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2008年5月 5日 (月)

今日は日枝中学校へ

 5/5(月)は湖南市立日枝中学校へ、ソレステジュニアユースのマイクロバス運転手として出かけてきた。今日、朝7:00にソレステバス駐車場を出発した。日枝中学校横に着いたのは8:30だった。道路沿いに校舎・グラウンドが見えた。誰もいずに閑散としていた。道路沿いには入り口があるがポールで塞がれていた。他の入り口をさがしたが、いくら考えても校内に入るところがない。目の前なのに入れないとは、可笑しいなあ!と思いながら、確かによく見ると、バスを止めている道路の下をくぐって左側に校門へと続く道があった。この道に出るのはどうしたらいいのか?
 校内に誰かいるかもしれないと思い、選手に歩いて聞きに行かせた。一人の壮年の方が校内からバスに向かって歩いてこられた。ここからは入れない、ずっと遠回りしてしかはいれないことを教えていただいた。「この道路の下をくぐった道へ出てきてください。ここからしか入れない。ここへ出てくるのに10分くらいかかります。迂回してください」と詳細に迂回路の説明をしていただいた。聞いたがはっきりと理解できなかった。眼前に目的地があるにもかかわらず、まるで迷路をたどるような気分だった。山勘で迂回しながら同中学校校門にたどり着いた。
 日枝中学校の先生とグラウンドで立ち話をした。多くの人が迷われると聞いた。その方が初めて同中学に赴任された時に、迷った挙句にやっとたどり着いたことも話された。また、以前に二名中学校へ試合に来られた時、「あそこも解りにくいかった!」と。確かにそうかもしれないと思いながら、目の前に見えながら行けないことほどショックなことはない。今朝一番は巨大迷路で遊んだようなものだった。

「湖南市立日枝中学校」公式サイト

2008年5月 4日 (日)

高槻ジャズフェスティバル

 5/3(土)・4(日)に大阪府高槻市で「高槻ジャズフェスティバル」が開催されている。長女から幾日か前にメールをもらった。ライブに出演するという。行きたいと思ったが、何分夜遅い時間と、滋賀へ行かなければならないという理由で断った。娘は趣味でドラムをたたき続けている。結婚式でも、花嫁衣装のままドラムをたたいていた。父親としては、恥ずかしい気持ちと、自由に生きていけばよいという気持ちが入り混じった複雑さがあった。好きなことは、打ち込めばよい。二度とその若き日は体験できないのだから。

「高槻ジャズストリート」公式サイト

滋賀県・石部へ

 5/4(日)、第21回鹿深中学生サッカーフェスティバルへ参加するため、ソレステバスの運転手としてジュニアユース2年生18名を引きつれて、滋賀県湖南市立石部中学校へ出向いた。往復路とも静かな車内であった。往復3時間、子どもたちを乗せて、マイクロバスを運転することであったとしても、クラブに対して、ささやかなサポートができる。自分自身で、その積み重ねが、何かの成果を産むと信じている。
 マイクロバスのフロントガラスから、石部の町を見た。その町の雰囲気が何かを匂わせていた。気になって、自宅に戻った折にWebサイトで検索した。その匂いは、宿場町としての歴史の匂いだった。

「湖南市観光ガイド ぶらりこなん」公式サイト

2008年5月 3日 (土)

愛媛・北条スポーツセンターの夜に

 もう8年前になる。スポーツ少年団の認定育成員の資格取得のために、愛媛県・北条スポーツセンターへ出向いた。一泊二日だった。夕食を食べた後、夜の講義が終わり、受講生の部屋の一室で歓談をしていた。就寝しようと思い、自分の部屋に戻ろうとした。共有スペースにある机に向かっている初老の男性を見かけた。別に話しかけずに通り過ぎても良いのだが、気になって声をかけた。
 その初老の男性が私に語りかけた。その要旨は、孫がスポーツ少年団に入った。その男性は定年を迎えた。スポーツには今まで関わらなかった。でも、孫が始めたので、いろんなことを知りたいと思い、ここにやってきたのだと、関わっていなかっったから、人よりも時間をかけて学ばなければならないのだと私に話をしていただいた。
 その男性の机に向かい、ペンを持ちノートに何かを書いている姿が、今も目に浮かぶ。人は、どんな状況に置かれても、学ぶ姿勢だけは失ってはならない。名もないその人の後姿を見て、私はそのことを肝に銘じた。

2008年5月 2日 (金)

「南方熊楠顕彰館」

 11/22(土)・23(日)に更新講習会で紀伊田辺へ行くことにしたが、ちょっとしてから、ビールを飲みながら思い出した。紀伊田辺は、日本が生んだ博物学者・民俗学者の南方熊楠(みなみかた くまぐす)の故郷である。更新講習会のカリキュラムを確認すると、二日目の午前で終了する。午後はフリーだ。「南方熊楠顕彰館に立ち寄ろうと思う。まだ夏も来ていないのに、初冬の計画など気が早いかもしれない。ただ、更新講習会だけでなく、もうひとつ楽しみが増えた。

「南方熊楠顕彰館」公式サイト

初冬には、また更新講習会

 スポーツ少年団認定育成員の四年に一度の更新講習会に参加することになった。参加しなければ資格喪失なので、一泊二日の義務研修に参加申し込みをした。11/23(土)~24(日)和歌山県田辺市にある「南紀スポーツセンター」に出かける。義務研修というとネガティブな受け止め方をしがちだが、楽しみな気持ちが湧いてくる。一晩、子どもたちのスポーツ関係者と時を過ごせることで、さまざまな刺激を受けることができる。全国津々浦々で、子どもてちのスポーツに関わる情熱的な人びとがいるものだと驚くと同時に感銘を受ける。

試験の発表があった!

 4/28(月)に受験した試験の合格の通知があった。証券業務「特別会員内部管理責任者」試験に合格した。ただ、うれしさ、喜びは薄く、開放感のみを感じている。人は、興味が薄いもの、好きではないものにはどうしても全力投球できないし、その達成感も薄くなる。
 一瞬、頭がクリアーになったと感じたが、翌日からは、また仕事という日常性の中に埋没している。担当領域が変わり、新たな曇天模様が頭の中で始まった。

2008年4月30日 (水)

「無際橋」の写真を見て

 今晩、興味を魅かれ、ある雑誌を買った。その中の写真に目を奪われた。写真家・土門拳が撮った美濃、多治見にある永保寺の「臥龍池無際橋」の写真に魅了された。私は、岐阜県多治見市にその寺があり、そこに日本的な趣の橋があることを、恥ずかしながら、初めて知った。
 今宵、焼酎を飲みながら、その写真を眺めている。心地よさを感じる。日本的な「橋」についての自分自身のささやかな美意識が共鳴している。

「永保寺・無際橋」(社団法人日本土木学会関西支部)Webサイト

「虎渓山 永保寺」Webサイト

2008年4月29日 (火)

