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2009年4月29日 (水)

「大和まほろば電車」に偶然に乗って

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 4/29(水・祝)午後、ソレステレージャ奈良2002ジュニアユースのゲームを応援するため、会場の最寄り駅、郡山駅へ向かおうと、富雄駅ホームで電車を待っていた。電車がやって来た。あっ!と心の中でつぶやいた。

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 平日、通勤途上でよく見かけた「平城遷都1300年際」記念ディスプレーのきれいな電車だった。私はこの電車の正式名称は知らない。私は身勝手に「大和まほろば電車」と呼んでいる。電車に揺られて西大寺駅まで、駅に着いたら写真を写そうと思いたった。


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 「短歌」が車体にディスプレーされた電車を初めて見て興味があった。奈良らしさが漂う素敵な電車だ。「大和は国のまほろば」という想いをもってその電車は疾走している。

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4/29午後の近鉄奈良線富雄駅

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 4/29(水・祝)午後、自宅から徒歩20分で最寄駅である近鉄奈良線富雄駅に着いた。ホームに上がり奈良方面への電車を待った。通風前兆の左足かかとの違和感が気になりながら、なぜ、サッカーの応援へ行くのに車を使わないで電車で行くのだろう?と、ふと脳裏をよぎってしまった。

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 いや、車で行くよりは電車と徒歩で応援に駆けつけることに意義がある、線路の彼方には、明るい未来が待ち受けていると、ちょっとした体調不良からくる不安は吹き飛んだ。電車が到着するのを今か今かとホームで待っていた。

クラブ選手権大会(U-15)奈良大会2次リーグ(試合結果4/29)

4/29(水・祝) 旧片桐高校グラウンド
 
 アスぺガスFC 3-1 ソレステレージャ奈良2002 (2-0/1-1) 

 
2次リーグの初戦、ソレステレージャはアスペガスに敗れた。試合内容についてはノーコメント。明日がある!明日がある!自分自身にはそう言い聞かせている。

 今日は応援に駆けつけた。自宅から徒歩20分で富雄駅へ、西大寺駅で乗り換え郡山駅へ、そこから旧片桐高校グラウンドまで徒歩で20分程度かかった。歩けども歩けども、祈願むなしく敗れるときは敗れる。不吉な兆候はあった。わが左足かかとに通風の症状の前兆が生じた。敗れた主因はわが不摂生なのだろう。

5/17(日)AC長野パルセイロ対松本山雅FC 信州ダービー観戦のため南長野へ行く!

 5/17(日)13:00、AC長野パルセイロ対松本山雅FC 信州ダービー観戦のため南長野へ行く! 本日9:00決断した。5/16(土)、17(日)連泊で、長野駅近くの大浴場付ビジネスホテル1泊6200円をインターネットで宿泊予約した。交通手段は、今のところ決め手はいないが、往路は夜間高速バス、帰路は鉄道にするつもりでいる。

 5月に信州を訪れるのは初めてだ。キーワードは、「信州ダービー」「高野辰之・故郷」「中山晋平・カチューシャの唄」「善光寺御開帳」、もうひとつ付加えるならば、時間的に余裕があれば、「戸隠」か。今ははっきりと計画を立て切れていない。連休中には詳細を決定したい。

「AC長野パルセイロ」公式サイト

「AC長野パルセイロ・スペシャルリンクス」Webサイト

「北信越フットボールリーグ」公式サイト

きらびやかな民族衣装を見ながら

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 鶴橋駅に隣接する市場の中を歩くと、韓国の民族衣装を並べている店が多くある。色彩がきらびやかで魅力的な衣装が目をひきつける。その街を歩くことが好きだ。私の実家近くの路地は、日本人だけでなく、韓国の方も多く住んでいた。路地を行き交う民族衣装の綺麗さに子ども心に、「うわっ~キレイ!」と思ったものだ。

 私が幼かった頃、鶴橋駅周辺の市場は、一般的に「国際市場」と呼ばれていた。少なくとも、私の祖母・母は私にその場所を「国際市場」だと言っていた。「国際」という言葉は英語で言えば「International(インターナショナル{)」となるのだろう。最近は「国際的」「インターナショナル」という言葉も余り使用されなくなりつつある。それに代わり「地球的(グローバル)」という言葉が氾濫している。

 その街は、グローバルではなくインターナショナルだった。地球的なものではなく、国が際立ったという意味において、インターナショナルな街だったと好感を持って言うことができる。国を超えなければ、インターナショナル、グローバルにはなりきれないが、それぞれの国家の礎となる避けられない民族の独自性を認識しながらも、他の民族性をも受容するべきであるということを自然と学べたのは、その環境があってからこそだと、私は今も思い続けている。

 私が小学生低学年だった頃、路地裏で三角ベース野球をしていた時に、大きな白いボールを持って私たちの前を通り過ぎる朝鮮中学校へ通うお兄ちゃんのことを思い出した。私たちは野球しか知らなかった。後にその大きな白いボールがサッカーボールだと知った。そのお兄ちゃんは、いつ知らず路地裏から引っ越して行った。そのお兄ちゃんは、今もサッカーに関わり続けているのだろうか?と、店先に並ぶきらびやかな民族衣装を見ながら、ふとそのお兄ちゃんのことを思い出した。

「旅する巨人」~宮本常一と渋沢敬三~

Img_0001 著者:佐野眞一/発行:文春文庫(2009.04)/定価:876円+税/P.516

「日本中の村と島を歩き尽くした男がいた。」 民俗学者・宮本常一の生涯を財界人・渋沢敬三との交流から描いた大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

 稀有な民俗学者・宮本常一の生涯を描いた評伝である。1996年に出版された単行本の文庫本化である。今一度文庫本が出版されたので読み直した。

 瀬戸内海の周防大島で生まれた宮本常一は、昭和という時代の稀有な民俗学者だ。高度経済成長の過程で、わが国の至る所で共同体が崩壊し、伝承が消え去った。その前夜までのわが国の人々の暮らしを丹念に歩きながら聞き取った膨大な貴重な記録を生み出した。

 親、妻、子どもたちを周防大島に残したまま、旅に生き、方難しい民俗学というものではなく、農村・漁村で昔からの伝承を受け継ぎ生きている人々の言葉を聞き、記録に残し続けた。旅すがら、西行は歌を詠み、芭蕉は俳句を詠んだ。私にとって、宮本常一はその系譜に繋がっている。偉大なる民俗学者だ。

Img 著者:宮本常一/発行:筑摩書房「ちくま日本文学」(2008.08)/定価:880円+税/P.477

「故郷の声を背負い彼方を夢みた旅の人」

 
文庫本「旅する巨人」を読んだ後、本棚から取り出して、抜粋して読み直した。「対馬にて」「子供をさがす」「土佐源氏」「私のふるさと」「子供の世界」「萩の花」等。読めば読むほどに惹き付けられる。ゆっくりと、もっともっと宮本常一の本を読んでみたい気になる。

 この本の末尾に、水俣病問題に毅然と立ち向かった石牟礼道子(いしむれみちこ)さんが記された「山川の召命」という一文の中で、
「人々は、後に残して来た故郷の声を背負い、樹の下陰に立ってそれとなく見送っていた祖父母とか古老の姿から、魂の形見を与えられて出郷したのである。ふたたび帰ることがなくとも、それは一人の人間の心の奥処や夢にあらわれて、その人の一生につき添っていた。」と記されていた。

 宮本常一は、ふるさと人の魂の形見に付き添われながら、「旅」と「民俗」を「召命」(しょうめい)として生きたのだろう。彼だけでなく、私たちもまた、生まれが農村、漁村、町、街、都会に関係なく、生まれ育った環境の中でさまざまな人々の魂の形見に添われて生きているのかもしれない。

「NPO法人周防大島郷土大学」公式サイト

第48回東海大学サッカーリーグ戦試合結果を確認して

 4/4から第48回東海大学サッカーリーグが大学選手権(インカレ)出場を目指して10チームの総当りリーグ戦(前期・後期)が開幕している。4/29(水・祝)朝、第48回東海大学サッカーリーグの試合結果を確認した。第4節終了時点で中京大学体育会サッカー部は好発進して首位を堅持していた。概ね下記の5大学の争いになるのだろう。

 中京大学体育会サッカー部にとって、前期の山場は、6/20対静岡産業大、前期最終戦6/27浜松大戦となる。是非とも前期を首位堅持で折り返して欲しいものだ。大学選手権(インカレ)のピッチで、赤と黒のユニフx-ムに身を包んだ選手達の姿を瞼に思い描きながら、奈良まほろばから声援を贈り続ける。

順位 大学名 勝点 得失
1 中京大 12 4 0 0 10 11 1
2 静岡産業大 12 4 0 0 7 10 3
3 浜松大 9 3 0 1 6 7 1
4 富士常葉大 9 3 0 1 5 11 6
5 愛知学院大 6 2 0 2 2 8 6

【第4節終了時点 6位以下は省略】

「東海大学サッカー連盟」公式サイト

関西本線 法隆寺駅前で

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 4/26(日)午後、あいにくの雨模様、鶴橋に立ち寄って後に、「いかるがホール」での奈良県サッカー協会4種総会に参加するため、大阪環状線で天王寺駅へ、関西本線(愛称:大和路線)に乗り換え法隆寺駅で降りた。駅構内に、法隆寺の写真が掲載されていた。ながらく法隆寺へは出かけていない。せっかくここまで来ても行くことはできなかった。残念だった。

 総会は19:00からだったので、あと一時間余りがあった。駅前の食堂に入った。客は私一人だった。月見そばとビールを注文した。食べながら店のおばあさんと四方山話、このあたりは店が多いですねと聞くと、おばあさんは話しだした。

 店を始めて30年余りが経つ、この駅界隈も変わった、法隆寺参拝の人は直接バスや車でゆくので、昔に比べると客も減った等々。テレビで阪神タイガースとガンバ大阪の試合結果を見ながら、おばちゃんは話してくれた。30年以上もこの地で店を続けていることのすごさをおばあちゃんに告げると、そんなことはないと言う。でも、私には凄いことだと思う。

 愛称は大和路線であるが、やはり関西本線と言う方が私にはフィットする。法隆寺駅前の食堂での四方山話は、どこかに旅行に出かけていて立ち寄ったような気分にさせた。おばあちゃんの話とビールの酔いで心地よかった。小雨降る中、旅心気分で「いかるがホール」を目指した。

「地域クラブ私論」(8)

 クラブコアエリア内の各地区の2000年から2005年の人口増減を見てみると、以下のようになる。青和地区は、全体で▲232人の減少となっている。特に顕著なのが、20歳代が▲339人、70歳以上が▲239人の減少となっている。60歳代135人、40歳代134人、30歳代84人といずれも増加している。19歳以下は概ね大きな変化はない。
【青和地区】

 

