼ・モウリーニョを知らぬサッカー関係者はいないだろう。それほどまでに鮮烈な存在だ。バルセロナ、ポルト、チェルシー、インテルと欧州の強豪クラブで結果を残し続けている余りにラジカルな監督だ。

 私は、ジョゼ・モウリーニョに関する本の幾冊かを興味深く読んだ。確かに読んだ。だが私の手元にはない。だからブログの左サイドバーにも掲載していない。息子が自宅に帰還した時、「面白い本はない?」と聴くので、ジョゼ・モウリーニョに関するその本を薦めた。

 ジョゼ・モウリーニョのメデイアと対峙する時の言葉に興味を抱いた。ラジカルで戦闘的で時には暴力的な言葉でありながらも、その根底にある知性・哲学・詩を垣間見る。「監督」とは「アクター(俳優)」また「哲学者」「詩人」でもあるのだろうか。

  「今私はインテルと恋に落ちた。もちろん過去のことは忘れない。しかし、それは何のノスタルジーももたらさない過去の記憶だ。今私はここにいて、ここにいることを心から喜んでいる」と。本書の最終章の中での、インテルを指揮して1年目にスクデッドを勝ち取ったジョゼ・モウリーニョの言葉だ。

 イタリア在住の著者が、ジョゼ・モウリーニョのイタリアでの奮闘の軌跡をしるした興味深く楽しく読むことができた良書だった。

2009年10月 6日 (火)

Books 「サッカー戦術クロニクル Ⅰ・Ⅱ」

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著者:西部謙司/発行:カンゼン(:2008.07 :2009.09)/定価:・各1500円+税/:P.258 :P.253

「サッカーを知る上で、『戦術』は永遠のテーマです。」「すべての『戦術』には然るべき理由があります。」

「戦術クロニクル」〜トータルフットボールとは何か?〜
【コンテンツ】 時計じかけのオレンジ/ACミランのルネッサンス/バグンサ・オルガニザータ/天才ヨハン・クライフの挑戦/アルゼンチンとマラドーナ/ジダンとアヤックスの時代/ギャラクティコ/モウリーニョの4-3-3/ハードワークの時代/トータルフットボールの起源

「戦術クロニクル」〜消えた戦術と現代サッカーを読む〜
【コンテンツ】 不滅のカウンターアタック/強者のカウンターアタック/伝統と革新のスタイル/消えたマンツーマン/消えたマンツーマン/ロングボール/リバプールとビルドアップ/スペインとバルセロナの技術革命/進化するマンチェスター・ユナイテッド/チェルシーと黄金の4人/ジェノアの挑戦/セットプレーの挑戦


 「クロニクル」とは、「年代記」とか「編年史」とかという意味なのだろうか?サッカーにおける「戦術史」の変遷が理解できる興味深く楽しい本であった。サッカー関係者には、一読を薦める。

 「戦術クロニクル」は昨秋に読んだ。続編の「戦術クロニクル」は今週に刊行されるやいなや、書店に出かけて購入して読んだ。わが国では、書店の棚に一般的なサッカー関係の本などが氾濫しているが、強烈に読みたいと思う本がなかなか見つからない。

 私の興味が特殊なのだろうか?この本はまさしく私が強烈に読みたいと思った一冊で、読後も、サッカーの戦術史の変遷を知ることができて、やはり買って読んでよかったと満足感に浸れた。

 「戦術クロニクル」の「おわりに」の著者の一文に、「このサッカーは正しいのか。このチームにとって、ファンにとって、国民にとって、「正しい」と思える根っこがあるのか。それとも損得勘定だけの根無し草なのか。知を愛さないチームの戦術には、残念ながら知性も品性もかけてしまう。哲学という背骨を欠いた、便利なだけの戦術など、しょせんは長続きはしないものだ。」と。

 確固とした「哲学」を持ち続けたクラブ・チームが一過性ではなく、サッカーの歴史に大きな足跡を残した。そのことは、グラスルーツ(草の根)のクラブ、その中のチームにもあてはまるのだ。さまざまなクラブ・チームが、独自の個性的な「哲学」を持ちサッカーに取り組み続けていけるだろうか? 

 グラスルーツの中でも、必ず哲学に則って積み重ね続けたクラブ・チームが存続し評価をきっと受けるようになる。今後クラブ間格差は顕著に現れてしまうjのだろうと、この本を読みながらふとそのようなことが脳裏に浮かんだ。

2009年10月 3日 (土)

8/15雑誌「ブルータス」~日本再発見の旅と本

Img  今年の夏に買って読んだ雑誌「ブルータス」~日本再発見の旅と本~を今朝早くからページを繰っていた。表紙「BRUTUS」の表題の下に、「Re-discover Japan」とある。ふと、旧国鉄(現JR)のキャンペーンである「ディスカバージャパン(DISCOVER JAPAN)を思い起こさせた。

 「ディスカバージャパン(DISCOVER JAPAN)」とは旧国鉄が1970年10月、今から40年近く前に打ち出した個人向旅行客の増大を目的とした一大キャンペーンだった。過去、国鉄・JRが実施した各種キャンペーンの中で最高で最大の効果をもたらした歴史的キャンペーンだったと私は思う。

 1970年3月から9月は、大阪で「日本万国博覧会」が開催された。団体旅行客が民族大移動し、華やかな中で終幕した。団体旅行から個人旅行へと舵を大きく切ったのが、キャンペーン「ディスカバージャパン(DISCOVER JAPAN)」だった。キャンペーンコンセプトは「日本を発見し、自分自身を再発見する」。キャッチフレーズは、「美しい日本と私」という魅惑的なフレーズだった。

 雑誌「ブルータス」の掲載記事で、私が知らない日本のさまざまな祭りや風景の写真が満載され、それに関した本が紹介されている。ページを繰りながら、行きたいところ、読みたい本が山ほど生じてきた。恐らく時間的な余裕がでてくることもあるだろう。

 その時は海外もいいのだろう。56歳になるまでに海外へ出かけたのはネパールだけだった。でも、あまり個人的にはあまり海外には興味が湧いてこない。それよりも、その時は、できるだけ、日本の知らない場所を巡り歩きたいものだ、日本再発見の旅に出かけたいと、私は休日の早朝に思い描いている。

2009年9月26日 (土)

Books「和辻哲郎」~文人哲学者の軌跡

Img_0001 著者:熊野純彦/発行:岩波新書(2009.09)/ 定価:780円+税/P.241

「知への愛と、始原への回帰 近代日本に紡がれた哲学的思考」

 
私は和辻哲郎の著作の多くを読んではいない。若かった頃に、「古寺巡礼」と「風土」という二冊を読んだ。確かに味わい深い内容だったという記憶が残り続けている。今も古寺、庭、神社を訪ね歩いたりしているのは、どこかで「古寺巡礼」の影響があるのかもしれない。また、私が「風土」という語彙を脳裏に描いたり文章に書いた時に、和辻哲郎の名が浮かんでくる。この本が出版され店頭に並んだ日、鶴橋・高坂書店の新書新刊コーナーに10冊ほどが積まれていた。発作的にか、また必然にか、買って読んだ。

 和辻哲郎は1889年(明治22年)に生まれ、1960年(昭和35年)に没した。著者は和辻哲郎の生の軌跡、思考の方法を丹念に書き記す。私は和辻哲郎が兵庫県姫路市の北部の農村で生まれ育ったことを全くもって知らなかった。「わたくしの生まれた農村は播磨の国のちょうどまん中を北から南へ流れている市川という川の西岸にあって、仁豊野(にぶの)と呼ばれている」と和辻哲郎は自叙伝の中で書いている。著者は本文冒頭に、
ひとつの生涯の本質的なありようは、その生命の雅ない日々のうちで、すでにあますところなくあらわれているものなのではないだろうか。」と書く。

 「この心持ちはいったい何であろうか。浅い山ではあるが、とにかく山の上に、下界と切り離されたようになって、ひとつの長閑な村がある。そこに自然と抱き合って、優しい小さな塔とお堂がある。心を潤すような愛らしさが、すべての物の上に一面に漂っている。・・・・・・・・・・われわれはみなかつては桃源に住んでいたのである。すなわちわれわれはかつて子供であった!これがあの心持ちの秘密なのではなかろうか。」と和辻哲郎が「古寺巡礼」中で書き記した文をこの本で再び読んだ時、私は和辻哲郎が生まれ育ったふるさと「仁豊野」の村を思い描いていた。

 私は和辻哲郎の著作で傑作と言われる「倫理学」(岩波文庫全4冊)を読んではいない。しかし、著者がその「倫理学」についての内容について執筆されている文章を読みながら、読んでみたい気持ちが自然と湧いてきた。読むか読まないか、読めるか読めないかは別にして、私にそのような想いを抱かせていただいたこの著作を上程された著者に感謝するとともに心から敬服の念を抱いている。

2009年9月23日 (水)

Books「海岸線の歴史」

Img 著者:松本健一/発行:ミシマ社(2009.05)/定価:1800円+税/P.258

「日本のアイデンティティは『海岸線』にあり。」

【コンテンツ】海岸線は変わる/陸と海、神と人間が接する渚/山中に海があった/海岸線に変化はなかったが/白砂青松の登場/「海国兵談」とナショナルな危機意識/「開国」と海岸線の大いなる変化/砂浜が消失する時代/海へのアイデンティティ/海岸線を取り戻す

 
近代史・現代史について評論家・松本健一氏が書かれたものは、いつも興味深く読ませていただいている。この本は「『海岸線の歴史』、つまり人間と海とが接触する場所の変化を書いた書物」である。

 わが国は世界でも有数の海岸線が非常に長い国である。「国土面積が日本の25倍近くもある大陸国家アメリカの海岸線の1.5倍に及び、同じく26倍近くある大陸国家中国の2倍以上に達している」。私たちは遠い祖先から「『海やまのあひだ』に住まいしてきた民族であり、その感受性というか原想像力とすると、海彼(かいひ)に故郷を思い海辺に生きてきた民族、といえるだろう」。と同氏は書き記している。

 海は人々にさまざまな想いを抱かせる。それは単なる現実の自然の風景としてだけではなく、遠い遠い私たちの祖先が海を越え海岸線にたどり着いた「海辺」で生活し始めたことへのDNA的な「懐かしさ」なのだろうか。

 ただし、近年、その海、海辺、海岸線が決定的に日本人から遠ざかっている。確かにロケーションの風景としてしては興味の対象としてあり続けているが、ほんとうの意味での日本文化から、精神的風景からは遠く彼方へ放逐されているのかもしれない。私にとって興味深く有意義な書物であった。
 

2009年9月13日 (日)

「Books」を整理、追加した!

