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2009年3月29日 (日)

[山びこ学校」が歴史の幕を閉じた!

Img  3/23(月)朝日新聞朝刊の社会面に200字足らずの小さな記事が掲載されていた。【「山びこ学校」が62年の歴史に幕】。朝の通勤電車の中でその記事を読み、さまざまな想いが駆け巡った。

 「山びこ学校」とは、山形県上山市立山元中学校のことであり、その当時の在校生が書いた作文集である。なぜ、その中学校作文集が1951年に単行本化され、当時ベストセラーとなり、のちに映画化されたのか。それは戦後教育の中で゜子どもの眼がとらえた「書き方」「綴り方」「作文」の「昭和の名作」として注目されたからだ。

 その新聞記事を読んで、その夜に自宅に帰り本棚から岩波文庫「山びこ学校」を探し出し拾い読みした。文庫版は1995年7月初版と明記されていた。私はその本を41歳の時に買って読んだ。

 なぜ、中学生がそれほどまでにしっかりと書くことができたのかという衝撃を受けたことを覚えている。克明でひたむきな生活記録だ。私にとって、それ以降、子どもたちの作文集で「山びこ学校」を超えるべきものは生じてこなかった。

巻頭の「この本を読んでくれる全国のお友だちへ」からこの本は始まる。
「この本を読んでくれる、全国のみなさん、毎日お元気で、おくらしでしょうね。・・・・・学校に行ってよいという日は、ものすごく元気です。小学校の1年生でも、ビュービュー吹雪にふっとばされそうになりながら、上級生につかまって学校にくるのです。この本を読んでくれる、全国のみなさん、みなさんはどうですか。」

巻頭の子どもの詩
「雪はコンコン降る。 人間は その下で暮らしているのです。」

卒業生代表答辞(1951年3月抜粋)
「私たちは、はっきりいいます。私たちは、この三年間、ほんものの勉強をさせてもらったのです。たとえ、試験の点数が悪かろうと、頭のまわり方が少々鈍かろうと、私たち43名はほんものの勉強をさせてもらったのです。」

「私たちの骨の中しんまでしみこんだ言葉は“いつも力を合せて行こう”ということでした。“かげでこそこそしないで行こう”ということでした。“働くくことが好きになろう”ということでした。“何でも何故?と考えろ”ということでした。そして、“いつでも、もっといい方法はないかを探せ”ということでした。」

 さまざまな子どもたちが綴った文を読み直して新たな感銘を受けた。ベストセラーになった当時よりも、今まさに子どもたちが「山びこ学校」で書き綴った言葉の価値と、そこから私たちが何を実践すべきなのかを伝えてくれる貴重な羅針盤かもしれないと私個人は思っている。

 最後の「答辞」の言葉は58年前のひとりの中学生の言葉である。今を生きる大人たち、職業であるかどうかなどに関係なく子どもたちに接する大人たちである私たちは、どのように受け止めるべきなのか?

 その文庫版のあとがきで、鶴見和子さんは「“山びこ学校”の意味は、初版出版時よりも、さらに重く、深くなった。あることがらの意味は、そのことがらによって惹き起こさせることがらの総体である。“山びこ学校”の意味は、これからも私たちがこれを読みついで、それからなにを引き出すかにかかっjている。」(1995.05)と結ばれているのを心新たに感銘をもって心に焼き付けた。

「山びこ学校の信念を貫く/YOMIURI ONLINE/2007.12」 Webサイト

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