2000年     

2005年   

増減

09

1,296

1,301

5

1019

1,158

1,156

-2

2029

1,508

1,169

-339

3039

1,948

2,032

84

4049

1,472

1,606

134

5059

1,437

1,427

-10

6069

1,050

1,185

135

70歳~

994

755

-239

合計

10,863

10,631

-232

 二名地区は、全体で868人の増加となっている。特に顕著なのが70歳以上が484人で、60歳代163人、40歳代182人、30歳代181人と増加している。50歳代▲184人、20歳代▲71人と減少している。19歳以下は113人増加している。

【二名地区】

 

2000年     

2005年   

増減

09

658

701

43

1019

677

747

70

2029

818

747

-71

3039

932

1,113

181

4049

738

920

182

5059

1,163

979

-184

6069

1,121

1,284

163

70歳~

728

1,212

484

合計

6,835

7,703

868

 登美ケ丘地区は、全体で▲275人の減少となっている。特に顕著なのが20歳代▲551人、50歳代が▲417人減少している。続いて10歳代▲256人、40歳代▲127人の減少となっている。70歳以上529人、60歳代346人、30歳代173人といずれも増加している。

【登美ケ丘地区】

 

2000年     

2005年   

増減

09

1,296

1,324

28

1019

1,419

1,163

-256

2029

1,887

1,336

-551

3039

1,891

2,064

173

4049

1,660

1,533

-127

5059

2,290

1,873

-417

6069

1,668

2,014

346

70歳~

1,327

1,856

529

合計

13,438

13,163

-275

 東登美ケ丘地区は、全体で118人の増加となっている。70歳以上が273人、30歳代129人、9歳以下103人、60歳代86人増加している。10歳代▲229人、20歳代▲118人の減少が顕著である。

【東登美ケ丘地区】

 

2000年     

2005年   

増減

09

336

439

103

1019

905

676

-229

2029

857

739

-118

3039

528

657

129

4049

887

773

-114

5059

1,284

1,272

-12

6069

1,040

1,126

86

70歳~

935

1,208

273

合計

6,772

6,890

118

【上記表については奈良市役所Webサイト「国勢調査」統計データより抽出作成】

2009年4月27日 (月)

「1960年代の肖像」

Img_0003 著者:後藤正治/発行:岩波現代文庫(2009.04)/定価:1000円+税/P.300

「情熱だけはあった戦後日本の若き時代、人々は何を夢み、何に希望を重ねたのか。大学紛争当時の青春を送ったノンフィクション作家が、懐古でも追憶でもなく、その後の40年の歳月を踏まえ、1960年代のヒロイン・ヒーローの姿に迫る。」

【コンテンツ】 滅びの演歌・藤圭子/黄金時代・ファイティング原田/君は決して一人じゃない・ビートルズ&ボビー・チャールトン/天馬、駆ける・シンザンを巡る人々/海を流れる河・吉本隆明

 私は1953年生まれである。1960年代というと、私が7歳から16歳だった時代だ。子どもながらにも目に見えて生活が大きく変わったのを覚えている。鶴橋の実家の隣の共同井戸端で「たらい」を使い洗濯していたのが、ある日突然に「電気洗濯機」が出現した。近所の氷屋で買った氷を使って冷やしていたものが、「電気冷蔵庫」に変わった。「テレビ」という余りにも魅力的な代物がわが家にも鎮座した。家族7人で集まって一緒にその代物を観た。まだ、新聞のテレビ番組は「空白」があった。テレビもお休みの時間があった。その時、テレビをつけると「テストパターン」という文字が見えた。まだのどかでゆったりとした時代だった。

 興味深くこの本を読んだ。演歌歌手・藤圭子、ボクサー・ファイティング原田、言わずとも知れたビートルズ、マンチェスターユナイテッドのフットボーラー・ボビー・チャールトン、三冠馬・シンザン、思想家・吉本隆明。すべてが、その当時の私にとって印象深い人物だった。そのことがこの本を読みながら蘇ってきた。

 今とその時代を比較すると、どちらがよき時代なのかどうかは一概に言えない。ただ、私にとっては、一番多感な年齢をその時代の中で過ごしたことは事実である。振り返るとその時代は、現代という時代の大きな曲がり角であったように思う。その時代以降、「経済」というキーワードにして物質的な豊かさを、猫も杓子も追い求め始めた。その時代の移り変わりの中で、ただ、失くしたもの、捨て去ったものは、得るものよりも余りにも多かったのかもしれない。この本を読みながら、ふとそのような思いに囚われた。

2009年4月26日 (日)

偉大なる「ジョージ・ベスト」は掲載されているのだろうかと・・・・

Img_2  4/21(火)職場帰りに、通勤電車の中で「1960年代の肖像」(後藤正治)という文庫を読み、「ジョージ・ベスト」という憧れのサッカー選手の名に刺激を受けて、近鉄奈良線富雄駅近くの「ジャパンブックス」へ立ち寄った。「サッカーベストシーン」という雑誌が目に入った。表紙には、偶然にも「マンチェスター・ユナイテッドのすべて1878~2009」という特集記事が記されていた。

 その表紙を見て、私はジョージ・ベストの記事は掲載されているのだろうか、期待と不安を抱きながら雑誌のページを立ち読みして繰った。 「ジョージ・ベスト 後継者はいらない」という記事」があった。 「マンチェスター・ユナイテッドの伝説的選手は?という問いに、最も多くの人々が名前を挙げるであろうジョージ・ベスト」という文章を読んだ時、迷わずに財布から1000円札を出して買った。

 公私共に美しく危うい選手で、ピッチでは美しく華麗で逞しかったが、ピッチ外では危うい生活だったという。選手の評価とは、尋常の評価では計り知れないものがある。1960年代、品行方正とは程遠い選手でありながらも、絶大なる人気を博していた。それは、音楽の世界でビートルズが当時の英国から世界に対する叛乱者であるとするならば、サッカーの世界で、ジョージ・ベストは北アイルランドからの世界に対する同様な叛乱者だった。北アイルランド代表であるためW杯出場することはなかったが、1968年バロンドール賞を受賞した。

 記事の中の一文で、「フットボールプレーヤーとして彼が稀有な存在なのは、やはりフィールド上で今も唯一無二の存在である点に尽きる」と執筆者の加藤康博氏は記している。私にとって、1970年代初め、サッカーの海外中継などない時代に、唯一、その窓口が「三菱ダイヤモンドサッカー」だった。その番組で初めてジョージ・ベストのプレーを見た。衝撃だった。足にボールが吸い付くようなドリブルはまさに華麗だった。

 高校時代、私もまねをしたいと思い、ボールを持ち試してみたが、試すだけで周りの者から、「持つな!蹴れ!走れ!」という否定的な言葉だけが返ってきた。だからこそ、トラウマのように響いたその否定的な言葉を私は子どもたちには一切言わない。もしそのように言う人がいれば、それはそれだけの指導者でしかないと私は今も思い続けている。

 波乱の人生の中で、ジョージ・ベストは、2005年11月25日、享年59歳でこの世を去った。2006年、彼の偉大なる功績をたたえて、北アイルランドの表玄関「ベルファスト・シティ空港」が「ジョージ・ベスト・ベルファスト・シティ空港」と改名した。

 彼の葬儀の折に、ファンから発せられた言葉がある。 「Maradona good, Pele better, George Best」。私が若かりし頃に憧れたフッボーラーが今も語り継がれていることに心底喜びを感じている。マンチェスター・ユナイテッド、北アイルランドの偉大なるフットボーラー、ジョージ・ベストは、いつまでも私の中で光り輝き続ける。

二名中学校への坂道を歩きながら

1_009  4月中旬、晴天の日に、自宅から徒歩10分にある奈良市立二名中学校へと続く坂道を歩いていた。サッカーのゲームで指導者が「首を振れ!周りを見ろ!」という視野の確保の大切さを伝える。その言葉通りに、少しあえぎながらも坂道をゆっくりと周りを見ながら登った。

 
 この風景を私は今まで観たことがなかった。幾度となくこの坂道を歩いた。まず見えなかったのだ。その風景は言うまでもなく、ずっとそこにあったが、私は全くと言っていいほど無頓着だったのだろう。いつも車でなにげなく通り過ぎていた。

 急ぎ足よりはゆっくりと歩く方が、周りが良く見える。それは事実だ。速さは利点があるが欠点もある。遅さは欠点あるが利点もある。いずれにしろ周りを見ようとする意思がまずは大切なのだろう。何気ない風景であったとしても、そこに気付かなかった美しさが存在する。私が出合った、出会うすべての人々も同様だと二名中学校への坂道を歩きながら思った。

凛として、その民家はあった!

1_004  鶴橋にある私の実家近くにある民家である。この建物を見た時、私は、幼かった時のわが実家を思い浮かべた。私の実家もまたこのような建物であった。昭和初期に建築された建物を支える柱など変わることはないが、外見はすっかり変わってしまった。それは時代の趨勢なのだろう。

 私の実家の前の道は、かつては石畳だったものが、あっという間にアスファルトに変わってしまった。その変化にあわせて外見も昔の面影を消失させた。

 この一軒屋の建物を見て、そこに住む人の意思を感じとった。素敵である。孤立を恐れず凛として、昔のままに建ち続けている。

「ピクニック」の復権

 毎日読んでいる新聞記事の中で興味あるものについては、抜粋して無造作に机の横に積んでいる。何気なくその中の一枚を取り出した。2008年10月17日(金)日本経済新聞朝刊の文化欄「ピクニックの200年を散策」(執筆:太田浩史さん)を改めて読んだ。

 その記事によれば、1802年、英国ロンドンで世界で初めての「ピクニッククラブ」が誕生した。当初は、若者たちが、屋内で音楽・芝居をして夜を明かす過激な集まりであったようだ。ピクニックが外遊びとなるのは、英国での都市化に伴う環境悪化が主因となり、社交を求めて、その当時整備されつつあった公園へと人々は向かったのだという。

 その記事を改めて読み、「ピクニック」のことを思い浮かべた。むかし、テレビか映画で観た光景を思い出した。緑の丘の頂きで、若い二人が布の敷物の上で、微笑みながらコーヒーとサンドイッチを食べている。ただ座り黙って遠くの風景を見ている。実にのどかな光景が、今も印象として残っている。

 Picnic (ピクニック)という言葉を高校時代に買った「研究社英和中辞典」で調べてみると、「①遊山、行楽、遠足 ②特別楽しいこと、楽な仕事」という意味が記されていた。また、「広辞苑」で調べてみると、「野遊び、遠足、遊山」とあった。いずれも、のどかでゆったりとした意味合いを表している。

 正直に言えば、最近というより永らくピクニックに出かけてはいない。確かに一人で出かけることはあるが、それはピクニックなどいうのどかで郷愁を抱かせるようなものではない。ピクニックは最低催行人員が二人だ。それ以上でなければならない。ただ男二人ではどうなのだろう? それでは男女二人? それが一番素敵なことではあるのだが。それは無理だ。よし!それならば、「みんなで、トレドの森へ、ピクニックに出かけよう!」と言ったとしても、怪訝な想いを抱かれるのかもしれない。今こそ、「旅行」ではなく「ピクニック」の復権を望む。

