Books

無料ブログはココログ

2008年10月 7日 (火)

「淡路青少年交流の家」グラウンドからの風景

Photo Photo_2








 「淡路青少年交流の家」のグラウンドに立つと、山の上の建物と風力発電のプロペラが視野に飛び込んできた。のどかで牧歌的だ。他のチームの指導者に聞いた。
「あの山の上の建物は何ですか?」
「ホテル、ニューアワジです」
そうかホテルなんだ。見晴らしのよい場所なのだろうか? そこからは眼下に海を望むことができるのだろうか? 露天風呂はあるのだろうか?と思い描いていた。

 「プロペラ」のイメージは「少年」だ。青空を背景に、風を巻き込み流れを作り出す。「風力発電」「プロペラ」の風景を見ていると、宮澤賢治の「イーハトーブ」という言葉が脳裏に浮かんだ。

Photo_3 Photo_4








 淡路島に居るのだが、どこか信州の小さな美しき村を思い描いていた。松の木々の中を歩きながら、上高地、涸沢、穂高に出かけてみたい気分になった。

2008年9月21日 (日)

三国町郷土資料館 「龍翔館」のリフレットを見て

Photo_2  机の中のファイルの片隅から三国町郷土資料館「龍翔館」のリフレットが出てきた。15年以上前に家族で訪れた時、同館で頂いたものだ。オランダ人G・A・エッセル設計の五層八角の個性的な建物が目に焼きついている。今年の夏、テクノポート福井スタジアムでサッカー観戦した帰路、九頭川にかかる橋を渡った時、山あいにその特徴的な建物が見えた。時間がなかったので、再訪できなかった。「お前は、なぜ立ち寄らなかったのか?」とそのリフレットが私に怒りのメッセージを贈っているのだろうか?

「みくに 龍翔館」公式サイト

2008年9月11日 (木)

画家・東郷青児のステンドグラスを見損じた!

 長野市内に「犀北館(THE SAIHOKUKAN HOTEL)」という老舗のホテルがある。名前と場所は知ってはいたが、時間の都合で立ち寄ることができなかった。信州から奈良にもどり自宅のWebサイトを検索して見た。「しまった!」と思った。そこは、画家・東郷青児の作品であるステンドグラスが飾られているという。見損じた!!

 昭和の竹久夢二といわれた抒情画家だ。東京・新宿にある「東郷青児美術館」を訪れたことがあった。その描く女性は独特な魅力を発している。彼が創作したステンドグラスがそのホテルにあるなど知る由もなかった。後の祭りだ。彼の作品が、ホテルのロゴマークになっている。次に長野の町に訪れる時には必ずに見たい。

「THE SAiHOKUKAN HOTEL」公式サイト

「東郷青児と犀北館」Webサイト

「東郷青児美術館」公式サイト

その町で一番良く見かけた広告

Photo  9/7(日)早朝のJR長野駅西口前の広場、ボランティアなのだろうか、集団で清掃をしていた。ふと、ビルを見上げるとその壁面に、この写真の大きな広告があった。「あれ?高島礼子やんか!」。少し、右を見ると、また、その広告があった。なにげなく、デジカメのシャッターを押した。「高島礼子 アールエフ」。その日、確かに女神は微笑んだのだ。

 長野の町を歩いて、幾度もこのポスターを見かけた。大阪・奈良で近鉄電車に乗ると、竹下景子のポスターを良く見かける。長野の町で高島礼子を広告に起用している「アールエフ」とはどのような企業なのか、その時は知る由もなかった。

Photo_2  奈良の自宅に帰って、「アールエフ」という企業が気になった。Webサイトで検索した。その会社概要を見た時、信州の独自性ある企業だと印象付けられた。なぜ、その企業が高島礼子をイメージとして起用したかは定かではないが、私には、「高島礼子」と「アールエフ」がイメージとして合致した。「あの頃夢見た“未来”に一番近い場所」というフレーズに惹かれるとともに、その企業に好感を抱いた。

「株式会社アールエフ」公式サイト

2008年9月10日 (水)

街角で見た応援ポスター

Photo_15 9/8(月)昼下がりに、善光寺表参道を歩いていると、「ガンバレ! AC長野パルセイロ」という応援ポスターが目に入った。そこは「長野ケーブルテレビ」の事務所&ショップだった。入り口から中をのぞくと、「パルセイロのオフィシャルグッズ」が並んでいた。ひとりカウンターに向って座っている若い女性と目があった。わが風体を思い描き、恥ずかしくて入ることができずじまいだった。

停車中の「しなの18号」で乾杯したい気分だった!

