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2009年1月31日 (土)

「旅こよみ 2009年2月号」を見ながら

Photo  「旅こよみ」とは、JR西日本が駅頭で無料配布している30ページ余りの旅の小冊子である。毎月、駅のパンフレット置き場から頂き、楽しみにして見ている。

 2月号の記事の中で興味惹かれたのは、「益田・山口で雪舟のふるさと“雪舟回廊”を訪ねる」 「ひなまつりのある、九州のむかし町へ~日田市、人吉市、飯塚市~」という二つの記事だった。そのグラビア記事を見ていると旅心が疼いてしまった。

好物か栄養か~選択性給食 朝日新聞 二名中学校訪問記事掲載~

 1/30(金)朝日新聞朝刊奈良面の「好物か栄養か~選択性給食~」という記事を読んだ。給食を食べる生徒の写真が大きく写っていた。あれっ!どこかで見た顔だと思い、記事を読み進んだ。奈良市立二名中学校1年生のクラスを訪問した記事だった。その写真が誰だかはっきりとわかった。ソレステレージャ奈良2002に所属する二名中学校1年の男子生徒だった。

 1/29(木)、その日の給食メニューは、わかめごはん、コロッケ、八宝菜、揚げぎょうさ、金時豆、けんちん汁だった。その日、クラス34名中、給食を注文したのは7名だったという。生徒の人気は今ひとつらしい。昨年10月の食材高騰による値上げが追い討ちをかけ、利用率が低迷しているそうだ。

 なぜ、不人気なのか? 奈良市教委は生徒が好きなメニューが少ないことを挙げる。メニューによって利用率の高低があるようだ。生徒の好物を尊重すれば栄養価が下がる。栄養を重視すれば利用率が下がり選択性給食の存続が危ぶまれる。市教委はジレンマに悩まされている。

 考えてみれば、「栄養」と「好物」をどちらを子どもたちのために優先するかといえば、「栄養」だ。昔,食べ物に不自由した時代ならば、ただ空腹を満たすために何でも食べただろう。しかし、飽食の時代に育ったことが、子どもちに食べ物を選択する習慣を身につけさせてしまった。その原罪は周囲の大人たちにある。今一度、原点にもどって、大人たち自らが、「好き嫌いを言わず、出されたものは残さず食べる!」という習慣作りを子どもたちに示すべきなのだ。

日本サッカー協会 2018・2022サッカーW杯 開催意思表明

 1/29(木)、日本サッカー協会は、1/22に2018年、2022年サッカーW杯を日本で開催する意思があることを伝える文書を国際サッカー連盟(FIFA)に送付したことを明らかにした。3/16までに「招致登録書」をFIFAへ提出する予定である。あくまでも、スタジアム拡充等の課題があり、東京五輪開催を前提にしている。そのため、JFAは、東京五輪招致に協力していくという。(1/30朝日新聞・日本経済新聞)

 是非ともサッカーW杯を日本で単独開催して欲しいものだ。私は、2018年には64歳、2022年には68歳となる。その頃には、時間もあるだろう。現実に今一度W杯が開催されたならば、その時は、スタジアムのチケットが取れなくとも、「フットボール」と「民衆の歴史」をキーワードに日本中をくまなく旅したいものだ。ただ、その時にこの世に生存していることが大前提であるが。2018年、2022年サッカーW杯開催地決定は2010年12月となる。

近鉄奈良駅 リニューアル 21年10月下旬完成予定

 3/20には近鉄奈良~大阪なんば~神戸三宮間直通運転開始、来年には「平城遷都1300年祭」に対応するため、近畿日本鉄道は、近鉄奈良駅が地下に入る近鉄奈良ビルをリニューアルすることを発表した。同ビルは地下1階、地上8階建てで、昭和45年(1970年)に開業した。大規模改修が行われるのは初めてである。

 奈良市の玄関口はどこか、JR奈良駅か?近鉄奈良駅? やはり、奈良公園に近い近鉄奈良駅が奈良市の玄関口なのだろう。以前、近鉄奈良ビル前の噴水で、旅行者に「近鉄奈良駅はどこですか?」と聞かれたことがあった。確かに初めて来られた方には分かりづらいかもしれない。ビルの地下にその駅があるのだから。

 駅という玄関口はその町の顔である。40年ぶりにリニューアルされる。昼夜に趣をたたえるような駅ビルにする計画だという。さて、一体どのような駅ビルに変身するのだろうか? (1/30奈良新聞・朝日新聞)

運動能力向上へ 小学校校庭に芝生 奈良県教委方針

 1/28(水)奈良県教育委員会は、全国体力・運動能力調査の結果を踏まえて、体力向上を主眼として、県内小中学校グラウンドの芝生化を進める方針を発表した。
 平成21年度当初予算で1億5千万を要求し、県内15~20校のグラウンンドの芝生化を進める。グラウンド全面と半面の二通りを計画している。21年7月に校庭に芝生を植え、9月には緑の芝生でグラウンドが覆われるという。

 また、平成21年4月からは、すべての公立小学校で、毎日縄跳びやボールけりなどの運動をするように指導し体力向上に取り組むという方針を打ち出した。

 スポーツの重要性の認識をしながらも、他都道府県に比べて実行力に乏しい「いにしえの奈良県行政」が、全国体力・運動能力調査の結果、「全国最下位」という崖っぷちに立って、やっと少しだけ動き出した。(参考:1/28奈良新聞・朝日新聞)

「選手育成 クラブ少なく若手に陰り」~フイリップ・トルシェ氏の一文を読んで

 1/29(木)朝日新聞朝刊「私の視点」欄で、元サッカー日本代表監督で、現在、FC琉球総監督のフイリップ・トルシェ氏の一文を読んだ。
「日本代表は技術面で大きく進歩した」 「若年層には陰りが見える」 「クラブの数が少なく、いまだ学校中心の日本の育成システムの限界のように思える」 「日常的に高いレベルで切磋琢磨できないから、最も大切な成長の時期を無駄に過ごしてしまう」 「通年の公式戦を整備するのは急務だ」 「従来の日本人のサッカーに対する考え方や常識、メンタリティーを変えていくことでもある」と。同氏は日本の現状を分析している。確かに、現状分析として、同氏が指摘する要点については概ね的をえているのだろう。

2009年1月30日 (金)

昨晩、奇妙な夢を見た!

 12/29(木)23:30に就寝した。その夜に奇妙な夢を見た。学校の講堂らしき場所に、スチールの椅子が並べられていた。舞台に最も近い最前列中央の椅子に、私はひとり腰掛けていた。そこで何が行われるのかはわからなかった。

 私の席から斜め左前方には、映画を写すスクリーンがあった。そこでは、かつてのフォークシンガー・岡林信康が、「♪私が望むものは・・・♪」と叫び歌っている姿がスクリーンに映し出されていた。一瞬の内に、寺山修司の前衛的な映像に変わった。

 最前列の右端に、普段着で同級生であった女子生徒が無言で座っていた。舞台の上には誰もいなかった。舞台右端からスーツ姿の男性が数人出てきて、私の左側の席に座った。心の中で違和感が生じた。その瞬間、右側に眼をやると、右端にいた女子生徒が、私の右側の二つ目の席に座っていた。無言で微笑んでいた。

 次に、舞台右側からまたもスーツ姿の男性数名がやってきた。ふと右側を見ると、その女子生徒は元の右端の席に映っていた。そのスーツ姿の男性たちが、私の右側に座った。その瞬間、私は右側の女生徒に眼を向けようとした。しかし、いくら探しても、その女子生徒を見つけることは出来なかった。その場から消え去っていた。

 左右を見ると、スーツ姿の男性ばかりであった。心の中で不快感が涌いた。あの女子生徒はどこへいったのだろう? その一瞬に目が覚めてしまった。夢にでてきたスーツ姿の男性の顔を覚えていない。しかし、その女子生徒が誰かははっきりと特定できる。

 かつて、17歳の時に思い描いた、大人になった時の自分自身の「あるべき姿」と、それから40年近く経た現在の「ある姿」との違和感を、現実に感じているということが、そのような夢を見させたのだろうか? 夢の中の女子生徒は17歳のときのままだった。

ブログカウンター「123456」が並んだ日

123456  ブログに設置してあるカウンター数が、2009.1.29 5:53 に「123456」と連続する数字が並んだ。その日は何かいいことがありそうな気配がした。しかし、職場でもそれ以外でも、なんらいいこともなかった。当て外れである。ただ、一番の収穫は、その日の朝に、ブログのカウンター数が、「123456」ときれいに並んだ一瞬を観たことであった。

2009年1月29日 (木)

「おみくじ」製造のトップ企業 「女子道社」

 神社・寺院を訪ねたならば、「おみくじ」を求める人がいるだろう。「おみくじ」は製造され商品として販売されている。それはどこで製造されているのだろうか? その疑問に、1/19(月)日本経済新聞朝刊「春秋」欄は答えてくれた。

 山口県周南市にある「有限会社女子道社」が、「おみくじ」の大部分を製造しているという。市場シェアは60%で、海外にも輸出している。神社が女性に対しての布教活動のため、布教誌「女子道」を刊行し、その費用を捻出するため「おみくじ」を製造し販売したのが、同社名の由来だという。今も、「おみくじ」は女性たちに人気があるということは、歴史としての何かのつながりなのだろうか。

「有限会社女子道社」公式サイト

太陽で進む自動車運搬船 「アウリガ・リーダー」

 1/29(木)日本経済新聞朝刊の広告で、太陽で進む自動車運搬船「アウリガ・リーダー号」(60,213トン)が昨年末に就航したことを初めて知った。太陽の力で動く、世界で初めてのソーラー推進自動車運搬船が日本郵船から就航した。

 太陽の力で、巨大な船が海の上を進むこと自体、想像することができない。確かに昔、船の推進力は、自然の「風」だった。その広告のヘッドコピーには、「もともと船はエコだから、これからももっとエコになる。」とある。「風」から「太陽」へと、船の動力は幾多の変遷を経て、「エコ」をキーワードとしてブーメランのように戻った。

「日本郵船」公式サイト

2009年1月28日 (水)

インドネシアの介護福祉士候補101名の旅立ち

 1/28(水)朝日新聞朝刊で、「語学研修終え介護の現場へ インドネシア人」という記事を読んだ。昨年8月に来日したインドネシア人の介護福祉士候補101名が、半年間の語学研修の修了式に臨んだ。それぞれが、特別養護老人ホーム、介護老人保健施設等の介護の現場へと向かう。3年間、そこで補助的な仕事をしながら、国家試験合格をめざす。

 2007年8月、日本インドネシア経済連携協定が結ばれた。その協定の中の「自然人の移動及び関連する協力」の項目で、看護師候補者、介護福祉候補者の受入れの条文がある。介護師候補は上限3年、介護福祉士候補は上限4年の内に、国家資格を取得すれば、わが国で就労することを継続できる。国家資格を取得できなければ帰国しなければならない。

 故国インドネシアを旅だった若者たちは、それぞれの胸に希望を抱きながら、わが国へとやってきた。半年間の語学研修を終え、本格的に現場で働き勉学に励む。彼ら、彼女らの姿に敬意を表したい。 
 Photo                     

 昨年末、大阪城公園に出かけた時、スカーフを巻いた女性たちの一団に出合った。その時はどこの国の若者かと思っていたが、新聞記事の写真を見て、その時の彼女らがインドネシアの人々だと理解した。もしかしたら、看護師・介護福祉士になるためにやってきた若者たちかもしれない。その姿は希望に満ち溢れていた。いずれにしろ、故国を離れて、志、目標を持ってやって来たインドネシアの若者たちの未来を心から祝福したい。

奈良県 第10位 地域ブランド力調査

 「日経リサーチ」は、地域名称・名産品の2008年地域ブランド力調査」の結果をまとめた。地域ブランド力都道府県順位で、奈良県は第10位と上位に入った。各種ブランド力ランキングを下記に掲載する。

【都道府県】
①北海道 ②京都府 ③沖縄県 ④大阪府 ⑤東京都 ⑥神奈川県 ⑦兵庫県 ⑧福岡県 ⑨鹿児島県 ⑩奈良県

【市・特別区】

①京都市 ②横浜市 ③神戸市 ④札幌市 ⑤鎌倉市

【都市エリア】
①祇園(京都) ②嵐山(京都) ③浅草(東京) ④清水(京都) ⑤元町(神戸)


【旧国名・地域】
①琉球 ②伊勢 ③讃岐 
④信州 ⑤湘南

【名産品】
①夕張メロン ②山形さくらんぼ ③博多辛子明太子 ④讃岐うどん ⑤松阪牛

「日経リサーチ」公式サイト

国宝・薬師寺東塔 平成23年から大修理 完成は10年後

 古代寺院を代表し、「凍れる音楽」とも称される奈良・薬師寺東塔(国宝)が、平成21年7月から10年をかけて解体修理される。完成は平成31年春だという。10年後といえば私は65歳となる。その時に、天空に聳えたつ塔を仰ぎ見ることが出来るかどうかはわからない。無性に、薬師寺東塔へ出かけたい気持ちが涌いた。

「薬師寺」公式サイト

2009年1月27日 (火)

U-18奈良県サッカーリーグ1部試合結果 【1/25】

1/25(日) 一条高校グラウンド
一条(12) 7-2 奈良(1) (5-1/2-1)

2009年1月26日 (月)

U-18奈良県サッカーリーグ1部試合結果 【1/24.25】

1/24(土)・25(日) 奈良産業大学信貴山グラウンドほか
奈良育英(12) 3-1 奈良北(0) (3-1/0-0)
法隆寺国際(10) 2-1 大和広陵(1) (0-1/2-0)
一条(9) 3-0 香芝(0) (2-0/1-0)
五條(10) 6-0 奈良(1) (3-0/3-0)

2009年1月25日 (日)

