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2009年3月 5日 (木)

今日、母がケアホームへ入所した!

 3/5(木)、母が、入院中の大阪・森之宮にある病院から実家近くのケアホームへ入所した。母は、生まれも育ちも大阪・鶴橋・大成通である。80年余りにその地区に住み続けている。ケアホームは、今里新橋通、かつての市電の今里車庫前近くにある。母と私の母校・大阪市立大成小学校もそばにある。母にとって見慣れた風景の中での生活が始まる。リスタート! 長男としての不甲斐なさ、非力をつくづくと感じている。素直に言えば親不幸なのだろうと自虐的に過ごしている今日この頃だ。

 母は一級障害者であり、認知症も進んでいる。昔のことは記憶が鮮明だが、最近のことは記憶が薄れているようだ。母の病室に入ると、まず、私の名を名乗る。それは確認をしておきたいという思いがそうさせる。「しげる」という息子の存在を忘れていないかどうか。昨日の夜、病室へ入った時もそのように自分自身の名を名乗った。確かに、「しげる、忙しいのにわるいなあ!」とつぶやいた。

 以前、母は病室で自分自身の父親のことを私に話した。「お父ちゃんは、なにをしてもだめやった。勤めていた春日ゴムもつぶれるし、夜店でみかんあめを売っていたんや。お母ちゃんが一生懸命働いて女学校をだしてくれた。」と。 それは50年余りの話だった。「おとうちゃんは、なにをしてもだめやった」という言葉が、母は自分自身の父親のことを話しているのだが、私の子どもたちが、また妻が、私のことを言っているような錯覚に陥った。その言葉を聞いて、ナイフで突き刺されたように私の胸に突き刺さった。

 その話の最後に、「お父ちゃんは、下駄の鼻緒を結ぶのが上手やった。お父ちゃんは左利きやった。近所の人も、知り合いもみんな言っていた。結んだ鼻緒がゆるまないと、みんな言ってはった。」 母が私にその話をした時、笑顔が浮かんだ。母にとって自分自身の父親は、否定的な側面はあったのだろうが、40年以上前に亡くなった父親の存在は、「下駄の鼻緒」の誇りとして肯定的な思い出として残っている。それが私には救いだった。

 昨晩、病室で母の姿を見ながら、ほんとうに細く、小さく小さくなったと感じた。私が迷惑を掛けてきたことが、母をより小さく小さくしてしまったのかもしれないと思った。過去の情景が走馬灯のように駆け巡った。母は、あの路地裏へは戻れないが、今日、自分自身の生まれ育った「パトリ」(郷土)へと戻り、その地で新たな生活をはじめる。

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