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2009年11月19日 (木)

近鉄鶴橋駅東口での思い出

近鉄鶴橋駅東口での思い出

 昨日、近鉄鶴橋駅東口の改札口を携帯で写した写真だ。その時は、余り感じることもなく改札口を通り過ぎた。今日、携帯に保存した写真を見ながら思い出した。そのことは、自宅に帰ってから書こう。(携帯19:53)

 あれから30年近くが経つ。この改札口の左側のステンレス柵の上で、妻は仕事へ行く前に、生後3月の長女を私の母に毎日預け、仕事帰りには同じくその場所で、私の母から引き取った。

 私たち夫婦は24歳で結婚し、奈良県生駒市、阪奈道路俵口インター近くの賃貸ハイツの一室に新居を構えた。それから32年間共働き生活をし続けてきた。私たちが25歳の時に長女が生まれた。すぐに生駒市で保育所を捜したのだが定員超過のため入所することができなかった。やむなく、鶴橋の実家に預けることになった。

 その頃、私は東大阪市布施、妻は大阪市中央区が勤務先であった。妻は、自宅から徒歩15分の近鉄生駒駅まで歩き、快速電車で20分余りの鶴橋駅まで、毎日、長女を私の母に預け、仕事帰りに引き取り、生駒の自宅まで帰っていた。妻が仕事で忙しかった時には私がその役割を受け持った。その頻度は妻とは比べものにならない。

 隠れていた記憶は何かの拍子で突然に表れてくる。今晩もそうだった。30年前の光景が思い出された。預かってもらっていた私の母は6月に亡くなり、このアルミ柵の上を行ったり来たりしていた赤ん坊であった私の長女も、先月に長男を産んだ。年月の経つのは速いものだ。

 妻はといえば、3人の子どもたちを育てながら、今も養護学校教員として働き続けている。その疲労の蓄積なのだろうか、最近は家で寝込んでいることが多くなった。その姿を見ると私の心の中に、後ろめたさを感じざるを得ない。近鉄鶴橋駅東口の写真を見ながら、素直に一言書きしるせば、妻に対しては、謝!謝!謝!
 

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