近畿高校サッカー選手権大会【6/29試合結果】
6/29(月) 守山市野洲川歴史公園サッカー場
【決勝】
一条 1-0 大阪桐蔭 (0-0/1-0)
奈良市立一条高校が、2年ぶり2度目の優勝を飾った。
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6/29(月) 守山市野洲川歴史公園サッカー場
【決勝】
一条 1-0 大阪桐蔭 (0-0/1-0)
奈良市立一条高校が、2年ぶり2度目の優勝を飾った。
「第33回全国高等学校総合文化祭」が、7/29より三重県で開催される。若者たちが、「青春」という時に打ち込むのは、スポーツだけではない。文化的活動もその対象となる。真夏の季節の晴れ舞台、もうひとつのインターハイに賭ける高校生たちもいる。
6/29(月)「和太鼓 青春の響き」という記事が朝日新聞朝刊に掲載されていた。旧奈良工業時代に「和太鼓部」が結成され、1997に「総文祭」に初出場した。2007年旧奈良工業、奈良商業が統合し奈良朱雀高校となって後、「総文祭」に初めて参加する。
「秋篠」という曲を演奏するという。聴いてみたいものだ。「青春」はスポーツのみではない。「奈良朱雀高校「和太鼓部」の健闘を祈る!
「全国高総文祭 みえ’09」公式サイト
6/28(日) 守山市野洲川歴史公園サッカー場
【準々決勝】
一条 2-1 科学技術 (0-1/2-0)
【準決勝】
一条 3-0 野洲 (2-0/1-0)

先日に買った指揮:西本智実さんのCDアルバム「ボレロ」を聴いている。今晩はアルバム第1曲目のボロディン「ダッタン人の踊り」というなじみのある曲を繰り返し聴いた。 その方がタクトを振る姿を脳裏に思い描きながら。
有り得ないのかもしれないが、もし、お逢いできることがあれば、お聞きしてみたいことがある。「貴方が今、奏でられている音楽の中に、小学校時代に見えた光景、また、その町の情景が何か生きているのですか?それとも無為な時間と空間だったのでしょうか?」と。
私と同じ町、「大成連合第三町会」の独特な光景を見て育った方が、その町とはかけ離れた世界の中で活躍され、タクトを振っている。その町で育った者として、一度はその方がタクトを振る姿、奏でる音楽を聴く義務を、自分勝手であったとしても私は痛切に感じている。
「指揮者:西本智実」公式サイト
著者:小林信也/発行:中公新書ラクレ(2009.06)/定価:740円+税/P.198
「子どもとスポーツが危ない!」 「子どもとスポーツ」を位置づけしなおした異色の教育書だ。
【コンテンツ】 それでもわが子にスポーツをさせますか?/スポーツの現実/子どもがサッカーをする現実/生死が背中合わせにあるスポーツ/青少年スポーツは何をもたらしているのか/子どものスポーツと生活習慣/大好きな気持ちを育てる
2009年になって極端に読書量が増加した。自分自身の興味ある本を読んでいる。ほんとうはブログに掲載し感想を書き留めるべきなのだろうが、怠惰にも実践できてはいない。
スポーツ関係の本を読みたいと思っているのだが、興味ある本に個人的に出会わない。おそらくライターが少ないのであろう。まだまだ、サッカー・スポーツは文化の入口に差しかかったばかりなのかもしれない。
「子どもにスポーツをさせるな」という過激な言葉に引かれ購入して読んだ。実に興味深かった。著者の本心は、終章のテーマにあるように、子どもたちに、「大好きな気持ちを育てる」ことだと記す。御意!
「私たちは真剣に、頭脳ではなく、身体で生きる習慣を磨き、身体でできる人間を目指さなければならない。子どもたちにはスポーツを通じて、そのような身体を磨き、感性を伸ばして欲しい。大人の鈍った感覚で子どもの才能をつぶすのではなく、子どもの秘めている力の扉を開いてあげる、その後押しをするのが親たちの務めだ。」 御意!
ジュニアスポーツに関わる指導者・保護者にとって、一読に値する本だ。
奈良県内を主会場となる全国高校総合体育大会「2009近畿まほろば総体」の開幕が、あと「30日」とまじかに迫ってきた。高校総体(インターハイ)は、わが国の高校スポーツ大会の最大の祭典である。
第1回大会は新潟県を主会場として、昭和38年(1963年)に開催された。それから46年目、初めて奈良県を主会場にして開催される。奈良県での全国規模のスポーツ祭典は、「わかくさ国体」(昭和59年・1984年)以来、25年ぶりだ。
昨年の埼玉県大会は延べ約70万人の規模となった。奈良新聞(6/28)によると、奈良県では今回の来県数を42万人と予想している。経済効果、「平城遷都1300年祭」のPRも期待している。
愉しみなのは、県内に他都道府県から多くの高校生が集い、県内の多くの高校生もその祭典を支える。その姿を観ることができることだ。奈良県においては、初めて光景だ。「青春」という言葉が似つかわしい16歳から18歳までの若者たちが、「君が今 歴史の新たなページを創る」。高校生最大のスポーツ祭典開幕のカウウントダウンが始まった。
「2009近畿まほろば総体」公式サイト
6/25(木)朝日新聞朝刊によると、奈良県は「スポーツ振興計画」を全面的に改定するという。「なら運動・スポーツ振興プラン~健康でいい汗かこう!」と命名し今年度から2013年度の5ケ年計画となる。
従来は「スポーツ実施率」を「週1回運動する人の割合」を50%以上を目標にしていたが、「1回30分以上で週2日以上の運動習慣がある人の割合」を40%以上にと到達目標を改定する。「より具体的し、身近な運動」を重点として、今秋からは毎月10日を「一駅ウォーキングデー」とするという。
「健康」は「スポーツ」から。超高齢化社会が到来したわが国の人々の「健康」を高齢年代まで維持し、膨大な医療費削減を図るための重要施策だ。「競技スポーツ」と「健康スポーツ」の両輪でもって、わが国のスポーツ施策は遂行されてゆく。
わが国のスポーツの裾野、草の根の「地域」においても、「競技スポーツ」は言わずとも重要であるが、もうひとつ視点を広げれば、多世代での日常的な「健康スポーツ」の礎を創り出すことも同様に重要な課題である。
奈良市スポーツ少年団サッカー大会終了後、補助競技場をトンボ(T字型ブラシ)を曳いて整地した。子どもたちも自ら進んで曳いてくれた。ただ、そこまでは良かった。閉会式があるというアナウンスが聞こえ子どもたちは主競技場へと向かった。
Tさんから子どもたちに閉会式が終わったら戻ってくるよう指示があった。補助競技場に残るは、私とTさんの老体二人ぼっち。途中で放置するわけにもいかず、無言でトンボを曳いた。小学校のグラウンドと比較して、比較にならないほどの広さだった。ぐるぐるとトンボとともに歩き続けた。
あと10分で施設をしめるというアナウンスがあった。二人ぽっちのままで整地を終えた。主競技場へ戻ると静けさだけが漂っていた。すべては終わり主競技場内には誰もいなかった。あたかも「みなしごハッチ」のような気分であった。
「トンボ」は「とんぼ(蜻蛉)」に似ていることから命名されたという。古来から「とんぼ」は「秋津(あきつ)」と呼ばれている。「トンボ」曳きは秋のようにどこか哀愁が漂うものだ。奈良の初夏の夕暮れに、ちょっぴりと哀愁を感じるのも、また愉しからずや。
6/27(土) 守山市野洲川歴史公園サッカー場
【1回戦】
一条 4-1 牧野(大阪)
久御山(京都) 2-1 奈良育英
今日は、奈良市スポーツ少年団サッカー大会(6年生)、同時に交流大会(4年生)があった。幾枚か写真を撮ったがすべてを掲載できない。ただ無作為抽出で4枚のみ掲載した。素直に愉しい時間を過ごした。子どもたちが、心底サッカーが好きになってくれたらと願う。
10歳~12歳の子どもたちが、新装された奈良市鴻ノ池陸上競技場、奈良市内では唯一の芝のピッチを駆け巡った。その姿を見ていると、それぞれの子どもたちの「可能性」というものを感じた。
彼らは今、サッカー競技というスポーツの入口に差し掛かっている。何がボールを追いかける原動力になるのか。「面白い」「楽しい」という気持ちがそうさせるのだろう。いつまでもそのような気持ちを持ち続けて欲しい。