2009913_002  永らく放置したままになっていたブログ左サイドバー下に掲載している「Books」を整理し追加した。夕暮れ時から作業に取り掛かった。わが本棚にあるスポーツ・サッカー関係の本を、すべてではないが、ブログ左サイドバー下に追加掲載した。

 ブログ掲載した本については、購入して一度は眼を通したが、私の能力で、理解し実践できているかどうかは、はなはだ疑問である。本棚に置いたままでは有効活用できない。正直言えば、どこか収用、閲覧できるようなスペースが確保できれば、冊数は少ないがちっぽけな図書室として、この本たちを子どもたちやスタッフに自由に読むことができるようになればと思っている。

 私などよりも他の人々が読み、何かの糧を得る事の方が、より価値あるものとなるのかもしれない。残念ながらその場所を確保することなど現実的には不可能である。ただ、ブログ左サイドバーに「Books」として掲載した本は、間違いなく私の本棚に鎮座している。「本」は何かを伝え繋げる大切な媒体だと思い続けています。もし、読みたい本があれば、ソレステ関係者のみ貸出させていただきます。ご希望があれば、パソコンメール・携帯電話にてご連絡ください!

2009年9月 5日 (土)

Books「日本人の起源」

Img_2 著者:産経新聞生命ビッグバン取材班/発行:㈱産経新聞出版(2009.05)/定価:1400円+税/P.267

「日本人のルーツを科学的に検証」「ここまでわかってきた」

 
巻頭に、「『「日本人とは何か』と突き止めていくと、『日本人はどこから来たのか』というルーツの問題に突き当たる」という文章から、この興味深くこの本の面白い内容が始まる。少なくとも私にとって推理小説のように楽しく読ませていただいた。DNA分析などの科学的検証がなされ、読み進むにつれ、そうだったのか、なるほどと、うなづきながら読み進んだ。

「日本民族の成り立ちに関する定説『二重構造論』によれば、渡来系弥生人が在来の縄文人と混血しながらその勢力を拡大して形成されたのが現代日本人につながる列島人」だという。現代日本人は遠い祖先が渡来人との混血であるということは、学問的なことはわからないが、実感として確かに理解できる。

 
ただの文学であれば想像力の世界なのだろうが、科学的な検証されている内容を読むと信憑性がある。「民族」という言葉は、斜めから見たら偏狭的な想いが湧き出てくる人々が多いが、「原日本人」がいかなるところからやって来て、どのように「現日本人」とつながって来たのかを、思想を超えたところから冷静に見つめておくこと大切なことだ。その意味では格好の本だ。

2009年7月25日 (土)

Books 「吉本隆明1968」

1968 著者:鹿島茂/発行:平凡社新書(2009.05)/定価:960円+税/P.423

「彼は何と闘ったのか。」 著名なフランス文学研究者が渾身の想いで、書き記した戦後の思想家・吉本隆明論。

 
私がこの新書本を買って読もうとしたのは、まず表題にあった。「吉本隆明」・「1968」そして、その著者・鹿島茂さんという名だった。私は、鹿島茂さんというフランス文学研究者が著名な方であることをメディア等を通じて存じ上げていた。

 吉本隆明さんは作家・吉本ばななさんの父親だが、その時代の中の若者たちを惹きつけた思想家だった。ただ、著者が、1960年代の思想家・吉本隆明論を書き記されたことは、私にとって意外であり、なぜ?という疑問が渦巻いた。この本を読み、そのなぜ?の解答を少しは理解できたような気がする。それは私自身の問題でもあった。

 その二人の根底にあったものは、街の「中産下層階級」出身であったということだ。著者は吉本隆明さんの思想の「寛容主義」は、
「下層中産階級の出自を持つ人間が知的上昇を遂げて階級を離脱する時に訪れる根源的な“悲しみ”を真正面から見据えた」ところから発していると断言する。

 著者が個人的に吉本隆明さんの一番好きな文章である「別れ」が引用されていた。
「わたしはあの独特ながき仲間の世界との辛い別れを体験した。別れの儀式があるわけでも、明日からてめたちと遊ばねえよと宣言したわけでもない。ただひっそりと仲間を抜けてゆくのだ。もちろん気恥ずかしいから勉強へ行くんだなどと口に出さない。すべては暗黙のうちに了解される。・・・・・良きひとびとの良き世界と別れるときの、名状し難い寂しさや切なさの感じをはじめて味わったのはこの時だった。」

 この文章を好きだという著者にもこのような名状し難い体験があったのだろう。私にも体験の内容が違えど、「良きひとびとの良き世界と別れるときの、名状し難い寂しさや切なさ」を抱いたことがあった。「汝は住むべき下町の」想いと、そこを離脱しようとする「知」の力への渇望という心の中の葛藤が確かにあった。

 著者はあとがき末尾で、 
「われわれが吉本隆明をわがことのように読むことができたのは、吉本が、大正ユース・バルジ世代、すなわち、“一族で初めての大学生”となることを経験し、自らの出身階級からの“別れ”を強いられた世代の“再生産”であったからにほかなりません。」と書き記した。

 
著者もまた「一族で初めての大学生」だったのだろうか? 少なくも私はそうだった。「知」に魅了された。そのことが、「住むべき下町」を出たいとか、その階級を離脱したいとか考えることも無く。ただ、そのことは自然と「住むべき下町」からの別れを意味していたのだろう。

 私が初めて名状し難い寂しさや切なさを感じたのは、1969年、高校へ入学した時だった。その時、確かに「汝は住むべき下町」の環境とは全く異質であった。その異質な文化風土に魅了された。それは、「別れ」 というのか、もしかしたら「裏切り」の体験であったのかもしれない。

 この本を読みながら、本論の内容とは別に個人的な想いが噴出した。先月、亡き母の告別式の1週間後、鶴橋・大成通の「太陽亭」の兄ちゃんに、誰にも直接言わなかった言葉を生まれて初めて吐いた。「俺は、この街を裏切ったと思いますねん!」と。その返答は、「ここで、その街の話をしていることは、絶対に裏切ってない!!」と言っていただいた。有難いことである。

 7/26(日)、亡き母の四十九日だ。法要のため、朝、鶴橋・大成通の路地裏の実家へ赴く。

Books [闇の中の翼たち」~ブラインドサッカー日本代表の苦闘~

Img_2  著者:岡田仁志/発行:幻冬舎(2009.06)/定価1500円+税/P.233

「“キャプテン翼”にあこがれ、誰よりも純粋に“サッカーがやりたい”と想い続けた者たちは、まったく目が視えなかった。」
「情熱と感動のノンフィクション」

 
私は、全盲の聴覚障害者が取り組む「ブラインドサッカー」を観戦したことがない。この本を読みながら、目が視えない世界で、サッカーをするということを想像してみた。私は目をつぶる。暗闇だ。何も視えない。一歩たりとも、人の助けを借りなければ歩けない。まして、ピッチの中でボールを追いかけ、相手と競り合い抜き去り、ゴールを奪う。私自身は恐怖が先立ち、サッカーに取り組もうとチャレンジしないだろう。

 しかし、彼らは違う。ハンディキャップをもろともせずに苦難に立ち向かい、乗り越えて行く。そのチャレンジする行為の原点は、サッカーを「したい!」「好きだ!」「面白い!」という気持ちが根底にある。視覚障害者スポーツ指導者の一人は言う。 
「彼らはフィールドという非日常的な空間に入った瞬間に、不自由な日常から開放される。そこでは障害者ではなくなるんです。」と。

 日頃、ハンディキャップを持たない子どもたちのサッカーゲームを見る。その光景は、もしかしたら、逆説的な言い回しをすれば、
「彼らはフィールドという日常的な空間に入った瞬間に、不自由な日常のまま束縛される。」ように私には見える。「好きだ!」「面白い!」という思いを表現として現出するのが少ないように私には感じられる。

 ハンディキャップを持ちながらも、「ブラインドサッカー」に果敢にチャレンジしていく姿に、感銘を通り越した、えもいわれぬ感情が心の中で渦巻いた。サッカーに取り組んでいる中学生年代の子どもたちに読んで欲しい一冊だ。君たちはほんとうにサッカーが好きですか?

