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2008年12月31日 (水)

イーハトヴ詩画集 「雲の信号」

Img  詩:宮澤賢治/画:黒井健/発行:階成社(1995.09)/定価:3000円/P.47

「自然の風景は、いつも人の心に寄り添ってくれます。かなしいときは、かなしいように。うれしいときは、うれしいように。」(黒井健)

詩人・宮澤賢がを歩いた、東北の地を歩きながら、空や雲を描いた宮澤賢治の詩を思い描きながらつづられた詩画集である。2008年大晦日の夕暮れに、本棚から取り出して、この本を眺めていた。

「わが雲に関心し 風に関心あるは ただに観念の故のみにはあらず そは新たなる人への力 はてしなき力の源なればなり」(宮澤賢治)

2008年12月27日 (土)

「チェ・ゲバラの遥かな旅」

Img 著者:戸井十月/発行:集英社文庫(2008.06第9刷)/定価:533円+税/P.267
小説家・ルポライターでバイクをこよなく愛する戸井十月氏が、「20世紀最高のゲリラ」として勇名をはせ人々の心に焼き付けた「チェ・ゲバラ」に関するノンフィクション・ノベルだ。2000年3月、単行本「ロシナンテの肋」として発刊され、2004年10月に文庫本化され、2008年6月に第9刷された。

 1928年、チェ・ゲバラはアルゼンチン・ロサリオで生まれ、ブエノスアイレス大学で医学を専攻した。1951年、23歳の時に、友人とともに南米一周のモーターバイクでの旅に出た。訪れた地でフットボールの指導で金を稼ぎ、またさまざまな職種で働き旅を続けた。貧しい人々との旅での出会いが、チェ・ゲバラの革命家としての意思を形づくったと言われている。革命家以前の若き日のチェ・ゲバラの南米モーターサイクル旅行については映画化されわが国でも上映された。

 この本を今年の初夏に読んだ。読みながら、若きチェ・ゲバラの愛と正義と信念、そして行動の輝かしさを著者は浮かび出し伝えてくれた。著者はチェ・ゲバラの足跡を辿りバイクで南米一周を実現した。著者は文庫本ための追記の最後で、チェ・ゲバラの優れた資質について、彼の娘やキューバの旧同志たちに聞くと、すべての者が「人を愛する才能です」という答えが返ってきたという。

 「ゲバラは稀代のゲリラ戦士であり革命家であるより前に好奇心に満ちた旅人であり、負けず嫌いのスポーツマンであり、ロマンティックな詩人だった。そして何より、人を愛し続けた。」と著者は書き記した。その言葉が印象深い。時代とイデオロギー(政治思想)を超えて、チェ・ゲバラは生き続けている。混迷を迎えた世界だからこそ、不死鳥のように蘇るのだろう。

「モーターサイクルダイアリーズ」Webサイト

2008年12月21日 (日)

「サッカーとイタリア人」

Img 著者:小川光生/発行:光文社新書(2008.12)/定価:780円+税/P.261
~地元チームの応援に、なぜそこまで燃えるのか?~
~カルチョ(イタリアサッカー)とカンバニリズモ(郷土愛)の奇妙な関係とは?~

 「イタリアにカンバニリズモという言葉がある。もともと教会の脇に聳えるカンバニーレ(鐘楼)から派生した言葉である。その町の鐘の音の良さ・味わいは、その町の出身者にしかわからない。そこから、郷土への帰属意識・郷土愛を示すこの言葉が生まれたと言われる。」とはしがき冒頭に書かれた一文を読んで興味を抱き、病院からの帰りに、JR環状線・森ノ宮駅構内の書店で購入して読んだ。

 「カンバニリズモ(郷土愛)」が顕著に現れるのがサッカーのスタジアム、とくに「ダービーマッチ」だいう。同じ都市同士、近隣の二都市のチームが対戦するという「ダービーマッチ」がイタリアには無数にあり、歴史と文化を反映した峻烈な戦いとなるという。いにしえの時代から地方分権の伝統を持つイタリアでは、各地にさまざまな地域の地方「ダービーマッチ」が存在する。それは我々が想像するサッカーのゲームなどとは程遠い、内戦、決闘の様相を呈するという。さまざまな「ダービーマッチ」の狂気の様相が何に起因しているのかを興味深く読んだ。

 わが国のサッカー界においても、「ダービーマッチ」という名前だけ取り入れたゲームが確かに存在する。しかしながら、その多くは、歴史・文化の流れにもとづいた「カンバニリズモ」、「ショービニズム」「パトリオティズム」という言葉で表される「郷土愛主義」の表出する場ではなく、あくまで商業的なイベントにしかすぎない。ただひとつ。地域リーグの「ダービーマッチ」である「信州ダービー」にはその匂いが存在するように思われる。「長野」(長野県)対「松本」(筑摩県)の歴史が熱狂を生み出すのだろう。グローバルな時代になればなるほど、対立する概念である「郷土愛主義」が浮かびあがってくる現実がある。

 著者があとがきで記した。「イタリアのスタジアムで感じるような強いフランチャイズシップ、カンバニリズモが僕の中にあるとしたら、それは東校(藤枝東)サッカー部へのものしかない。・・・・サッカーへの熱い思いが僕の中にある。それは藤枝東が清水商業に敗れたあの秋の日から僕の中にあるものだ。」「僕はいつもあの秋の日のことを思うのだ。『それがオレのフランチャイズシップ、カンバニリズモだ!文句があるか!』と心で呟きながら」。

 著者にとって、1988年11月6日全国高校サッカー選手権静岡大会準々決勝で、清水商業に2-3で惜敗した時のことを記した。「僕は彼らが国立競技場に立つ姿を心から夢見ていた。だからこそ、僕は声が潰れるまで彼らのことを応援したのだ」と。著者は現在、イタリア・ヴェネツィア在住で、2008年1月高校サッカー選手権、藤枝東校は決勝へ進出したおりには、いても立ってもいられなくなり、ヴェネツィアから国立競技場まで飛んだという。第三者から見れば狂気じみた行動と写るかもしれないが、人が寄って立つべき場所、想いは人を魅了し行動を起こさせる。人それぞれの「カンバニリズモ」がある。

2008年12月11日 (木)

「ブラジルのホモ・ルーデンス」~サッカー批評原論~

Img_0001 著者:今福龍太/;発行:月曜社(2008.11)/定価:1800円+税/P.197

「円形の遊戯的宇宙 勝敗原理の抑圧と評論に叛乱するサッカー批評の戦闘的論考」
「勝利や戦術といった概念に、サッカーのすべてを売り渡してしまう必要はないのだ」


【コンテンツ】 起源論/伝播論/儀礼論/本能論/陶酔論/戦術論/遊戯論/ファンダム論/時間論


 私と同年代の著名な文化人類学者が記したサッカーの本質を問いただした文化人類学的サッカー論である。著者はサッカーの本質的、根源的な意味をブラジルという特異なサッカー王国とその選手の中にに見出している。

 「個人技とは、けっして一人のプレーヤーの個人的特性として他者の身体から峻別される単独の技量ではなく、むしろ、厚みのあるサッカー文化とサッカーへの継続的な情熱が継承してきた、集団的身体性の時間を隔てての顕れにほかならない、と。すなわち究極の個人技とは、集団の伝承なのである。」

 ブラシルというサッカー王国で、ピッチ内外でボールに興じる人々は、「ホモ・ルーデンス」なのだ。ボールの「遊び人(あそびびと)」というサッカー文化が継承されている。だからこそ、ブラジルサッカーは魅力を放ち続けている。信州への旅の往復路に、この魅力的かつ刺激的な本を読んだ。サッカーは「円形の遊戯的宇宙」なのだ。

2008年12月 4日 (木)

「凍」(とう)

Photo  著者:沢木耕太郎 発行:新潮文庫(2008.11) 定価:552円+税 P.366

「妻ととともに美しい氷壁に挑み始めたとき、2人を待ち受ける壮絶な闘いの結末を知るはずもなかった。絶望的状況下、究極の選択。鮮やかに浮かび上がる奇跡の登山行と人間の絆、ノンフィクションの極北。」と文庫本の裏表紙に記された一文は、読後してなんらその言葉に違和感を抱くこともなかった。山岳ノンフィクションとしての最高の作品だと思う。読み終えた後も感動などを通り越した不可思議な余韻が私の心の中に漂った。

 世界最高峰のエベレストの隣にそびえるギュチュンカンへの登攀、クライマー夫婦の峻烈な闘いのものがたりだ。妻は以前の山行で手足の指を凍傷で切断されている。2002年、ギュチュンカンを2人で目指した。夫は単独で頂上に立ち、その後2人は苦闘の末、生命も危ぶまれる中で下山した。今度は夫が凍傷のため手足の指を10本切断した。壮絶な情熱と愛の詩だ。

 彼、山野井泰史は、その後もクライミングし続けている。山に登ることは生きることなのだ。ただ頂上を踏むことが目的なのではなく、「美しいラインを描いて登る」ことにこだわったのだという。結果だけがよければよいというのではなく、その過程の美しさにこだわり結果に結びつける。そのことがすべての領域での考え方に通ずるものなのだ。

 スポーツ関係者には一読して欲しい本だ。我々は、「美しいラインを描いて」、それぞれの目標、高みに向かって登り続けているのだろうか?

「山野井泰史」Webサイト

「山野井泰史・クライマー/情熱大陸」Webサイト

2008年11月 8日 (土)

「日本浄土」

著者:藤原新也/発行:東京書籍㈱(2008.08)/定価:1700円+税/P.237

Photo_2  【コンテンツ】 島原 口紅/天草 海とまねき猫/門司港 夕立/尾道 雲煙過眼/能登 サザンカの海/房総 サクラの歌を聴けば/ほか

 写真家、作家といえばよいのか、藤原新也氏は砂上の楼閣、虚妄としての「日本」を撃ち続けてきた。かつて、まだエネルギーを噴出していた雑誌「フォ-カス」で掲載された、インドでのひとつの写真に私は衝撃を受けた。もしかしたたら、その写真のことを覚えていらっしゃる方がいるのだろうか。あの日から、私は写真家、文筆家である藤原新也氏に興味を抱き、惹き続けられている。その新刊著作「日本浄土」を読んだ。

 観光地でもない、賑わいからは程遠い街をめぐり、著者はある想いを抱き日本漂流をする。漂流などではなく、源流を求めて。ほんとうはわれわれが、行くあてもなく漂流しているのだろうか、そのことも気づかずに。人は「聖地」、「浄土」を求めて、そうだ「生地」を求めて歩み続けているのだろうか。著者はいう、「聖地はここにある。歩き続けることだけが希望であり抵抗なのだ」と。

「写真家・藤原新也」公式サイト

2008年10月31日 (金)

「宮澤賢治 あるサラリーマンの生と死」

著者:佐藤竜一/発行:集英社新書(2008.09)/定価:714円/P.174

Photo  宮澤賢治という詩人の名を知らぬ者はいないだろう。詩人、農学校教師、農民芸術運動家としてその名は今も人々の中に生き続けている。この本は、賢治の最晩年における生活者たるべくセールスンとして、「デクノボー」と呼ばれても駆けずり回った日々を描いた。知られざるセールスマンの日々、新たな賢治像を私たちに伝えてくれる。

 賢治は、教職を辞し、羅須地人協会を起こし、挫折し病気になり、最後に挑戦したのが東北砕石工場の技師兼セールスマンの仕事だった。その仕事について、6ケ月後、36歳でこの世を去った。賢治は生前は無名のままでその生涯を閉じた。しかし、死後、彼の残した言葉の数々は、永遠に私たちの心の奥底に刻まれ続けている。これからもずっと・・・・。

2008年10月10日 (金)

「日本人のルーツがわかる本」

編者:「逆転の日本史」編集部/発行:宝島社文庫(2008.10)/定価:600円+税/P.285
「日本人はどこからやって来て、日本人になったのか?」という興味あるテーマを幅広い科学の分野からアプローチした読みやすく面白さ溢れる本だった。

Img 【コンテンツ】「形態人類学」からのアプローチ/「植物遺伝学」・「動物考古学」・「微古生物学」からのアプローチ/「民族学」・「自然人類学」・「歴史地理学」はどう見るか/「民族考古学」・「古病理学」からのアプローチ/「人類進化学」・「民族疫学」・「免疫遺伝学」からのアプローチ/

 稲、稲作、骨、骨格、歯、ミトコンドリアDNA、ATLウイルス、HLA遺伝子、等の科学的な視点から、日本人の起源をさぐる。まだまだ不確実的な要素は多々あるらしい。この本を読みながら、共通の基底として流れているのは、日本人は単一民族と呼ぶには、あまりに複雑に混合した人種だと理解した。

2008年9月27日 (土)

この夏の「移動読書」

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 上段:左から別冊宝島編集部「~満州国を作った男~石原莞爾」 (宝島文庫2008.08) 佐野眞一「阿片王~満州の夜と霧~」(新潮文庫2008.08) 「保阪正康「戦争と天皇と三島由紀夫」(2008.08朝日文庫) 保阪正康「大本営発表という権力」(講談社文庫2008.08) 
 下段:星亮一「偽りの日米開戦」(だいわ文庫2008.07) 「失敗の本質 日本軍の組織論的研究~」(中公文庫1991.08)

 この夏に上記の文庫本新刊が相次いで書店に並んだ。面白そうだと思い続けさまに読んだ。戦前・戦中・戦後にわたる興味湧く内容だった。その時代も「歴史」として本格的に検証されだしたのだろう。過去の事実を検証して現在と未来へ繋ぐためにも、さまざまな主義主張の立場はあるのだろうが、その時代に何が事実として起こったのかは知っておく必要があると私自身は思う。

 うだるような夏の暑さの中で、毎日の通勤電車、信州・長野、福井への道中またその街中で読んだ。自宅では読むことがなかった。夏の「移動読書」だった。

2008年9月25日 (木)

「ノルウェイの森」を再び開いて

Photo_7 Photo_8 著者:村上春樹/発行:講談社文庫(2008.08第19刷)/定価:(上・下)各514円+税/上:P.302 下:P.293

 以前に読んだ村上春樹「ノルウェイの森」を、近鉄「富雄駅」前の「ジャパンブックス」で買った。秋の夜に読んだ。1987年に単行本として刊行された。ベストセラーにもなった。その文庫本新刊だ。映画化のニュースを新聞で見て、その刺激がこの本を手に取ったのだろう。ベトナム系フランス人の監督トアン・アン・ユン氏の手により映画となる。2010年公開予定だ。

 物語は1987年を生きている主人公から18年前、1969年を回想した恋愛物語なのだ。今から見るとわが国の最後の混沌とした社会状況の中で、大学生の思春期の葛藤、喪失感、物憂い倦怠、そして恋愛が叙情的、官能的に描かれている。海外でもベストセラーとなった。

 「僕はずっとあの草原の中にいた。僕は草の匂いをかぎ、肌に風を感じ、鳥の声を聞いた。それは1969年の秋で、僕は二十歳になろうとしていた。」と文庫本の上巻2ページにその文章があった。下巻180ページには、 「1969年という年は、僕にはどうしようもないぬかるみを思い起こさせる。・・・」と。

 村上春樹は「ノルウェイの森」で20歳の時の、作家・村上龍は「69」で18歳の時の、「1969年」を描いた。政治的と非政治的、陽と陰、対照的で有りながらも一対だ。1969年秋、私は高校1年生、まだ16歳だった。あの時代の混沌が今も自分自身の根底に渦巻いている。それは青春の埋火なのだろうか。

