« 百か日法要・納骨法要の日に | トップページ | ちょっとだけ奈良散歩 »

2009年9月20日 (日)

偶然にも、大阪鶴橋「大成通」の方が・・・・・

 母の百か日法要・納骨法要が始まる前に、今回の法要の件でお世話いただいていた霊園の方が、私の妹に話しかけられていた。「おかあさんは鶴橋の玉津3丁目なのですか?」と。私は何かなあとその方の方へ近づいた。偶然とは計り知れないものだ。驚いた。よく聞くと、15歳まで大阪鶴橋・大成通でお住まいだったという。

 法要の打ち合わせでその方とは電話のやり取りはしていた。文書のやり取りは私の住所である奈良市へ送付していただいていたので、まったくもって「大成通」のことなど話には登らなかった。私もその方も奇遇であることに素直に驚いた。

 私たち妹弟と同じ大成小学校出身だった。年齢は60歳を超えられているから先輩にあたる。話を聞くと住んでいらっしゃったのは私の実家から徒歩2分の場所だった。本籍もまだその地に残していらっしゃと聞いた。その方と会話の中で「大成通商店街」「一条通商店街」「シンヤのパン屋」「大光電機」などの言葉が飛び交った。

 その方は私たちの法要に寄り添い手をあわせていただいた。「以前にお住まいだった場所から大成通商店街へ向かって歩いて、路地を左に曲がり右側四軒目に駄菓子屋があったのをご存知ですか?」 と法要が終わりその方に尋ねてみた。「ええ、知っています。あのあたりは私の遊び場でした」と。私は墓石の右側に刻まれた祖母・かつの名を指して、「おばあちゃんがそこで駄菓子屋をしていたんです」と話すと、「そうですか!」と懐かしそうな表情だった。駄菓子屋「大成屋」をご存知だったことに素直に嬉しい気持ちが湧き出た。

 母の百か日法要・納骨法要の日に、偶然にも「大成通」にゆかりのある方にお世話をいただき手を合わせていただいたことは、墓に眠る「大成通」で無名の生を終えた祖父・祖母・父・母の生きた証として、最高の弔いと手向けであった。 「大成通」という地名は消え去ってしまった。しかし、人が死に墓石にその名が刻まれるように、その地名は私の記憶の中に鮮やかに刻み込まれ続けている。

« 百か日法要・納骨法要の日に | トップページ | ちょっとだけ奈良散歩 »

うぶすな大成通」カテゴリの記事