「日本視覚障害者サッカー協会」公式サイト

2009年7月19日 (日)

Books 「テクニックはあるが、サッカーが下手な日本人」

Img_2  著者:村松尚登/発行:ランダムハウス講談社(2009.05)/定価:1400円+税/P.237

【コンテンツ】 スペインのサッカーは何が違うのか?/育成に関する違い/FCバルセロナと日本の違い/戦略的ビリオダイゼーション理論とは/日本がワールドカップで優勝するために/ほか

 
スペインで、どうして「日本人はサッカーが下手と言われるのか?」。どうすれば、それを克服できるのか? 12年にも及ぶスペインでの指導体験がある現FCバルセロナ・スクールコーチが書き記した、私にとって興味深い本であった。

 「日本人はテクニックやスピードはすばらしいがサッカーは下手」だというのが、多くのスペインの人々の評価だと言う。「速くプレーしようとし過ぎて空回りしている。焦らず落ち着け。サッカーはもっと賢くプレーするものだ」と著者はスペインの人々に諭されるようだ。

 スペインでは、「サッカーの基本とは?」、決して「テクニック」ではなく、「駆け引き」「賢さ」だという価値観が存在し、ジュニアからトップまで、選手・コーチ・観客・保護者はそのことを要求するという。意外と、その視点はわが国にはあるようで少ないかもしれない。それは南米でいう「マリーシア」(ずる賢さ)に通ずるのだろうか?

  上手、上手でないという判断基準は、「テクニック」だけでなく、「賢さ」「駆引き」「勝負勘」が含まれている。その大切なものは、何によって育まれるのだろうか? ゲーム形式の体験しかないのだろう。1対1、2対2、4対4とのスモールゲーム、その延長線上としての8対8、11対11、その中で、体験として学ぶしかないだろう。著者は言う。「リーグ戦文化」を築いた中で、「サッカーはサッカーをすることにより上手くなる」と。

「スポーツナビ・プラス」Webサイト

2009年7月12日 (日)

Books 「空ニモ書カン」

Photo_4 著者:吉見良三/発行:㈱淡光社(1998.10)/定価:3000円+税/P.456

「紙無ケレバ、土ニ書カン。空ニモ書カン。」「保田與重郎の生涯」

【コンテンツ】 紙無ケレバ/生家/国のまほろば/日本浪漫派/美へのかけ橋/鳥見のひかり/偉大な敗北/帰農/別れの賦/ほか

 この本は、1995年3月~1997年11月、奈良新聞で週1回連載されていたものに加筆され、単行本として出版された。奈良新聞に連載時に興味を抱き読んでいた。14年前になろのだろう。素直になぜ? 今どうして?という疑問が湧いていながら読み進んでいた。単行本化され、すぐさま購入した。

 著者は、保田與重郎を避けてきたという。「右翼の民族主義者」「日本を敗戦に引きずり込んだ分子」という戦後のジャーナリズムの一般的評価を疑念もなく受け入れてきたと書き記していた。保田與重郎は、「滅びの美学」「散華の思想」の信奉者としてのレッテルを張られたまま戦後を生きた。

 著者が定年の後に、保田與重郎を読む気になり、読み進むにつれ、戦後知識人が断罪し、封印したその姿に違和感を抱き、今一度、見直す必要があるのではと、渾身を込めて執筆された価値ある一冊だ。

 
「紙無ケレバ、土ニ書カン。空ニモ書カン。止マルトコロ無ケレバ、汝ノ欲スルママ、風ノマニマニ吹カレユケ。・・・・・」 保田與重郎)

 「グローバリズム」という世界的趨勢のなかで、その行き詰まりとして「ナショナリズム」が各地域で噴出している。わが国も例外ではない。「日本回帰」という情況が現出していることは事実だ。私は、「国粋主義者」や「ナショナリスト」でもないが、今一度、保田與重郎、「日本浪漫派」を呪縛された視点から離れて、いかに評価するか、しないかを見つめ直しておかなければならないと思う。

2009年7月11日 (土)

Books 「関西のレトロ銭湯」

Img_0002 監修:町田忍/写真・文:松本康治/発行:戎光祥出版(2009.05)/定価:1500円+税/P.135

 わが国の庶民文化の象徴である「銭湯文化」が消失しつつある。町の「銭湯」が時代の趨勢とともに激減している。その中でも、文化財的な「クラシック銭湯」が、今なお営業を続けている。

 この本は、関西地方のレトロな銭湯を紹介している。その写真を観ただけで、湯船につかった時のようなほっとした気分になってしまう。

 

「関西の名銭湯」Webサイト

2009年7月 9日 (木)

「地球よとまれ、ぼくは話したいんだ」 その本を思い出して

Img_0003 著者:東 由多加/発行:講談社文庫(1981.12)/P.192

【コンテンツ】 「天井桟敷」からの」逃走/三十すぎは信じるな/漂流日誌/さくらんぼユートピア顛末記/矢吹ジョーとロッキー/寺山修司論/劇場の中の青春/ほか

 最近、私自身の外見は衰えつつある。それに反比例するように、不思議なもので、心の持ち方は、良いのか悪いのかはっきりと自分自身では判断できかねるが、意識、精神は、あの時へ戻りつつある。いや、戻っている。

 表紙がぼろぼろになり、ページが黄ばんだ文庫本を本棚から取り出し拾い読みした。1960年代後半、ミュージカルで世界を駆け巡った「東京キッドブラザース」の主宰者・東由多加氏の青春の記録だ。

 「ぼくは自分の中に、60年代後半の精神が今なお色濃く痕跡をとどめているのではないかと思う。一人の人間がひとつの時代気分から抜け出られないということは、どういうことであろうか?」

 
著者は冒頭でその言葉を書き記した。その一文は、私を今も惹き続けている。この文庫本をぼろぼろになりながらも捨てきれずにいる理由がその言葉にある。

 
「60年代の後半から若者たちを駆り立てていたものは、明らかに現実原則を否定した、ロマンチシズムの香りがたちこめる「愛と平和」のための戦いだったと思う。それがいかに大人達から楽天主義のそしりを受けようが、・・・・・・時代の変革に情熱を捧げていた。」

 
私は、「その時代」、変革に情熱を捧げてはいない。ただ、、「その時代」の雰囲気の中で私の青春期を過ごしたことは事実だ。私にとっての「疾風怒涛の時代」だったと、今振り返ればそう思う。まじかに56歳の誕生日を迎えようとしている今宵、18歳の時に抱いた「疑問」に対して、問題解決できてはいない自分自身が存在している。

「東京キッドブラザース ファンサイト」Webサイト

2009年7月 5日 (日)

Books 「NARASIA」(ならじあ)~日本と東アジアの潮流~

Img 監修:日本と東アジアの未来を考える委員会/編集構成:松岡正剛/発行:丸善㈱(2009.05)/定価:1800円+税/P.359

【コンテンツ】 いま何を構想すべきか/奈良と東アジアを編集する/日本と東アジアの300年を見る/日本と世界の未来を感じる/ほか

 平城遷都1300年記念出版。全ページオールカラーの写真が満載されている。「私たちがいるのは東アジアの地中海」、日本と東アジアをつなぐ新たなヒントがそこにある。

 「いま、世界とアジアと日本には、“多様性”と“統合性”をめぐるとてもよく似た問題群が、ほぼ同時に押し寄せています。」と問題提起され、「この本は、そうした世界とアジアと日本と奈良を切り離すべきではないという<NARASIA>(ならじあ)の視点から、都合1300年をこえる時空をまたぐ歴史と文化を、政治と経済を、事件と意匠を、展望したものです。」とこの本の中で記されている。図鑑のように興味ぶかい貴重なカラー写真のオンパレードに圧倒された。

 今、時代は大きな転換点を迎えている。わが国の文化はアジアとくに東アジアとの悠久の交流の中で、独自的な文化の礎を築いてきた。しかし、明治以降という短い時の流れの中で、欧米との交流が、文化的流入の氾濫となり、物質的な豊かさを享受できているという利益を得ながらも、わが国の独自性ある文化を消失しつつあるような状況下に追いやったことはほぼ事実だろう。

 来年は「平城遷都1300年祭」を迎える。平城京が遷都された時代を「奈良時代」という。西暦704年に、「日本」という国号が初めて用いられた。710年に平城京へ遷都した。その当時のわが国の人口は900万人で、概ねその時代に、「日本」の母型が形作られたという。

 それ以降、わが国の時代区分でいえば、平安、鎌倉、南北朝、室町、安土桃山、江戸と続き、明治・大正・昭和・平成は「東京時代」と呼ぶにふさわしい時代を経てきた。閉塞感漂う時代の中で、現代の「東京時代」と対置して、かつてのわが国のはほろば「奈良時代」を見つめなおし、偏狭的なナショナリズムではなく、独自性をもった文化的な視点をもってアジア・世界へと繋げる視座を築く必要があるのだろう。

「NARASIA/㈱丸善」Webサイト

「平城遷都1300年祭」公式サイト

2009年7月 2日 (木)

Books 「大学的 奈良ガイド~こだわりの歩き方」

Img 編者:奈良女子大学文学部なら学プロジェクト/発行:㈱昭和堂(2009.04)/定価:2300円+税/P.272

 奈良女子大学創立100周年記念出版 「みんなの知らない奈良、満載」「奈良を歩くとニッポンがわかる」

【コンテンツ】 奈良という舞台/生活と風景/過去からの贈り物/非日常の空間

 通常市販されている奈良を紹介したガイドブックとは一味二味も違う私たちが知らない奈良の歴史を浮かびだしてくれる「大学的」な興味わく一冊だった。

 異なる視点から奈良について知りたいと渇望する者にとっては最良のガイドブックであるとともに奈良の歴史を学ぶ格好のテキストだ。

 

2009年6月28日 (日)

Books 「子どもにスポーツをさせるな」

Img_0001 著者:小林信也/発行:中公新書ラクレ(2009.06)/定価:740円+税/P.198

「子どもとスポーツが危ない!」 「子どもとスポーツ」を位置づけしなおした異色の教育書だ。

【コンテンツ】 それでもわが子にスポーツをさせますか?/スポーツの現実/子どもがサッカーをする現実/生死が背中合わせにあるスポーツ/青少年スポーツは何をもたらしているのか/子どものスポーツと生活習慣/大好きな気持ちを育てる

 
2009年になって極端に読書量が増加した。自分自身の興味ある本を読んでいる。ほんとうはブログに掲載し感想を書き留めるべきなのだろうが、怠惰にも実践できてはいない。

 スポーツ関係の本を読みたいと思っているのだが、興味ある本に個人的に出会わない。おそらくライターが少ないのであろう。まだまだ、サッカー・スポーツは文化の入口に差しかかったばかりなのかもしれない。

 
「子どもにスポーツをさせるな」という過激な言葉に引かれ購入して読んだ。実に興味深かった。著者の本心は、終章のテーマにあるように、子どもたちに、「大好きな気持ちを育てる」ことだと記す。御意!