 2010年、「ノルウェイの森」は映画化、公開される。海外の監督が映し出す「ノルウェイの森」とはどのような映像になるのだろうと今から楽しみにしている。

2008年9月21日 (日)

「ハバナ・モード」~すべての男は消耗品であるNo.8~

著者:村上龍/発行:幻冬社文庫(2008.04)/定価:457円+税/P.174
【コンテンツ】 ハバナ・モード/小国スロヴェニアの智恵/犠牲と支配/幻の改革と変化/格差の象徴・腕時計/サラリーマン週刊誌の死/姨捨山を拒否した二人の老人/キューバの快楽と『半島を出よ』」/ハバナの夕日と国家目標/ほか

Photo  2005.07単行本として刊行された文庫版だ。同時代の作家として、村上龍氏と村上春樹氏には共感も持ち続けている。かつて、テレビで「Ryu's Bar」という村上龍氏の対談番組をよく見ていた。「ハバナ・モート」という表題に惹かれ読んだ。さまざまな領域にわたるエッセイだった。

 その中の「ハバナ・モード」の冒頭、「今ハバナ湾に沈んでゆく夕陽を見ながらこの原稿を書いている。すでにからだも心も、その他の精神とかういような実体があるのかないのかわからないものも、ハバナ・モードとでも呼べるような状態に変化している。」と。

 「ハバナ・モード」という言葉から、私たちは何かゆったりとした気分として解釈してしまう。しかし、同氏が「ハバナ・モード」と呼ぶのは、 「ほとんどゼロに思える可能性に対する不断の努力」のことなのだ。」

 「何とかなるだろうという曖昧でポジティブな前提と、このままではどうしようもないという絶望の間に、わたしたちの努力のすべてがある。」 そこから個人としての、集団としての「希望」が生まれる。

 同氏はキューバ音楽のイベントプロデュースの仕事関係で、幾度となくキューバを訪れている。大国アメリカの鼻先の小国キューバは常に政治的に緊張状態にある国だが、そこで、老若男女は音楽を楽しんでいる。不思議な国だ。文庫本表紙は、今も歴史に残る革命家「チェ・ゲバラ」だった。

「ブエナビスタ・ソーシャルクラブ/Chan Chan 」Webサイト

2008年9月20日 (土)

「西郷札」 松本清張短編全集01

著者:松本清張/発行:光文社文庫(2008.09)/定価:619円+税/P.317
【コンテンツ】 西郷札/くるま宿/或る『小倉日記』伝/火の記憶/白梅の春/情死傍観/ほか

Photo_2  最近は小説を読む頻度が少なくなった。「物語」に酔うよりも「事実」を知ることに軸足を置いたためなのだろう。今年の春から夏にかけては、特に「昭和史」関係の本を集中的に多読した。先日、JR・近鉄鶴橋駅近くの「高坂書店」に会社帰りに入った。その駅前にある小さな書店の特徴は、既刊本の品揃えは少ないが、文庫・新書の新刊の品揃えが豊富であることだ。朝、新聞で、文庫・新書の新刊本の広告が載る。夜、帰り道にその書店へ寄る。すると、必ず店内に並んでいる。

 朝、新聞で、「西郷札 松本清張短編全集01」の文庫本広告を見た。松本清張生誕百年記念として短編集のシリーズ全11巻が刊行されるという。その第1巻がこの本だった。久しぶりに松本清張を読みたくなり、その本屋で買った。

 妻の亡父は松本清張ファンだったと聞く。妻もまた好んで読んでいた。私もまた然り。「社会派推理小説」というジャンルを構築し、「推理小説」ブームをわが国の大衆に捲き起こした。「西郷札」は、1950年、松本清張41歳の時の処女作だ。「或る『小倉日記』伝」は、1952年の芥川賞受賞作品だ。松本清張は40年にわたり膨大な作品を世に出した。

 この短編集を読みながら、私にとっての松本清張の魅力は色あせることがなかった。このシリーズは月一回一冊が刊行される。続けて読みたいと思う。また、北九州・小倉にある「松本清張記念館」を一度は訪れてみたいものだ。

「松本清張記念館」公式サイト

「百寺巡礼」第一巻 奈良

著者:五木寛之/発行:講談社文庫(2008.09)/定価:562円+税/P.277
【コンテンツ】 室生寺/長谷寺/薬師寺/唐招提寺/秋篠寺/法隆寺/中宮寺/飛鳥寺/當麻寺/東大寺/

Photo  2003年6月に単行本シリーズで刊行された。2008年9月から文庫本新刊として随時発刊される。その第一巻が「奈良」だ。私は奈良に住みだして20年余りが経つ。この本で紹介された十の寺の大部分は訪れたことがある。残念ながら飛鳥寺だけはいまだ訪れてはいない。

 その寺々の中で、どのお寺が私にとって一番に惹きつけられるなのだろうと思いながら、この本を読んだ。答えは、やはり唐招提寺だった。同寺は「鑑真和上」をまつっている。質実で追いついた雰囲気の風格あるお寺だ。

 新潟で生まれ育った美術史家・歌人である會津八一は、ギリシャ神殿の円柱を思い起こさせる唐招提寺金堂の列柱を彼は詠んだ。

おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ

 唐招提寺は独特な雰囲気を醸し出しているお寺だ。現在、759年創建以来の金堂大修理が行われている。2009年秋には「金堂平成修理落慶法要」が営まれる予定だ。この本の著者も「私が大好きな寺のひとつだ。」と記している。また、そのお寺には、画家・東山魁夷の襖絵がある。さわやかな秋の季節になって来た。唐招提寺を訪れたい気分になる。

「唐招提寺」公式サイト

2008年9月12日 (金)

「一号線を北上せよ」

著者:沢木耕太郎/発行:講談社文庫(2006.05)/定価:514+税/P.281
~ヴェトナム街道編~
【コンテンツ】一号線はどこにある?/メコンの光/ヴェトナム縦断/雨のハノイ

Img  2003.02.に単行本として出版された再編集文庫版、ヴェトナムを北上した旅の記録だ。「一号線はどこにある?」の導入部に、まず惹きつけられた。 「少年時代の私が最初に好きになったテレビ番組は、同世代の多くの人と同じくアメリカのテレビ映画だった。『ローハイド』や『拳銃無宿』といった西部劇、あるいは『ベン・ケーシー』や『ドクター・キルデア』といった病院ドラマは私もかなり熱心に見た。しかし、毎週ほとんど欠かさずに見たというほど熱中した番組となるといくつもない。その筆頭は『逃亡者』だった。」という一文を読んだ時に、私の少年時代を思い出した。私もまた、沢木耕太郎氏と同様にアメリカテレビドラマを熱心に見た。「それと、もうひとつ好きだったのは『ルート66』である。」と彼は書いた。私も二人の若者がルート66号線を旅するその物語が大好きだった。 「私はやはり少年時代から『移動』する物語に強く惹かれたらしいことがわかる。」 確かに私もそうだった。「移動」することで何かが見える、感じることが好きだった。それは、言葉を変えれば「旅」への憧れといってもよい。

 
「私には三つの『夢の都市』があった。ベルリンと上海とサイゴン。どうしてそれが『夢の都市』なのかというと、そこには決して行くことができないからだ。」 彼が行きたかったのは、1930年代のベルリン、昭和十年代の上海、「解放」前のサイゴンだいう。私はそれを読み琴線がなった。その時代のベルリン、上海には私も惹かれる。私にとって、その街々と同様な香りを感じるのが、ブエノスアイレスだ。ただ、サイゴンという街の知識は持ち合わせていなかった。この本を読みながら、今は名が消えたサイゴン、現在のホーチミンからハノイへと北上する「ヴェトナム街道」の物語は私に、出かけることができないかもしれない「ヴェトナムへの旅」に誘った。サイゴン(現ホーチミン)、ハノイの街の姿そして女性のアオザイが、私の想像の世界の中を駆け巡った。

2008年9月10日 (水)

「信州ふるさとの歌の風景」

編者:長野県商工会女性部連合会/発行:ほおずき書籍(2002.09第2刷)/定価1500円+税/P.153
~県歌「信濃の国」作詞作曲100周年記念~
県歌「信濃の国」/信州の唱歌・童謡/県下各地の歌/信州の作詞作曲者/ほか

Img  9/8(月)昼近く、善光寺から長野駅へと表参道を歩いていた。さまざま店が軒を並べていた。権藤アンケード入り口手前の左側に「呉服屋」の看板が目に入った。その店先を見ると野菜が並んでいた。その横には、不思議と本の一群が並んでいた。一瞬なぜ?と思いながらも、道沿いに置いてあった本の中から「信州ふるさとの歌の風景」を手に取りページを繰った。

 その本を買うため店内のレジ前に行った。品格の在るおじさんに代金を支払った。おじさんがその本のほこりを叩いてくれた。その店には不思議な「文化」が漂っていた。新鮮な野菜の横に並んだ本を買うという行為は、私にとっては生まれてはじめての体験だった。

 「故郷」「朧月夜」「春が来た」「春の小川」「紅葉」等々。その本の中で、紹介されていた歌の歌詞と楽譜を見ながら懐かしさを感じた。いまでも、それらの歌を口ずさむことができる。「信州」は童謡・唱歌の宝庫だ。「高野辰之記念館」「中山晋平記念館」「おぼろ月夜の館」「浅原六朗文学記念館」には、いつかは訪れたい。

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川・・・・・(故郷/作詞:高野辰之)
菜の花畠に 入り日薄れ・・・・・(朧月夜/作詞:高野辰之)
春が来た 春が来た どこに来た・・・・(春が来た/作詞:高野辰之)
秋の夕陽に 照る山紅葉・・・・・(紅葉/作詞:高野辰之)

2008年9月 6日 (土)

「孤高のランナー 円谷幸吉物語」

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 著者:青山一郎/発行:ベースボールマガジン社(2008.08)/定価:1600円+税/P.299

~栄光がもたらした深い孤独~
 
東京オリンピックで日本陸上会唯一のメダルを獲得したマラソンランナー円谷幸吉の物語

 円谷幸吉(つぶらや こうきち)というマラソンランナーを覚えていますか? 1964年東京オリンピックで、陸上界で1万mで6位入賞、それは戦後初めての入賞だった。マラソンで輝く銅メダルを獲得した。メキシコオリンピックを控えた1968年1月9日、「もう走れない」と遺書を残し自ら命を絶った。享年27歳だった。

 1964年東京オリンピック当時、私は小学校5年生だった。マラソンが行われた日、テレビの前に陣取った。ずっと中継を観ていた。誰もが予想すらしていなかった円谷選手が2位で国立競技場に入ってきた。私は興奮していた。「つぶらや!!」とテレビの前で叫んでいた。すぐに後ろに、イギリスのヒートリー選手が追いかけてきた。バックストレッチに差し掛かった。ヒートリー選手は円谷選手に今も抜きされいそうな勢いですぐ後方に来た。「つぶらや!後ろに来てる! 来てるぞ! すぐ後ろに来てるぞ!!」と。私の声などは聞こえるはずがないのに。円谷選手はヒートリー選手に抜かれながらも3位でゴールし、銅メダルを獲得した。

 この本は、1980年に発刊された復刻の新刊書だ。円谷選手が自ら命を絶って40年が経つ。今、復刊された本を読みながら、円谷幸吉選手のことに想いを描いている。私は東京オリンピックマラソンの円谷選手に憧れ、大阪市立玉津中学校の陸上部に入った。長距離走が好きだった。走ることが好きなだけで、たいした成績などは残せなかった。

 円谷選手が自ら命を絶ったと知った中学2年生の時、「円谷が、なんで?」というのが、一人の少年の思いだった。「ピンク・ピクルス」という女性グループが鎮魂歌として「一人の道」という曲を歌った。私にとって、円谷幸吉選手は、「マラソンランナー」ではなく、
「長距離走者」として心の中で今もずっと生き続けている。

「ピンク・ピクルス/一人の道」Webサイト

「トランクの中の日本」

写真:ジョー・オダネル/聞き書き:ジェニファー・オルドリッチ/発行:小学館(1995.06)/定価2400円/P.115
~米従軍カメラマンの非公式記録~
Img_0002  50年前、若き米軍の従軍カメラマン、ジョー・オダネルが私用カメラでヒロシマ・ナガサキの焦土を記録し、そのネガを帰国後、戦争のおぞましい記憶とともにトランクに入れ封印した。「あの体験を伝えなければならない」とそのトランクを開封して発表された写真集である。

 「この本は私の物語である。私自身の言葉で、私の撮影した写真で、戦争直後の日本で出合った人々の有様を、荒涼とした被爆地を、被爆者たちの苦しみを語っている」とジョー・オダネルは冒頭の「読者の方々へ」で記している。

 私は13年前、米従軍カメラマンがプライベートでヒロシマ・ナガサキの被災状況を撮影した写真だといくことに興味が湧きこの写真集を購入した。その中の一枚の写真が目に焼きついて離れなかった。昨晩、久しぶりにこの写真集を開き、その一枚の写真を観た。初めて観た時と同じような感情が高ぶった。

「トランクの中の日本/googleイメージ検索」Webサイト

 その写真はP.97に掲載されている。
「焼き場にて、長崎」という写真だ。「少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見続けた」という見出しが記されている。その一文を抜粋要約すると、 「焼き場に10歳くらいの少年がやってきた。少年の背中には二歳にもならない幼い男の子がくくりつけられていた。少年は焼き場のふちまで進むとそこで立ち止まる。係員は背中の背中の幼児を下ろし、足元の燃えさかる火の上に乗せた。気落ちしたかのように、背が丸くなった少年はまたすぐに背すじを伸ばす。少年は気を付けの姿勢で、じっと前を見つづけた。一度も焼かれる弟に目を落とすことはない。直立不動の姿勢で彼は弟を見送ったのだ。私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。」と著者は記した。

 私は戦時中の子どもたちを撮影した写真の中で、
沖縄での「白旗の少女」、長崎での「焼き場にて、長崎」の二枚が脳裏に焼きついて離れない。戦争は誰を犠牲にさせてしまうのか? ある雑誌でWHOの調査を読んだことがあった。戦死者の数字は、第一次世界大戦(軍人95%、一般人5%)、第二次世界大戦(軍人52%、一般人42%)、朝鮮戦争(軍人16%、一般人84%)、ベトナム戦争(軍人5%、一般人95%)。以前は国家の軍力を背負った軍人の戦いであったものが、国家に所属するだけの一員をも総力で巻き込んだ形態に移行した。今も、世界中のどこかで、戦禍の中で生きている人々がいる。

2008年8月30日 (土)

「神秘なる乙女の画家の物語」

著者:長尾晃/発行:第一企画㈱(2004.10)/定価:1800円+税/P.246
~信州松代藩・恩田緑蔭アンソロジー~

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8/3(日)信州松代にある国民宿舎「松代荘」の売店でこの本を買った。まったくと言ってよいほど、江戸時代の女性画家・恩田緑蔭を私は知らなかった。表紙帯の「江戸時代の信州にただ一人、女性の画家存在した・・・奇跡の封印が世紀を超えて今、解かれようとしている・・・」一文とその本の巻頭のグラビア写真に恩田緑蔭の絵を見て興味が湧いた。奈良の自宅に帰り読み終えて、幼児から松代で育った著者が郷土の知られざる女性画家を私に知らしめた素敵な本だった。

