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2009年3月30日 (月)

大塚製薬が小学生サッカーリーグを支援!

 日本サッカー協会(JFA)が2009年度から、U-12(小学生)年代の都道府県リーグを全国に展開する。各都道府県予選を勝ち抜きチャンピオンを決める全日本少年サッカー大会がある。それとは別に、JFAは「リーグ戦文化」の醸成をめざした小学生の都道府県リーグを創設する。1年目は30前後の都道府県協会が実施する予定である。

 旧来からU-12(小学生年代)においては、数多くのプライベートカップ戦が実施されている。それは確かに多くの子どもたちに対してサッカーゲームの楽しさを体験できる場を作り出してきたが、今後の中長期の育成・強化の観点から、「リーグ戦文化」の導入を真剣に考えるべき大きな転換点となっている。そのことを踏まえて、JFAは草の根の育成事業の改革を実施する。

 そのU-12(小学生)年代の都道府県リーグに対して、大塚製薬がスポンサー契約を結ぶことになった。支援額は総額1億円あまりとなる。不況の最中、サッカー界にとっては朗報である。

2009年3月29日 (日)

AC長野パルセイロ 2009年度の魂闘を祈願する!

 春がやって来た。桜花は美しき咲きはじめた。昨日、「AC長野パルセイロの2009年壮行会」が開催されると公式サイトで知ってはいたが参加できなかった。申し訳ない気分でいる。ただ3/21(土)、京都・今出川にある球神「白峯神宮」へ祈願をした。その地は球神で「闘魂」の守り神だ。そのお守りをいただいた。私は身勝手にも「闘魂」を「魂闘」という辞書にない単語に私自身の想いこめた。AC長野パルセイロの「闘う魂」ではなく「魂の闘い」を祈願した。

 AC長野パルセイロの選手、スタッフ、サポーターの2009年度の「魂闘」を心から祈念して、2008年度に信州に出向いた折の印象を、ささやかな「デジブック」として昨晩作成した。
 まほろば・奈良、二名春日の地よりAC長野パルセイロへ声援を贈りつづける。

「AC長野パルセイロ」公式サイト

「地域クラブ私論」(1)

【はじめに】
 1969年に、大阪市立玉津中学校3年生だった時、東成区大成通の路地裏の自宅で見た学習研究社「中三コース」という雑誌の、西ドイツの子どもたちのグラビア写真が、40年後の今もあざやかな記憶として私の脳裏に焼きついている。「スポ-ツ・シュ-レ」(スポ-ツ学校)「スポーツクラブ」という言葉をはじめて知り、クラブハウス、芝生のグラウンド、シャワ-室、レストラン等の施設・設備は、大阪鶴橋に住んでいた中学校3年生の路地裏少年にあまりにも鮮烈な衝撃的な印象を与えた。

 
当時、中学校社会科の授業で「日本と西ドイツはGNPの成長率が、世界でも有数で先進工業国だ!」と先生が授業で話された時、「日本と西ドイツは同じ先進工業国なのに、なぜ西ドイツだけがスポ-ツ施設が整っているのだろう?」という素朴な疑問と「「ぼくの町にも、そんな施設があればいいなあ!」と路地裏のわが机に向かいながら、言い知れぬ想いを抱いたことをつい昨日のように覚えている。それから40年が経ったが、その頃の想いは今も私自身の中で生き続けている。

 
1961年6月に、「スポ-ツ振興法」が制定された。その中に、「文部科学大臣は、スポ-ツの振興に関する基本的計画を定めるものとする」という条文がある。そのアクションプログラムが、やっと40年後の2000年9月に「スポ-ツ振興基本計画」として告示された。現在、スポ-ツの世界も、社会経済環境と同じく大きな変革期の中にある。時代の潮流を踏まえながら、スポ-ツを通じた人間教育の大切さをミッションとし、行政依存型から地域自立型、スポ-ツ環境の整備、拡充をも意図して実践しなければならない。しかし、地域スポーツの現状はそれほど大きく変容してはいない。

 2007
年度、私は日本体育協会公認クラブマネシャー資格を取得した。膨大な時間、費用、労力を費やした。ライセンスを取得したとしても私になんら現実的な利益はない。その原点は「知りたい」「学びたい」という欲求が行動に移させたのでしかない。2008316()、たった1時間の検定試験のため、奈良から日帰りで東京・渋谷にある岸記念体育会館へ出向いた。その一室で私が提出した「事業計画書」にもとづいて、私が思っていること、考えていること、実践したいこと、その実現可能性について、大学関係者の面接官から厳しいヒアリングを受けた。一生懸命に自分自身の経験と知識を総動員して答えた。私自身の思考力・表現力・言語力の無さを痛感しながらも、真摯に考えてきたことがレリーフのように炙り出された実に貴重な体験であった。

 その検定試験としての「事業計画書」を提出したものを改訂、抜粋し、あくまでも私自身の個人的な、スポーツを核とした「地域クラブ私論」として連載する。内容の次元、拙文に対して笑止されるかもしれない。ただ、「スポーツ」「文化」を価値あるものであると信じる一介の地域住民の「思い」「想い」であるとお読みいただければ幸いです。(つづく)

奈良県 「ウォーキング立県」へスタート!

 奈良県が、「ウォーキング立県」を目指す。歴史の香り漂う奈良の風土のストロングポイントは「車でまわる」ことでははなく「歩く」ことだ。今月、インターネット上に、ウォーキングポータルサイト「歩く・なら」が開設された。お奨めのコースが地図や説明で紹介されている。「一駅ウォーキングデー」「ウォーキングマイレージ」の導入も計画中であるという。

 私の家の近くの富雄川沿いを歩いている老若男女をよくみかける。「歩く」「ウォーキング」は「スポーツ」であり「文化」なのだと思う。かつて人々は「歩く」中でさまざまな「文化」に接し「思い」「想う」ことと戯れた。

 もっともっと私たちは歩かねばならないと日曜日の朝に思っている。できれば地域の子どもたちと一緒にぐらぶらと、ゆったりととした時間の中で、今住む地域の中を探検ごっこしながらウォーキングしたいものだ。

「歩く・なら」公式サイト

[山びこ学校」が歴史の幕を閉じた!

Img  3/23(月)朝日新聞朝刊の社会面に200字足らずの小さな記事が掲載されていた。【「山びこ学校」が62年の歴史に幕】。朝の通勤電車の中でその記事を読み、さまざまな想いが駆け巡った。

 「山びこ学校」とは、山形県上山市立山元中学校のことであり、その当時の在校生が書いた作文集である。なぜ、その中学校作文集が1951年に単行本化され、当時ベストセラーとなり、のちに映画化されたのか。それは戦後教育の中で゜子どもの眼がとらえた「書き方」「綴り方」「作文」の「昭和の名作」として注目されたからだ。

 その新聞記事を読んで、その夜に自宅に帰り本棚から岩波文庫「山びこ学校」を探し出し拾い読みした。文庫版は1995年7月初版と明記されていた。私はその本を41歳の時に買って読んだ。

 なぜ、中学生がそれほどまでにしっかりと書くことができたのかという衝撃を受けたことを覚えている。克明でひたむきな生活記録だ。私にとって、それ以降、子どもたちの作文集で「山びこ学校」を超えるべきものは生じてこなかった。

巻頭の「この本を読んでくれる全国のお友だちへ」からこの本は始まる。
「この本を読んでくれる、全国のみなさん、毎日お元気で、おくらしでしょうね。・・・・・学校に行ってよいという日は、ものすごく元気です。小学校の1年生でも、ビュービュー吹雪にふっとばされそうになりながら、上級生につかまって学校にくるのです。この本を読んでくれる、全国のみなさん、みなさんはどうですか。」

巻頭の子どもの詩
「雪はコンコン降る。 人間は その下で暮らしているのです。」

卒業生代表答辞(1951年3月抜粋)
「私たちは、はっきりいいます。私たちは、この三年間、ほんものの勉強をさせてもらったのです。たとえ、試験の点数が悪かろうと、頭のまわり方が少々鈍かろうと、私たち43名はほんものの勉強をさせてもらったのです。」

「私たちの骨の中しんまでしみこんだ言葉は“いつも力を合せて行こう”ということでした。“かげでこそこそしないで行こう”ということでした。“働くくことが好きになろう”ということでした。“何でも何故?と考えろ”ということでした。そして、“いつでも、もっといい方法はないかを探せ”ということでした。」

 さまざまな子どもたちが綴った文を読み直して新たな感銘を受けた。ベストセラーになった当時よりも、今まさに子どもたちが「山びこ学校」で書き綴った言葉の価値と、そこから私たちが何を実践すべきなのかを伝えてくれる貴重な羅針盤かもしれないと私個人は思っている。

 最後の「答辞」の言葉は58年前のひとりの中学生の言葉である。今を生きる大人たち、職業であるかどうかなどに関係なく子どもたちに接する大人たちである私たちは、どのように受け止めるべきなのか?

