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2008年12月13日 (土)

子どもたちは、美しい建築に見守られながらサッカーに興じていた!

Photo_2  12/6(土)午後、松本市・開智小学校グラウンドで、子どもたちはボールと戯れていた。サッカーチームなのだろう。コーチが何人かいた。重要文化財・旧開智学校を望みながらボールを追いかけていた。美しい建築がある風土の中でボールを追いかけている子どもたちには、今、そのことの豊かさを感じとることは出来ないかもしれない。しかし、時が経てば経つほどに、振り返った時にその時間がどれだけ豊穣な時だったかを、どこにもないすてきな風土であったかを感じることだろう。

2008年12月12日 (金)

旧松本カトリック教会司祭館

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 12/6(土)午後、旧開智学校を立ち寄った後に、隣接する青の建物が目に入った。熱いコーヒーでも飲みたいと思い、その建物中に入ろうとした。てっきり喫茶店だと思いこんでいた。入り口で一生懸命に掃除をしているおばさんに会った。完全に錯覚していた。そこは、「旧j松本カトリック協会司祭館」という長野県の、「県宝」に指定されている重要な建物だった。

 明治22年に建築された西洋建築だ。アーリーアメリカン様式が、まるで喫茶店かレストランに見間違えてしまった。不覚であった。青が鮮やかな色合いを醸し出した素敵な建築だった。

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2008年12月 9日 (火)

嗚呼! 「あがたの森」

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 嗚呼!わが若き日の憧れであった。古臭い人間なのだろう。かつての旧制松本高校、その継承大学としての信州大学に憧れを抱いていた。ただ憧れを抱くだけで、努力を怠り今に至る。ただ、今も憧れは心の中で抱き続けている。だからこそ、「あがたの森」、その地を訪れた。

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 松本城から徒歩で20分ほど歩いた。旧制松本高校跡地の「あがたの森」へたどり着く。もうすでに夕暮れ時だった。若かりし頃に、旧制高校の雰囲気に憧れた。一番は旧制松本高校だった。信州大学へ進学したいと想いを抱いていた。

 第二番目は第四高等学校の系譜の金沢大学だった。想いだけで努力を怠った。いや想いほどには自分自身の能力はなかった事実がある。あれから、幾星霜、己の能力、努力の無さを認識しながらも、愚かにも今もなお憧れ続けている。笑止千万と言うことしかない。

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 木々の中に旧制松本高校跡地の碑があった。「われらの青春ここにありき」。わが憧れの地に立ち、他者がなんと言おうと、外見は変われども今もなお、あの憧れを抱いた日々と、それほど変わっていない55歳の自分自身がそこにいた。

旧開智小学校に佇みて

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 旧開智学校は明治時代表的な洋風建築で地元出身で東京で西洋建築を学んだ大工棟梁の立石清重により設計、建築された。重要文化財である。信州の地にこの建築が存在していることに不思議な喜びを感じる。

 かつて隠れキシリタンという人々がいた。いかなる迫害にも信念を曲げず信仰を貫いた。その人々とも比べようも無いほどに俗物、卑小な存在かもしれないが、少なくと私は、やまとまほろば奈良に住みながらも、隠れ信州人といえるほどに信仰のようなものを抱き続けている。旧開智小学校の青の彫刻を仰ぎ見ながら今想う。

2008年12月 8日 (月)

松本城天守閣の中へ

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 月見櫓から信州の山並みと青い空、白い雲を眺める。夜になれば、月見には格好の場となるのだろう。一度はこの月見櫓から、盃を手に夜空に妖しく照る月を見てみたいものだ。

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 天守閣jの最上部・天守六階まで狭く急な階段を登りたどり着いた。東の窓から眼下に本丸御殿跡を望む。彼方になだらかな山並みが背景として美しい姿を醸し出している。

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 天守六階から上を見上げた。井桁張梁でガッチリと組まれ、天井には松本城を守る「二十六夜神」が祭られていた。何百年もの間、松本城を見守り続けていたのだろう。

2008年12月 7日 (日)

国宝「松本城」の雄姿

 12/6(土)昼すぎ、松本城へ出向いた。現存する国宝天守閣は、姫路城、彦根城、犬山城、そして松本城の4つだ。烏城と呼ばれ、その姿は美しい。さまざまな角度から天守閣を眺めた。国宝「松本城」天守閣の雄姿を写した。

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2008年11月27日 (木)

「潜水隊」に出会って

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 11/23(日)、紀伊田辺・天神崎の海岸で「潜水隊」に出会った。「潜水」を今流に言えば「スキューバダイビング」というのだろう。そのカタカナ語はかっこよすぎる。やはり「潜水」だ。何人か集まれば、「隊」になる。天神崎で出会ったのは、私のとっては、まさに「潜水隊」だった。外見はカラフルでかっこよくもなかったのだろうが、海から上がり重い酸素ボンベを担ぎ、黒いウエットスーツのまま歩む姿は、人から見れば滑稽な姿なのかもしれないが、少なくとも私はそうは思わない。

 「かっこ悪いことは、なんてかっこいいのだろう!」 昔、昔のあるフォークシンガーの言葉だ。逆説的な美学なのだ。彼らは若者ではない。中高年の男女である。「潜水隊」、その後姿に彼らの生きている想いを感じた。天神崎で出会った無名の「潜水隊」に讃歌を捧げたい。

2008年11月25日 (火)

紀伊田辺駅をあとにして

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 11/23(日)14:30紀伊田辺駅に着いた。まだ時間があったので、改札口前のいすに座っていた。ポスターや看板を見ながら時を過ごしていた。そうか、ここは今注目を浴びている「熊野古道」の「中辺路」への入り口なのだ。「口熊野・田辺」という看板の意味を理解した。

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 15:00改札口を入り、ホームの5号車の乗車口前で待った。駅・ホームという場所はいつも心惹かれる。この場所からどこかへ旅立つ人、どこからかこの場所に降り立つ人、人生が交差する場所なのだ。

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 15:04発、特急「くろしお22号」がホームに入線してきた。後ろ髪を引かれる気分で乗車した。座席にすわると目の前に、可愛いパンダが微笑んでいた。

武蔵坊弁慶のふるさと

Photo_8  私はまったく無知であった。紀伊田辺は、武蔵坊弁慶のふるさとであるという。駅前には弁慶の銅像が建っていた。京都・五條の橋の上で、源義経と出会い、その後、生涯を義経に仕えた。最後は、「弁慶の立往生」と言われ、義経を守り、矢を受け立ちながら往生したと伝えられている。その弁慶のふるさとがこの地であるとは知る由もなかった。

最後は、やはり温泉だ!

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 「かんぽの宿紀伊田辺」へ立ち寄った。目的は温泉だった。館内に入ると、すでにサンタクロースがいてクリスマスモードだった。日帰りプラン700円を支払って5Fの大浴場へエレベーターを利用して登った。

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 5Fでエレベーターを降りると眼下に海が広がっていた。大浴場はあちらという案内板に沿って行くと、窓越しに海がより大きく見えた。浴室からの眺めも抜群で、青空の下に露天風呂があった。いい湯だった。浴室を写真に写そうと思ったのだが、幾人もの人がいたので、羞恥心から抑制した。残念であった。

「かんぽの宿 紀伊田辺」Webサイト

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