 女性画家・
恩田緑蔭の名は、全国の過去の美術文献にも記述がなく、地元長野県の古代・中世・現代に至るまでの美術史をまとめた「長野県美術大辞典」にも彼女の記載はなかったという。知れれざる女性画家だった。著者は、郷土の無名であった恩田緑蔭という女性画家の絵を初めて見てその美しさに感銘を受けた。無名であっても、彼女の作品が、郷土松代に伝承されている事実を知り、克明に調べ上げ、素敵な本としてまとめられた。

 なぜ、女性画家・
恩田緑蔭は、類稀な画家でありながら、無名で忘却の中に置かれたのか? 著者はこの本の末尾に書く。「行き過ぎた能動性や、行き過ぎた男性原理に染められた、近代という時代にとって、女性的感性に色づけされた、月影のような画家の存在など、まさにお呼びではなかったであろうと。「己を『謹み(つつしみ)』、何者かを『拝み、敬う』という、緑陰的なる心の在りようへと心を傾けるべき季節に、今私たちは、いるのかもしれない。」という言葉で結ばれている。

 著者は1965年生まれというから、現在43歳なのだろう。私はもっと上の年代の方が執筆されたのかと思い込んでいたが、若手の方が郷土の無名の女性画家を描かれたことに敬服する。私は、この本を買う時、その中のグラビア写真で初めて恩田緑蔭の「写生集」の昆虫のデッサンを見た。愛らしいと想った。そして、この本を買った。もしかしたら、緑陰、著者、そして私の心の中の奥底に、何か共通の想いが隠れているのだろうか。

「幕末の明星 佐久間象山」

著者:竜門冬二/発行:講談社文庫(2008.08)/定価:733円+税/P.349

 2004年4月に出版された単行本の文庫版新刊である。8月初旬に信州・松代へ出かけ奈良に戻ってきて、まもなくに書店の店頭でこの本を見かけた。グッドタイミングで迷わず買って読んだ。純粋な精神を持ち続けたがゆえに、孤高な存在として波乱万丈の生き方をした「幕末の明星 佐久間象山」を描いた歴史ドキュメントだ。

Img_0001  佐久間象山の弟子に「二虎」がいた。吉田寅太郎(吉田松陰)、小林虎三郎の二人だ。吉田寅太郎、すなわち吉田松陰は言わずとも知れた幕末期の長州藩士だ。小林虎三郎は長岡藩士、「米百俵」の話で有名だ。福井藩士、橋本左内もまた弟子だったという。象山の妹は弟子である勝海舟の妻となった。

 井伊直弼の「安政の大獄」で、1859.11.1、福井藩士・橋本左内は享年26歳、1859.11.21、長州藩士・吉田松陰は享年30歳、いずれも伝馬町の牢獄で刑死した。二人の墓は東京・千住の回向院にある。1864.8.12、松代藩士・佐久間象山は享年54歳で京都・三条木屋町で暗殺された。1868年が明治維新だ。その曙を見ることもなくいずれもが憤死した。

 私は今年の夏、サッカー観戦のために信州・松代と福井市を訪ねた。たまたまサッカーのゲームが二つの町で行われたに過ぎない。松代では佐久間象山、福井市では橋本左内をそれぞれ興味深い人物としてその生き方を訪ねた。その時には、象山・左内・松陰のつながりを知る由もなかった。

 この本の中で、「嘉永四年(1851)五月二十八日に、再び江戸に出た象山は木挽町五丁目に砲術指南の塾を開いた。たちまち入門者がどっと押し寄せた。この中に吉田寅次郎、小林虎三郎、山本覚馬、橋本左内、河井継之助などの名士がいる。」という一文を読みその繋がりを知った。何かを変革し産み出していくその原動力は、人そのものが抱いている「思い」と「想い」にある。すなわち「思想」なのだ。その「思想」は必ず繋がっていくものだ。

2008年8月10日 (日)

「玉砕総指揮官の絵手紙」

著者:栗林忠道/編者:吉田津由子/小学館文庫(2007.01第3刷)/定価:600円+税/P.254
【コンテンツ】 太郎君へ/たこちゃんへ/妻、子どもたちへ/ほか

Img_0003  かつて、太平洋戦争末期に、激戦地であった硫黄島で戦死した総司令官・栗林忠道が、若き日の留学地アメリカから最期をとげた硫黄島まで、妻と子どもたちに贈りつづけた絵手紙集である。若き日の家族に送った絵手紙は、軍人が書いたものとは思えない暖かな絵と心遣い溢れる手紙だ。その絵は現代的に言えばイラストの香りが漂う。

 写真は文庫本の表紙である。その絵は栗林忠道が、昭和3年8月アメリカ留学中に息子へ送った絵だ。その手紙に「太郎君へ 余り暑いから ハーバード大学の庭へ行って寝そべっているところ 父より」とある。伸びやかで、のどかな子ども思いの父の姿が浮かび上がってくる。

 その家族思いの軍人は、17年後の昭和20年3月、硫黄島総司令官として最期の訣別電文を本土参謀本部に打電した。「・・・ここに最後の関頭に立ち重ねて衷情(ちゅうじょう)を披瀝(ひれき)すると共に只管(ひたすら)皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ永(とこし)へに御別れ申上ぐ・・・」「終わりに左記駄作御笑覧に供す」として、三首の歌が列記された。巻頭の一首、 
「国の為重きつとめを果たしえで 矢弾(やだま)尽き果て散るぞ悲しき」。

「硫黄島からの手紙 父親たちの星条旗」Webサイト

「散るぞ悲しき」

著者:梯久美子/新潮文庫(2008.08)/定価:476円+税/P.302
【コンテンツ】 出征/二十二キロ平米の荒野/作戦/覚悟/家族/米軍上陸/骨踏む島/兵士たちの手紙/戦闘/最期/ほか

Img_0002  信州・松代から奈良へ帰ってからのある夜に、鶴橋の高坂書店で文庫本コーナーを眺めた。或る本が目に飛び込んできた。「散るぞ悲しき~硫黄島総指揮官・栗林忠道~」という新刊の文庫本だった。2005年7月に新潮社から単行本で出版された。その文庫本新刊だ。迷わずに買った。

 信州・松代でタクシーに乗った。その運転手が、「硫黄島の栗林大将は、松代の出身です!」 毅然と言い放ったその言葉が耳に刻まれていた。その日、その時まで、私は硫黄島玉砕の総司令官、智将・栗林忠道大将が松代出身など思いもしていなかった。無知である。

 「栗林は、“伝える意志”を最後まで持ち続けた人である。・・・・一人の部下に“何としても生き延びてこの惨状を国民に伝えよ”と異例の命令を下している。しかし彼の思いが届くことはなかった。できるならそれを伝えたいという一念でこの本を書いた」と著者は言う。

 地獄と化した硫黄島で、指揮官・栗林忠道は玉砕を禁じ、名誉の自決も選らばず、部下たちとともに敵陣に攻撃して果てた。その姿を鮮やかに描いた感涙の記録である。大宅壮一ソンフィクション大賞受賞作品。

 栗林忠道は「文武人」だ。かつての「軍人」という存在には、「武人」「文人」というバランス感覚に秀でた人物が少数ながらも存在した。栗林忠道もその一人だ。その「文武」を育んだのは、生まれ育った「松代」なのだろう。人は宿命としてその生まれ育った環境に呪縛されて生きる。良しも悪くも。栗林が妻や子どもたちに戦場から書き送った絵入りの手紙を読むと感涙する。

 一週間前に、松代の地を訪ねたが、栗林忠道の墓がその地にあるのも知らず、詣でることもなく今自宅にいる。この本を信州・松代へ出かける前に読んでいたならば、必ずその墓を詣でた。悔恨として残っている。今もその墓には、硫黄島で戦士した将兵の遺族が線香をかざしにやって来るという。

2008年8月 6日 (水)

「若い人に語る戦争と日本人」

著者:保阪正康/発行:ちくまプリマー新書(2008.07)/780円+税/P.190
コンテンツ】 なぜ戦争について語らねばならないのだろう/戦争への道をどう進んだか/戦争を行う体制はどう作られたか/戦争はどのように戦われたか/教訓を語る姿勢の必要について/ほか

Img_0001  わが国は戦争をした。または戦争に巻きこまれた。いずれの立場からの戦争観があったとしても、戦争があったことは事実だ。その事実を、私たちは知り、検証し、未来のために語り継がなければならない。しかしながら、日々の中で、子どもたちに戦争のことを語り継げているのだろうか? 小学校高学年、中学生のために書かれた本だ。教科書では教えてはくれない「昭和史の真実」を知ることができる。

2008年7月30日 (水)

「昭和三十年代の匂い」

著者:岡崎武志/学研新書(2008.08第1刷)/定価:760円+税/P.261
【コンテンツ】 エイトマンとたこ焼き/あの頃はまだ戦後だった/初めてのシングル盤/科学の未来が明るかった時代/わが家にテレビがやってきた/アメリカのホームドラマ/少年期を包んだ歌たち/お誕生日は不二家のお子様ランチ/昭和三十年代の匂い/のら犬と子どもたち/大阪市電とトロリーバス/ほか

Img  大阪・天満で生まれ育った著者が書き記した「少年時代の懐かしい記憶たち!!」 昭和三十年代についての著作を最近多く見かける。私にとっても、その時代に郷愁というものを感じることは事実としてある。ただ、冷静に振り返ってみると、その時代は、確かにわが国にとっての大きなターニングポイントだった。良くも悪くも今という時代に繋がる大きな舵を切った。

 その時代に、われわれの生活は一変した。家計所得が現実倍増されたのだ。そんな嘘のような事実が生じた。今は、目に見えないが大きな変化が生じている時代だとすると、昭和三十年代は、目に見えて大きな変化が生じた時代だった。子どもながらにその変化がわかった。将来にわたりそのような時代は再来することはない。だからこそ、郷愁として語られるのだろう。

2008年7月27日 (日)

「国旗・国歌の世界地図」

編者:21世紀研究会/文春新書(2008.07第1刷)/定価:1000円+税/P.431
世界196ケ国の国旗・国歌が持つ意味と由来を、その国の成り立ちとあわせて解説した辞書のような本である。

Img  世界には多くの国があることをはじめて知ったのは、私が小学校5年生の時に開催された東京オリンピックだった。世界にはほんとうに多くの国があるんだなあと驚いたことを覚えている。その時から世界地図を見るのが好きになった。最近はじっくりと世界地図を眺めたことがない。日本代表が五輪予選で戦ったコ-トジボワールという国が、アフリカにあるとは知っていたが、その位置を明確に指し示すことが出来なかった。無知である。そのことが発端となり久しぶりに、この本を買って世界地図を眺め、それぞれの国の位置と歴史を確認した。

 知らない国々がたくさんあった。その国々の一部を列挙すると。アンドラ公国、モルドバ共和国、ガンビア共和国、コモロ連合、ナミビア共和国、ブルンジ共和国、レソト王国、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネービス、セントルシア、バルバドス、ベリーズ、キリバス共和国、ナウル共和国、等々。いまさらながらに自分自身の無知を確認させられた。

2008年7月26日 (土)

「ある明治人の記録」

著者:石光真人/中公新書(1971.5初版)/定価:660円+税/P.162
【コンテンツ】 本書の由来/血涙の辞/故郷の山河/悲劇の発端/散華の布陣/幕政最後の日/地獄への道/餓死との戦い/荒野の曙光/わが生涯最良の日/会津雪辱の日/ほか

Img  
この本の副題は、「会津人柴五郎の遺書」とある。1971年5月初版され、2006年9月43版が発行された。そのことからもわかるように、わが国の人々に読み継がれてきた。学校の「歴史」の時間には、教えられること、話されることもないのだろうが、今私たちが生きている時代の先人たちの想いが切々と伝わってくる感涙の記録だ。再読して以前に読んだ以上に感銘を受けた。

 柴五郎という名を知る人が幾人いるのだろうか? 歴史の教科書にも登場しない。柴五郎はかつての会津藩で生まれ育った。明治維新に際して、朝敵、賊軍という汚名を着せられた会津藩は、下北半島の辺地に移封された。会津落城の折りに、柴五郎の家族である祖母、母、姉妹は、自刃した。彼は惨苦の少年時代を過ごした。しかし、のちに陸軍大将まで上り詰めた人材だった。この悲痛なる本の書き出しは、 
「いくたびか筆とれども、胸塞がり涙さきだちて綴るにたえず、むなしく年を過して齢すでに八十路を越えたり」と始まる。


 この本に記された柴五郎の言葉は、会津と彼の家族に対する鎮魂歌だ。人に伝えられるべきものとしてはなく、彼は綴った言葉を門外不出として家族が眠る菩提寺に収めた。信頼できうる人が、生前の柴五郎にその文章の写本の許可を得た。その写本の内容が後世に残され、私たちが今読むことが出来ている。それは、己の郷土が、抹殺、歪曲、隠蔽されたことに対する「憤怒」と「怨念」の言葉の束だ。

 わが国が近代国家へと歩みだす時に、時の政府が自国の少数の人々に悲惨なる現実を突きつけたという事実を知っておくべきなのだ。先人たちのさまざまな苦難の歴史が、現代に生きる私たちを支えている。歴史は何かを伝えてくれる。

2008年7月24日 (木)

「甘粕正彦 乱心の曠野」

著者:佐野眞一/新潮社(2008.06)/定価:1900円/P.475
【コンテンツ】 主義者殺し/幕末のDNA/憲兵大尉の嗚咽/鑑定書は語る/満州ひとりぼっち/満映という王国/85年目の真実/ほか

Img  「甘粕正彦」(あまかす まさひこ)という名は、1923年、関東大震災後の戒厳令下で社会主義者・大杉栄一家を葬り去った元エリート憲兵として、以降わが国の「負の歴史」の象徴として刻み続けられてきた。戦中は、満州の闇世界で、また「満州映画協会」の理事長としても君臨した。謎に包まれながら終戦と同時に服毒自殺した。

 この本の中で、1967年、甘粕正彦と陸軍士官学校同期の者が遺言として、「甘粕は大杉殺害事件には全く関係ない。これは俺にだけ漏らしたのであって他には一切口外していない。甘粕の遺族へこのことを知らせよ」と息子に伝えたとある。その息子は迷い続けながらも、それから32年後の1999年に甘粕正彦の遺族にそのことを手紙で伝えたという。

 著者は最後に結ぶ。「大杉事件の真相は80年以上隠匿された。それを思うとき、人を威圧して沈黙させる帝国の猛々しさと、事実を風化させ忘却させる歴史の残酷さを感じないわけにはいかない」 「帝国という乱心の荒野をひとり疾駆するように生き、自己処罰するようにして果てた甘粕正彦の生涯はその問いをいまもわれわれの胸に重く突きつけている」と。

 「負の歴史」の中で、冷酷無比な人間として烙印を押され続けた従来の甘粕正彦像をくつがえす衝撃のノンフィクションだ。新資料、新証言をもとに「大杉事件」の真相を暴いた労作である。
(「甘粕正彦」でWeb検索すれば、どのような人物だったかがわかります。)

2008年7月19日 (土)

「ことばと国家」

著者:田中克彦/岩波新書(2006.12 第41刷)/定価700円+税/P.218
【コンテンツ】 「ひとつの言葉」とは何か/母語の発見/俗語が文法を所有する/フランス革命と言語/母語から国家語へ/国語愛と外来語/ほか