「おでん 白蓮」への想いを

 4/28(金)夜、職場の者と難波の居酒屋で飲んで別れた。脳がリフレッシュしていることを良いことに、ちょっと一人でささやかにも、はしご酒をした。新歌舞伎座北側にある「おでん 白蓮」に立ち寄った。難波に出かけた時は、時々訪れる。「おでん 白蓮」は、外観からして、大正昭和の匂いがする古びた店である。店内も狭く、カウンターがコの字型になっていて、椅子がなければ立呑み処のようだ。料理はおでんしかない。だいこん、たまご、そして樽酒を注文した。
 
異様な個性ある居酒屋だ。カンウンター右奥には、店のおばあさんが睨みを利かして陣取り、猫が2匹いる。場末の酒場、名も知れぬ港町の酒場を連想してしまう。私にとっては、異様な雰囲気が好ましく思われる。一般的な感覚では居心地は良くないのかもしれない。異端者の酒場なのだろうか。でも、意外と若い男女が多いのに驚く。レトロブームなのか? それとも本当に居心地がいのだろうか?
「白蓮」という店の名は、明治・大正時代の情熱的歌人、「柳原白蓮」からか、それとも、花の「白蓮」から名づけたのだろか。店の中で働いているおばあちゃんとおばさん二人の姿を見ながら、「柳原白蓮」の熱情に想いを馳せ、800円余りの勘定をすませ店を出た。心が落ち着く盛り場の立ち寄り処だ。今度はいつ来ようかと思いながら帰路に着いた。
「おでん白蓮」「柳原白蓮」に少しは興味が湧いた方は、Webサイトで検索してください。

仕事上の資格試験を受けて

 4/26(土)・27(日)の両日は、仕事上の新たな業務に関する公的資格を受験するため、受験対策試験問題を解き、不明な点をテキストで確認するという作業に没頭していた。ただ、クラブの理事会、また保護者会に参加した時間を除いてだが。
 強制的な資格取得、合格するまでというエンドレスな圧迫感がストレスを生じさせていた。興味のない事柄の学習は吸収力が弱い。脳が拒否的に作動する。モチベーションが低い中では脳も働かず記憶力も弱体化する。
 4/28(月)9:00に梅田に着いた。試験開始は11:30だ。喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら、最後のあがきで、試験問題集と格闘した。その店に2時間ぐらい居座った。店の人には悪いと思いコーヒーを2杯飲んだ。
 試験会場の大阪駅前第一ビルにある㈱メディア総合研究所のテストセンターに出向いた。受付で本人確認のため免許証を提示した。テスト会場へは貴重品である財布以外はすべて持ち込み禁止だという。筆記用具もだ。ロッカーの鍵を貰い、すべての持ち物をその中に収納した。テストはペーパーではなくパソコンだ。
 受験者が一同に入室し、各々の試験席に座り、パソコンに向かい、自分でディスプレーに表示されている「試験開始」をクリックする。問題が画面に表示される。回答はチェックを入れるようになっていた。「次へ」をクリックすると次の問題が出てくる。合計30問で300点満点で210点以上が合格である。問題数30問の中で21問正解が合格ラインである。試験結果は、2~3日後に判明する。
 試験が修了して、職場へ向かう電車の中で、久しぶりに頭の中がクリアーになっていることに気づいた。、脳の中が洗浄されたような気分だった。これは、どうしてなのだろう?と考えると、日常の中でマンネリ化した脳が、非日常の回路を作動させざるをえない状況になり、そのことが脳を活性化させえたのだろう。時には、自主的、強制的を問わず、日常とまったく別な領域で脳を働かせることも必要なのかもしれない。

「㈱メディア総合研究所」公式サイト

2008年4月27日 (日)

日本酒「夢」

Img_0001  越後・市島酒造で買った日本酒、純米吟醸 「夢」を今日で飲み干した。そのラベルに「新潟県の酒造好適米『五百万石』を高度に精米した吟醸造りの純米酒です。雪原の澄んだ大気と飯豊山系の伏流水で仕込んだお酒は越後杜氏が誇る地酒の逸品です」と書かれていた。
 市島酒造へ立ち寄った折に、試飲しておいしかったのと「夢」という銘柄に魅かれ買った。味はやや辛口である。わが体の健康に、ビールと日本酒は天敵だが、「越後の酒」を味わいながら心地よい気持ちになった。

「市島酒造」公式サイト

2008年4月25日 (金)

月岡温泉の湯

 4/12(土)・13(日)、仕事の関係で一泊二日で佐渡・新潟方面へ添乗旅行に出かけた。4/12(土)夜、新潟・月岡温泉「泉慶」に宿泊した。大浴場の大きさと立派さに圧倒された。「月岡温泉」は、「美人になる湯」だといわれている。私が美人になったとしても、なんら意味をなさないが、女性にはもってこいの良き湯であるのだろう。貧乏根性が染み付いているのか、ただの風呂好きか、その大浴場にも3度入浴した。

「泉慶」公式サイト
「月岡温泉観光協会」公式サイト

ドーミーイン・ファン

 4/19(土)夜、当日に携帯電話から空室確認をして「ドーミーイン水道橋」に宿泊した。新潟へ出かけた折にも「ドーミーイン新潟」を利用した。大阪では、難波、心斎橋、東梅田にもそのホテルがある。何が一番かと言えば、大浴場があることだ。ビジネスホテルという安宿ではあるが、大浴場があるだけで、まったく違った趣が湧いてくる。ちょっとした「ドーミーインファン」である。

「HOTEL&SPA」公式サイト

2008年4月22日 (火)

水道橋の夜に

 4/19(土)23:00過ぎに、宿泊していた「ドーミーイン水道橋」の大浴場の脱衣場で、私の高校サッカー部の後輩である奈良県サッカージュニアの指導者に偶然にも出会った。とブログに書いた。その晩、ホテルについてすぐに風呂に入った。彼に会ったのは2度目の風呂上がりの脱衣場でだった。一瞬、なんで?こんな場所で?確かに、一瞬、私は奈良にいるのかという錯覚に陥った。天文学的な運命である。私は、「もしか赤い糸で結ばれているのだろうか? 」と思いながらも、それは私の一方的な感じ方で、彼の立場に立つと、「なんで、奈良から、はるか離れた場所で、よりによって、こんなおっさんと会わなきゃならないの?」と嘆いたのかもしれない。存在することは、人に喜びを与える場合があるが、苦痛を与えることもある。
 翌朝、3回目の大浴場へ出かけた。風呂上りに朝食を食べた。その時、また彼と会った。今度はご両親も同席されていた。ここは、ソレステレージャの「プレーヤーズ憲章」第1条「きっちりとあいさつをする」を励行してご両親に挨拶した。ご両親にとって、息子の存在は大切で心配な存在だ。「息子さんは、がんばっていらっしゃいますよ!」とお母さんに伝えた。年齢差があるが、後輩に対してのささやかな想いである。
 彼とご両親がチェックアウトする時も会った。ビジネスホテルの中で、都合3度も顔を合わせた。私にとっては心地よいが、彼にとっては、3度の苦痛が忍び寄ったのかもしれない。そのことだけが今も気に掛かる。