 
「私たちは真剣に、頭脳ではなく、身体で生きる習慣を磨き、身体でできる人間を目指さなければならない。子どもたちにはスポーツを通じて、そのような身体を磨き、感性を伸ばして欲しい。大人の鈍った感覚で子どもの才能をつぶすのではなく、子どもの秘めている力の扉を開いてあげる、その後押しをするのが親たちの務めだ。」 御意!

 ジュニアスポーツに関わる指導者・保護者にとって、一読に値する本だ。

2009年6月13日 (土)

太宰治「津軽」

Img_0002_3 「太宰治生誕100年」に触発されて「津軽」を読み直した。新潮文庫の帯に、「いまのあなたが、いま読んでこそ鮮烈に面白い」と。正直確かにその言葉どおりだった。「ヴィヨンの妻」「お伽草紙」 に続き「津軽」を読んで、太宰治の文学は現代的で、かつ現在進行形の魅惑が漂っていた。

 「津軽」のクライマックスは、作品の最終に記された子守りで育ての親「たけ」との30年ぶりの再会場面だ。作品の中で、 「たけが私の家へ奉公に来て、私をおぶったのは、私が三つで、たけが十四の時だったという。」 太宰治は6年間、「たけ」に育てられた。30年ぶりにやっとのことで再会を果たした。

 「平和とは、こんな気持ちの事を言うのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。」と作品の中で太宰治は記した。 「津軽」は太宰治の中期の作品である。太宰らしくないと言えるような作品かもしれないが、本質的な一面が現れているような名品だった。やはり、太宰治の文学は魅力的である。

「太宰治資料館」Webサイト

「太宰治検定」ブログ

2009年6月10日 (水)

「偽りの明治維新~会津戊辰戦争の真実」

Img_0001 著者:星亮一/発行:だいわ文庫(2009.01第10刷)/定価:705円+税/P.268

「日本史上稀に見る悲劇、会津戊辰戦争」 「闇に葬られ、誰も知らず、教科書にも書かれていない!」

【コンテンツ】 悲惨な実態/兵士たちの思い/会津藩の降伏/京都守護職/立ちはだかる男たち/大政奉還/挙藩流罪/地獄の日々/二つの道/屈折の明治

 
司馬遼太郎氏は「街道をゆく」の「白河・会津の道」の中、「会津藩」の冒頭に「会津藩について書きたい。なにから書きはじめていいかわからないほどに、この藩についての思いが、私の中では濃い」と書きはじめ、最後に「歴史の中で、都市ひとつがこんな目に逢ったのは、会津若松市しかない。」と結んだ。司馬遼太郎氏の「会津藩」に対する想いはその一文にはっきりと現れている。

 この本の著者:星亮一氏は司馬氏に勝るとも劣らず、「会津藩」に対する想いは濃い。幾冊もの「会津藩」に関する本を執筆されている。私はその著作の幾冊かを読んだ。「大政奉還」「江戸城無血開放」「明治維新」等、新たな歴史が刻まれたと教科書は記す。

 その過程での「会津藩」の悲惨な歴史は伝えられていない。いまでも、「長州藩」に対しての怨恨は消えず、今でさえ長州藩(現在の山口県)との和解を成就できていない。それほどまでに「会津藩」は悲惨な体験を強いられた。

 日本近代のはじまりに、「スケープゴート(いけにえ)」として「会津藩」があったといえるかもしれない。この本を読みながら、なおいっそうに、私もまた「会津藩」への想いがレリーフのように浮かび上がった。

2009年5月30日 (土)

「太宰治」浸り

Img_2  信州へ向かう列車の中で読むために文庫本2冊をバッグに入れていた。今年生誕100年の太宰治の「ヴィヨンの妻」「お伽草紙」だ。太宰治の小説を読んだのは大学生の頃だった。「人間失格」「斜陽」などの代表作だけでなく、すべてとはいかないが多くを読んだ。しかし、それ以来、再び読もうと手に取ることもなかった。私が若かった頃、確かに凄いと思いながらも、太宰の退廃的な生き方、暗く破滅的なイメージが、私の感性を太宰の小説から遠ざけた。

 JR中央本線を長野へと向かう途上に集中して、短編集「ヴィヨンの妻」を読んだ。太宰の小説は変わることはないが、私は20歳から今55歳になった。何かが変わったのだろう。夢中になりほんとうに太宰治は面白いと思った。少し読み疲れると、うん、なるほどと、ひとりうなずきながら、缶ビールを飲み車窓を眺めた。信州長野での滞在中、移動中に短編集「お伽草紙」を読んだ。またも、うん、なるほどとうなずかざるをえなかった。

Img_0001  わが国で太宰治のようなユニークな小説を描いた小説家がいたのだろうか?思いつかない。だからこそ偉大なる小説家としてその作品は読み継がれてきたのだろう。熱烈な太宰ファンが存在すること、女性に人気がある小説家だということを、確かに解った気がした。太宰治の小説は青春の一時期に夢中になるものでもなく、年齢に応じてその魅力は放たれ続ける。

 太宰治は道化として人生を終えたが、虚構としての文学の中でのみ真摯に生きたのだろう。叛逆者でありながらも、人間の永遠の真実を描ききろうとした。その人の根底の中に、古風なまでの道徳・倫理的な、あまりに素直で正直な想いがその作品には現れている。人は強さの中の虚妄よりも、弱さの中の素直さ・正直さを好むものなのだ。だからこそ、太宰治の小説は永遠に生きつづける。

2009年5月23日 (土)

「高野辰之作詞 全国校歌集」

Img 発行:豊田村(長野県下水内郡豊田村)1996.12

 
高野辰之は、「唱歌」の作詞だけでなく、北は北海道から南は九州までの全国の「校歌」を作詞した。この本で紹介されているのは、北は「網走高等女学校(現:網走向陽高校)」から、南は「門司高等女学校(現:門司北高校)」までの70校の校歌が掲載されている。

 奈良県にも、高野辰之が作詞した校歌があった。「奈良県師範学校校歌(現:奈良教育大学)」(昭和4年)だ。その第一節は、「国のまほろま美し大和・・・・・」。最終節は「熱と望みに生くる園」で結ばれている。

 かつては、求心力の象徴として「校歌」が重要視されたのだろう。高野辰之のみならず著名な文学者が「校歌」「の作詞を手がけた。皆がともに歌うという行為の中で、連帯感が育まれていたのだろう。

 最近は共に歌うということが消失してしまっている。どこか個的な風景の中に歌が存在している。共に歌えないということは、共に
共感し行動できにくくなっていることであるのかもしれない。それが、時代の趨勢なのだろう。

2009年5月22日 (金)

「高野辰之青春の想い」~師範学校当時の詩集~

Img_0001 発行:豊田村(長野県下水内郡豊田村)2001.09

 
発刊の巻頭に、「青雲の志を抱いていた一青年高野辰之に照準を絞り、当時書き留めた長編詩歌集“故山前・後編”を中心に編集」したとある。現代は、「青春」、「青雲の志」という言葉などは死後になっいる。わが国の近代という時代には、多くの若者ものたちが、確かにそのようなエネルギッショな想いを抱いて未来へと撃ち生きていた。

 「深山の奥に埋もれて ただに朽ちなん苦しさに 隔てぬ友を語らいて 都の空に向いけり」 
 北信濃の村に育ち、明治35年(1902年)、23歳で青雲の志を抱いて状況した時に、いかなる想いを抱いてふるさとを旅たったのだろうか?