フットボールカンファレンス2009 (10)~個人的な総括~

Img  1/16(金)~18(日)、第6回フットボールカンファレンスに、全国津々浦々から、総勢約1000人近く、奈良県からも8名が参加された。それぞれが、多忙な中、時間と経済の負担を心に抱きながらも、「想い」「情熱」が金沢へ足を運ばせたのだろう。

 前回は大阪で開催された。その時も参加した。そして今回と、参加するほどの存在ではないのかもしれないが、自分自身だけには、サッカーに関わっている者としての自己義務であると心に刻んでいる。

 まず、「知りたい!」という情念がある。人から笑止されようが、その好奇心が行動へと自分自身を駆り立てる。「場」に出かける。いかなる場所であったとしても、そこは「磁場」を形成する。

 レクチャーを聴き、パネルデシカッションに耳を傾け、ビデオクリップを見て、世界の潮流、日本のサッカーの現状、あるべき姿、ある姿、そして、今、どのような育成が必要か、子どもたちのようにはいかないが、大いに老化しつつある脳の前頭葉が刺激された。

 今回は重たいパソコンを持参した。夜、ホテルで、その日の気付いたことを一生懸命に打ち込んでいた。恐らくカンファレンスが終了して奈良の自宅へ帰ったならば、日常という如何ともしがたい現実の中では、思い出してパソコンに書き込むことができないのではという危惧があった。だからこそ、一生懸命にキーボードを打った。深夜、ホテルの一室でパソコンに向かっている時、自分自身のその姿を思い浮かべて、「俺は、いくつになっても、馬鹿で真面目な奴だ」と心の中でつぶやいていた。

 次回のフットボールカンファレンスが、いつ、どこで、開催されるかは知らないが、自分自身だけの自己義務として、必ず参加するつもりでいる。(完)

「サンダーバード36号」車内で「北陸旅情」を飲んだ

~北の都・金沢(18)~(完)

Photo_14  1/18(日)金沢駅16:02発の「サンダーバード36号」で、奈良への帰路に着いた。福井を越えた頃には雪が降り出していた。金沢駅の売店で買った福正宗純米吟醸「北陸旅情」を飲んだ。ほろ酔いの中で、金沢の街を思い描いた。確かに「北の都」だった。京の文化の香りが漂っていた。京から、金沢、能登をへて佐渡へと、「北前船」に乗って、人が文化を伝えたのだろう。そんなことを車内で思い描いていた。17歳の時に、初めて降り立った金沢の街は、その時と比べて変貌したのかもしれないが、寮歌「北の都」の調べと犀星・鏡花の世界、「滝の白糸」が私の心の中では生き続けているのだ。それが私にとっての金沢だ。

 1/24(土)、洗濯をして干してあるタオルの上で、「北陸旅情」を写真に収めた。洗濯という「日常」と、「北陸旅情」という非日常の世界の境目で。また一週間の「金沢病」の終わりに。

「金沢 福光屋」公式サイト

金沢駅のホームで見かけた女性

Photo_12 Photo_13








~北の都・金沢(17)~

 
金沢駅ホームで、16:02発「サンダーバード36号」の到着を待っていた。線路を隔てた富山方面への向かい側のホームに眼をやると、一人の女性が立っていた。なにげなくデジカメのシャッターを押した。

 私は昔から「金沢の女性」に対しての憧憬があった。おそらく、それは、室生犀星・泉鏡花が敬慕した女性たちの姿に影響されたのかもしれない。まったくホームに立っている女性とは無関係なのだが、私の脳裏には、「滝の白糸」の幻影がこびりついていた。

フットボールカンファレンス2009 (9)~「合言葉はPlayers First!!」を読んで~

Photo_11 「合言葉はPlayers First!!」~

 フットボールカンファレンスで配布されたJFA発行「合言葉はPlayers First!!」という25ページの小冊子である。金沢からの帰路の特急「サンダーバード号」の車内で一読した。1/18()、奈良へ帰宅した夜に、私自身の興味のある部分だけピックアップしてパソコンへ打ち込んだ。

【コーチの思い】~子どもたちが自分で局面を解決できる力をつけるように有効な働きかけをするのが役目~
サッカーは自分自身で考えて行動するスポーツ

・指導者の重要な仕事は、子どもたちにサッカーの楽しさを伝えること

・子どもたちに自分たちで判断して解決する力を身につけさせること

・思ったことを思ったとおりに実現できるように、技術を身につけること

・子どもたちの自身の発想、トライを尊重しよう。それがサッカーの一番楽しいこと

・子どもたちが必要なことをしっかりと身につけることができるような有効な働きかけが「コーチング」

【レフェリーの役割】~お互いが尊重し合える良いゲームづくりを目指す!~

・ゲームがうまく進行するように、コントロールするのが審判

・子どもたちが集中してプレーできるように、環境を整えてくれる大事な人

・子どもたちの良いプレーを引き出す

・子どもだからといって、上から見下したりしない

・子どもたちを一人ひとりの選手として尊重する

・選手も指導者も審判も皆サッカーの大切な仲間。皆で良いゲームをつくりあげていく

【保護者のサポート】~めざせ!ベストサポーター 子どもたちの成長を楽しみに、見守り、応援し、サポートしょう~

・子どものサッカーは保護者の日々の見守り、協力がなくては成り立たない

・保護者のポジティブな関わりが、子どもたちの大きな助けになる

・ベンチから離れて反対のサイドから応援しょう。

・うまくいってもいかなくても、精一杯のトライ、夢中になっているその姿を励ます

・子どもたちがたくましく自分で解決しようとする機会を、決して奪ったりしない

【海外の取組み】

(アメリカユースサッカー組織)

「ここはキッズゾーン。以下の約束が守れるなら歓迎。守れないのならば、大人な立ち入り禁止

・キッズがNo.1

・勝つことではなくて楽しみがすべて

・ファンは応援するのみ、コーチはコーチに任せる

・怒りにまかせてどならない

・ボランティアのレフェリーを尊重する

・ののしらない

・禁煙

・帰りにゴミを残さない

・子どもに良い見本となる

おみやげは、「中田屋」のきんつば!

Photo_10  ~北の都・金沢(16)~
 
 金沢みやげに、中田屋の「きんつば」を買った。実はフットボールカンファレンスに参加するため金沢へ出向いたが、その期間中も以前も、まったく中田屋とかそのきんつばとかは知る由もなかった。また、おみやげを買おうとも思っていなかった。

 1/18(日)フットボールカンファレンス最終日の午前中の休憩時間に、AC長野パルセイロのスタッフの方に出くわした。手にはおみやげらしきものを持っていた。私が聞こうとする前に、自ら話しかけられた。金沢のおみやげに、「中田屋のきんつば」を買った。きんつばは中田屋がおいしいと聞いていたのでというようなことだった。

 その日の夕刻、列車に乗る前に、やはりおみやげを買おうと思いたった。ひらめいたのが、AC長野パルセイロの方から教えていただいた「中田屋のきんつば」をひらめいた。実は、私は大の甘党なのだ。これは「私の秘密」である。

 金沢百番街の「中田屋」で、おみやげ用に5個入り、3個入りの二袋と、味見するためにプラス1個のきんつばを買い求めて列車に乗り込んだ。「サンダーバード号」が金沢駅を発車して一路、北陸本線を京都駅と向かった。おもむろに、「中田屋のきんつば」の1個をあけて食べた。食べた瞬間、「このきんつばはおいしい!!!」と心の中でつぶやいていた。甘党を自負する私の味覚を満足させた。もっと買ってくればよかったという後悔の念を抱いた。

 奈良・富雄の自宅に戻り、妻におみやげの5個入りのきんつばを渡した。食べ終わった妻に聞くと、やはりおいしいという答えが返ってきた。私だけではなく、味にうるさい妻がそういうのだから、「中田屋のきんつば」はおいしいということが、さらに立証された。

 私が甘党であるということをかねてから知っている妻が、優しい声で、「きんつばを食べへんの?」と私に言った。ちょっと躊躇しながらも、私は素直に話した。「3個入りを買ってきたから、それを食べる!」 異邦人を見るような、怪訝で、あきれ返ったような妻のまなざしを、私は感じた。好きにこと、好きなものは、限りなく情熱を生み出すのだ。ただ、それが「きんつば」であったとしても。

「中田屋」公式サイト

フットボールカンファレンス2009 (8)~「育成年代のゲーム環境に関するガイドライン」を読んで~

Photo_9 ~「育成年代のゲーム環境に関するガイドライン」を読んで~
 
フットボールカンファレンスで配布された、JFA発行の22ペーゾの小冊子だ。1/17(土)に一読して、その夜、宿泊先のホテルで、腰痛に悩まされながらパソコンに向かい、自分自身の興味ある事柄を抽出して、ランダムにメモノートとして打ち込んだ。以下、JFA発行の小冊子から抽出した。あくまでも個人的に抽出したメモでしかない。あしからず。

『育成年代のゲーム環境に関するガイドライン』

『リーグ戦化のガイドライン』


リーグ戦創出の基本事項

リーグ戦導入の必要性~ゲームこそが選手を育成する~
・子どもたちにとって、サッカーで最も楽しいのは「ゲーム」、それがあるからトレーニングをして上手になりたいと思う。
・「ゲーム」が選手の意欲をかきたて、選手自身の自主性を引き出す要因である。
・育成年代にどのような「ゲーム環境」を作っていくかが重要である。そのことは大人の重要な責務である。

(すべての選手にコンスタントなゲーム環境)
・トーナメント方式は最後まで勝ち進むチームと1回戦で敗退するチームとではゲーム数に明確な相違を生じさせる。
・選手育成の観点からすると、ゲーム経験が少ないことは選手として上達する機会を失っていることに繋がる。
・すべてのチームに平等なゲーム機会を提供できるリーグ戦形式の競技会が重要になる。
・1クラブから複数チームが出場できるゲーム環境も必要となる。

(誰もが自分の能力に応じて楽しめる環境の創出)
・JFAでは平等の概念として「能力に応じて誰もが楽しめる環境」を平等だと考    
えている。

・同レベルのゲームであれば攻守の両局面があり、意図したプレーができる割合が増える。そのことで課題が明確になりレベルアップに繋がる。

(リーグ戦はリスクにチャレンジできる環境)
・リーグ戦は次のゲームがあることで、「リスクにチャレンジできる」メリットが大きい。
・ゲームから成果と課題を導き出すためには、ゲームの中でリスクにトライしていかなければならない。
・リーグ戦とカップ戦をがバランスよく行われるゲーム環境の創出は、日本のレベルアップのためには必要不可欠である。

リーグ戦創出の考え方(すべてを一つのピラミッドの中に)
(強化と普及の両立)
・能力別リーグを作り、リーグ間で入れ替えをしていく。
・上位リーグは強化、下位リーグは普及の色合いとなる。
・強化と普及を1つのリーグ戦(複数部制)の中で同時に行う。

(複数部制の基本的な考え方)
・年間20ゲーム程度がバランスよく展開されていることが必要である。
・年齢によって移動できる範囲、チームの力量の変動がある。
・各種別によってリーグ戦の入れ替え方法、カテゴリーの考え方の基本を共有し、年代ごとに、各地域・各FAで独自のやり方も必要である。



『大会ガイドライン2007』

大会は選手を育成する重要な機会である~プレーヤーズファースト

【全員が関わることのできるゲーム形式】
・8人制も11人制も同じサッカーである。「11人制でなければサッカーではない」という考え方から脱却する時期である。
・一人ひとりの子どもがサッカーをより楽しむことができ、将来に向けた良いサッカー選手になるための準備をするために適した形を選択すべきである。
・育成段階では、技術を高め、サッカー理解を深めることにより、サッカーの局面を解決する力をつけさせていくことが重要である。
・育成年代で全員が常にプレーに関わり、また、シュート場面が多く起こる中での攻防を経験させることが重要である。


(キッズ年代)
・U-8では、サッカーの基本形である44を積極的に活用する。
・U-10では、4488のスモールサイドゲームを推奨する。
・キッズ年代ではボールに関わる回数が多く、全員がプレーに関わり楽しむことが目的である。11人制は適切ではない。

(ユース年代)
・U-12では、スキルのより効果的な習得のために、88を推奨する。
・ボールにさわる回数、直接プレーに関わる回数を増やすことがスキル向上に重要である。

・全員が常にすべての攻守に積極的に関わり、ゴール前の攻防が数多く出現する88を推奨する。
若年層には人数とピッチサイズを減らしたゲームが適しており、11人制の開始時期は12歳以降と考える。
・U-13であっても88の活用はスキルや個人戦術、グループ戦術の習得の場面から意義がある。
・U-14からは大人のサッカーに向けてのステップとして11人制を行っていく。


【交代に関して】
・特にU-12以下は、誰もが大きな可能性を秘めているので、大勢の選手に多くの機会を与えることが大切である。
・子どもの健康・安全、育成面からも試合では多くの選手ができるだけたくさんの経験をできるようにすべきである。


(キッズ年代)
・身体的に無理のない範囲で大勢がゲームに参加して楽しめるようにする。

(ユース年代)
・U-12では、なるべく大勢の選手が実際にプレーできるように、ピリオド制の導入も推奨する。①第1ピリオドと第2ピリオドで全員交代、第3ピリオドは自由 ②第1ピリオドと第2ピリオドで全員交代 多くの選手を出場させるという指導者の哲学が必要である。
・U-14までは交代自由とする。大会規定として同一チームから複数チームの参加を積極的に検討していく。
・U-15以降は、大人のサッカーに近づいていくので交代・登録人数に制限を設ける。
・U-16以上では大人のサッカー、世界のサッカーに規定に合わせていく。


【すべてのポジションを経験~11人全員のフットボーラー~】
 早期にポジションを固定せず、さまざまな経験をさせることは、将来に向けてサッカーを学ぶ上で非情に意味のあることである。特にU-14以下はさまざまな経験をさせることが重要である。

(ゴールキーパーに関して)
(キッズ年代)
・U-8程度までであれば、GKは固定せず、プレーヤーが状況に応じてゲームの中で自由にオールを守るという形をとる。
・U-10U-12年代までは、ゲームの中でたくさんの子どもたちが交代でGKを出来るようにする。

