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2009年6月18日 (木)

6月13日土曜日 午後

Img_0004  6/13(土)11:00自宅を出て、鶴橋駅前の「眠眠」で昼食をとり、森之宮病院へ向かった。13:00病室へ入った。母は居ずに、がらんとしたベッドもない病室には妹が椅子に腰掛けていた。一瞬、不安が襲った。聞くと、血圧が下がったので検査を受けているという。ほっとした。

 しばらくたってから、担当医師から、パソコンに映し出された母の体内の現状を見ながら状況説明と治療方法の説明を受けた。意識もあり、病状も安定しているので、ナースセンター横の病室に移動するという。

 15:00移動した病室に入り母と逢った。意識はあり、はっきりと私のことがわかり、言葉も交わすことができた。私のバックから、AC長野パルセイロのクラブブックを出して、息子が掲載されているページを開き、母に見せた。「誰か、わかるか?」と話しかけると、「わかる!」と答えた。「長野で、がんばっとるからな!」 というと、母はその写真を寝ながらも、顔をその写真に近づけるようにして凝視した。目がかすかに微笑んだ。容態が安定しているようだったので、「また、来るからなあ」と母に声を掛けて、15:30に病院を出た。

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 病院を出て大阪城公園へ立ち寄った。噴水近くの場所で、「紙芝居」の光景を見かけた。元気なおじいちゃんが自転車に積んだ「紙芝居」を演じている。多くの子どもたちが座って楽しそうに見ていた。久しぶりに、私も「紙芝居」を後ろの方に座りながら観た。子どもの頃の大成通りの路地裏での情景を懐かしく思い出した。

 森之宮駅から線路沿いに鶴橋駅まで歩いた。居酒屋でいっぷくしてから富雄の自宅まで帰ろうと思い、「うをさ」へ寄った。ビールを飲んだ。「紙芝居」を観た影響からか、子どもの頃のことを思い出していた。

 18:00すぎに、携帯電話が鳴った。妹からだった。「容態が急変した。逢わせたい人があれば、今の内にとお医者さんから電話があった」と。すばやく、電車に乗り病院へ戻った。森之宮駅で降りて、病院へ向かう路上で、再び携帯電話が鳴った。妹からだった。「亡くなった!」と。18:20病室に着いた。やすらかな顔だった。

 すぐに、父の折にもお世話いただいた葬儀会館へ携帯電話で連絡した。20:00お迎えが来て、80年余り暮らした、大成通(現:玉津)の路地裏の実家へと母を連れ帰った。

 信州から帰ってから、AC長野パルセイロのクラブブックを母に見せようと思いながらも、見せれずじまいだった。その日もバッグに入れるのを忘れ、自宅を出た坂道の下で気づき、自宅に戻りそのクラブブックをバッグへ入れた。

 孫が信州にいる間に一度は訪れたいと母が言うのを私は幾度も聞いた。しかし、体調が悪いのが続き、そこまで出かけるのは誰が見ても無理だった。せめてもと、クラブブックに掲載されている孫の写真を見せたいと思いつつも、愚鈍なる私はすぐにそれを成すこともなかった。

 ほんとうの最後に間に合ったと安堵している。もし、間に合っていなければ、私はずっと悔恨を抱いたままになっただろう。母が顔を乗り出すように、孫、わが息子の写真を食い入るように凝視したかすかに微笑んだ目は忘れない。

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