Jリーグ・社会人・大学・高校・中学と比較すると、当たり前のことだがサッカーとして未熟さが露呈してはいる。しかし、「発達途上」の年代で、大きな「可能性」を秘めていることは事実だ。
子どもたちの技術には差異がある。同様に子どもたちの「好き」という気持ちにも差異があるだろう。サッカーを最上級に「好き」だと思い、競技としてのサッカーを続けて欲しい。
今日は、息子の出身高校の同級生と後輩に会った。今二人は奈良市のジュニア指導者として頑張っている。息子か信州・長野から毎年年末に奈良へ戻ってきた折には、食事やフットサルをしているという。彼らは25歳~26歳の若者だ。サッカーに関わっている効用か、若者たち、息子の同級生・後輩とも会話ができる。これもまた愉しからずや。
奈良出身の映画作家・河瀬直美監督の最新作「狛 KOMA」が、7/4(土)7/5(日)両日、奈良県・桜井市民会館で上映される。上映時間は34分桜井の自然を舞台に、三輪山信仰、高句麗王など桜井・韓国をめぐる物語だという。
「狛 KOMA 掲載記事/奈良新聞社」Webサイト
「桜井市民会館」公式サイト
6/21(日) 生駒市総合体育館
【男子】
【最終順位】
①一条 ②法隆寺国際 ③添上 ④生駒
※一条が本大会へ出場
【決勝】
一条 31-25 法隆寺国際 (12-16/19-9)
【3位決定戦】
添上 34-26 生駒 (17-14/17-12)
【女子】
【最終順位】
①生駒 ②一条 ③奈良北 ④育英西
※生駒が本大会へ出場
【決勝】
生駒 25-19 一条 (10-9/15-10)
【3位決定戦】
奈良北 21-19 育英西 (11-6/15-10延長1-2/2-1 PTC2-0)
朝日新聞土曜別刷りに連載「うたの旅人」の読者調査で、「思い出の曲ベスト10」が、6/20(土)紙上で発表された。
【あなたの思い出の曲ベスト10】
①「なごり雪」 伊勢勢三 ②「神田川」 かぐや姫 ③「川の流れのように」 美空ひばり ④「上を向いて歩こう」 坂本九 ⑤「ガンダーラ」 ゴダイゴ ⑥「青葉城恋歌」 さとう宗幸 ⑦「虹と雪のバラード」 トワ・エ・モア ⑧「初恋」 村下考蔵 ⑨「千の風になって」 新井満 ⑩「椰子の実」 島崎藤村・作詞
読者調査の対象年代は、私と同年代の人が多いのだろうか? 「あなたの思い出の曲は?」と問われれば、私は何と答えるのだろう? 「思い出の曲はありません!」 と、ただ、そう答える。
「電気を消して、スローな夜を」~ライトダウンキャンペーン
6/20(土)~7/7(火) 20:00~22:00
環境省が地球温暖化防止のためのライトアップ施設や家庭の電気を消すCO2削減のキャンペーンを実施している。自宅でキャンドルナイト、スローな夜を過ごすこと、浪漫的な雰囲気を味わい、地球温暖化防止にも貢献できる一石二鳥のキャンペーンです。
ただ、「キャンドルナイト」という言葉が大切です。「蝋燭の夜」と言えば、少し違った世界になってしまいます。日本語も大切ですが、ここは、英語読みが適切かなと思います。七夕の夜までに、幾度もできればよいのですが、少なくとも一度ぐらいは、「キャンドルナイトでスローな夜」を過ごしたいものです。そうは思いませんか?
「百万人のキャンドルナイト」公式サイト
「病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあおぞらの煙かなしも」(石川啄木)
感傷(センチメント)、郷愁(ノスタルジー)を抱く馬鹿者と笑止されるのだろうか? そのような思いを持たれたとしても、私はなんらひるむこともない。ただ、素直に正直に書き記せば、今日の夕暮れ時、石川啄木のこの歌が自然と思い出され湧き出て口ずさんだことは事実だ。
わが大切な3人の子どもたちに告ぐ。亡き母の通夜が終わった後に、信州・長野から遅れて駆けつけた息子が呆然と、棺の前で泣き崩れていた姿を垣間見ながら、亡き母の前で「好きに生きたらええ!」と、わが子どもたちに告げた言葉に虚言はない。再度、伝えておく。
「病のごと 思郷のこころ湧く日なり 目にあおぞらの煙かなしも」その歌が私の心に共鳴版のように響いている。大成通の路地裏の竹の縁台に、多くの人々が寄り集まった情景を思い描きながら、初夏の夕暮れ時、親不孝者の息子として、また、ひとりの父親としての感情を書き記しておく。
6/21(日)昼近く、所用で大阪鶴橋へ出かけた。所用をすませ、駅前の「うをさ」で昼食をとった。今日はすみやかに自宅へ帰りたいと思い、近鉄鶴橋駅の改札口を入った。きらびやかなポスターが目に入った。パチンコ店の広告だった。 「鶴橋魂」という文字が私の感覚を刺激してしまった。
「鶴橋魂」と記せば、「魂」という言葉から、私のことを政治思想的に「極右翼」であると曲解する人もいるのかもしれないが、全く私はその世界とは無縁な存在だ。また、それに対置する「極左翼」とも同様に全くもって無縁な存在だ。
政治嫌いな私からして、もし、何かの位置づけを必ず成さねばならないと義務づけられたなら、その主義を詳細、正確に認識しているかどうかを別にして、言葉としては「保守的リベラリスト」(保守的自由主義者)の範疇に入れてしまうのかもしれない。
「鶴橋魂」という言葉は素敵だ。私は初めてその言葉を初めて見た。パチンコ店の広告と侮るなかれ。その言葉を選んだことは、その人々の何かの想いがあり、その表現された言葉は幾人かも知れないが、その人々の心に何かを呼び起こす。
「地域の名を冠するのには理由がある」とキャッチフレーズが記されていた。そうだ!そうだ!と自分自身心の中でうなづいていた。もしかしたら、私は、「鶴橋病」「大成通病」に掛かっているのだろう。それも良し。人は振り返りながら前に進むものだから。

6/16(火)午後、旧大成通「太陽亭」で観た「たいせい 創立80周年記念誌」で、一人の著名な女性が私の出身小学校のはるか後輩で、実家から徒歩1分の所に住んでいらっしゃったことを、私は初めて知った。私はその方のことを、以前からメディアを通じて存じ上げてはいた。しかし、今の今まで同じ地に住んだ方などとは思いもすらしなかった。驚きなどという言葉などでは言い表せないほどに心が震えた。
その記念誌の中で、「郷愁のシンボル 大成小学校」とその方が一文を寄せられていた。 「当時の思い出は、季節感や、光と影の濃淡さえも伴いながら、今も鮮明に私の中に生き続けています。」と記されていた。それはまるで私にとって、「美神」からの言葉だった。
その日、「太陽亭」を出てから鶴橋駅近くの「牧野レコード店」へ立ち寄った。店の中を眺め回した。店主が私を見て、「何かお探しですか? 演歌ですか?」と聞いた。私は演歌好きな雰囲気を醸し出しているのだろうか? 「いや、クラッシックです!」と答えた。店主は怪訝そうな顔をしながら「何の曲ですか?」と聞いた。私はその方の名を告げた。店主はその方の名を知ってはいたが、「ここでは、クラッシックがあまり売れないので、置いていないですね」とやさしく語りかけるように私に言った。私は、その方がこの地の出身ですよとだけ伝えその店を出た。残念だった。
6/20(土)鶴橋の実家へと立ち寄った折に、なんば「タワーレコード」まで足を伸ばし、その方のCDを買った。クラシック音楽アルバムを買ったのは実に10年ぶりぐらいになろのだろうか?私はほんとうにクラシック音楽などを理解できるような人間ではなく、その音楽は、はるかかけ離れた世界だ。
昨晩、真夜中、その日買ったCDを聴いた。録音:2003年1月、モスクワ音楽院大ホール。演奏:ロシアボリショイ交響楽団。曲目は、ボロディン「ダッタン人の踊り」、ハチャトリアン「剣の舞」ほか、ムソルグスキー「禿山の一夜」、チャイコフスキー「ポロネーズ」「アンダンテ・カンタビーレ」、ラヴェル「ボレロ」「亡き王女のためのパヴァーヌ」。

私の実家から小学校へと行くには、必ず平野川を越えなければならない。「剣橋」、「南弁天橋」のいずれかの橋を渡らずには小学校にはたどりつかない。、その方もいずれかの橋を渡り小学校へと通ったのは間違いない。電車道(現:千日前通)沿いを歩くと「剣橋」を渡る。その方もその風景を見ながら小学校への道を歩んだのだろうか?