(ユース年代)
・現代サッカーでは、GKのフィールドプレー能力が重要になってきている。GKがフィールドプレー(FP)を経験していることが重要である。
GKは「手が使えるフィールドプレーヤー」として捉える。
・サッカー理解を深めるためにも、FPGKGKFPを経験させることを推奨する。


【体力に応じたピッチサイズと時間】

【ピッチサイズに関して】
 子どもたちが十分に楽しむことができ、全員が常にプレーに関わり、状況に応じた技術・戦術の習得に適したサイズを選択すべきである。

(キッズ年代)
・キッズ年代に関しては、場に応じて大勢が関われるように工夫する。使える場に応じて柔軟に対応する。

(ユース年代)
・U-12までは11人制の場合は少年用スモールピッチで行う。
8人制の場合はハーフピッチで行う。
・U-13U-14に関しても、プレッシャーの中でのスキルの発達を効果的に習得するために、スモールピッチを活用することも考えられる。
・U-14からはフルピッチでのゲームに慣れていくようにする。


【試合時間に関して】

(キッズ年代)
・U-6では、1人のプレー時間が15分~30分。全員が試合時間の100%プレーできることを目標とする。
・U-8では、1人が合計20分~45分。参加者には最低でも20分は保障できることを目標とする。
・U-10では、1人が合計30分~60分。参加者には最低でも30分は保障できることを目標とする。
・キッズ年代U-10の場合、フェステイバルは半日程度とする。試合数は3試合まで、1人の出場時間は試合時間の3分の2までとする。

(ユース年代)
・U-12では、1520分×2とするが、同日2試合の場合は1試合15分×21人のプレー時間は合計45分までとする。
・U-15では、3540分×2とするが、同日2試合の場合は1試合30分×21人のプレー時間は合計90分までとする。
・U-16では、リーグ戦では45分×2、連戦の場合は35分×2とする。
・U-18では、リーグ戦では45分×2、連戦の場合は40分×2とする。

嗚呼!「滝の白糸」

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 ~北の都・金沢(15)~

1/18(日)午後、ひがし茶屋街から浅野川にかかる梅ノ橋を渡り、川のほとりにひっそりと佇む「滝の白糸」の碑と像へ立ち寄った。「滝の白糸」は、泉鏡花の出世作「義血侠血」の主人公である女水芸人・水島友の芸名であり、その小説を原作として、同名の作品が新派劇のヒット作となった。過去6度映画化もされた。「滝の白糸」という名は、今は忘れられようとしているが、老齢の方々にはなじみあるに違いない。

 「滝の白糸」のあらすじは、概ね以下の通りである。水芸人「滝の白糸」は乗合馬車の御者・村越欣也と出会う。欣弥が経済的なことで学問を断念したことを知った白糸は、欣也に仕送りをして支援することを約束する。欣也は東京の大学へと通うことになり、仕送りはつづけられたが、一座の人気もかげりを見せ、仕送りもままならなくなり、白糸は一座のために高利貸しから金を借りたが強盗に奪われてしまう。そのことは対立する一座が画策し共謀したものだと知った白糸は誤ってその座長を刺し殺してしまう。

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  白糸は逮捕され裁判にかけられる。運命の法廷の日が来た。白糸が精魂込めて仕送りを続けた欣也、彼がその法廷の検事として居る。欣也は立派に検事として金沢へ戻って来た。初の検事としての仕事、晴れ舞台であったろうに、起訴しなければならない被告が、白糸という恩人だった。あまりに非情である。結末は、新派劇では、死刑宣告の後に、白糸が法廷で舌を噛み自殺し、のちに欣也がピストル自殺する。

 泉鏡花の原作では、「検事代理村越欣也は私情の眼をおおひてつぶさに白糸の罪状を取調べ、大恩の上に大恩をかさねたる至大の恩人をば、殺人犯として起訴したりしなり。さるほどに予審終わり、公判開きて、裁判長は検事代理の請求は是なりとして、死刑を宣告せり。一生他人たるまじと契りたる村越欣也は、遂に幽明を隔てて、永く恩人と相見るべからざるを憂いて、宣告の夕、寓居の二階にて自殺してけり。」と結ばれている。

2009年1月24日 (土)

泉鏡花 幻想

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 ~北の都・金沢(14)~

 
1/18(日)午後、ひがし茶屋街から浅野川沿いに歩き、「泉鏡花記念館」へ立ち寄った。泉鏡花は明治後期の文学者で、独特な怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られる。幻想文学の先駆者ともいわれている。

 私が大学生だった頃に、「高野聖」などを読んだ。漱石・鴎外とは異質な世界だった。泉鏡花は、室生犀星と同様に、幼くして母を失った。鏡花が描く女性は美しく、凛とした佇まいを漂わせている。亡き母への思慕がそう描かせたのかも知れない。鏡花にとっては、小説の中での最高のテーマが女性だった。明治という時代にありながらも、女性という存在に対して敬意を抱き続けた稀有な作家だった。

「泉鏡花記念館」公式サイト

岡ホテル&セントラルホテル

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 ~北の都・金沢(13)~

 1/18(日)夕刻、「ちょん兵衛」の店を写真に収めようとしてデジカメのシャッターを押した。ふと見ると、「ちょん兵衛」の向こう側に、「岡ホテル」「セントラルホテル」という看板が見えた。その名と醸し出す雰囲気から、直感的、連鎖的にに、小学生の頃に映画館で観た「駅前旅館シリーズ」、九州・佐伯へ出かけた時に宿泊した「佐伯セントラルホテル」、関係もないのだが、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」を思い浮かべてしまった。人間とは実に滑稽なものだ。

 列車の発車時刻が迫っていたので、そのホテルの中を探検できなかった。心残りである。人から見れば、ただの駅前のビジネスホテルの建物でしかない。しかし、少なくとも私の変哲な感覚が騒いだ。

金沢 居酒屋「ちょん兵衛」

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写真は1/18(日)夕刻に撮影した。

~北の都・金沢(12)
 1/17(土)、朝から夕刻まで一日中、県立音楽堂の座席に座っていたので、飛行機のエコノミー症候群ではないが、腰が痛み出し、その日のフットボールカンファレンスのスケジュールが終了し、すみやかに会場から徒歩2分のホテルに戻った。ホテル14階の大浴場につかり、ストレッチ体操をして部屋にもどり、ビール片手に求道僧のごとくパソコンに向かった。

 しばらくして、パソコンと向き合っていると空腹感を覚えた。神と悪魔の格闘が始まった。今晩は、金沢での最後の夜だ。サッカーの講習に来たのだ、今、感じること、思うこと、考えていることをパソコンに打ち込んでおくことが必要である、今晩は集中して格闘するべきであるという求道僧のような思い、一方は、金沢での最後の夜やんか。方難しいことは忘れて、ちょっと金沢の夜を、地酒でも飲んで楽しもうかという生臭坊主のような思いが相克した。

 言わずとも、神は悪魔に敗れ去った。人間的なあまりに人間的な行動に転じた。自己規律を設定した。ホテルから徒歩10分圏内、1時間を限度とする。その後はすみやかにホテルへ帰着すること。夜の街をさまよいながら飲み処を探した。ある店の前で「ちょん兵衛の語り」という看板あった。ふとその看板に書かれた文章を読み、ここに入ろうと決意した。カンファレンスのレクチャーでも、「チャレンジ!」「リスクを冒せ!」という言葉が耳に残っていた。勇気を出してその店の扉を開けて入った。

 店の中は、昭和初期の建物らしく趣があった。庶民的な居酒屋だった。近所のおじいさんらしき人がカウンターの端に陣取っていた。カンファレンスで配布された封筒を持った若者一人に話しかけていた。カウンターに座り、刺身の盛り合わせと地酒を注文した。庶民的なおじさんとおばさんが一生懸命に料理を作っていた。今晩は客が多く大繁盛の様子だった。忙しそうに鍋物の盛り付けをしていた。

 BGMはジャズが流れていた。ピアノトリオだった。座っている席の右側の壁に、「女神に囁く私」という日展評議員の方の描かれた絵が掛かっていた。カウンターの端ではテレビが置かれ、バラエティー番組が放映されていた。ミスマッチなのだろうか、昭和初期の建物、BGMジャズ、絵画、バラエティー番組、どこか混沌とした下町の風情を感じた。少なくとも私には心地よい空間だった。

 刺身がおいしかった。恐らく近くに近江町市場があるためなのだろう。新鮮な魚であった。安価でおいしい料理と酒、金沢に立ち寄ったら、また来てみたい店だ。金沢駅徒歩3分、ホテル・ドーミーインからは徒歩2分と好立地だ。まさに風流な駅前居酒屋だった。1/18(日)金沢をあとにする日の夕刻に、もし店が開いているのなら今一度と思ったが、あいにく時間が早かったのだろう、店は閉まっていた。私好みの心地よい居酒屋であった。

「マリーシア」~駆引きが日本のサッカーを強くする~

Photo_2 著者:戸塚啓/発行:光文社新書(2009.01)/定価:760円+税/P.246

【コンテンツ】 マリーシアとは何か/賢さが勝敗を決める/いつも正直者ではいけない/ボールの行方はマリーシアとともに/知性と創造性/日本人よリスクを冒せ/駆引きの先に楽しみがある/ほか

 「日本人には、いい意味での“狡さ”が足りない」(カカ)。著者は戦術・技術だけではサッカーのゲームに勝てないという。「マリーシア」が大切だと。著者の定義によると、「マリーシア」とは、「狡猾さ」だけを指し示す言葉ではなく、「柔軟性を持った発想力」「勝つために必要な駆引き」である。それはサッカー選手が身につけるべきスキルだという。また、日本が世界で勝つためには、「マリーシア」を身につけることが必要不可欠であるとも記す。「マリーシア」とは教えられるものではなく、覚えるものなのだろう。特にわが国のおかれている状況では、一番習得しにくいスキルかもしれない。

フットボールカンファレンス2009 (7)

Photo ~「JFA2005宣言」実現に向けたロードマップ~を読んで
 
フットボールカンファレンスで配布された18ペーゾの小冊子だ。1/16(金)に一読して、その深夜、宿泊先のホテルで、酒の酔いがまわる中、パソコンに向かい、自分自身の興味ある事柄を抽出して、ランダムにメモノートとして打ち込んだ。その小冊子には「JFA2005宣言」は掲載されていなかったので、別に配布されたものから打ち写した。以下、JFA発行の「『JFA2005宣言』実現に向けたロードマップ」の小冊子から抽出した。

 

「JFA2005年宣言」とは何か

JFAがミッションステートメントとして2005年に宣言した「理念」「ビジョン」「約束2015」「約束2050」だ。

(JFAの理念)

 サッカーを通じて豊かなスポーツ文化を創造し、人々の心身の健全な発達と社会の発展に寄与する。

(JFAのビジョン)

 サッカーの普及に努め、スポーツをより身近にすることで、人々が幸せになれる     環境を作り上げる。

 サッカーの強化に努め、日本代表が世界で活躍することで、人々に勇気と希望と感動を与える。

 常にフェアプレーの精神を持ち、国内の、さらには世界の人々と友好を深め、国際社会に貢献する。

(JFAの約束2015

 2015年には、世界でトップ10の組織となり、ふたつの目標を達成する。

1.サッカーを愛する仲間=サッカーファミリーが500万人になる。

2.日本代表チームは、世界でトップ10のチームとなる。

(JFAの約束2050

 2050年までに、すべての人々と喜びを分かちあうために、ふたつの目標を達成する。

1.サッカーを愛する仲間=サッカーファミリーが1000万人になる。

2.FIFAワールドカップを日本で開催し、日本代表チームは、その大会で優勝チームとなる。

2015年の目指す姿】

1.競技環境:リーグ戦文化の定着

・リーグ戦文化が定着し、その中で選手が育つ。

2.拠点整備:さまざまな活動の場として

・地域に拠点が整備され、トレセン活動、指導者育成、JFAアカデミー等が展開される。

3.U-12年代の重要性の認識/浸透

・子どもたちが全国で日常的に質の高い指導を受けられる環境が整備される。

4.キッズ年代の充実

・キッズ年代でスポーツ・サッカーに出会い生涯にわたり、そのことを愛し支える基礎を築く。

5.トレーニング環境:指導者の質の向上

・数多くの質の高い指導者がベクトルを共有して活動していること。

【キッズ、キッズエリート(U-10)

(今後の主要な取組み)

1.キッズ、キッズエリートのコンセプトの徹底

・指導ガイドラインを更新することで、コンセプトを再度確認し徹底する。

2.サッカー外へのアプローチの強化

・キッズ年代に関しては、必ずしもサッカーに限定したものではなく、より広い対象への発信が目的である。他競技団体や教育機関へのアプローチを強化し広げて行く。

3.キッズから4種へのスムーズな移行

・キッズとは、U-12年代に至る過程全体を想定したものである。U-10年代までとしている。十分にそのことが理解されず、U-6のイメージが強い。

U-6でサッカーに出会い楽しんだ子どもたちが、U-12で意欲を失わない環境について考えていく。

4.保護者、関わる大人へのアプローチの強化

・保護者や関わる大人は子どもたち大きな影響を与える。保護者や周囲の大人たちの理解、関わり方について、アプローチを強化していく。

【ゲーム環境】

(リーグ戦文化の醸成)

リーグ戦導入の必要性

・ゲームこそが選手を育成する。

・ゲームが選手の意欲をかきたて選手自身の自主性を引き出す要因である。

・リーグ戦はリスクにチャレンジする機会が増加する。

・ゲーム→リスクへのチャレンジ→ゲーム分析→課題抽出→トレーニング→ゲーム。

・大人が育成年代に、どのようなゲーム環境を作っていくかが重要であり、また責務である。

リーグ戦創出の基本事項

・年間を通した長期にわたる基軸となるリーグ戦

・能力別リーグ/能力に応じて誰もが楽しめる環境

・全員が参加できる/複数チームの参加を可能にする

(大会が選手を育てる)

・大会は選手を育成する重要な機会である。

・試合、大会は育成の大きな柱のひとつ、ガイドラインを提示する。

・協会に登録している全てのチーム・選手がJFA主催大会に出場できる機会をつくる。

・ローカルルールは、47FAの協議のもとで実施可能である。

全員が関わることのできるゲーム形式U-12以下での8人制の推奨 ← 一人ひとりのボールタッチ数、ゴール前の状況の発生頻度、全員が常にプレーに関わる。

11人制開始年齢は12歳、U-10以下は好ましくない。

全員が良いフットボーラーになるための経験をさせる。

多数の選手に多くの機会を与えることが大切である。

ポジションは早期に固定せずあらゆるポジションを経験させる。

2009年1月23日 (金)

金沢ひがし茶屋街の杉玉

Photo_11 ~北の都・金沢(11)~
 杉玉(すぎたま)とは、スギの穂先を集めて球形状にしたものだ。酒林(さかばやし)とも言われる。家の軒下に吊るされたばかりのものは青々としているが、だんだんと色が変わり枯れて薄茶色になるという。酒にまつわるものらしい。神に感謝を捧げるしるしなのだろうか? かつては自然の恵みに感謝しながら人々は生活していた。しかし、いつの時代からか、その恵みをめぐみとは感じることなく生活するようになってしまった。近代・現代という時代の宿命なのだろうか?