 ふるさとを後にして23年後、大正14年(1925年)、東京帝国大学の文学博士の学位を得て報告のためふるさとへ帰郷した折に、「帰郷吟」という五首の歌を詠んだ。その中の二首、

「停車場に 並み居る子ども 礼正し 聞けば皆これ わが姪わが甥」
「よろこびを 抱きて来たれば 今更に 雪なす髭の 父は尊し」

 
ふるさとへの帰郷の停車場は「替佐駅」である。その停車場へ降り立った時の感慨を歌ったものだ。高野辰之は、ふるさとを想いながら、後世に残る歌詞を残した。そのふるさとは彼を誇りとして想い抱いている。だからこそ、その地に、りっぱな「高野辰之記念館」が創設された。「郷土(パトリ)」とは何か? 人が生きていく上で寄って立つべきものは何か? この青春詩集を読みながらそのような思いが脳裏を駆け巡った。

2009年5月21日 (木)

「中山晋平 歌の旅立ち」

Img 著者:(切り絵:春日麻江 解説:宮澤重雄)/発行:ほおずき書籍(2007.07)/定価:1200円+税/P.57

 
信州中野、「中山晋平記念館」で、「中山晋平 歌の旅立ち」という本を買った。いつも旅に出ると、その地方独特の匂いを発する本を衝動的に買ってしまう。帰路の私のバッグは、名産等のみやげ物はなく、その地方で出版された幾冊かの本が入っている。本を買わなければ、バッグはもっと軽いはずなのに、いつも出かけた地方の本とともに我が家へ帰還する。

 この本もその一冊だ。切り絵の中に、中山晋平が作り出した歌詞が掲載されている。切り絵を観ながらその歌詞を口ずさむと、のどかで落ち着いた気分になる。その本の後半は楽譜と歌詞が掲載されている。私にとっては魅力的な絵本のようだった。

 興味が涌き、その本を出版した「ほおずき書籍」をWebサイトで検索した。その地方出版社は長野市柳原にあるという。昨年に長野市を訪れた際に善光寺表参道の書店で「信州ふるさとの歌の風景」という本を買った。その発行元は「ほおずき書籍」だった。

 
「出版は文化のバロメーターというように、本は文化を動かす力を持っています。ほおずき書籍は、中央からは発見できない地方文化や文化人との交流を大切にし、本というカタチで全国に発信しています。」という一文を、「ほおずき書籍」Webサイトで読んだ。「jほおずき書籍」は、確かに地方文化をポリシーのもとに発信している出版社であると私は強い印象を抱いた。

「ほおずき書籍」公式サイト

2009年5月14日 (木)

「善光寺の謎」

Img 著者:宮元健次/発行:祥伝社文庫(2009.03)/定価:600円+税/P.259

 5/11(月)日本経済新聞朝刊で「善光寺御開帳」の記事が掲載されていた。「善光寺御開帳」とは、絶対秘仏の本尊の分身である「前立(まえだち)本尊」を6年ごとに公開する行事だ。今年はその御開帳の年にあたり、4/5から行われている。前回の2003年は2ケ月間で628万人が訪れ、今回はそのペースを上回っていると報じられていた。5/16(土)から長野へ出かけ、善光寺御開帳を参詣するつもりでいる。この本は「善光寺の謎」に迫る興味深い本だった。

 かつての偏狭の地で巨大な伽藍を構えた善光寺は、権力によってではなく民衆の信仰によって支えられた寺院である。「権力はうつろいやすいが、民衆の力は巨大である」。

 善光寺の最大の特徴は、無宗派性にある。創建は640年頃と古く、その時代には仏教の諸宗派が存在していなかったためと言われる。すべての者を受け入れるという雰囲気が善光寺には漂っている。私は知らなかったのだが、「伝説では642年、本田善光(ほんだよしみつ)が難波の堀江で阿弥陀三尊像を拾い、自宅まで背負ってきて祀ったのが善光寺のはじまりであるといわれる。」

 興味深かったのは、善光寺のご本尊は日本最古の仏像で絶対秘仏、聖徳太子とも関係がある寺、聖徳太子に滅ぼされた物部守屋の鎮魂寺、本田善光は渡来人、信州・長野の地名は、大阪・河内長野が語源、等々興味深い内容であった。

 今週末は、まほろば奈良から信州長野へ出向く。善光寺御開帳へ参詣するための事前勉強には最適な本であった。

「善光寺御開帳」公式サイト

2009年5月10日 (日)

土門拳「こどもたち」

Img 著者:土門拳/発行:小学館(1995.09)/定価:2500円/P.159

 「不世出の写真家が切り取った昭和の真実」
 「飽食の時代の日本人が忘れてしまった生き生きよした表情。悲痛な表情。こどもの世界から見た昭和の歴史」

 
昨晩、14年近く前に買った写真家・土門拳の写真集を見ていた。戦後まもなくから昭和30年代の子どもたちの日常の姿が鮮やかに切り取られていた。土門拳のまなざしは優しく、現実をあくまでも事実として写真に映し出した。

 子どもはおとなの、また社会の鏡である。ずっとずっと気になり続けている。紙芝居に夢中になり一心不乱の子どもたちのまなざしがある。我々は、スポーツ・カルチャーの領域で、この紙芝居を見ている子どもたちのように魅了させる何かを、我々おとな自身、また地域社会は育んできたのだろうか? もしかしたら、「子どもたちを育てている」という美しい言葉の中に虚偽という陥穽を創り出しているのかもしれない。私たちは紙芝居屋のおっちゃんになれるのか?

「土門拳記念館」公式サイト

「筑豊のこどもたち/築地書館」Webサイト

2009年5月 9日 (土)

土門拳 「腕白小僧がいた」

Img_0002 著者:土門 拳/発行:小学館文庫(2002.9)/定価:790円+税/P.207

【コンテンツ】 下町の子どもたち/日本の子どもたち/筑豊の子どもたち

 今年は生誕100年で、作家の松本清張・太宰治、そして写真家の土門拳が取り上げられている。この本は、リアリズム写真家の土門拳が、戦前、昭和30年代の下町・炭鉱町の子どもたちの情景を写した写真とエッセイの本だ。さまざまな環境の中で、生き生きと目を輝かせた子どもたちの姿が新鮮である。

 さまざまな写真家が、被写体としての子どもの存在が希薄になったということを書いた文章を読んだことがある。スポーツ現場では、子どもの逞しさ、精神的な弱さが指摘され続けている。その大人たちが逞しいのか精神的に強いのかは別にして、また私自身が逞しいのかどうかなどを別にして、身勝手に私を含めたおとなたちは子どもたちを比較評価することが多々ある。

 確かにこの写真集を見ると、かつての子どもたちと今の子どもたちの、古臭い言い方をすれば、「面構え(つらがまえ)」が違う。今の子どもたちは、かつての子どもたちと比較されて精神的に弱いという評価がなされる。そのことは今の子どもたちが悪いのか? それとも環境を作り育てたおとなたち、社会全体が悪いのか? 私自身が個人的に言えることは、子どもたちはおとなたちの責任回避を被っている存在だということだ。

 真夏のような暑い日の夕刻に、自分自身にとって気になることがあり、以前に買って観た写真家・土門拳のこの写真&エッセイ集を手に取った。その写真集を観ながら、今の子どもたち、また未来の子どもたちが、生きていく逞しさを習得するには、我々おとなたちが、いかに考え行動すべきなのかを考え続けていた。

「土門拳記念館」公式サイト

2009年5月 2日 (土)

「富士には月見草~太宰治100の名言・名場面~」

Img 著者:太宰治・長部日出雄/発行:新潮文庫(200.05)/定価:400円+税/P.209

 4/30(木)職場帰りに本屋へ立ち寄った。今年は太宰治生誕100年、文庫の帯には、「新・太宰治」「教科書と文学史の中だけに、太宰を埋もれさせるな」「100年たって、なお現在進行形」という言葉が記されていた。迷わず買った。

 レジの前へ行き店員に本を差し出した。年配の方が、この本の表紙を見ながら、 「太宰にこのような本がありましたかなあ?」と私につぶやいた。敏感に反応して私は答えた。「太宰の名言・名場面集だと書いてありますね。つい最近出た本のようですね。」その方は理解したようだ。確かに太宰の作品に「富士には月見草」はない。

 続けてその店の方は、「太宰が自殺したのは私が子供のころだったです。覚えています。玉川上水で。幸せですよ。」と私につぶやいた。太宰が自殺した時に子供だったということは、その方の年齢はいくつなのだろう?と想像した。太宰が自殺したのは戦後まもなくだったように思う。おそらくその方の年齢は60歳後半ぐらいなのだろうか? その方にとって太宰治という作家は印象深かったのだろう。

 新潮文庫の中で、一番売れている作家は夏目漱石、二番目に太宰治だと何かの雑誌で読んだ。斜めに傾き、倒れそうで、危なっかしい、弱い人間を正直に描いた太宰治は特に女性に人気があるという。熱烈な太宰ファンが存在し続けている。

 私は太宰治の代表作の大部分を学生時代に読んだ。惹かれる気持ちと同時に嫌悪感を抱くという私にとっては愛憎両面の作家だった。ダイジェスト版、文庫本「富士には月見草」で太宰治の文章を読んだ。30年ぶりだった。正直に言えば素直に惹かれた。

 この世にはさまざな生き方があってよいという価値の多様化、強い者、強くなろうとする者だけが生きているのではなく、弱い者、弱くしかなれない者も生きているのだ。漠然とした不安がはびこる現代に、太宰治の文章は救世主のように浮かび上がって来る。

 今、忘れ去られていた小林多喜二「蟹工船」が読まれているという。太宰治の作品もまた若者たちに読んで欲しいと思う。正直な弱さの吐露にきっと勇気づけられるだろう。太宰生誕100年を機に、私もまた今一度、読み直してみようと思っている。

2009年4月29日 (水)

「旅する巨人」~宮本常一と渋沢敬三~

Img_0001 著者:佐野眞一/発行:文春文庫(2009.04)/定価:876円+税/P.516

「日本中の村と島を歩き尽くした男がいた。」 民俗学者・宮本常一の生涯を財界人・渋沢敬三との交流から描いた大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

 稀有な民俗学者・宮本常一の生涯を描いた評伝である。1996年に出版された単行本の文庫本化である。今一度文庫本が出版されたので読み直した。

 瀬戸内海の周防大島で生まれた宮本常一は、昭和という時代の稀有な民俗学者だ。高度経済成長の過程で、わが国の至る所で共同体が崩壊し、伝承が消え去った。その前夜までのわが国の人々の暮らしを丹念に歩きながら聞き取った膨大な貴重な記録を生み出した。