裏道沿いに小学校へと歩くと「南弁天橋」を渡らなければならない。電車道よりは静かな道である。私はこの道の方が好きだった。その方もこの橋を渡られたのだろうか?そのような想いが、昨晩真夜中に、チャイコフスキーの「ポロネーズ」を聴きながら、その想像の光景が私の脳裏を駆け巡っていた。
指揮は、「西本智実」さんだった。今、わが国で一番著名な女性指揮者だ。その方が私の実家近くにお住まいで大成小学校へ通っていたという事実を知った時、私は驚きなど通り越したえもいわれぬ感情の震えが止まらなかった。
その町の「物語」「伝説」などというものではなく、私から言わせれば、想像すらできなかったほどの「神話」だ。その存在は、私にとって、「美神(ミューズ)」となった。
「指揮者 西本智実」公式サイト
6/16(火)15:00 鶴橋の実家で、葬儀費用の精算のため「ベルコ」の担当者と会うことになっていた。11:45 少し早めに富雄の自宅を出た。妹には昼食をしてから行くと電話を入れた。鶴橋の実家近くの「太陽亭」で昼食を摂ろうと思いその店に入った。オムレツ定食を注文した。
おばちゃんがテーブルに注文の品を持ってきてくれ食べ始めた。しばらくして、顔を見上げると、あっ!と心の中でつぶやき、すばやく立って、調理場から出てきた男性のそばへ寄った。「太陽亭の兄ちゃん」だった。私が若かった頃、大成通の路地裏を自転車に乗り、出前箱を持ち駆け巡っていた姿が目に浮かんだ。私の網膜の奥底が潤んだ。「覚えてますよ!」と私の方を見て声を掛けていただいた。
「太陽亭の兄ちゃん」とテーブルに向かいながら、私が幼かった頃、風邪などで寝込んだ時、幾度も、近所のおばちゃんが「太陽亭」へ「かやくうどん」を注文して、自分で木製の出前箱を自宅へ運んでくれて私に食べさせてくれた。私はその情景が50年近く経ても忘れられない。私にとっては、実家に戻るたびに「太陽亭」を思い出していた。「私にとって、“太陽亭”は特別ですねん!」とその兄ちゃんに伝えた。
先代が洋食メニューを主に「太陽亭」をこの地に開業し、地域特性を考えて和食メニューも取り入れたという。「かやくうどん」のことを話していただいた。しいたけ、たまごが入っており、その当時はどんぶりの上に木蓋をかぶせていた。七味はその蓋の上にと、私はその話を聞きながら、その当時の「かやくうどん」の味わいを思い出した。
「太陽亭」は昭和8年に開業し、創業76年となる。場末下町の食堂として、電車道(現:千日前通)、旧:市電停留所「大成通1丁目」前において、長きにわたり営業をし続けている。「太陽亭」は、かつてのこの町の光景・情景を見続けてきただろう。「太陽亭の兄ちゃん」は私よりも5歳年長である。二人の「大成通」の記憶は共有されている。会話はとめどもなく続いた。
「弁天市場」「雷湯」「亀の湯」「市電」「花電車」「ひめこそ神社」「夜店」「駄菓子屋」「紙芝居」「ヤングマン」「トロリーバス」「松下幸之助創業の地」「小説・映画“血と肉”の舞台」「大成小学校」「玉津中学校」等々、話題は事欠かなく延々と会話は続いた。
「太陽亭の兄ちゃん」が店の片隅の棚から小冊子らしきものを私に見せた。それは、平成14年に発刊された大成小学校の創立80周年記念誌だった。私はパラパラとページを繰った。卒業生のメッセージの中のある女性の写真が目に止まった。一瞬、はっきりと理解できなかった。余りの驚きに思考が凍りついていた。
その女性は有名な方で、さまざまなメディアに出ておられ有名な方だった。卒業生だったのか? 話を聞くと、私の実家から徒歩1分の場所に住んでいらっしゃったと聞いて、よりいっそう不思議な思いに囚われた。
私はその記念誌を是非とも欲しいと思い、小学校の電話番号を聞きすばやく電話をかけた。卒業生で、記念誌を今見ている。言葉で言い表せないほどに感銘、感激を受けた。その記念誌をいただけないだろうかと伝えた。途中で、「太陽亭の兄ちゃん」が私の電話を取り、追い討ち援助をしていただいた。やっと戴けることになった。
「太陽亭のおばちゃん」が、突然私に、「小学校へ貰いに行ってきますわ!」と言って自転車で5分の小学校へ自ら出かけていただいた。10分ほどしてもどってこられた。門が閉まっていて開かないという。インターホンで呼べばよいと、ご主人が言うのを聞き、再び小学校へと向かっていただいた。
しばらくして妹から電話が掛かった。ベルコの担当者が実家へ来たという。やむなく、太陽亭を出た。「あとで来ますわ!」と声をかけ店を出た。路地の入口で、自転車に乗った「太陽亭のおばちゃん」に会った。茶封筒に入った冊子をいただいた。「あとで寄りますわ!」と言い徒歩1分で実家に着いた。
実家での1時間ほどの所要を終え、再び「太陽亭」へ戻った。延々2時間、「大成通」の話に花が咲いて時間を経つのも忘れた。「太陽亭」はずっと続けると、「魂を継ぐ」という想いをその方は私に語った。水俣に生まれ育った作家、石牟礼道子さんの「魂の形見」という言葉がその時、私の脳裏に浮かんだ。まさに同じだった。
私のふるさと「大成通」の地、場末の町の片隅で、母が亡くなった翌日に、4時間余りにわたり安らぎの時間を与えられ魂の言葉を聞いた。母は永眠したが、私に新たな再生の時間を与えた。人の生命、存在は必ず繋がってゆく。
心の中で輝き続ける大成通・「太陽亭」へ、ささやかなわが雑文を捧げる。
6/18(木)、「日本列島全47都道府県 サッカーどころランキング」という特集記事が掲載されているのを見て、久しぶりに「週刊サッカーダイジェスト」を買った。全47都道府県のサッカー状況がそのランキングから浮き出てくる。
数値をもとにしたランキングは、各都道府県のサッカー状況をすべて表すことはないが、データは何かを現していることも事実だろう。興味深く読んだ。
「Jリーガー輩出率」「日本代表輩出率」「JFA登録率ランキング」「アマチュア大会成績ランキング」「スタジアム充実度ランキング」の5つのランキングをまとめて、「総合ランキング」が決定されていた。
【総合ランキング】
①静岡 ②千葉 ③兵庫・埼玉 ⑤熊本 ⑥鹿児島 ⑦大分 ⑧徳島 ⑨北海道・群馬
(長野は31位・奈良は41位)
※項目別のランキングについては後日、紹介する。
6/18(木)朝日新聞・奈良新聞両紙によると、奈良・興福寺に現存する阿修羅像を含む8部衆、十大弟子像計14体が、10/17から「国宝特別公開2009」の一環で同寺仮金堂で展示される。天平時代の安置状況に近い状態で展示される。宗教空間に全像が揃うのは112年ぶりで、効果的な照明で仏像を浮かび上がらせるという。
今秋のこの特別公開は、まほろば奈良に住む者にとっては、見逃すことができない。阿修羅像は、東京国立博物館、九州国立博物館とめぐり、奈良にもどり、我々の眼前に、本来あるべき場所で御姿を拝顔できる。必ず出かけるつもりだ。
6/17(水)、ニフティは父親を対象にした育児支援サイト「パパスイッチ」を開設した。育児は母親のためのものだけでなく、父親のためのものでもあるのだろう。子どもたちは、おとなたちに「文武両道」を問われる。父親は、社会から「仕事育児両道」が問われる時代に突入したのだろうか?
