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2009年2月28日 (土)

「幼児生活団」設立70年 利用者減少

 「幼児生活団」は集団生活の中でさまざまな生活習慣を学ぶ場として70年の歴史を持つ。自由学園(東京)、雑誌「婦人之友」の創立者である羽仁もと子さんが創設したもので、「よく教育するとは、よく生活させることである。」という信念のもとに運営されてきた。

 最近は、親の関わりの負担感が重いということで利用者が減少している。子育てが、連帯から孤立へと人間関係が希薄な状況になっている中で、現在の女性の労働状況に適合したニーズを取り入れながらも、その理念に基づいた活動を継続できることを願う。

「自由学園幼児生活団」公式サイト

「全国友の会幼児生活団」公式サイト

おすすめの近くの温泉~「音の花温泉」~

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 わが家から車で30分ほどの場所、生駒市小平尾町(電車であれば近鉄生駒線「東山駅」下車徒歩5分)に、天然温泉「音の花温泉」(ねのはなおんせん)がある。スーパー銭湯とは一味違う。内湯の湯船や露天風呂は、温泉旅館のように広い。湯船につかっていると、どこかの遠くの温泉へでも来た様な気分になる。私にとっての秘密の、お気に入りの近場の温泉である。内湯・露天風呂の写真を掲載できないのが残念だ。

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 営業時間は9:00~23:00、大人700円、子ども300円だ。せっけん、シャンプーの備え付けはない。サウナルームがあり、レストラン「音の花亭」で食事もできる。平群総合グラウンド・奈良産業大学信貴山グラウンドでのサッカー観戦後に一風呂浴びるにはもってこいのロケーションだ。温泉はしごをしたい人は、その場所から車で5分の場所に「かんぽの宿大和平群温泉」がある。勝っても負けても一風呂浴びて次へ・・・・・。

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新幹線乗客数は減り、駅弁販売個数が増える

 2/24(火)日本経済新聞朝刊によると、JR東京駅での駅弁販売が好調だという。東海道新幹線・東北新幹線の乗客数が減少している状況の中で。駅弁販売個数は前年度を上回るペースが続いている。

 昨今の急速な景気失速に伴い、東京出張の折には駅近くの飲食店で夕食をとっていた人々が、節約のため駅弁と缶ビールを購入し車内で疲れを癒すしていることが要因だと分析している。売れ筋は割安商品だという。

 余談になるが、最近、駅でスーツ姿の男性が缶ビール片手に立って飲んでいる姿を見かける頻度が増えた。

なぜ、「昭和史」に関する本を・・・・・

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 最近、「昭和史」、特に昭和初年から戦中に関する多くの本が出版された。安価な新書版の本が書店で並んでいる。「昭和」という時代が終わり、20年余りが経った。「昭和」というわが国の激動の時代も、「歴史」として客観的な検証がなされるようになってきたのだろう。

 戦争が終わり60年余りが経つ。私は昭和28年生まれ、戦争を知らない世代である。ただ、50年近く前、祖母から聞かされた話は今も記憶に深く刻まれている。それも、BGMに、「麦と兵隊」「戦友」「海ゆかば」などのソノシートで軍歌がかかった。見聞きした兵隊さんの話を涙ながらに語った。最後は、戦争を素朴に「嫌なもの」「きらいなもの」と位置づけ、その時代の上層部に対する怒りを露骨に話した。批判などと言うものではなく批難そのものだった。

 無学な祖母であったが、その話は興味深かった。その影響から私の記憶は客観的事実を知りたいという興味へと向かい、若い頃からその時代に関する本を今も読み続けている。

2009年2月27日 (金)

「芸術新潮3月号」を買った!

 2/26(木)最寄り駅の近鉄奈良線・富雄駅近くの「ジャパンブックス」で、なにげなく本を物色していた。「芸術新潮3月号」の表紙に目が行った。特集・興福寺創建1300年記念「阿修羅のまなざし」に惹きつけられた。その雑誌のページを繰った。3/31から東京国立博物館で「国宝・阿修羅展」が開催される。仏像・阿修羅の魅惑的な姿に魅了された。

 その雑誌を続けて見ていると、小特集が「写真家・小島一郎が切り撮った北国」だった。15枚余りの写真が掲載されていた。つい昨日に初めて知った、それも心の共鳴を抱いた写真家・小島一郎の特集だ。偶然とは奇異なものなのだ。その写真を見ながら、再び自分自身の感性が震えた。

 またも偶然にも、「エマニュエル・リヴァ 彼女のヒロシマ・モナムール」の小特集があった。広島を舞台にしたアラン・レネ監督の映画「二十四時間の情事」の主演女優である彼女が、1958年、撮影の始まる前の一週間、美しく魅惑的な女優がカメラ片手に町を歩き広島を写し撮った。長年、彼女の実家のトランクに忘れ去られていた。それが偶然にも表舞台に出た。1958年当時のその写真には多くの広島の子どもたちが映し出されている。

 阿修羅、小島一郎、エマニュエル・リヴァという興味ある対象が一冊の雑誌に掲載されていた。迷わずに「芸術新潮3月号」を買った。おそらくその雑誌は、私の本棚の中でずっと存在し続けるだろう。

「芸術新潮」公式サイト

2009年2月26日 (木)

森の中の小道での落し物

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 矢田山あそびの森の中の小道を歩いていた。視野の中に赤い色彩が目に飛び込んできた。遠くからはそれが何なのか解らなかった。その色彩につられて近づくと、落し物である赤い手袋だった。

 この森の中の小道を歩いていた女の子が落としてしまったものなのだろう。可愛く愛くるしい手袋だった。私に向かって微笑んでいるようだ。いつか、その女の子は落としたこの赤い手袋を取りに来るのだろうか? 取りに来ないまでもこの赤い手袋のことを思い出すのだろうか?

昨日、写真家・小島一郎の存在を初めて知った~青森のミレー~

 2/25(水)、「泳げたい焼き君」的な日常の中で、近鉄奈良線富雄駅6:37発の大阪なんば行きの準急に乗った。カバンから日本経済新聞を取りだし、まず文化面開いた。「青森のミレーは写真家」という表題と、「早世の小島一郎、農民と自然の共存・戦いを撮る」という言葉が目に入った。その横に小さな写真が掲載されていた。

 朝のけだるさが漂う通勤電車の中で、その写真に目と心を奪われた。小島一郎「つがる市稲垣付近」(1960年)という写真だった。それは1960年頃の津軽の農民を写し撮った絵画のような作品だった。

 その掲載記事は、青森県立美術館の女性学芸員のかたが執筆されていた。青森県で生まれ育ったその女性が、初めて小島一郎氏の津軽の農民と風景の写真を見て心の奥底に刻まれ、情熱的に同氏の写真展を開催することの一念を抱かれていた。その努力が結び、青森県立美術館で「小島一郎~北を撮る」という企画展に成就した。

 その女性学芸員の方が日本経済新聞に記事を執筆されなかったならば、その新聞記事を私が見なかったならば、少なくとも私は、写真家・小島一郎の存在を知ることもなかったかもしれない。私の心の奥底の感性に共鳴版のように響く写真だった。

 青森県と言えば、そこで生まれ育った人を思い描くと、私にとって、太宰治、棟方志功、寺山修司が浮かんでくる。そして、そこに、昨日から小島一郎が付け加わった。青森県立美術館へ行きたいと思えど、余りにも遠い。

「青森県立美術館」公式サイト

2009年2月25日 (水)

「矢田山あそびの森」

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2009年2月24日 (火)

村上春樹氏 「エルサレム賞」 受賞スピーチ全文を読んで

 2/15(日)、イスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した作家・村上春樹氏の受賞スピーチ全文を読んだ。2/24(火)新聞広告で、「週刊朝日」がその受賞スピーチ全文を掲載することを知り、仕事帰りに駅の売店で同誌を買い、帰宅する電車の中で読んだ。

 「エルサレム賞」は、社会における個人の自由」に貢献した文学者に贈られるもので、授賞式出席の是非が取りざたされ、同氏の小説の不買運動を行うという警告をうけた中で、同氏は、エルサレム市での授賞式に参加して受賞スピーチを行った。

 私は同世代の作家では、村上龍・村上春樹両氏の存在が気になり続けている。2/21(土)にこのブログにおいても、村上春樹氏のスピーチでの言葉を記した。今、全文を読み終えて新たな感慨を抱いている。