 その文庫版のあとがきで、鶴見和子さんは「“山びこ学校”の意味は、初版出版時よりも、さらに重く、深くなった。あることがらの意味は、そのことがらによって惹き起こさせることがらの総体である。“山びこ学校”の意味は、これからも私たちがこれを読みついで、それからなにを引き出すかにかかっjている。」(1995.05)と結ばれているのを心新たに感銘をもって心に焼き付けた。

「山びこ学校の信念を貫く/YOMIURI ONLINE/2007.12」 Webサイト

2009年3月28日 (土)

ヴィヴァイオ船橋SCのマイクロバスと遭遇

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 3/28(土)午後、「ヴィヴァイオ船橋SC」のマイクロバスと遭遇した。奈良市立二名中学校敷地内に駐車していた。奈良市中学生サッカーFST参加のため、はるばる千葉県から奈良市までやってきていた。ちょうどゲームが終わり千葉へと帰る寸前だった。指導者の方に声をかけさしていただいて写真を撮った。千葉まで帰還するのに8時間かかると聞いた。長時間の移動になる。子どもたちも夜遅くに自宅に戻るのだろう。彼らの道中の安全を祈願した。

「ヴィヴァイオ船橋SC」公式サイト

「照明車」とは、どういうものなのか?

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 3/28(土)朝、大阪府大東市にある自動車会社へ、「照明車」なるものをひとり見るためにに出かけた。「消防車」ではなく「照明車」だ。夜に何かの活動をする折に周辺を照明するもので利便性を考え移動可能な車である。夜間のスポーツ活動、また災害時の非常照明として活用できる。

 地域の中で、この「照明車」があったとしても不利益は発生しない。いや、さまざまなものに活用できる可能性がある。この2トントラック三菱キャンターに搭載された照明器具を眺めながらふとそのようなことを考えた。

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アサヒスーパードライを飲んで地域貢献!

 3/28(土)朝日新聞朝刊によると。4/1(水)よりアサヒビールが、「アサヒスーパードライ」が1本売れるごとに1円を、地域の環境や文化保護のために寄付する活動を始める。対象商品は、缶に「うまい!を明日へ!」のマークが入った製品で、期間は1ケ月、各都道府県ごとの売上高に応じた金額を寄付する。全国で1億5千万円分の寄付金額を見込んでいるという。大阪府では府内にある小学校の校庭の芝生化の資金に投入される。

 酒を飲むことは国への間接的な税金納入という無味乾燥なものだけではなく、飲めば飲むほど地域貢献になるというのも素敵なものである。4/1(水)から1ケ月間限定で、ビールを飲むならは「アサヒスーパードライ」だ。

 早合点して今晩、「アサヒスーパードライ」を買って飲んでしまった。まだ3月でそのプロジェクトはスタートしていない。今日のビールは地域貢献などに関係なく、ただの酔いへの消費でしかなかった。4/1(水)からは頑張ろう!

「アサヒスーパードライ“うまい!を明日へ!”プロジェクト」Webサイト

京都御所の飛行機雲

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3/21(土)京都・今出川、白峯神宮からJR京都駅までの長丁場を歩いた。途中、京都御所の中を通った。空を見上げると、青空に白い飛行機雲が見えた。子どもの頃はよく空を見上げて飛行機雲を見たものだが、最近はまったく見ることもなかった。

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 広い砂利道の上をベビーカーに赤ちゃんを乗せて若い夫婦が歩いていた。どこへ行くのだろうか? ゆったりと歩むその若い夫婦の後ろ姿を見送った。

駅弁を初めて食べた日

 3/23(月)日本経済新聞朝刊の文化欄に上杉剛嗣氏(高校教諭)が執筆されていた「駅弁“掛け紙”そぞろ神」という記事を読んだ。冒頭に、「小さな折箱にその土地独特の食材が詰まった駅弁。旅先で車窓を見ながら食べる味は格別だが、その中身に負けず劣らず私の旅情をかきたてるものがある。お弁当を包む“掛け紙”である。」 その一文にひかれ文章を読つづけていると、駅弁は明治18年(1885年)の宇都宮駅が始まりだということを初めて知った。確かに駅弁の掛け紙は旅情をそそるが、歴史をたどりそれを現実に収集されていることに感服する。

 私が初めて駅弁を食べたのはいつだったのだろうか? 時間をさかのぼった。ある情景以前は浮かんでこなかった。それは、私が5~6歳の頃だった。祖母と隣組のおばさん数名が一団になって、出雲方面へ大旅行へ出かけた時のことだった。後年、祖母が私をその旅行へ連れていくことを家族は反対したそうだ。しかし、祖母は大反対を押し切って私を連れだした。

 その旅行の途上、ある駅に停車した。山陰本線のどこかの駅だったのだろう。列車の窓を開け、祖母が窓から乗り出して、駅弁売りのおじさんを手をふり呼んだ。だが来ない。業を煮やした祖母は列車を降りてホームにある駅弁屋を急ぎ早に往復して、人数分の駅弁とせとものに入ったお茶を運んだ。列車が動き出して私たちは駅弁を開いた。きれいでおいしかった。それが私が初めて駅弁を食べた日だった。「駅弁“掛け紙”そぞろ神」という記事を読み50年近く前の情景が脳裏に浮かんだ。

駅弁の小窓」公式サイト

「日本の近代遺産50選」

 日本経済新聞社は明治以降の歴史ある遺産から「近代遺産50選」を選んだ。同紙夕刊で毎週紹介されている。明治時代以降の近代化の過程で、建築物・構造物などの遺産が数多く残っている。新聞に掲載されたものに、探訪余話を加えたネット版のサイトを興味深く見ていた。「ビジネスマンには日本の産業史を学べ、歴史や旅行に関心のある団塊世代にも読み応えのある内容」という一文通りだ。かねてから歴史と建築に興味を抱き続けている私には格好のお気に入りサイトだ。その地を訪れたいという旅心が沸々と湧き出てくる。

「日本の近代遺産50選」公式サイト

「にほんの里100選」

 朝日新聞社と森林文化協会がわが国の美しい里を募集し、応募地の中から候補地を絞り込み現地調査も行った上で、景観、生物多様性、人の営みの3要素を選定基準として「にほんの里100選」として選定委員会が総合的に判断して選んだ。「にほんの里100選」Webサイトを見ながら、日常的な風景にはない、わが国「里」とその地で生き守り続けてきた人々の美しさを思い浮かべた。「異邦人」としてでも一度は訪れたいという旅心に誘われた。

「にほんの里100選」公式サイト

2009年3月26日 (木)

お金を払って見たいスポーツは?

 日本経済新聞産業地域研究所の調査によると、観戦料金を払ってでも見に行きたいスポーツの第1位はプロ野球、2位はサッカーだった。男女別の順位を見ると、
男性は、①プロ野球 ②サッカー ③モータースポーツ ④プロレス・K1 ⑤相撲 
女性は、①フィギュアスケート ②プロ野球 ③サッカー ④モータースポーツ ⑤相撲

 わが国では、サッカーよりも野球の方が間違いなく根強い大衆的な人気がある。居酒屋へよく行くが、ここ何年、大衆レベル、あまりに普通の人々の間で、酒を飲みながらサッカーの話をしている人にお目にかからない。プロ野球や高校野球の話をしている人にはよく出会う。野球は大衆に根付いているが、如何せんサッカーは大衆の中に存在しないのが今のわが国の現実であるのかもしれない。

 イングランドのパブで見かけるようなフットボール談義が、わが国でも当たり前のようになるには、「Jリーグ百年構想」というビジョンどおりに100年はかかるのだろうか?