2008年4月20日 (日)

講習会を受講して

 4/19(土)「公認スポーツリーダー養成コース(スポーツ少年団認定員養成コース)」の講師研修会を受講した。スポーツ少年団との関わりは15年以上前になる。子どもたちのスポーツのことを知りたいと思い、当時の「スポーツ少年団認定員養成コース」を受講した。
 現在、ソレステレージャ奈良2002ジュニアはスポーツ少年団に加盟している。その前身である西奈良ニーノスFC(二名FC、青和FC)、登美ケ丘SCは創設当初からスポーツ少年団に加盟していた。現在加盟しているのもその流れを組んでいる。
 日本スポーツ少年団は1962年(昭和37年)に創設された。スポーツ少年団の理念は、スポーツを通じた青少年の健全な育成である。将来を担う青少年がスポーツを通じて健やかにそして調和のとれた「からだ」と「こころ」の成長を遂げることを目的としている。
 講習会を受講して、いまさらながらに、スポーツ少年団の意義を再認識した。現在のような社会状況、子どもたちの状況だからこそ、今まで以上にスポーツ少年団の重要性は増している。
 スポーツ少年団日独交流で、20日間ドイツを訪問された方と雑談できた。会社勤めをしていたので20日余りの休暇をとるのが大変だったと話されていた。その話を聞き、いつかは私もそのような機会が与えられドイツを訪問したい気持ちになった。

2008年4月19日 (土)

不思議な赤い糸

 4/19(土)23:00過ぎに、宿泊している「ドーミーイン水道橋」の大浴場で、奇跡的な偶然なのだろうか、奈良県サッカージュニアの著名なチームの指導者に出会った。私の高校サッカー部の後輩である。お兄さんの結婚式で上京したそうだ。不思議である。奈良でも会うことは少ない。大都会・東京で、幾多のホテルがあるにも関わらず、出会うことなど確率的には天文学的にあまりにも低いはずだ。もしか赤い糸で結ばれているのだろうか? 不思議な縁(えにし)を感じる。(23:39 ドーミーイン水道橋にて)
「ドーミーイン水道橋」Webサイト」

東京に一泊することにした!

 4/19(土)、夕刻に「岸記念体育会館」での講習が終わり、いつものごとく神保町の古本屋街をうろついた。大阪ではあまり見かけないような本が新刊書店に並んでいた。確かに品揃えは豊富である。いろいろな本を買いたい衝動に駆られた。
 大阪は商人の町、東京はやはり文化の集積地であることを痛感した。「ミロンガ」に寄ったが閉まっていた。やむなく近くの「さぼうる」でビールを飲んだ。その店は「学生街」の名残りをとどめている山小屋風の店で、「学生時代」という言葉が自然と湧き出てくる雰囲気だ。
 水道橋にある「ドーミーイン水道橋」に泊まっている。大浴場付のビジネスホテルだ。3回ぐらい風呂に入ろうかなあと思ってはいる。便利になったものだ。パソコンを持参しなくとも、ホテルフロント横に設置してあるパソコンで、自分自身のブログにアクセスでき、入力することができる。
 4/20(日)朝に、東京国立近代美術館で開催されている「東山魁夷展」に出かける。大好きな「道」という作品をはじめて原画で見ることになる。楽しみであり心が躍る。奈良へは4/20(日)午後に帰るつもりである。少し後ろ髪をひかれつつ。

2008年4月18日 (金)

明日「のぞみ」で行く!

 明日、4/19(土)早朝、新幹線「のぞみ」で東京へ行く。スポーツ少年団の講師講習会である。日帰りの予定をしている。せっかく東京へ行くのだから一泊でもと、「迷える子羊」は、ふと思いついた。日帰りか、宿泊か、明日、新幹線「のぞみ」の中で決定することにしよう。

公認クラブマネジャー修了通知届く!

Img  4/18(金)夜に帰宅すると、財団法人日本体育協会からの郵便が届いていた。封を開けると、「公認クラブマネジャー養成講習会」の修了通知だった。6月下旬に資格登録申請をして、10/1付で「公認クラブマネジャー」として正式に認定される。昨年末、東京へ講習会を受講し、最終検定の「事業計画書」を提出し、面接と口答試問を受けた。その結果は合格だった。年甲斐もなく、人からは如何なることを言われたとしても、素直にうれしい。平日夜中にパソコンに向かい、「事業計画書」を作成したことを思いだす。その作業の中で、自分自身が何をしたいのか、何をすべきなのか、より明確なビジョンを浮かびださせてくれた。資格取得云々ではなく、そのチャレンジの過程の中に、大きな意義があったと今思う。

5/8 鶴橋・居酒屋「一福」 新装開店!

 今日仕事帰り、近鉄八尾駅から準急に乗り、布施駅で乗り換え自宅へ帰還と思ったが、花の金曜日、転勤のちょっとしたストレス昇華の意味をこめて、布施駅で乗り換えず、鶴橋駅まで出た。駅近くの「うをさ」でささやかに飲んだ。店を出て、隣の改装中の「一福」の前に行った。張り紙には、5/8新装開店と書かれていた。やった!やった!と心の中で叫んでいた。
 5/8(木)夜は、「一福」詣でだ。あと幾つ寝れば正月かと楽しみに待つ子ども心と同様だ。その日は、必ず「一福」に行かなければならない。20年余り前に、息子が生まれたその日に、その子の前途を憂い、30歳であった父親として、揺らぎひるみ、初めて酔いつぶれた場所だった。その日のことを、心に必ず刻みつづけ、死ぬまで絶対に忘れてはならない。だからこそ、その店の新装開店には、必ず出かける。

4/19(土)東京へ

 4/19(土)朝、スポーツリーダー養成講師の研修会に参加するため、東京渋谷にある岸記念体育会館へ出向く。今回の研修は日帰りとなる。研修内容は、①平成20年度講習会についての概要説明 ②テキストの改訂内容 ③講習上のポイント解説。旅費については奈良県から支給していただけるので助かる。夜には奈良へ帰ってくる。

2008年4月16日 (水)

何ができたのか?できなかったのか?