鬼ごっこもキャッチボールも見かけなくなった!

 1/22(木)全国体力調査結果が公表されたが、同日の日本経済新聞夕刊の生活欄で、「鬼ごっこも見かけない」という記事を読んだ。東京都中野区の幼児研究センターが保護者を対象にした調査で、0歳~6歳の子どもの32.4%が平日に戸外で遊ばないと答えた。

 山梨大・中村和彦准教授は、「鬼ごっこもキャッチボールも見かけなくなった。子どもの戸外での遊びが減少している。」「日本ほど子どもが遊んでいない国はない。遊びには運動能力をはじめ、仲間とのかかわりなど包括的に発達を促せる良さがある。・・・・・その重要性を社会として認識する取組みが必要」と強調する。

 「戸外の遊びの効用」については、今に始まったのではなく、むかしむかしから語り継がれていることである。20年近く前に、私が「大阪市青少年リーダースクール」を受講していた折にも、そのことが子どもたちの心と体を育む。そこで培った「体力」と「想像力」は、子どもたちの未来へ大きな財産となる。というレクチャーを受けた。

 今も、そのことが脳裏にこびりついている。それ以降、子どもたちに関する本をむさぼり読み、子どもたちと接して、そのレクチャーの言葉が事実であることを認識した。あれから20年近くが経つ。本当に子どもたちにとって、何が大切なものかを、私はしっかりと考え、紡ぎ、伝え、繫ぐ必要がある。新聞を読みながら、とりとめもなくそのことを思った。

全国体力調査の上位都道府県

 1/22(木)各新聞紙上で「全国体力調査」の都道府県別結果が公表された。各紙とも大きな記事で掲載していた。同調査の上位都道府県は下記の通りである。
【小学5年生】
(男子)
①福井 ②秋田 ③新潟 ④茨城 ⑤千葉 41位奈良
(女子)
①福井 ②秋田 ③新潟 ④茨城 ⑤千葉 43位奈良
【中学2年生】
(男子)
①千葉 ②福井 ③秋田 ④茨城 ⑤新潟 47位奈良
(女子)
①千葉 ②福井 ③茨城 ④埼玉 ⑤岩手 45位奈良

 
新聞記事の見出しを書き抜き列挙すると、
「低下傾向続く」「週一時間未満 中二で3割」「女の子運動不足」「朝食抜き多数 外遊び減」「体力、学力と関係?」「足りぬ外遊び 運動意欲2極化」「元気出そ♪奈良っ子」(以上、1/22朝日新聞朝刊)
「中2最下位 小541位」「運動は苦手?県内の子ども」「時間が不足か 県教委取組み強化へ」「都道府県で得点に開き」「二極化傾向示す」(以上、1/22奈良新聞)

 奈良県教育委員会関係者の談話が新聞で掲載されていた。「まさか中学校が最下位とは」。なかなか最下位をとることは難しいのだ。最上位もそうだが、最下位も取りたくと思ってもそうたやすく取れるものではない。

 奈良県の子どもたちの、生きていく上での大切なものとしての「体力」を本気で育もうとする意思があるのならば、ここは、「最下位」という汚名をよき意味での反省から進歩へとつなげる礎にしなければならない。

 まずは行政の意識変革ありき。それにに基づき、学校内で改善・改革するのではなく、学校外の存在、地域スポーツ団体との本当の意味での連携と融和をはかる抜本的な取組みが必須要件となる。少なくとも子どもたちの未来の土台造りは、我々大人たちの意識変革と行動力によって左右されてしまうのだ。

2009年1月22日 (木)

金沢ひがし廊 「志摩」に立ち寄って

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 ~北の都・金沢(10)~
 1/18(日)フットボールカンファレンスが終了して、金沢駅前からタクシーに乗りひがし茶屋街へ向かった。目的は、文化的な遺産、国重要文化財である「志摩」を訪れることだった。「志摩」は、お茶屋の造りを江戸時代のままに残した建物で、情緒ある町並みに風情が漂う。

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 玄関を入ると薄暗い空間に、いろりがあり、ほのかな明かりがその部屋を映し出している。階段を登ると、細長い廊下の突き当たりの部屋の明かりが眼に入った。陰影と明かりが独特な雰囲気を匂わせていた。

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 江戸時代そのままの建物の二階の部屋をゆっくりと見てまわった。薄暗い階段を登り、陰影の世界から「赤」が目に飛び込んできた。床の間の色あいと意匠に興味をひきつけられた。感覚の赴くままにシャッターを押した。

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 床の間の右の棚の上に琵琶があった。かつては遊興が繰り広げられ、そこは、高い教養と技能の舞台と化していたのだろう。別の床の間の掛け軸には、日の丸が中央に描かれていた。

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 床の間と掛け軸は、独特な日本的な美を醸し出す。日常の世界では西洋的な美が氾濫し、日本的な美は陰影のように、光りを浴びることもなく消え去ろうとしているだろうか。

奈良県 中学2年生最下位 小学5年生41位 文部科学省全国体力調査

 1/21(水)文部科学省は小学5年生と中学2年生を対象にした「全国体力・運動能力・運動習慣調査」(全国体力・運動能力調査)の結果を発表した。47都道府県の中で、奈良県は、中学2年生が最下位、小学5年生が41位だった。

 
この調査に県内では小学校70校(32.7%)、中学校27校(25.2%)が参加した。参加率が低いので、調査結果が本当の実態を表しているかどうかわからない。ただ、参加率が少ないということは、「スポーツ」というものに対しての取組み姿勢が低いことを如実に表している。また、その数値結果もすべてを表しているとは言いがたいが、現在の奈良県のスポーツに対しての取組み姿勢と現実のスポーツ環境を表していることも事実だ。

 県教育委員会は、
「結果を真摯に受け止め、体力の向上に向けた取組みを一層強化する」という。環境整備のため、2009年度予算に小学校20校の校庭を芝生化するための経費1億5千万円を計上することを要望している。本当に志をもって、子供たちの体力向上、並びにスポーツ環境のハード・ソフト面での整備を目指すことができるのか? まずは行政の意識改革、実行力が問われる。(1/22奈良新聞・朝日新聞・日本経済新聞)

2009年1月20日 (火)

「コールドパーマ」という看板

Photo_4  ~北の都・金沢(9)~
 東茶屋町の入り口にある店の前で、ふと視野の中に「コールドパーマ」という興味ある看板が眼に飛び込んできた。おそらく美容室なのだろうか?店の前の案内を見ている60歳代の女性がいた。私のような観光客ではなさそうだ。何を見ているのだろうか?

 私は美容用語には無知だ。私には「パーマ」は、「ホット」というイメージが浮かんで来るのだが、「コールドパーマ」とはどのような方法でパーマをあてるのだろうか?むかしの技術なのか、現在の最新の技術なのか、全く理解してない。ただ、その店の佇まいと「コールドパーマ」という看板への興味が、私にシャッターを押させた。

フットボールカンファレンス2009 (6)

Photo_3  1/18(日)、カンファレンス最後のレクチャーは、フランスサッカー協会テクニカルダイレクターである著名なジェラール・ウーリエ氏の「勝てるチームになるための重要な要素」についてだった。

①ビジョン 高い理念と目標を持ち、そのことをより多くの人々が共有する。
②ワーク(仕事) 規律をもっての努力と日々の継続。自分の意思で努力すればするほど高められる。
③リスペクト(尊重) 立ち向かう姿勢、集中力、すべてを活用して目標に向かう。スポーツは謙虚さと野望を共存させるもの。
④エンジョイ ムード作りができる人、情熱、スマイル、熱心さ、ひたむきさ、楽しみと規律は共存しなければならない。
⑤ポジティブ 肯定的な気持ちがチームのモラルと士気を向上させる。特性を意識させる。欠点に注力しすぎない。
⑥適応能力 変化していくものを受け入れる姿勢、つねに進化していく、忍耐、共感、適応できる人は将来を手にいれる。
⑦競争力 勝とうと思う気持ち、さまざまな難局をこえていく力、自分を信じる力、立ち直る力が成功を生み出す。
⑧コミュニケーション 人の話を聞く能力、オープン・話しやすい環境の創出
⑨権威・牽引力、明確な方向性、どこへ向かうかをはっきりと描き伝えること
⑩誇り クラブは自分達のアイディンティ、属してることのプライド・自信、関わっている人々に対しての尊重
⑪自信 自分・仲間を信じること、集団的な信頼

 重要な要素として11項目のレクチャーをされたが、同時通訳で、イヤホンから通して間違って聞きとっているかもしれない。経験と実績を踏まえての同氏のレクチャーの内容を聞きながら、その言葉に重みを感じた。11項目以外に、ひらめき、運を重要な要素としてつけ加えられた。最後に、育成年代の指導について、一貫性と継続性の重要性を強調された。

2009年1月19日 (月)

13Fにあったケーキのようなアート置物

Photo  ~北の都・金沢(8)~
 金沢で宿泊した「ドーミーイン金沢」の13F、エレベーター前のフロアーの片隅でアートな置物を見かけた。ほろ酔いの中で眺めていると、まるでおいしそうなケーキのようだった。フロアーに何も置かなくても、宿泊というホテルの機能は充足できる。ただ、それは即物的でしかない。人は何気なく置かれた美しいものを見た時に、その場にいる時間と空間に安らぎを感じる。無名の方が精魂込めて創作されたのだろうか? 小さなその作品を見ながら、より以上に心がリフレッシュした気持ちになった。

「ドーミーイン金沢」公式サイト

ディアブロッサ高田FC 優勝 クラブユースU-15新人大会

第15回奈良県クラブユースU-15新人大会
1/17(土)・18(日)
【決勝】
ディアブロッサ高田FC  4-2 天理FC (3-1/1-1)
【準決勝】
天理FC 4-1 ポルベニルカシハラ (1-0/3-1)
ディアブロッサ高田FC  2-0 ソレステレージャ奈良2002 (0-0/2-0)
【準々決勝】
天理FC 1-0 桜FC   ポルベニルカシハラ 1-0 五條FC
ディアブロッサ高田FC  3-0 スクデッドFC
ソレステレージャ奈良2002 1-0 生駒SC

U-18奈良県サッカーリーグ1部試合結果 【1/18】

1/18(日)法隆寺国際高校グラウンド
奈良育英 3-0 奈良   法隆寺国際 3-1 香芝
一条 5-0 奈良北   五條 0-0 大和広陵

奈良県 第34位 男子都道府県駅伝

 1/18(日)、第14回全国都道府県対抗男子駅伝大会が行われ、奈良県は第34位だった。昨年の35位からひとつ順位を上げた。来年に期待する。

①長野2:18:43 ②兵庫2:20:03 ③宮崎2:20:07 ④福岡2:20:15 ⑤福島2:20:42 ⑥栃木2:20:46 ⑦埼玉2:20:52 ⑧千葉2:21:14 第34位奈良2:24:36

フットボールカンファレンス2009 (5)

Img  最終日、1/18(日)8:45から始まった。「日本サッカーの未来に向けて」がテーマだった。「世界に通用する選手の育成」 日本の課題として、①1対1の攻防 ②ゴールに向かうプレー ③ボックス近辺での攻防 ④チャンスを感じる力/リスクを冒す勇気 その分析を踏まえて、どうしたら世界に通用する選手を育成できるのかという視点で、小野剛・布啓一郎・池内豊・吉田靖・松崎康弘、各氏によるパネルディスカッションが展開された。

 子どもたちは元来、タフなプレーをする。大人たちがそのタフさを自然と伸ばし、本当の意味で、ボディコンタクトの強さ、タフネスな選手を育成する必要があるということが指摘された。ボックス近辺での攻防の問題解決として、8対8のゲームの効用が紹介された。チャレンジできる、失敗から学べる環境づくりのために、指導者が変わらねばならない。そのことが日本のサッカーの未来を創出する。というようなパネルディスカッションだった。

2009年1月18日 (日)

なぜ女性ばかりが・・・・・

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~北の都・金沢(7)~
 石川県立音楽堂1階の壁面に、女性ばかりが鼓や三味線をもち演奏しているパネルがあった。私は邦楽には全く疎い。どのような時にこのような女性ばかりの舞台が披露されるのだろうか? 素朴な疑問を抱いた。

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ストラディバリウスの音色

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~北の都・金沢(6)~
 石川県立音楽堂の1階を歩いていると、ヴァイオリンを持った人形に出くわした。何なのだろう?と近づいた。ボタンを押せば、ヴァイオリニストや収集家の羨望の的である名器「ストラディバリウス」の音色が聞くことができるという。ボタンを押した。その音色が聞こえてきた。