奈良県の「消費」 31%は県外へ流出

 3/26(木)日本経済新聞朝刊の記事によると、奈良県の消費の31.1%が県外に流出していると奈良県の調査で判明した。とくに婦人服・服飾雑貨・外食は、40~50%が県外に流出しているようだ。流出額は年間4850億円に上る。奈良県は地域特性として、大阪・京都のベッドタウンの様相を呈しており、県外への通勤・通学は県民の30%を占めるという。

 奈良県全体の数値だが、奈良市に限定すればもっと流出比率は高いだろう。私個人と言えば、大阪府八尾市に勤務先がある関係で、平日は消費の90%以上は県外だ。休日といっても奈良県で消費する金額は少ない。飲食費の大部分は大阪市内だ。県外で所得を得て県内で消費する構図が最適なのかもしれないが、少なくとも私自身にとっては難題である。

2009年3月24日 (火)

奈良市鴻ノ池陸上競技場 5/10 こけら落し

 奈良市鴻ノ池陸上競技場の改修工事がほぼ完了した。トラックはブルーカラー、観客席は従来のベンチ形式から一人がけの5000席と整備された。同陸上競技場のこけら落しは、5/10「第63回奈良市民体育大会」となる。当日は、北京五輪の銅メダリスト・朝原宣治氏がオープニングランを行う。

2009年3月22日 (日)

球神祈願

 3/21(土)朝早く起きた。今日しか出かける日は無いと思った。すばやく身支度をした。ソレステレージャのジャージに着替え、ソレステレージャのエンブレムが左胸にプリントされたウインドブレーカー上着を身につけた。京都市上京区今出川通り堀川東入飛鳥井町にある球神「白峯神宮」へ出かけた。

 昨春も球技、スポーツの神である「白峯神宮」へ出かけた。今春もまたその宮へ祈願に出向いた。さまざまな球技、ひろくスポーツに関わる人々が訪れているスポーツ関係者にとっては著名な宮である。

 ひっきりなしにさまざまな人々が参拝に訪れていた。その人々の願い祈る姿や記され掲げられた絵馬を見ながら、選手、指導者、スタッフ、サポーター、父母、祖父母たちの影ながらの祈念の美しさを感ぜざるをえない。さまざまなスポーツに関わるすべての人々の2009年度の魂闘を祈念する。

※下記のデジブックは写真40枚がムービースタイルで掲載されています。閲覧所要時間は約11分です。ご多忙とは存じますが、一覧していただければ幸いです。




「白峯神宮」公式サイト

どの地域からのアクセス数が多いのか?

 今までこのブログにアクセスしていただいた方々は、どのような地域からアクセスしていただいているのだろうか。アクセス解析機能を使い調べてみた。総アクセス数での解析はなされていないが、調査対象アクセス数の中で、どの都道府県からアクセスされているのか、各都道府県別の割合が表示されている。そのエリアベスト5は次のようになっていた。

①大阪27.8% ②東京15.1% ③奈良11.00% ④長野8.2% ⑤京都5.00%

天保山渡船場



 私が幼い頃、父はこの近くの港消防署に勤務していた。父が非番の日に、小学生だった私は一人でJR鶴橋駅から電車に乗り、父とJR弁天町駅で待ち合わせをして、「交通科学博物館」「国際見本市会場」「みなと遊園地」そして「天保山」などへよく出かけた。「海遊館」ができてからはこの周辺も変わったが、「天保山」(てんぽうざん)という名を聞くと郷愁を感じる。あの頃の港まちの匂いを嗅いだ。

病院からの帰り道

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 病院からの帰り道、大阪城公園入口近くの児童公園に寄った。ベンチに座りながら遊具で遊んでいる子どもたちを見ていた。楽しそうに男の子と女の子が声を掛け合いながら空中の円筒の中をくぐっていた。ふと自分自身の子どもの頃の情景が走馬灯のように浮かんできた。母はベットで寝たきりである。母もまた、まどろみの中で自分自身のむかしの情景を思い描いているだろうか?

色とりどりの風船を見ながら

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 3/20(金・祝)朝、「ソレステレージャ奈良2002 6年生を送る会」だった。飾られたつり看板を見ながら、紙に題字を書き風船を膨らませて作っていたいただいた方々への感謝の想いが湧き出た。また、色とりどりの風船が、かつての西奈良ニーノスフットボールクラブスポーツ少年団(二名FC、青和FC)、そのクラブを継承したソレステレージャ奈良2002ジュニアに関わっていただいた面々の顔が浮かんできた。今、クラブが存続し活動を継続できているのは、その方々が一生懸命に関わっていただいたおかげだと思っている。感謝!

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2009年3月21日 (土)

太陽のように美しく輝き、星のように煌くことを願う!

 先週、ソレステレージャ奈良2002のジュニアユース(中学生)3年生、ジュニア(小学生)6年生の送る会があった。2008年度の締めくくりと新たな旅立ちのセレモニーであった。次のライフステージへと歩んで行くソレステレージャ奈良2002の子どもたちすべてに対して、太陽の美しく輝き、星のように煌くひとりの人間存在として、成長することを心から祈念している。

奈良中学生サッカーFST大会 ユニセフに寄付

 3/20(金・祝)奈良新聞によると、第32回奈良中学生サッカーフェスティバルが開幕した。同実行委員会が同日、大会記念Tシャツの販売収益の一部10万円、奈良県サッカー協会5万円、合計15万円を日本ユニセフ協会奈良県支部に寄付した。贈呈式は試合前に大会関係者・選手が参加して奈良市立二名中学校グラウンドで行われた。

 ユニセフ(国際連合児童基金)は150以上の国と地域で子どもたちの命、すこやかな成長を守るために活動している国連機関だ。奈良県でも歴史ある中学生年代の大会である奈良中学生サッカーフェスティバル大会実行委員会及び県サッカー協会が、記念Tシャツ収益の一部を日本ユニセフ協会奈良県支部に寄託したことは、奈良県サッカー界にとって実に素敵なことだと思う。関係者各位に敬意と称賛を贈る。

 私は長年、ユニセフの個人会員となっている。若い頃から子どもたちの命、すこやかな成長を守るために活動しているユニセフ(国際連合児童基金)に興味を抱き続けてきたことが、そのような行為に結びついているのだと考えている。

 かつて、仕事にゆとりの時間があった時期があった。子どもたちのサッカー活動に寄付ではなくユニセフ開発教育プログラムを取り入れたいと、大阪・中津にあるユニセフ関西支部を訪れさまざまな資料をいただいた。その新聞記事を読んで、わが部屋の本棚に誇りをかぶって放置されたままの資料を繰りながら、青少年サッカー活動の中で、そのプログラムは必ず実践しなければならないという想いが募った。

2009年3月20日 (金)

ソレステジュニアU-12情景2008



 ソレステジュニアの情景として、本当ならばさまざまな年代の子どもたちの写真を撮らなければならないのだが、何分、写真不精である。U-12(6年生)が淡路島へ出かけ帯同した折の写真しかなかった。反省している!次年度はもう少しさまざま年代の子どもたちに接し、カメラおじさんになろうかとふと思っている。

 3/20(金・祝)朝、6年生が新たな旅立ちのセレモニーを迎える。新たなる一歩を踏みだすスタートだ。ボールと戯れ遊んだだろう旅立つ6年生にエールを贈る。

2009年3月19日 (木)

ソレステジュニアユース情景2008

 

 春夏秋冬の四季の移り変わりの中で、2008年度が終わろうとしている。1月から12月を1年とみるのか、4月から翌年3月を1年とみるのか、人ぞれぞれの感じ方があるのだろう。少なくとも私は桜花が咲く季節が一年の始まりだと思い込んでいる。

 一年を振り返ると、ソレステジュニアユースのゲームを観戦、帯同したりしたが、写真に収めることが少なかった。数少ない写真でもって、「ソレステジュニアユース断章2008」として、来るべき年のソレステジュニアユースの健闘を祈念する。

2009年3月18日 (水)

ソレステ1号 3/15岸和田SA

   3/15(日)朝一番で二名公民館へ立ち寄り、生駒・北大和グラウンドで1・2年生のゲームを見て、大阪府立海洋センターまで6年生の子どもたちを迎えに行った。ちょうど昼時だったので、阪和道・岸和田サービスエリアで駐車して食事を摂った。肌寒かったが快晴だった。

 駐車したクラブバス「ソレステ1号」を眺めながら、ふと、「バス」は「男性名詞」なのか、それとも「女性名詞」なのかと他愛もないことを思い浮べた。「ソレステ君」か? 「ソレステちゃん」か? まあどちらでもよいのだが。運転すればするほどに愛着が涌いてくるものだ。