 「ここに高くそびえる壁と、壁にぶつかると壊れてしまう卵があるとすると、私はいつでも卵の側に立つ。たとえどんなに壁が正しくて、卵が間違っているとしても、私はつねに、卵に寄り添います。」 
 「子どもの頃、父が毎朝食事の前に、自宅の小さな仏壇の前で深い祈りを捧げているのを見て育ちました。一度、父に聞いたことがあります。なぜ、祈るのかと。すると父は言いました。戦場で命を失った人たちのために祈っているのだと。敵、味方に関係なく、戦争で亡くなったすべての人たちのために祈っているのだと。」
 「今日、私がみなさんに伝えたいことはひとつです。それは、私たちの誰もが、国籍や人権や宗教の違いを超えて、人間であるということです。」 
(村上春樹氏のスピーチより抜粋)
 
そのスピーチが終わった後に、会場ではスタンディングオーベーションが起こったとその記事には記されていた。

 上記のスピーチで言い表された言葉を読みながら、私が村上春樹氏の小説に惹かれ続けてきたのは、「弱さを抱いた人間」に寄り添うという琴線に触れる本質的な意味での共鳴があったのだと、今日初めてその理由が分かった気がしている。
 

峠道への傍らに「追分神社」があった!

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 追分梅林から南生駒・暗峠へとつづく緩やかな坂道を登った。その道の傍らに「追分神社」の石の鳥居があった。石段をゆっくりと一段一段登った。初めての場所だった。

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 ほんとうに小さな祠と灯篭だけがある神社であった。奥ゆかしくひっそりとしたその小さな神社に心惹かれた。幾年もその地の人々を見守ってきたのだろう。当たり前のことだが、その地に観光客は訪れることもない。しかし、「追分神社」は存在し続けてきたし、今後も存在し続けて行くのだろう。宗教などという難しいものではなく「お宮さん」として。

2009年2月23日 (月)

「かがやけ二名っ子」(1993年創立20周年記念文集)を本棚から取り出して

Img_0001  今夜、「かがやけ二名っ子」(1993年創立20周年記念文集)を取り出し抜粋して読んだ。その文集は、1993年当時、16年前に奈良市立二名小学校・二名幼稚園に在籍していたすべての子どもたちが手書きで書いたものである。紙質がよくなく、黄ばんだしみが表紙にも現れている。その当時の子どもたちは、今、22歳~28歳の時を迎えている。

 サッカーをしていた子どもたちの名を見た時、それぞれのその時の顔が思い浮かんだ。彼らの書いた言葉をすべて読んだ。すべてを記すことは不可能だ。ほんの一部だけを記しておく。と

 幼稚園児 「ひっこしやさんになって ひっこしをおてつだいして にもつをはこぶときに どんなものがあるかをみたい」と書いた子どもは何年か後に、高校サッカー選手権大会開幕戦のピッチに立った。

 小学1年生 「とみおきたしょうがっこうからはじめててんこうしてきたとき すごくきんちょうしました。」と書いた子どもも高校サッカー選手権大会に出場した。

 小学4年生 「ぼくのチームは名古屋グランパスエイトでぼくのポジションは右のウイングだ。」と書いた子どもは、今、関西サッカーリーグ1部でプレーし続けている。

 わが息子も4年生だった。「ゴールから約25mぼくは右すみにけりこんで1点とりました。」 今も愚鈍なるままに、信州・長野でボールと戯れ続けている。

 手書きの文字で文集に書き連ねた子どもたちは、それぞれの世界で、元気に奮闘しているのだろうか? 文集を読みながら彼らのことを想った。

「企業スポーツの危機」 新聞紙上で相次いで連載

 日本経済の危機的な状況の中で、「企業スポーツ」が危機に瀕している。わが国のスポーツを支えてきたのは、「学校スポーツ」と「企業スポーツ」が両輪駆動であった。不況の影響を受け、企業にとってその存在すら危ぶまれている中で、スポーツへの支援継続は確かにリスクがある。「企業スポーツ」で活動している部が休廃部、支援撤退・縮小が相次いでいる。

 昨日からは日本経済新聞朝刊で「企業スポーツの危機」、今日からは朝日新聞夕刊で「不況スポーツは」という連載記事がスタートした。興味深い記事として読んでいる。不況はスポーツの基盤までも侵食し崩落させる状況となることもありうる。

 ボランティアに支えられた地域スポーツでさえその例外ではなく、大きな影響を受けざるをえないだろう。われわれ地域スポーツに関わる者として、社会経済的な状況を踏まえての活動が必至となる。

秋篠寺の石仏に黙して手を合わせた!

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 なぜ人は労力を費やしてでも、硬い石に仏を彫ったのだろうか? 秋篠寺の石仏の傍らには誰とも知れずに花が添えられていた。その石仏、どのような想いを込めて、いつ彫られ、そこにあるのかを私は知る由もない。それが文化的遺産であるかどうかなど、私にとっては大きな意味をなさない。ただ存在することだけで、信心深くもない私でさえ小さな屋根の下に佇む二体の石仏に、ただ黙して手を合わせた。

2009年2月22日 (日)

「追分本陣 村井家住宅」を眺めながら坂道を登った

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 かつて奈良から矢田丘陵を登り降りして、南生駒を経て生駒暗峠を越えて大坂へとつづく道である。「右 大坂」という道標があった。ここは、大和郡山と大坂への分岐点であったため、「追分」という地名がついた。その角に「追分本陣 村井家住宅があった。市内では珍しい宿場建築として奈良市指定文化財に指定されている。緩やかな坂道をたどり、矢田自然公園へと向かった。

「今がわかる時代がわかる日本地図2009年版」を読んで

Img_2 発行:成美堂出版(2009.01)/定価:1600円+税/P.255

 
「テーマ別 日本の現状」として、環境・自然、格差社会、社会、産業経済、交通・情報、文化・スポーツ等のデータが満載されている。見やすく、さがしやすい「都道府県別地図」には観光地、温泉などが掲載され、仕事・観光にも活用できる。

 夜、寝る前に、ページを繰っていた。実に面白かった。「データ」と「地図」、「論理力」と「想像力」を刺激するにはもってこいの私好みの一冊だ。ベストセラーになっていることからも多くの人々がこの一冊を購入し読んでいるのだろう。

 中・高校生には、特に手元に置き気軽に読んで欲しい本だ。学習とスポーツにも有意義なものだ。スポーツは「論理力」・「想像力」の上に技術・戦術が成り立っている。「データ」を見て読み取る力、「地図を」を見て思い描く力、「論理力」・「想像力」をベースとした「情報分析力」は、スポーツ選手としてだけではなく、社会人としても有益性を持つ。中・高校生たちよ、夜、寝る前に「データ」と「地図」を見よう。

J1リーグ選手 出身高校ベスト10

【J1リーグ選手 出身高校ベスト10(2008年)】
①市立船橋(千葉) 22人 ②清水商(静岡) 13人 ③国見(長崎) 12人 ③前橋育英(群馬) 12人 ⑤滝川第二(兵庫) 11人 ⑤鹿児島実業(鹿児島) 11人 ⑤静岡学園(静岡) 11人 ⑧大津(熊本) 9人 ⑧東福岡(福岡) 9人 ⑩桐光学園(神奈川) 7人

(「今がわかる時代がわかる日本地図2009年度版」(成美堂出版)から抽出)

 全国各都道府県からJ1リーグ選手になってはいるが、上位校の顔ぶれをみると地域的な集中度が顕著である。関東・九州が勢力絵図の中心となっている。

高校サッカー選手権 都道府県別 通算勝率ベスト10

【高校サッカー選手権 都道府県別 通算勝率ベスト10】
①静岡 0.750 ①長崎 0.750 ③千葉 0.726 ④埼玉 0.681 ⑤鹿児島 0.678 ⑥東京 0.637 ⑦三重 0.623 ⑧福岡0.595 ⑨茨城 0.583 ⑩群馬0.569 第24位奈良 0.442

※数字の例:奈良 0.442は4割4分2厘
※引き分けの場合は算出しない。
※1976年~2007年の結果から累計
(「今がわかる時代がわかる日本地図2009年度版」(成美堂出版)から抽出)