 親、妻、子どもたちを周防大島に残したまま、旅に生き、方難しい民俗学というものではなく、農村・漁村で昔からの伝承を受け継ぎ生きている人々の言葉を聞き、記録に残し続けた。旅すがら、西行は歌を詠み、芭蕉は俳句を詠んだ。私にとって、宮本常一はその系譜に繋がっている。偉大なる民俗学者だ。

Img 著者:宮本常一/発行:筑摩書房「ちくま日本文学」(2008.08)/定価:880円+税/P.477

「故郷の声を背負い彼方を夢みた旅の人」

 
文庫本「旅する巨人」を読んだ後、本棚から取り出して、抜粋して読み直した。「対馬にて」「子供をさがす」「土佐源氏」「私のふるさと」「子供の世界」「萩の花」等。読めば読むほどに惹き付けられる。ゆっくりと、もっともっと宮本常一の本を読んでみたい気になる。

 この本の末尾に、水俣病問題に毅然と立ち向かった石牟礼道子(いしむれみちこ)さんが記された「山川の召命」という一文の中で、
「人々は、後に残して来た故郷の声を背負い、樹の下陰に立ってそれとなく見送っていた祖父母とか古老の姿から、魂の形見を与えられて出郷したのである。ふたたび帰ることがなくとも、それは一人の人間の心の奥処や夢にあらわれて、その人の一生につき添っていた。」と記されていた。

 宮本常一は、ふるさと人の魂の形見に付き添われながら、「旅」と「民俗」を「召命」(しょうめい)として生きたのだろう。彼だけでなく、私たちもまた、生まれが農村、漁村、町、街、都会に関係なく、生まれ育った環境の中でさまざまな人々の魂の形見に添われて生きているのかもしれない。

「NPO法人周防大島郷土大学」公式サイト

2009年4月27日 (月)

「1960年代の肖像」

Img_0003 著者:後藤正治/発行:岩波現代文庫(2009.04)/定価:1000円+税/P.300

「情熱だけはあった戦後日本の若き時代、人々は何を夢み、何に希望を重ねたのか。大学紛争当時の青春を送ったノンフィクション作家が、懐古でも追憶でもなく、その後の40年の歳月を踏まえ、1960年代のヒロイン・ヒーローの姿に迫る。」

【コンテンツ】 滅びの演歌・藤圭子/黄金時代・ファイティング原田/君は決して一人じゃない・ビートルズ&ボビー・チャールトン/天馬、駆ける・シンザンを巡る人々/海を流れる河・吉本隆明

 私は1953年生まれである。1960年代というと、私が7歳から16歳だった時代だ。子どもながらにも目に見えて生活が大きく変わったのを覚えている。鶴橋の実家の隣の共同井戸端で「たらい」を使い洗濯していたのが、ある日突然に「電気洗濯機」が出現した。近所の氷屋で買った氷を使って冷やしていたものが、「電気冷蔵庫」に変わった。「テレビ」という余りにも魅力的な代物がわが家にも鎮座した。家族7人で集まって一緒にその代物を観た。まだ、新聞のテレビ番組は「空白」があった。テレビもお休みの時間があった。その時、テレビをつけると「テストパターン」という文字が見えた。まだのどかでゆったりとした時代だった。

 興味深くこの本を読んだ。演歌歌手・藤圭子、ボクサー・ファイティング原田、言わずとも知れたビートルズ、マンチェスターユナイテッドのフットボーラー・ボビー・チャールトン、三冠馬・シンザン、思想家・吉本隆明。すべてが、その当時の私にとって印象深い人物だった。そのことがこの本を読みながら蘇ってきた。

 今とその時代を比較すると、どちらがよき時代なのかどうかは一概に言えない。ただ、私にとっては、一番多感な年齢をその時代の中で過ごしたことは事実である。振り返るとその時代は、現代という時代の大きな曲がり角であったように思う。その時代以降、「経済」というキーワードにして物質的な豊かさを、猫も杓子も追い求め始めた。その時代の移り変わりの中で、ただ、失くしたもの、捨て去ったものは、得るものよりも余りにも多かったのかもしれない。この本を読みながら、ふとそのような思いに囚われた。

2009年4月25日 (土)

「貝野の子供」~越後・妻有郷(つまりのさと)の生活と遊び~

Img 著者:かいのかい/発行:奈良新聞社(2009.04)/定価:1600円+税/P.132

 新潟県中魚沼郡貝野村、昭和25年、村立貝野小学校卒業生有志による失われた時を求めた生活記録。

【コンテンツ】 貝野村/住まいとくらし/貝野の一年~行事とお祭り~/村の仕事/食べ物/貝野の子供の遊び/

 
奈良の地域広報誌「奈良リビング」を見ていると、「貝野の子供」という本の広告を見た。その広告文には「越後・妻有郷の生活と遊び」「失われた時を求めた生活記録」「我が故郷はそこにあった」と記されていた。「貝野」という地が新潟県のどのエリアにあるのか知らなかったが、「越後」という言葉から、私は今は亡き父を思い出した。私の父は昭和4年、新潟県東頚城郡大島村(現:上越市大島区)で出生した。

 4月中旬、職場へ向かう通勤電車の中でその本の広告を見た。その夕刻には、大阪・千日前にある「ジュンク堂書店」へその本を探しに出かけていた。書店での書名検索サイトですぐにその本は見つかり購入した。帰路の近鉄電車の中で読んだ。その時代の、越後の村の子どもたちの生活が生き生きと記録されていた。

 この本をまとめられたのは、昭和25年に貝野小学校を卒業された有志だという。体験、見聞したものを思い出しながら本にまとめ刊行するという情熱に感服せざるをえない。記録し後の世に残すことは文化を伝えるということなのだ。

 この本は、越後・貝野村に関して記されていたが、私は読みながら、越後・大島村での父の子どもの頃の生活と、山奥の村から小さなトランクに荷物をつめて関西へと出てきた時の希望と不安が如何なるものだったのかを想像した。

 父がまだ元気だった頃、「もう一回、大島村へ行こう!」と私は父に言ったことがあった。その時、確かに父は微笑んだ。父が亡くなる前、まだ意識があった時に私の妹に「帰りたい!」とつぶやいたという。そのことを妹から聞いて確かめようと思ったが、私が駆けつけた時には、父の意識はなくすぐに息を引き取った。それは「どこに」帰りたかったのか、「鶴橋の大成通」かそれとも「東頚城郡大島村」なのか、確かめることは出来なかった。

 私は小学校4年生だった時に、一度だけ父の故郷・大島村を訪れたことがある。大阪駅から夜行列車で直江津まで、一駅か二駅向こうの駅で私鉄に乗り換え、終点で降りてそこからバスに揺られた。バス停から耕うん機の荷台に乗って、父の生まれた家に着いた。長野との県境の山々が見えた。子どもながらに山の奥だったという強烈な印象が残っている。

 「貝野の子供」という素朴で素敵な本を読みながら、私は確かに父の姿と歴史を思い浮かべた。五男として生まれ、山村から都会へと出てきた尋常小学校卒しか学歴のない無名な若者が、固い消防士という職業を選び、劣等感を抱きながらも普通に生き、三人の子どもたちを育て、すべて大学を卒業させた。学歴では子どもたちに劣等感を味あわせたくないという無名な父親の確かな人生だった。

 つねづね、今一度は父の故郷を訪ねておかなければならないと思い続けている。この本を読み、その想いがより一層強くなった。

2009年3月29日 (日)

[山びこ学校」が歴史の幕を閉じた!

Img  3/23(月)朝日新聞朝刊の社会面に200字足らずの小さな記事が掲載されていた。【「山びこ学校」が62年の歴史に幕】。朝の通勤電車の中でその記事を読み、さまざまな想いが駆け巡った。

 「山びこ学校」とは、山形県上山市立山元中学校のことであり、その当時の在校生が書いた作文集である。なぜ、その中学校作文集が1951年に単行本化され、当時ベストセラーとなり、のちに映画化されたのか。それは戦後教育の中で゜子どもの眼がとらえた「書き方」「綴り方」「作文」の「昭和の名作」として注目されたからだ。

 その新聞記事を読んで、その夜に自宅に帰り本棚から岩波文庫「山びこ学校」を探し出し拾い読みした。文庫版は1995年7月初版と明記されていた。私はその本を41歳の時に買って読んだ。

 なぜ、中学生がそれほどまでにしっかりと書くことができたのかという衝撃を受けたことを覚えている。克明でひたむきな生活記録だ。私にとって、それ以降、子どもたちの作文集で「山びこ学校」を超えるべきものは生じてこなかった。

巻頭の「この本を読んでくれる全国のお友だちへ」からこの本は始まる。
「この本を読んでくれる、全国のみなさん、毎日お元気で、おくらしでしょうね。・・・・・学校に行ってよいという日は、ものすごく元気です。小学校の1年生でも、ビュービュー吹雪にふっとばされそうになりながら、上級生につかまって学校にくるのです。この本を読んでくれる、全国のみなさん、みなさんはどうですか。」

巻頭の子どもの詩
「雪はコンコン降る。 人間は その下で暮らしているのです。」

卒業生代表答辞(1951年3月抜粋)
「私たちは、はっきりいいます。私たちは、この三年間、ほんものの勉強をさせてもらったのです。たとえ、試験の点数が悪かろうと、頭のまわり方が少々鈍かろうと、私たち43名はほんものの勉強をさせてもらったのです。」

「私たちの骨の中しんまでしみこんだ言葉は“いつも力を合せて行こう”ということでした。“かげでこそこそしないで行こう”ということでした。“働くくことが好きになろう”ということでした。“何でも何故?と考えろ”ということでした。そして、“いつでも、もっといい方法はないかを探せ”ということでした。」

 さまざまな子どもたちが綴った文を読み直して新たな感銘を受けた。ベストセラーになった当時よりも、今まさに子どもたちが「山びこ学校」で書き綴った言葉の価値と、そこから私たちが何を実践すべきなのかを伝えてくれる貴重な羅針盤かもしれないと私個人は思っている。

 最後の「答辞」の言葉は58年前のひとりの中学生の言葉である。今を生きる大人たち、職業であるかどうかなどに関係なく子どもたちに接する大人たちである私たちは、どのように受け止めるべきなのか?