ソレステレージャジュニアユース3年生の写真を見ながら

Img_0001  3/17(火)夜、奈良・新大宮で、ソレステレージャ奈良2002ジュニアユース3年生の送る会があり参加した。保護者・子どもたち・指導者総勢50名近くの人々が集まった。祝いの会である和やかさとにぎやか時間のたつのも忘れた楽しいひと時だった。

 新たな一歩を踏み出す子どもたちの姿は、もう若者の仲間入りをした雰囲気が漂っていた。石の上にも三年という言葉がある。チームが強いか弱いか、サッカーが上手か上手でないかは些細なことだ。三年間、やり通したことが一番の勲章だ。得たものに奢ることなく、次のステージでの奮闘を心から願っている。「前へ! 美しきサッカーのために」

春が奏でる桜花の音色

Img  3/15(月)、大阪・八尾で職場の退職する方の送別会、3/16(火)、奈良・新大宮でソレステレージャジュニアユースの送る会と二晩連続で飲み会だった。いずれの会も春の芳しい匂いがした楽しい夜の時間だった。

 今晩は職場からまっすぐに自宅へ戻った。鶴橋駅で電車&ウォーク「桜だより2009」のパンフレットを電車の中で見ていた。桜の花が咲く季節になった。関西近辺84ケ所の桜の名所が紹介されていた。

 「風に舞う、ひとひらの幻想」というコピーが、電車の中で空想の花見に駆り立てた。紹介された84ケ所、時間と距離に関係なく、1ケ所しか行くことができないとしたならば、どこを選ぶのかと自問した。1ケ所だけならば、やはり、奥琵琶湖の「海津大崎」だろうか。今年はそこへは行けそうにない。近場で、桜花の移り行く姿をゆっくりと眺めたいものだ。

2009年3月15日 (日)

祝 二名公民館開館30周年記念事業

「国宝阿修羅展」 3/31東京国立博物館で開幕

 東京国立博物館で、3/31より興福寺創建1300年記念「国宝阿修羅展」が開幕する。日本でもっとも有名で人気のある仏像の一つである。興福寺「阿修羅像」が東京に出陳されるのはほぼ50年ぶりである。魅惑的な少年か少女かいずれにも思い描けるスリムなプロポーションと独特のフォルムを有する「阿修羅像」は、仏像ファンだけでなく多くの人々を魅了してきた。

 「阿修羅像」は奈良・興福寺では概ね正面からしか拝顔できない。東京国立博物館では「阿修羅像」が360度から拝顔できるように展示されるという。前回の「阿修羅像」上京の際には多くの観覧者で盛況であったと聞く。今回はそれ以上に多くの人々が「阿修羅像」に接することになるだろう。

 
東京では阿修羅像とともに八部衆像と十大弟子像の14体すべてが一堂にそろう。興福寺境内の外で14体がそろって展示されるのは初めてである。また、「阿修羅像」をはじめ出展品約70件の写真をポスター・図録のために、写真家・金井杜道氏が一人で撮りおろした。

 昨秋、「阿修羅像」が上京するということを新聞で読み、無性に「阿修羅像」を拝顔したくなり興福寺へ出かけた。人影少なく静けさが漂う「国宝館」で「阿修羅像」と向き合うとその魅惑のまなざしと奥深さに魅了された。3月東京国立博物館、7月九州国立博物館へ「阿修羅像」はおもむく。奈良に帰還するのは秋になる。「阿修羅像」の旅のご無事を心から祈る。

「国宝阿修羅展」公式サイト

2009年3月14日 (土)

関空第二期空港島&スカイミュージアム~ソレステの子どもたちといっしょに~

 3/14(土)関西国際空港経由で大阪府立青少年海洋センターへ、ソレステ6年生を乗せてクラブのマイクロバス、ソレステ1号を運転して出かけた。朝は雨模様だった。関西国際空港に到着するやいなや、子どもたちといっしょに早足で、「関空第二期空港島現場見学ツアー」の無料バスに乗り込んだ。小雨が降り風が強く肌寒い中で、第二空港島を見学した。バスから降りて、第二滑走路や工事中の現場を見ると、余りの広さに驚く。まるで、どこかの平原にいるような錯覚にとらわれた。

 見学ツアーが終了してから空港で昼食をとった。天候は回復し晴れ間が見えた。午後は「わくわく関空見学プラン」のバスに乗車した。今度は、現在使用されているターミナルビル、第一滑走路周辺をバスで回った。とこらが、最後に午前中に渡った第二空港島へとバスは向かった。今日、二度目の見学だった。また、子どもたちとともに、午前中と同じ場所、第二滑走路近くでバスを降りた。今度は快晴だった。

 二回、第二空港島見学をしたのは、わがクラブの面々だけかと思っていると、二度顔を合わせたご年配の婦人グループがいた。何気なく聞こえてくる会話から、神戸空港から船で関西国際空港に渡ってきて、午前の無料見学ツアーと午後の有料「わくわく関空見学ツアー」に参加されていた。最後にバスを降りようとした時、「ええ、遠足やったわ!」という言葉が印象的だった。今日はただマイクロバスを運転していただけで行き先は人任せだった。いやはや、私にとっても実に貴重で、ちょっとしたミステリーツアーのようなものだった。

 「スカイミュージアム」へ立ち寄った。飛行機という乗り物の楽しさを味わえるような場所だった。パイロットやスチュワーデスの貸衣装を借りて、男の子や女の子が、自由に変えられる背景の前で記念撮影をしている姿は実に楽しそうだった。飛行機の操縦シュミレーションがあった。試みにしてみたいと思いながらも、羞恥心がその欲望を抑圧した。子ども心を思い出させてくれミュージアムだった。

FM音楽番組 「ジェットストリーム」を聴いていた頃

 3/13(金)朝の通勤電車の中で日本経済新聞朝刊を読んでいると、「ジェットストリーム」放送オリジナル原盤CDの通信販売の全面広告記事が掲載されていた。初代パーソナリティーで絶大な人気を誇った「城 達也」が突然、脳裏に浮かんだ。

 FM音楽番組「ジェットストリーム」は1967年にはじまり、放送時間は月~金、深夜0:00~1:00だった。私は中学3年生の頃からラジオのAM深夜放送をよく聴いていた。高校生になると、音質の良いFM放送を聴きだした。フランク・プゥルセルオ-ケストラの「ミスターオンリー」がオープニング曲にかかり、城達也の語りを聴く時、ほっと安らいだことを思い出す。さまざまなイージーリスニング音楽が心地よかった。たくさんの曲を聴き曲名を覚えた。

 「午前0時、今、旅立ちの時・・・」というキヤッチフレーズ、「ジェットストリーム」CD全10枚組、全152曲収録、定価29,800円という広告の内容を見た。今は買うことができない。でも、いつかは買って、まどろみの中、午前0時に聴いてみたいものだ。

ブルートレイン深夜の別れ

 3/13(金)東京駅発のブルートレイン寝台特急「富士・はやぶさ」の最終列車を見ようと、JR東京駅のホームに約3,000人のファンが集まった。停車駅であるJR京都駅0:40、JR大阪駅1:06、どちらの駅のホームにも、最終列車を一目見ようとファンが殺到した。残るブルートレインは、「北斗星」(上野~札幌)、「北陸」(上野~金沢)、「あけぼの」(上野~青森)、「日本海」(大阪~青森)の4列車となった。

 高度経済成長以降、私たちは移動することに極端なスピードを求めた。鉄道から夜間高速バス、飛行機へと移動の手段の花形は移行してきた。その利便性は多くのものを産み出し私たちに利益を生じさせた。その過程で、自然と消え去るというのではなく、われわれが消し去り捨てたものも多くある。「寝台特急」という列車もそのひとつなのだろう。「旅情」を捨てていくわれわれが存在する。

2009年3月13日 (金)

京都創生座 「四神記~神降る都の物語~」

Img  第3回公演 「四神記~神降る都の物語~」
   守り給へや四方の神

 「京都創生座」は、京都市が「国立京都伝統芸能文化センター」の整備に向けて、ジャンルの異なる伝統芸能である能、狂言、歌舞伎、舞踏、音楽による新しい作品の創作、若手の育成を主眼として活動している。

 伝統芸能という言葉から、古臭く消え去りつつあるものというイメージを抱く人々がいる。本当にそうだろうか? 少なくと私には大きな価値を持っているものだと思っている。それはスポーツ、サッカーの根底につながっていると信じている。いずれにしろ、それらは「文化」なのだ。

「京都創生座」公式サイト

3/13(金) 天然温泉「スーパーホテルLohas JR奈良駅前」 オープン!