 人は楽器を通じて何かを表現し伝えようとする。その媒体としての楽器そのものの存在は大きい。だからこそ、己の想いをより一層引き出さしてくれる楽器を求めるのだろう。音楽を聞き分ける能力を私は持ち合わせていないが、「ストラディバリウス」は、やわらかくまろやかな、心地よい音色だった。

県立音楽堂 能楽ホール玄関

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~北の都・金沢(5)~
 フットボールカンファレンスの休憩時間に、「能楽ホール」の玄関前に行った。壁面に描かれた絵に、ふと引寄せられた。デジカメのシャッターを押した。

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 人は何かの対象に対して美しいと感じるときがある。人それぞれの美に対する基準があるのだろう。私は素直に美しいと思った。

フットボールカンファレンス2009(4)

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 1/17(土)フットボールカンファレンス2日目のオープニングは、黒瀬恵さんのパイプオルガンの演奏だった。私にとっては大学生だった頃に一度だけパイプオルガンの演奏を聴いたことがあったが、それ以来の体験だった。

 1/16(金)に会場である音楽堂に入った時、天井が余りに高かったのでなぜだろうと思っていた。大きなスクリーンの向こう側に巨大なパイプオルガンが鎮座していたのだ。欧州では教会には必ずパイプオルガンがあるという。権威と威厳の象徴なのだ。荘厳なパイプオルガンの響きに聴き入った。

 キーワードは「選手が自らの力で逞しく育っていくために 我々に何ができるか」。午前中は、サッカーの将来①「海外の育成事例 ドイツ/メキシコ」 ベアント・シュトーバー氏(ドイツサッカー協会指導者養成チーフ)、マウリシオ・ペドロッサ氏(プーマスU-10・12スーパーバイザー)お二人のパネルディスカッションだった。午後は、サッカーの将来②「トップコーチの役割 リーダーシップ」というテーマでアンディ・ロクスブルグ氏のレクチャーだった。

 午後には、「2005年宣言の実現に向けたロードマップ」というテーマで、布啓一郎氏(JFA技術委員会副委員長)のレクチャーがあった。キーワードは、「育成年代からの積み上げなくして、Japan's way は達成できない」。

 2日目は、9地域に分かれてのサテライトカンファレンスで終了した。

金沢 四高記念館・近代文学館

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~北の都・金沢(4)~
 旧制第四高等学校の寮歌に、「北の都」がある。17歳の秋に初めて金沢駅で途中下車して降り立ったのは、その頃に室生犀星の詩を読んだことと、この「北の都」という寮歌が好きで憧れていたこともあった。遠い昔の話である。

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「歴史の歴史」 21世紀美術館

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~北の都・金沢(3)~
 
「杉本博司 歴史の歴史」展が開催されていたので、金沢城近くの「21世紀美術館へ立ち寄った。美術館の入り口で保育園児の集団とすれ違った。手を繋ぎながら美術館から出てきた。人は、本来手を繋ぎ歩むものなのだ。大人になればなるほど、そのことの大切を忘れつつある。


 写真家といえばよいのか、現代美術作家といえばよいのか、私には分からないが、杉本博司の世界に足を運ぶと、今まで体験したことがない感覚が襲った。すべては「歴史」として「繋がっている」ことの事実だ。作品としての写真、収集された考古学・博物学的なコレクションを見ながら不思議な世界に迷い込んだ。

 同氏のコレクション群である化石、縄文土器、仏像、肖像画、確かにそれらはただの「物」でしかない。しかし、そこには「心」が現れている。「物心」(ものごころ)と呼べばいいのだろうか。

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 同氏はこの展覧会のパンプレットの「歴史の歴史」という文の結語で書いている。「歴史は生き残った者が語り継ぐ勝者の歴史に他ならない。語り継ぐ者のいなくなった敗者の歴史は遺物となってその内に閉じ込められ、私に何かを語りかけてくる。・・・・・私の集めた遺物達は、歴史が何を忘れ、何を書きとめたか、そんな世界を教えてくれる。」(杉本博司「歴史と歴史」)

 ある展示室に入った。円形の部屋で、壁には、海・水平線・空という単純化された構図の撮影された時間も空間も違った12枚の写真が並んでいた。その絵の群れに囲まれて、部屋の中央に十一面観音立像が凛として立っていた。その静けさの中で、日常生活の中では思い描くこともないが、私もまた、過去・現在・未来という歴史の中で生きている存在であることを感じ取った。

「21世紀美術館」公式サイト

フットボールカンファレンス2009(3)

 1/16(金)UEFA技術委員長であるアンディ・ロクスブルグ氏のレクチャーの中で、世界のトップレベルの潮流の中で、増加しているものと減少しているものについて説明があった。興味深く聞き、メモをとった。
【増加傾向】
ショートパス、すばやいコンビネーション、効果的なカウンター、スクリーンプレーヤー、ゲームの強度、1ストライカー、守備4-5-1、攻撃4-3-3(4-2-3-1)、戦術の柔軟性、ミドル/フトントアタッカー、試合終盤の得点、ロングダイナゴナル、テクニカルクォリティ、ウイングのヴァリエーション、影響力を持つ個人
【減少傾向】
スペース/時間、空中戦、マンマーカー、セットプレーからのゴール、ロングレンジからの得点、オフサイドの判断、前線でのプレッシング、ロングボールゲーム、ウイングプレーヤー、固定的な4-4-2、逆転、ゲームメーカー、意表をつく戦術、リスクを冒す

2009年1月17日 (土)

酒と人情料理「いたる」にて

 1/16(金)フxトボールカンファレンスの懇親会が終了して、AC長野パルセイロスタッフの方々と、金沢の町の繁華街・片町にある「酒と人情料理 いたる」で食事をした。何かのご縁で同席することができた。素直に楽しいひと時だった。美味しい刺身を食べながら、スタッフの「情熱」と「繋がり」、そして「絆」を感じた。私にとって、そのひと時は金沢の夜のヒーリングタイムだった。

「酒と人情料理 いたる」公式サイト

金沢駅にて

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 ~北の都・金沢(2)~
歴史と伝統ある街の表玄関であるJR金沢駅はモダンであった。古きものと新しきものとの融和を感じさせる。私が17歳の時に降り立った駅の面影はない。しかし、時の流れの中で、金沢という街は、新たな価値を創造しているのだろう。

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フットボールカンファレンス2009(2)

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 1/16(金)第6回フットボールカンファレンスの初日だった。金沢駅前の石川県立音楽堂が会場であった。金沢駅を下車して徒歩1分にその会場はあった。県庁所在地の駅前に県立音楽堂があることは、その街の強烈な文化的な匂いが醸し出されている。

 イントロダクションはJFA技術委員長である小野剛氏の「世界トップ10を目指して 課題への取組み」だった。レクチャー①はJFA専務理事である田嶋幸三氏の「我々の目指すところ2005年宣言より」、レクチャー②はUEFA技術委員長であるアンディ・ロクスブルグ氏の「UEFAトップコンペティション2008~テクニカルトレンド~」だった。

 今回のカンファレンスのキーワードは、「みんなつながっている~We are all integrated!」。人はそれぞれの思いと想いを紡ぎ、ただそれだけではなく繋ごうとする。それが、歴史を築くということなのだろう。

 わが国の著名な経営学者である野中郁次郎氏の論説から、「暗黙知」→「形式知」、「個人知」→「組織知」の事柄が引用されていた。我々はなぜここにやってきたのか? その根底には「共有」したいという想いがあるのだろう。「場」を通じての暗黙知の共有、暗黙知の形式知化、個人知の組織知化が大きな力を産み出す。

フットボールカンファレンス2009(1)

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 1/16(金)夜、金沢駅前「石川県立音楽堂」での第6回フットボールカンファレンスの初日の講義が終わり、隣接する「ANAクラウンプラザホテル」で懇親会に参加した。驚くほどの人数であった。料理は瞬く間になくなってしまった。ただ、料理が「美味しい」という味覚の印象があった。文化的な町には、「食」そのものにも現れる。奈良県勢の方々と雑談を交わし、AC長野パルセイロの方々ともお会いできた。

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「一調一管」を聴いて

 1/16(金)第6回フットボールカンファレンスのオープニングは、「一調一管~峯子・乃莉~」の調だった。会場の座席に座り、プログラムを見て、その名から現代的な雰囲気のオープニングを思い描いた。しかし、私が思い描いていたのとは全く違った、私にとって最高の感銘と感激を受けた、金沢の歴史に積み重ねられた伝統的芸術をライブで体験することが出来た。

 鼓と横笛の二重奏である。芸術的なことの詳細は分からないが、恐らく能楽の演奏形式なのかもしれない。加賀百万石の城下町、かつての歴代藩主は芸術・文化を奨励したという教科書的な知識が脳裏に浮かんだ。楽譜もなく二人だけの無言の意思疎通に基づいた鼓と横笛の音色に鳥肌が立った。音が並び無の時間が少ない西洋的音楽とは一味違った。「間合い」「音と音との間の無」という日本的な音楽に魅了された。得もいわれぬ激しさと美しさが伝わり、私の聴覚を襲い、なんとも言えぬ心地よさに寄った。「一調一管」のお二人は、合計年齢で150歳余りだと聞いた。その姿は、「凛」とした佇まいが醸し出されていた。

 加賀百万石文化の伝承と継承されている光景に私は圧倒された。何百年も積み重ねられてきた伝統を肌で感じて。私は本当に、地域でフットボール文化を創出する意思を持ち、その文化を継承しようと思い描いているのだろうか?と自問した。

犀川大橋から

~北の都・金沢(1) ~
 1/16(金)、2泊3日の日程で、「第6回フットボールカンファレンス」に参加するために、石川県金沢市に来ている。奈良の自宅を6:15に出て、京都発7:38「サンダーバード1号」に乗り、金沢駅着が9:43だった。ホテルに荷物を預けて、「室生犀星記念館館」へ出かけた。犀川河畔にある犀星の生家あとにある記念館へたどり着いた時には小雪が降っていた。


 私が17歳だった秋に、家族にも言わず学校を無断欠席して、初めて夜汽車に乗り一人旅に出かけた。金沢で途中下車して信州長野へ向かった。私がその時、金沢へ降り立ったのは、初めて読んだ詩人が室生犀星だったからなのだろう。「故郷は遠きにありておもうもの・・・・」。遠い遠い昔の話である。38年以上の前に金沢をさまよった時の想いが古い記憶から呼び起こされた。あの時も、犀川大橋から犀川の流れを眺めた。


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「室生犀星記念館」公式サイト

2009年1月16日 (金)

「三島由紀夫亡命伝説」

Img_0001 著者:松本健一/発行:勁草書房(2007.03)/定価2000円+税/P.220

「1970年11月25日 三島由紀夫は<美しい天皇>像を一人ひっさらって、この日本から亡命(かけおち)していった。」(本書帯より)

 
1969年1月東大安田講堂落城、1970年3月大阪万博開幕、わが国が戦後の繁栄の頂点にさしかかった時に、作家・三島由紀夫は割腹自殺した。その時代はわが国の激動期であった。振り返れば、大きなターニングポイントであったといえる時代なのかもしれない。

 近代日本の思想に領域において卓越した論考を執筆されている著者は、三島由紀夫が死んで後、「私たちはその年月のあいだ、『美しいものを見ようとおもったら、目をつぶれ』と説く、危険な文学者を持たなかった。」と本書の中で書かれていた。

 その事件については、肯定・否定の両側面から、今もさまざまに論評されている。その「亡命」(かけおち)は、確かにすでに40年前の出来事でありながら、一般的に事件そのものは忘れられようとしているが、三島由紀夫の文学は、同氏が死んで後も、「美」を放ち続ける契機をなした。

 いまでは、左翼・右翼という存在自体は希薄になっているが、その当時は政治的に明確な相違として存在していた。しかし、その心情においては確かに共通するものが存在した。「安田講堂攻防戦と落城」、「三島由紀夫の割腹自殺」の二つは、歴史として振り返ると、その時代とその後の時代を憂う「心情」の表現としての象徴的な事件だった。

 
「・・・・日本はなくなって、その代わりに無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。」という40年前の三島由紀夫の言葉は、今、わが国の現実を浮き彫りにしている。

2009年1月15日 (木)

「安田講堂1968~1969」

Img_0002  著者:島泰三/発行:中公文庫(2005.11)/定価:980円+税/P.364

「明日あると信じて来る屋上に旗となるまで立ちつくすべし」 (歌人:道浦母都子)

 「青年たちはなぜ戦ったのだろうか。必至の敗北とその後の人生の不利益を覚悟して、なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか。何を求め、伝え、残そうとしたのか。」 
 
本書は、当時の活動家によって語られた貴重な証言である。

 1/15(木)夜、自宅で夕食をとろうとしていると、テレビで「東大落城」というドラマが放映されていた。日頃、テレビを見るということは極端に少ない生活を過ごしている。その日は夕食を食べ終わっても、そのドラマを最後まで見続けてしまった。その後に、本棚にあったこの本を手に取り拾い読みしていた。「東大安田講堂の攻防」は、40年経ち歴史の出来事として位置づけられるような時代になったと感じた。

 1969年1月、私は中学3年生で受験をまじかに控えた頃だった。学校から帰宅すると、父と祖母がテレビにくぎずけになっていた。私が父に、「何をやってんの?」と聞くと、父は「東京大学安田講堂の紛争だ」と私に言った。その時、私は何のことか全く分からなかった。でも私もまたその傍らでテレビの生中継を見ていた。3人とも無言であった。

 祖母が口を開いた。「こんな寒い中で、水なんかかぶったら凍え死んでしまうのに、なんでやの?」 それに答えて父は、「なにかの気持ちがあるんやろ。」とつぶやいた。私はその時、ただその言葉を聞いただけであった。私は確かに父と祖母の印象と同様な気持ちを抱いた。