「パパスイッチ」ブログサイト
「NPO法人ファザーリング・ジャパン」公式サイト
6/13(土)11:00自宅を出て、鶴橋駅前の「眠眠」で昼食をとり、森之宮病院へ向かった。13:00病室へ入った。母は居ずに、がらんとしたベッドもない病室には妹が椅子に腰掛けていた。一瞬、不安が襲った。聞くと、血圧が下がったので検査を受けているという。ほっとした。
しばらくたってから、担当医師から、パソコンに映し出された母の体内の現状を見ながら状況説明と治療方法の説明を受けた。意識もあり、病状も安定しているので、ナースセンター横の病室に移動するという。
15:00移動した病室に入り母と逢った。意識はあり、はっきりと私のことがわかり、言葉も交わすことができた。私のバックから、AC長野パルセイロのクラブブックを出して、息子が掲載されているページを開き、母に見せた。「誰か、わかるか?」と話しかけると、「わかる!」と答えた。「長野で、がんばっとるからな!」 というと、母はその写真を寝ながらも、顔をその写真に近づけるようにして凝視した。目がかすかに微笑んだ。容態が安定しているようだったので、「また、来るからなあ」と母に声を掛けて、15:30に病院を出た。
病院を出て大阪城公園へ立ち寄った。噴水近くの場所で、「紙芝居」の光景を見かけた。元気なおじいちゃんが自転車に積んだ「紙芝居」を演じている。多くの子どもたちが座って楽しそうに見ていた。久しぶりに、私も「紙芝居」を後ろの方に座りながら観た。子どもの頃の大成通りの路地裏での情景を懐かしく思い出した。
森之宮駅から線路沿いに鶴橋駅まで歩いた。居酒屋でいっぷくしてから富雄の自宅まで帰ろうと思い、「うをさ」へ寄った。ビールを飲んだ。「紙芝居」を観た影響からか、子どもの頃のことを思い出していた。
18:00すぎに、携帯電話が鳴った。妹からだった。「容態が急変した。逢わせたい人があれば、今の内にとお医者さんから電話があった」と。すばやく、電車に乗り病院へ戻った。森之宮駅で降りて、病院へ向かう路上で、再び携帯電話が鳴った。妹からだった。「亡くなった!」と。18:20病室に着いた。やすらかな顔だった。
すぐに、父の折にもお世話いただいた葬儀会館へ携帯電話で連絡した。20:00お迎えが来て、80年余り暮らした、大成通(現:玉津)の路地裏の実家へと母を連れ帰った。
信州から帰ってから、AC長野パルセイロのクラブブックを母に見せようと思いながらも、見せれずじまいだった。その日もバッグに入れるのを忘れ、自宅を出た坂道の下で気づき、自宅に戻りそのクラブブックをバッグへ入れた。
孫が信州にいる間に一度は訪れたいと母が言うのを私は幾度も聞いた。しかし、体調が悪いのが続き、そこまで出かけるのは誰が見ても無理だった。せめてもと、クラブブックに掲載されている孫の写真を見せたいと思いつつも、愚鈍なる私はすぐにそれを成すこともなかった。
ほんとうの最後に間に合ったと安堵している。もし、間に合っていなければ、私はずっと悔恨を抱いたままになっただろう。母が顔を乗り出すように、孫、わが息子の写真を食い入るように凝視したかすかに微笑んだ目は忘れない。
6/17(水)から職場に出社した。6/18(木)19:30 奈良西警察署へ出向いた。昨晩、携帯に電話があり来て欲しいというので、やむなく嫌々職場帰りに、近鉄学園前駅からタクシーで向かった。過日のクラブWebサイト、サイバー犯罪の「供述調書」が文書8ページに記載されていた。「供述調書」を読んで誤りを確認している時、眠くなった。素直にゆっくり眠りたいと思いながら、生まれて初めて「供述調書」に自署・捺印した。概ね発信元を特定できているようだ。余りにも高度な技術のサイバー犯罪との説明を受けた。
6/13(土)・14(日) 奈良市南部生涯スポーツセンターほか
【男子】
【準決勝】
大和広陵 3-0 平城 生駒 3-0 高田商
【決勝】
生駒 3-1 大和広陵
※ 生駒・大和広陵は本大会へ出場
【女子】
【1位リーグ】
【最終順位】
①奈良女子 ②生駒 ③帝塚山
生駒 3-2 帝塚山 奈良女子 3-0 生駒
奈良女子 3-0 帝塚山
※ 奈良女子・生駒は本大会へ出場
6/14(日) 生駒市民体育館
【男子】
【準決勝】
法隆寺国際 27-24 添上 一条 44-27 生駒
【女子】
【準決勝】
生駒 23-12 育英西 一条 24-21 奈良北
6/13(土)・14(日) 旧耳成高校
【決勝リーグ最終順位】
①奈良文化 ②天理 ③平城 ④高田商
※奈良文化・天理が本大会へ出場
平城 12-1 高田商 奈良文化 2-0 天理
天理 10-0 平城 奈良文化 14-3 高田商
奈良文化 8-4 平城 天理 14-3 高田商
6/13(土)・14(日) 奈良県立橿原体育館
【女子】
【決勝リーグ最終順位】
①五條 ②一条 ③奈良女子 ④高田
※五條・一条が本大会へ出場
五條 2-0 奈良女子 五條 2-1 一条
五條 2-0 高田 一条 2-1 奈良女子
一条 2-0 高田 奈良女子 2-0 高田
6/13(土)・14(日) 奈良県立橿原体育館
【男子】
【決勝リーグ最終順位】
①添上 ②天理 ③法隆寺国際 ④一条
※添上・天理が本大会へ出場
添上 2-1 一条 添上 2-0 天理
添上 2-0 法隆寺国際 天理 2-0 一条
天理 2-1 法隆寺国際 法隆寺国際 2-1 一条
母は6/14(土)午後6:14 享年82歳で永眠した。80年余り大成通(現:玉津)で育ち過ごした母は、実にやすらかなで美しい死顔だった。「一所」のみでそのささやかな庶民としての人生を終えた。
華やかさなどとは無縁な人生であった。ただ、下町、東成、大成通、「一所」のみで生き終えたことは、何にも増して誇るべき幸せな人生であったと思う。
今は失われつつある人々の営為が、断末魔のほのかな灯火として確かにその町には存在している。母が80年余りその町で生き終えたことは、ひとえに大成通の人々の暖かい心の支えがあったからだと、私は自分自身生まれ育った東成・大成通の地とその人々に心から感謝の念を抱いている。
「大成連合第三町会」旗である。その地で生まれ育ち、今はその町を離れて生活している私自身にとっても拠り所として、ずっと心の中でその旗は翻り続ける。
謹啓 亡母 儀 通夜告別式に際しましてはご御忙中ににも拘わりませずご鄭重なる御弔意を賜り有難く厚く御礼申し上げます
敬具
塚本 茂
6/13(土)午後6時14分、急性膵炎のため、わが母が永眠した。
「太宰治生誕100年」に触発されて「津軽」を読み直した。新潮文庫の帯に、「いまのあなたが、いま読んでこそ鮮烈に面白い」と。正直確かにその言葉どおりだった。「ヴィヨンの妻」「お伽草紙」 に続き「津軽」を読んで、太宰治の文学は現代的で、かつ現在進行形の魅惑が漂っていた。
「津軽」のクライマックスは、作品の最終に記された子守りで育ての親「たけ」との30年ぶりの再会場面だ。作品の中で、 「たけが私の家へ奉公に来て、私をおぶったのは、私が三つで、たけが十四の時だったという。」 太宰治は6年間、「たけ」に育てられた。30年ぶりにやっとのことで再会を果たした。
「平和とは、こんな気持ちの事を言うのであろうか。もし、そうなら、私はこの時、生まれてはじめて心の平和を体験したと言ってもよい。」と作品の中で太宰治は記した。 「津軽」は太宰治の中期の作品である。太宰らしくないと言えるような作品かもしれないが、本質的な一面が現れているような名品だった。やはり、太宰治の文学は魅力的である。
「太宰治資料館」Webサイト
「太宰治検定」ブログ