 3/13(金)、天然温泉「スーパーホテルLohas JR奈良駅前」がオープンした。奈良は全国でも客室数が最も少ない県のひとつだと言われている。文化財というわが国の中で、著名な大きな財産を有しているのだが、観光県としては、隣接する京都とは大きな隔たりが生じている。京都に宿泊はするが、奈良には宿泊しないという厳しい現実がある。地理的なことも左右しているのかもしれない。宿泊施設が余りにも少なかったことも一因なのだろうか。

 今日、JR奈良駅前に天然温泉「スーパーホテルLohas JR奈良駅前」がオープンしたことは、まほろば奈良の町に「観光」の起爆剤となるのだろうか? それはマクロ的な思いではある。ミクロ的には、大和郡山市から運んでくる同ホテルの天然温泉「飛鳥の湯」が、どのような湯なのか私には気になる。

「スーパーホテルLohas JR奈良駅前」公式サイト

2009年3月12日 (木)

久しぶりに、「クリーム」を聴いた!

 3/2(月)日本経済新聞夕刊で、「ギターの神 夢の競演」という記事を読んだ。ロックギターの名手、エリック・クラプトンとジェフ・ベック両者の世界初の本格的競演だったという。ロック界の「世界三大ギタリスト」と言えば、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、そして、過日、北京オリンピックの閉会式でベッカムと並んで、ギターを奏でていたジミー・ペイジだ。1960年代後半から1970年代はじめにかけて、若者たちのカリスマとしてのロックギタリストだった。

 私は、エリック・クラプトンが好きだった。いや、今も好きであり続けている。私が若かった頃、彼がリードギター、ジャック・ブルースがベース、ジンジャー・ベイカーがドラムスのロック史に残る伝説的なバンド「クリーム」が大好きだった。

 テーマ~長いアドリブ~テーマ、その長いアドリブが大好きだった。リーギター・ベース・ドラムスのまさに戦闘だった。「スプーンフル」「クロスロード」の曲をライブ盤で聴いた時は感激で鳥肌が立った。今晩、新聞記事に触発されて、ボリュームを落としながら久しぶりに「クリーム」のCDを聴いた。むかしと同様な感覚が襲った。「スプーンフル」「クロスロード」に酔った。

東京発「富士・はやぶさ」 明日の夜 ラストラン!

 3/13(金)18:03、東京駅発の寝台特急「富士・はやぶさ」(大分・熊本行き)が、東京駅発のブルートレインとしての最終列車となる。連日、多くの鉄道ファンが、東京駅、通過駅の大阪駅に詰め掛けているという。最終列車のキップは発売10秒で完売したようだ。モータリゼーションの世の中でも、鉄道には根強いファンがいる。

 私は熱狂的な鉄道マニア、鉄道ファンではないが、鉄道好きであることは間違いない。遠くへ出かける時は車よりも鉄道を利用する頻度が多い。車窓からの風景、車内の人間模様、読書、酒、睡眠という行為ができることに魅力を感じる。車ではそうはいかない。

 昨年3月には、愛着を抱いていた寝台急行「銀河」が姿を消した。数あるブルートレインは徐々に消え去りつつある。寝台特急「富士・はやぶさ」もまたその運命には逆らえなかった。これで、東京駅発のブルートレインはすべて姿を消す。

すき焼きの作り方 関西風それとも関東風

 すき焼きの作り方には、「まず肉を焼き、砂糖としょうゆで味を調え、野菜を入れる」という関西風と「割下を使って肉と野菜を同時に煮る」という関東風の二通りがある。かつては、関西地方は関西風、関東地方は関東風というように地域での味の好みや文化がはっきりと分かれていた。最近は人の移動に伴い、食の文化もむかしほどに地域での好みが明確ではない状況となっている。さきほどのすき焼きの作り方でも、関西地方に住んでいる人々でも、関東風の作り方を好む人もいる。関東地方に住んでいる人々でも関西風の作り方を好む人もいる。わが家は関西風である。そういえば、最近、すき焼きを食べていないような気がする。

2009年3月11日 (水)

毎年、春が来る、桜は咲く!

 「さくら情報 ウエザーニュース」Webサイトを開き、桜の開花情報を確認した。3/24大阪城公園、4/2奈良公園が見ごろだそうだ。桜の名所、吉野山は下千本3/29、上千本4/1、奥千本4/8が開花時期のようだ。桜の花咲く時期に、私は、いまだかつて吉野を訪れたことがない。その季節に一度は訪れたいものだ。

「さくら情報 ウエザーニュース」Webサイト

2009年3月 9日 (月)

「旧真田山陸軍墓地」に立ち寄って

 大阪市天王寺区にたたずむ旧真田山陸軍墓地は、1871年(明治4年)に、わが国ではじめて作られた「陸軍墓地」である。明治10年の西南戦争が始まる前までに230基あまりの墓碑が建てられたという。長い年月の中で墓碑も傷みが激しいが歴史的遺跡として存在し続けている。

 
3/7(土)母のもとを訪ねたのちに東成区大成通近辺を歩き、母校・清水谷高校を訪れた。帰路、「旧真田山陸軍墓地」へ立ち寄った。私の小学校時代の路地裏の仲間とちょっと遠出した時のフィールドだった。鬼ごっこ、探偵ごっこ、冒険遊び、野球をしたなつかしい場所だ。

 そのフィールドに大人たちはいなかった。子どもたちだけの世界だった。どこの誰だかわからない面々と幾度か「野球の果たし試合」をしたことは忘れることがない。いつも、わが「路地裏野球少年団」は、「山の手野球少年団」に負け続けた。一度は勝てそうなものだが、本当に負けてばかりであった。

 あの頃はこの「陸軍墓地」で時も忘れて夢中に遊んでいた。今振り返ると墓碑銘に刻まれた方々にはひんしゅくを買ったのかもしれない。朽ち掛け墓碑銘、何気なく横倒しになった墓石、無縁仏に無言で手をあわせて祈り、その思い出の「旧真田山陸軍墓地」を後にした。

「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」公式サイト

インドネシア人介護士の卵

 わが国での急速な超高齢化が進んでいる状況の中で、介護サービスの需要が高まっている。そのような現状にあっえ慢性的な介護現場での人材不足が顕在している。給与水準の低さなどの労働条件が他の業種に比べて低いことなどが影響して、介護職の離職率は21.6%と全産業平均16.2%を上回っている。

 日本とインドネシアとの経済連携協定(EPA)によって、日本で介護士をめざすインドネシア人第1期生200人が昨年夏に来日した。6ケ月間の日本語研修を経て1月から介護現場で働きだした。 「介護福祉士養成コース」は来日後4年以内に資格を取得すれば彼らに日本での定住が認められる。それまでにまず3年鑑の実務経験が必要である。今、彼らは介護現場で働きだしている。受験のチャンスは3年後の1回しかない。もちろん資格試験は「日本語」で行われる。

 介護現場の過酷な仕事に従事しながら、介護福祉士の資格取得の勉強もしなければならない。その大前提は、日本語の読み書きができる能力も合わせて習得する必要がある。生まれてから日本語の世界で育ってきた者たちでさえ合格率は50%だ。まして、今から日本語を習得する者にその資格試験合格はあまりにハードルが高い。それでも、彼らはチャレンジしている。

 世界でインドネシア人の介護士の評価は高いという。日本でその資格取得できる者は、第1期性200人の中でも一握りになるだろうと、また資格を取得できなかった者はアメリカや中東で職をみつけるだろう予測されている。今年の5月にはフィリピンから500人が介護福祉士を目指して来日すると言う。わが国の超高齢化社会は、わが国の労働力のみでは支えきれないという冷厳な事実が今はっきりと現れている。(3/9朝日新聞朝刊参考)

2009年3月 8日 (日)

「わが母校 清水谷高校 情景2009.3」

 私は大阪府立清水谷高校へ1969年4月に入学し1972年3月に卒業した。もうすでに卒業して36年が経つ。私の妻は、清水谷高校時代の高校1年・2年生の時のクラスメートである。妻の学業成績は良く、私はと言えば劣等生だった。高校3年生への進級、また卒業時に留年になるところであった。妻は理科系コース、私は文科系コースだった。青春時代の力学関係はいまも続いているような気がする。

 当時の建物は大部分建て替えになった。図書館であった思い出深い「済美館」はそのままだった。桜の咲く季節になると、正門から「済美館」までの坂道は美しかった。今も通勤電車や鶴橋駅で、セーラー服の水色の襟、清水谷ブルーの女子生徒を見かけることがある。その時、高校時代のことをふと思い出す。