「東京ピクニッククラブ」公式サイト

「地域クラブ私論」(7)

2-2 外部環境分析(2) クラブコアエリアの状況

 クラブコアエリアは奈良市西部、北西部は生駒市に隣接している。最寄駅としては、近鉄奈良線の学園前駅、富雄駅。けいはんな線「学研奈良登美ケ丘駅」がある。「学研奈良登美ケ丘駅」周辺は大型商業施設があり、新たに私立学校法人も移転してきた。近年、街の様相も変化してきている。

 大阪市内まで通勤
30分のベッドタウンというのが地域的特徴である。クラブコアエリアの年齢別人口はどのように構成になっているのか、どの年齢層が増加しているのか、減少しているのか、客観的な数値を「奈良市役所」webサイトの「国勢調査」統計資料から抽出し加工したものが下記の表である。

 
奈良市青和・二名・登美ケ丘・東登美ケ丘の各小学校区の全体でエリア全人口が38,387人、60歳以上人口は10,640人、老齢化率(60歳以上人口が地区人口総数に占める割合)27.72%。19歳以下人口は7,507人、若年齢率(19歳以上人口が地区人口総数に占める割合)は19.56%となっている。

 
老齢化率の高い地区を見ると、①東登美ケ丘33.88% ②二名32.40% ③登美ケ丘29.40% ④青和18.25%となる。
 
60歳以上人口が多い順に見ると、①登美ケ丘3,870人 ②二名2,496人 ③東登美ケ丘2,334人 ④青和1,940人となる。
 
19歳以下の割合が高い地区を見ると、①青和23.11% ②登美ケ丘18.89% ③二名18.80% ④東登美ケ丘16.18%となる。
 
19歳以下人口が多い順に見ると、①登美ケ丘2,487人 ②青和2,457人 ③二名1,448人 ④東登美ケ丘1,115人となる。

年齢 青和 二名 登美ケ丘 東登美ケ丘 合計 構成比
0~19歳 2,457 1,448 2,487 1,115 7,507 19.56
20~39歳 3,201 1,860 3,400 1,396 9,857 25.68
40~59歳 3,033 1,899 3,406 2,045 10,383 27.05
60歳~ 1,940 2,496 3,870 2,334 10,640 27.72
  10,631 7,703 13,163 6,890 38,387  

【奈良市役所Webサイト「平成17年度(2005)国勢調査データから抽出作成】

2009年4月25日 (土)

「延羽の湯」堀削中~鶴橋~

1_001 1_003  鶴橋駅近く、私の実家から徒歩2分の場所で、天然温泉「延羽の湯」(のべはのゆ)が掘削中である。幼い頃から利用していた銭湯も次々と消え去ってしまった。「丹前風呂「雷湯」「亀の湯」と少年の頃の思い出が詰まった銭湯は今はない。「亀の湯」が無くなった時は、ショックだった。

 今、新たにスーパー銭湯が開湯する。ただいつなのかは知らない。空に突き刺すような堀削塔は、「亀の湯」の煙突の生まれ変わりのようだ。開湯した折には、是非とも訪れたいと思っている。

「貝野の子供」~越後・妻有郷(つまりのさと)の生活と遊び~

Img 著者:かいのかい/発行:奈良新聞社(2009.04)/定価:1600円+税/P.132

 新潟県中魚沼郡貝野村、昭和25年、村立貝野小学校卒業生有志による失われた時を求めた生活記録。

【コンテンツ】 貝野村/住まいとくらし/貝野の一年~行事とお祭り~/村の仕事/食べ物/貝野の子供の遊び/

 
奈良の地域広報誌「奈良リビング」を見ていると、「貝野の子供」という本の広告を見た。その広告文には「越後・妻有郷の生活と遊び」「失われた時を求めた生活記録」「我が故郷はそこにあった」と記されていた。「貝野」という地が新潟県のどのエリアにあるのか知らなかったが、「越後」という言葉から、私は今は亡き父を思い出した。私の父は昭和4年、新潟県東頚城郡大島村(現:上越市大島区)で出生した。

 4月中旬、職場へ向かう通勤電車の中でその本の広告を見た。その夕刻には、大阪・千日前にある「ジュンク堂書店」へその本を探しに出かけていた。書店での書名検索サイトですぐにその本は見つかり購入した。帰路の近鉄電車の中で読んだ。その時代の、越後の村の子どもたちの生活が生き生きと記録されていた。

 この本をまとめられたのは、昭和25年に貝野小学校を卒業された有志だという。体験、見聞したものを思い出しながら本にまとめ刊行するという情熱に感服せざるをえない。記録し後の世に残すことは文化を伝えるということなのだ。

 この本は、越後・貝野村に関して記されていたが、私は読みながら、越後・大島村での父の子どもの頃の生活と、山奥の村から小さなトランクに荷物をつめて関西へと出てきた時の希望と不安が如何なるものだったのかを想像した。

 父がまだ元気だった頃、「もう一回、大島村へ行こう!」と私は父に言ったことがあった。その時、確かに父は微笑んだ。父が亡くなる前、まだ意識があった時に私の妹に「帰りたい!」とつぶやいたという。そのことを妹から聞いて確かめようと思ったが、私が駆けつけた時には、父の意識はなくすぐに息を引き取った。それは「どこに」帰りたかったのか、「鶴橋の大成通」かそれとも「東頚城郡大島村」なのか、確かめることは出来なかった。

 私は小学校4年生だった時に、一度だけ父の故郷・大島村を訪れたことがある。大阪駅から夜行列車で直江津まで、一駅か二駅向こうの駅で私鉄に乗り換え、終点で降りてそこからバスに揺られた。バス停から耕うん機の荷台に乗って、父の生まれた家に着いた。長野との県境の山々が見えた。子どもながらに山の奥だったという強烈な印象が残っている。

 「貝野の子供」という素朴で素敵な本を読みながら、私は確かに父の姿と歴史を思い浮かべた。五男として生まれ、山村から都会へと出てきた尋常小学校卒しか学歴のない無名な若者が、固い消防士という職業を選び、劣等感を抱きながらも普通に生き、三人の子どもたちを育て、すべて大学を卒業させた。学歴では子どもたちに劣等感を味あわせたくないという無名な父親の確かな人生だった。

 つねづね、今一度は父の故郷を訪ねておかなければならないと思い続けている。この本を読み、その想いがより一層強くなった。

「時刻表1000号」を見ながら祖母を思い出して

Img_0002  JTB発行「時刻表」が2009年5月号で通巻1000号を迎えた。大正14年(1925)4月に、日本旅行文化協会刊「汽車時間表」として創刊されて、83年あまりの長きにわたり活用されつづけてきた。最近は、インターネットで鉄道の時間・経路は検索できるようなになった影響で、「時刻表」の販売部数は減少しているのが現実のようだ。

 私は、鉄道ファンではないが、鉄道好きである。年2回ほど「JTB時刻表」を購入して部屋に置いている。ふと思い立った時にそれを手に取り駅名と数字の羅列を見ながら楽しむことがよくある。焼酎を飲みながらほろ酔い気分で「時刻表」を見ていると、旅しているような気分に浸れる。想像力サーフィンのようなものだ。

 インターネットでは現実的な経路と費用を検索することだけに利用する。一度、「時刻表」での楽しみのようにインターネットの時刻表を利用してみたが、「時刻表」のページを繰る速さ、ページからページへの移動の速さと比べて劣る。必然的に想像の世界が鈍くなってしまい旅心が生じてこない。だからこそ、私は「時刻表」愛好者である。

 今は亡き祖母は、岐阜県・大垣市がふるさとで、年2回程度は幼い私を伴い帰郷していた。私が小学校低学年だった時、祖母は私に小さな時刻表を手渡し、時刻表の調べ方を教えてくれた。「茂、おばあちゃん小さな字が見えにくいから急行比叡号の時間を調べてみて」と実地問題を出した。

 行きの大阪駅発は何時のがあるか、大垣駅着の時間は、帰りの大垣駅発の時間は、大阪駅着の時間は、行きは大垣には昼に着きたい帰りは大阪駅に夕方につきたい。途中の米原駅では何分停車するのか、その作業の中で、私と祖母が乗る列車を選択した。決まればすぐに二人で鶴橋駅のきっぷ売り場へ、乗車券と急行「比叡」の急行券を買いに出かけた。

 いつの日だったのだろうか。小学校3年生の時だったように思う。大垣駅からの帰路、急行「比叡」の中で、私に小さな時刻表を手渡し、米原駅で何分停車するのか聞き、米原駅に到着するやいなやホームに降り立ち駅弁を買う祖母の後ろ姿、45年以上前の情景を私は 「JTB時刻表1000号」を繰りながらふと思い出した。

「風来饅頭」を食べて

 4/24(金)夜、職場帰りに鶴橋駅で途中下車した。居酒屋「一福」で飲み、ほろ酔い気分で、徒歩3分のところにある「比売許曽神社」へ立ち寄った。喧騒の表通りから少し入ったところに神社はある。鶴橋の実家に寄る時は、深い意味合いなどはないが概ね立ち寄ることにしている。

 本殿へ拝礼して後に、帰り際に、神社入口近くをふと見ると、若い女性がひとり暗がりで佇んでいた。一瞬目があった。拝礼する私の後ろ姿を見ていたのだろうか? その若い女性も何らかの想いで立ち寄ったのだろうと想像しながらも、私はただ黙って通り過ぎた。

 鶴橋駅近くの通りで夜店が開かれていた。「夜店開き」という張り紙を見ると、毎月「4」のつく日に開かれているようだ。その日も4~5軒の夜店が並んでいた。「風来饅頭」という文字が飛び込んできた。最初、「風来」という言葉から「風来坊」、「フーテンの寅」を思い浮かべた。どんな饅頭なのだろうとその店の前に立った。あっ!ああ~!これはあれだ。ひょんなことから忘れ去っていたことが、突然に思いだされてきた。それは、私が幼かった頃、夜店でよく買って食べた「フライ饅頭」だった。

 「おっちゃん、一個ちょうだい!」とポケットから100玉を取り出して、フライ饅頭一個を買ってその場で食べた。あげたてのほかほかのフライ饅頭を食べながら、4/24(金)20:30~20:35の5分間、懐かしい味わいに一瞬にして、55歳の私が10歳の僕へとタイムスリップしてしまった。

2009年4月21日 (火)

「2009近畿まほろば総体」開幕まで、あと100日足らず!