 最近の新聞で「ことば」に関する内容の記事が多く見受けられた。興味が湧き、以前に読んだ「ことばと国家」を昨晩に拾い読みをした。

 「誰しも母を選ぶことができないように、生まれてくる子どもにはことばを選ぶ権利はない」(同著)。

Img  世界には推定で6000~7000の言語があるといわれる。現在の国連加盟国数が190余りであるから、少数言語の話者が国家を持たないのが大半である。日本で生まれ育った私たちは、ひとつの国には一つの言語が話されているというのだという錯覚に陥る。

 私は日本に生まれ育った。私の母語は日本語で、国籍は日本、言葉と国家が一致している。その場合、私の母国語は日本語であるということが出来る。母語と国語が一致する。そのことは例外なのだそうだ。

 母語と国語(母国語)の多様な関係の実験場として、イスラエルという国の例が示されていた。イスラエルは1948年パレスチナの地に、離散したユダヤ人固有の国家を持ちたいと願い実現した国家だ。多数の人々が生まれ故郷を捨て新たな祖国へと移動した。

 その国語(母国語)はヘブライ語である。国家が出来たと同時に世界各国に居住する人々がその国に集まり国民となった。しかし、生まれも育ちもそれぞれである。彼らの母語は、ドイツ語、ルーマニア語、ポーランド語、ハンガリー語、フランス語、ロシア語、英語、トルコ語等にわたった。

 世界各地の言語を母語とするユダヤ人は、イスラエル国民である。祖国はイスラエルであるが、言語的母国は、それぞれの母語を有した国だった。国家にとって、国民がその国の国語を話すことは、忠誠心として位置づける。イスラエルも、国語・ヘブライ語を話すことが出来ないものを公職から追放した。

 この本を再読しながら、言語と国家との多様な関係、各地の母語が国家語に集約されていく過程を新たに知ることができた。母語と国家との戦いの様相なのだ。現在のわが国も、言語の問題が新たな課題として浮上している。英語が重要視され小学校から学ぶ必要があるという。それも確かにグローバルな人材育成には不可欠なのだろう。ただ、ベースとしてのわが国の母語、日本語の「読み・書き・話す」ことの習得にもっと重要性を認識すべきだと考える。

 近年、多くの外国人籍の人々も日本に在住している。その傾向は今後さらに加速する。彼らと彼らの子弟に対する日本語教育と母語の尊重という課題が、あらたなわが国の命題として提示されつつある。時代は大きくうねりだしている。

2008年7月12日 (土)

「大和魂のモダンサッカー」

~クラマーとともに戦った日本代表の物語~
著者:加部究/発行:双葉社(2008.06第1刷)/定価:1800円+税/P.293
【コンテンツ】 クラマー来日/赤鬼改革/結束/栄光/

Img  1968年、日本代表はメキシコオリンピックで銅メダルを獲得した。快挙だった。1964年東京オリンピック以前から日本のサッカーを支え続けたドイツのコーチがいた。デッドマール・クラマーだった。小柄で独特な風貌は、その当時中学生だった私にも印象深く記憶に残っている。その当時の日本代表のことを今も覚えている。監督・長沼、コーチ・岡野、選手では、釜本、杉山、八重樫、小城、横山。銅メダルをかけたメキシコ戦、左サイドから杉山がクロスを上げ、中央にいた釜本が胸で足元に落とし左足で放ったシュートは忘れられない。この本は、デッドマール・クラマーと当時の日本代表の物語だ。

 日本が銅メダルを獲得した翌日から、わが中学校では突如、サッカーブームが湧き上がった。中休み、昼休み、放課後、いままで野球をして遊んでいたのが、一夜にしてサッカーに変わってしまった。サッカーボールなどないので、野球用ボールや体育室からとりだしたゴムボールでサッカーに興じた。その頃のことを思い出しながらこの本を一気に読んだ。

2008年7月 8日 (火)

[竹久夢二と妻他万喜~愛せしこの身なれど」

著者:林えり子/ウエッジ文庫(2008.04第1刷)/定価:780円/P.335
「夢と思えば、あまり悲しき」
 竹久夢二は大正時代を代表する抒情画家である。その絵を見れば、どこかで一度は見たと多くの人々がつぶやくだろう。哀愁を漂わせた女性像を執拗に描ききった。大正時代に一世を風靡しただけでなく、今もなお彼の伝説と絵が生き続けている。

 夢二の女性遍歴はつとに有名であった。他万喜、彦乃、お葉、順子、等々。その中でただひとり、妻となり子を産んだのが他万喜だった。以前に夢二の故郷である岡山県邑久周辺を訪れた。学生の頃から夢二の絵と人生に興味があった。夢二に関する本を読んだりしていたが、無知な私は、妻、他万喜にあまり好印象を持ててはいなかった。ただ、読んだ本からの印象だけだったので、本当の事実は知らないままだった。この本を読んで、私は初めて、夢二ではなく、他万喜の生きた軌跡を知った。あまりに強い感銘を受けた。私の他万喜に対する印象がことごとく崩れ、彼女の姿が愛おしい女性像、いや人間像としてレリーフのように浮かびあがった。

Img  夢二と他万喜は20代前半に初めて知りあった。他万喜が二歳年長で、子持ちの未亡人だった。夢二にとって他万喜の存在は、一緒にいれば鬱陶しく離れたい、離れれば一緒にいたいという愛憎の入り混じった情念の関係が続いた。夢二の華々しいロマンスの影、また彼の創作のエネルギーの根底に、他万喜の存在があったのだろう。男女の関係は、美しいものばかりではなく、ドロドロとした情念の関係もある。

 夢二が挿絵画家として一世を風靡して、巷の人気を博した時期、彼は女性遍歴に拍車をかけた。幾度となく夢二と同居、別居を繰り返していた他万喜は、昭和4年の春、おちぶれ病に倒れ富山の娘の家へと連れられていった。昭和6年5月、夢二はアメリカへと外遊の旅に出た。そのことを伝え聞いた他万喜は富山から東京へ戻り、ただ会うこともなくその足で夢二の無事を願い、天理市に出向いたという。天理教本部で教義を学ぶために6ケ月間、その地で暮らした。

 昭和9年1月、夢二は結核を患い、信州・富士見高原療養所へ入院した。その間、他万喜は、家政婦の仕事をしていた。東京と富山を行き来する生活だった。昭和9年9月、夢二は永眠した。享年51歳だった。他万喜は、東京で夢二の葬儀が行われたという新聞記事を読んで、彼女は、夢二が最後にいた富士見高原療養所を訪ねた。「夢二がお世話になりました。そのお礼に何でもお手伝いしたいのですが」と療養所の所長に申し出た。所長以外には夢二の妻だと知られずに3ケ月間にわたり結核を患った人々の蒲団の打ちかえ、縫い直しの仕事をした。夢二はそのことを知らない。他万喜53歳の時である。

 昭和20年、他万喜は東京大空襲に会い富山へ戻った。その年の7月、娘との同居宅の2階で脳溢血で倒れた。平穏な顔で息を引き取ったという。享年64歳だった。納骨も済まない日に米軍の富山爆撃を受け、彼女の骨つぼは家ともどもに焼き尽くされそうだ。著者は末尾で「夢二同様、他万喜がこの世に残したのは、わずかな身の廻りの者にすぎなかった。きれいさっぱりと何も残さず、他界したのだった。」と書き記した。夢二は今も尚、人々の中に生き続けている。そのことは、他万喜という女性の存在があったからこそだと私自身の心の中に叫びとして渦巻いている。今、夢二の絵を見ると、私は他万喜のことを思い浮かべてしまう。

「夢二郷土美術館」公式サイト

「弥生美術館・竹久夢二美術館」公式サイト

「日光竹久夢二美術館」公式サイト

「竹久夢二伊香保記念館」公式サイト

2008年7月 5日 (土)

「懐かしのアメリカTV映画史」

著者:瀬戸川宗太/集英社新書(2005.01)/定価:600円+税/P.190
 この本の帯に「昭和30年代の子どもたちへ!」というコピーが書かれている。まさに私はその子どもたちのひとりだ。昭和30年代から40年代にかけて日本のテレビで、多くのアメリカTV映画が放映されていた。 「それらは当時の少年少女たちをブラウン管に釘付けにし、手に汗を握らせ、長じての人格形成にも大きな影響を及ぼした」と著者は言う。

Img_2  テレビのスイッチを入れると、「アメリカ」がブラウン管に映し出された。路地裏の薄暗い居間とはまったく別世界のリビングルームが、小さな画面の向こう側にあった。「アメリカ!」、それは子どもの目にも豊かさの象徴だった。毎日がアメリカだった。憧れだった。

 さまざまな番組を見た。「スーパ-マン」「名犬リンチンチン」「アイ・ラブ・ルーシー」「アニーよ銃をとれ」「名犬ラッシー」「うちのママは世界一」「ローハイド」「ララミー牧場」「ライフルマン」「ポパイ」「アンタチャッブル」「パパ大好き」「サンセット77」「ハワイアンアイ」「ちびっこギャング」「コンバット」「ベン・ケーシー」「ドクター・キルディア」「逃亡者」「原子力潜水艦シービュー号」「ナポレオンソロ」等々。きりがない。

 「アメリカ」が憧れだった。特に、女の子のタイプが、いまだ全く未知な魅力ある存在に見えた。その頃、「ハワイアンアイ」の「クリケット」という女の子に憧れた。コニー・スティーブンスが演じた。キュートな魅力を醸し出していた。今ならどこにでもいるような子なのだろうが、その時は新鮮だった。

 「アメリカへの憧れ」は、高校時代に無残にも消え去った。それ以降、「アメリカ」への想いは、今もない。しかし、子どもだった頃に見たアメリカTV映画は決して忘れない。「You Tube」で、今晩、久しぶりに「ハワイアンアイ」の映像を観た。ちょっとだけ「クリケット」が映っていた。

「ハワイアンアイ/You Tube」

「日本美の再発見」

著者:ブルーノ・タウト/発行:岩波新書(2007.01第52刷)/定価:700円+税/P.182
【コンテンツ】日本建築の基礎/日本建築の世界的奇蹟/伊勢神宮/飛騨から、裏日本へ/冬の秋田/永遠なるもの、桂離宮/

Img_0001_2  ブルーノ・タウトは、ナチスを逃れて滞在した日本で、その建築に「最大の単純な中の最大の芸術」の典型を見出した。日本人ではなく、外国人によって、日本の建築が「再発見」された。この新書は、初版が1939年だ。発刊されて70年が経つ。読み継がれている名著だ。桂離宮の美しさは、日本人ではなく外国人により見出された。

 彼は、1934年5月、芭蕉がたどった奥の細道を逆にたどり、みちのくを旅した。「飛騨から裏日本」の章の末尾に、「ひとはこの日本全体がまた旅にあることを知るのである」と。日本がまだ貧しかった時代に、彼は日本の美を見出した。今豊かな時代になって、その美に深みを持たすことが我々に出来ているのであろうか、もしや、失いつつ、いや捨てつつあるのだろうか。

2008年6月29日 (日)

「良寛の四季」

著者:荒井魏/発行:岩波現代文庫(2008.05)/定価:900円+税/P.207
【コンテンツ】越後の里へ/書と詩歌と/良寛の思想/ほか

Img  なぜ、良寛に関する本を手に取ったのか? 理由は、以前から興味を持ち続けているから。それはなぜ? むかしむかしに、まだ大学生だった頃に偶然に図書館で、良寛が子どもたちと戯れる姿を詠んだ歌に惹かれたから。

この里に 手まりつきつつ 子供らと 遊ぶ春日は 暮れずともよし(良寛)

 わが亡父のふるさと越後、そこに私は確かに想いがある。その地に、住み生きている人々に、その風土が育んだ文化に。私は、心の奥底で越後人としての良寛、会津八一、そして、佐渡が生んだある人物に興味を抱き続けている。

 著者の結びに、「良寛自身は『愚』に徹した生き方を貫いた。『愚』であるがゆえに、思想と行動は一致して揺らぐところはなかった。それでいて思想のそのものの構築においては、バランスに優れ、柔軟性を失ってはいない。」と。良寛の思想とその生き方は、現代の日本人が生きている根底の思想を、今一度振り帰ってみるべきものとしてあぶり出す。

2008年6月28日 (土)

「難民キャンプの子どもたち」

著者:田沼武能/発行:岩波新書(2005.04)/定価:1000円+税/P.196
【コンテンツ】中東・ヨーロッパ/アジア/アフリカ/平和が一番

 世界の子どもたちを撮り続けてきた著者が、どんな苦難に直面しようとも、その壁を乗り越えて生きる難民の子どもたちにレンズを向けた。彼らの生きようとするエネルギーとともに著者の暖かい視点が感じ取れる。わが国の子どもたちに、世界の難民の子どもたちの現実を知るためには読んで欲しい本だ。

Img_0001  この本の中で、1枚の写真が私の心を突き刺した。アフガニスタンの小学生ぐらいの女子たちの写真だ。タリバン政権下で、女子は学校で学べなかった。ユニセフの強い要請で難民キャンプ内でのみ授業が許された。彼女らの食い入るような輝く瞳に圧倒された。厳しい状況の中でも、その女子たちは、学ぶことに必死になっている。

 その写真に写った彼女たちの姿は、絵画を見るような美しさを醸し出している。極限の厳しい環境の中でも、人間は本質的に学びたいと欲するものなのだ。表面的な平和で豊かなわが国では、学ぶことが生きることに繋がるという真摯な認識に欠けている現実を垣間見た。

2008年6月26日 (木)

「無援の叙情」

著者:道浦母都子/発行:岩波現代文庫(2007.07)/定価:900+税/P.261
【コンテンツ】 無縁の叙情/青虹/残照

Img  以前に読んだ歌人・道浦母都子の歌集を、昨晩、眠る前に拾い読みをした。全共闘世代の象徴的な歌人である。非政治的な人間であり続けている私から見て、あの時代、もしかしたら、わが国で若者たちが行動的な叛乱を起こした最後の時代だったのかもしれないと思う。「You Tube」で見た映像は、40年近く前のもう一つの日本の現実を映し出していた。

   明日あると信じて来たる屋上に旗となるまで立ちつくすべし 
                             (道浦母都子)

「You Tube みんな夢でありました 森田童子」

2008年6月14日 (土)

「評伝 斎藤隆夫」~孤高のパトリオット~

著者:松本健一/発行:岩波現代文庫(2007.06)/定価:1200円+税/P.407
【コンテンツ】斎藤隆夫と現代/精神のトポス/政治的な理性/政党政治家として/政党の自滅に抗して/孤立するパトリオット/大いなる影

 二つのキーワードが目に留まり購入して読んだ。そのキーワードは、「松本健一」「パトリオット」。湾岸戦争の時に、アメリカが打ち込んだミサイルの名が「パトリオット」だ。「パトリオット」とは日本語に訳せば「愛国者」となるのだろう。日本語では狭隘な意味と誤解を生じやすい。孤高のパトリオット、政治家斎藤隆夫の評伝である。

Img  当時勃発した二・二六事件後の軍部独裁を批判した、国会での1936年の「粛軍演説」、1940年「支那事変処理に関する質問演説」で衆議院議員を除名されたことで有名な政治家である。著者は、「日本が国をあげて大東亜戦争へと雪崩こんでゆく過程で、政党政治家の斎藤がこの流れに徹底的に抗したパトリオットであることは、間違いない。・・・・国家意識を背負った一人の国民の立場から立憲政治を守ろうとした政党政治家であった」と評価する。