日本サッカー協会 「U-12・S級コーチ」新設へ

 2/21(土)、日本サッカー協会(JFA)の犬飼基昭会長は、全国技術委員長会議(東京)で、サッカー指導者資格制度に「U-12(12歳以下)・S級」を新設する方針を語った。
 現在、U-12年代の指導者資格の最高ランクは「U-12・A級」となっている。JFAは、いままで以上に育成に対して重点置く方針の流れで、指導者の地位向上と、指導者養成のインストラクターの確立をめざす。(2/22朝日新聞朝刊参考)

2009年2月21日 (土)

奈良「追分梅林」を歩いて

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 2/21(土)朝、奈良市中町にある「追分梅林」の中を歩いた。ゆるやかな丘の斜面に植えられた梅林で、まだ花は6分咲きぐらいだったろうか。梅林には、私と同年代のご夫婦が手をつなぎ梅の花を眺め歩いていた。

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 平安時代までは、「花」と言えば「梅」であった。平安時代の後期、歌人・西行が「桜」を詠み出してから、「花」と言えば「梅」ではなく「桜」になった。江戸時代には現在のように「桜」が定着した。しかし、「梅」は「桜」にないしっとりとした趣がある。

先週の日曜日、「かんぽの宿 大和平群」へ寄り道をして

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 2/15(日)、平群総合グラウンドで、ソレステジュニアユースのゲームを観戦した。その帰路、車を走らせていると「かんぽの宿大和平群」という標識が見えた。「温泉」というものが脳裏をよぎった。車には「ナビゲーション」は搭載していないが、「お風呂セット」はいつも搭載している。悪霊を取り払わなければ、心と体のみそぎをしなければならない。迷わず信号を右折して「かんぽの宿大和平群」へ寄り道をして、「古代檜風呂」に入浴した。

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 風呂上りにゲーム機が並んでいる場所を通り過ぎようとした。なつかしいものが見え少し立ち止まり覗き込んだ。

Photo_5  ロビーにはひな人形が飾られていた。もうすぐひな祭りなのだ。わが家のひな人形はどこにあるのだろうか?長年しまいこんだままになっている。そんなことを思いだした。

 昔から、ユースホステル、国民宿舎やかんぽの宿などの公営宿泊施設に愛着を感じ続けている。普段着の旅行者に出会えるからなのだろう。その日も、私は日帰り入浴だったが、浴衣姿のご高齢の老夫婦の方を見かけた。ひな人形を眺めながら、お二人で目を合わせ微笑みあっていた。昔の日々を思い出されていたのだろうか?

「高くて固い壁」と「壊れる卵」

 2/15、作家の村上春樹氏がイスラエルの文学賞「エルサレム賞」を受賞した。その受賞式講演の要旨が、2/21()、奈良新聞紙上の「ならティーンズ」欄に掲載されていた。同紙は、ティーンズ読者にとって有益な講演と考え受賞講演要旨を掲載した。

 その中で、同氏は受賞することで誤解が生じることもあるとしながらも、欠席して何も言わないより話すことを選び、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ攻撃を「高くて固い壁」と「壊れる卵」にたとえて批判した。

 「私が小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁とそれにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるのだろうか。」(受賞講演要旨の一部抜粋)と。

 同氏の小説は、各国語に翻訳され世界中で読まれている。世界的に見て人気ある現代日本の作家と言っても過言ではない。その言葉の影響は大きい。おそらく賛否両論が渦巻くのだろう。ただ、少なくとも私は、同氏の存在をかけた言葉を通じての勇気ある行動であったと考えている。

2009年2月20日 (金)

Books 「幕末史」

Img  著者:半藤一利/発行:新潮社(2009.02第2刷)/定価:1800円+税/P.477

 「黒船来航から西南戦争まで激動の時代を語り下ろした」 「日本が大転換と遂げた二十五年間」

 著者の父は越後長岡藩である新潟県長岡市の在であったという。明治維新、戊辰戦争で、会津・長岡・庄内・米岡等の奥羽諸藩は、官軍に対抗した賊軍としての歴史を刻んだ。

 幕末から明治への歴史は、「維新」として勝利した者、官軍、薩摩・長州藩から正史として描かれ続けてきた。この本は、理不尽にも賊軍の汚名を刻まれた者たちからの幕末から明治までのもうひとつの歴史書だ。

世界で2500言語 消滅危機 ユネスコ発表

 2/19(木)、国連教育科学文化機関(ユネスコ)は世界で2500言語が消滅の危機にあると発表した。わが国ではアイヌ語が「最も危険」な状態にある言語と分類された。南西諸島の各方言も独立の言語とみなされ、8言語がリストに加えられた。

 わが国でアイヌ語の話し手が15人とされ、きわめて深刻であると分類された。わが国では方言として認知されている八重山語、与那国語、沖縄語、国頭語、宮古語、奄美語、八丈語の8言語が、独立の言語として評価され、「重大な危険」「危険」として分類された。

 言語が消滅するということは、歴史的に積み重ねてきた文化の伝達が途切れてしまうことを意味する。わが国は日本語という単一言語の国家であるという錯覚がある。しかし、現実は多様な方言ではなく言語が存在していた。1950年以降、世界で219言語が消滅したという。そのことは、それぞれの固有の文化が消滅したということだ。わが国のアイヌ、南西諸島の言語もその運命をたどるのだろうか。

2009年度 都道府県別 社会保険料率ランキング

 わが国で約3630万人が加入する医療保険である「協会けんぽ」(旧政府管掌健康保険)の保険料率は全国一律であった。今秋から都道府県別に保険料率が設定される。保険料率は、医療費が多い地域ほど料率が高くなる。2009年度の各都道府県の保険料率を低い順にランキングした。(2/19朝日新聞朝刊参考)

【2009年度都道府県支部別の保険料率】
①長野7.68 ②静岡7.88 ③埼玉7.91 ④千葉7.92 ④新潟7.92 ④山梨7.92 ⑦群馬7.94 ⑧山形7.95 ⑨茨城7.96 ⑩岩手8.03 ⑩栃木8.03 第31位奈良8.31

2009年2月19日 (木)

秋篠寺 ふたつの歌碑

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 秋篠寺の南門を入り、左側に、美術史家、書家、歌人である会津八一の歌碑がひっそりと立っている。 
「秋篠のみ寺をいでてかへりみる生駒がたけに日はおちむとす」(会津八一)

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大元堂と開山堂の間の奥まった場所に、歌人、川田 順の歌碑が立っている。 
「諸々のみ佛の中の伎芸天何のえにしぞわれを見たまう」(川田 順)

 
歌人、川田 順は、財界人トップの座を目前にして財閥・住友を去り、54歳で歌人となる。三大新聞の歌壇の選者を歴任する地位にある時、京大教授夫人である三人の子女がいる女性との恋。その時、順68歳、俊子38歳であった。「老いらくの恋」という流行語を生む。秋篠寺の苔を見ながら、著者 辻井 喬(財界人 清二)の小説「虹の岬」(1994年度 谷崎 潤一郎賞受賞)で描かれた歌人、川田 順を想った。

奈良県第47位 都道府県別 年間延べ宿泊者数ランキング

 2007年の国土交通省宿泊旅行統計調査によると、年間延べ宿泊者数で見ると、奈良県は115万人で47都道府県中の最下位となっている。

【年間延べ宿泊者数ランキング】
①東京都3718 ②北海道2492 ③大阪1600 ④千葉1480 ⑤静岡1342 ⑥沖縄1193 ⑦神奈川1058 ⑧長野1057 ⑨愛知1049 ⑩京都961 第47位奈良115 (単位:万人)

2009年2月18日 (水)

JA全農杯チビリンピック2009奈良予選(U-10) 試合結果 【2/14・15】

2/14(土)・15(日) 北大和グラウンド
【決勝】
高田 3-0 アスペガス生駒
【準決勝】
高田 4-0 奈良YMCA
アスペガス生駒 1-0 桜ケ丘
【準々決勝】
高田 3-0 パルティーダ生駒  奈良YMCA 2-1 俵口ブァルコン
アスペガス生駒 3-0 ソレステレージャ  桜ケ丘 4-0 天理

※高田・アスペガス生駒は、3/21・22に和歌山県紀三井寺で行われる関西大会に出場する。

2009年2月17日 (火)