1_081  4/19(日)、今年の夏に開催される「2009近畿まほろば総体」が近づいてきた。近鉄奈良駅構内の案内板は、開幕まで、あと「100日」を示していた。奈良県が主会場として、開催される高校総体(インターハイ)は初めてである。

 長年、全国各地で、日本の夏の一番の季節に開催されていた。待ちに待った奈良県開催となった。私自身は、若者たちのスポーツの最大の祭典が県内で初めて開催されるというので、待ちに待った楽しみでわくわくそわそわしている。県内の盛り上がりはいかがなものか?

 恐らく私が生きている間に、高校総体(インターハイ)が奈良県で開催されることはないだろう。今年の夏は、さまざな若者たちが取り組むスポーツを見てまわる計画を抱いている。日本の夏、一番の季節に、汗まみれでスポーツに真剣に取り組む姿を私は何よりも観たいのだ。

「2009近畿まほろば総体」公式サイト

近大付属幼小、奈良・あやめ池遊園跡地へ

 4/21(火)朝日新聞朝刊によると、近畿大学は、4/20(月)、東大阪市内の同大学付属幼稚園・小学校を2010年春から、奈良市・あやめ池遊園跡地に移転すると発表した。合計定員は幼稚園180名、小学校720人を予定しているという。

 近鉄奈良線・あやめ池駅前に、あやめ池遊園地があった。その跡地は閑静な場所にあり、文教エリアとしては申し分ない。その駅も来春には、子どもたちの姿で賑わうのだろう。

サッカーW杯日本招致 政府が財政保証

 4/20(月)日本経済新聞夕刊によると、同日、政府はサッカーW杯日本招致を支援するため、運営資金不足に備えて財政保証をする検討に入った。2002年日韓大会、2006年ドイツ大会は黒字を計上したが、日本招致が実現し大会開催され、もし赤字を計上することになれば、政府が赤字補填の財政保証をするというもので、国を挙げて招致するというアナウンスメントだ。

2009年4月19日 (日)

「春日藤まつり 盆藤展」に出向いて

1_025  4/19(日)9:00、近隣の隣組の地域清掃と続いて総会があった。残念ながら、ソレステジュニアユースのゲームを観戦できなかった。悶々としながら昼を迎えた。洗濯日和だった。自分自身の衣類を洗濯し庭に干した。夏の日のように暑い日だった。大好きなその日差しに誘惑されて、「盆藤展」(ぼんとうてん)に行こうと即断した。思いつきと同時の行動が早いのは、私自身の見てくれとは相違するのかもしれない。まさに発作マグマである。

 近鉄奈良駅から徒歩10分、国際奈良学セミナーハウス(旧世尊院)で開催されている「春日藤まつり 盆藤展」へ出かけた。「盆梅」は一般的だが、「盆藤」を私はあまり知ることもなかった。

 国際奈良学セミナーハウス(旧世尊院)に私は初めて入った。趣のある場所だった。会場に入るなり、甘い藤の花の香りが漂っていた。薄紫の藤の花が、小さな空間で美しく咲き乱れていた。「盆梅」にはない引き込まれるような妖しい美しさが「盆藤」にはある。

  私は「盆藤展」がいつから始まったのかは知らない。昨年から始まったのだろうか? 「盆藤」を初めて観て魅了された。来年もまた、「藤」の美しさに出会いたいという想いが募った。



★ 春日藤まつり 盆藤展 ★

【日時】 4/18(土)~5/3(日) 9:00~16:30
【会場】 国際奈良学セミナーハウス(旧世尊院) 県庁東バス停下車
【入場料】 大人400円 小学生200円

4/18(土)は白い包帯に包まれて歩いた!

 4/16(木)から私の右手は白い包帯に包まれている。職場近くの病院で診察してもらった。次回は4/18(土)の通院となってしまった。土曜日、せっかくの休日であるにも関わらず、朝一番で、通勤電車に乗るように近鉄八尾駅で降り、職場近くの医院へ出かけた。心の中で、何で休日なのに職場近くまで出かけなければならないのかと、白い包帯で包まれた右手をさすりながら不満たらたらつぶやき出かけた。

 診察が終わり、すばやく近鉄八尾駅から準急に乗り鶴橋駅で降りた。徒歩15分、母のいる介護保険施設を訪ねた。顔色もよく元気そうだった。食欲もあり睡眠も十分に摂っているという。部屋で話をしていると、職員の方が来られ体重を計測していただいた。体重は23.5キロだった。母は職員に、以前計測した時よりも増えているかどうかを確認した。気になるようだった。

 一端、施設を出て、近くにある「ライフ」に小さなノートと筆記用具を買いに出かけて母に渡した。墓参りに出かけられるかどうか、施設の人に確認して欲しいという言葉を残して施設を出た。

 鶴橋駅近くの中華料理「眠眠」で八宝菜定食を食べた。地下鉄に乗り、国立国際美術館を訪れた。土佐堀川沿いを船津橋近辺まで、その延長で中央通り沿いに九条商店街まで歩いた。映画館「シネ・ヌーヴォ」でパンフレットをいただき、阪神・九条駅から直通、乗り換えなしで近鉄奈良戦・富雄駅まで戻ってきた。

 以上が、4/18(土)の私の行動だった。本来ならば、午前中の行程で終了を予定していたものが、突発的な「右手アクシデント」により計画変更を余儀なくされてしまった。ただ、久しぶりに大阪の町をさまよい歩いたような気がする。肉体的にはどうかは解らないが、それもまた精神衛生上は良なのだろう。

「杉本博司 歴史の歴史」と安藤忠雄の建築

1_006  4/18(土)午後、大阪・中之島にある「国立国際美術館」へ出向き、「杉本博司 歴史の歴史」展を観た。1月に金沢で開催された。私にとっては、冬の金沢、春の大阪でと二度目の観覧となった。同じ展覧会を二度つづけて観たのは今までに経験がない。私自身の微弱な感性の根底にあるものが激しく震えたからなのだろう。

 あの「ボーデン湖 ウットヴィル」ほか、合計9枚の海の写真があった。金沢では360度の円の外周に沿い飾られ、その中心に十一面観音立像があった。大阪では、やわらかい曲線の壁面に横一列で9枚の写真が並んでいた。横幅の長い展示室の中に長いすが置かれていた。そっと座って9枚の写真を観た。私の前方180度の角度の中でモノトーンに近い海が広がっていた。十一面観音立像のような想いが涌いた。

 さまざまな作品と収集品を時間をかけてゆっくりと観てまわった。余りにも刺激的だった。男女を問わず若い人々が多いのに驚いた。中心年齢が30歳代だろうか? 彼らの姿を見ているとほっとした気持ちになる。日常生活の重みを感じ始める年代に、「アート」に触れるという時間を自ら選択したのだ。

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 「国立国際美術館」は建築家・安藤忠雄が設計した建築である。地上面は写真の通りにパイプが曲線を描きうねっていた。一瞬、ここがほんとうに美術館なのだろうかと思ってしまう。正面の入口から入り、長いエスカレーターを下ると地下2F、3Fが展示場になっていた。地上からでは想像もできないほどのスペースが広がっていた。エスカレーターに乗って地下に下り美術館に入るというのは、実に不思議な感覚だった。まさにモダンな地中美術館だ。

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 巨大な高層建築の地中には、「アート」は存在しない。「国立国際美術館」の地中では、「アート」は存在し続ける。人は目に見える場所で何かを創り出そうとする。しかし、人は日々の中で、ほんとうは目には見えない場所で何かを創り出そうとする営為を積み重ねているのだ。地上でのパイプの曲線の先は、まるで槍のように天空を指し続けていた。

「国立国際美術館」公式サイト

小説「泥の河」の三つの橋に立ち寄って

 4/18(土)午後、「杉本博司 歴史の歴史」展を見て、地下鉄肥後橋駅へ戻ろうと思った。土佐堀川の橋を渡りながら河口の方を見ていると、この河を下った場所が、宮本輝「泥の河」の舞台となった場所だったことを思い出した。その原作を映画化した小栗康平「泥の河」のモノトーンの映像が浮かんできた。行ってみようと思い立ち、土佐堀川沿いを15分ほど歩いた。

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 大阪中央卸売市場近くの河岸から堂島川に架かる船津橋を眺めた。遠くに白い高層ビルが聳え立っていた。

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 大阪中央卸売市場近くの河岸から土佐堀川に架かる端建蔵橋(はたてぐらばし)を眺めた。船津橋を渡るとすぐに端建蔵橋が続いている。その端の中央から海の方角を望んだ。海は見えなかったが、濁った深緑の河面の向こう側に「住友倉庫」の建物が見えた。

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 端建蔵橋を渡り右に折れると木津川に架かる「昭和橋」だ。木津川を少し下った所に「木津川橋」がある。その橋の上から「昭和橋」を遠望した。「昭和橋」のたもとに、「橋和昭」と刻まれた石がその昭和30年代初頭当時の面影を残していた。

Img  宮本輝「泥の河」は処女作で、1977年(昭和52年)太宰賞受賞作品である。私が社会人となりすぐに結婚した当時にその小説を読み、小栗康平が映画化した作品を観た。その時、強烈な感銘を受けた事実は、幾星霜を隔てた今、その橋を訪れたことからも証明される。「泥の河」の冒頭の一文は、このように書かれている。

「堂島川と土佐堀川がひとつになり、安治川と名を変えて大阪湾の一角に注ぎ込んでいく。その川と川がまじわるところに三つの橋が架かっていた。昭和橋と端建蔵橋(はたてぐらばし)、それに船津橋である。」と。

 河のほとりに住む少年と廓舟に暮らす姉弟との交流と哀歓を描いた短編小説の名品である。その冒頭の一文に記された三つの橋は、当時の面影はなく何の変哲もないどこにでもある橋なのだが、少なくともその橋の名は私にとってずっとずっと心の中で刻み込まれている。

2009年4月18日 (土)

「奈良まほろば館」が、4/4 東京・日本橋にオープン

 首都圏における奈良県の情報発信基地「奈良まほろば館」が、4/4(土)に東京・日本橋にオープンした。さまざまな記念イベントが行われ盛況であるという。県産品ショップには多数の「奈良ファン」が訪れているという。江戸文化発祥の地・日本橋で、わが奈良県はいかなる情報発信と首都圏の人々に「奈良まほろば」の価値を伝達できうるのだろうか?楽しみである。最近は、東京へ出向く機会はまったくなく、いずれで向いた折には立ち寄りたいと思っている。

 今、東京国立博物館で「阿修羅展」が開催されている。多くの人々が展覧会へ出向いてるようだ。東京へは行けない。残念、無念、「阿修羅像」の背面を拝顔できない。「阿修羅像」を拝顔された方もいらっしゃると思う。その折に、「奈良=大和」を思い描いていただければ、
 「大和は国のまほろば たたなずく青垣 山こもれる 大和しうるはし」
 首都圏ご在住の方々も、一度は東京・日本橋にある「奈良まほろば館」へ出向いていただければ幸いです。