 「グローバリズム」(地球主義)、「ナショナリズム」(国家主義、民族主義)、「パトリオティズム」(郷土愛・祖国愛)という三つの言葉が存在する。世界はグルーバリズムへのベクトルを進む。その過程で、ナショナリズムとパトリオティズムを喪失させようとする。しかし、現実は、グローバリズムが皮肉にもナショナリズムとパトリオティズムを浮かび上がらせる。アメリカのベトナム戦争・湾岸戦争・イラク戦争、中国のチベット問題。

 わが国において、軍部ナショナリズムが横行した中で、時勢に抗した稀有の政治家であった斎藤隆夫を「パトリオット」と呼ぶことに著者の思いと想いを感じ取る。斎藤隆夫の「故郷」は、兵庫県出石である。郷土愛が祖国愛を育み、わが国の国会演説の中で、類を見ない名演説だと称される「粛軍演説」を産み出したのだろうか? 人が「パトリ」(郷土)=「故郷」=「ふるさと」=「うぶすな」を有することは大きな力を産み出すのだろう。

「出石町公式観光ガイド」Webサイト

2008年5月31日 (土)

「白旗伝説」

著者:松本健一/発行:講談社学術文庫(1998.05第1刷)/定価:960円+税/P.284

【コンテンツ】少女の白旗/最初の衝撃/西洋文明の白旗/日本の戦争/運命を背負うもの/ほか

この表紙にある「白旗をかかげた沖縄の少女」は、アメリカ軍の従軍カメラマンのムービーカメラによって撮影された一コマである。1977年、沖縄戦においてアメリカ軍へただ一人で投降する少女のスチール写真が公開された。1984年には当時従軍カメラマンが当時撮影したムービーフィルムをもとに記録映画が上映された。当時、沖縄の人びとだけでなく、わが国の人びとにその映像は衝撃を与えた。

1988年夏、著者は集中講義を受け持つため沖縄に滞在した。その講義の中でその少女のことを話した。6日間の講義が終わったあと、毎日教室の最前列の席にすわって講義を聞いていた小柄な女性が歩み寄り、「私がその白旗の少女です」と名乗った。

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著者は、沖縄在住の知人から、少女がかかげた白旗が戦争の際の降伏の取り決めであるという文明のルールは、沖縄の生活と風土から育まれた文化からはでてこない。それがどこからでてきたのか解らないという言葉を聴いていた。講義の後、当時7歳であったその白旗の少女であった女性は、「わたしはあのとき、白旗が降伏の意味だなんて、知りませんでした。ただ、これをもって外にいけば撃たれない。とおじいさんが教えてくれたのです。ええ、そのおじいさんは七十ぐらいでしょうか、沖縄の人でした。名前は知りません。それ以降会ったこともありません。」そこから「白旗」がいつ日本にやってきたのか、だれがその少女に「白旗」を持たせたのか、なぜその人は沖縄在住でありながら「白旗」が降伏のしるしと知っていたのか、そこからこの「白旗伝説」が執筆された。

日本に最初に「白旗」が降伏の意味であるという旨を伝えたのは、幕末1853年に浦賀へ来航したペリーであると著者はいう。1865年「万国公法」(国際法)が日本で出版された。その中には「交戦条規」「投降約款」がある。1868年、日本で降伏の旗じるしとして歴史上最初に「白旗」を掲げたのは戊辰戦争、会津落城の折の会津藩だという。ペリー来航15年後だった。当時、会津藩はわが国においての教育水準が高い藩だった。だからこそ、「万国公法」が出版されたのちわずか3年後にその知識を実践できた。そのことに感銘を受けた。1868年からなぜ1945年の沖縄戦の少女に繋がるのだろうか? 著者によれば、日清・日露戦争は国際法に準じた戦争であった。特に日露戦争において、日本人はロシア軍の降伏のしるしとして「白旗」の意味を理解した。現実に、ロシア軍の使者が携えた一本の「白旗」で終戦を迎えた。

日本の文化の中で、「白旗」は源氏の旗であり「紅旗」は平家の旗である。その名残か紅白戦などとして現在も用いられている。また「白旗」は弔いのしるしだった。それ以外の何ものでもなかった。日本の文化また沖縄の文化の中で、「白旗」が降伏を意味するものなどではなかった。沖縄に徴兵制がひかれたのは日露戦争からであり、少女に「白旗」持たせ壕(ガマ)から出させて投降させたおじいさんは、日露戦争に従軍したおりにロシア軍の「白旗」を見て、それが降伏のしるしであると見聞していたと著者は推測している。

「日本の政府()がペリー来航以来「白旗」をかかげた形跡は、どこにもないのである。いや、幕末の戊辰戦争での会津藩と大東亜戦争での沖縄には、明らかに「白旗」がかかげられていた。だが、それはいずれも、日本の政府()がかかげたものではない。あえていえば、それらの「白旗」は、会津といい、沖縄の少女といい、そのときどきの日本の歴史において、もっとも過酷な運命を背負わされたものたちが、かかげさせられたものではなかったろうか。」と著者は末尾に書き記した。

かつて「白旗伝説」を読んだ時、その少女の写真に衝撃を受けた。太平洋戦争でわが国が唯一地上戦を交えたのは沖縄のみだった。その戦場の模様については、当時詳しく理解していなかった。昨晩夜中に再読して、今あるわれわれは、沖縄戦のみならず、さまざまな人びとの悲惨な体験という歴史の上に成り立っていることを、今一度自分自身の心に刻んだ。

「白旗の少女」

著者:比嘉富子/絵:依光 隆/講談社・青い鳥文庫(2000.03第1刷)/定価:580円+税/P.221

【コンテンツ】まぶたのカメラマンをさがしもとめて/平和な島「沖縄」/避難民の群れのなかへ/「生きる勇気」を与えてくれた動物たち/ガマからガマへ/おじいさん、おばあさんとの運命的な出会い/わたしの役目生きつづけること/ほか

太平洋戦争末期の沖縄本島南部、日本最大の激戦地で、兄弟たちとはぐれ戦場をたった一人でさまよったわずか7歳の少女が、偶然にも壕(ガマ)でめぐり合った体の不自由な老夫婦の献身で「白旗」をもってアメリカ軍に投降し奇跡的に一命をとりとめた少女の愛と感動の物語である。

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少女が偶然にその壕(ガマ)に入り、おじいさんとおばあさんに始めて会った時のことが書き記されている。「おじいさんは両手がひじの関節から、そして両足は膝の関節から切断されそれから先がなくなっていました。そのときわたしは、まるでダルマさんがすわっているようだと感じたのです。」「おばあさんは、どうやら目が見えないのでしょう。わたしを見ているのに、顔も目もじっとそこにとまったまま動かしませんでした。」

アメリカ軍の声が壕(ガマ)の外から聞こえてきた時、手足のないおじいさんは、目の見えないおばあさんに、自分の白い下着(ふんどし)を歯でちぎらせ三角の白い布にした。少女に木の枝を探させ、それを枝に結び付けて「白旗」にした。「それも持っていけばぜったいに安全なのだ。世界中の約束なんだから」とおじいさんは言った。少女はおじいさんとおばあさんに促されて、「白旗」を持ち一人壕(ガマ)を出された。そして、壕(ガマ)を出て、岩山を歩いていた時に、アメリカ軍の従軍カメラマンにムービーフイルムとカメラで撮影された。

少女が大人になりその写真が世に出てアメリカに出かけた折に、その当時撮影した二人のカメラマンを探されたという。一人は生存されていて再会された。その時のカメラマンが、「あなたは、なぜわたしに向かって手をふったのですか?」と彼女に質問した。「父から、たとえ撃たれるとしても、最後は手をふってにっこりと笑いなさい、と教えられたからです」と彼女は答えた。

知ること、伝えること、託すこと、極限中でも何かが繋がっていく。ただ、そこに意思が無ければ、繋がるものも繋がらない。

2008年5月25日 (日)

「悲恋の詩人ダウスン」

著者:南條竹則/発行:集英社新書(2008.05)/定価735円/P.220
【コンテンツ】ダウスン伝説/伝記資料のダウスン/悲劇/酔いどれが行く/黄昏/ダウスンの作品/日本におけるダウスンの紹介/ほか

Img_0002  「貧困と悲恋と不治の病と酒・・・究極の詩人の生涯と作品」と書かれた帯に誘われて、この新刊新書を買って詠んだ。正直言えば、ダウスンという詩人の名を初めて知った。映画「風と共に去りぬ」はイギリスの作家・マーガレット・ミッチェルの小説の映画化だが、その題名はダウスンの詩からの引用であると、また「酒と薔薇の日々」もそうだと初めて知った。

 欧米では、詩人ダウスンは著名であった。日本では森鴎外の時代から知られてはいたが、一般的な詩人として紹介されることは少なかったようだ。キーツ、T・S・エリオットの名前を知ってはいるが、ダウスンなどまったく知らなかった。著名な詩人T・S・エリオットは、ダウスンの詩に影響を受けたと言われている。究極の酔いどれ破滅的な恋愛詩人は、わが国で一般的には受け入れにくかったのかもしれない。

【ダウスンの有名な詩「シナラ」の一節】
いやくるほしき楽の音を、またいやつよき酒呼べど、
酒宴のはてて燈火のきえゆくときは、
シナラよ、あはれ、なが影のまたも落ち来て夜を領れば、
われは昔の恋ゆえに、ここちなやみてうらぶれつ、
ただいろあかき唇を恋ふるこころぞつのるなれ。
われはわれとてひとすぢに恋ひわたりたる君なれば、
あわれシナラよ。
(矢島峰人訳)

2008年5月24日 (土)

写真集「猪飼野」~追憶の1960年代~

著者:曺智鉉/発行:新幹社(2003.04)/定価:2800円+税/P.184
【コンテンツ】 平野川/朝鮮市場/路地うら/子どもたち

Img_0004  以前に買ったこの写真集を昨晩夜遅くに眺めていた。副題にある「追憶の1960年代」がリアリティを以って描き出されていた。平野川に浮かぶ筏の群れ、手ごきの船、市場の情景、朝鮮の民族衣装を来て街を歩く女性、路地の洗濯物、ビーダマで遊ぶ子どもたち、外人可・文化住宅の張り紙、等々。私が幼かった頃に見た情景が写真集に映し出されていた。その町の1960年代が、陰影をたたえながらも、あざやかに記録した写真集だ。

「本と映画と『70年』を語ろう」

著者:鈴木邦男・川本三郎/発行:朝日新書(2008.05)/定価:740円+税/P.253
【コンテンツ】/赤衛軍事件と全共闘へのシンパシー/映画・音楽に見る昭和史と戦争/右翼・言論テロ・天皇

 1970年代から30年余りが過ぎた。1972年、自衛官が刺殺された「赤衛軍事件」の証拠隠滅の罪で、雑誌「朝日ジャーナル」記者であった川本三郎氏は、逮捕され、朝日新聞社を懲戒免職となった。現在は映画・文芸評論家の第一人者である。鈴木邦男氏は、政治的事件で、1974年に産経新聞社を退職した。新右翼団体「一水会」顧問として、講演・文筆活動で活躍している。

Img  鈴木氏はこの本の「はじめに」で、「合わせ鏡のような二人」と表現していた。鈴木氏は「僕もファンの一人だ。と同時に川本さんは、『もう一人の自分だ』と思っている。そうなりたいと思いながら、なれなかった自分だ」と書き、川本氏は「あとがき」で、「二人が立場は違うとはいえ、困難な時代をなんとか生き抜いてきたためなのだろう。その意味で初対面なのに、古い、懐かしい友人に会った思いがした」と心情を記されていた。

 「左翼も右翼もツバサをもがれ、沈滞の時代に、あえて、もの書く二人の対談」を興味深く、一気に読みきった。戦争とは、映画とは、暴力革命、三島由紀夫、テロ、天皇制。1960年代後半から1970年代前半、左右両翼として過激な活動を展開した二人が時を経て対談したその内容に感銘を受けた。この本が、川本氏が懲戒免職を言い渡した新聞社関係の出版社から刊行されたことは、時代の移り変わりを感じた。

2008年5月18日 (日)

「自由と規律」

著者:池田潔/発行:岩波新書(1949.11.5第1刷 2007.10.8第93刷)/定価:700+税/P.171
【コンテンツ】 パブリック・スクールの本質と起源/その制度/その生活 ①寮 ②校長 ③ハウスマスターと教員 ④学課 ⑤運動競技/スポーツマンシップということ

Img  副題は「イギリスの学校生活」だ。この本は、戦後まもない1949年11月に初版が刊行されて後、2007年第93刷が刊行された。さまざまな人びとに読み継がれてきたことを物語っている。現在の教育の中で、中高一貫教育の全寮制を敷いている学校は、概ね、この本で紹介されたイギリスのパブリックスクールをモデルにしている。

 「自由の精神が厳格な規律の中で見事に育まれていく教育システムを、体験を通して興味深く描く」この本を、10年以上前に読んだ。素直に感銘を受けた。子どもたちの教育、子育ての中で、「自由」という言葉のみが氾濫し、そこに、「規律」「責任」を伝えようとしない風潮があった。今もそうかもしれない。

 「自由」の本当の意味を子どもたちに伝える時には、「規律」と「責任」を同時に伝えなければならない。片手落ちの伝え方では、本当の「自由」を伝えきれない。私たちはスポーツを通じて、「規律」と「責任」の上に立ってこそ、本当の「自由」があることを伝えていかなければならない。

2008年5月17日 (土)

「サッカーの詩学と政治学」

編者:有元健ほか/発行:人文書院(2005.10初版第1刷)/定価:2000円+税/P.276
【コンテンツ】 このアタッキングプレーだ!/浦和レッズサポーター 変容する実践と楽しみ/ユニオンジャックの下の黒/インドサッカーの問題と展望/アフリカとヨーロッパはサッカーの対等者なのか?/W杯と日本の自画像、そして韓国という他者/迂回路をたどる/ほか

Img_2  「サッカー」「詩学」という言葉、それと一見無関係な、嫌悪すべきと思われている「政治学」という言葉が表紙に記載されていたこの本を以前に読んだ。「サッカー」は、「想い」と「詩」で語られることが多い。ピュアな物語として捉えられる傾向がある。W杯から巷の地域スポーツまで。

 「広辞苑」に寄れば、「政治」という言葉の意味は、「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み」とある。いかなる領域であったとしても、人が集まればそこには「政治」が介在する。「想い」と「詩」の実現には、「政治」が不可欠である。

 地域スポーツの世界であっても、何か新しいものに取り組もうとした時、必ず現実的な壁が立ちはだかる。「詩」と「政治」の両輪が必要不可欠なものだと、この本のページを再度繰りながら自分自身に言い聞かせている。

2008年5月15日 (木)

「サッカー狂い」

著者:細川周平/発行:哲学書房(2001.05)/定価1900円+税(当時)/P.260
~時間・球体・ゴール~ 
【コンテンツ】 歩く/走る/蹴る/ドリブル/フォメーション/フェイント/操作場のキックオフ/球形/卵形/渦巻き/危険/時間稼ぎ/チャンス/リズム/

Img_0002  7年前に読んだこの本を手に取った。巻頭の詩で 「それは、身体とボールという一つの関係から始まる。この時、ボールを前にした身体は関節によって構成された流れるような集合体としてのみ存在する。」という言葉から書き出されている。サッカーの技術・戦術書ではなく、日本で「サッカー」のみを哲学的に論じた唯一の単行本だ。