秋篠の「伎芸天」御前へ

 奈良・秋篠寺と言えば、仏像「伎芸天」だ。2/14(土)バレンタインデーの日に、その姿の御前に歩み寄った。「東洋のミューズ」と言われている。「伎芸天」の微笑みは何ものにも変えがたいものだ。小説家・堀辰雄は「大和路」の中で、「ここの少し荒れた御堂にある伎芸天女の像をしみじみと見てきたばかりのところだ。このミュウズの像はなんだか僕たちのもののような気がせられて、わけても慕わしい。」と秋篠寺を訪ね伎芸天を見た時の印象を書き記している。伎芸天の御前に佇み、その微笑に見つめられて精神の安らぎを感じた。その日は、確かに聖バレンタインデーであった。

 秋篠寺を訪ねた折にいただいた「秋篠寺小誌・尊像略記」の裏面に、多くの人々が伎芸天を見て詠った。その中の二首。
秋篠の伎芸天女の印むすぶゆび細々と空に定まる (鈴木光子)
伎芸天女寒きしじまの夕べにすら匂いこぼれて立たせ給えり (松山ちよ)

GDPマイナス12.7%とスポーツ環境

 2/16(月)内閣府は2008年10月-12月期の国内総生産(GDP)速報値が、年率換算でマイナス12.7%であることを発表した。1974年1月-3月期の年率、マイナス13.1%つづく35年ぶりの減少幅を示した。経済財務担当大臣は、「戦後最大の経済危機だ」と述べ、2/17(火)日本経済新聞朝刊の連載記事「日本経済 マイナス12%の警鐘」の冒頭文は、「日本経済はだれもが経験したことのない未踏の領域に入りつつある」という書き出しから始まっていた。

 日本経済を牽引してきた自動車業界がトヨタ・日産を筆頭に経営が揺らぎ、その傘下、また中小企業の経営状態も悪化の一途をたどっている。その影響を受けて、企業スポーツの世界でも、休部・廃部が相次いでいる。その状況に至らない場合でも、企業のスポーツ界への支援縮小が顕著な傾向として現出している。

 地域スポーツも例外ではない。その環境を支えてきたのはボランティアである。確かに、経済が安定し休日が増加した中で、ボランティアとして活動している人々が増加傾向にあったことは事実であった。しかし、昨今では、仕事の関係でその活動に従事できないか、従事しづらい状況がでてきたのも現況である。

 また、スポーツに取り組む子どもたちは保護者の経済によって支えられてはいるが、その経済の基盤が揺らいでいる人々も増加しつつあるのかもしれない。経済が豊かな保護者を持つ子どもはスポーツに取り組めて、豊かでない保護者を持つ子どもはスポーツに取り組めないという状況だけは、決して生じさせては成らない。

 GDPマイナス12.7%とスポーツ環境は無縁ではない。地域スポーツに関わる者として、そのことをしっかりと認識しておかなければならないと、自分自身に言い聞かせている。

2009年2月16日 (月)

U-18奈良県サッカーリーグ1・2部入替え戦 試合結果 【2/15】

2/15(日) 橿原多目的グラウンド
郡山 3-1 奈良北 (0-1/3-0)
奈良 4-2 生駒 (1-1/1-1延長1-0/1-0)
香芝 3-1 女子大付 (1-0/2-1)

郡山は1部昇格、奈良・香芝は1部残留、奈良北は2部降格、生駒・女子大付は2部残留。

2009年2月15日 (日)

ソレステレージャ(U-13) 準優勝 JFA PREMIER CUP JAPAN 2009 奈良大会

2/15(日) 平群総合運動公園グラウンド
【決勝】
奈良YMCA 2-0 ソレステレージャ奈良2002 A (1-0/1-0)
【準決勝】
ソレステレージャ奈良2002 A 2-1 ディアブロッサ高田FC (1-0/1-1)

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 今日は決勝戦だった。、昨日、ソレステレージャ奈良Bが完敗を喫した奈良YMCAに対して、ソレステレージャ奈良Aが挑んだ。結果は敗れたが準優勝を勝ち取った。ソレステレージャ奈良Bもベスト8、AB両チームとも健闘した。

 1人の観戦者として、ソレステレージャU-13のすべての子どもたちがそこに居て、ピッチに立つか立たないかに関係なく、サッカーに取り組んでいる。円陣を組みピッチに立つ者、ベンチに居る者、スタンドで応援する者、そのすべてがソレステレージャU-13である。スタンドで一生懸命応援する子どもたちの後姿とその背景としてのピッチ上の子どもたちの姿を観ながら、黄色のゲームシャツを見るだけで、私の後天的な目の病である「網膜の奥が潤む病」が生じる。

 今日はU-13の子どもたちではあったが、あえて書き留めておく。ソレステレージャ奈良2002のジュニアユース・ジュニアのすべての子どもたちまた指導者に、加えて保護者に対して心の奥底から声援を贈りつづけたい。いつまでも。サッカーを通じて明日に向かって撃ち続けろ!!

 奈良YMCAはいいチームだった。関西大会での健闘を心から祈っている!!

P.S. 今日、ソレステU-13のけがをしていた二人の子どもたちが、駐車場で私に近寄りあいさつをしてくれた。「我慢しろ、あせるな、しっかりと直せ!」とだけ言った。私にはたったそれだけのことしかできない。私がそのことを言ったあとの子どもたちの笑顔が印象的であった。忘れない!

秋篠寺逍遥

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 2/14(土)、二名中グラウンド、北大和グラウンドで、ソレステのゲームを観戦した帰路、大遠回りして秋篠寺へ寄った。秋篠寺は平城京西北の地に奈良時代(776年)に開基された由緒ある寺である。観光ルートから少しはずれた小さな寺でありながら、「あきしの」という美しい言葉、苔むす庭、国宝の本堂、そして、「伎芸天立像」に惹かれた人々が立ち寄る。その日も、駐車場には、「長野」「広島」ナンバーの乗用車が止まっていた。

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 南門から本堂へと続く道の両側には、緑あざやかな苔が目を奪う。

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 国宝の本堂である。一度焼失して鎌倉時代に大修理が行われたものであるが、奈良時代の伝統を生かした建築として素朴さと落ち着きを感じさせる魅力が漂う。この本堂の中に、有名な仏像「伎芸天」がある。

「VOLANTE (ボランチ)」想

Photo  VOLANTE (ボランチ)」という言葉がある。サッカー用語として知られている。私がブログを開設しそのブログを命名する時に、迷いもなく「ボランチ」という言葉を選んだ。誤解をしている人がいるかもしれない。今もサッカーを続けているわが息子が、ずっと「ボランチ」というポジションだったので、その関係でブログ名を「ボランチ」と命名したのだと、それは大きな誤りである。

 その名がなぜサッカー用語として使われだしたのか、それは、1940年代にアルゼンチン人、「カルロス・ボランチ」がブラジルのフラメンゴでプレーした時、現代で言う中盤の底、守備陣(DF)の前でプレーすることを命じられた。その起用が成功しブラジルサッカー界でその活躍が注目された。そのポジションに起用された選手に、監督・コーチから「“ボランチ”のようにプレーをするんだ!」と叱咤激励が飛んだ。そもそも「ボランチ」は選手名であった。サッカーのポジション名としては、一説によれば1950年頃に発祥したと言われている。

 「ボランチ」というポジションは、チームのスタープレーヤーを引き立てる泥臭いプレーが必須である。守備の要であり、攻撃の起点である重要なポジションだ。ただ、トップ、サイドアタッカーほど目立つわけでもない。どちらかといえば影のような存在に見えてしまう。ただ、現代サッカーではチームが機能する上で限りなく重要なポジションだ。

サッカーは11人のプレーヤーでチームを組む。それぞれのシステムが存在する。11のポジションの役割を与えられる。それぞれのポジション名がある。FWMFDFGK。それに右か左かをその名称の前につける。その中で、守備的MFにだけは、「ボランチ」という特別な名、愛称、称号が与えられる。本当は他のポジションであっても、何かの意味ある言葉が与えられても不思議ではない。しかし存在しない。

守備的MFをブラジルではその国語であるポルトガル語で、「VOLANTE(ボランチ)」、英語圏では「Screener(スクリーナー)」と呼ぶ。「VOLANTE (ボランチ)」という言葉の語感、意味する内容、サッカーシステムでのその役割に私は惹かれた。「VOLANTE (ボランチ)とは、「車のハンドル」「空を飛ぶもの」「固定されないもの」「常に移動し続けているもの」という多様な意味を有している。その言葉には何かが動く、何かを動かすという「動作」と密接に関係している。