 西門から学校内に入ると生徒が部活のとレーニンングをしていた。私の姿を見るなり、「こんにちわ!」と男女生徒が次々と挨拶をしてくれた。グラウンドでは学校開放なのだろうか、小学生たちがサッカーのゲームに興じていた。

 私が在学していた当時は、社会全体も激しく揺れ動いていた影響を受け、学内も騒然としていたことがあった。正門前の喫茶店「あづさ」には在学中よく立ち寄った。思いで深い。高校時代当時、両親からすれば、わが息子は一体どんな生活を送るのかと将来を心配していた。あれから36年が経ち、私は、クラスメートだった妻と結婚31年、3人の子どもがいる。不思議なことではあるが、人並みに小市民的な生活を送り続けている。

「大阪府立清水谷高校」公式サイト

父親と息子の豊かなランチタイム

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 大阪市天王寺区にある真田山公園のベンチで、サッカーの練習が終わったのだろうか、父親と息子がベンチに座り、お弁当を広げてランチタイムを摂っている情景だ。彼らの後姿にはゆたかで暖かい時間が流れていた。ひとつのボールが媒介となり父親と息子は繋がる。サッカー上手、下手などなんの関係もない。ボールがあり、同じ時間と空間を共にすることにより、何かが生まれ出る。15年以上前の私自身の姿を垣間見た。ふと見かけた名も知らぬ親子の現在と未来にエールを贈る。

Books 「誰も“戦後”を覚えていない」(昭和30年代篇)

Img 著者:鴨下信一/発行:文春文庫(2008.12)/定価:750円+税/P.241

【コンテンツ】 昭和30年代はなんてこんなに懐かしいのだろう/この幸せを手放せない/「清張」も「風太郎」も必要だった/巨匠の映画でこの時代の生活をさぐろう/こんなにBC級映画ばかり見ていた/音楽は時代の変化そのものだった/その時、テレビは何をしていたか/ほか

「まずは“小さい幸せ”が大事な時代だった」

 わが国の絶好調な時代であった昭和30年代、見方を変えれば、現在へと繋がる大きな転換点だったのかもしれない。私は昭和28年(1953年)生まれである。昭和30年代の終わりは小学校5年生だった。昭和30年代という時代は、私の子ども時代だった。まだ、戦後という空気が漂い、その頃の写真を見るとまだ貧しさが写しだされている。それは、物質的な貧しさであって、精神的なものではないが。子どもながら自宅の生活が変わってきたのをはっきりと覚えている。今までなかった「テレビ」という代物が突然わが家に鎮座するようになった。新聞のテレビ番組は空白だらけだった。番組が放映されていない時は、「テレビ」画面は、「テストパターン」という静止した映像がが表示されていた。

 「所得倍増」「経済成長」という言葉がその当時のキーワードだったと大人になった時に知った。「幸せ」が「物」を手に入れることだという神話のはじまりだったのだろう。その後、「物」を得る為に、人々は必死で働いてきた。そして、今、「物」は充足している。その当時のゆめは実現された。本来ならばすべての者たちが「幸せ感」を抱いても不思議ではない。しかし、そうでもないらしい。ほんとうの「ゆたかさ」「しあわせ」とは一体何なのだろう?

第4回町村対抗子ども駅伝大会(奈良県)結果3/7

 3/7(土)第4回市町村対抗子ども駅伝大会が、馬見丘陵公園特設コース9区間で奈良県内35市町村の代表が出場し開催された。優勝は吉野町58分1秒で初優勝を飾った。2位五條市58分13秒、3位香芝市58分32秒だった。奈良市は58分16秒で6位だった。

【第4回町村対抗子ども駅伝大会結果】

①吉野町58分1秒 ②五條市58分13秒 ③香芝市58分32秒 ④天理市59分10秒 ⑤橿原市59分12秒 ⑥奈良市58分16秒 ⑦生駒市59分25秒 ⑧桜井市59分43秒 ⑨王寺町59分59秒 ⑩平群町1時間0分12秒

2009年3月 7日 (土)

「情景2009.3.7

  3/7(土)、母が入居している大阪市東成区今里にあるケアホームを訪ねた。自宅を出て最寄のバス停「春日橋」からバスに乗り、近鉄富雄駅まで出た。準急乗り近鉄鶴橋駅で、地下鉄に乗り換え今里駅で下車した。地上に出ると今里ロータリー、徒歩1分で母が入居しているケアホームがある。ちょうど、新橋通商店街の入口に近い。南向きの部屋からは大成小学校も見える。

 母の話を聞く。キーワードは、今里ロータリー、新橋通商店街、映画館、芝居小屋、焼きそば屋、今里車庫、花電車、満州、モンゴル等々。「歴史」という大げさなものではないかもしれないが、人それぞれの生きてきた歩みは確かにある。

 今日初めて知ったことがある。新橋通商店街に「芝居小屋」があったのだ。私は新橋劇場、二葉館という映画館の存在は知ってはいたが、「芝居小屋」があったことは知らなかった。母はその「芝居小屋」へむかしむかし出かけたことがあるのだろう。市電の終点として、かつてその商店街は賑わっていたらしい。そこは繁華街だったという。

 ケアホームを出た。その近隣を歩きまわった。密集し雑然とした町並みは人々の生活の匂いがする。見慣れた風景が心地よい。なぜか心が落ち着く。私の母校である大成小学校、玉津中学校を経て、玉造駅まで歩いた。

 玉造駅近くの「三養軒」で食事をした。おじいちゃんとおばあちゃん二人で店をやっている。大正時代からこの地で営業しているとむかし人づてに聞いた。確かに料理はおいしかった。テレビではプロ野球のオープン戦、阪神対ロッテのゲームが放映されていた。緩やかな時が流れる私好みの昔風の食堂だ。

 夕方、クラブの所要があったので、急いで自宅へ戻り、二名公民館へ出かけた。わすかな時間ではあったが、わが「パトリ」を歩いて懐かしくも新鮮な心地になった。

ピエトロ・ジェルミ 「鉄道員」


【 ピエトロ・ジェルミ監督
 「鉄道員」(1956年イタリア)】

 
イタリアネオリアリズムの名作である。ピエトロ・ジェルミ扮する鉄道機関士のマルコッチ家族の物語だ。ドラマは末っ子サンドロ少年の目を通して家族の出来事がつづられてゆく。家族の崩壊と再生、裏切りと友情、父と息子の物語だ。

 長男は定職につかず家でぶらぶらしている。長女は誰のこともわからない子を妊娠していた。末っ子のサンドロはまだ小学生だった。長女の結婚式の日、長女の出産の日、マルコッチは酒を飲んで遅く帰ってきた。娘の死産を聞かされた。「あの日、早く帰っていれば」マルコッチは悔い悩んだ。

 機関車を運転していた。ふと気がつくと前方の線路に人が立っていた。急ブレーキをかけたが間に合わず轢いてしまった。特急電車からはずされボロ機関車の運転手に格下げになった。マルコッチは酒に溺れるようになった。組合ストライキ中に、マルコッチは列車を運転した。スト破りの「裏切り者」として白い目で見られる。マルコッチは場末の酒場で酒に溺れ家族は崩壊の状態となる。

 ある日、末っ子サンドロは酒場にいた父マルコッチを呼びに出かけた。そして仲間が集まっている酒場へ連れて行く。久しぶりに仲間と再会したマルコッチは昔どおりにみんなと飲み唄った。しかし、機嫌よくギターを弾いていたマルコッチが突然倒れた。

 クリスマスの日。静養していたマルコッチのもと昔の仲間たちが駆けつけた。長男も戻って来た。長女からも電話が入った。妻と末っ子サンドロもそばにいた。幸せな時間が戻った。その夜、マルコッチは幸せな気持ちの中でギターを奏でながら眠るように息を引き取った。

 
 小学5年生の頃から、遊びつかれてた後に、平日夕方にテレビで放映していた「名画劇場」を、路地裏の実家で寝転びながらなにげなくよく見ていた。その時、初めて洋画というものを見た。心地よかった。子ども心にいままで体験したことのない感情が湧き出た。「鉄道員」という映画はその時初めて見たときから、幾度観たことだろう。今、一部を観てもその時に湧き出た感情を思い出すことができる。やはり名作なのだ。