6/11(木)日本経済新聞朝刊の記事によると、「アート」をコンセプトとした島づくりを実践している、瀬戸内海に浮かぶ「ベネッセアートサイト直島」に、「アート銭湯」がお目見えする。「現代アートと銭湯の融合」をテーマにした入浴施設だそうだ。アーティストが、内外装、備品までのデザインを手がけるという。一度は出かけてみたい島だと思っていたが、また楽しみがひとつ増えた。
「ベネッセアートサイト直島」公式サイト
奈良県は、首都圏向けに新たに売り出す奈良ブランドの統一名称を「奈良くらしくす」と命名した。「くらしくす」はラテン語で「最上級の」という意味があるようだ。英語のクラシックの語源でもある。「言葉の響きがよいから選んだ」という。
「生きる力」は子ども同士の仲間体験から、「野山でのびのび」「外で、仲間と遊ぼう」
長野県駒ヶ根市東伊那にある「アルプス子ども会」が「サマーキャンプ」の参加者を募集している。同こども会は1975年に発足し、34年の歴史と実績がある団体で、「命令・服従型」の指導を排して、子ども同士のつながりをつくることを最重視している。
「サマーキャンプ」の内容は、川遊び、アウトドア料理、テントサイトキャンプ、集団遊び、竹・わら細工、登山、つり、草木染め、等、多彩なプログラムが用意されている。詳しくは下記のWebサイトを参照してください。
「アルプス子ども会」公式サイト
著者:星亮一/発行:だいわ文庫(2009.01第10刷)/定価:705円+税/P.268
「日本史上稀に見る悲劇、会津戊辰戦争」 「闇に葬られ、誰も知らず、教科書にも書かれていない!」
【コンテンツ】 悲惨な実態/兵士たちの思い/会津藩の降伏/京都守護職/立ちはだかる男たち/大政奉還/挙藩流罪/地獄の日々/二つの道/屈折の明治
司馬遼太郎氏は「街道をゆく」の「白河・会津の道」の中、「会津藩」の冒頭に「会津藩について書きたい。なにから書きはじめていいかわからないほどに、この藩についての思いが、私の中では濃い」と書きはじめ、最後に「歴史の中で、都市ひとつがこんな目に逢ったのは、会津若松市しかない。」と結んだ。司馬遼太郎氏の「会津藩」に対する想いはその一文にはっきりと現れている。
この本の著者:星亮一氏は司馬氏に勝るとも劣らず、「会津藩」に対する想いは濃い。幾冊もの「会津藩」に関する本を執筆されている。私はその著作の幾冊かを読んだ。「大政奉還」「江戸城無血開放」「明治維新」等、新たな歴史が刻まれたと教科書は記す。
その過程での「会津藩」の悲惨な歴史は伝えられていない。いまでも、「長州藩」に対しての怨恨は消えず、今でさえ長州藩(現在の山口県)との和解を成就できていない。それほどまでに「会津藩」は悲惨な体験を強いられた。
日本近代のはじまりに、「スケープゴート(いけにえ)」として「会津藩」があったといえるかもしれない。この本を読みながら、なおいっそうに、私もまた「会津藩」への想いがレリーフのように浮かび上がった。

大阪市・弁天町「交通博物館」で展示されている「0系」新幹線
(今春に「交通博物館」へ訪れた際の写真)
JR東日本は、6/8(月)、初代新幹線「0系」の先頭車両を、さいたま市の鉄道博物館で展示すると発表した。開業当時の東京駅ホームも再現するという。今年の10月から展示される。東京方面に出かけたなら、一度はさいたま市・「鉄道博物館」に立ち寄りたいものだ。
「鉄道博物館」公式サイト
わが次女と息子の出身校である一条高校・奈良育英高校の両校が、「2009近畿まほろば総体」(サッカー)に出場する。もう一人の娘、長女の出身校、奈良北高校(北大和高校)は最近元気がない。遠いあの頃、選手権県予選準決勝まで勝ち残ったことがあったが、それ以降あまり上位に顔を出さない。寂しい限りだ。
私の息子は今もサッカーを続けているが、出身校は奈良育英高校である。次女はサッカーには無縁ではあるが一条高校出身である。心の中でわが子どもたちがお世話になった出身校を大切にしたいと思っている。今夏は、「インターハイ」地元開催である。どちらのチームに対しても奈良県代表として声援を贈りたい。
過去5年、高校サッカーにおいて、奈良県代表は全国での戦績を残すことができていない事実がある。今回は絶好のチャンスである。地元開催という大きなメリットを得ている。ここで両チームが1回戦敗退など想定はできない。必ず上位に進出するものと信じている。そう成らなければ、間違いなく、大げさに言えば「奈良県サッカー」のクライシスである。
一条高校サッカー部・奈良育英高校サッカー部の魂闘を心から祈念する!!
6/7(日) 明日香コート
【男子】
【最終順位】
①高田商 ②関西中央 ③生駒 ④橿原
※高田商21連覇 高田商・関西中央が本大会へ
高田商 3-0 橿原 高田商 3-0 生駒
高田商 3-0 関西中央 関西中央 2-1 橿原
関西中央 3-0 生駒 生駒 2-1 橿原
【女子】
【最終順位】
①高田商 ②奈良育英 ③一条 ④高田
高田商 3-0 高田 高田商 2-1 一条
高田商 2-1 奈良育英 奈良育英 3-0 高田
奈良育英 2-1 一条 一条 3-0 高田
※高田商・奈良育英が本大会へ
「2009近畿まほろば総体」まで、カウントダウン50日、私の心はすでに切り替わった。心は間違いなく突入した。「2009近畿まほろば総体」へ。
奈良県を主会場とした初めての「高校総体(インターハイ)」、私が生きている間に恐らく二度と、この地で開催されることもないだろう。「インターハイ」、「インカレ」、「国体」、「オリンピック」、「サッカーW杯」と第三者からは規模の相違から興味を抱く、価値を置く度合いは違うのだろう。しかし、私にとっては、「インターハイ」と「サッカーW杯」は同じ価値を持つ。
たかが「インターハイ」なのだろうか? 奈良県において今までの全国レベルの大会は「わかくさ国体」だった。それから幾年がたったのだろう。よく言えばスポーツ発展途上県・奈良としてそれ以降、全国レベルの大会が開催されることはなかった。久しぶりの全国レベルの大会、また若者たちのスポーツの祭典・「インターハイ」が奈良県で開催される。すこぶる喜ばしいことだと私自身は思っている。
「2009近畿まほろば総体」公式サイト
東京・上野、東京国立博物館で開催されていた、興福寺創建1300年記念「国宝 阿修羅展」が、6/7(日)盛況の内に閉幕した。会期中の入場者総数は、946,172人で、同博物館で開催された日本美術の展覧会としては、史上最多の入場者数を記録した。加えて、過去同博物館の展覧会の最高入場者数の記録、①「モナリザ展(1974年) 約150万人 ②「ツタンカーメン展(1965年) 約129万人に次ぐ歴代3位の入場者数を記録した。
「国宝 阿修羅像」は魅力的だ。だからこそ、人々はその御姿に惹きつけ魅了された。360度から「阿修羅像」を拝顔できるという企画は素敵だ。奈良では真正面からしか見えない。素直に言えば、私も東京へ出かけたい気持ちが確かにあった。その気持ちを抱かせたのは、360度から拝顔できるとことだった。残念ながら、その想いは実現できなかった。はっきりと言えば後悔している。
「仏像ブーム」が生じているという。中高年のみならず若者たちも興味を抱いている現象が垣間見れる。神社仏閣を訪ねると、今までになく、確かに若者たちと出会うケースが増えた。「仏像」もまた若者たちの何かの興味の枠内に入ってきたのだろう。それが、「歴史」なのか、「美術」なのか、「キャラクター」なのか、「フィギュア」なのか、いずれにしても、若者たちが「仏像」に興味を抱きだした。それは、人として現実世界で失われつつあるものの、それぞれの心の中での復興を示しているのだろうか?