 
ひとりの人間存在として、ささやかな自分自身の歴史として形成されてきたもの、形成しようとするものが、「VOLANTE (ボランチ)」というサッカーのシステム上での存在、その言葉の意味に象徴されている。自分自身のささやかな表現手段としてのとしてのブログを、日々の感じたこと、興味あることを書きとめるものとして「ボランチノート」と命名した。

※写真は、「サッカーダイジェスト2004年1月発行ムック“ボランチとは何か”」

2009年2月14日 (土)

「さざれ岩」 年齢350歳 樹高275cm

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 「長浜盆梅展」へは、二度ばかり出かけた。二度目に訪れてからもう15年以上も経つのだろうか?展示場内に入った瞬間、芳しい梅の香りが漂っていたのを覚えている。巨大な盆梅を見たが、それが「さざれ岩」かまた他のものかはわからない。ただ、巨大さと併せ持つ造形と梅の花の美しさ、その芳しい香り魅せられた。「長浜盆梅展」へと出かけたいという想いが湧き出てきた。

「長浜盆梅展」公式サイト

Books 「言語世界地図」

Photo 著者:町田健/発行:新潮新書(2008.05)/定価:700円+税/P.215

「国境より複雑な言語の境界」「主要46言語の成り立ち、地域、民族文化を徹底ガイド」

 かねてから「世界は一つ」という幻想が、言葉の中だけで存在し続けている。人類が地球上に生まれてから何万年なのだろうか、そのことは現実化はしていない。世界には200足らずの国家が存在する。言語はと言えば、7,000にも及ぶという。グローバリズムという状況の中でも、国家の数は減少していない。しかし、言語の数は減少している。

 世界での言語数、約7,000、国家の数、約200とすると、平均数を取ると、一つの国家で35言語となる。世界では公用語とその他の言語が併存している国家が存在する。多数言語が少数言語を抑圧し消滅させてきたことは歴史の上での事実だ。

 グローバリズムの中でさえ、ネーション(国家・民族・国民)という政治的なもの、エスニシティ(民族)という文化的なものが、レリーフのように浮かび衝突している。この本は世界の主要46言語の成り立ち、民族文化を学ぶテキストであるとともに、現在の世界情勢を知る上でも役立つものだ。言語は国家よりも境界が複雑である。

2009年2月13日 (金)

大淵池公園の噴水へ

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 大淵池公園の噴水近くを歩いた。高台から遠くに噴水を眺めた。なだらかな坂を下り、噴水広場への方に向かって歩いた。

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 休日であるにも関わらず、噴水近くの広場は静けさが漂っていた。この公園は地域の資産なのだと思うが、有効に活用されてはいないような気がする。自然と触れ合うための身近で格好なロケーションだ。

2006年度、1人当たり県民所得 奈良県 第28位

 2/12(木)内閣府は、2006年度の各都道府県の1人当たり県民所得を発表した。1人当たり県民所得は、「雇用者報酬」+「財産所得」+「企業所得」を都道府県の人口で割って算出する。各都道府県の経済力を示す。奈良県は2,692千円で、第28位だった。2005年度は第26位だった。ランクが2ポイント低下した。都道府県順位ベスト10は次の通りである。

【2006年度 1人当たり県民所得】
①東京都4,820 ②愛知県3,509 ③静岡県3,389 ④滋賀県3,352 ⑤神奈川県3,257 ⑥三重県3,193 ⑦栃木県3,104 ⑧広島県3,095 ⑨大阪府3,083 ⑩富山県3,013 第28位奈良県2,692 (単位:千円)

2009年2月12日 (木)

鶴橋夜曲2009.2.6~夜の「質屋」~

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 「質」という文字をどのように読むのか? 「しつ」と読めば、「Quality」(クォリティー)となる。残念ながら、「しつ」とは読まず、「しち」なのだ。赤々と輝く「質屋」が存在するということは、そこを利用している顧客がいるということを証明している。

 かつて、実家近くには公営の「質屋」があった。遊んでの帰り道にその前をよく通った。子どもの頃から、その場所がどのような商売をしてるいるかを、誰か彼となく教わった。「質屋」は、時代にマッチしてはいないが、今も営業し存続していることは、巷の経済的な繁栄とは裏腹にその存在価値を赤々と放ち続けているのだ。

今日は、「菜の花忌」

 今日は、「菜の花忌」だった。作家・司馬遼太郎氏の命日である。菜の花のような黄色い花が好きだったことから、「菜の花忌」と命名されたという。東大阪市、近鉄奈良線の小阪駅と八戸ノ里駅の間、南側に「司馬遼太郎記念館」がある。建築家・安藤忠雄氏が設計したものだ。その場所へ出かけようと思いつつも、立ち寄ることができていない。いつでも行けるという怠慢さがそうさせているのだろう。

「司馬遼太郎記念館」公式サイト

日本サッカー協会 「育成委員会」を新設

 日本サッカー協会(JFA)は、育成の見直しと充実という方針を推進するため、「育成委員会」を新設する。従来、強化と育成を担当していた「技術委員会」を発展的に解体し、日本代表の強化を受け持つ「強化委員会」、若手育成を受け持つ「育成委員会」、その二つを統括する「技術本部」という組織編成とすることが内定した。JFAは、日本サッカーの未来への礎としての「育成」に対して、新たな舵を切った。(2/12朝日新聞朝刊)

U-18奈良県サッカーリーグ1部 試合結果 【2/11最終節】

2/11(水) 橿原公苑陸上競技場
一条 5-3 奈良育英   五條 2-1 法隆寺国際
奈良北 3-1 奈良   香芝 2-1 大和広陵

【最終順位】
①一条 ②奈良育英 ③五條 ④法隆寺国際 ⑤奈良 ⑥香芝 ⑦奈良北 ⑧大和広陵

2009年2月11日 (水)

橿原神宮 冬日光景

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 2/11(水)午後、橿原公苑陸上競技場での奈良育英高対一条高のゲームを観戦後、橿原神宮へ立ち寄った。今日は「建国記念の日」であったため参拝者が多かった。深い意図もなく、今まで一度も訪れたことがなかったので、人出に誘われて神宮内を歩いた。

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 神宮内の一画の舞台では老齢の女性が、何流の舞かは知らないが、一生懸命に舞っていた。

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 「誠」の旗を掲げ、腰に刀を携えた一団が通り過ぎた。居合道の関係者のようだった。旧陸軍の軍服姿の男性を見かけた。一団が整列している。いずれにしろ、タイムスリップしたような気分になった。

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 舞の練習を見ていた。その動きは美しかった。静止した凛とした女性の後ろ姿に惹かれた。献酒の樽の一覧だ。その中に日本酒が入っているのだろうか?それとも空の樽なのだろうか?

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 神宮参道には、屋台が出ていた。懐かしい「あめ細工」の前では子どもたちが群がっていた。私も子どもたちと一緒にしばし眺めていた。

一条 5-3 奈良育英 ~U-18奈良県サッカーリーグ1部最終戦~

2/11(水・祝) 橿原公苑陸上競技場
一条高校 5-3 奈良育英高校 (2-1/3-2)

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ゲーム内容は特筆すべきものはなく、両チームともボールコントロールミスが多く、パスが不正確だった。2009年度高校サッカー選手権大会へスタートを切ったばかりであり、やむ終えないのだろう。10ケ月後には、チームとしてどれだけ力をつけることができるか楽しみである。

奈良県 小学6年生寝不足 全国ワーストワン

 2/9(月)日本経済新聞夕刊によると、今年度の全国学力・学習状況調査で睡眠時間が7時間未満の子どもの割合が小学6年生で47都道府県中、47位のワーストワンとなっていた。また、2006年社会生活基本調査、「10歳以上の都道府県睡眠時間」でも、奈良県民の平均睡眠時間は7時間36分で東京都と並び全国で3番目の短さ、第44位だった。関西で最も「寝不足」地域である奈良県は、県外で働く人の割合が全国第1位だという。

 その新聞記事を読みながら、自分自身のことを振り返った。確かに私も睡眠時間を言われれば、5時間程度だ。平日・休日に関係なく、概ね起床時間は毎日5:15。
 睡眠時間7時間を確保するためには22:15に、睡眠時間8時間を確保するために21:15に就寝しなければならない。帰宅するのが21:00であれば、夕食を済ましてすぐに眠らなければならない。「寝ること」も豊かさの指標として捉えると、豊かさとは程遠い生活をしているのだろう。