 その文庫版のあとがきで、鶴見和子さんは「“山びこ学校”の意味は、初版出版時よりも、さらに重く、深くなった。あることがらの意味は、そのことがらによって惹き起こさせることがらの総体である。“山びこ学校”の意味は、これからも私たちがこれを読みついで、それからなにを引き出すかにかかっjている。」(1995.05)と結ばれているのを心新たに感銘をもって心に焼き付けた。

「山びこ学校の信念を貫く/YOMIURI ONLINE/2007.12」 Webサイト

2009年3月 8日 (日)

Books 「誰も“戦後”を覚えていない」(昭和30年代篇)

Img 著者:鴨下信一/発行:文春文庫(2008.12)/定価:750円+税/P.241

【コンテンツ】 昭和30年代はなんてこんなに懐かしいのだろう/この幸せを手放せない/「清張」も「風太郎」も必要だった/巨匠の映画でこの時代の生活をさぐろう/こんなにBC級映画ばかり見ていた/音楽は時代の変化そのものだった/その時、テレビは何をしていたか/ほか

「まずは“小さい幸せ”が大事な時代だった」

 わが国の絶好調な時代であった昭和30年代、見方を変えれば、現在へと繋がる大きな転換点だったのかもしれない。私は昭和28年(1953年)生まれである。昭和30年代の終わりは小学校5年生だった。昭和30年代という時代は、私の子ども時代だった。まだ、戦後という空気が漂い、その頃の写真を見るとまだ貧しさが写しだされている。それは、物質的な貧しさであって、精神的なものではないが。子どもながら自宅の生活が変わってきたのをはっきりと覚えている。今までなかった「テレビ」という代物が突然わが家に鎮座するようになった。新聞のテレビ番組は空白だらけだった。番組が放映されていない時は、「テレビ」画面は、「テストパターン」という静止した映像がが表示されていた。

 「所得倍増」「経済成長」という言葉がその当時のキーワードだったと大人になった時に知った。「幸せ」が「物」を手に入れることだという神話のはじまりだったのだろう。その後、「物」を得る為に、人々は必死で働いてきた。そして、今、「物」は充足している。その当時のゆめは実現された。本来ならばすべての者たちが「幸せ感」を抱いても不思議ではない。しかし、そうでもないらしい。ほんとうの「ゆたかさ」「しあわせ」とは一体何なのだろう?

2009年3月 7日 (土)

「今がわかる時代がわかる世界地図2009年版」

Img 発行:成美堂出版(2009.01)/定価:1600円+税/P.271

 
「テーマ別 世界の現状」として、国際政治、社会、産業経済、環境・自然、交通・情報、文化・スポーツ等のデータが満載されている。見やすく、さがしやすい「地域別世界地図」で、枕元で世界旅行の気分になる。

 昨晩、寝る前にページを繰っていた。ベストセラーになっていることからも多くの人々がこの一冊を購入し読んでいるのだろう。アフリカの地図を見ていると、私の知らない多くの国があった。日が昇り沈んでいる年月の積み重ねの中で、世界は動き、記憶にあった国は消え去り、新たな国が誕生していた。世界地図を見ていると、小中学校時代に学校の副教材である「地図帳」を見ていた頃の気分になった。

2009年2月28日 (土)

なぜ、「昭和史」に関する本を・・・・・

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 最近、「昭和史」、特に昭和初年から戦中に関する多くの本が出版された。安価な新書版の本が書店で並んでいる。「昭和」という時代が終わり、20年余りが経った。「昭和」というわが国の激動の時代も、「歴史」として客観的な検証がなされるようになってきたのだろう。

 戦争が終わり60年余りが経つ。私は昭和28年生まれ、戦争を知らない世代である。ただ、50年近く前、祖母から聞かされた話は今も記憶に深く刻まれている。それも、BGMに、「麦と兵隊」「戦友」「海ゆかば」などのソノシートで軍歌がかかった。見聞きした兵隊さんの話を涙ながらに語った。最後は、戦争を素朴に「嫌なもの」「きらいなもの」と位置づけ、その時代の上層部に対する怒りを露骨に話した。批判などと言うものではなく批難そのものだった。

 無学な祖母であったが、その話は興味深かった。その影響から私の記憶は客観的事実を知りたいという興味へと向かい、若い頃からその時代に関する本を今も読み続けている。

2009年2月22日 (日)

「今がわかる時代がわかる日本地図2009年版」を読んで

Img_2 発行:成美堂出版(2009.01)/定価:1600円+税/P.255

 
「テーマ別 日本の現状」として、環境・自然、格差社会、社会、産業経済、交通・情報、文化・スポーツ等のデータが満載されている。見やすく、さがしやすい「都道府県別地図」には観光地、温泉などが掲載され、仕事・観光にも活用できる。

 夜、寝る前に、ページを繰っていた。実に面白かった。「データ」と「地図」、「論理力」と「想像力」を刺激するにはもってこいの私好みの一冊だ。ベストセラーになっていることからも多くの人々がこの一冊を購入し読んでいるのだろう。

 中・高校生には、特に手元に置き気軽に読んで欲しい本だ。学習とスポーツにも有意義なものだ。スポーツは「論理力」・「想像力」の上に技術・戦術が成り立っている。「データ」を見て読み取る力、「地図を」を見て思い描く力、「論理力」・「想像力」をベースとした「情報分析力」は、スポーツ選手としてだけではなく、社会人としても有益性を持つ。中・高校生たちよ、夜、寝る前に「データ」と「地図」を見よう。

2009年2月20日 (金)

Books 「幕末史」

Img  著者:半藤一利/発行:新潮社(2009.02第2刷)/定価:1800円+税/P.477

 「黒船来航から西南戦争まで激動の時代を語り下ろした」 「日本が大転換と遂げた二十五年間」

 著者の父は越後長岡藩である新潟県長岡市の在であったという。明治維新、戊辰戦争で、会津・長岡・庄内・米岡等の奥羽諸藩は、官軍に対抗した賊軍としての歴史を刻んだ。

 幕末から明治への歴史は、「維新」として勝利した者、官軍、薩摩・長州藩から正史として描かれ続けてきた。この本は、理不尽にも賊軍の汚名を刻まれた者たちからの幕末から明治までのもうひとつの歴史書だ。

2009年2月14日 (土)

Books 「言語世界地図」

Photo 著者:町田健/発行:新潮新書(2008.05)/定価:700円+税/P.215

「国境より複雑な言語の境界」「主要46言語の成り立ち、地域、民族文化を徹底ガイド」

 かねてから「世界は一つ」という幻想が、言葉の中だけで存在し続けている。人類が地球上に生まれてから何万年なのだろうか、そのことは現実化はしていない。世界には200足らずの国家が存在する。言語はと言えば、7,000にも及ぶという。グローバリズムという状況の中でも、国家の数は減少していない。しかし、言語の数は減少している。

 世界での言語数、約7,000、国家の数、約200とすると、平均数を取ると、一つの国家で35言語となる。世界では公用語とその他の言語が併存している国家が存在する。多数言語が少数言語を抑圧し消滅させてきたことは歴史の上での事実だ。

 グローバリズムの中でさえ、ネーション(国家・民族・国民)という政治的なもの、エスニシティ(民族)という文化的なものが、レリーフのように浮かび衝突している。この本は世界の主要46言語の成り立ち、民族文化を学ぶテキストであるとともに、現在の世界情勢を知る上でも役立つものだ。言語は国家よりも境界が複雑である。

2009年1月24日 (土)

「マリーシア」~駆引きが日本のサッカーを強くする~

Photo_2 著者:戸塚啓/発行:光文社新書(2009.01)/定価:760円+税/P.246

【コンテンツ】 マリーシアとは何か/賢さが勝敗を決める/いつも正直者ではいけない/ボールの行方はマリーシアとともに/知性と創造性/日本人よリスクを冒せ/駆引きの先に楽しみがある/ほか

 「日本人には、いい意味での“狡さ”が足りない」(カカ)。著者は戦術・技術だけではサッカーのゲームに勝てないという。「マリーシア」が大切だと。著者の定義によると、「マリーシア」とは、「狡猾さ」だけを指し示す言葉ではなく、「柔軟性を持った発想力」「勝つために必要な駆引き」である。それはサッカー選手が身につけるべきスキルだという。また、日本が世界で勝つためには、「マリーシア」を身につけることが必要不可欠であるとも記す。「マリーシア」とは教えられるものではなく、覚えるものなのだろう。特にわが国のおかれている状況では、一番習得しにくいスキルかもしれない。

2009年1月16日 (金)

「三島由紀夫亡命伝説」

Img_0001 著者:松本健一/発行:勁草書房(2007.03)/定価2000円+税/P.220

「1970年11月25日 三島由紀夫は<美しい天皇>像を一人ひっさらって、この日本から亡命(かけおち)していった。」(本書帯より)

 
1969年1月東大安田講堂落城、1970年3月大阪万博開幕、わが国が戦後の繁栄の頂点にさしかかった時に、作家・三島由紀夫は割腹自殺した。その時代はわが国の激動期であった。振り返れば、大きなターニングポイントであったといえる時代なのかもしれない。