「今がわかる時代がわかる世界地図2009年版」

Img 発行:成美堂出版(2009.01)/定価:1600円+税/P.271

 
「テーマ別 世界の現状」として、国際政治、社会、産業経済、環境・自然、交通・情報、文化・スポーツ等のデータが満載されている。見やすく、さがしやすい「地域別世界地図」で、枕元で世界旅行の気分になる。

 昨晩、寝る前にページを繰っていた。ベストセラーになっていることからも多くの人々がこの一冊を購入し読んでいるのだろう。アフリカの地図を見ていると、私の知らない多くの国があった。日が昇り沈んでいる年月の積み重ねの中で、世界は動き、記憶にあった国は消え去り、新たな国が誕生していた。世界地図を見ていると、小中学校時代に学校の副教材である「地図帳」を見ていた頃の気分になった。

海外在留邦人ベスト10

 外務省が行った「海外在留邦人調査によると、2006年10月現在ではじめて100万人を超えた。海外在留邦人とは、海外に在留する日本人のうち、永住者と長期滞在者を示す。アメリカが37万人と圧倒的に多く第1位である。近年は中国での在留邦人数が急激に増加している。海外在留邦人ベスト10は次の通りである。

①アメリカ 370,386人 ②中国 125,417人 ③ブラジル 64,802人 ④イギリス 60,751人 ⑤オーストラリア 59,285人 ⑥カナダ 44,158人 ⑦タイ 40,249人 ⑧ドイツ 33,608人 ⑨フランス 30,863人 ⑩シンガポール 26,370人
(「今がわかる時代がわかる世界地図2009年版」より)

世界の人口ベスト10

 国連人口基金の「世界人口白書2007」によると、2007年の世界の人口は66億1590万人に達した。前年から7500万人増加した。人口増加のスピードは世界的に鈍化した。アジアの人口が世界人口の60%を占めた。世界の人口ベスト10は次の通りである。

①中国13.3億人 ②インド11.4億人 ③アメリカ3億人 ④インドネシア2.3億人 ⑤ブラジル1.9億人 ⑥パキスタン1.7億人 ⑦バングラデシュ1.5億人 ⑧ロシア1.4億人 ⑨ナイジェリア1.3億人 ⑩日本1.3億人 
(「今がわかる時代がわかる世界地図2009年版」より)

2009年3月 6日 (金)

生駒の地酒 純米酒「山鶴」~春の試飲即売会~

 生駒市上町にある純米酒「山鶴」直売所・「酒造 与左衛門」で、しぼりたて春の試飲即売会が開催される。出来立ての風味豊かな新種を試飲できる。純米酒「山鶴」の醸造元である「中本酒造店」は創業が享保12年、282年の歴史を積み重ねてきた伝統蔵である。

【開催日】 3/7(土)~3/14(土) ※3/8(日)は定休日

「酒造 与左衛門(中本酒造店)」公式サイト

さくら開花予想 今年は足早に咲く

 3/4(水)、大阪管区気象台は、近畿、中国、四国地方の桜(ソメイヨシノ)の開花予想を発表した。例年よりも足早に花が咲くようだ。

【開花予想日】
3/15熊本市  3/17福岡市 3/18宮崎市 3/22名古屋市 3/25東京都心・和歌山市 
3/27奈良市:京都市・神戸市 3/28大阪市 

2009年3月 5日 (木)

今日、母がケアホームへ入所した!

 3/5(木)、母が、入院中の大阪・森之宮にある病院から実家近くのケアホームへ入所した。母は、生まれも育ちも大阪・鶴橋・大成通である。80年余りにその地区に住み続けている。ケアホームは、今里新橋通、かつての市電の今里車庫前近くにある。母と私の母校・大阪市立大成小学校もそばにある。母にとって見慣れた風景の中での生活が始まる。リスタート! 長男としての不甲斐なさ、非力をつくづくと感じている。素直に言えば親不幸なのだろうと自虐的に過ごしている今日この頃だ。

 母は一級障害者であり、認知症も進んでいる。昔のことは記憶が鮮明だが、最近のことは記憶が薄れているようだ。母の病室に入ると、まず、私の名を名乗る。それは確認をしておきたいという思いがそうさせる。「しげる」という息子の存在を忘れていないかどうか。昨日の夜、病室へ入った時もそのように自分自身の名を名乗った。確かに、「しげる、忙しいのにわるいなあ!」とつぶやいた。

 以前、母は病室で自分自身の父親のことを私に話した。「お父ちゃんは、なにをしてもだめやった。勤めていた春日ゴムもつぶれるし、夜店でみかんあめを売っていたんや。お母ちゃんが一生懸命働いて女学校をだしてくれた。」と。 それは50年余りの話だった。「おとうちゃんは、なにをしてもだめやった」という言葉が、母は自分自身の父親のことを話しているのだが、私の子どもたちが、また妻が、私のことを言っているような錯覚に陥った。その言葉を聞いて、ナイフで突き刺されたように私の胸に突き刺さった。

 その話の最後に、「お父ちゃんは、下駄の鼻緒を結ぶのが上手やった。お父ちゃんは左利きやった。近所の人も、知り合いもみんな言っていた。結んだ鼻緒がゆるまないと、みんな言ってはった。」 母が私にその話をした時、笑顔が浮かんだ。母にとって自分自身の父親は、否定的な側面はあったのだろうが、40年以上前に亡くなった父親の存在は、「下駄の鼻緒」の誇りとして肯定的な思い出として残っている。それが私には救いだった。

 昨晩、病室で母の姿を見ながら、ほんとうに細く、小さく小さくなったと感じた。私が迷惑を掛けてきたことが、母をより小さく小さくしてしまったのかもしれないと思った。過去の情景が走馬灯のように駆け巡った。母は、あの路地裏へは戻れないが、今日、自分自身の生まれ育った「パトリ」(郷土)へと戻り、その地で新たな生活をはじめる。

2009年3月 4日 (水)

「君が今 歴史の新たなページを創る」~2009近畿まほろば総体

 7/28(火)~8/12(水)、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)が、初めて奈良県を主会場として開催される。奈良県内ではサッカーほか15競技が行われる。総合開会式は7/28(火)奈良市鴻ノ池陸上競技場で、サッカー競技は1回戦が8/2(日)から始まり、決勝戦は8/8(土)奈良県立橿原公苑陸上競技場で行われる。

 県内でスポーツに関わっている子どもたちには、種目の如何にかかわらず、いずれかの会場に出向き高校生たちのプレーを観戦して欲しいものだ。今年の夏の楽しみだ。

「2009近畿まほろば総体」公式サイト

2009年3月 3日 (火)

「TANGO en skai」(まがいもののタンゴ)を聞いて



 3/3(火)ひな祭りの夜に、「YOU TUBE」サイトを開いた。トップページの「あなたへのおすすめ」の中で、この「TANGO en skai」が気になりクリックしてみた。「あなたへのおすすめ」という言葉通りだった。魅了されてしまった。私の好みがデータ解析されて正確にフィードバックされた。

 テレビCMでも聞いたことがある曲だった。ギタリスト・村治佳織が弾いていたような気がする。「TANGO en skai」とは、「まがいもののタンゴ」という意味らしい。チュニジア生まれの有名なギタリスト・作曲家であるローランド・ディアスが作曲した。この映像は彼の演奏である。ひな祭りの夜に焼酎のお湯割を飲みながら、心地よいしらべに酔った。

※ブログに「YOU TUBE」サイトの映像を掲載することをトライしてみた! トップ写真の三角しるしをクリックして映像が現れるまで少し時間がかかります。

若狭・小浜の「お水送り」

 奈良では今は「お水取り」の季節だ。その伝統行事が終わらなければ、ほんとうの春はやってこないと言われている。「お水取り」があれば「お水送り」という行事がある。奈良「お水取り」に使われる「聖水」は、若狭・小浜から運ばれてくる。その地の「お水送り」の伝統行事が3/2に行われた。

 若狭と奈良は古来から深く結びついている。「お水送り」と「お水取り」という伝統行事がそのことをはっきりと証明している。若狭・小浜の「お水送り」の伝統行事の写真を見た。それはまさに「土俗」だ。

 とかく私たちは「伝統」、「歴史」を忘れ日常に埋没してしまう。そのことは、刹那的に多忙な時の流れに身を任せ、さまざまな人々が生きた証を無にしているのだろう。伝統行事は、私たちが今生存し、その存在はどこから来たのかをく知らせてくれる。