 子どもたちの育ちの中で、旧来の「知育」「徳育」「体育」、昨今それに「食育」「美育」「旅育」が加えられた。また新たに「寝育」の必要性が生じてきたのだろうか?
 「寝る子は育つ」という言葉がある。子供たちの未来という視点をもつべきである大人たちは、少なくとも、子どもたちの「睡眠時間」を確保するような環境づくりが義務となる。

小鯛ひく網のうけ縄よりくめり・・・・・

 2/8(日)夕刻、国立淡路青少年交流の家の前庭で、ゲームjが終了して奈良へ帰還するためマイクロバスを止めて子どもたちを待っていた。運転席から出て、石のオブジェの穴から子ども心を抱いて海の方を眺めた。

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 海に向かって、左の方を見ると、この場所に来てまったくいままで気付かなかったが、木々で覆われた小山が目に入った。遊歩道の入口が見えた。何かがあるという直感が働いた。岬なのだろうか? そこから海が見えるのだろうか?という思いを抱いて遊歩道入口の階段へ近づいた。

Photo_6  「よしぶが丘」という標識があった。名はその場所を表す記号である。その標識を見て、「歴史」と「文化」に関わる場所であることを思い描いた。何かがそこにはある。何なのだろうと、ゆっくりと坂道を登った。1分ほど歩くと、眼前に石が林立する姿が見えた。





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 風情のある歌碑だった。それはまるで仏像のような気配がした。近づいて碑文を読もうとしたが判読しづらかった。横にある説明版を観た。驚いた。それは歌人・西行の歌だった。自分自身の無知がまたも証明された。歌人・西行は淡路へも足を運び、その風景を歌に詠んでいたのだ。
「小鯛ひく網のうけ縄よりくめりうきしわざなる潮崎の浦」(西行)
 
その歌を心の中で詠みながら、幾星霜まえに淡路のこの地を訪れ、海を見て歌を詠んだ歌人・西行を想った。

2009年2月10日 (火)

U-18奈良県サッカーリーグ1部 試合結果 【2/8】

2/8(日) 御所朝町グラウンドほか
奈良育英(16) 1-1 法隆寺国際(11)   
一条(18) 2-1 五條(10)
奈良北(1) 2-2 大和広陵(2)
奈良(7) 3-1 香芝(3)

2009年2月 9日 (月)

「淳仁天皇陵」へ立ち寄って

 2/7(土)夕刻に、国立淡路青少年交流の家から一度、奈良へと帰る途上に、西淡三原インターへとひとりでマイクロバスを走らせていた。道路前方上に「淳仁天皇陵」という標識が見えた。何気なく通り過ぎた。

 高速道路に入り走行していると、「天皇陵」、「淡路島」という二つのことが、私の中で結びつかなくて気になりだした。「淡路島」に「天皇陵j」があることなどその時初めて知った。歴史上の天皇陵は概ね、京都・奈良・大阪などに集中している。なぜ、「淡路島」のあるのか?興味が涌いた。

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 翌日の午後に、子どもたちを迎えにゆくために、奈良から再び、国立淡路青少年交流の家を目指した。西淡三原インターで降りて一般道を走りながら、「淳仁天皇陵」へ立ち寄ろうと思い、その陵のそばにある狭い駐車場にマイクロバスを止めた。

 小さな天皇陵だっjた。「宮内庁」という文字が見えた。確かに正真正銘の天皇陵だった。でも、なぜ、淡路島にあるのかという疑問を抱き続けていた。「島」にある「天皇陵」というイメージから、都より海を越えての彼方の島での生涯、「配流」を思い浮かべた。俗に「島流し」である。そのことしか思いつかなかった。

Photo_5  2/8(日)夜に自宅に戻ってから、インターネットで「淳仁天皇」という人名を検索した。やはり想像したとおりに、「配流」された天皇であった。

 奈良時代、758年第47代天皇として即位した。しかし、764年、「廃帝」させられ、淡路国へと追放された。それから1100年余りを経て、明治天皇から「淳仁天皇」として追号されたという。

 つつましやかで小さな天皇陵だった。「淳仁天皇」の生涯は悲運であったのだろうか、それともそうではなかったのだろうか、1200年余り前の時に想いを馳せた。

2009年2月 8日 (日)

南淡路・吹上浜の砂文様

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 「国立淡路青少年交流の家」に隣接する「吹上浜」の砂浜を歩いていた。沖の船がゆっくりと進むのを見ていた。ふと、足元に目をやった。砂浜の砂が、月のクレーターのように見えた。地球にいるのだが、あたかも月にいるかのような思いに囚われた。

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 「砂」からの連想で、安部公房の小説「砂の女」を思い出した。

「砂の女」 You Tubeサイト

淡路ゲーム模様 2009.2.8

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 2/8(日)10:45に奈良・王寺町からマイクロバスを運転して淡路島へと向かった。今日もまた快晴だった。「国立淡路青少年交流の家」に到着したのが14:00頃だった。グラウンドではゲームが行われていた。

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 3試合ほどを見た。子どもたちそれぞれが元気そうにグラウンドを走りまわっていた。うまくプレーできたり、できなかったりということはあるが、些細なことである。まずは楽しく夢中になってボールを追いかけて欲しい。そこからが始まりだ。

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 最後のゲームのハーフタイム。一生懸命にコーチの言葉に耳を傾けているのだろう。写真の光景はそのように見える。是非ともそう願いたいものだ。

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 最後のゲームが終了して対戦チームと互いに健闘を称えあっての握手をしている光景だ。1泊2日、子どもたちにとっては、何かの収穫があったのだと信じている。私も楽しい時を過ごした。今後の子どもたちそれぞれの更なる健闘を祈っている。

1時間もつたない話を聞いていただいて・・・

 2/8(日)7:30に富雄の自宅を出た。クラブが賃借している駐車場へ行き、「ソレステ1号」に乗り、王寺町の「やわらぎ会館」へ出かけた。教えていただいた駐車場にマイクロバスを駐車させ、8:15、会館近くの「ロイヤルホスト」でホットコーヒーを飲んだ。

 「スポーツリーダー養成講習会」には、110名余りの方が参加されていた。「文化としてのスポーツ」をテーマに、1時間話させていただいた。参加者にテーマの要旨をうまく伝えられたかどうかは自信がない。ただ、一生懸命に話したことは事実だ。つたない話を1時間も静かに聞いていただいた方々に心から感謝申し上げます。

今朝、奈良県王寺町 「やわらぎ会館」へ、

 2/8(日)午前、王寺町の「やわらぎ会館」へ出向く。「平成20年度奈良県スポーツリーダー養成講習会」で1時間程度、話をさせていただくことになっている。テーマは「文化としてのスポーツ」。

 話をさせていただく内容を結論として要約すれば、スポーツは人間が形成してきた文化である。からだを基盤とした文化で、その最重要要素はスポーツマンシップとフェアプレーが存在する。スポーツは時代ともに変化してきた。現代は、スポーツが膨張し、多様化の中で、高度化と大衆化の二極化傾向を示している。スポーツの価値は旧来に比べて高まっている。ライフステージ、ライフサイクルに応じて、スポーツを「する」「みる」「ささえる」人々が増加してきた。スポーツは、「QOL」(クオリティ・オブ・ライフ)の視点から価値あるものとなってきた。少年スポーツの指導・サポートも例外ではない。子ども・指導者だけがスポーツ文化に触れているのではなく、少年スポーツを陰ながら支える人々も、スポーツ文化を担っている。

 うまく話せるかどうかは自信がない。いずれにしろ、養成講習会が終了すれば、子どもたちを迎えにマイクロバスを運転して。一路、「国立淡路青少年交流の家」へ出向く。

2009年2月 7日 (土)

子どもたちのミーティング

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 13:30から他チームとの練習ゲームがはじまった。今日はあくまでトレーニングだ。20分1本、10分でサイドチェンジの連続ゲームだった。
 4グループに分けた。1試合目、前半はグループ1・2、後半はグループ3・4。2試合目、前半はグループ1・3、後半はグループ2・4。

 ゲームが始まる前に約束事を決めた。①20分のゲームで全員が出ること。 ②やったことのないポジション、苦手なポジションにチャレンジすること。 ③自分たちで相談してポジションを決めること。子どもたちがグループで、ミーティングをして、それぞれのポジションを決めている光景だ。

昼食はバイキング形式だった!