 「ウォークマンの修辞学」を上程した著者は、1955年生まれで私と同世代である。「誰もが語りたがる68年、バリケードの中で『少年マガジン』を読んでいた人もいれば、『ノルウェイの森』を聴いていた人もいる。・・・・・しかし、中には遠い方のポストまでコーナーキックを届かせることに熱中していた人間もいたのだ。」と。

 この本の表紙は著者の高校時代のチームメートが装丁した。彼はジョージ・ベストに刺激され絵の道に入り、マンチェスターUを夢見てイングランドへ渡った。著者は、クライフに鼓舞されサッカー論を書き始め、ジャンニ・リベラに衝撃を受けてイタリアへ留学した。サッカーそのものの存在価値は、選手、指導者、サポータ-だけを産み出すのではなく、それを根源として、幅広い領域に関わり続ける人々を産み出していくことだ。サッカーは文化そのものなのだ。

2008年5月13日 (火)

「昭和30年代の大阪」

発行:三冬社(2008.05)/定価:1900円+税/P.68
コンテンツ】 絵葉書に綴られた古色の大阪/市電が走った街々/家電が豊かさの証だった時代/遠足菓子から粉末ジュースまで/放課後の日課は駄菓子屋通い/30年代の啓蒙ポスター/昭和30年代大阪の街と顔/ほか

Img_2  会社帰りにちょっと寄り道をして鶴橋駅近くの立ち呑み処「源氏」に寄った。ほろ酔い気分で隣の「高坂書店」に入った。悲しい性である。酔えば本屋に行きたくなる。今夜、本を眺めるだけで買うまいと思っていた。この写真集が目に飛び込んできた。新刊書だ! ぱらぱらとページを繰った。通天閣、市電、トロリーバス、輪タク、渡辺ジュースの素ほかの懐かしい写真が掲載されていた。P.42には「扇町プール」の写真が、P.61には、わが懐かしの今里・新橋通商店街の映画館「二葉館」の写真があった。迷わずこの本を買ってしまい、帰宅途上の奈良行快速電車の中で読んだ。富雄駅に着いた頃には、子どもの頃に戻った気分になっていた。

2008年5月 9日 (金)

[ロベルト・カルロス ちいさくても大丈夫」

構成・文:中谷綾子・アレキサンダー/絵:はまのゆか/集英社(2007.12)/定価:1000円+税/P.63
Img 「神様は不公平だ。なんで、僕の体を小さく作ったの!?」
 ブラジル代表・世界最高の左サイドバックであるロベルト・カルロスの世界初の自伝絵本だ。体が大きいだけではGood Pyayerになれない。体が小さかったとしても、Good player になれる。ブラジルの貧しい一家に、とても小さな、小さな男の子が生まれました。その男の子が世界最高の左サイドバックに育った物語です。絵本だから読みやすいと思う。小学生のサッカー小僧たちに読んで欲しい。

2008年5月 8日 (木)

「スポーツ倫理学入門」

著者:ロバート・サイモン/発行:不味堂出版(1994.05初版)/定価:2500円+税(当時)/P.220
【コンテンツ】スポーツ哲学入門/競争の倫理/スポーツの不正行為と暴力/薬物による競技力向上/スポーツの平等と卓越性/スポーツの男女平等/スポーツと社会価値

Img  
今から、10年以上前に読んだ本である。「倫理学」など、スポーツには関係ないよ。、そのようなことはどうでもいい。試合に勝てば、チャンピオンになればそれでいい。そのような難しそうなことは関係ないよ。そのように人は思うかもしれない。でも、本当にそうだろうか? この本の原題は、「FAIR PLAY Sports, Values, & Society」だ。私には、スポーツにおける倫理は大切なものだと思っている。本書は、ギリシャの哲学者・ソクラテスの言葉で結ばれている。「僕としては、ある神が二つの技術、つまり、知を愛するために、音楽と体育という技術を与え、副次的な効果とは別にして魂と身体のためではなく、お互いが調和しあうためにあたえたもうたと主張したい」と。

2008年5月 4日 (日)

「『やめられない』心理学」

著者:島井哲志/発行:集英社新書(2008.04)/定価:700円+税/P.206
~不健康な習慣はなぜ心地よいのか~
【コンテンツ】 わかっていてもできない健康習慣/医療のパラダイムと変化の必然性/習慣を考えるための心理学/食の健康心理学/ストレスはたまらない/こころと健康状態/病気の心理と行動/健康な社会づくりをめざして

Img 「連日の深酒、スープまで飲み干すラーメン、手放せないタバコ、慢性的な運動不足」はなぜわかっていても、やめられないのか。医学博士・心理学者の著者が、心と体の関係をやさしく解説した本だ。著者は、あとがきの中で、「健康維持についても自分自身の責任が厳しく問われる時代になったのだ」と書く。健康も、自分の意思で決定し選択していくことが求められている時代になった。

2008年4月25日 (金)

[風呂と日本人」

著者:筒井功/発行:文春新書(2008.04)/定価:820円+税/P.276
【コンテンツ】 里の石風呂、海辺の石風呂/伊勢と豊後の風呂遺構/文献でたどる日本沐浴史/風呂があった場所に付いた名前/中世の山城と風呂/蒸し風呂から温湯浴へ/風呂が来た道/ほか

Img  私たちが「風呂」をイメージする時、お湯につかるとか、湯船など、今の風呂を思い浮かべる。しかし現在のように各家庭に風呂が設置されるようになったのは、連綿とした歴史の中ではつい最近のことである。旅館などの大浴場もしかりである。お湯につかるという「温湯浴」は江戸時代からはじまったもので、日本の沐浴史から見ると、「蒸し風呂」「石風呂」が本流なのだそうだ。私などは、日本の風呂といえば、昔から「温湯浴」だと思い過ごしていた。新たな知を得た。

2008年4月21日 (月)

「股旅フットボール」

著者:宇都宮徹壱/発行:東邦出版(2008.05)/定価:1429円+税/P.285
【コンテンツ】 イ-ハトーヴにJクラブを/夢、すなわち目標/[夢見る時代」の終わりに/瀬戸の海を越えて/凛としたクラブをめざして/変わりゆく風景の中で/北の大地で種蒔く人びと/ほか

Img  新刊書である!地域リーグからみたJリーグ「百年構想」の光と影。日本のサッカーを本当の意味で文化だと捉えようとするならば、Jリーグは表層でしかない。ドイツ・イングランド・ブラジル等がフットボール文化が根付いてといえるのは、中層の3部、4部jリーグがトップリーグと同様に、町に根ざしたクラブが存在し、人びとを熱狂と感動の渦にまきこんでいるからだ。その視点からすると、日本はまだ、フットボールが文化になっているとは言いきれない。
 しかし、その萌芽は育ち始めている。著者は全国の地域リーグをフィールドワークし、町のフットボールクラブが、「地域の人びとの間に誇りと気概と連帯感が生まれ、やがて町全体が活気にみなぎり、ついには町の風景さえも善き方向にかえてしまう。」 それは地域の「謀反の物語」だと書く。かつて、「ディナモ・フッボール」で東欧のサッカーについて記した著者の立脚点は、日本の地域フットボールに目が向けられた。
 昨年、北信越フットボールリーグでの「信州ダービー」を観戦に出かけ熱狂的な光景を見て、私も著者同様に、地域リーグの中に日本のフットボール文化への大きな足がかりの兆候を見ている。

2008年4月15日 (火)

「コーチの心得」

著者:L.レゲット/発行:不味堂出版(1994.04初版)/定価:2060円(当時)/P.182

【コンテンツ】なぜコーチをするのか/成功とは何か/報酬/人々をつなぐこと/なぜコーチは失敗するのか/コーチの人間性/コーチ失格/価値観を変えること/偏見をなくすこと/何を教えるのか/優れたコーチと優れた選手/ほか

Img 「コーチが過去において最も必要とされ、今も必要とされ、今後も必要とされる理由は、個人の評価を向上させるためには重要であるということである。」本書の原題は「PHILOSOPHY OF COACHING」(コーチングの哲学)である。10年以上前に出版された本である。コーチは、哲学を持たねばならないのだろう。スポーツのみならず、ビジネス、子育てに共通の心得を教えられた。本書は、私自身にとって、仕事の世界でも良き手引書であった。

「ベストコーチへの道」

編者:カナダコーチング協会/発行:同朋舎(1991.07第1版第1刷)/定価:2500円(当時)/P.150

【コンテンツ】目的と目標設定/コーチングプログラムの開発/トレーニングプログラムの計画/パフォーマンスの測定と評価方法/生理学知識の活用法/心理学知識の活用法/ほか

Img_0001_4 「選手を指導するコーチには、自らの経験的な知識から選手を主観的に把握する能力、それに加えて科学的データに基づいた客観的な知識の活用が不可欠である。コーチングとは、こういった様々な能力・知識を統合し、論理的なトレーニングプログラムを計画し、選手との共同作業をより賢実な成功へと導くことである。」と本書の表紙に一文が記載されている。

 15年以上前に、様々なスポーツに共通のコーチングについて、カナダコーチング協会が編集した本書を読んだ。その当時、スポーツのコーチング関する本はわが国では少なかった。刺激的であり興味深く読んだ。スポーツの世界のみならず、ビジネスの世界、子育ての世界にも転用可能な共通のスキルだと感じた。

2008年4月 5日 (土)

「スポーツと人間」

著者:オモ-・グル-ペ/発行:世界思想社(2004.11 第1刷)/定価:2300円+税/P.275
【コンテンツ】スポ-ツと文化との関係について/スポ-ツの意味と意味モデル/クラブにおけるスポーツ/スポーツ教育と学校スポーツ文化/子どもとスポーツ/競技スポーツ/子どもの高度競技スポ-ツ/新たな健康スポ-ツ/スポ-ツとスポ-ツ科学/ほか

Img_0002  スポーツは、幅が広く深い意味をもっているものだ。現代のような流動的で多様な価値観が存在する多元的な社会になっている今、なぜスポーツが注目されているのだろうか。世界に類を見ないほどの速さで高齢化社会が到来する。心と体の健康のためのスポーツという価値が尊重されている。それはそれで尊重すべき大切なことだ。しかし、もうひとつの価値としてスポーツの教育的要素を、人はスポーツを通じて学び育つということを、地域スポーツの中で、我々はもっと認識し、実践すべきだ。と一地域人は思い続けている。

「スポーツと教育」

~ドイツ・スポ-ツ教育学への誘い~
著者:オモ-・グル-ペ、ミハエル・クリュ-ガ-/発行:ベ-スボ-ルマガジン社(2000.02第1版第1刷)/定価;3200円+税/P.361

【コンテンツ】スポ-ツ教育学とは何か/スポーツ教育学の対象/スポーツ教育学の基本概念/スポーツ教育学の人間学的基礎/健康と安寧/達成と競争/ほか

Photo_2  もう7年前になるのだろうか。 「いまスポーツ教育学的な知識と能力が求められている。スポーツの教育学的可能性、人間学的基本テ-マへと誘う」「スポーツの専攻学生、教師、監督、コ-チ、指導者として常勤、ボランティアでスポーツに教育的に携わる人に薦める!」という本の帯に書かれた一文に魅かれ購入して読んだ。

 スポーツには教育という要素が含まれていると思ってきた。ただただスポーツの戦績のみに一喜一憂する人々もいる。ただ楽しければ、上手になれば、勝てばそれで良いと、それはそれで楽しい時間なのだろうが。私はその人々とは一線を画したい。私が、スポ-ツ、とくにサッカ-に関わる本当の意味は、そこに子どもたち、大人たちの教育学的な大きな意義があるからだと信じてきた。この本は、そのことに示唆を与えてくる格好のテキストだ。

「サッカ-の歴史」

著者:アルフレッド・ヴァ-ル/発行:創元社「知の再発見双書」(2002.01第1版第1刷)/定価:1400円/P.158
【コンテンツ】近代サッカーの発祥地イングランド/世界への拡大/サッカ-の近代化/スポーツの枠を超えて/ワ-ルドカップと国際ト-ナメント/ほか

Img_0001  4/4(金)夜に、「フットボ-ルの歴史」(FIFA100周年記念誌)を眺め、続いて以前に買ったこの本を手に取った。この本の中にも貴重な写真や絵が満載されている。今、サッカ-に興じている子どもたちには、一度はこの本を手に取り読んで欲しい。読まなくとも見て欲しいと願う。価格も手ごろである。「歴史」を振り返りながら、サッカ-が「最もシンプルなゲ-ム」であり「美しいゲ-ム」であることを知るための格好のテキストだ。

「フットボ-ルの歴史」

~FIFA創立100周年記念出版~
発行:㈱講談社(2004.09 第1刷)/定価:7200円/P.208

【コンテンツ】 英国におけるフットボ-ルのはじまり/いかにしてフットボールは世界に広まったか/FIFAのはじまり/ワ-ルドカップその起源と初期の姿/ル-ルと審判の歴史/世界言語としてのフットボ-ル/フットボ-ル、ア-ト、文学そして映画/ほか

Photo  4/4(金)の夜に、以前に買ったこの本を開き、さまざまな写真を眺めていた。この本は、国際フットボ-ル連盟(FIFA)が、フットボ-ルの偉大な歴史を総覧できるように、総力をあげて作り上げたFIFA100周年記念誌である。フットボ-ルのはじまりから現代まで、いかにして世界に広まったかという歴史を教えてくれる。貴重な興味ある写真が満載されている。

 「プレ-ヤ-ポ-トレイト」で、往年の選手たちの写真と彼らの言葉が掲載されている。その中で、アルゼンチンが生んだ名選手、アルフレッド・ディステファノは、
「フットボ-ルとバレエには多くの共通点がある。ともに技術、バランス、そして想像力の上に成り立っている。すべての選手がテクニック、スピ-ド、そしてチ-ムワ-クに集中しなければならない。偉大なる選手は自分勝手なことはしない。手を使わないからフットボ-ルは直感的なスポーツではないと言う人がいるが、フットボ-ルは常に芸術であり、ある種の詩なのである。フットボ-ルをただボ-ルを蹴ることだと思い込んでいるのなら、それは無知の証拠である」と語る。

 その言葉を読むと、偉大なるフットボ-ル選手であったというだけでなく、あたかも詩人・哲学者のような香りが漂う。フットボ-ルはまさしく美しい文化なのだ。

2008年4月 2日 (水)

「マグナムサッカ-」

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発行:ファイドン㈱(2006.011刷) 定価:2180円(当時) P.184

 世界的な写真集団「マグナム・フォト」のカメラマンたちが、本業の報道写真とは別に、カメラのレンズを「サッカ-」に向け、世界中の人々の「サッカ-」に賭ける情熱を写し出した必見の写真集である。この写真集を見て、「サッカ-」の魔力の恐ろしさ、どのような環境であったとしてもボ-ルと戯れるエネルギ-に驚愕せざるをえない。冒頭の写真は「マグナムサッカ-」の表紙で、カメル-ンの子どもたちが、サッカ-に興じている姿である。写真集の中には、戦車の前で夢中になってボ-ルに向かって一心不乱でトレ-ニングするアフリカの若者の姿も写し出されていた。この写真集に掲載されている国々は、「芝のグランド」とは無縁な世界で生きている。


「マグナムフォト東京支社」公式サイト

2008年3月30日 (日)