「奈良まほろば館」公式サイト

「スポーツ庁」新設構想を前向きに検討

 4/18(土)日本経済新聞朝刊によると、「麻生太郎首相は4/17(金)、教育再生懇談会で『スポーツ庁』新設を前向きに検討する考えを表明した。」 スポーツに関して行政面では、文部科学省、厚生労働省、総務省などにまたがっているのが現実である。振興、改革において、省間の調整が難航するケースもただ存在する。行政機構の一本化により、スポーツ振興、トップアスリート養成を主眼とした構想の実現化をめざしている。

 わが国が「スポーツ振興」という施策を推進しているにもかかわらず、都道府県においてはその理解度、実践力に差が生じている。「スポーツ振興」の推進状況は、縦割りの行政組織に固守している都道府県は改革スピードが遅く、横断的な行政組織を導入している都道府県は改革スピードが速い。国レベルで一元化することは、都道府県全体に対しての国の方針・施策の徹底の観点からも、スポーツに関する重要な機構改革であると考える。

「愛」と「また旅人なり」

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 大阪・長居スタジアムのバックスタンド下に、「大阪市立長居ユースホステル」がある。その入口近くに写真のような毛筆で書いたものが掲示されていた。毛筆とユースホステルという取り合わせに興味が涌いた。ユースホステル入口へと向かいまわりを見回すとポスターがあった。私は理解した。ユースホステルで習字教室が開講されているのだ。

 左の写真は、さままな「愛」とい文字を毛筆で表現していた。人それぞれに「愛」という文字から、「愛」を感じている。その「愛」というものは、どこにでもあるものなのだろうか? それとも数少ない一部の人のみの崇高なものだろうか? いずれにしろ、人は「愛」を求めて生きる。

 右の写真は、松尾芭蕉「おくのほそ道」の名文を毛筆でしたためたものである。「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也・・・・・」。芭蕉は、「漂泊のおもひやまず」と書き記した。生きることは旅であり漂泊なのだ。

 人は、人間や森羅万象を対象としての「愛」を求めて「旅」に出る。一瞬に「愛」を得ることはできない。ただすべてをかけた「漂泊」の中から「愛」は産み出されるのだろう。私はほんとうに「愛」を求めて行動しているのだろうか?

「大阪市立長居ユースホステル」公式サイト

日本サッカー協会選手登録数 7年ぶり減少

 4/11(土)朝日新聞朝刊によると、(財)日本サッカー協会(JFA)は、4/10(金)、2008年度の選手登録数が889,288人で、前年度と比較して0.05%減少したと発表した。JFAの選手登録数は過去7年間、前年度比増加傾向にあったが、7年ぶりに減少した。主因は少子化による子ども数の減少、スポーツの中でサッカーを選択する子どもたちの減少と見られる。

 かつては、サッカー関係者が、なんら積極的なアクションを起こさずとも子どもたちがサッカーの世界へと入ってきていたが、JFAのみならず地域クラブにおいても、今まで以上に積極的な働きかけをもってサッカーの楽しさ・面白さを子どもたちへ、サッカーというスポーツの意義を保護者へ、広報すべきターニングポイントを迎えているのが現状であろう。

「地域クラブ私論」(6)

2 マ-ケティング
2-1 外部環境の分析(1) PEST分析

Political:政治・法律)
 
2000年に文部科学省が、生涯スポ-ツ社会に向けた地域スポ-ツ環境の整備充実方策、我が国の国際競技力の総合的な向上方策、生涯スポ-ツ及び競技スポ-ツと学校体育・スポ-ツとの連携方策を盛り込んだ「スポ-ツ振興基本計画」を策定した。

 
2000年に厚生労働省が第3次国民健康づくり対策「21世紀における国民健康づくり運動」で超高齢社会に備えて国民の健康課題である「栄養・食生活」「身体活動・運動」「休養・こころの健康づくり」等9分野で到達すべき数値目標を設定した。幅広い年齢層におけるスポ-ツ需要の拡大による地域スポ-ツクラブとしてマ-ケット確保と参入機会が生じている。

Social:社会・文化)
 
200512,776万人だったわが国の総人口が、2025年には11,927万人と849万人減少する。年齢別に見ると、年少人口(014歳)は557万人減少し、生産年齢人口(1564歳)、も1,313万人減少する。それに反して、老齢人口(65歳以上)1,068万人増加する。

 
年齢別人口割合で見ると、25年後には年少人口の割合が13.917%から10.02%と3.89%減少し、老齢人口は20.09%から30.48%と10.39%増加する。人口減少社会、超高齢化社会、小子化社会が確実に到来する。 高齢者の健康維持、体力つくり等の健康に関心がある人が増加しているためスポーツのニーズが顕在化し、地域の中でのスポーツの受け皿の創出が急務となってくる。

Economical:経済)
 
わが国のGDP(国内総生産)も過去数年の実質経済成長率は概ね2%を確保し、完全失業率も低下傾向にあった。それに伴い全産業における現金給与所得総額も安定してきたが、昨今の急激な経済不況の影響を受け、今後は実質経済成長率、完全失業率、現金給与所得総額も悪化する傾向は否めない。

経済情勢が悪化している現状の中で、スポーツに対する資金投下額が減少傾向を示してはいるが、スポーツに対する人々の強いニーズは存在し続けている。不安定な経済情勢の中であるがゆえに、今まで以上に健康・リフレッシュという肉体的・心理的な意味においての価値を創造するスポーツ環境が望まれている。

Technological:技術)
 
急速なパソコン普及、インタ-ネットなどの情報伝達技術が飛躍的に発達し、かつては想像もできなかった情報化社会が日常的に実現化された。発信機能・情報伝達機能・ネットワ-ク機能などを活用した新たなホスピタリティの提供を地域社会においても可能とすることができる。

年度

実質成長率

(前年比%)

完全失業率(%)

現金給与総額(前年比%)

2003

2.1

5.1

0.9

2004

2.0

4.6

0.3

2005

2.4

4.4

0.7

2006

2.3

4.1

0.1

             












(総理府「日本の統計 内閣府・厚生労働所統計」より

年度

総人口

年少人口

014歳)

生産年齢人口

1564歳)

老齢人口

65歳以上)

2005

12,776

1,752

8,409

2,567

2010

12,717

1,647

8,128

2,941

2015

12,543

1,484

7,680

3,378

2020

12,273

1,320

7,363

3,589

2025

11,927

1,195

7,096

3,635

















(日本の人口・世帯「人口の推移と将来人口」より) 単位:万人

2009年4月14日 (火)

こころよりからだへ からだよりこころへ

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  4/11(土)大阪・長居スタジアムの正面広場で、モニュメントを見た。そこに碑文が刻まれていた。

「こころよりからだへ からだわがいとしきものよ あひともにこのおもきつちけりてかなたへ」

「からだよりこころへ こころわがたのもしきもの たずさえてはしりたたへむこのつちをこそ」

 
私は幾度、長居スタジアムを訪れたのだろう。このモニュメントにいままでまったく気付かなかった。サッカーで大切な視野確保を怠っていたのだ。空に突き刺すような2枚の壁、二つに割れた球体。このモニュメントは、イスラエルの彫刻家ダニ・カラヴァンの作品だった。コンクリートの壁面に刻まれた言葉は、わが国の現代詩人の詩だという。調べてみたがその詩人の名はわからなかった。ただ、その言葉はスポーツそのものを表現した美しさに満ちていた。

4/9(木)夜、息子から電話があった!

 4/9(木)21:00、信州にいる息子から携帯に電話がかかってきた。今年の正月から会ってはいないだけでなく、私の方から電話をかけることも、また、かかってもこなかった。久しぶりの声を聞いた。奈良はすでに桜が満開だと伝えた。長野は桜の気配もなく、まだ寒いと言う。

 住んでいるマンションは同じだが部屋が変わった。股関節が激しく痛み、休養をとりトレーニング・ゲームを休んだ等を息子は私に伝えた。祖母の具合も心配して聞いてきた。鶴橋の実家近くの施設に入り元気だということを伝えた。最後に、「4/11(土)から、リーグ戦が始まる!」と言った。「ああ、そうか、また長野へ行くわ!」と自然にその言葉が出た。

 久しぶりに父親に電話をかけてきて、一番伝えたかったのは何だったのだろうか?とふと考えた。部屋が変わったことか? ケガをしていることか? それとも祖母の体の具合なのか? 電話から聞こえてくる息子の声の抑揚から、息子が私に一番伝えたかったことは、「北信越フットボールリーグ戦が始まる!」ということなのではなかったか? 自分自身の意思表示と父親に対するささやかな報告を、リーグ開幕2日前に伝えたのだろう。と私は身勝手に解釈している。

 息子が小学生だった頃、サッカーの試合の前夜、楽しみでしょうがなく、はしゃぎまわっていた時のことを思い浮かべた。信州から私に電話をかけてきた夜、ケガをした憂鬱な気分など感じさせず、おそらく子どもだったころと同じようにワクワクとしていたのかもしれない。その気持ちを誰かに伝えたかったのだろう。

 ケガをしてゲームには出場できないかもしれないが、その状態であったとしてもチーム、クラブのために貢献できることはいくらでもある。好きなものに夢中になればよい。やりきることで何かが産まれる。父親としては、その取組み姿勢と奮闘を祈っている。
 5/17(日)、AC長野パルセイロ対松本山雅FCの「信州ダービー」へ必ず出向く。

TVドラマ 「駅路」を観て

Img_0002  4/11(土)夜、テレビドラマ「駅路」を観た。2時間集中してテレビを観たのは久しぶりだった。この10年ぐらいはテレビを観ることが極端に少なくなってきた。子どもの頃は夢中でよく見たものだが、最近は夕食の時にBGM代わりに見るぐらいだ。概ね、本を読んだだり、音楽を聞いたり、インターネットで調べたりしている時間の方が楽しい。ではなぜ、松本清張原作の「駅路」を観たのか?

 今年は作家・松本清張生誕100年にあたる。その記念出版として、光文社文庫で「松本清張短編全集」全11巻が、2008年9月から毎月1冊刊行されている。今月まで8冊が出版されているが、そのすべてを通勤電車の中で読んだ。

 「社会派推理小説」というのだろうか。大学生だった時もよく読んでいた。妻の今は亡き父親も清張ファンだったらしい。その影響か妻もまた同様に愛読していた。生誕100年ということで、松本清張の作品を読み直していた。戦後という色合いが濃厚に立ち込めた作品は、学生の時に読んだ以上に面白さを抱いた。

 4月始めに町の書店で、新潮文庫の「駅路」を買い読んだ。定年を迎えた男のはかない顛末だった。その文庫本の、「TVドラマ化」、脚本が向田邦子、出演が役所広司、深津絵里という文字が目に飛び込んできた。どんなテレビドラマとなるのか興味が涌き見たいと思った。

 テレビドラマ「駅路」を見終わって、その余韻に酔った。いいドラマだった。一緒に見ていた妻に私は言った。「よかったなあ!」「主演の役所広司、深津絵里もよかった!」と。しかし、無言の世界だけが広がっていた。私の言葉で余韻を妨げられたくなかったのだろう。私もまた、あと4年で定年を迎える。定年というその駅にたどり着き、分岐路を迎える。その「駅路」ののちの顛末を、私はいかなるものとしようとするのだろうか?