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 「国立淡路青少年交流の家」の食事はバイキング形式となっている。昼食は、マカロニグラタン、串かつ、ポークカレー、カリフラワー、ししゃも、サラダetc、食事はおいしい。最近、「食育」が取りざたされている。子どもがおいしく食べることができ、なおかつ栄養価が高いものをという配慮がなされている。

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 食堂には、「淡路島牛乳」が置かれていた。好きなだけ飲むことができる。ただ、子どもたちそれれぞれの限度はあるが。どこかのレストランで食事をしているような雰囲気で、子どもたちの食も進んでいた。

海辺のソレステ

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 「国立淡路青少年交流の家」に到着して、荷物を置いてすぐに、施設に隣接する海辺へと出かけた。

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 どこか南海の孤島に漂着したような気分だった。「19少年漂流記」、サバイバルキャンプの初日のような雰囲気だ。子どもたちは実に楽しそうに時を過ごしていた。

淡路ハイウェイオアシスにて 2009.2.7

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 7:50マイクロバスで奈良を出発した。明石大橋を越え、9:20頃に淡路ハイウェイオアシスに到着した。そこで20分ほど小休止した。雲ひとつない快晴で、春のような暖かさだった。ソレステレージャ・ジュニア5・6年生19名の記念撮影をした。

今日、「国立淡路青少年交流の家」へマイクロバスで

Photo_5  2/7(土)ソレステレージャ・ジュニアの子どもたちを「ソレステ1号」に乗せて、「国立淡路青少年交流の家」へ出かける。子どもたちは1泊2日の予定だが、私は2/8(日)午前に所要があり、子どもたちを送り届けて日帰りで奈良に帰ってくる。2/8(日)昼に、子どもたちを迎えに再び淡路島へと向かう。いつもは信用金庫職員、今日はマイクロバス運転手のおじさんに早やかわり。

 実は、当初、私も1泊2日の予定で準備していた。奈良県スポーツ少年団研修会で講師を依頼されていた日、2/8(日)午前を、翌週の日曜日だと思いこんでいたため、ダブルブッキングとなり、やむなく2日連続の日帰りとなった。今晩、奈良への帰宅は、20:00頃になる。

「国立淡路青少年交流の家」公式サイト

鶴橋夜曲2009.2.6~JR環状線ホーム下~

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 JR環状線鶴橋駅から北へ線路沿いに歩けば、玉造・日の出通り商店街へと続く。駅から100メートル歩いて振り返った。駅のホームの東端が見える。線路沿いには飲食店が立ち並ぶ。職場からの帰り道に途中下車して、駅の周辺を歩き回る時がある。場末の芳しい匂いを嗅ぐ。

2009年2月 6日 (金)

児童向け「つばさ文庫」 3月創刊 

 子どもたちに読書の楽しみを。3月、角川書店が児童向けの「つばさ文庫」を創刊する。児童向け図書としては、講談社の「青い鳥文庫」、ポプラ社の「ポプラポケット文庫」がある。本のサイズはそれらと同様に新書サイズとなる。子どもの頃から本に親しむ習慣をつけることは大切である。私は17歳の時から本を読み出したが、もっともっと本を読みたいと思い続けている。なぜなら、楽しいから、知らないことを教えてくれるから、小さな人間でしかないのだが世界が広がるような気持ちになるから。

「角川つばさ文庫」公式サイト

Cinema 「TOYO'S CAMERA」

 第二次大戦下の米国で、日系人収容所でその日常を撮りつづけた日系人の写真家がいた。彼の名は宮武東洋(1895~1979)という。カリフォルニア州マンザナ収容所に収監された彼は、カメラのレンズをたった一つだけ持ち込んだ。仲間の大工の協力を得て、木片でボディを作り手製のカメラで、収容所内の日常を1500枚にのぼる写真に収めた。その事実を2/6日本経済新聞朝刊で知った。

 彼の生涯が、長編ドキュメンタリー映画「TOYO'S CAMERA」として上映される。その映画を見たいと思うのだが、残念ながら関西での上映予定はない。

「TOYO'S CAMERA」公式サイト

鶴橋夜曲2009.2.6~近鉄ガード下~

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 近鉄鶴橋駅西口の改札口を出ると高坂書店がある。すぐ左に曲がると近鉄電車のガード下に出る。壁には「近鉄鶴橋駅」の看板が掛かっている。このガード下は安価でおいしい串焼き屋が並んでいる。

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 放置自転車が雑然と積まれている。その向こう側には数軒の串焼き屋がある。その日も店は繁盛していた。ある店を覗くと、セーラー服姿の女子高生が串焼きを食べていた。酒は飲んでいないようだった。そのブルーの襟に見覚えがある。私の母校である高校の女子生徒だ。この町は、老いも若きも、アナーキー(無政府的)な匂いがする。

2009年2月 5日 (木)

大淵池公園内にある小さなつり橋

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 大淵池公園内を歩いていると、小さなつり橋があった。橋の上を歩いていると上下に揺れる。森の中にいるような気分になる。静かな散歩道だ。

2009年2月 4日 (水)

「緑のふるさと協力隊」~農山村が未来を担う若者を求めている~

 NPO法人地球緑化センターが「緑のふるさと協力隊」事業を推進している。1年間、農山村で住民として暮らしながら、地域に密着した活動に携わるプロジェクトだ。新しい生き方を求めて、このプロジェクトに参画している若者たちも、徐々に増えてきているようだ。

「特定非営利活動法人 地球緑化センター」公式サイト

2018/2022サッカーW杯開催 11候補が名乗り

 国際サッカー連盟(FIFA)は、2018/2022年サッカーW杯開催地の立候補を2/2までに、文書で表明するように求めていた。正式に立候補先が確定した。開催地の最終決定は、2010年12月のFIFA理事会で決定される。11の候補先は下記のとおりである。

【アジア】
日本、韓国、インドネシア、豪州、カタール
【欧州】
イングランド、ロシア、オランダ・ベルギー(共催)、スペイン・ポルトガル(共催)
【北中米・カリブ海】
米国、メキシコ

2009年2月 2日 (月)

日本の海があなたを待っている~未来のニッポン漁業を考えるキャンペーン~

 「漁師」になりたい人のための求人サイト「漁師J.P」である。全国漁業就労者確保育成センターが、昨今の漁業就労者の減少に伴い、人材確保を目的として立ちあげた公式サイトだ。このサイトを見て、漁師になりたいと願い、若者たち、またリストラにあった中年男性たちが応募して、少数かもしれないが、現実に漁船に乗り海に出ているそうだ。自然と向き合う仕事の中に、現代人が捨て去ろうとしている本当の意味での豊かさがあるのかもしれない。

漁師J.P~全国漁業就労者確保育成センター」公式サイト

U-18奈良県サッカーリーグ1部 試合結果 【1/31、2/1】

1/31、2/1 奈良産業大学信貴山グラウンド
一条 2-0 法隆寺国際   奈良育英 3-1 五條
香芝 3-0 奈良北   奈良 3-1 大和広陵

2009年2月 1日 (日)

産土(うぶすな)の森~大淵池公園~

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 昨年末に、産土(うぶすな)の森まで散歩をした。自宅から富雄川へ下り、両側が墓の急な坂道をのぼり、二名中学校正門前を越えて、左に曲がった。ゆるやかな坂道を下ると右側に田んぼがあり、右に折れて少し歩くと、写真のような光景が広がる。産土(うぶすな)の森~大淵公園~が見える。自宅からゆっくりと歩いて20分程度のところにある。好きな風景だ。

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 産土(うぶすな)の森への入口だ。大淵公園の裏側からの入口でもある。運動広場を通り過ぎ、産土(うぶすな)の森の中の石段を登った。周りに目をやると、住宅街に近いが、その風景とは違いまるで別天地だ。そこは林、いや森なのだ。近隣にこのような素敵な場所がある。この地域の自然財産であることは間違いない。

大阪・なんば 酒房「大さわ」

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大阪・なんばにある居酒屋である。近鉄なんば駅改札口を出て、長いエスカレーターで地下街に上がり、高島屋方面へと向かい、30秒程歩くと、左の写真の「酒房大さわ」という看板が見える。地上への階段を登り、踊り場にその店はある。