「現代スポーツ論」

著者:中村敏雄・出原泰明・等々力賢治 発行:大修館書店(1991.6第6版) 定価:1900+税【コンテンツ】スポーツを変える/「練習漬け」からの解放/スポーツとクラブ/スポーツと教育/「健康ブーム」とスポーツ/女性スポーツの現在/スポーツと「カネ」/スポーツと政治/スポーツの社会的条件/スポーツの時代をつくる/
Photo_2 15年以上も前に購入し読んだ。副題は「スポーツの時代をどうつくるか」。エピロ-グの中でスポーツが変わることは誰でも知っていることであるが、これをどのように変えるかは、とくに今日の人類にとって共通でしかも重要な課題であり、これらの究明はスポーツがいまどのような改革されるべき問題を抱えているかということの明確化を前提にする10.5pt">
 時代の趨勢によってスポーツ環境は「変わる」ものではなく、主体的な意思を持って「変える」もので、スポーツの時代を「つくる」ものだと知った。現代におけるスポーツが置かれている状況と、未来にどうあるべきかを考えるテキストして最適であった。

2008年3月28日 (金)

「日本の美意識」

著者:宮元健次 発行:光文社新書(2008.03初版第1刷) 定価:780円 P.304

「優美」から「かわいい」まで。美は「滅び」にあり。「挫折、敗北は崇高だ。」西行の歌、世阿弥の能、利休の茶、芭蕉の俳句、美の潮流と展開。

【コンテンツ】旅と他界/優美/幽玄/侘び・さび/きれい/美意識の近代/ほか

 「人間は“生”を得た瞬間から“死”という“滅び”に向かって生きている。そうであるからこそ“生”を尊ぶという考え方が日本の美を作ってきた」と著者はいう。日本の美の潮流を歴史の中でたどった本だ。

2008年3月20日 (木)

「4―2―3―1」

~サッカーを戦術から理解する~

著者:杉山茂樹 発行:光文社新書(2008.03初版第1刷) 定価:860円 P.304

【コンテンツ】サッカーは布陣でするものか、否か/番狂わせは、弱者の工夫なしには生まれない/4列表記の誕生/アリゴ・サッキの「プレッシングフットボ-ル」/ブラジルがドイツワールドカップで負けた理由/攻撃サッカーのルーツ、オランダ/ファンタジスタは布陣を嫌う/サッカーは布陣でするもの、ではない?/ほか

Img  2008.03新刊書である。観戦取材歴豊富なスポーツライターが書いたサッカーの監督目線での「布陣の教科書」。かつて布陣は、4-3-3、4-4-2などの3列表記が主流であった。最近は、4-2-3-1、3-4-1-2などの4列表記が多くなってきた。その表記が使われだしたのは1997年イタリア・セリアAだったとこの本で知った。サッカーの代表的な布陣を戦術的な観点からわかりやすく解説している。ピッチ上の“デザイン”についての教科書だ。

2008年3月19日 (水)

「あの戦争は何だったのか」

著者:保阪正康 発行:新潮選書(2007.0324刷) 定価:720円 P.251

~大人のための歴史教科書~

【コンテンツ】旧日本軍のメカニズム/開戦にいたるまでのターニングポイント/快進撃から泥沼へ/敗戦へ、負け方の研究/815日は「終戦記念日」ではない/

Img_0002 「昭和史」の本をつづけて二冊読んだ。「あの戦争は何だったのか」「特攻と日本人」。「太平洋戦争の総括なくして、どうして平和が語れるのだろう? また、日本は何を反省すればいいのか?」。「日本という国は、あれだけの戦争を体験しながら、戦争を知ることに不勉強で、不熱心。日本社会全体が、戦争という歴史を忘却していくことがひとつの進歩のように思い込んでいる」「この国は何かと考えるとき、太平洋戦争を考えないで逃げていては決して答えは出ないだろう。今がその最後のチャンスではないか」と著者はいう。

 私は、学生時代から昭和初期の歴史、現代史に興味があった。それは今も続いている。最近「昭和」も歴史の範疇となり、多くの本が出版されてきた。この本は、あの戦争を善悪二元論から離れたところで、その実態とは何かを客観的な歴史の中で考察している。あの戦争の語り部が少なくなる中で、私たち戦争を知らない世代に伝えられるべき、「大人のための教科書」だ。

「『特攻』と日本人」

著者:保阪正康 発行:講談社現代新書(2007.087刷) 定価:720円 P.228

【コンテンツ】英霊論と犬死に論を超えて/なぜ彼らはを受け入れたか/もうひとつの『きけわだつみのこえ』/体当たり攻撃への軌跡と責任/見えざる陥穽、ナショナリズム/

Img_0001 「彼らの霊は、戦後60年の空間でさまざまに論じられてきた論点や視点にふれたはずだが、私は60年を機に特攻隊論をいちど同時代史の枠組みから解放すべきだと考えている。」と、また彼らは軍事指導者の「十死零生」の戦術のなかで逝った犠牲者だと、彼らの遺稿に触れると涙が止まらないという著者は書く。

 私が幼かった頃に、火鉢を間において祖母は私に「特攻隊員」のことを話してくれた。その頃を思い出すと、祖母の視点もこの本の著者と同様であった。散華した隊員に対しての涙と上層部への憤怒だった。

 2年前の春に、職場の顧客との添乗旅行で、特攻隊の基地「知覧」を訪れた。若く逝った彼らの書いたものを読んだ時、涙があふれた。確かに著者が論じるように、「もし自分があの時代に生きていて、あのような環境に置かれていたら、どういう生き方をしただろうかとの自問は必要である。」という。戦争を知らない世代だからこそ、私たちはそのことを心に刻んでおかなければならない。

「楽しいサッカ-トレーニング」

著者:ハインツ・カ-ドフ、ベルント・キルシェ 訳者:萩原武久 発行:不味堂出版(1987.03第四版) 定価:1240円(当時) P.141

【コンテンツ】ウォ-ミングアップのためのゲーム/体力向上のためのゲーム/技術養成のためのゲーム/戦術養成のためのゲーム/補足練習/

Img  この本は、19804月に初版刊行された。今からすでに28年前となる。その当時は、知識の吸収としてドイツのトレーニング法が基礎となっている時代であったのだろう。ドイツのテキストを基にして訳されたものだ。

いろいろな形式のとスモール「ゲーム」を通して、ジュニア年代のサッカ-の技術、戦術、体力の養成を行う方法とプログラムが記されている。指導の考え方は、楽しみながらトレーニングしようという発想の上に立っている。ジュニア年代には、サッカ-の本当の楽しさを体験できるように指導者はサポートすべきなのだ。

2008年3月16日 (日)

「ゲームで学ぶサッカ-トレーニング」

著者:ジョ-・ラックスバクチャ 発行:ベ-スボ-ルマガジン社(1996.111刷) 定価:1600円(当時) P.174

【コンテンツ】ウォ-ムアップとコンディショニングのためのゲーム/技能トレーニングのためのゲーム/戦術トレーニングのためのゲーム/ゴ-ルキ-パ-のトレーニングのためのゲーム/

Img_3 この本は、「経験の少ない指導者や指導者のいない選手」向きに書かれたゲーム形式のトレーニング法である。「経験の少ない指導者」という言葉にひかれ、10年以上前に買って読んだ。「ゲームで覚えるサッカ-」(過日ブログに掲載)と同様にさまざまなゲーム形式のトレーニング法が紹介されていた。見ているだけで楽しそうなプログラムだった。120の各プログラムの中で、時間、目的、準備、方法、得点方法、アドバイスが明記されており、指導初心者である私にとって大いに役立った。

 プログラムとは別にトレーニングに対しての基本的な考え方を認識させられた。トレーニング計画を立てることの重要性とその際の留意点が書き記されていた。

①選手のことを考慮する ②主題を明らかにする ③漸進的な指導 ④選手を動き回らせる ⑤練習を楽しく ⑥練習を単純に ⑦行き過ぎた指導は行わない ⑧安全な環境を提供する ⑨無駄のないトレーニング方法を取り入れる ⑩ゲームで終える。

「地域スポーツの創造と展開」

編者:厨 義弘・大谷善博 発行:大修館書店(1990.11初版) 定価:2370円(当時) P.317

【コンテンツ】地域スポーツの新しい文脈と新たな視点/豊かなスポーツを生み出す地域スポーツ施設/地域スポーツ活動の集団的基盤としてのクラブと組織/地域文化を生み出し、心ふれあうスポーツを生み出す指導者・プログラム/地域に根ざすスポーツのための条件整備と事故防止/対象者に応じたスポーツの展開と課題/

Img_0001  「地域スポーツの創造と展開」~福岡市からの提言~。15年以上前にこの本を読み多大な衝撃と刺激と影響を受けた。地域スポーツは「創造」するもの、「展開」するものだとその時初めて認識した。地域スポーツのイメ-ジを私に与えてくれた最良のテキストだったと今も思っている。福岡市は提言とした形でこの本を出版した。同市の提言としてこの本で描かれた地域スポーツ像は、如何せん、15年経た今の奈良県スポーツにおいてはそのようなかけらも無いのが現実である。

「ゲームで覚えるサッカ-」

著者:ヴォルフガンク・コッホ、ヴィンフリート・メラ- 発行:あゆみ出版(1993.051刷) 定価:1550円(当時) P.140

【コンテンツ】青少年領域における試合の役割と機能/青少年・ジュニア領域におけるゲーム概念の重点/ゲームに応用できる技術形成/ゲーム形式のトレーニング/ゲーム形式のトレーニングを取り入れる際の留意事項/各種ケ-ム形式トレーニングのプログラム

Img_0002  15前、サッカ-の指導書が市販されていることは少なかった。この本は、スモールゲームのさまざまなプログラムが紹介されていた。ドリル練習だけではなく、スモールゲームをしながら技術・戦術習得ができるとその時初めて知った。ねらい、ゲームの考え方、規則、人数、フィ-ルド、時間、実施回数、休憩等の項目が記載されていた。あまりにも新鮮であった。

●街路サッカ-に戻り ●子どもたちのためのサッカ-広場をつくり ●もっと子どもたちを遊ばせ ●プレ-する喜びを呼び起こす! と「はしがき」に記された言葉が今も焼きついている。

2008年3月15日 (土)

「少年のためのサッカ-トレーニング」

著者:ベネデク・エンドレ 発行:ベ-スボ-ルマガジン社(1990.02) 定価:1800円(当時) P.444

【コンテンツ】子ども時代のサッカ-/子どもと少年サッカ-選手の養成/技術と個人の戦術/チ-ムプレ-の戦術/コンディション/子どもサッカ-教育における方法/ほか

 Img 今から18年ほど前、19902月に出版された、少年を指導する人々への指導書で著者はハンガリー人である。サッカ-プレ-ヤ-を目指す4歳から14歳までの少年たちのためのトレーニング方法および練習方法が記されている。少年サッカ-を指導するにあたって好適な指導者だ。

 無知でしかない私がこの本を読んだのは今から15年以上前になる。今も無知のままであるが、その時、新鮮な驚きであった。本書の一文に「この年代の子どもたち、すなわち思春期の少年たちは常に変化し続け、発達しつつある。仕事を成功裏に進めるために最新の教育・育成作業の原則や方法、年代の特徴を知ることが大切である」と記されていた。15年前、その一文を読んだ時、確かに納得した。


 著者の序論の末尾に「ボールは今日でも転がり、弾み、多くの楽しい体験させてくれるのだ」と記されている。子どもたち、小学年代は、サッカ-への入り口だ。本当の楽しさを彼らにどのように伝え、習得することを促せることができるのか?

2008年3月 8日 (土)

「『ダイヤモンドサッカー』の時代」

編者:ジャパン・ダイヤモンド・フットボール・アソシエーション 発行:㈱エクスナレッジ(2008.02) 定価:2,000円+税 P.444

「日本サッカーの発展はこの番組の存在なくして語れない!」

【コンテンツ】「ダイヤモンドサッカー」とその時代/各界に広がる「ダイヤモンドサッカー」のDNA/「ダイヤモンドサッカー」19681988 全放送記録/ほか

Img_2 「ダイヤモンドサッカー」という海外のサッカーを放映していた番組があった。開始が1968年、その当時は海外サッカーを放映している番組などこのほかになかった。「ダイヤモンドサッカー」こそが、世界のサッカーを知る唯一の窓だった。現在の著名なサッカー人の「ダイヤモンドサッカー」に対する言葉が目次に掲載されている。

「この番組は、僕にとっての教本なんです」 (横山謙三)

「この番組を見ることイコール“頭の体操”だった」 (釜本邦茂)

「今思えば、番組をもう少し見ておけばよかった」 (井原正巳)

「背筋を伸ばしながらブラウン管に見入っていました」 (岡田武史

私も「ダイヤモンドサッカー」をよく見ていた。これが「本場のサッカー」なのか?と驚きの連続であった。今に思えば、それはなぜなのだろう?と考えてみる。ただ単なるサッカーの試合を放映されているものではなく、「文化」を感じたのかもしれない。プレーの内容、試合展開、試合結果だけではなく、スタンド風景、カメラアングル、クラブが所属する町の風景等々、サッカーのゲームのみだけでなく、付加価値をつけて広い意味での「サッカー文化」をその番組は発信していたからこそ、惹きつけられたのかもしれない。

2008年3月 5日 (水)

「禁じられた歌」

~朝鮮半島 音楽百年史~

著者:田 月仙(チョン・ウォルソン) 発行:中公新書ラクレ(2008.02)定価:820円 P.253

朝鮮半島では、日本統治時代には民族意識を高揚させる歌が禁止された。それらの歌にこめられた想いに迫る。

【コンテンツ】アリラン/鳳仙花/春香伝/イムジン江/カスバの女/黄色いシャツの男/ブル-・ライト・ヨコハマ/カスマプゲ/ほか

Img 私は19693月に大阪市立玉津中学校を卒業した。その幾日か前、講堂での謝恩会でクラス毎有志が、舞台に立ち「イムジン河」を歌った。その当時、朝鮮半島の民族の問題を政治的・歴史的な詳しい知識として理解してはいなかった。その歌は北朝鮮の歌で、歌詞に不具合があって朝鮮総連から抗議があり、結果として発売禁止となった。南北分断のかなしみの歌だと知ったのは高校生の時だった。

「イムジン江」の章の末尾に「イムジン江の流れよ。いつの日か引き裂かれた人々が再会を果たし、苦悩する歌たちが解き放たれ、喜びの歌となるのを見届けよ。そしてその時、私たちは再びイムジン江を歌おう。なんの疑いをもたなかった、あの日の放課後のように・・・・。」と著者は書く。

民族が分断された歴史のなかでの美しい歌が、私の無知をあぶりだす。人ごとではなく、民族が違えども、もしかしたら、そのような歴史を歩まされたかもしれないということを我々は忘れ去ってしまっている。

2008年3月 1日 (土)

「コ-チング」

著者:武田健 発行:誠信書房(1993.01) 定価2,000円 P253

【コンテンツ】コーチの反省/コーチングの心理学/模倣・リラックス・イメージ/やる気の条件/コーチ雑感

1993年だった。季節は定かではない。大阪梅田の旭屋書店で書棚を探していた。キーワードは「サッカーの指導」だ。この本の背表紙が目に入った。「コーチング」?「指導」という言葉ばかりに気がとられていた。「コーチング」=「指導」と連想し書店の本棚からその本を手に取った。

Img_0004 著者名を知った。武田健氏、あの関西学院大アメフト部のヘッドコーチ? ヘッドホンを耳に掛け戦況を収集し指示している姿をテレビでみかけた記憶がその時よみがえってきた。関学のアメフトが好きだった。あの人が心理学者だったのかと、その時初めて知った。表題は「コーチング~人を育てる心理学」。中身も確認せず、迷わず購入した。