2009年4月12日 (日)

第87回関西学生サッカーリーグ(前期)開幕!



 4/11(土)、第87回関西学生サッカーリーグ(前期)が開幕した。大学サッカーのひのき舞台である冬の大学サッカー選手権大会への出場権を勝ち取るための長丁場の闘いがスタートした。大学サッカーファンのひとりとして、長居スタジアムで行われた開会式と開幕戦に出向いた。

 奈良県勢は関西学生サッカーリーグの2部リーグAブロックで奈良産業大学、天理大学が出場する。注目の一戦、残念ながら私個人的な注目でしかないのだが、「大学サッカー2部リーグ奈良ダービー」は、前期最終戦の7/5(日)13:00奈良産業大学グラウンドで行われる。

 3部リーグAブロックでは帝塚山大学、Cブロックでは奈良教育大学、奈良大学が出場する。「大学サッカー3部リーグ奈良ダービー」は、3部リーグ開幕戦の4/26(日)15;15京都・大谷大学グラウンドで行われる。

 奈良県勢大学サッカー部の健闘を心から祈る!

「関西学生サッカー連盟」公式サイト

類は友を呼ぶ春か?

11_055  4/11(土)午後、彼らは見つめていた。大阪長居公園にある長居スタジアムに隣接した長居第二陸上競技場のゲートの前で。偶然にその前を通りかかった。彼らは何を見ているのだろう? と素朴な好奇心が働いた。

 私と同年代かそれ以上の年代の方々だった。私は自然と右側から二人目の男性の横へ歩みより、ゲートの間から競技場内を見た。あっ! そうなのか、彼らはそれを見ていたのだ。私もまたその一段の同類となった。もし、彼らに話しかけ、桜の下でビールを飲みながら話をしましょうと声を掛け実行したならば、すぐにでも友だち気分になれただろう。類は友を呼ぶ。

11_056  私は確かに見た。一生懸命にトラックを力走する名も知らぬ若者たちを。ゲート前に佇みその隙間から、かつての遠い日に若かった者たちは、黙してじっと見続けていた。私は、若者たちの力走をみながら、確かに私の中学校・高校時代をふと思い出した。私の傍らで見つづけているかつての若者、今は壮年の人々にはどのような光景を思い出しているのだろうか? とふと想った。




11_060  何かに誘われて、長居第二競技場内に入ろうという好奇心が私を突き動かした。競技場正面に掲げられた小さなコピー用紙の高校生が群がっていた。近づいてそれ見ると、レース結果が掲載されていた。男女高校生の後ろ姿をほほえましく見ながら、40年近く前の自分自身の姿を見た。そうだ。私は大阪市立玉津中学校陸上競技部に所属していた。誇れる成績などはない。能力などと関係なく、ただ走ることが無性に好きな少年だった。長年忘れていたそのことを思い出させてくれた。



11_057  競技場正面の受付で尋ねた。「これは何の大会ですか?」 帰ってきた答えは、「陸上です!」 と。ちょっと違うんだなあと心の中でつぶやいた。誰が見てもサッカーには見えない。今一度尋ね返した。「この競技場で行われている陸上競技の大会名は何というのですか?」と。「大阪の陸上競技の記録会です」と答えていただいた。「プログラムはありますか?」と聞くと、競技場内の本部にあるというので、その場所まで出向いた。

 親切そうな担当の壮年男性は、私の顔を見るなり「年鑑ですか?」と聞いた。目の前にあった。「これ下さい。それとプログラムを!」 「大阪陸上競技年鑑2009」(1,000円)とプログラム(300円)を買ってしまった。その時、プログラムを見て、初めて今眼前に繰り広げられている陸上競技の大会が、総勢2400名余りの一般・高校生が参加していた「平成21年度 第2回大阪陸上競技記録会」であることを知った。

11_062  私がその時見たのは高校男子400m走だった。最終コーナーから直線に掛かってくる若き走者たちは肉体と精神の限界の苦悶を出しながら、なおもゴールを目指していた。そこに能力・成績などは微細なことでしかない。桜咲く春、偶然にも、一生懸命に取り組む「類」を観た時、彼ら若者たちの奮走に、私は心からの声援を贈りつづけたいという想いを抱いた。

「地域クラブ私論」(5)

1-3 ビジョン達成に向けた具体的な目標(数値目標、具体目標)

「地域クラブ」としてクラブの根幹に「フットボールクラブ事業」を置く。従来の事業の見直しと新たな事業展開をめざす。「地域クラブ」としてのニ-ズに対応して別事業として「うぶすなシューレ事業」を位置づける。その中の「スポ-ツ」のカテゴリ-部門を「スポ-ツシュ-レ」とし、カルチャー部門を「カルチャーシューレ」とする。

 地域の中で既存スポ-ツ・カルチャー団体が実施している種目・教室については回避しながら、実施されていない種目・教室を念頭において、「チーム」ではなく「教室」(スクール)として随時プロダクトを創出していく。サスティナブル(持続的な)クラブとして、ビジョン達成に向けて下記の具体的目標に取り組む。

【クラブ事業】

● 2012年度末までに「うぶすなシューレ」の中で、「スポ-ツシュ-レ」部門 5教室を創設する。

・第1タ-ゲット(子ども)3種目

・第2タ-ゲット(3050歳)2種目

● 2012年度末までに「うぶすなシューレ」の中で、「カルチャ-シュ-レ」部門 5教室を開設する。

・第1タ-ゲット(子ども)3種目

・第2タ-ゲット(3050歳)2種目

● 賛助会員数の増大 (毎年20会員)

2012年度末には 100

● 2012年度末までにクラブハウス機能を有したクラブ事務所を開設する。クラブ機能の集積とコミュニケ-ション機能の充実を目的とする。

2012年度末までに登美ケ丘北中学校・二名中学校に屋外夜間照明施設の設置を実現する。行税・学校・地域に対しての継続的な折衝と行動を実践する。
● クラブ全体の中で「支える」人材としてのボランティア数を増加させる。

● 継続的なクラブ経営のための収益改善を目的としての会費設定の再検討と見直しを図る。

● 2012年度末までに職員2名・常勤アルバイト3名を雇用する。(指導者1名・事務職員1名・常勤アルバイト3名)

● スポーツ&カルチャ-に関しての講演会を開催する。 年 1

【フットボールクラブ事業】

● プレ-会員数増大 新規加入会員(毎年40名)

現在フットボ-ル会員数 160名  2012年度末には 210

(新規加入会員40名 退会30名 年間純増会員数10名)

● ジュニア・ジュニアユース・社会人以外のカテゴリーの創設を検討する。

● 2012年度末までに社会人は、関西サッカーリーグDivision2へ加盟する。

● 2012年度末までにジュニアユ-スは関西大会の常連クラブとなる。

● 2012年度末までにジュニアは奈良県大会ベスト4の常連クラブとなる。

● 毎年、各カテゴリ-におけるトレセン・選抜選手を輩出し増加させる。

● Jリーグ・JFL・地域クラブ・大学・高校で、サッカー選手・審判・関係者として継続してサッカ-に取り組んでいるソレステレージャ奈良2002出身者(クラブ創設以前の出身者を含む)を増加させる。その数値を公表資料に基づいて毎年、把握、検証する。

● スタッフのレベルアップをめざす。指導・審判・マネジメント他の日本体育協会・日本サッカ-協会ほかの各協会・各種団体の公認資格保有者数を増加させる。

● 指導者の学びあいの場として「コーチングシューレ」を定期に開催する。 年3回

● 外部研修会・講習会へのクラブ指導者の積極的な参加を推進する。

【うぶすなシュ-レ事業】

● 「スポ-ツシュ-レ」部門参加者  2012年度末 延べ500名(年間)

・第1タ-ゲット(子ども) 年間実施回数 30回 (3種目)

・第2タ-ゲット(3050歳) 年間実施回数 10回(2種目)

● 「カルチャ-シュ-レ」部門参加者  2012年度末 延べ500名(年間)

・第1タ-ゲット(子ども) 年間実施回数 30回 (3種目)

・第2タ-ゲット(3050歳) 年間実施回数 10回(2種目)

● 参加者への案内は、学校からのプリント配布、公民館での広報等の協力を得る。Webサイトでの積極的な広報も実施する。

● 指導員・スタッフ・ボランテイアの継続的な確保のため、地域への積極的な広報を実施する。

● 地域(二名中学校・登美け丘北中学校の両校区)の中で、「カルチャー」という切り口から、地域発信の「場」として認知される礎を築く。

● 社会教育の拠点である公民館および各種協会との連携をはかり、人材確保とプロダクト創出により、質の高いよりよい事業を計画し実施する。(つづく)

「杉本博司 歴史の歴史」展 大阪で開催

 4/11(土)朝日新聞夕刊の記事で、現代写真の前線に立つ杉本博司氏の「歴史の歴史」展が、4/14(火)から大阪・中之島の「国立国際美術館で開催されると知った。

 今年1月、「フットボールカンファレンス」に参加するため金沢市を訪れた際に、「金沢二十一世紀美術館」で同展を観覧した。不思議で刺激的な映像と空間に魅了された。世界各地の海を描いた数枚の絵に囲まれ観音仏像が立つ部屋は、私の五感をかぎりない静寂の世界へと誘った。種々雑多な収集品にも圧倒された。化石、隕石、石器、寺院の古材、仏画、仏像、宇宙食等々。

 稀有な経歴が独特な表現に結びつくものなのだろう。同氏はかつて古美術商を職業としていた時期があったという。美術家として専念するようになってから古美術の売り手から買い手へと逆転した。その収集品には独特の質の高さがあると言われる。同氏の収集の基準は「心が動くもの。目が喜ぶもの。」と簡潔である。

 同氏の作品・言葉が、私にとっては、フットボールに対する考え方にも繋がっていた。私がデジカメで何気なく写真を撮る。同氏が「日本海礼文島」の写真を撮る。いずれも「写真を撮る」という行為は同じ価値を含んでいる。しかし質的には「低」と「高」、第三者は、私が「町のデジカメ小僧」で同氏は「世界的なアーティスト」となる。

 フットボールの世界でも同様だ。同じボールを追いかけているものがあったとして、すべての者はフットボールに興じているという意味では同様な価値が生じる。しかし、そこには「愛好家」から「アーティスト」の階層が自然と形成される。

 同氏は、「アートとは技術のことである。」という。それは「眼には見ることができない精神を物質化するため」だと言う。新聞記事を執筆した編集委員の方が、「技術を伴わない表現はアートではない」「技術と精神が両輪となりアートを突き動かしている」という二つを杉本博司氏のアートに関する持論だと読み解いていた。