 今日で、人事異動のため2年半足らず勤務した店舗から離れる。お客様との引継ぎで、3日間累計50先余りを訪問した。訪問しきれず10先余りは電話での挨拶となった。今の役職につく前に、3年前に同店舗で4年間勤務していた。さまざまな思いがある。ありがたいのは、それぞれのお客さまから心地よい気持ちをいただいた。心から感謝している。

 店頭で挨拶に訪れたお客様がいた。その方は自分自身のいたらなさを私に伝えた。別にそのようなことを私などにする必要もないと思った。ただ、その想いを受けて、手を差し出し握手をした。私は素直な感謝の気持ちをその方に伝えたかった。

 ビジネスの世界は無味乾燥であると解釈してしまいがちである。しかし、その根底は、人それぞれの他者に対する想いが根底にある。日ごろは見えないことも、ある非日常の転勤という状況の中で見えてくる。何ができたのか?できなかったのか?そのことを自分自身で検証だけはしておかなければならない。人は人に支えられて生きている。今、実感として受け止めている。

2008年4月13日 (日)

佐渡・新潟から帰ってきた!

Img_0002  4/13(日)夕刻、新潟空港17:05の飛行機で、一泊二日の添乗旅行を終え帰ってきた。佐渡・新潟は桜が満開だった。今年の春は、二度も花盛りの季節を体験した。北国の桜を初めて見た。連嶺の山々の頂に雪がのこり、それを借景にして咲く桜は、まったく違った趣があった。

2008年4月11日 (金)

明日から添乗旅行

 4/12(土)・13(日)、一泊二日の恒例の添乗旅行である。今年は新潟方面へ出かける。誤解のないように言うと、私は旅行社に勤めている訳ではない。まったく異なる業種で仕事をしている。年二回、お客様に添乗して旅行に出かけなければならない。春は一泊二日の旅行、秋は日帰りツアーがある。今回で、赴任してから三回目となる。人事異動が発令され最後の旅行でもある。

 明日、7:00伊丹空港集合だ。帰宅するのは4/13(日)22:00頃となる。行程は伊丹空港から新潟空港へ飛び、佐渡島に渡る、宿泊先は新発田市近くの月岡温泉、翌日に新発田城、北方文化博物館、新潟ふるさと村を巡り、伊丹空港へ帰着する。

 添乗旅行という仕事である。大部分は楽しさはない。でも、せっかく二日間を過ごすのだから、個人的な興味も大切にしたいとは思っている。私にとって新潟方面では出かけてみたい場所は数多くあるが、今回の旅行には全くコースとしては取り入れていない。しいて言えば、「北方文化博物館」ぐらいだ。

 来週には、この旅行の顛末記ぐらいは書こうと思う。兎にも角にも明日は、4:30起床である。
 付け加えると、ソレステ・ジュニアユ-ス、クラブ選手権大会へ観戦に行くことができない。申し訳ない!

勤務地が変わります!

 4/10(木)、職場で人事異動が発令された。勤務先が現在の東大阪・長田支店から近鉄大阪線・八尾駅が最寄り駅の本部・審査部に転勤となった。4/17(木)以降は審査部に着任する。昼間の連絡先として支店の電話番号をお知らせしていたが、4/16(水)以降はその支店に在籍しないので、申し訳ありませんがご了解ください。

2008年4月 7日 (月)

小手鞠(こでまり)の花

Img_3 昨晩、私たちの結婚記念日42日の誕生花が「小手鞠」だと初めて知った。妻も長女も知っていた。妻曰く、自宅の庭にも「小手鞠」が植えてあるようだ。どこに?と尋ねようと思ったが、返り血を浴びるのをさけるため私は口をつぐんだ。「小手鞠」の花言葉は「友情」だという。郷愁を呼ぶ言葉だ。誕生花・花言葉は、妻が「ピンクのバラ」(上品)、私が「ペチュニア」(あなたと一緒なら心が和らぐ)。身勝手にも、酒も飲まずに、花言葉で酔いしれてしまう。写真は、昨晩、花束に添えてあったカードである。(写真はクリックすると大きくなります。)

「花言葉と誕生日の花の図鑑」Webサイト

桜咲く夜のつぶやき

 昨晩は、私と妻との結婚30周年記念の食事会だった。長女夫婦が新大宮の「三厨」の静かな個室を予約してくれていた。娘と息子からの大きな花束とメーセージカードをもらった。長女は、私たち夫婦の前で、長野市に住んでいる息子からの長文のメッセージを朗読した。ちょっと目が潤んだ。

 食事が終わり、「30周年記念のケーキ」に入刀した。結婚式では寄り添いながらウエーディングケーキに入刀したが、今回はナイフに手を添えていっしょに持ったが、体は外側にそり気味だった。デジカメと携帯電話のカメラで、その姿を記念写真として撮った。「ほんとに嫌そうやな!」という長女の声が飛んだ。携帯電話で撮った写真は、すぐに長野市にいる息子の携帯電話へと送信された。兎にも角にも、もろもろの話題が出てきて、本当に和やかで楽しく、心地よい時間だった。

2008年4月 6日 (日)

今晩、新大宮へ出かけます!

 今晩、新大宮へ出かけます。18:45新大宮駅改札口で待ち合わせです。長女夫婦が、私たち夫婦の「真珠婚式」を祝ってくれるそうです。京都伏見から出てきて一緒に食事をします。今晩のことを忘れてはいないかの確認の電話が先ほどありました。妻は一足先に出かけました。富雄駅までは歩いていこうと思います。少し恥ずかしいという気持ちを覚ましながら。(17.45)

2008年4月 2日 (水)

今日は「真珠婚式」

 今日は、僕たち夫婦の30回目の結婚記念日だ。結婚30年の記念日を「真珠婚式」と呼ぶようだ。僕たちは24歳の時に結婚した。僕と妻とは同い年で、高校1年・2年生の時のクラスメイトだ。同じ教室で同じ黒板を眺めていた。はるか昔のことである。

 初めて妻を見かけて38年目になる。その時の若葉のような初々しさは、互いに消えかかっている。年輪というものによって、その当時に互いに身に備わっていなかったものを僕たちはそれぞれで補完できたのだろうか?

 30回目の「結婚記念日」は、30回目の「共働き記念日」でもある。結婚してからずっと共働きで過ごしてきた。今という時代には、夫婦がともに働くことに抵抗感・違和感は少なくなってきている。一時代前には、周囲のちょっとした冷たい目も感じたことがある。保育園に3人の子どもたちを預けての日常だった。自転車の前後に3人の子どもたちを乗せて保育園へ送り迎えしていた妻の姿が目に浮かんでくる。

 妻は「がんばり屋さん」で「がまん強い」。人に対して、子どもたちに対しての「思いやり」は僕と比べると雲泥の差で妻の方が勝っている。最初、耳の聞こえない子どもたちの学校に勤め、今は知恵が未発達の子どもたちの学校で教員をしている。毎日、朝早く家を出て、1時間半という時間をかけて、奈良市富雄から、淀川をこえて大阪市の西の端まで通勤している。ほんとうに「がんばり屋さん」だ。

 今晩、間抜けにも「おめでとう!」なんて失言をしてしまった。「何が? おめでとう? 自分に言われたくないわ!」と厳しいお言葉が返ってきた。概ね、仏像にたとえれば菩薩か観音なのだが、時たま阿修羅のような怒りが見える時がある。長女、以前曰く「結婚30周年は、おかあさんのおかげなんやで!」と。 おっしゃる通りである。わが十一面観音像の末永き健康を祈る。

2008年3月30日 (日)

楽しい時間を過ごした!