 1969年4月、私は高校へ進学した。入学して少し経つと、大学紛争の余波を受けて、その高校にも学園紛争が生じていた。バリケード封鎖が行われ、機動隊が出動してきたり、ヘルメットをかぶった生徒が学校内を走り回り、全学集会、クラス集会などが行われ、定期試験のボイコット運動も生じた。学校内は、一般的な「勉学の場」から程遠い空間となっていた。そこは確かにその時代の雰囲気を色濃く漂わせていた。

 私は当時、政治的な行動を起こしたこともない。ただ、その時代の文化的な雰囲気の中で、多感な高校時代に個人的な疾風怒濤の年代とが交差して、多くの影響を受けたことは事実だ。左右両翼のイデオロギーではなく、人としての心情的なものに影響を受けたとともに、さまざまなジャンルの文化的なものが、私の目の前に現れ私を誘った。

 あの時代の雰囲気と友人たちを通して得たさまざまな文化的な領域での体験が、私の大成通りの路地裏での生育暦に根ざした核の部分に、善悪は別にして今ある私という個性を肉付けしたと思う。「東大落城」というテレビドラマを見て、また、この本のページをくりながら、自分自身の高校時代のことをふと思い出した。あの時、あの場所で感じ、思い、考えたことは、人からは見えないが間違いなく今の私の中に根強く息づいている。

2009年1月13日 (火)

ディアブロッサ高田FC U-12 七連覇 関西小学生サッカー県大会

1/11(日)・1/12(月) 御所市民運動公園グラウンドほか
【決勝】
ディアブロッサ高田FC  4-1 セントラル奈良
【準決勝】
セントラル奈良 10-0 五條FC
ディアブロッサ高田 3-1 生駒SC

※ディアブロッサ高田、セントラル奈良、五條FC、生駒SCの4チームは、3/28~3/30に大阪府吹田市の万博公園グラウンドで開催される関西小学生サッカー大会に奈良県代表として出場する。

2009年1月12日 (月)

「ならぬことはならぬものです」

Img_0002  2002年秋に、福島県会津市を訪れた。かねてから一度は立ち寄りたいと思っていた地だった。広大な会津藩校日新館に立ち寄り、さまざまな感銘を受けながら、帰り際にこの品を買った。その袋の中には、大きな紙に記された「会津幼年者 什の掟」があった。その掟を読みながら、徳川時代に、10歳までに身につけさせなければならない事柄を、人としてのベースを教育として意図して取り組んでいたことに、その当時の教育水準の高さで薩摩藩と会津藩が双璧だった事実をその時に垣間見た。

 「言語技術が日本のサッカーを変える」(2007.11)という著書の中で、田嶋幸三氏が、「JFAアカデミー福島を福島県に拠点を据えたことによって、日本サッカーへの新しい視点と可能性が、選手の育成方法にもたらせることになった」と記されていた。そのヒントとなったのが、会津藩の幼年者に対する教育方針であった「什の掟」だった。

 日本サッカー協会指導者向け機関紙である「Technical news 」(Vol.28 2008.11)の中で、JFAアカデミー福島の報告、女子GKコーチ小林忍氏が、「会津藩校日新館の『什の掟』にあるように、理屈はどうであれ『ならぬことはならぬ』という精神をU-14の時期に徹底的に教育する必要があると書かれていた。

 私が読んだ市販されているサッカー関係の本で、今まで、会津藩「什の掟」のような、わが国の歴史と文化に関わる言葉を見たのは、上記の二つの文章が初めてであった。

 もう10年以上も前のことになる。会津藩の「日新館童子訓」と「什の掟」の存在を初めて知った。その時に、私がサッカーで関わっている小学生の子どもたちに、何かルールかあるべきことがらを簡潔に、現代風につづれないかと考えていた。

 今、ソレステレージャ奈良2002で、「プレーヤーズ憲章」と呼ばれているものが、そのささやかな作品である。クラブ創設以前の西奈良ニーノスフットボールクラブスポーツ少年団の時代に作り、現在のクラブ創設とともに、「プレーヤーズ憲章」として継承された。内容の相違はあるが、発想の発端は、会津藩の「日新館童子訓」と「什の掟」にあったことは事実だ。小学生を対象にしたが、今の時代には中学生にも適用できる。「プレーヤーズ憲章」を下記に紹介する。(「什の掟」については下記の「会津藩校日新館」Webサイトを参照願います。)

ソレステレージャ奈良2002
【プレーヤーズ憲章】
1. きっちりとあいさつをする
2. 自分のことは自分でする
3. 決まりを守る
4. がまんができる
5. 食べ物の好ききらいはしない
6. 最後まであきらめない
7. 自分の目標を持つ
8. チャレンジする
9. 他人に迷惑をかけない
10.思いやりの心を持つ
11.感謝を忘れない

「会津藩校日新館」公式サイト

「チェ・ゲバラ」と「ディエゴ・マラドーナ」

 アルゼンチン生まれのラテンアメリカの革命家、チェ・ゲバラを題材にした映画が2作連続で上映される。また大阪では写真展も開催されている。キューバ革命50周年という節目の年、また、現在の混迷の時代に不死鳥のように蘇ってきた。政治思想(イデオロギー)の枠組みを超えて、1960年代末には、世界の若者たちのカリスマだったという事実があった。フランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルは「20世紀の中で最も完璧な人間だ」と、ビートルズのジョン・レノンは「その当時、一番かっこよかった!」と、アメリカのアーティスト、アンディ・ウォホールは、シルクスクリーンでゲバラを描いた。今も街で、チェ・ゲバラの肖像が印刷されたTシャツを着た若者に出会うこともある。チェ・ゲバラの半生を描いた映画の製作をした、ソダーバーグ監督のインタビュー記事が、1/1(月)朝日新聞朝刊に掲載されていた。「革命よりも人物にひかれた」と。

 フットボールの歴史の中で、偉大な選手として、また破天荒な選手としてその名を刻んだ者に、アルゼンチンのディエゴ・マラドーナがいる。身長166cmの小柄でありながらイマジネーション豊かで力強いドリブルで人々を魅了した。アルゼンチンでは破天荒な生活などには関係なく、プレーヤーとしての人気は絶大である。彼の祖母のふるさとイタリア・ナポリでプレーした時は、ナポリの人々に神と崇められた。アルゼンチンのフットボールーの再生のために、今代表監督を務めている。引退してから10年余りが経つ。過去の選手としての絶大な人気を誇ってはいるが、現地調査で、アルゼンチン監督として「就任反対」と74%の人が答えた。それでも、代表監督として就任し、南米でフットボールの戦いを挑んでいる。

 チェ・ゲバラは裕福な家庭で生まれ育ち、医師の資格を取得したインテリだ。片やディエゴ・マラドーナは貧民層で生まれ育ち、生活も破天荒である。引退後は、まさにはちゃめちゃだ。相反する境遇の中で育ち人間的には正反対の存在のように思えるのだが。共通することと言えば、アルゼンチン生まれだということか、ラジカルさか、根底にはフットボール・タンゴがあることか。ディエゴ・マラドーナは、腕にタトゥー(刺青)を彫っている。その図柄は、チェ・ゲバラの肖像だ。このことをどのように理解すればいいのだろうか? ディエゴ・マラドーナにとって、チェ・ゲバラはあるべき存在、憧れなのだろうか。ラテンアメリカの「革命家」とフットボールの「叛逆児」は繋がっている。

河内磐船神社の石仏を眺めて、想いを馳せる!

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 「河内磐船神社」へ、昨年末に出かけた。「岩」ではなく「磐」に出会うために。同神社は大阪府交野市を流れる天の川の上流にあり、巨岩「天磐船(あめのいわふね)」をご神体とする神社である。「磐船」(いわふね)という言葉の響きが、私をその場所へといざなった。

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 岩に刻まれた石仏があった。傍らには花が添えられ、蝋燭がともされていた。誰かが、その石仏の前で黙って手を合わせ祈ったのだろうか。

 岩に刻まれた石仏を眺めながら、恐らくその当時、無名の彫師は、苦難・労苦の中でおのれ自身のすべてを込め、今或る石仏に刻み込んだのだろうと想いを馳せた。その当時から比べれば、現代という時代は天文学数字的に物質的に豊かにはなったのだろう。だが、人の精神は、恐らく限りなく貧しくなり果てているのかもしれない。その石仏に、何も願わずただ手を合わせた。

U-18奈良県サッカーリーグ1部試合結果 【1/11】

1/11(日) 旧片桐高校グラウンド
奈良育英 1-0 大和広陵   法隆寺国際 4-2 奈良北
五條 3-0 香芝

奈良県 第46位 女子都道府県駅伝

 1/11(日)、第27回全国都道府県対抗女子駅伝が、京都・西京極陸上競技場を発着点として行われた。47チームが参加した中で、健闘したが46位となった。来年度に期待をかける。

①京都2:15:39 ②岡山2:17:03 ③兵庫2:17:42 ④熊本2:19:09 ⑤福岡2:19:23 ⑥埼玉2:19:22 ⑦宮崎2:19:23 ⑧長野2:19:28  第46位奈良2:27:35

2009年1月11日 (日)

交野 「星のブランコ」にゆらりゆられて

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 奈良県生駒市に隣接した大阪府交野市にある「ほしだ園地」の中に「星のブランコ」がある。私の自宅から車で20分、そこから徒歩で遊歩道を20分登れば「星のブランコ」だ。

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 身近な場所にもつり橋がある。自宅から往復2時間程度で、山間奥地へとやって来たという疑似体験ができる。子どもたちにはちょっとばかり冒険気分になるかもしれない。

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 つり橋の中央で立ち止まり眼下を見下ろした。スリル満点である。山肌につり橋の影が、緑の山肌に黒い線が横に伸びている。つり橋の影だ。つり橋の影の中央に少しだけ私の影が映し出されている。私が少し動くとその影も動いた。私と私の影は一心同体なのだろう。

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 つり橋で3人の男性と橋上ですれ違った。振り返ると、前の二人は、ジョギングをしながら、つり橋を渡っていた。後ろの人は彼らが生じさせた揺れを両手で制御しバランスを取りながら歩いて渡っていた。私はと言えば、心地よい揺れに、ブランコに乗っているような気分でいた。

 下山して、「星のブランコ」と名づけられたつり橋を見上げた。空を横切るつり橋にふと「天の川」を思い描いた。

「赤頭巾ちゃん気をつけて」を思い出して

Img_0001  1/9(金)13:30頃、職場の食堂で昼食をとっていた。テレビがついていたので何気なく見ていた。ピアニストの中村紘子が出演していた。司会者が中村紘子のご主人の名を話した時、突然に「赤頭巾ちゃん気をつけて」という小説を思い出した。

 「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、作家である、というよりも作家であった庄司薫氏が書いた青春小説である。1969年の芥川賞受賞作品であり、ベストセラーとなった。1969年始めに「東大安田講堂」の攻防戦が終焉を迎え、東大が歴史上初めて入試中止に追い込まれた。その年にこの本は刊行された。

 自宅の書棚からこの本を取り出した。昭和44年8月10日初版、昭和45年9月22日27版、定価360円と記載されている。1年余りの間に27版された。どれだけ多くの人々が、いや若者たちが読んだことだろう。その当時の時代的な雰囲気の中での青春物語だ。主人公の男女学生の関係に憧れを抱き、その小説の「由美」という女の子の名前が今も記憶として刻まれている。38年前、17歳の冬に、私が初めて買った単行本の小説だった。

 「ぼくは由美とそっと手をつないでゆっくりゆっくりと歩きながら、何度も何度も同じことを繰り返し考えた。ぼくには、このいまぼくから生まれたばかりの決心が、それがまるで馬鹿みたいなもの、みんなに言ったらきっと笑われるような子供みたいなものであっても、それがこのぼくのもの、誰のものでもないこのぼく自身のこんなにも熱い胸の中から生まれたものである限り、それがぼくのこれからの人生で、このぼくがぶつかるさまざまな戦い、さまざまな苦しい戦いのさ中に、必ずスレスレのところでぼくを助けぼくを支えぼくを頑張らせる大事な大事なものになるだろうということが、はっきりとはっきりと分かったように思えたのだ。」(庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」の末文)
※庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、現在は「中公文庫」で刊行されている。

J・S・バッハ「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェロのためのソナタ」を朝早くに聴いて

Img  最近は、平日・休日に関わらずに5:30に起床するようになった。休日に朝早く出かける時以外は、起きてから1時間程度、CDで音楽を聴きながら本を読んでいることが多い。

 今日は早朝から曇り空だ。久しぶりに静かで爽やかなクラッシックのCDを取り出し聴いた。J・S・バッハ「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェロのためのソナタ」。ジャズピアニストのキース・ジャレットがチェンバロ、キム・カシュカシャンがヴィオラのデユオだ。

 CDのライナーノーツには、発売年が1994年と記されている。おそらく15年近く前に、「キース・ジャレット」「バッハ」「チェンバロ」という文字に惹きつけられて、このCDを買ったのだと思う。今朝、このCDを聴いたということは、初めて聴いた時の心地よさが今も残り続けているからなのだろう。

2009年1月10日 (土)

うぶすなの森の寒椿

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 昨年末から年始にかけて、自虐的にもわが自宅周辺を早足で歩き回った。徒歩20分のところに大淵池公園・うぶすなの森がある。冬のうぶすなの森の景色の中で、鮮明な赤というか濃いピンクというのか、その花の色彩が眼に飛び込んできた。

もう一つの「花園」~第1回U-18合同チームラグビー東西対抗戦~

 1/10(土)朝日新聞朝刊スポーツ欄を読んだ。大阪・花園ラグビー場で開催された全国高校ラグビー選手権大会の前座試合で、今年から「第1回U-18合同チーム東西対抗戦」が実施されていたことを私は知らなかった。

 ラグビー競技人口は減少している。今年度の大会の予選に出場したのは892チーム、そのうち合同チームは76チームあった。合同チームは都道府県予選には出場できるが、その地区で優勝したとしても全国大会へは出場できない。