 フットボールの「競技」もまた「心が動くもの。目が喜ぶもの」の刺激の中で、「精神」と「技術」という両輪を積み重ねた上で、ピッチで「表現」するという「アート」なのだと思う。

 4/18(土)に、再度、「杉本博司 歴史の歴史」展を観覧するために、大阪・中之島の「国立国際美術館」へと出向く予定にしている。

「大阪・国立国際美術館」公式サイト

2009年4月11日 (土)

富雄川さくら道 2009.4.11




 4/11(土)朝、自宅近くの富雄川沿いを歩いた。行き交う人も車も、さして変わり映えはしない。いつもは何の変哲もない川沿いの道なのだが、さくらの咲く季節になると、はなやかな薄桃色の色彩にいろどられた素敵な道になる。四季折々の移り変わりの中で、このさくら咲く季節の富雄川沿いの道を私は好きである。

浮島のような「松柏美術館」

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 4/5(日)午後、近鉄学園前駅から登美ケ丘北中学校まで歩いた。奈良県が「ウォーキング立県」を目指すという新聞記事の影響を受けて、私もまた一県民として「ウォーキング」を実践しだした。

 途中、大淵池の向こう「松柏美術館」が見えた。幾度かその美術館へ出向いたことがある。気品ある女性画を描いた女流画家・上村松園の「花がたみ」という絵を思い出した。狂乱の女性を描いたあまりにも美しすぎる絵だった。その絵が浮島のような「松柏美術館」にある。今一度観たいと想いが募った。

「松柏美術館」公式サイト

「地域クラブ私論」(4)

1 クラブのミッションとビジョン

1-1 クラブのミッション

tsumugu tsunagu com.

人々がそれぞれの大切なものを「紡ぎ」、人々を「繋ぐ」、独自性をもった「コミュニティ」へ

より多くの人々が、

ふれあい、支えあい、

生きがい、希望、夢を抱ける

「スポ-ツ&カルチャ-タウン」をめざす。

1-2 クラブのビジョン

● 地域の求心力としてのサッカーをコアとした誇りあるクラブとする。

● スポーツを通じた青少年のための陶冶の場とする。

● 多世代にわたる「する」「みる」「ふれる「ささえる」地域参加型の総合スポ-ツ&カルチャ-クラブをめざす。

● スポーツ&カルチャ-の振興・普及・強化を通じて「地域」「学校」「行政」「家族」が一体となった連携システムの構築をめざす。

● 自立した地域主体のクラブを確立し、確固として存続する。

● 地域での健康づくり・体力づくり・ふれあいづくり・しあわせづくりのステ-ションとなる。

※ 私自身の個人的に思い描く「クラブ」のミッション・ビジョンを簡潔に掲載した。以降、各論へとつづく。

2009年4月 8日 (水)

関西学生選抜2チームとJリーグサテライト4クラブ 新リーグ発足へ!

 4/6関西学生サッカー連盟は、関西学生選抜2チームと関西のJリーグクラブのサテライト4チームによるリーグ戦を5月から開催すると発表した。今年度は試合方法、スケジュールは流動的であるが、将来的にはスポンサーを募集して正式なリーグ戦とするという。(4/7朝日新聞朝刊)

U-12都道府県リーグは栃木県から

 (財)日本サッカー協会はゲーム環境のあり方として、「リーグ戦文化の醸成」を掲げている。今年度から全国展開するU-12(小学生)の都道府県リーグが、全国に先駆けて4/11(土)栃木県で始まる。準備が整った都道府県から順次実施される。初年度はまず20都道府県で開催されると言う。(4/7朝日新聞朝刊)

2009年4月 7日 (火)

新・スポーツ宣言「SCネットなら」発刊

Img  2009.2.1、財団法人奈良県体育協会は、奈良県総合型地域スポーツクラブ情報誌「新・スポーツ宣言 SCネットなら」を発刊した。グラビア写真入りA4サイズ26ページにわたる素敵な小冊子だ。奈良県内の24クラブが紹介されている。もちろん、ソレステレージャ奈良2002も掲載されている。

 財団法人奈良県体育協会から自宅に送付されてきたが、ちょうど西奈良県民センターに立ち寄った時、この小冊子が並べられていた。奈良県の多くの公的施設に置かれているのだろう。

 奈良県としても「新・スポーツ宣言」と表明していることは、他都道府県に比べて遅ればせながらも、スポーツ振興に力を入れようとしている兆しなのだろうか。

「氷室神社観桜芸能奉納」

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 4/5(日)午後、氷室神社へ立ち寄った。「観桜芸能奉納」が執り行われていた。何気なく境内へ入った。多くの人々が腰掛けながら奉納行事を観覧していた。外国の方もいた。若者が隅の方で佇みながら眺めていた。最近、神社仏閣でかつてより若者を見かけることが多くなったような気がする。老若男女を問わず、何かの渇望がそのような場所へと誘われるのだろうか。

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 和太鼓奏者:神奈川馬匠と吟遊詩人:亜子米のコラボレーションが繰り広げられていた。和太鼓を打ち鳴らす音とその姿に惹きつけられた。しばし、境内の端の方で腰掛けながら、躍動的な音とリズムが自分自身の体中を駆け巡る心地よさに酔った。

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 二人のコラボレーションは、5/6(水・祝)、「やまと郡山城ホール」で、「和太鼓と詩の出会い あをによし」として開催されるという。じっくりと聴きたいものだ。

「一打一管」公式サイト

「亜子米」公式サイト

2009年4月 6日 (月)

桜の花と照明車

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 4/5(日)午後、「国宝鑑真和上展」を観て、近鉄奈良駅から電車に乗り学園前駅で降りた。昨日駐車させていた照明車を取りに、登美ケ丘北中学校まで学園前駅から徒歩で向かった。途中、西奈良県民センター横の大淵池畔に咲いている桜が目に入った。バッグからデジカメをすばやく取り出してあわただしく写した。

 登美ケ丘北中学校に到着し、照明車の使い方を一人で練習した。アウトリガー、ジャッキの設置。アーム作動に関して、起こす、伏せる、左先回、右旋回、伸ばす、縮める等。駐車していた車の女性が、何をするのかと興味深くご覧になっていた。まるでクレーンの作業員になった気分だった。

 R163の高山大橋近くのスペースにご好意で駐車させていただけるようになったので、登美ケ丘北中学校から高山大橋まで照明車を移動させた。自宅までの帰りは車が無いので、富雄川沿いに徒歩で南下した。自宅まで所要時間は50分かかった。

 富雄川沿いも桜が美しく咲いていた。ゆっくりと歩いて見ていると、桜の花から照明車に搭載しているランプを連想した。それは桜の花のようなものだ。などと馬鹿げた連想にふけった。

奈良市 氷室神社の枝垂れ桜

Photo_5  奈良国立博物館前に、氷室神社がある。奈良で一番早く咲くという枝垂れ桜だ。道沿いにひっそりと鎮座している神社だが、桜の季節となれば狭い境内も人ざかりだった。

  枝垂れ桜をカメラに収めようと、老若男女がその樹の周りに集まっていた。桜花は人々にはなやかさを伝える。桜咲く頃は、つかの間の短さではあるが、やはり素敵な季節だ。

昨日、「国宝鑑真和上展」へ出向いた!

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 4/5(日)午前、奈良国立博物館で開催されている唐招提寺金堂平成大修理記念 「国宝鑑真和上展」へ出かけた。館内は老若男女を問わず多くの人々が訪れていた。ガラスケースに収められ三方から日本最古にして最高の肖像坐像である「国宝鑑真和上坐像」を拝顔した。その御姿の神々しさに体が身震いするほどに興奮し感銘を受けた。目を閉じて瞑想する表情に、厳しさの中にも柔和な面持ちがにじみ出ていた。手を合わせたい想いが自然と湧き出てきた。ふと、振り返ると中年の女性が手を合わせ黙して祈っていた。素直にその姿に共感した。

 別の展示室で、唐招提寺御影堂障壁画、東山魁夷画伯の「濤声」(とうせい)の前で永らく佇んでいた。あたかもほんものの波が打ち寄せてくるのではないかと思うほどにその絵に魅入っていた。昨年の夏、長野市・信濃美術館「東山魁夷館」で開催された「東山魁夷展」で鑑賞して以来だった、幾度観てもその絵のすごさに圧倒される。

 鑑真和上は幾多の苦難を乗り越えわが国にやって来たときには視力を失い、日本の風景を見ることはできなかった。東山魁夷画伯は、鑑真和上の故郷である中国の風景と、日本の山、海の風景を鑑真和上に捧げた。その障壁画を眺めながら、唐招提寺御影堂という空間でそれらの障壁画を今一度観ようと決めた。

 その日の夜、妻に「国宝鑑真和上展」へ出かけ、「鑑真和上坐像」、東山魁夷「濤声」に感銘を受けたことを伝えた。妻曰く、「やっぱり行くと思ってたわ!」
 それまで一切、展覧会等の会話をしたこともない。妻もその展覧会があるのは何かの情報で知ってはいたのだろう。

 私は必ずその展覧会へ出かけると予想していたのか? 単純な私の興味と行動は、妻には予測可能なものでしかないのだろう。情けなくもあり、また嬉しくもあり。6月、唐招提寺開山基に、二人で唐招提寺御影堂へ東山魁夷画伯が鑑真和上に捧げた障壁画を観にでかけることになった。

「奈良国立博物館」公式サイト

「唐招提寺」公式サイト

「国宝鑑真和上展」公式サイト

2009年4月 5日 (日)

綺麗な女性と「とん足」

28_029_2  先月のある日、鶴橋卸売市場を徘徊していた。ある店の前を通り過ぎようとした。店の中をのぞくと綺麗な女性から声が掛かった。「いかかですか?」と。私は恥ずかしげに、「いや、いいです!」とそっけなく答えてしまった。

 隣にいた女性が、「とん足をください!」と店の女性に言った。「何本しときましょ?」「5本ください!」と聞くなり、その店の綺麗な女性は、その外見からは想像もつかないワイルドな手際で、手早くとん足を裂いた。その光景を見て、すごい!と心の中で唸った。

 その女性には、容姿の綺麗さと野生的な行動が共存していることに素直な感銘を受けた。人は見た目の綺麗さだけではほんとうの存在価値は少ない。人間もまた動物だという観点から野生を備え付けておかなければならないという基本常識を改めて認識した。

ブログアクセス解析 2009.4.5

 4/5(日)現在の総アクセス数は、139,052となっている。アクセスカウンターは左サイドバー最下部に掲載している。過去4ケ月の「ブログ解析」を確認した。過去4ケ月のアクセス数は、24,301で一日平均アクセス数は、259だった。

