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2009年4月12日 (日)

「杉本博司 歴史の歴史」展 大阪で開催

 4/11(土)朝日新聞夕刊の記事で、現代写真の前線に立つ杉本博司氏の「歴史の歴史」展が、4/14(火)から大阪・中之島の「国立国際美術館で開催されると知った。

 今年1月、「フットボールカンファレンス」に参加するため金沢市を訪れた際に、「金沢二十一世紀美術館」で同展を観覧した。不思議で刺激的な映像と空間に魅了された。世界各地の海を描いた数枚の絵に囲まれ観音仏像が立つ部屋は、私の五感をかぎりない静寂の世界へと誘った。種々雑多な収集品にも圧倒された。化石、隕石、石器、寺院の古材、仏画、仏像、宇宙食等々。

 稀有な経歴が独特な表現に結びつくものなのだろう。同氏はかつて古美術商を職業としていた時期があったという。美術家として専念するようになってから古美術の売り手から買い手へと逆転した。その収集品には独特の質の高さがあると言われる。同氏の収集の基準は「心が動くもの。目が喜ぶもの。」と簡潔である。

 同氏の作品・言葉が、私にとっては、フットボールに対する考え方にも繋がっていた。私がデジカメで何気なく写真を撮る。同氏が「日本海礼文島」の写真を撮る。いずれも「写真を撮る」という行為は同じ価値を含んでいる。しかし質的には「低」と「高」、第三者は、私が「町のデジカメ小僧」で同氏は「世界的なアーティスト」となる。

 フットボールの世界でも同様だ。同じボールを追いかけているものがあったとして、すべての者はフットボールに興じているという意味では同様な価値が生じる。しかし、そこには「愛好家」から「アーティスト」の階層が自然と形成される。

 同氏は、「アートとは技術のことである。」という。それは「眼には見ることができない精神を物質化するため」だと言う。新聞記事を執筆した編集委員の方が、「技術を伴わない表現はアートではない」「技術と精神が両輪となりアートを突き動かしている」という二つを杉本博司氏のアートに関する持論だと読み解いていた。

 フットボールの「競技」もまた「心が動くもの。目が喜ぶもの」の刺激の中で、「精神」と「技術」という両輪を積み重ねた上で、ピッチで「表現」するという「アート」なのだと思う。

 4/18(土)に、再度、「杉本博司 歴史の歴史」展を観覧するために、大阪・中之島の「国立国際美術館」へと出向く予定にしている。

「大阪・国立国際美術館」公式サイト

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