 9/8(月)15:00、JR長野駅発「しなの18号」に乗るため、ホームに下りた。14:30、すでにその列車は入線していた。車内に入り座席に座った。出発までには30分あった。クーラーが効いて心地よい。停車中の列車の窓からホームを眺めた。丁度目の前が売店「駅弁屋」だった。ちょっと前に駅近くの「大阪王将」で生ビールを飲んだが、体はすばやく反応していた。車外に出て、長野の地ビールと森永製菓の「小枝秋味」を買った。

 停車中の車内では、私と同年輩のスーツ姿のビジネスマンが、パソコンを開きキーボードに向っていた。私は、トレーニングウェア姿で、「3種のパフの実りの味わい」である「小枝秋味」をつまみにビールを飲んでいた。平日に同じ時間を過ごしているのだが、彼は日常、私は非日常。しかし、彼と私は本当は同類なのだ。私の日常も彼と同じような時間を過ごしている。「ビールでもいかがですか?」と勇気を出して声をかけ、「お互いの人生に乾杯!」とすべきだったのだろうか。

その建築は芳しさを発していた

Photo_14  9/8(月)朝、ふたたび善光寺参りをした帰り道、表参道大門あたりで、一つの建築が視野に入った。即座に私の臭覚が反応した。何なのだろう?この建築は? 戦前のものか? 門前になぜ西洋建築が? 誰が建築したのだろう?

 道路を渡り、玄関前に立った。トレーニングウエア姿では入りずらい程に格式を感じた。気弱な男は外からいろんな角度でその建築を眺めた。玄関前に道行く人用にリフレッットが置かれていた。すばやく手にとり、中を読んだ。やはりそうかと自分自身で確認した。

 「国宝・善光寺の門前。緩やかな勾配のその先に佇む、長野屈指の老舗“御本棟 藤屋旅館”。」は、1648年創業、1925年その建物は建築され、内部はアール・デコと数奇屋造りの様式美だとそのリフレットには記されていた。建物の中に入れずじまいだった。

「藤屋御本棟」公式サイト

裏参道はずれの無縁仏

Photo_13  9/7(日)早朝に、善光寺裏参道のはずれを歩いていた。草の中に無縁仏の墓石があった。表参道の賑わいとは対照的な佇まいだ。無名のまま生き、死した人々、さまざまな事情があるのだろう。無縁仏にそっと手を合わせた。

17歳の夏、どこに泊まったのだろう?

 初めて信州を訪れたのは、高校2年生の学年旅行の時だった。1970年、まだ学生紛争が高校にも飛び火していた時期だった。授業や修学旅行も見直しをされた。授業は一斉授業の中にグループ学習が取り入れられた。その年、修学旅行はなく、夏の学年旅行となった。全員が一緒に観光し行動する旅行ではなかった。歴史、地理、地学等のコースが設定された。クラスも関係なしに、各自がそのコースのいずれかを選択する。私はどのコースを選択したのか、恐らく地理コースだったと思う。

 それぞれのコースで初日は、松本近辺、美ヶ原、霧が峰を巡る。私たちは美ケ原・霧ケ峰を学習しながら歩いた。一日中歩いていたような記憶がある。一日目の宿泊は白樺湖畔だった。二日目に学年全員が長野・善光寺に集合した。その夜、私たちは全員が善光寺前の宿坊に分宿した。あの日、私たちは夕食後、クラスメートがいる宿坊を巡り、楽しい夜を過ごした。

 その夏の学年旅行が私に「信州」という地の魅力を脳裏に焼き付けた。私はその日どこに泊まったのだろう?宿坊の名を記憶していない。仁王門前まで続く宿坊を一軒一軒眺めながら歩いた。その宿坊はどこだったのだろう?

Photo_5 Photo_6 Photo_7 Photo_8 Photo_9 Photo_10 Photo_11 Photo_12

早朝、牛にひかれて・・・・

Photo Photo_2 Photo_3 Photo_4





 9/7(日)早朝に善光寺に詣でた。静けさが漂っていた。善光寺は長野の町のシンボルだ。日本最古の仏像である「一光三尊阿弥陀如来像」を本尊とする。飛鳥時代642年に創建後11回もの火災にあい、そのたびに復興された。人々の想いを受けた勇壮な国宝建築である本堂に魅了された。

 創建当時は宗派が発生していない時代だったのだろう。今でも善光寺は、いかなる宗派、男女の区別のない一切衆生救済の寺だ。本堂内に入ると、早朝にも関わらず私と同年輩らしき女性がそっと手を合わせ祈っていた。その姿は美しかった。

最近の写真

  • Img
  • Img
  • Img_0001
  • Img
  • Img
  • Img
  • 生駒山ケーブルカー
  • 20091206_050
  • 20091206_044
  • 20091206_040
  • 20091206_038
  • 20091206_035