 奈良・富雄から大阪・なんばへと出る機会は少ない。そこは大阪の繁華街である。人々が多数行き交う。私はなんばに出れば、概ね居酒屋に入る習性がある。高価でトレンディ、見てくれの良い店構えの処は避けて通る。分相応の好ましい店へ立ち寄る。少なくとも私には、千日前「正宗屋」と、この酒房「大さわ」しかない。常連ではない。大阪・なんばに出かける頻度が少なく、他の客に比べて立ち寄る頻度も少ない。

 なぜ、そこへ立ち寄るのか? その店で飲んで、近鉄なんば駅改札口までは徒歩2分、走れば1分以内に到着できる。店員のおねえちゃん、いや、おばちゃんが庶民的で自分自身の肌に合う。料理がおいしい。という3つの要因が、そこへ足を運ばせるのだろう。

「うぶすな」想

 私は携帯・パソコンともメールアドレスに「ubusuna」を使用している。カタカナで「ウブスナ」、ひらがなで「うぶすな」、漢字ならば「産土」と表記される。なぜその言葉を使ったのか、それは三つの要因からだった。まず、ひとつは、その言葉の語感に何気なく惹きつけられたこと。ふたつ目は、辞書で引くとその言葉が「生まれた土地」という意味をなしているということだった。三つ目は、私自身はいつまでも「初心」(ウブ)で「素直」(スナオ)でいたいと願ったからだ。深い意味合いなどなかった。

 
「広辞苑」で「うぶすな」を紐解けば、「ウブ(産)スとナ(土・地)との結合したもの。ウブスはウムスと同源。ウムスは略してムスとなり、『苔むす』などという。」と。その意味は、「人の生まれた土地。生地。本居。」とある。旧来、「うぶすな」を「産土」「産砂」「生土」という漢字をあてていたと別の本で知った。

 2008522日、日本経済新聞朝刊「私の履歴書」の中で、民俗学者・谷川健一氏が、「ウブスナ」の語源が分かった時のことを記している。
 昭和
46年(1971年)に若狭・敦賀の「産小屋」を同氏が調査した時のことだ。「産小屋」とは、「広辞苑」でその言葉はなく「産屋」(うぶや)という言葉がある。「①出産のために建てた家 ②出産のために使う室」とある。かつて、産婦は日常の居住空間から離れた特別な場所で出産を向かえた。

 
若狭・敦賀にはその当時の「産小屋」の残存としての「納屋」が残っていた。その納屋の持ち主の老人に同氏が聞くと、「産小屋には床板を張らず、小屋のつい先の海浜の砂を運んで一番底に敷き、その上にワラシベをのせ、ワラシベの上にはムシロを、ムシロの上には布団を敷いたという。産婦はそんきょの形で座り、垂れ下がった力綱を握りしめて分娩した。」という。そこで、同氏が老人に「産小屋の底に敷く砂をなんと呼ぶのですか?」と聞くと、その老人は「ウブスナ」と答えたという。その時、「ウブスナ」の語源が同氏にとって解明できた瞬間だった。

 
歴史の彼方から連綿として、人々は何かを伝えたいという思いを営為として積み重ねてきた。言語が発生する以前は、目に見えるもので表現しようとした。アルタミラの壁画、また世界中にある石仏のように、岩という固く刻むという労苦が伴う営為の中でも、人々は表現し伝えようとした。ただ、それでは不完全であるという意思が、付属的に言語を産み出し発達させたのだろう。無数の言語とその語彙が形成された。表現の完璧さを求めて。

 
何気なく使っている語彙には、それぞれの人々の営為の積み重ねがあり、本当の意味が存在する。また歴史的な変遷の中で、その意味と使い方は変容し消失する。私がメールアドレスに、何げなく使っている「ubusuna」には、私の無知とは別に、人々の営為の歴史がにじんでいる。「ubusuna」は「ウブスナ」、「うぶすな」であり、「産土」なのだ。

 かつて、出産を終えた産婦は、近くの海に波を受けに白い襦袢姿で海に入ったという。波がなければ、頭まで海面下につけたという。「常世浪」を受けるのが習わしであったそうだ。「常世」、それは海の彼方の楽園、出産を終えた産婦とその子どもの未来への再生を祈る儀式であったのだ。「うぶすな」という語彙は、人々の拠点を示す思いと想いをあらわす語彙であるとともに、「産み」(ウミ)は、生命の母である「海」(ウミ)に繋がるように、生命の「誕生」と「再生」への語彙なのだ。

 出産という儀式で、一番下に海浜から持ってきた「砂」(スナ)を敷いたことは、そのような象徴的な意味合いがあるのだろう。私は、自分自身をあらわすただの「記号」として、「
ubusuna」を使ったのかもしれない。しかし、「ウブスナ」「うぶすな」「産土」という語彙には、人々の歴史的営為が刻まれ続けているということを、その語彙が表す本当の意味を、私は今、認識している。

国際サッカー連盟 W杯共催不可を決定

 1/30(金)国際サッカー連盟(FIFA)は、理事会において2018・22年のサッカーW杯開催地について単独開催の立候補がある場合は、共催を認めないという方針を決定した。(2/1朝日新聞朝刊)
【2018年・22年W杯 単独開催立候補国】
日本、インドネシア、イングランド、カタール、ロシア、メキシコ、米国(2/2表明予定)
【2018年・22年W杯 共催立候補国】
ベルギー・オランダ、スペイン・ポルトガル

大阪・今里 「大阪セルロイド会館」

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 大阪・鶴橋にある私の実家から徒歩10分、地下鉄千日前線・今里駅徒歩3分の大阪市東成区大今里2-5-12に、「大阪セルロイド会館」がある。列柱構成と町家風という対照的な意匠を持つビルで、昭和6年(1931年)に建築された。下町の長屋風情が一般的なこの近辺に、異彩を放っている趣のある建物だ。その当時は、華やな芳香を周囲に漂わせていたのだろう。平成13年に文化庁により登録有形文化財(建造物)に指定された。

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 建物の中に入ると、モノトーンの落ち着いた世界が広がっていた。いままで幾度となくこの建物の中に入った。外観だけではなく、私は、カメラに収めた窓、階段、廊下が好きだった。いや、今もだ。だからこそカメラのシャッターを押した。好きだと思ったのはいつ頃のことだろうか。近くには平戸公園がある。敷地が三角の形をしていたので私たちは三角公園と呼んでいた。小学校時代にそこで遊んだ帰り道に、その建物の中に入った時だろうか?

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 セルロイドはおよそ150年前、アメリカで発明され天然素材に代わる新素材として一躍脚光を浴びた。大阪はセルロイド櫛の輸出で大きな飛躍を遂げ、不動の地位を築き上げたという。その当時はこの建物も活気があったのだろう。今は静けさが漂っている。建物の中に入居している団体を見ると、一般企業はあるのだが、(社)日本山岳会関西支部、大阪府山岳連盟、大阪府スキー連盟の事務所が入居していた。入居団体の顔ぶれからみても趣ある歴史的な建築である。

都市圏への人口流入鈍る~景気悪化の影響~

 1/30(金)総務省が発表した2008年人口移動報告で、景気悪化の影響で地方から都市への人口流入の鈍化が明らかになった。従来より都市部は人口流入超過が続いているが、昨年からの景気悪化に伴い、人口流入超過が顕著だった東京都、神奈川県、愛知県が対前年比減少となった。2007年対比で、流入減少数は東京都11,500人、神奈川県2,828人、愛知県2,129人となった。

 ただ、転入超過の都道府県は以上の6都道府県である。それ以外41都道府県は転出超過となっている。依然として地方から都市部への人口流入は続いており、雇用を含めた地方活性化が大きな課題としてある。

 奈良県は転出超過▲4,192人だった。転入が多い順にランクづけすると第32位となる。どちらかといえば、転出が多い県であると位置づけられる。また長野県は転出超過▲4,434で第35位だった。

【転入超過数の多い都道府県】
①東京都83,000 ②神奈川県29,646 ③千葉県24,178 ④愛知県18,391 ⑤埼玉県14,872 ⑥滋賀県2,875

【転出超過の多い都道府県】
①北海道▲21,129 ②青森県▲9,266 ③長崎県▲8,799 ④福島県▲8,284 ⑤鹿児島県▲7,366

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  • 12:10 鴻ノ池陸上競技場へ到着
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