「国宝 阿修羅像」は、東京国立博物館から九州国立博物館へと旅に出る。奈良へ帰還するのは秋になるという。今度は、九州の人々にその御姿の魅力的な肢体と芳しい香りでもって、その地の人々の心を虜にするのだろう。「国宝 阿修羅像」の旅路の無事を祈る。
「九州国立博物館」公式サイト
「阿修羅ファンクラブ」公式サイト
「仏像ガール」公式サイト
6/6(土)天理高校体育館
【男子】
平城 98-59 高田商 (13-19/29-16/26-18/30-6)
一条 57-55 奈良育英 (14-15/17-12/10-19/16-9)
【最終順位】
①一条 ②奈良育英 ③平城 ④高田商
【女子】
大和広陵 59-52 高田商 (18-14/13-11/14-11/14-16)
奈良女子 98-43 大和広陵 (17-8/34-5/21-16/26-14)
奈良文化 78-38 高田商 (16-11/26-7/16-8/21-12)
奈良女子 81-69 奈良文化 (26-6/8-17/25-20/22-26)
【最終順位】
①奈良女子 ②奈良文化 ③大和広陵 ④高田商
【最終順位】
①一条 ②奈良育英 ③五條 ④東大寺
※一条・奈良育英は本大会へ出場
6/6(土) 旧片桐高校グラウンド
一条 2-1 五條 奈良育英 2-0 東大寺
6/7(日) 五條上野公園多目的グラウンド
五條 7-0 東大寺 一条 3-2 奈良育英
6/7(日)午後、母が入院している森之宮にある病院へ出かけた。母は片肺で一級障害者である。残るひとつの肺もその機能が極端に衰えている。その日も、母は鼻から酸素を吸入していたが、それでも肩を大きく震わしながら呼吸していた。見た目にもしんどそうな姿だった。良く眠れるかと聞くと余り眠れないという。食欲はあるかと聞くと、無いという。意識はあるが、話すのもしんどそうだったので、ベッドの横、窓際の椅子に私は無言で座っていた。
昨日の夕刻に、妹から電話があった。医師から、母の状態が急遽に悪化した場合、「延命措置」をするかどうかの返答を欲しいと言われていると。「自然に任せよう!」と妹に答えた。母の病状が悪化した場合、おそらく意識は急速に消えうせるのだろう。19㎏しかない母の肉体にメスを入れ、人工呼吸器を埋め込む、体力的に持つかどうかわからない。それは意識を回復させこともないという。ただの延命であるならば、自然に任せよう。妹も同じ考えであった。
病院を出て、いつもの通りに大阪城公園へ行こうと思ったが、今日は森之宮団地の中を歩くと、団地の広場でおばあちゃんがひとりベンチに腰掛けていた。私はその傍らのベンチに座った。カバンの中からデジカメを取りだし、そのおばあちゃんを写そうと思ったがやめた。上の写真はベンチに座った場所からの風景である。
母は鶴橋・大成通りで生まれ、80年あまりその地で暮らし続けた。人から見れば美しいとはいえないのだろうが、母と私にとっては「ふるさと」である。今一度、あの路地裏へ、母が帰れる日が来ることを、愚鈍なる息子は願う。
6/6(土)夕刻、スポーツ少年団指導者協議会委員総会が終わり、橿原神宮前駅構内の居酒屋により「寄り道セット」を頼んだ。ほろよい気分で、電車に乗り心地よい気分で文庫本を読んだ。西大寺駅で乗り換え座席に座っていると、いくつもの大きな荷物を持った高校生が「こんにちわ!」と、私に声を掛けどしっと隣に座った。ソレステ出身の京都の高校へ通う高校1年生だった。いくつものサッカーボール、最低6個以上はあっただろう。またチームのユニフォーム一式なのだろうか?大きなバッグを持っていた。
短い乗車時間だったが、私が聞きただすわけでもなく、自ら私に今の状況を話してくれた。高校のサッカー、チーム編成、今、どこのランクのチームに属しているか? 高校生になって今までのことを冷静に判断し考えることができるようになったのだろう。
ソレステのジュニア・ジュニアユース指導者にこのことを私は伝えたい。彼は私に言った。「ソレステのサッカーは面白かった!」と。それは彼のソレステに対する最高の評価だと私は心から受け止めている。
彼の表情は明るく生き生きとしていた。「明日試合です!」という。「頑張れよ!」と言葉をかけた。まるで自分自身の息子に声をかけるのと同じように。彼は学園前駅で降りた。私は後ろ姿を見ながら彼の前途の健闘を心から願った。
6/6(土)午後、橿原公苑本館1階大会議室で開催された「奈良県スポーツ少年団指導者協議会委員総会」に出席した。永年にわたりさまざまなスポーツの草の根を支えてこられた緒先輩たちにお会いできたことはほんとうに有意義な時間だった。
概ね私の年齢よりも上位の方々が多かった。近く80歳に成られる方が出席されていた。お元気そうである。サッカーの会議・集まりにおいて、そのような方をお見かけすることは全くといっていいほどにない。歴史の相違である。おそらく今後はサッカー界においてもそのような光景も生じるのだろうか?