 近代日本の思想に領域において卓越した論考を執筆されている著者は、三島由紀夫が死んで後、「私たちはその年月のあいだ、『美しいものを見ようとおもったら、目をつぶれ』と説く、危険な文学者を持たなかった。」と本書の中で書かれていた。

 その事件については、肯定・否定の両側面から、今もさまざまに論評されている。その「亡命」(かけおち)は、確かにすでに40年前の出来事でありながら、一般的に事件そのものは忘れられようとしているが、三島由紀夫の文学は、同氏が死んで後も、「美」を放ち続ける契機をなした。

 いまでは、左翼・右翼という存在自体は希薄になっているが、その当時は政治的に明確な相違として存在していた。しかし、その心情においては確かに共通するものが存在した。「安田講堂攻防戦と落城」、「三島由紀夫の割腹自殺」の二つは、歴史として振り返ると、その時代とその後の時代を憂う「心情」の表現としての象徴的な事件だった。

 
「・・・・日本はなくなって、その代わりに無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。」という40年前の三島由紀夫の言葉は、今、わが国の現実を浮き彫りにしている。

2009年1月15日 (木)

「安田講堂1968~1969」

Img_0002  著者:島泰三/発行:中公文庫(2005.11)/定価:980円+税/P.364

「明日あると信じて来る屋上に旗となるまで立ちつくすべし」 (歌人:道浦母都子)

 「青年たちはなぜ戦ったのだろうか。必至の敗北とその後の人生の不利益を覚悟して、なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか。何を求め、伝え、残そうとしたのか。」 
 
本書は、当時の活動家によって語られた貴重な証言である。

 1/15(木)夜、自宅で夕食をとろうとしていると、テレビで「東大落城」というドラマが放映されていた。日頃、テレビを見るということは極端に少ない生活を過ごしている。その日は夕食を食べ終わっても、そのドラマを最後まで見続けてしまった。その後に、本棚にあったこの本を手に取り拾い読みしていた。「東大安田講堂の攻防」は、40年経ち歴史の出来事として位置づけられるような時代になったと感じた。

 1969年1月、私は中学3年生で受験をまじかに控えた頃だった。学校から帰宅すると、父と祖母がテレビにくぎずけになっていた。私が父に、「何をやってんの?」と聞くと、父は「東京大学安田講堂の紛争だ」と私に言った。その時、私は何のことか全く分からなかった。でも私もまたその傍らでテレビの生中継を見ていた。3人とも無言であった。

 祖母が口を開いた。「こんな寒い中で、水なんかかぶったら凍え死んでしまうのに、なんでやの?」 それに答えて父は、「なにかの気持ちがあるんやろ。」とつぶやいた。私はその時、ただその言葉を聞いただけであった。私は確かに父と祖母の印象と同様な気持ちを抱いた。

 1969年4月、私は高校へ進学した。入学して少し経つと、大学紛争の余波を受けて、その高校にも学園紛争が生じていた。バリケード封鎖が行われ、機動隊が出動してきたり、ヘルメットをかぶった生徒が学校内を走り回り、全学集会、クラス集会などが行われ、定期試験のボイコット運動も生じた。学校内は、一般的な「勉学の場」から程遠い空間となっていた。そこは確かにその時代の雰囲気を色濃く漂わせていた。

 私は当時、政治的な行動を起こしたこともない。ただ、その時代の文化的な雰囲気の中で、多感な高校時代に個人的な疾風怒濤の年代とが交差して、多くの影響を受けたことは事実だ。左右両翼のイデオロギーではなく、人としての心情的なものに影響を受けたとともに、さまざまなジャンルの文化的なものが、私の目の前に現れ私を誘った。

 あの時代の雰囲気と友人たちを通して得たさまざまな文化的な領域での体験が、私の大成通りの路地裏での生育暦に根ざした核の部分に、善悪は別にして今ある私という個性を肉付けしたと思う。「東大落城」というテレビドラマを見て、また、この本のページをくりながら、自分自身の高校時代のことをふと思い出した。あの時、あの場所で感じ、思い、考えたことは、人からは見えないが間違いなく今の私の中に根強く息づいている。

2009年1月11日 (日)

「赤頭巾ちゃん気をつけて」を思い出して

Img_0001  1/9(金)13:30頃、職場の食堂で昼食をとっていた。テレビがついていたので何気なく見ていた。ピアニストの中村紘子が出演していた。司会者が中村紘子のご主人の名を話した時、突然に「赤頭巾ちゃん気をつけて」という小説を思い出した。

 「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、作家である、というよりも作家であった庄司薫氏が書いた青春小説である。1969年の芥川賞受賞作品であり、ベストセラーとなった。1969年始めに「東大安田講堂」の攻防戦が終焉を迎え、東大が歴史上初めて入試中止に追い込まれた。その年にこの本は刊行された。

 自宅の書棚からこの本を取り出した。昭和44年8月10日初版、昭和45年9月22日27版、定価360円と記載されている。1年余りの間に27版された。どれだけ多くの人々が、いや若者たちが読んだことだろう。その当時の時代的な雰囲気の中での青春物語だ。主人公の男女学生の関係に憧れを抱き、その小説の「由美」という女の子の名前が今も記憶として刻まれている。38年前、17歳の冬に、私が初めて買った単行本の小説だった。

 「ぼくは由美とそっと手をつないでゆっくりゆっくりと歩きながら、何度も何度も同じことを繰り返し考えた。ぼくには、このいまぼくから生まれたばかりの決心が、それがまるで馬鹿みたいなもの、みんなに言ったらきっと笑われるような子供みたいなものであっても、それがこのぼくのもの、誰のものでもないこのぼく自身のこんなにも熱い胸の中から生まれたものである限り、それがぼくのこれからの人生で、このぼくがぶつかるさまざまな戦い、さまざまな苦しい戦いのさ中に、必ずスレスレのところでぼくを助けぼくを支えぼくを頑張らせる大事な大事なものになるだろうということが、はっきりとはっきりと分かったように思えたのだ。」(庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」の末文)
※庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、現在は「中公文庫」で刊行されている。

2009年1月 6日 (火)

「オレンジの呪縛~オランダ代表はなぜ勝てないか?」

Img_0002 著者:デイヴィッド・ウイナー/発行:講談社(2008.07)/定価:1900円+税/P.381

 「オランダは、オランダであるがゆえに、勝つことができない。」
オランダが美しく勝つためのサッカーを展開しながら、勝利を逃し続けている謎を、歴史、地理、文化、国民性、建築、芸術、心理などのあらゆる角度から分析した、興味深い一冊である。

 サッカーはさまざまな国々の特性が現れる。意図的に作り出されるというより、その国の文化的・歴史的な土壌がサッカーそのものを形成する。オランダという国の歴史、文化、国民性が、オランダのサッカーを規定する。

 オランダサッカーをさまざまな領域の視点から分析したこの著作は、サッカーが技術・戦術に基づくものだけでなく、もっと大きなその国の文化・歴史・国民性が色濃く反映されるものだということを教えてくれる。

2009年1月 2日 (金)

「背番号10~サッカーに“魔法”をかけた名選手たち~」

Img_0001 著者:アンドレ・リベイロ、ヴラジール・レモス/訳者:市之瀬敦/発行:白水社(2008.12)/定価:2300円+税/P.282

 「王様か 神様か? 天使か 怪物か?」 伝説の名選手たちの素顔と魅了する「魔法」の秘密に迫るフットボールファン待望の一冊が刊行された。

【コンテンツ】 ペレ/先駆者たち/魔法の後継者たち 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代/世界の覇者/ブラジルの背番号10/信仰の後継者たち 二十一世紀/ほか

 2008年12月刊行の新刊書である。著者が、本書の終章で、「魔法」という言葉のポルトガル語辞書の定義を示している。「いくつかの行為や言葉を使い、精神、才覚、悪魔の介入により、自然の法則に反する矛盾した効果や現象を生み出そうとする芸術や科学。」 詩的で人間臭さをあわせ持ち、「魔法」を駆使できる者こそ、背番号10を背負うプレーヤーの共通点なのだろう。

 往年のサッカープレーヤーが本書で紹介されている。映像で見ることはなかったが、その中の多くの選手の名は私の記憶に刻まれている。いかに多くの名選手がいたのかを、この本を読んで改めて認識した。

グラウンドに入った瞬間、・・・・・

Img_0003 「中井正一評論集」
発行:岩波文庫(1995.6第1刷、2005.11第2刷)/定価:860円+税/P.406


 2009年元旦、以前に読んだ本を書棚から取り出して部分的に再読した。ふと、正月早々に惹きつけられる一文があった。

「グラウンドに入った瞬間、眼を射るような幾条もの白線、曲線、円、楕円それらのものの前にまず人々は緊った興奮を感ずる。この興奮は、もし人が気付くならば、線が、あるいは楕円が単なる物理的空間である場合とは異なったものをもつことを知るであろう。
 即ちその白い線の一々はそれに沿って人間に肉体と技術の全機能を挙げて走り闘い争そうところの血の構成の一部分であることを理解しているが故である。」
(「スポーツ気分の構造」)と中井正一(1900~1952)は書いた。

 中井正一(なかいまさかず)という存在を知る人は少ないのかもしれない。同氏はわが国でも評価の高い美学者だ。「美しいこととは何であるか」を考え、スポーツと映画を実践的な美学として論じた、わが国では稀有な存在である。

 上の一文は、1933年(昭和8年)に書かれたものである。戦前にスポーツをこのような感覚で、思考で表現した文章は少ない。今も古さを感じさせず現代的である。真実は古びない。

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