 その合同チームの選手たちを応援しようと、2005年から合同チームの全国大会が開催されているという。昨年7月には長野県・菅平で開催された。今年度から、日本ラグビー協会は、「第1回U-18合同チーム東西対抗戦」を企画し、本大会決勝戦の前座試合、彼らに「夢の花園」でプレーする機会を設けた。

 1/5(月)全国から集まった50名の選手たちが結団式を行い、1/7(水)常翔啓光学園 対 御所工業・実業の決勝戦の前座試合で「夢の花園」に立った。「寄せ集めのため、試合で組織だったプレーは難しい。決勝戦の前座試合だっただけに観客は多くなかった。それでも東西両チームから50人全員が出場し、ひたむきにグラウンドを走り回った。」と記者は暖かい一文を書き記していた。

 私は、その記事を読むまで、花園ラグビー場での決勝戦前に、そのようなゲームが実施されていたを知らなかった。記者署名入りの記事を集中して読んだ。その記事を書かれた朝日新聞記者に感謝と敬意を抱く。

1970年(昭和45年)を思い浮かべて

Img  昨年末に「週刊昭和」の「昭和45年」号が発売されたので買って読んだ。その当時の写真が満載されているので興味深い。

 昭和45年は西暦では1970年、もうすでに40年近くも時が経過している。歴史の中に刻まれつつある。その年の出来事で印象深いのは、確かにこの雑誌の表紙で表現されているように、「日本万国博覧会(EXPO’70・大阪万博)と「三島由紀夫 自決!」だ。

 この雑誌に掲載されている年表を見ると、1月アメリカンニューシネマ「イージーライダー」公開、3月女性雑誌「anan」創刊、日本万国博覧会開幕、缶コーピーの初めての発売、7月日本初の光化学スモッグ発生、閣議で日本の呼称を「ニッポン」に統一、8月歩行者天国の初実施、内ゲバ激化、10月国鉄(現JR)初の全国観光キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」開始、11月日本初のウーマンリブ大会開催、三島由紀夫割腹自殺。というような出来事が1970年に生じた。

 この雑誌の4ページに掲載されていた「特集 開幕!大阪万博」の見開き全面の巻頭写真を観た。入場者の家族のスナップ写真を写している光景だった。その写真の背景は、右上部にはパビリオンのアルミの屋根の先が写り、ボールに掲げられた参加国の万国旗が翻り、中央には電光掲示板に記された「人類の進歩と調和 PROGRESS AND HARMONY FOR MANKIND」が写し出されていた。

 30歳代前半の夫婦、子ども3人、祖母の6人家族の光景だ。右側に4歳ぐらいの長女と手をつなぎ、カメラのレンズを凝視している若き父親がいる。中央には、2歳ぐらいの次女をおんぶしたひざ上までのワンピースを着た妻が夫と長女に向けて微笑みながらカメラのシャッターを押そうとしている。左側には、1歳にもみたない長男をおんぶしている祖母が、微笑みながら左手を振り、長女に「笑って」と語りかけているかのよう暖かい眼で見つめている。

 その写真は、大阪・万博とその時代のニッポンを切り取った象徴的な写真に思える。近代日本の到達点として、会場に行けば世界一周ができるという「庶民の夢の実現」を成就しようと全国から多くの人々がその会場に押し寄せた。2009年の今から振り返ると、ニッポンの老若男女が酔いしれ疲れた、史上最大の「まつり」だったのかもしれない。

 その年の11月、ニッポンの繁栄の頂点であった時に、作家・三島由紀夫は市ヶ谷駐屯地総監室で割腹自殺した。その行動の解釈については、あれから40年近く経つが、さまざまな見解が今もあり続けている。事件は衝撃的だった。その時私はどこにいたのかをはっきりと覚えている。

 高校2年生、17歳だった。学校前の喫茶店「あづさ」にいた。友人がその店に入ってきて、「三島由紀夫が割腹自殺した!」とその時に聞いた。高校2年生の夏から本格的に本を読み出したので、その時は、三島由紀夫の小説を読んだことはなかったが、その名と著名な作家で政治的に行動的な人物であることを知ってはいた。

 後年、私が社会人になってから、三島由紀夫が自決する4ケ月まえの 一文を読んだ。
「わたしはこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。・・・・日本はなくなって、その代わりに無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。」 
 2009年の今から振り返ると、三島由紀夫の自決は、ニッポンが衝撃を受けた戦後史上最大の「激」だったのかもしれない。

 雑誌巻末に、三島由紀夫自決の日の朝日新聞1970.11.25号外が付録としてついていた。その事件の記事の横に、当時の佐藤栄作首相の所信表明演説の「福祉と成長の調和強調」という見出しの記事があった。その言葉は40年近く経過した今、むなしく響く。

大阪城 「多聞櫓」 2008.11.2

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 大阪城大手門をくぐると、石組みに囲まれた広い空間がある。巨石で石組みされた上に櫓がある。それが、現存する櫓の中で、最大規模を誇る「多聞櫓」だ。普段は多くの人々がその櫓の下を通り天守閣へと向かう。「多聞櫓」は大阪城の正面玄関口の最重要な櫓として建造された。

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 特別公開で「多聞櫓」の内部に入ると、薄暗く細長い廊下を歩いた。タイムスリップしたような感覚に陥った。窓から大手門枡形を望むと人が行きかっていた。見る時間・位置・角度をかえることで、日常の視点だけでは、見えないものが見えてくる。

大阪城 「千貫櫓」 2008.11.2

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 大阪城大手門にある「千貫櫓」だ。城内において最古の建造物のひとつである。大手門を側面から防御するために築かれた。国の重要文化財に指定されている。

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 日頃は「千貫櫓」の内部は公開されていない。春と秋にそれぞれ3日間だけ特別公開される。内部に入ると、外から眺めていた時の印象との違いを鮮明に感じた。美しさと堅牢さとのコントラストに魅了された。

2009年1月 8日 (木)

私たちは知りたがる動物だ・・・・・

 正月の朝日新聞の別冊で。詩人・谷川俊太郎の「かすかな光へ」という詩を読んだ。

私たちは知りたがる動物だ 
たとえ理由は何ひとつなくとも 
何の役にもたたなくても知りたがり 
どこまでも闇を手探りし問いつづけ 
かすかな光へと歩む道の疲れを喜びに変える 
(谷川俊太郎/「かすかな光へ」)

 ただただ言葉が記されているだけと思う人もいれば、その言葉から何かを感じ、共鳴し、心が躍動していく人もあるだろう。言葉は誰にでも無限の扉を開いてくれている。2009年新年に、詩人・谷川俊太郎の詩の断片が、私自身の心を騒がせ奮い立たせた。

2009年1月 7日 (水)

「12タンゴ ブエノスアイレスへの往復切符」を観たくて

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 1/4(日)午前、「シネ・ヌーヴォ」で、ドキュメンタリー映画「タンゴ・イン・ブエノスアイレス」を観たが、その日、同じ映画館で午後から「12タンゴ ブエノスアイレスへの往復切符」という、タンゴを題材にした映画が上演されていた。その日は、午後に所要があり、その映画を見逃した。

 その日以降から、毎晩、自宅のわが部屋で、ヨーヨー・マの「プレイズ・ピアソラ」を聴いている。それも、大部分は。「リベルタンゴ」という曲をリピートでかけている。正月明けから何度、アストル・ピアソラの「リベルタンゴ」を聴いたことだろう。

 無性に映画「12タンゴ ブエノスアイレスへの往復切符」を観たいという衝動に駆られている。見逃したから余計にその衝動を抑制できない。時間の調整をして、また、「シネ・ヌーヴォ」へ出かけよう。

「12タンゴ ブエノスアイレスへの往復切符」Webサイト

「12タンゴ ブエノスアイレスへの往復切符」You Tube Webサイト

「リベルタンゴ ヨーヨー・マ」You Tube サイト

御所工業・実業 準優勝! 全国高校ラグビー

1/7(水)花園ラグビー場
常翔啓光学園 24-15 御所工業・実業 (19-3/5-12)

 奈良県代表の御所工業・実業高校は、全国高校ラグビー大会で、健闘の末、準優勝を飾った。全国の舞台で、決勝戦まで駒を進めることは、並大抵の努力だけでは成し遂げられない。全国制覇は実現できなかったかもしれないが、準優勝という勲章は輝きを放つ。御所工業・実業高校の関係者一同に敬意を表する。

「全国高校ラグビー大会」公式サイト

2009年1月 6日 (火)

今日は、「お風呂の日」と「メンズデー」~やまとの湯~

 今晩、「学園前やまとの湯」へ出かけた。いつもは1回入浴すればスタンプ1コなのだが、今日は「お風呂の日」(6のつく日)の2倍ポイントと「メンズデー」(毎週火曜日)の2倍ポイントの計4倍ポイントのスタンプ4コをもらった。ほかほか気分で今日はお得な日だった。

「スーパー銭湯 やまとの湯」公式サイト

「オレンジの呪縛~オランダ代表はなぜ勝てないか?」

Img_0002 著者:デイヴィッド・ウイナー/発行:講談社(2008.07)/定価:1900円+税/P.381

 「オランダは、オランダであるがゆえに、勝つことができない。」
オランダが美しく勝つためのサッカーを展開しながら、勝利を逃し続けている謎を、歴史、地理、文化、国民性、建築、芸術、心理などのあらゆる角度から分析した、興味深い一冊である。

 サッカーはさまざまな国々の特性が現れる。意図的に作り出されるというより、その国の文化的・歴史的な土壌がサッカーそのものを形成する。オランダという国の歴史、文化、国民性が、オランダのサッカーを規定する。

 オランダサッカーをさまざまな領域の視点から分析したこの著作は、サッカーが技術・戦術に基づくものだけでなく、もっと大きなその国の文化・歴史・国民性が色濃く反映されるものだということを教えてくれる。

「北新地 呼吸チョコ」を長野へ送った!

 今晩、近鉄大阪線八尾駅の駅中にある「マルシゲ」で、「北新地 呼吸チョコ」を、妻の言いつけどおりに、ドサッと買い、長野市に帰った息子のマンションへ送った。その店のおじさんと立ち話をした。「小林麻央のブログでも紹介され、今日もテレビCMでも紹介されました。好評です! 東京では売っていません。関西土産です!」という。

 「小林麻央」て誰?と聞こうと思ったがやめた。実は私もブログで紹介しているのですと言おうと思ったが、それも口をつぐんだ。買ったものをコンビニまで運びましょうかと親切にも私に声を掛けていただいた。軽かったので、お気持ちだけいただいて、小脇に抱えて近くのファミリーマートへ行き、クロネコヤマトの宅急便で送った。

「まお日記 小林麻央オフィシャルブログ」

正月の「ボートのりば」にて

Photo  1/3(土)のくろんど池の「ボートのりば」だ。池に浮かんでいるボートは手持無沙汰でいる。春になれば大忙しだ。その季節になると、家族連れで賑わい、カラフルなボートが池のあちらこちらを行き来するだろう。

 春風に吹かれて、子どもたちは、かわいい姿のボートに乗りたがるのだろう。その時、子どもたちに、どのような池の風景が見えるのだろうか、どのような気持ちになるのだろうか? 

 最近、ボートに乗ったのだろうか? いや遠い遠い昔のような気がする。正月のかわいいボートの群れを見ながら、春になればこのようなかわいいボートに乗り、何も考えずに池の上をゆらりゆらりと、ゆっくりとした時間を過ごしてみたいという気持ちが涌いてきた。ただ、一人じゃ絵にならないし恥ずかしい。ささやかな望みは幻想で終わるのだろうか。


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2009年1月 5日 (月)

御所工業・実業 決勝へ! 全国高校ラグビー大会

1/5(月) 花園ラグビー場
【準決勝】

御所工業・実業高校 3-0 京都成章高校(京都) (3-0/0-0)

 奈良県代表の御所工業・実業高校が、京都成章高校を僅差で破り、決勝進出を果たした。職場から帰宅してWebサイトを確認した。まるでサッカーのゲームのような点差だ。厳しいゲームだったのだろう。

 ラグビーフットボールとアソシエーションフットボール(サッカー)は、元々は同じであった。歴史の中で分化した。兄弟のようなものだ。サッカーはラグビーから、ラグビーはサッカーから学ぶべきものは多い。私は、サッカーもラグビーも好きだ。新春の始まりに、わが奈良県代表の「黒の軍団」が、全国制覇をすることを心から祈念する。

【決勝】 1/7(水) 14:05
御所工業・実業高校 対 常翔啓光学園(大阪)

「高校ラグビー大会」公式サイト

2009年1月 4日 (日)

「タンゴ・イン・ブエノスアイレス~抱擁~」を観て

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 1/4(日)午前、大阪・九条「シネ・ヌーヴォ」へ、映画「タンゴ・イン・ブエノスアイレス~抱擁~」を観るために出かけた。映画館「シネ・ヌーヴォ」は、奈良・大阪エリアにある映画館の中で、私が一番好きな映画館だ。幼い頃に出かけた大阪・東成区、新橋通りあった映画館「新橋劇場」「二葉館」を想いださせてくれる。芝居小屋のイメージが快くつきまとう。

 そこで、「タンゴ・イン・ブエノスアイレス~抱擁~」を観た。上演前に座席に座り、この映画館は、劇団「維新派」が内装を手がけたのだと、天井の装飾を仰ぎながら思い描いた。BGMは、ピアソラのタンゴが流れていた。観客は、私以上の年代の方が多かった。正月早々、70代の老夫婦、同年齢の男性ひとり、その映画館に来ていた。彼らにとって、この「場」は何なのだろう? 年齢は違えども、私とは同胞なのだろうか。ほんとは友だちになれる存在なのかもしれない。

 ドキュメンタリー映画「タンゴ・イン・ブエノスアイレス~抱擁~」を観て感銘を受けた。映画の導入部に、ピアソラの「リベルタンゴ」が流れていた。その音楽を聴き、映像の中で、あるがままに、「タンゴを魂だ」と言い切る人々の言葉と行為に、「情熱」などというキレイごとではなく、もっと根底に沸き出でている人間の「情念」のすごさと素敵さに酔った。

 官能的なダンスと情念がほとばしる音楽、そして、タンゴに熱狂する人々のドキュメンタリーがスクリーンに映し出された。創作ではなく、事実の記録として、私の網膜に焼き付けられた。

 アルゼンチンの人々には、根底に「タンゴ」がある。その文化的な基盤の延長線上に「サッカー」がある。それでは、私たちにとって、わが国のサッカーの根底に何があるのだろう?