 3/29(土)、鶴橋の実家からの帰りに鶴橋「眠眠」でキョ-ザを食べビールを飲んだ。近鉄奈良線「富雄駅」で下車し、自宅へ帰ろうとしている途上で携帯電話が鳴った。富雄駅近くの居酒屋で飲んでいるので来ないですか?という。正直言えば、一日中研修を受けたこと、実家へ寄ったこと、もうすでに飲んだこと、が理由で断りたいと思った。ただ電話のキ-ワ-ドがその判断を誤らせた。その言葉は「ソレステレ-ジャ」「奈良育英」の関係者。「行きます!」と答えてしまった。

 4人の顔見知りの男性が居酒屋にいた。「ソレステレ-ジャ」「奈良育英」というグル-ピングができる。もうひとつ加えれば「西奈良ニ-ノス」か。いつもソレステ保護者として中心的に動き回っていいただいている方、わが息子の後輩としてサッカ-に興じている息子を持つ方、わが大学の後輩として気になっていた方、、それと、私に電話をいただいた「ニ-ノス・奈良育英」の関係者。4人の方々には心から感謝いたしております。楽しい時間だった!

 「つかもと!・・・つかもと!」とある方が酔いながらも大きな声で連呼していただき、私のことかと思いきや、わが息子のことだった。息子が高校時代の時の印象のことをサポ-タ-という立場から話していただいた。わが息子はそれほどサッカ-選手として能力がないにも関わらず、今そのように話をしていただくことは素直に申し上げると、父親として涙が出るほどうれしかった。心から感謝申し上げます。

 その方から以前にいただいた多数の私の息子の写真の中から、一葉だけ掲載させていただきます。その方に心からの感謝をこめて。

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受験対策講座と「赤色エレジ-」

 3/29(土)9:00-16:00 八尾市にある本店で新たな業務に関する試験のための受験対策講座を受けた。4/29試験「必合格」が義務である。朝から夕方まで赤マ-カ-ペン片手に、講師の方が指摘されたテキストのペ-ジの箇所を塗りつぶしていった。終了してみると、テキストのペ-ジの多くが赤色になってしまっていた。

 帰りの電車の中で、そのテキストをぱらぱらとめくった。読もうと思ったが余りの赤色の多さに恥ずかしくなり、テキストのペ-ジを閉じた。ふと、視覚に入った「赤色」から連想ゲ-ムのように、なにげなく「赤色エレジ-」を思い浮かべた。自宅に帰り、久しぶりに「赤色エレジー」の曲と絵をWebサイトで見た。

「赤色エレジ-」Webサイト

「You Tube 赤色エレジ-」Webサイト

2008年3月28日 (金)

明日は仕事!

 明日は仕事である。朝から夕方までの丸一日、職場の自主勉強会だ。それに基づいて4月下旬には試験を受けることになる。勤続30年になるが、学生時代よりも試験の回数が多いのに驚く。社会人になれば試験というものから抜け出せると信じて疑わなかった。しかし、現実は違った。年々集中力と記憶力が低下していくのが自分自身でもはっきりとわかる。たえず現実は、壁として立ちはだかる。ただその壁を乗り越えるしか道はない。幸か不幸か、明日は、春の日差しも受けずに、ただただ勉強!!

審判証が届いた!

Img_0005  3級審判の更新をした。昨日に2008年度審判証とコイントス用のコインが郵送されてきた。最近は審判を走っていないのだが、更新だけはしておこうと思った。 審判資格を更新したのは、サッカーに関わる者としての情報源を確保しつづけるという姿勢だけは保持したかったのかもしれない。

2008年3月19日 (水)

自画像

Photo_2

 18年前、次女が小学校3年生の時に作ったレリ-フ作品である。ずっと私の本棚の片隅に鎮座しつづけている。

アルプス街道にて

Photo

  15年以上前のわが家の子どもたちの姿である。奥穂高岳から下山して、アルプス街道を上高地へ向かう途上の明神池あたりかと記憶する。

2008年3月16日 (日)

「奈良県スポーツ少年団指導者協議会委員総会」に参加して

 3/15()1100「王寺町やわらぎ会館」で行われた「奈良県スポーツ少年団指導者協議会委員総会」に出席した。近鉄電車を利用して、生駒経由で王寺まで出かけた。総会の席上、議長から私に、4/19(土)東京・岸記念体育会館で実施されるスポーツ少年団研修会に出席して欲しい旨の依頼があった。正直言えば、また東京へ? あまり行きたくない!という気持ちが心の中で湧いていた。うつむきながら手帳を確認した。予定が入っていればいいのにと思いながらも、意に反してその日はスケジュ-ルが開いていた。馬鹿正直に、阿呆のように、「その日は大丈夫です。参加します!!」と答えてしまった。また悩みのタネを己の至らなさで増やしてしまった。交通費・経費は県スポーツ少年団から出してもらえることが救いである。

2008年3月11日 (火)

クラブマネジャ-検定試験発表は4月中旬

Photo  「クラブマネジャ-講習会」Webサイトで確認すると、検定試験の結果発表は4月中旬に発送されるとの連絡が掲載されていた。桜咲くのか、桜散るのかわからないが、季節の春は近い。今晩寝る前にテキストを読んでいた。いまさら読んだとしても意味が無いのかもしれないが、好奇心で抜粋しながらページをめくった。なかなか面白いなあと思うも後の祭りである。

2008年3月10日 (月)

絵葉書が届いていた

Img 3/10(月)職場のことで不機嫌なまま帰宅した。自宅のポストから新聞と郵便物を取った。その中に一枚の絵葉書があった。宛名は塚本茂・嘉代子連名になっていた。誰からなのだろう?と思いながら部屋に入り読んだ。長女からだった。広島県・宮島・厳島神社・大鳥居の絵葉書だった。「青春18きっぷ」を利用して長女夫婦で、広島平和公園・宮島・大和ミュ-ジアムを巡って京都の自宅へ帰る旨が記されていた。「新幹線」ではなく「青春18きっぷ」で出かけたのは、長女の個性がにじみ出ている。私の不機嫌な気分は、すこし爽やかさに転じた。

2008年3月 6日 (木)

僕らはこれでいいと思った

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「僕らはこれでいいと思った。これが僕らの生きる道だった・・・」

