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2009年3月 8日 (日)

「わが母校 清水谷高校 情景2009.3」

 私は大阪府立清水谷高校へ1969年4月に入学し1972年3月に卒業した。もうすでに卒業して36年が経つ。私の妻は、清水谷高校時代の高校1年・2年生の時のクラスメートである。妻の学業成績は良く、私はと言えば劣等生だった。高校3年生への進級、また卒業時に留年になるところであった。妻は理科系コース、私は文科系コースだった。青春時代の力学関係はいまも続いているような気がする。

 当時の建物は大部分建て替えになった。図書館であった思い出深い「済美館」はそのままだった。桜の咲く季節になると、正門から「済美館」までの坂道は美しかった。今も通勤電車や鶴橋駅で、セーラー服の水色の襟、清水谷ブルーの女子生徒を見かけることがある。その時、高校時代のことをふと思い出す。

 西門から学校内に入ると生徒が部活のとレーニンングをしていた。私の姿を見るなり、「こんにちわ!」と男女生徒が次々と挨拶をしてくれた。グラウンドでは学校開放なのだろうか、小学生たちがサッカーのゲームに興じていた。

 私が在学していた当時は、社会全体も激しく揺れ動いていた影響を受け、学内も騒然としていたことがあった。正門前の喫茶店「あづさ」には在学中よく立ち寄った。思いで深い。高校時代当時、両親からすれば、わが息子は一体どんな生活を送るのかと将来を心配していた。あれから36年が経ち、私は、クラスメートだった妻と結婚31年、3人の子どもがいる。不思議なことではあるが、人並みに小市民的な生活を送り続けている。

「大阪府立清水谷高校」公式サイト

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