「タンゴ・イン・ブエノスアイレス~抱擁~」公式サイト

「シネ・ヌーヴォ」公式サイト

「維新派」公式サイト

昨日は、ソレステレージャ奈良2002の「初蹴り」だった!

 1/3(土)午後、恒例のソレステレージャ奈良2002の「初蹴り」だった。奈良市立登美ケ丘北中学校グラウンドで、小学校低学年から大人まで100名余りのサッカー好きな者たちが集まった。今年はWebサイトに支障があり連絡が行き届いていないにも関わらず、多くの人々がグラウンドに終結した。

 「場」があるということは、大きな意味と意義を持つ。そこで、まず顔をあわせることができる。それが第一義的に大切なことだ。Face to Faceからはじまる。2009年度のソレステレージャのスタートだった。

 写真を撮ることが出来なかった。なぜならば、デジカメを家に忘れてしまった! 残念ではある。最近特に忘れっぽくなってしまった!

朝だった。「アヒルだ!」

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 1/3(土)、くろんど池の周りを歩いていた。ひさしぶりにアヒルを見た。確かに日常という時間の流れではアヒルを見ることもなく時を過ごしている。アヒルという存在は、自分自身の仕事や生きていることに無関係なものでしかない。しかし、池の端で、アヒルを見つめていると、連鎖的にとりとめもないようなことが浮かんだ。

 アヒルは英語でなんと言うのだろう? なかなか言葉が出てこなかった。やっとのことで、「ダック(Duck)」だと思い出した。童話「みにくいアヒルの子」はどんな物語だったのか?作者は誰か?アヒルの群れの中で一羽だけ外見が違い、群れの中でいじめられ、その一羽は傷つき悩む。最後自分自身が「アヒル」ではなく「白鳥」だったと知る。作者はアンデルセンか?

 アヒルは昔から存在していたのだろうか? もとはマガモで、人間が人為的に交配して作り出した家禽だと昔むかし学校で習ったことを思い出した。マガモは羽があり空を飛べた。アヒルには羽がなく空を飛べない。でも、ほんとうに永遠に空を飛べないままなのだろうか。

 「アヒル」と「白鳥」はどちらが美しいと問われれば、「白鳥」だと答える。さらに、「アヒル」と「白鳥」のどちらが好きですかと問われれば、「アヒル」だと答える。

 くろんど池の端でたたずみながら、日常では思いつきもしないとりとめもないことに想いを巡らした。

2009年1月 3日 (土)

箱根駅伝を振り返って

 1/3(土)、第85回東京箱根間往復大学駅伝競走は、東洋大学の初優勝で幕を閉じた。東洋大学は67回目の出場となったが、今まで、往路・復路・総合とも優勝を一度も経験したことがなかった。10人の選手の安定した走りが往路・復路・総合の初優勝に結びついた。

 東洋大学の区間順位を見てみると、
往路 1区8位、2区17位、3区3位、4区9位、5区1位  
復路 6区12位、7区1位、8区2位、9区2位、10区6位

 往路での山登りでの大逆転の初優勝を契機として、復路の7・8・9区の安定した走りが復路優勝・総合優勝に導いた。日頃のトレーニングの成果をプレッシャーを受けながらも平常心での走りに徹することができたのだろう。東洋大学にとっては快挙であった。

 来年度のシード校は、東洋大、早稲田大、日本体育大、大東文化大、中央学院大、山梨学院大、日本大、明治大、中央大となった。予選会4位の日本大は3位、予選会10位の大東文化大は4位、予選会9位の明治大は8位となった。明治大は43年ぶりのシード権獲得となった。

 今年度シード校であった駒澤大、帝京大、亜細亜大はシード権を喪失した。特に優勝候補だった駒澤大の13位は意外であった。予選会トップで本大会に望んだ城西大はアクシデントで途中棄権となった。

 厳しいトレーニングの成果を本番で遺憾なく発揮する10人が、タスキをつなぐという行為、すなわちチーム・ワークがなければ、一人だけ快走しても、駅伝には勝てない。10人の総合力が箱根を制する。それはどの領域においても相通じるものだ。

「日本テレビ 箱根駅伝」公式サイト

御所工業・実業 準決勝へ! 全国高校ラグビー

1/3(土) 花園ラグビー場
【準々決勝】

御所工業・実業 40-17 流通経済大柏(千葉) (12-3/28-14)

「全国高校ラグビー大会」公式サイト

くろんど池 ~それぞれの豊かな時間~

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 1/3(土)朝、くろんど池へ散歩に出かけた。今朝は池の周りをゆっくりと歩くだけにした。昨日から太ももが硬くなり少し筋肉が張っている。安価で枚数が多いので、「大石膏盛堂」(佐賀県鳥栖市)製造販売の「パスマンハップID」というシップシートを貼っている。枯葉が積もった土の小道を歩くのは柔らかく心地よい。

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 正月早々に釣り人が、池の面をじっと眺めていた。釣り人もいれば、自転車で駆け巡っている人いる。私のようなただ歩いている者もいる。同じ世界で、同じ時を生きているのだが、価値は多様なものだ。人それぞれの「豊かな時間」があるのだろう。

「年越し派遣村」 厚生労働省が講堂を開放

 1/3(土)日本経済新聞・朝日新聞に、「年越し派遣村」の記事が掲載されていた。世界的な急速な景気下降という局面の中で、労働環境の極度の悪化が生じている。企業から契約を打ち切られた派遣社員たちは、年末年始と職探しをできない。職を失い住まいを追い出された人々が、寝場所を求めて「年越し派遣村」にたどり着いた。

 東京・日比谷公園では、大晦日の開村から多数の人々がつめかけ、収容できるテント数が不足し、公園そばの厚生労働省の講堂が開放されたという。大阪・神戸でも民間ボランティアが炊き出しをして「派遣失業者」等をサポートとしている。中高年が多いが、若者たちもいるという。

 グローバルな世界とは市場経済で繋がっているということだ。経済が上昇傾向であれば連鎖的に景気が上向く、下降傾向が生じれば同様に下向く。今回のような急激な後退局面では、ドミノ倒しのように倒れる。「経済」を最優先してきたツケがまわってきた。

 その記事を読みながら、その現況は他人事ではないのが事実だ。自分自身で何を感じ、想い、考え、そして行動できるのか。

2009年1月 2日 (金)

「背番号10~サッカーに“魔法”をかけた名選手たち~」

Img_0001 著者:アンドレ・リベイロ、ヴラジール・レモス/訳者:市之瀬敦/発行:白水社(2008.12)/定価:2300円+税/P.282

 「王様か 神様か? 天使か 怪物か?」 伝説の名選手たちの素顔と魅了する「魔法」の秘密に迫るフットボールファン待望の一冊が刊行された。

【コンテンツ】 ペレ/先駆者たち/魔法の後継者たち 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代/世界の覇者/ブラジルの背番号10/信仰の後継者たち 二十一世紀/ほか

 2008年12月刊行の新刊書である。著者が、本書の終章で、「魔法」という言葉のポルトガル語辞書の定義を示している。「いくつかの行為や言葉を使い、精神、才覚、悪魔の介入により、自然の法則に反する矛盾した効果や現象を生み出そうとする芸術や科学。」 詩的で人間臭さをあわせ持ち、「魔法」を駆使できる者こそ、背番号10を背負うプレーヤーの共通点なのだろう。

 往年のサッカープレーヤーが本書で紹介されている。映像で見ることはなかったが、その中の多くの選手の名は私の記憶に刻まれている。いかに多くの名選手がいたのかを、この本を読んで改めて認識した。

スポーツは、まさに・・・・!

 「音楽が“音の数学”であり、また建築が“凍れる音楽”であるならば、スポーツはまさに“燃ゆる力学”であるであろう。そして我々はその深き叡知的の計量性の中に瞬間崩れゆく美しさを把握するとも考えうるであろう。・・・・・その悦楽はあらゆるスポーツで一般にユニフォーミティーと呼ばれる喜びである。激しい情熱、情熱の内面の秩序、いわば情熱の数学でもある。」(「スポーツの美的要素」(1930年)」

 美学者・中井正一は80年近く前にその言葉を記した。日常的に「スポーツ」という言葉が使われたのがいつなのか知る由もない。私が小学生だった頃に、自分自身では「スポーツ」という言葉よりも「運動」「体育」という言葉を使っていたという記憶の方が強い。1930年、昭和という時代の始めに、「スポーツ」という言葉を使い、その美しさを考えていた人がいたということは、私にとっては驚きである。

 2009年正月、なぜ、中井正一が記した美学の本を再読しようと私はしたのだろう? それは、今繰り広げられているさまざまな種目、カテゴリーでのスポーツの様相にどこか、自分自身の心の中での想いと背反する場面に遭遇することがあり、そのことに違和感を抱き続けているからなのだろう。スポーツはまさに、「燃ゆる力学」であり、「情熱の数学」でもある。必ず根底に「美しさ」を求めなければならない。

今朝は、フィールドアスレチック!

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 1/2(木)早朝に、くろんど池畔で車を止め、徒歩15分の「くろんど園地」へ入った。今日は「クサリ場」からスタートした。臆病な気持ちが、かならず慎重に登れと私を諭す。子どもでも簡単に登れる場所で滑落したら、私のささやかなプライドなど吹っ飛んでしまうだけでなく、家族にも迷惑をかけてしまう。いや笑止のさたである。ぐにゃぐにゃのクサリにつかまり登りきった。眼下を見た。一瞬、子ども心に戻った。

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 クサリ場から徒歩10分上ると木造の展望台があった。衝動は抑えきれずに垂直のはしごを登り展望台へ、遠くに生駒山がかすんで見えた。

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 「草原ひろば」にたどり着くと、そこはフィールドアスレチックの施設があった。木造りの迷路のようなものがあった。木のトンネルをはいつくばってくぐったり、黄色いボールにつかまりターザンのように空間を浮遊し移動した。 「ウアッオ~!」と声を出さずに心の中で叫びながら。まるで小学生の子どものようだった。誰もいないので別に問題はないが、人が見ていれば、正月早々物好きがとか、少し変よ!と判断されるのであろう。

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 「砦」のようなものが見えた。足早に登った。「砦」という言葉を聞いただけで、また視覚に捕らえただけで、その存在から、心はわくわくドキドキしてしまう。子ども心を抱いて遊びに夢中になってしまった。心は晴れ晴れ、リフレッシュ気分だった。しかし、上半身の筋肉に痛みを感じている。気持ちは12歳、体は55歳のギャップがそうさせるのだろう。

 「遊び」は大きな価値を生み出す。ヨハン・ホイジンガは、「遊ぶ人」を「ホモ・ルーデンス」と名づけた。「知る人」である「ホモ・サピエンス」ではなく、「ホモ・ルーデンス」であることが、今後、年代の如何に関わらず、より大きな価値を、また豊かな生を産み出すように思う。小さな「砦」の上に立ち、ふとそのようなことを思った。

御所工業・実業 完封勝利! 17-0 全国高校ラグビー3回戦

1/1(木)花園ラグビー場
【3回戦】

御所工業・実業 17-0 桐蔭学園(神奈川) (17-0/0-0)

御所工業・実業は、1/3(土)14:30 準々決勝で、流通経済大柏(千葉)と対戦する。

「全国高校ラグビー大会」公式サイト

「ホールド」を眺めて

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 「ほしだ園地」にある練習用クライミングウォールの「ホールド」だ。手足を使い「ホールド」を利用し体を確保して移動していく。ちょっと挑戦してみようと思いはしたが、万一、落下したら正月早々、笑い者になってしまう。

 無理はしない、いや無理ができないという心と体は、少年のような冒険心・挑戦心から遠ざかりつつある。カラフルな「ホールド」たちは、意気消沈する私に笑みを返してくれているように感じた。愛おしいものだ。

グラウンドに入った瞬間、・・・・・

Img_0003 「中井正一評論集」
発行:岩波文庫(1995.6第1刷、2005.11第2刷)/定価:860円+税/P.406


 2009年元旦、以前に読んだ本を書棚から取り出して部分的に再読した。ふと、正月早々に惹きつけられる一文があった。

「グラウンドに入った瞬間、眼を射るような幾条もの白線、曲線、円、楕円それらのものの前にまず人々は緊った興奮を感ずる。この興奮は、もし人が気付くならば、線が、あるいは楕円が単なる物理的空間である場合とは異なったものをもつことを知るであろう。
 即ちその白い線の一々はそれに沿って人間に肉体と技術の全機能を挙げて走り闘い争そうところの血の構成の一部分であることを理解しているが故である。」
(「スポーツ気分の構造」)と中井正一(1900~1952)は書いた。

 中井正一(なかいまさかず)という存在を知る人は少ないのかもしれない。同氏はわが国でも評価の高い美学者だ。「美しいこととは何であるか」を考え、スポーツと映画を実践的な美学として論じた、わが国では稀有な存在である。

 上の一文は、1933年(昭和8年)に書かれたものである。戦前にスポーツをこのような感覚で、思考で表現した文章は少ない。今も古さを感じさせず現代的である。真実は古びない。

2009年1月 1日 (木)

謹賀新年2009 ~更なる高みへ~

Photo 謹賀新年

 
皆様のご健康とご多幸を 
 心よりお祈りいたします
 本年もどうぞよろしく 
 お願い申し上げます
          平成21年 元旦


 2009年元旦の早朝に、大阪府交野市にある「ほしだ園地」を歩き回ってきました。園地内のわんぱく広場からの光景です。フリークライミング用の「クライミングウォール」と後方が「哮が峯」です。(2009.1.1 9:22)

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