 このイラストを誰が描いたのか知らない。いつかはわからないが、私のパソコンの中に入っていたので保存していた。わが家の誰かがダウンロードしたのか?それともわが家の誰かが描いたのか?私にはわからない。はっきりとしていることは、私がダウンロードしたものでもなく描いたものでもないということだ。ずっとパソコンから消去できないでいた。なぜならば、そのヘッドコピーが気になりつづけていたから。

2008年3月 4日 (火)

管理健診の日に

2008114_3 (Photo 2008.01)

今日の午後、大阪・堺筋本町近くの健診センターで管理健診を受けた。通常一年に一回の健康診断を受ける。何事もなければそれだけだ。ただ私の場合は健康診断でチェックがかかっており、年二回の管理健診の受診が義務付けられる。今日は冬の管理健診の日だった。

管理健診終了後、難波に出かけた。朝から食事をしていなかったので、千日前国際劇場横の路地の奥にある中華料理「眠眠」で食事をした。近くの「ジュンク堂書店」に寄り、1時間程度、いろいろな分野の書棚を探索した。金銭的余裕があれば、あの本もこの本もと思うのだが、財布の中身と相談して、「ダイヤモンドサッカ-の時代」と「都道府県ランキング2008」の二冊を買った。

居酒屋「正宗屋」に立ち寄ろうと思い、店の前まで行くと今日は休業日だった。やむなく「ビッグカメラ」西側の「天地書房」まで歩き、ショーウインドウの中の本を外から眺めていた。あたかも女性が素敵な服や用品を眺めるように。

2008114_5 (Photo 2008.01)

難波駅近くの地下鉄13番出口の中二階にある居酒屋「大ざわ」に着いた。なぜこのような階段の踊り場に居酒屋があるのかと、いつも不思議に思い続けている。今日は満席だった。カウンターのせまい隙間にいすを新たに入れていただいて席に着くことができた。ビールとまぐろの造りを注文した。呑みながら「ダイヤモンドサッカ-の時代」を読み始めた。

帰路は、近鉄難波駅から「準急」に乗った。座りながら富雄駅まで「ダイヤモンドサッカ-の時代」を読み続けていた。富雄駅に着いた途端に自省の念が湧いた。今日は、管理健診の日であった。医者にも注意されているにも関わらず、酒を飲むとは言語道断だ。とは思いながらも、職場でのストレス続きで、今日はちょっとしたリラックスタイムだった。

心地よい時間

3/1(土)夜は、わがクラブの子どもたちがお世話になっている奈良育英高校サッカースクールのお礼の会に参加した。スタッフの方々を交えて和気合いあいと時を過ごした。息子も高校時代にお世話になったこともあり、一年に一度その場を楽しみにしていた。心地よい時間だった。

3/2(日)午後、明治小学校へ出向いた。わが地元東成区のサッカーチームが来ると連絡をもらっていた。楽しみにして電車とバスを乗り継ぎ出かけた。北中道小学校主体のチームだった。スタッフの方を幾人か紹介していただいた。母校、わが大阪市立玉津中学校出身者だった。スタッフと子どもたちを見ていると、なんとも不思議な気分になった。心地よい時間だった。

2008年3月 1日 (土)

3月は「弥生」!

 3月になった、旧暦では「弥生」の月だ。木や草が生い茂るようになる季節だ。「木草弥や生ひ月」(きくさいやおいづき)が、短縮した言葉となり「弥生」となったそうだ。3月は、別名、「花月」「花見月」「夢見月」「桜月」と呼ぶ。

 季節が変わろうとしている。3月の別名では「夢見月」という言葉に魅了される。昨晩深夜に、かつて読んだサッカー関係本をぱらぱらと読み直している。無知無能を自覚しつつ、また自戒を念じながら、新たな弾むような気持ちで、Spring!春を待ち望もう! と。過去を振り返り検証しつつ、新刊本だけでなく、スポーツ関係で読んだ本の中で印象深かったものを掲載することにした。理解して実践しているかどうかを別にして、私の未来よりも、より価値ある未来が到来するかもしれない人々のために、一助となればと願っている。

 「前へ!美しきサッカーのために」&「前へ!愚直な人生のために」。

[元気アップフォーラム」の写真

Img (Photo 2008.2.24)

 昨日、奈良県レクリエーション協会から「元気アップフォーラム」のシンポジウムでの写真を送っていただいた 。

2008年2月17日 (日)

「公認クラブマネジャー」検定試験を受けて

Photo_2 (東京・渋谷 岸記念体育会館2008.2.16)

  2/16(土)午後に、東京・渋谷にある岸記念体育会館で「公認クラブマネジャ-」最終検定試験を受けた。内容は、事前に作成し提出した、自己のクラブの「事業計画書」についてのプレゼンと口頭試問だった。恐らく大学の教授なのだろう。お二人に面前で口答試問を受けた。冒頭に、この事業計画書は誰のために作られたのですか?と。 特に、プログラムと事業収支計画の整合性について問われた。収益を確保できるのか? 財務的・人材的に見てクラブの継続は可能なのか?会員数について年間の増加数は?減少数は?退会する者の理由とその対処方法は? まさにビジネスの世界の経営戦略の検証のようだった。口答試問にうまく返答できなかったことは事実である。

 「地域スポーツクラブの水準でそれほどまでのことを求める必要はない」という受講者の意見も聞かれた。ただ、講習の冒頭にも主催者側から釘を刺された。「難しい課題にも取り組み解決する地域での人材を育成したい。水準を高くしたい」と。確かに社会経済は驚くべき速さで変化してきている。地域スポーツも同様だ。自分自身では、チャレンジしてきたが、確かに水準は高く戸惑った。口答試問を受けて後、少し自己嫌悪に陥っている。講習会での「みなさんは、ボランティアなのですか?」という問いかけの言葉が気にかかっている。

わが「事業計画書」

Img_0001

 

1.エグゼクティブサマリ- 

2.クラブのミッションとビジョン 

  ①クラブのミッション ②クラブのビジョン ③ビジョン達成に向けた具体的な目標

3.マ-ケティング   

  ①外部環境の分析 ②内部環境の分析 ③プロダクト開発 

4.クラブの経営戦略と事業展開 

  ①基本戦略と戦略パタ-ン ②ビジネスモデル ③プロダクト・マ-ケットマトリックス ④料金体系 ⑤施設の管理と運営 

5.組織・人材 (配置・確保・養成) 

  ①組織の基本的な考え方 ②組織図 ③報酬制度 ④労務管理 

6 クラブの安全管理 

  ①リスクマネジメント ②保険 ③緊急連絡網等

7 事業収支計画書 (5ケ年)

 

  財団法人日本体育協会の「公認クラブマネジャー」資格取得のための最終課題で、私が作成し提出した「事業計画書」の骨子である。詳細はA4、26ページとなった。昨年12/16(日)最終講義を受講してのち、提出期限1/11(金)までの期間は確かに1ケ月足らずの日数はあった。年末・年始と多忙な時期に、平日は仕事を持つ中で、思い描いたプランニングを文章化・図式化できなかった。

