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2009年2月 1日 (日)

「うぶすな」想

 私は携帯・パソコンともメールアドレスに「ubusuna」を使用している。カタカナで「ウブスナ」、ひらがなで「うぶすな」、漢字ならば「産土」と表記される。なぜその言葉を使ったのか、それは三つの要因からだった。まず、ひとつは、その言葉の語感に何気なく惹きつけられたこと。ふたつ目は、辞書で引くとその言葉が「生まれた土地」という意味をなしているということだった。三つ目は、私自身はいつまでも「初心」(ウブ)で「素直」(スナオ)でいたいと願ったからだ。深い意味合いなどなかった。

 
「広辞苑」で「うぶすな」を紐解けば、「ウブ(産)スとナ(土・地)との結合したもの。ウブスはウムスと同源。ウムスは略してムスとなり、『苔むす』などという。」と。その意味は、「人の生まれた土地。生地。本居。」とある。旧来、「うぶすな」を「産土」「産砂」「生土」という漢字をあてていたと別の本で知った。

 2008522日、日本経済新聞朝刊「私の履歴書」の中で、民俗学者・谷川健一氏が、「ウブスナ」の語源が分かった時のことを記している。
 昭和
46年(1971年)に若狭・敦賀の「産小屋」を同氏が調査した時のことだ。「産小屋」とは、「広辞苑」でその言葉はなく「産屋」(うぶや)という言葉がある。「①出産のために建てた家 ②出産のために使う室」とある。かつて、産婦は日常の居住空間から離れた特別な場所で出産を向かえた。

 
若狭・敦賀にはその当時の「産小屋」の残存としての「納屋」が残っていた。その納屋の持ち主の老人に同氏が聞くと、「産小屋には床板を張らず、小屋のつい先の海浜の砂を運んで一番底に敷き、その上にワラシベをのせ、ワラシベの上にはムシロを、ムシロの上には布団を敷いたという。産婦はそんきょの形で座り、垂れ下がった力綱を握りしめて分娩した。」という。そこで、同氏が老人に「産小屋の底に敷く砂をなんと呼ぶのですか?」と聞くと、その老人は「ウブスナ」と答えたという。その時、「ウブスナ」の語源が同氏にとって解明できた瞬間だった。

 
歴史の彼方から連綿として、人々は何かを伝えたいという思いを営為として積み重ねてきた。言語が発生する以前は、目に見えるもので表現しようとした。アルタミラの壁画、また世界中にある石仏のように、岩という固く刻むという労苦が伴う営為の中でも、人々は表現し伝えようとした。ただ、それでは不完全であるという意思が、付属的に言語を産み出し発達させたのだろう。無数の言語とその語彙が形成された。表現の完璧さを求めて。

 
何気なく使っている語彙には、それぞれの人々の営為の積み重ねがあり、本当の意味が存在する。また歴史的な変遷の中で、その意味と使い方は変容し消失する。私がメールアドレスに、何げなく使っている「ubusuna」には、私の無知とは別に、人々の営為の歴史がにじんでいる。「ubusuna」は「ウブスナ」、「うぶすな」であり、「産土」なのだ。

 かつて、出産を終えた産婦は、近くの海に波を受けに白い襦袢姿で海に入ったという。波がなければ、頭まで海面下につけたという。「常世浪」を受けるのが習わしであったそうだ。「常世」、それは海の彼方の楽園、出産を終えた産婦とその子どもの未来への再生を祈る儀式であったのだ。「うぶすな」という語彙は、人々の拠点を示す思いと想いをあらわす語彙であるとともに、「産み」(ウミ)は、生命の母である「海」(ウミ)に繋がるように、生命の「誕生」と「再生」への語彙なのだ。

 出産という儀式で、一番下に海浜から持ってきた「砂」(スナ)を敷いたことは、そのような象徴的な意味合いがあるのだろう。私は、自分自身をあらわすただの「記号」として、「
ubusuna」を使ったのかもしれない。しかし、「ウブスナ」「うぶすな」「産土」という語彙には、人々の歴史的営為が刻まれ続けているということを、その語彙が表す本当の意味を、私は今、認識している。

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