自宅への帰りにJR大阪環状線の電車の中でその本を開いた。第1章は「コーチの反省」だった。読み始めた途端にこの文章が目に入った。

「私たちは指導者になったとたんにかつての自分を忘れ、上から押しつける人間になるのだろう。周囲の人も、指導者にそうした権限をゆだねているかのようである。だがうっかりすると、「監督」とか「課長」あるいは「先生」と呼ばれているうちに、自分に途方もない力があるかのような錯覚に陥ってしまうのではないだろうか。それほどでないにしろ、指導的立場におかれると「彼らはまだ何も知らないんだ」「「俺が教えてやらなくては」といった気持ちになってしまう。このために相手の意見や気持ちを無視しがちである。」

確かにそうだと思った。指導する側となるならば、そのようなことは自戒する必要がある。その言葉を信じた。それが子どもたちへの接し方へのスタートとなったと同時に、職場での姿勢として生きた。「コーチング」はスポーツ指導だけでなく、子育て、職場関係にも生きた。この本は私にとって、「子どもたちへのスポーツ指導」の枠を超えた「コーチング」という言葉と意味を教えてくれた大切な本のひとつだ。

「少年サッカーの指導」

著者:加藤久 発行:雪書房(1990.10) 定価:1.200円(当時) P.177

【コンテンツ】少年指導の理念/少年指導のポイント/基本技術の指導/少年の技術・判断力を伸ばす練習法/少年サッカ-の現状/少年の健康管理

Img_0003  1991年頃にこの本を買って読んだ。その当時の市販されている少年に関しての本格的な指導書はこの本が唯一のものであった。第1章「少年指導の理念」のページを開いた。購入して読み始めた時、素直に新鮮な驚きだった。導入部がサッカーそのものではなかった。スキャモンの発育曲線から見た少年期、脳の発達から見た少年期、少年期の遊びの必要性、遊びの持つ不思議な力、スポーツの役割、勝つことと育てること、よい指導者の条件、サッカーの魅力、少年サッカー指導者の役割、等々と続き多数の練習マニュアルが写真入りで掲載されている。

子どもたちに何が必要かを理論的でありながら平易な文章で書かれている。素直に受け止めた。当時、確かに大人の視点の大人のサッカーを子どもに伝えている現況があった。今もそのような現況が続いているのかもしれない。この本は私の無知と無能を戒めてくれた本だと思っている。

20年近くたっても、私にとっては根本的なところで古さを感じさせない。この本の中で、子どもたち自身にとってサッカ-の楽しさは次のように分類されると書かれている。その言葉は、この本を読んでから20年近くになるが、今も自分自身の心の中に根付いている。

     体を動かす楽しさ 

②できないことができるようになる楽しさ 

③指導者や時間に認めてもらう楽しさ 

④ライバルに勝つ楽しさ、試合に勝つ楽しさ 

⑤仲間や指導者と協力する楽しさ 

⑥自分自身に打ち克つ楽しさ

「サッカーのコーチング」

編者:多和健雄ほか 発行:大修館書店(1988.08) 定価:2,369円(当時) P.402

【コンテンツ】サッカーコーチに必要な資質/サッカーコーチに必要な知識/サッカーに要求される競技力/サッカー技術のコーチング/コーチング計画に関する実際/ゲームに関するコーチング/年齢に応じたコーチング

子どもたちのサッカーに関わり始めた頃。昔の経験だけで自分勝手な思いで子どImg_0002 もたちに接してはいけないと思い、指導書を捜すため本屋をめぐったが無いに等しかった。やっとのことでこの本を見つけた。その当時むさぼるように読んだ。121988年となっているので、恐らく1991年頃に購入して読んだ。今では日本サッカー協会から指導指針も発行され、さまざまな関係書籍が発刊されている。しかし体系的な本は発刊されていない。この本は日本人がしるした唯一の体系的なサッカーのコーチングに関しての書籍だ。

今から20年以上前のこの本の中に次の一節がある。

「身体的・精神的発達と運動技能(サッカーの技術)の発達過程を考慮して、発育段階に応じた効果的な指導をすることが不可欠である。」

「チャナディのサッカ-」

著者:アルパド・チャナディ 発行:ベースボールマガジン社(1989.12) 定価:6000円(当時)P.729 

 ハンガリ-の指導者であるアルパド・チャナディの世界十数カ国で翻訳された729ペ-ジにわたる体系書である。日本語版は初版19844月、手元にあるのは第2版1Img_0001198912月版だ。明確な購入日時はわからないが、恐らく1991年頃に購入したと思う。定価が6,000円だった。今では書籍・ビデオ・DVDなど情報収集には事欠かないが、その当時は体系的なサッカ-指導書など少なかった。この本は、その当時、指導のことについて無知な私にとって座右の書籍のひとつだった。

「サッカ-において優劣を決定するのは、チ-ム・フォメ-ションよりもむしろプレ-ヤ-の経験とその技術水準である。なんとしても必要なのは能力を備えたプレ-ヤ-なのである。」 (アルパド・チャナディ)

2008年2月22日 (金)

Books 「『武士道』を読む」

著者:太田愛人/発行:平凡社新書(2006.12)/定価:780円+税/P.246

~新渡戸稲造と「敗者」の精神史~

日本人論として『武士道』は多くの人に読まれている。危機の時代にこそ甦る。

Img_0002 【コンテンツ】新渡戸稲造が架けた橋/新渡戸稲造の生涯/[敗者]の精神史/『武士道』と南部藩士/いかにして『武士道』は生まれたのか/『武士道』を読む/『武士道』への批評とその余波/「サムライ」の系譜

新渡戸稲造『武士道』は1900年(明治33年)にアメリカにおいて英文でもって出版され欧米人に大反響をもたらした。明治維新の戊辰戦争において、会津藩と同じく賊軍となった南部藩の藩士の子として新渡戸稲造は生まれた。若かりし頃からキリスト教徒であり「願わくは われ 太平洋の橋とならん」という志を抱き実践した。

Img_0001 「武士道」と聞けば、山本常朝「葉隠」の中にある「武士道とは死ぬこととみつけたり」という言葉を思い浮かべるが、新渡戸稲造が書いた『武士道』は「人に勝ち、自分に克つ」ための人としての指針を示している。生きるための哲学が記されている。「『武士道』を読む」は、「賊軍」、「敗者」である南部藩で生まれ育ったという視点から新渡戸稲造を読み解いている。危機的な今と言う時代にこそ『武士道』は輝く。


「十和田市立新渡戸記念館」公式サイト

2008年2月10日 (日)

Books 「いま、きみを励ますことば」

著者:中村邦生/発行:岩波ジュニア新書(2007.11)/定価:740円+税/P.196

~感情のレッスン~

人生のさまざまな局面で経験する感情の起伏や気持ちの変転、古今東西の文学作品のことばの中から、多様な人間模様や感情のありよう」を紹介し解説されています。

【コンテンツ】きみの涙の理由は/人を愛する時/驚きとおののき/大人の世界とは/、斜に構えた考え/自分を信じること/

Img_2 中学生年代の子どもたちに薦めたい本である。文学作品から引用されたことばを読んで、生きることとは何かと考えて見ることができる。「人間は考える葦」であるということばがある。「考える」ことが人間の強みである。この本の最初に、「きみの涙の理由は」の章の冒頭に、このようなことばがあった。「世界の涙の総量は普遍だ。誰か一人泣きだすたびに、どこかで、誰かが泣きやんでいる。笑いについても同様だ。」(サミュエル・ベケット「ゴド-を待ちながら」。中学生諸君の読書案内としても最適な一冊だ。

Books 「昭和陸海軍の失敗」

発行:文春新書(2007.12)/定価:740円+税/P.231

「彼らはなぜ国家を破滅の淵に追いやったのか」「エリートを語ることで見えてくる日本型組織の弱点!!」

Img_0001_2 【コンテンツ】派閥抗争が変革をつぶした/エリート教育システムの欠陥/天才戦略家の光と影/良識派は出世できない/成功体験の驕りと呪縛/良識派は孤立する/敵は米国よりも陸軍/

戦前・戦中の軍という組織の中で、エリートたちは何を考え、何を誤ったのか。人材を通して日本型組織の弱点として見えてくるものは、むかしの問題ではなく現在の問題でもある。「文芸春秋」で反響を呼んだ座談会の内容が新書本として出版された。

2008年2月 9日 (土)

Books 「あの頃、あの詩を」

編者:鹿島茂/発行:文春新書(2007.12)/定価:760円+税/P.243

「昭和30年代~40年代の中学校の国語教科書に掲載された中から111編を収録」

【コンテンツ】宮澤賢治/高村光太郎/北原白秋/三好達治/島崎藤村/室生犀星/ゲーテ/ヘッセ/ホイットマン/ほか

Img_0002  東京・神田神保町在住の仏文学者である著者が編集した名詩111編が収録されているアンソロジーである。「きっと、その中から、私たちがとうの昔に忘れてしまった『失われた時』が見いだせるにちがいありません。」と編者はまえがきで記した。何篇かの誌を読むと、確かに「失われた時」が浮かんでくる。「からまつの林を過ぎて、からまつをしみじみと見き。からまつはさびしかりけり。たびゆくはさびしかりけり。」(北原白秋)

2008年1月19日 (土)

Books 「サ-ブ&ボレーはなぜ消えたのか」

著者:武田薫/発行:ベースボールマガジン社新書(2007.11)/定価760円+税/P.197

「ボルグvsマッケンロー」伝説がいま成立しえない理由」 「あれほどいたサーブ&ボレーが姿を消し、世界中から集まった若者がベ-スラインからの打ち合いを始めた・・・・そのことは、この四半世紀の社会構造の変化とぴったりと重なる」

【コンテンツ】 消え行くサーブ&ボレーヤー/サーブ&ボレー以前とテニスの生い立ち/敬遠されたサーブ&ボレー/テニスは儲かる!/オープン化と混沌の時代/オリンピック復帰とサーブ&ボレー/歴史に消されたサーブ&ボレーヤー/フェデラーという終着駅/

 冒頭の「芝の踏み跡が物語るもの」の中で「ウインブルドンは、テニス選手にとっていつの時代も変わらない究極のゴールであり、それほど偉大な存在である」。その芝生の踏み跡が変化してきている事実を見て、かつては「ベ-スラインの横線に加え、センターラインに沿った縦の線が露出し、さらにサービスラインの横線も茶色の地肌を見せていた。ネットを対称軸に描かれたエ型の砂文字は当時の選手たちが盛んに前へ出ていった痕跡であり、縦の線が消滅した横一線の背景は、サーブ&ボレーという戦術の後退を意味している」と。

 ウインブルドン・センターコートの19801985年と2007年の写真が掲載されていた。大会で酷使された芝は素直である。そのことはテニスの歴史の変遷の確かな事実を私たちに教えてくれた。

2008年1月15日 (火)

Books「昭和維新の朝」

著者:工藤美代子/発行:日本経済新聞出版社(2008.01)/定価:1,900円+税/P.350

~二・二六事件と軍師 斎藤瀏~
暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたうわが子守うた(斎藤史、昭和11年)
「青年将校の叫びは天皇に届いたのか。長き昭和が終わり、ついに和解の時・・・・

【コンテンツ】 宮中歌会始/自然児・瀏の流転/日露戦争と明治日本/軍都旭川/済南事件始末/野に放たれた瀏/亀裂する軍閥/維新前夜/雪の朝/処刑の夏/終戦、天皇の「人間宣言」/和の歌/  

 歌人・軍人であった斎藤瀏 陸軍少将、女流歌人・斎藤史の父と娘の波乱に満ちた生涯を描いたノンフィクションである。「二・二六事件」の幇助罪で逆賊の汚名を受けた父、首謀者として処刑された幼馴染の青年将校二人、彼らの想いを斎藤史は歌い、昭和15年に第一歌集「魚歌」が出版された。 戦後も、昭和天皇に背いた「叛乱・逆賊」の娘としてのままの永い歳月、歌を詠み続けた  

 1994年(平成6年)5月85歳の斎藤史が宮中晩餐会に招かれた。天皇は彼女にお声を掛けられた。「お父上は、斎藤瀏さんでしたね、軍人で・・・」 そのお声を聞き、「二・二六事件の叛乱の男です」などとは言えないので、彼女は凛として、「初めは軍人で、おしまいはそうでなくなりまして。おかしな男でございます」と答えたそうだ。  

 1997年(平成9年1月、斎藤史88歳の時、宮中御歌会始の召人に選定された。召人とは、天皇からただ一人召されて御題を歌う者である。ご本人は辞退しようかどうか迷われたそうだ。だが周囲の薦めもあり宮中に参内した。  その日、宮殿松の間への大階段を登っている時に、「私はもう一人の人と、今日はこの階段を登っているのよ」と声を発したという。歌会始の儀式で、彼女の歌が詠まれた。
 野の中にすがたゆたけき一樹あり風も月日も枝に抱きて  

 歌会始の儀式が終わり控え室で、「実はね、さっきこの階段を昇る時、向こうの庭に軍服姿の連中が並んでいるのが見えたのよ」「その姿が『「兵馬俑』にも似ていた」「ああ、これで長い胸の思いが晴れました」と傍らの者にささやいたという。  

 その控え間に天皇・皇后両陛下がねぎらいの言葉を掛けに来られ、彼女にお声を掛けになった。「お父上は瀏さん、でしたね・・・・」と。彼女は父の名を覚えていてくだされば何も言うことはないと思えたという。彼女は最後の歌集でその時の日のことを詠んでいる 「おかしな男です」というほかなし天皇が和やかに父の名を言いませり  

 斎藤劉は長野生まれで1953年(昭和28年)7月、享年74歳、「叛乱・逆賊」の汚名を受けたまま長野市で逝去した。60年もの間、昭和天皇に背いた「叛乱・逆賊」の娘としてのままの永い歳月、齋藤史は歌を詠み続けた。最後にすべてが溶解し、「叛乱・逆賊」の汚名が自然と流れ消え去った。歌人・斎藤史という凛とした女性は2002年(平成14年)4月、長野市内の病院で、93歳の生を全うされた。  

 久しぶりに我を忘れて夢中になって本を読んだ。地道な筆で著作としてまとめられたこと、また私の知らない世界を伝えていただいた著者に敬服jするとともに感謝したい。

2008年1月13日 (日)

Books「松田聖子と中森明菜」

著者:中川右介/発行:幻冬社新書(2007.11)/定価:820円+税/P.318

「相反する思想と戦略を持った二人の歌姫は、80年代消費社会で圧倒的な支持を得た」 「日本最後の歌姫の孤独な闘いの物語」 「あなたはどっちが好きだった?」

【コンテンツ】 夜明け前/遅れてきたアイドル/忍び寄る真のライバル/阻まれた独走/激突/前衛と孤独/宴のあと/

 二人の音楽CDを買ったことはないが、1980年代テレビを通じて二人の歌が聞こえてきていた。その年代のス-パ-アイドルであったことは間違いない。確かにプロダクションのプロモ-トがあったわけだが、それに対抗するかのような強烈な個性が両者に存在したからこそアイドルになりえたのだろう。対照的な二人である。

 「あなたはどっちが好きだった?」と問われれば、「どちらも嫌いではない」と中立的に答えるしかない。「二人が歌った曲で、何が一番好きだった?」と聞かれれば、中森明菜が歌った加藤登紀子作詞・作曲の『難破船』をあげる。

 

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