わが国のスポーツは歴史的に、学校・企業がその基盤を支え形作った。社会人は企業が支えた。中学高校年代でスポーツをしたいという子どもたちを、学校スポーツの中での教員の尽力は言及するまでもなく大きな力で持って支えた。小学校年代はどうなのだろう? 私の子どもの頃からでもそうだった。地域のおっちゃんとおばちゃん、東京オリンピック時に創設されたスポーツ少年団が大きな力となったというのが、私のわが国戦後のスポーツの歴史認識としてある。
スポーツ少年団は私流の観点からすると個性的である。地域のスポーツに関係したおっちゃんとおばちゃんの集まりだ。その総会の席においても、外見はかっこいいとか素敵であるとかとは無縁である人びとが多い。ただ心根は素敵な人びとであることは間違いない。
今年、8月初旬に全国スポーツ少年大会が3泊4日で群馬県で開催される。誰かが帯同しなければならない。その男性は帯同を申し出られた。7月下旬に近畿スポーツ少年大会が2泊3日で滋賀県で開催される。私よりも年上の女性二人が帯同すると申し出られた。自分自身がチームとして関わる子どもたちとは無関係に、奈良県で参加したいという子どもたちのために自ら進んで帯同することに手を挙げられた。実に素敵である。
私などは悶々として手を挙げるに忍びなかった。未熟である。軟弱である。若輩である。いつかきっと自ら進んで、奈良県のスポーツ少年のために手を挙げ、どこへはも帯同できるような人間になりたいと、緒先輩の後ろ姿を見て自分自身に言い聞かせた。
「日本スポーツ少年団/日本体育協会」公式サイト
6/6(土)午後、奈良県スポーツ少年団指導者協議会委員総会に出席するため橿原公苑本館へ出向いた。開会には1時間近く時間があったので、隣接する陸上競技場へ立ち寄った。多くの中学生らしき生徒がいた。何の大会なのだろう?と生徒が持っているプログラムをのぞき見ると、「第59回奈良県中学校陸上競技対抗選手権大会」とわかった。競技場内を見てまわったりスタンドで観戦したりと時を過ごした。

参加している中学校がそれぞれ持参した色とりどりのターフを張っていた。 その光景はどことなく夏のビーチを思い浮かべる。多くの生徒は中学校の顧問の先生に付き添われて参加しているのだろう。競技場外の隅の木陰で、私と同年輩の男性教諭が男子生徒4人とターフの下で話していた。シートの上の荷物は五つの塊しかなかった。近くの木陰では、女性教諭が二人の女子生徒とシートの上に座り話している。荷物は三つの塊しかなかった。
男女生徒が陸上競技に秀でているかいないかに関係なく、その男女生徒には、幾年か後にはきっとそのひと時を思い出すに違いない。「あの時、部員数は少なかったけれど、先生に帯同してもらって参加した!」と。男女教諭が陸上競技の専門家のようには私の目には見えない。一般的な教諭と見える。私はその男女教諭に対して心からの敬意を抱いた。

男子800mを見た。一周目が終わるとラスト一周の鐘がなる。その鐘の音が響くと同時に、走者の駆引きがはじまりスピードアップした。第四コーナーを回ってラストの直線に入る。走者たちは必死の形相で最後の力を振り絞っていた。順位は確定した。順位がすべてなのか? 少なくとも私はそうは思わない。私は思い出した。ラスト一周のその鐘が好きだったことを。
女子200mの幾レースかを見た。走力の差は歴然としていた。概ねゴールした時はトップと最下位は50メートルほどの差が着いた。私はスタンド最前列で見ていた。何レース目かの号砲が鳴った。スタンドからは「ファイト!ファイト!」という黄色い声が轟く。第四コーナーを回りラストスパート、順位は歴然としてくる。
最後尾の走者に目がいった。あれっ?と思いながら心の中で叫んでいた。「「頑張れ!頑張れ!」とあたかも自分自身の娘に声援を送るように。他の走者はユニフォーム姿だった。その走者は中学校の体操着のようなハーフパンツ姿で駆け抜けゴールした。結果は最下位だった。私はその走者がほんとうに走ることが好きな女子生徒であるのだろうと思い描いた。「頑張れ!頑張れ!」。
子どもたちのすべては、一生懸命にトラックを駆けゴールを目指していた。そこには確かに冷厳とした事実である走力の結果としての「順位」が決定される。「順位」はあくまでも「走力」 の結果でしかない。「人間力」はまた別である。「走る」ことに夢中で取り組む中で、彼らすべての前途に糧となるものを学びとって欲しいと心から願う。
6/6(土)奈良・高取健民グラウンドから見た金剛山と大和葛城山
両山とも奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村の境界に聳える。金剛山は標高が1125m、登山客の多い山である。大阪側には日本で唯一の村営ロープウェイがある。大阪府の最高峰だ。大和葛城山は標高が959.2mで、5月中旬には、山頂のつつじが満開になる。奈良側には山頂までのロープウエイがあり、観光客で賑わう。
金剛山へ初めて登ったのは、大阪市立玉津中学校時代、耐寒遠足と称してアイゼンをつけて登った雪中登山だった。楽しい思い出である。大和葛城山へは奈良へ住みだしてからまもなくの頃、20年近く前に、つつじを見るために初めて登った記憶がある。
以前はよく山歩きをしたものだが、最近は全くと言ってよいほど出かけることがない。ふと眼前に聳える峰を見ていると、山歩きを再開したいような気分になってしまう。
「金剛山登山道情報」公式サイト

6/6(土)9:20に自宅を出た。富雄駅9:42の電車に乗り、西大寺駅、橿原神宮前駅で乗り換え、近鉄吉野線・壺阪山駅に到着したのが10:35だった。駅から徒歩10分で高取健民グラウンドに到着した。午後、橿原神宮前駅近くの橿原公苑本館で県スポーツ少年団の会議があったので、 ソレステのゲームを1試合だけ観戦した。
ゲーム終了後、壺阪山駅へと戻ったが、電車が発車したところだった。次の電車まで30分ほどの時間があった。初めて降りた駅で周囲を見回した。ちょうど駅前に「双葉食堂」という店があったので昼食を摂った。
壺阪山駅は静かでどこか地方の駅を彷彿させた。初めて降り立った。サッカーのゲームがなければ、いや、移動手段として車を使っていなかったならば降り立つこともなかったのだろう。最近は、なぜか「車」ではなく「鉄道」を利用することが多い。ちょっとした「鉄道主義」に徹している。
第39回奈良県少年サッカー大会決勝トーナメント
6/6(土) 高取健民グラウンド
【1回戦】
ソレステレージャ奈良2002 0-0 (PK4-2) 河合FC
【2回戦】
スクデッド 7-0 ソレステレージャ奈良2002
6/6(土)高取健民グラウンドで、第39回奈良県少年サッカー大会決勝トーナメントが行われた。ソレステは、1回戦 0-0(PK4-2)で河合FCに対して勝利し、2回戦に進出したがスクデッドに0-7と完敗し、ベスト16に止まった。
子どもたちにとっては、「ボール遊びの世界」から「サッカー競技」へとまだ始まったばかりだ。誰の目から見ても、子どもたちが見につけていないことは多々あるだろう。できていないことを言い出せばきりがない。それよりも、子どもたちが、ボールを追いかけ走り回ることが、面白い、楽しい、何よりも好きだという気持ちを育んでくれることを願う。
子どもたちが、サッカーが好きで好きでたまらないと思えば、一生懸命に取り組むことになり、自然と今よりは上手になるだろう。U-12の子どもたちの今後の伸びしろは大きい。
夏を過ぎ秋になればもっともっとレベルは上がるだろう。そのような想いを抱いている。子どもたちが夢中になって取り組めばじぶんたちだけでなく、おのずと次の子どもたちにまでも繋がっていく。
6/5(金)朝日新聞夕刊の記事によると、5/29に発売された作家・村上春樹さんの新作「1Q84」が異例の売れ行きを示しているという。「発売前増刷」、「発売1週間で100万部に迫る勢い」「例のない事態」と報じている。確かに、昨晩、大阪なんばのジュンク堂千日前店でも売切れていた。東京の大型書店、紀伊国屋書店、八重洲ブックセンターでも完売が続出した。
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ノーベル文学賞候補に挙がり、また、過日のエルサレム賞でのスピーチが、読んでみようという思いと購入するという行為に現れたのだろう。来年は、同氏のベストセラー「ノルウェイの森」も映画化される。「村上春樹」風の小説は現代という時代的な気分にフィットする。、新たな「村上春樹ファン」を生み出すのだろう。
昨晩、職場からの帰りに大阪なんばにあるシュンク堂書店千日前店へ立ち寄った。週末の書店内は多くの人々で賑わっていた。その日はエスカレーターで2階に上がり、歴史・社会学・教育・思想の書棚を見て周り興味ある本を手に取りページをめくり、本の値段を確認した。
「発作マグマ」が噴出し、これもあれもと思いながらも、財布の中を思い描くと、今日は買えそうにないと自分にいいきかせつつ、安価な新書文庫本の書棚へと移動した。「強烈な理性が衝動的な欲望を抑止した」といえば聞こえはよいが、実のところは懐具合の問題でしかない。やむなく文庫本2冊を買うに止めた。
ジュンク堂書店近くの居酒屋・正宗屋に入った。ナチュラルな居酒屋のBGMは。クラッシック、ジャズ、ポピュラー音楽などはかからない。歌謡曲風だ。テレビが放映されている。まわりを見れば非トレンディな々、このような庶民的な場所が大好きだ。心落ち着く。
一品小鉢が並んだガラスケースの前のカウンターに陣取り、ビールを飲みながら買ったばかりの文庫本を読んだ。酒と本はいい相性だ。まわりを見ると、不思議なもので、私同様にジュンク堂のブックカバーをかけた文庫本を読んでいる方が3人ほどカウンターにいた。彼らもまた同じような時間の流れをすごしている。
どこの誰やら知る由もない。生まれ、育ち、年齢、職業、家族構成、興味等々千差万別であろう。ただ、その日その時間にその場所で、無言では在りながらも、「酒と本の世界」という同じようなひと時を過ごしている。もしや、一風変わった、いやナチュラルな仲間連なのかもしれない。
「ジュンク堂書店」公式サイト
「2009近畿まほろば総体」総合開会式の案内が自宅に郵便で届いていた。7/28(火)8:20入場開始、10:00式典開会、12:00終了予定と記されていた。
その案内状を見ながら月末近くの平日で仕事の兼ね合いで出席しようかしまいか迷ったが、全国的なスポーツの祭典の開会式が奈良県で行われるのも今後あるかどうか?と思い、その日は休暇を取り総合開会式に出席することにした。今日、出席の旨の返信をポストに投函する。
「2009近畿まほろば総体」公式サイト
6/1(月)朝日新聞夕刊で、「お仕事ナラ歩きます!」という記事を読んだ。奈良県は「ウォーキング立県」を掲げ、昨年4月に、県庁内に「歩く奈良推進グループ」が誕生した。初代の女性リーダー(46歳)がウォーキングコース作りの指令を受け、県内各地を歩いた。その距離は1年間で1300キロにも達したそうだ。その成果は奈良県のホームページで、「歩く・なら」で推奨コースが紹介されている。もっと、もっと、奈良を歩こう!