 私が感じてること、思うこと、考えていることを未来に向けて文章化しようとするが、明日は仕事だと自分自身で弁明し、職場の飲み会の誘惑に負け遅く帰宅し、「事業計画書」を作成するため、すべてを抑制して平日夜中に集中してパソコンに向かわなかった。自分自身の弱さである。取り組み姿勢、また自分自身の能力の問題である。

「原宿はらはら」を読んで

  2/16(土)「クラブマネジャ-検定試験」の帰りに原宿・代々木近辺を散歩し、夜遅く奈良に帰ってきた。2/17(日)朝、こたつに入り日本経済新聞朝刊を開いた。文化面「原宿はらはら」というエッセイが目に飛び込んできた。昨日立ち寄った所なので興味が湧き文章を追った。

 「一昨年の夏に引越しをした。六歳のときから、なんと半世紀近くも住んでいた東京の原宿に別れを告げたのである。」という書き出しだった。1955年(昭和30年)頃、「まだ原宿には八百屋さんも、魚屋さんもあった。普通に生活している人々がいた」「貧しくても原宿は落ち着いた風情のある街だった。」「あの頃が原宿の一番美しい時代だった。昭和30年から40年にかけてである。」「今の原宿は欲望の街と化している。」「自分の記憶の中にある原宿の街が、花びらのようにはらはらと散ってしまったのをひどく悲しい思いで実感している。」とその文章は結ばれた。

 昨日、原宿を訪れた私は異邦人である。昔の原宿の街を知らず今の光景だけが目に入った。奇抜なファションと厚い化粧が目に焼きついた。今風の若者たちの街であった。通りすがりの私には、以前にその街が、どのような町であったのかを思い描こうとはしなかった。このエッセイを読んで、原宿の街もまたその変化を余儀なくされた街であったと知った。育った街への想いが、異邦人に破壊されることほど寂しいことはない。

 このエッセイを執筆された方は、「昭和維新の朝~二・二六事件と軍師斎藤瀏~」の著者で団塊の世代のノンフィクション女性作家だ。歌人・軍人であった斎藤瀏 陸軍少将、女流歌人・斎藤史の父と娘の波乱に満ちた生涯をその中で描いた。私はこの本を読んで、1/15にブログの「図書室」に掲載した。その本に感銘を受けた。今朝、このエッセイを偶然にも読み再び感銘を受けた。人が書き記すものは、ただの文字なのではなくまさしく思想なのだ。

2008年2月16日 (土)

東京へ出かけます!

 2/15(金)23:30帰宅した。人事異動に伴う職場の送別会のため帰宅が遅れた。2/16(土)早朝に、「公認クラブマネジャ-資格」の検定試験、「事業計画」のプレゼンと口頭試問を受験するために東京・渋谷にある岸記念体育会館へ出向く。

2008年2月10日 (日)

「もう一度、妻を口説こう。」

2/9(土)雪の日に、朝日新聞夕刊を開いた。テレビ番組の下の広告に、「もう一度、妻を口説こう。」というヘッドコピ-が目に入った。音楽関係の広告だった。「R35」(アールサンジュウゴ)、「トレンディドラマみたいなバラード集」(WARNER MUSIC JAPAN)。以前にその広告を見た記憶があるが気にも留めなかった。今日は雪の日で暇であった。紙面では30代男女の写真が掲載されていた。「R35」とは35歳以下と思っていたが、35歳以上だった。それは、54歳の私も仲間に入れるということだ。でも、残念ながらそのような気持ちが湧いてこない。

「YouTube R35」Webサイト

「R35 Sweet Jバラーズ」Webサイト

2008年2月 9日 (土)

本棚に飾っていた石

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 本棚にずっと飾ってあったというか、放置していた石たちだ。どこから持ち帰ったのかわからない。奥穂高岳・北穂高岳・槍ケ岳またはネパールのものか? 今になると判別できない。捨てるにも捨てられずに十数年が過ぎた。恐らく一生、わが部屋の中で鎮座したままであろう。「路傍の石」になることもない。

2008年2月 6日 (水)

初めて盾をいただいて

Img_2  2/3(日)平成19年度 (財)奈良県体育協会奈良県スポーツ少年団の表彰指導者として、りっぱな盾をいただいた。54年生きてきて、名前入りの盾をいただいたのは初めてである。私のような者がいただいていいのだろうか? そのような思いを抱いている。

 当日は雪模様だったので、電車に乗り表彰式会場のJR法隆寺駅近くの「いかるがホール」に出向いた。100名以上の方々の前で、10名の表彰式が行われた。名前を呼ばれ「表彰盾」をいただいた時、正直に言えば恥ずかしい気持ちで感情が高ぶった。

 初めて地域のサッカーに関わりだしたのは、二名フットボールクラブスポーツ少年団というジュニアのサッカークラブ(その後「西奈良ニーノスフットボールクラブスポーツ少年団」と名称変更になった)だった。その時、初めて「スポーツ少年団」の存在を知った。「スポーツ少年団」とは一体何なのだろうという好奇心から講習会に参加したしたのが始まりである。あれから15年以上が経つ。「認定員」の資格を取得した後、1997年に上位資格である「認定育成員」(公認少年スポーツ指導員」)取得した。その資格は日本体育協会の資格新制度では「ジュニアスポーツ指導員」と名称が変更になっている。

 「スポーツ少年団」の理念と意義を、本当に広報できたかは自分自身では疑問に思っている。おそらく「スポーツ少年団」の存在すら興味がない人々がいるのかもしれない。2/3(日)表彰をいただき、その盾に恥じることのない自己研鑽と行動を心がけたいと自分自身に言い聞かせている。後日にでも「スポーツ少年団」について、ブログに書こうと思っている。

2008年1月31日 (木)

奥穂高岳から槍ヶ岳を

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 1991.8.19 奥穂高岳から中央の涸沢カール、北穂高岳、左奥に槍ケ岳を望む。

2008年1月29日 (火)

ジャンダルム

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  1991年8月19日の奥穂高岳西側の「ジャンダルム」である。「ジャンダルム」とはフランス語で、日本語で言えば「憲兵」という意味となる。山の名称では「前衛峰」と呼ばれる。

富士山がちょっぴり

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 1991年8月19日に奥穂高岳(3190m)を家族で登頂した折の写真である。雲海の彼方の中央にちょっぴりと富士山が見える。

「ノブレス・オブリ-ジュ」

ノブレス・オブリ-ジュ(noblesse obligeとはフランス語で、日本語に訳せば「貴族の義務」・「高貴な義務」を意味する。そのような「貴族」「高貴」という意味を表す単語だと言えば否定的な感覚を抱く人もある。この言葉は聖書「ルカによる福音書」の中の「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される」という言葉に由来しているようだ。