 ブログへのアクセス経路を見ると、
①サイト内(検索エンジンを使い、その検索した言葉でヒットした方)
②ブックマーク(ブログアドレスをお気に入りに登録してご覧いただいている方)
③ソレステ(ソレステレージャ奈良2002Webサイトからクリックしてご覧いただいている方)
④その他(Webサイト上のブログ、HPにこのブログの記事が掲載され、そのサイトを通じてご覧いただいている方)
に四分類される。

 そのアクセス数を見ると、調査対象数 14,044
サイト内 6,466  ブックマーク 4,554  ソレステ 2,212  その他 812 となる。

 サイト内からヒットした集計対象アクセス数 9,733の中から、ヒットした「言葉」をランク付けすると概ね次のようになる

①サッカー  474  ②奈良 376  ③奈良県 200  ④高校サッカー 192 ⑤ソレステレージャ 135

 
アクセス地域別に見ると、調査対象数 6,988
①大阪 2,067 ②東京 1,053 ③奈良 796 ④長野 466 ⑤神奈川 328

 
ご覧いただいている多くの方々に心から御礼申し上げます。

「地域クラブ私論」(3)

 スポーツは「文化」の一端を担っている。トップレベルのスポーツのみが「文化」ではなく、草の根からトップまでを含めてのスポーツの総体が文化的な活動である。スポーツ以外の文化的活動を「文化」という語彙を使用すれば紛らわしさが生じるので、「文化」を「カルチャー」という語彙に置き換える。

 わが国のスポ-ツ・カルチャー環境の現状を認識し、「地域クラブ」の未来像等の方向性、潮流をも勘案した上で、スポーツの領域のみならず、新たなスポ-ツ・カルチャー環境を構築すべきである。地域からの確固たる信頼を得る基盤を確立する意味において、サスティナブル・クラブ(持続可能なクラブ)の可能性を目指さなければならない。

 そのためには、多世代、多種目、多様な技能水準・興味・目的の者が参加できる地域スポ-ツ・カルチャークラブの展開が必要である。加えて、「地域クラブ」として、さまざまなその他の地域貢献事業にも取組み、多様な人々のライフステ-ジ、ライフスタイルに応じた活動ができる地域クラブ環境を創出すべきである。

 従来の「サッカー活動」という狭隘な世界に閉じこもることなく、もっと幅広く深みのある開かれた「フットボール事業」をクラブコアとして太い幹を形成しながらも、「地域クラブ」として新たな視点から多様な事業を展開していく必要がある。クラブが「スポ-ツ」「カルチャー」の両面にわたり事業展開していくこと、また、企業の世界で頻繁に言われだしている「企業の社会的責任」(CSR:Corporate Social Responsibility)を「地域クラブの社会的責任」として捉え、クラブの現実的実践としてさまざまな地域貢献活動に主体的に取り組むべきである。

「地域クラブ」は地域のハード・ソフト両面なくして存在することはできない。地域住民とクラブとの相互信頼関係の上に立ってこそ、多世代の多様なニーズに対応でき、地域の多くの人々にとっての健康で豊かなライフスタイルの構築に寄与できる「サスティナブルクラブ」(持続可能なクラブ)としての可能性を保障するものである。

※ 拙文「地域クラブ私論」は長期にわたる連載となるため、左サイドバーのカテゴリー「地域クラブ私論」欄にまとめていくことにした。

「フットボールカンファレンス」の出席認定証と報告書が届いた!

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 4/3(金)夜、職場から自宅に帰ると、過日に、金沢市で開催された「第6回フットボールカンファレンス」の美しくりっぱな出席認定証と191ページにわたる報告書が届いていた。

 本文の詳細については後日に読むことにして、巻末の「コースアセスメント結果」(評価)に目を通した。参加者の意見に対する回答と参加者の同カンファレンスに対する評価が記載されていた。興味あることがらについて抜粋して掲載する。


【開催地について】

・いろんな地域で開催されるのは良いことだと思う。・各地域で順番に開催して欲しい。という参加者の意見があった。キャパやアクセスの関係があるが、その地域にとっての有意義であると私自身もそう思う。今回の金沢開催の会場が、県庁所在地駅前という最高のすばらしい環境だった。

【参加理由について】
①勉強・スキルアップと交流のため ②地元開催のため ③最新情報を得るため
 参加理由については、「勉強・スキルアップ」「最新情報の取得」が上位を占めていた。確かに私個人にしても、なぜ参加したのかと問われれば、時間と費用を投資して学ぶためでしかなかったのだ。

【参加状況について】
年齢)①40~49歳 38% ②30~39歳 29% ③50~59歳 20% ④~29歳 9% ⑤60歳~ 4%
 概ね40歳代が多かった。私は55歳だ。60歳以上が4%と少ない。目標として60歳を超えても「カンファレンス」に参加しようと勝手な目標が生じた。

【開催時期について】
・2日間の集中開催希望
 現状は1日目は午後半日、2日目は全日、3日目は午前というスケジュールになっている。それを2日間の集中開催へと移行して欲しいという希望が多かった。私自身も3日間というよりは2日間と言う方が参加しやすいと思っていたが、準備や講師・参加者の集散を考えると無理なようだ。開催時期は、現行どおり1月が最適だと思う。

【個々のプレゼンについて】
 参加者の評価が高い順に見てみると、
①テクニカルトレンド ②リーダーシップ ③勝てるチームになるための重要な要素 
 私個人も同様であった。一番興味があるのは現代の潮流を知りたいという渇望が常にある。確かにその好奇心を充足させた。

 とりとめもなく書き連ねた。次回(2011年)は広島市で開催されると人づてに聞いた。是非とも参加したいものだと思っている。今回の参加年齢の状況で、「60歳~ 4%」と少ないのが頭にこびりついた。個人的にひとつのささやか目標が生じた。まずは参加することに意義ある。「60歳を超えてまでもカンファレンスに参加しよう!」と自分自身に言い聞かせた。

生まれて初めて「照明車」を運転して

 4/4(土)午後、大阪府大東市の自動車屋へ出向いた。自宅を出て、最寄り駅の近鉄富雄駅まで歩き、そこから近鉄電車に乗り、鶴橋駅で大阪環状線に、京橋駅でけいはんな線に都合二度乗り換え、四条畷駅にたどり着いた。その駅から徒歩15分でやっとのことで、大東市の自動車屋に到着した。自宅からの所要時間は約1時間30分だった。

Img_0001_2  自宅から車で行ったならば30分程度で到着するのだが。車を使わずに電車で出かけたのには理由がある。今日、NPO法人で「照明車」のリース契約をした。その車を大東市から奈良市のわが地域まで運転してこなければならなかったのだ。

 整備工場内で、「照明車」の使い方を実地で教えていただいた。その時はなるほどと覚えたのだが。また奈良市へ移動させてから実地で練習すればよいと思い、雨の中のR163を奈良市登美ケ丘北中を目指して、スピードも出さず慎重に運転して帰った。

 雨はやむことも無く降り続けていた。「照明車」のアームを実際に、空高く伸ばし明かりをともす練習をすることができなかった。誠に残念であった。

先週は三夜連続で居酒屋、最終は「明石焼」!

Photo_3  四月に入ってから三夜連続で仕事帰りに居酒屋へ直行した。水曜日は近鉄八尾駅近くで職場の者の昇格祝い。木曜日は近鉄西大寺駅近くでクラブユース連盟の若者と一年に一度の居酒屋逢瀬。花の金曜日というか、仕事疲れの週末、近鉄上六駅近くで職場の同僚と飲んだ。その帰りに、「明石焼」を食べながら、またビールを飲んだ。

 左の写真は、上六ハイハイタウンにある明石焼専門店「蛸八」だ。残念ながら昨晩撮ったものではなく、先月初旬に、上六の町に出た折に、持っていたデジカメで写したものだ。

2009年4月 4日 (土)

「地域クラブ私論」(2)

「地域」とは、「広辞苑」によると、「区切られた土地」「土地の区域」という意味が掲載されている。地理的、文化的な視点から「地域」は規模として「地方」と「地区」と分けることができる。「地域」という言葉を使う時に、どれぐらいの規模を想定するのかはそのクラブを想定する主体となる者にとってさまざまに設定される。たとえば、サッカーのJリーグが「地域に根ざした」という言葉を使う時、そのエリアは概ね行政単位で見れば、県、市の規模となっている。各都道府県の地域リーグの「Jリーグをめざすクラブ」も概ね同様である。

 しかし、グラスルーツの活動の中で、「地域」とは「地域社会」(コミュニティ)を意味するものと解釈している。「地域クラブ」は、最大「二中学校区」までを「コアエリア」として想定する。なぜならば、気軽にスポーツやカルチャーを楽しむための前提として、歩いてでも、自転車でも乗って出かけることができる距離範囲内が最適であるからだ。

 「コアエリア」はあくまでも拠点であり、エリア外の人々に対してもスポーツ・カルチャーを楽しむ場としての開かれた「地域クラブ」(コミュニティクラブ)であることが、ほんとうの意味での「地域クラブ」の存在価値を放つであろう。

 エリア内外を問わず、人々が「コアエリア」にスポーツ・カルチャー活動の場が存在し、また、多数の人々が集まり協力しながら魅力ある「地域クラブ」を創り出すことができれば、拠点としての「コアエリア」の独自性が産み出され、人々のネットワーク、地域社会の活性化、及びその存在意義に繋がる可能性を有している。(つづく)

鶴橋駅で見かけた托鉢僧

Photo_2 JR大阪環状線「鶴橋駅」の前で、托鉢僧に出会った。いづれの僧であるかわからないが通りすがりに見かけた。ふと記憶の奥底から湧き出てきた。

 私が小学生低学年だった頃、かつてその場所で、傷痍軍人の方をよく見かけた。その方がほんとうの傷痍軍人なのか、にせの傷痍軍人なのかは私にはわからないが、その光景が突如に浮かんできた。

「国宝鑑真和上展」のパンフレットを見て

Photo  4/4(土)~5/24(日)奈良国立博物館で、唐招提寺金堂平成大修理記念「国宝鑑真和上展」が開催される。

 「不思議だ。ただ見ているだけで、心が満たされてくる。」というキャッチコピーが、日本最古の肖像彫刻へと人々を誘う。

 そのパンフレットに掲載された国宝「鑑真和上坐像」を眺めていると、はるか昔、12年間、6度にも及ぶ多難な渡航を乗り越え、視力を失いながらも、唐(中国)から来日した名僧、鑑真和上の「信念」と「生」の圧倒的な存在感を放つ肖像に心奪われた。

 唐招提寺は759年創建で、1250年にわたり「鑑真和上坐像」は同寺の精神的支柱として大切に守り続けられてきた。現代的な閉塞感の中で、私たちの「思い」「想い」とは何かではなく、ほんとうは、私たちの「精神」とは、その「支柱」とは何かを問い続けるべきなのだろう。

「奈良国立博物館」公式サイト

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