「お水送り/小浜市」Webサイト

2018・22サッカーW杯招致活動継続 東京五輪招致の成否に関係なく

 (財)日本サッカー協会(JFA)は、3/16までにFIFAへ提出する招致登録書で、2018年・2022年のサッカーW杯両大会に立候補することを正式に意思表示する。JFAは、2016年東京五輪の招致が絶対条件としていたが、その招致の成否に関わらず招致活動を継続し、サッカーW杯招致する方針を固めた。両大会の開催地は2010年12月に決定される。(3/3朝日新聞朝刊参考)

春三月、弥生、「白線流し」~岐阜県立斐太高校卒業行事~

Img  3/1(日)、飛騨高山にある岐阜県立斐太高校で、毎年恒例のの卒業行事、「白線流し」が行われた。卒業生が男子生徒は学帽の白線、女子生徒はセーラー服の白いスカーフを繋ぎ合わせ、学校のそばの川へ流す卒業の儀式だ。

 17年前、1992年3月、テレビのドキュメンタリー番組「別離の歌~飛騨高山の早春賦“白線流し”」を観た。その番組は私に多大なる感銘を与えた。その後、テレビの連続ドラマで「は白線流し」が取り上げられ人気を博した。

 学帽のl白線、セーラー服の白いスカーフを繋ぎ結び合わせる。その時、その場所で過ごした生徒たちが、旅立ちの儀式を迎えた。春が来る。

「YOMIURI ONELINE」Webサイト

「岐阜県立斐太高等学校」公式サイト

※写真の本は、「白線流しを知っていますか~18歳の別れ、旅立ち~」(角川書店:1993.03)

2009年3月 2日 (月)

偶然にも、保育園児の生活発表会を観た!

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 3/1(日)午前、自宅から車で10分、富雄川沿いにある生駒市北コミュニティセンター「ISTAはばたきホール」に所要があって立ち寄った。入口に、「はな保育園 第一回生活発表会」の立て看板があった。「保育園」という文字を見ただけで、私は心騒いだ。私の子どもたち3人はすべて保育園で育った。その保育園とは何ら関係ないのだが、保育園の生活発表会だから、時間はないのだが少しはのぞかなければならないという変な義務感が湧き出てきた。会場内では保育園児たちが舞台で一生懸命に発表をしていた。その姿を見ながら、私の子どもたちが通った「むぎの穂保育園」や「学園南保育園」での情景を思い描いた。

「むぎの穂保育園」公式サイト

「はな保育園」公式サイト

「紀伊半島一周390km~熊野古道を歩く」の新聞広告を見て

 「紀伊半島一周390km~世界遺産 熊野古道を歩く」の新聞広告を見た。、「新しいチャレンジの第一歩を踏み出そう!」「心と体の健康ウォーク」がキャッチフレーズだ。和歌山県海南から紀伊田辺、串本、紀伊勝浦、新宮を経て伊勢神宮へ2年間で完歩する。日帰り12回、1泊8回の合計20回。2008年1月には初めての完歩者88人が、2009年11月には106人が伊勢神宮へ到着したという。

 モータリゼーションの世の中で、私たちは歩くことの大切さをどこかへ置き忘れてきた。かつて、「旅」は歩くことだった。最近、健康のための「ウォーキング」が流行している。私の自宅近くの富雄川沿いをさまざまな年代の人々が歩いている姿を見かける。人間はいかなる動物も成し遂げることができなかった「直立二足歩行」という革命的な進化を遂げた。車は確かに便利な乗り物である。利便性とスピードの世界から、今一度、歩くことに回帰してみよう。見過ごしていた世界が、新たに見えてくるかもしれない。

「紀伊半島一周390km~世界遺産 熊野古道を歩く!」公式サイト

2009年3月 1日 (日)

高山「茶筅の里」 竹の露天乾し

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 奈良県生駒市・高山は伝統工芸品高山茶筅の産地である。全国シェアの80~90%を占めている。「茶筅」(ちゃせん)とは茶道で抹茶を立てる時に使う道具の一つである。一種の泡だて器だ。竹の一端を細く裂きうす削りやわらかくカーブさせた独特の形状をしている。その原材料となるのが竹で、油を抜くために刈り取った竹を写真のように円錐形にして立てかけ露天乾しにする。「茶筅の里」(ちゃせんのさと)、生駒市・高山のこの季節の風物詩だ。(写真は「高山竹林園」の中の広場での露天乾し)

3/11(水)「学園前ホール」で映画「おくりびと」上映

Img_0001 「あなたは大切な人をどう“おくり”ますか? そしてどう“おくられ”たいですか?」

 今年の米国アカデミー賞外国語映画賞を受賞した映画「おくりびと」が、3/11(水)近鉄奈良線「学園前駅」南隣にある奈良市西部公民館「学園前ホール」で上映される。

【とき】 3/11(水)
【ところ】 奈良市西部公民館「学園前ホール」(近鉄奈良線「学園前駅」南隣)
【上映時間】 ①10:30 ②14:00 ③17:00
【入場料】 当日 大人1000円 小中学生・60歳以上900円
【主催】 奈良県映画「おくりびと」を観る会 

「映画おくりびと」公式サイト

「シニア世代よ、再び映画館へ」を読んで

 2/26(木)朝日新聞朝刊、「アスパラクラブ」面の「シニア世代よ、再び映画館へ」を読んだ。映画評論家・品田雄吉氏の記事だった。同氏は幼少期を北海道北部の遠別村で過ごした。「70年前、ここに初めて汽車が通った。汽車は映画のフィルムを運んできた。毎週1回、上映日は村中が浮き立ち、大人は仕事を早めに切り上げた。やってくるのは三流の日本映画だけ、外国映画はこなかった。それでも娯楽の少ない村は華やぎました。」と同氏は語る。

 同氏は今、79歳、そのおもいでは小学生時代のことなのだろう。映画評論家を仕事とするようになった原体験なのかもしれない。私は大阪の場末の町で、小学生時代に、近くの新橋通商店街にあった「二葉館」「新橋劇場」という映画館で、祖母からもらった無料招待券を使いよく映画を観た。

 祖母は駄菓子屋を営み、その店先に二つの映画館のポスターを貼っていた。そのポスターの張替えの都度、無料招待券をもらっていた。祖母は私に「映画を観に行っといで」とよく私に無料招待券を渡した。一人ではいけないので近所の仲間たちとよく出かけた。そのときは、祖母からもらった無料招待券とお菓子を持って。品田雄吉氏の記事を読みながらその日々のことを思い出した。

 関東地区で洋画を観に映画館へ足を運んだ人の中で、40歳代以上が、2002年は41%であったのに対して、2008年は47%と6%増加した。かつて映画はデートの定番だった。当時の若者たちがシニア世代になって映画館へ回帰しているのだという。今は、「夫婦50割引」制度がある。夫婦の一方が50歳以上なら2人で2000円と割安になる。今一度、「シニア世代よ、再び映画館へ」戻ろう!

「映画館へ行こう!」公式サイト

今年は、七年に一度の「善光寺御開帳」

 今年は七年に一度の盛儀「善光寺御開帳」の年である。善光寺本堂に安置されているご本尊は秘仏となっている。鎌倉時代にご本尊の見代わりとして前立本尊が造られ普段は宝庫に安置されている。七年に一度だけ特別にその姿を拝むことができる。それが、「善光寺御開帳」だ。

 善光寺は日本最古のみ仏を祀り、1400年の歴史を誇る。宗派を問わず老若男女の庶民信仰の霊場である。創建以来、11回の火災に遭いながらも、そのたびに復建された。国宝である本堂は威容を誇り、宗派に関係なくすべての者たちを受け入れるような懐の深さがある。

 善光寺へは高校時代の夏季旅行で初めて訪れのち幾度か立ち寄った。全国から一度は善光寺へと訪れる人々があとをたたない。「牛にひかれて善光寺参り」。今年は「御開帳」の季節に訪れたいものだと、ふと、日曜日のゆるやかで暖かい朝の日差しの中で思っている。

「善光寺御開帳」公式サイト

「平城遷都1300年祭」の「まほろばステージ」・「県民活動支援・後援事業」募集中!

Img_0010 Img_0009  2010年4月から奈良において、「平城遷都1300年祭」が開催されます。

 奈良県では、平城宮跡のステージを使った催事プログラム「まほろばステージ」のプログラムを実施することができる団体を募集しています。また、県民の人々が主体的に参画し、主催者となって企画、実施する「活動支援事業」「後援事業」を募集しています。
 詳しくは下記のWebサイトを参照してください。

「平城遷都1300年祭」公式サイト

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