「歩く・奈良/奈良県ホームページ」Webサイト
6/2(火)朝日新聞夕刊の記事を読んだ。1996年8月、大阪府高槻市内のグラウンドでのサッカー大会で高校生がプレー中に落雷にあい、重い障害を負った事故の損害賠償訴訟で、その大会の主催者である高槻市体育協会が、賠償金を払えないと判断し破産手続き入ることになった。2008年9月、高松高裁は、同協会と選手の所属高校に対して、当時の高校生の逸失利益、介護費用等の総額3億円の賠償命令をくだしていた。
落雷事故を受けた高校生は今、28歳になる。今も両目の視力は戻らず、下半身は不自由で、言語や記憶に障害が残っている。今春、高知県の盲学校を卒業し、「勉強して他人の役に立てるだけの知識や力をつけて、今度は困っている人の力になりたい」と前向きに、短大で前途に希望を抱きながら勉学に励んでいるという。その強靭な精神に心震える。
Jリーグ、社会人、大学、高校、また草の根のすべてのスポーツ活動にはリスクが必ず存在している。指導・運営する者にとって、人の生命と希望にみちた将来をさえぎるような自体を生じさせないということは必須であり義務である。安全管理・危機管理なくしてその活動の存在価値はない。
ひとつの事故が、人の将来を踏みにじり、またスポーツそのものの活動の場を喪失すような状況に追い込むことになる。われわれ草の根スポーツ活動に従事する者にとっても、安全管理・危機管理を肝に銘じて徹底しておかなければならない。スポーツに関わるすべての人々のために。
6/2(火)20;18現在の総アクセス数は、157,030となっている。アクセスカウンターは左サイドバー最下部に掲載している。過去1ケ月の「ブログ解析」を確認した。過去1ケ月のアクセス数は、10,529で一日平均アクセス数は、351だった。
ブログへのアクセス経路を見ると、
①サイト内(検索エンジンを使い、その検索した言葉でヒットした方)
②ブックマーク(ブログアドレスをお気に入りに登録してご覧いただいている方)
③ソレステ(ソレステレージャ奈良2002Webサイトからクリックしてご覧いただいている方)
④その他(Webサイト上のブログ、HPにこのブログの記事が掲載され、そのサイトを通じてご覧いただいている方)
に四分類される。
そのアクセス数を見ると、調査対象数 6,332
サイト内 3,295 ブックマーク 1,808 ソレステ 856 その他 373 だった。
サイト内からヒットした集計対象アクセス数 3,958の中から、ヒットした「言葉」をランク付けすると概ね次のようになる。
①サッカー 212 ②奈良 157 ③ノブレス・オブリージュ 143 ④鶴橋 80 ⑤パルセイロ 74 ⑤奈良県 70 ⑦2009 57 ⑧延羽の湯 55 ⑨ボランチノート 54 ⑩松本山雅 50
アクセス地域別に見ると、調査対象数 2,660
①大阪 792 ②東京 384 ③奈良 302 ④長野 221 ⑤京都 117 ⑥神奈川 97 ⑦愛知 88 ⑧埼玉 80 ⑨千葉 52 ⑩兵庫47
ご覧いただいている多くの方々に心から御礼申し上げます。
5/31(日) 田原本町中央体育館
【男子】
【準決勝】
添上 3-0 奈良 奈良大付 3-0 一条
【決勝】
添上 3-1 奈良大付
【女子】
【準決勝】
添上 3-0 一条 高田商 3-0 登美ケ丘
【決勝】
添上 3-0 高田商
5/30(土)午後、自宅を出た。昨日に母が急遽入院した、JR大阪環状線・森ノ宮駅近くの病院へ出向くため。自宅を出て徒歩2分のわが二名春日ののどかな風景だ。眼に見える風景と心の中の風景は全く相違する。私の心象風景も現実なら、眼に見える風景も現実だ。
森之宮駅近くの病院の一室でベッドに横たわり眠る母のそばにいた。「茂や!わかるか?」と声を掛けたが少し目を開き私を見たが、すぐに目をつぶった。顔色はまだよく意識もある。ただ、私のことをわかっているのか、わかっていないのか、私には判別できなかった。
5/31(日)朝、自宅を出て、JR大阪環状線・森之宮駅近くの病院へ向かった。朝の病室は静けさだけが漂っていた。眠る母のベッド横の窓際の椅子に腰掛け本を読んでいた。私と同年代の男性の方が、隣のベッドにいる方の見舞いに来られた。私と同じように窓際の椅子に腰掛けられた。私とその方は窓を背負い、同じように自分自身の母のベッドに無言のまま向き合った。
しばしの間、無言の時間が続いた。病室には静けさのみが漂っていた。突然に、「お父ちゃん起こして! お母ちゃん起こして!」という大きな声がカーテン越しに聞こえた。80歳を雄に超えたおばあちゃんが叫んでいた。遠い遠い記憶の彼方のお父ちゃんとお母ちゃんが脳裏に浮かんでいたのだろう。
年を経れば経るほど、その人の新しい記憶は消えやすく、古い記憶はレリーフのように浮かび上がってくるという。古い記憶がなぜ浮かびあがるのだろう? 親の存在とは何なのだろう? ふと、そのおばあちゃんの声を聴きながら考えてしまった。
最近読んだ太宰治の小説の中で、「子どもよりも親が大事!」というような言葉が記されていたのを思い出した。その病室で確かに、実に素直な言葉だと理解した。 私と同様にベッドに向かい座っていた男性に、小さな声で「失礼します!」と声を掛け、その男性も小さな声でうなずき会釈を交わした。静かな時間だけが流れていた。
病院からの帰路、近くの大阪城公園で休憩してから帰宅することが多い。その日も立ち寄った。なぜ? ちょっとした気分転換だ。ふらり散歩しながら、私も年老いてベッドに横たわる時が来たならば、子どもの名よりは、親の名を叫んでしまうのではないだろうか? ふと、そのようなことを感じた。
5/31(日) 大和高田市立総合体育館
【男子決勝リーグ】
一条 92-62 高田商 (22-15/17-15/31-17/22-15)
奈良育英 66-60 平城 (11-19/20-0/14-28/21-19)
一条 103-87 平城 (19-10/25-21/23-24/36-32)
奈良育英 98-45 高田商 (27-12/26-17/23-8/22-8)
【女子決勝リーグ】
奈良女子 88-31 高田商 (30-6/23-4/28-9/7-12)
奈良文化 94-36 大和広陵 (21-11/31-9/24-6/18-10)
5/31(日) 橿原高校グラウンド
一条 2-0 東大寺学園 (1-0/1-0)
奈良育英 2-0 五條 (1-0/1-0)