現代においては、多く与えられた者が社会の模範となる様に振る舞うべきだ。という人間としての社会的責任の問題として取りあげられている。あくまでも、その意識と行動は、多く求められ、任されたものが自発的な意思によりなされるべきものである。そのことは外部からの強制ではなく、あくまでも自分自身の内から湧き出てくるものでなければならない。人間としてあるべき姿が問われているのであろう。

たとえば、私が幸か不幸か、子どもたち・サッカー・スポーツを好きであると思ったならば、また自分自身が一介のサッカー選手でスターテイングメンバーに選ばれたならば、そのように思わない人々、そうならなかった人々よりも「多く与えられている」という感謝の想いを表現することが必要となる。人より以上に必死で、全力を尽くして一生懸命に取り組むというような気持ちが、誰からも強制されることなく心の内から湧き出なければならない。それが、私流に解釈する「ノブレス・オブリ-ジュ」である。

ただ、それは「あるべきもの」で、現実に私の中に少しだけ、しかし完全に備わっている「あるもの」ではない。どちらかといえば54歳である私の中に、そこまでの人間的な品位ある行動を取れているかどうかは自分自身でも疑問である。他者から見れば笑止のさたであるのだろう。「あるべきもの」と今の「あるもの」とのギャップは「課題」となる。地道な自己研鑽をして、その「課題」を乗り越え、少しでも「ノブレス・オブリ-ジュ」を抱ける人間に近づきたいと自分自身に言い聞かせている。

2008年1月28日 (月)

20年前、穂高・安曇野にて

Img_0001 ※写真はクリックすると少し大きくなります。

 遠い昔の写真が年末に部屋を整理した時にふと出てきた。20年あまり前に、初めて家族で信州を訪れ、安曇野を無謀にもサイクリングらしきものをした時の写真である。その時、息子は3才の夏、自転車にすら乗れず、よろよろと少し走っては立ち止まり、快適なサイクリングとは行かなかった。厳しくも優しい小学生だった姉2人のスパルタ式指導の下、安曇野で自転車に乗ることを覚えた。

2008年1月24日 (木)

カマンベールチーズ

Photo_2 持病の痛風も遠のきつつある。打撲などした覚えがないのに、骨にひびが入っていいないのに、あたかもそのような痛みが生じていた。まだ右足に違和感が残っている。しかしながら、週末も近く和らいだ気持ちでいる。痛さが軽減すれば、苦痛な日々を忘れる。今晩は、妻が買ってきた「麦小路」というおそらく安価であるのだろう焼酎をカマンベールチーズをあてに飲んでいる。本当はビールとカマンベールチーズが私には最高なのだが、ビールは痛風の天敵であるプリン体を多く含んでいるため自分自身でご法度にした。今宵は気持ちよく眠れそうだ。

痛みとともに

 昨年末から、仕事でのクレーム・苦情とさまざまな行事が重なって辟易している。仕事上で年末は忘年会、新年は新年会等で酒を飲む機会が多かった。好まない酒の場は必ず自分自身の体の中で歪が生じる。体は正直なものである。今は贅沢病といわれている持病の痛風の発作が右足に出ている。今晩も帰り道に足を引きずりながら帰ってきた。階段がゆっくりでしか降りれない。不摂生のたたりと人から見れば滑稽でもある姿に写っているのだろう。

 飲みたくもない酒を飲むことはストレスを生む。飲みたくもないのに付き合うのは可笑しいじゃないですか、参加しなければいいじゃないですか、断ればいいじゃないですかと疑問を投げかける者もいるのだろう。でも、そこは嫌なもの、好きでもないものであったとしても、また、それが自分自身にとって不条理・不可解なものであったとしても、顧客・職場の人間・組織のためにも参加しなければならないという義務感がある。

 仕事上のわずらわしさを引きずりながらも、1/22(火)の本町・南御堂での講演会主催行事で、年末から年始にかけての仕事上の行事は一段落した。クラブマネジャー講習会の課題である「事業計画書」の真夜中の時間での作成、仕事上のクレーム・苦情対応、酒を飲む機会の多さの複合的なストレスが右足の痛風として生じたのだろう。自分の右手で痛い右足を摩っている。摩れば摩るほど、その右足がわが子のように愛おしくなってくる。

2008年1月23日 (水)

「橋」が思い起こさせるもの

Img_2  昨年12/15(土)夕刻に東京・神田古書店街のある店に入り本棚を眺めていて、立ち止まりその本を手に取った。雑誌「ユリイカ」(197510月号)の特集「日本浪漫派とはなにか」という本だ。学生時代に購入して読み今も自宅の本棚にある。定価を確認すると2,000円と値札が貼られ、当時の定価680円から値上がりしていた。その本の隣にあった「国文学解釈と鑑賞 特集日本浪漫派とその周縁」(2002.5)を1,300円で購入した。

 「日本浪漫派」は、戦前・戦中に日本人の心情・情緒・美意識を打ち出し、「滅びの美学」で当時の若者たちを心酔させ鼓舞した。その中心人物が奈良県桜井出身の保田與重郎である。戦後はアメリカ主導の民主主義社会から危険思想として封印された。最初に雑誌「ユリイカ」を買った時から30年以上経った。その思想と行動には私は批判的である。しかし、もしその時代に私が生きていたならば、日本的美意識・情緒・感性という側面から自分自身も吸い寄せられてしまったのではないかという危惧と引っかかりを抱き続けている。

Photo_3 この写真は、雑誌「ユリイカ」の中で掲載されていた写真である。雪の降る夜、小さな木の橋の上で、菅原文太がひとり背を向けて旅立とうとする。そこに後ろから当時の藤純子がそっと傘を差し出している。その光景に何も感じないのか、何かを感じるのか、一般的な日本的美意識の象徴としてその写真を取り上げたのだろう。私などはその光景に感性として共鳴してしまうようだ。

2008年1月19日 (土)

春寂寥の洛陽に

Photo_2 映画「北辰斜めにさすところ」の題名に触発されて「日本校歌寮歌集」のページを繰った。この本は1973.年(昭和46年)6月1日初版と明記されている。おそらく、私がまだ19歳だった頃に購入したと記憶している。旧制松本高等学校の寮歌のペ-ジを開いた。

「春寂寥の洛陽に 昔を偲ぶ唐人の 傷める心今日は我 小さき胸に懐きつつ 木の花陰のさすらえば あわれ悲し逝く春の 一片毎に落ちる涙」。

別の同高寮歌には、

「あゝ信州よ 山の国 誇りは高し アルペンの 峯に輝く 雪を似て 希望は高し いや更に さらば歌わん 諸共に 若き血潮の ゆくままに あしたの夕べの 友は山 山は我等の 姿なる」とある。

忘れ去っていたことも、なにかを契機として思い出してしまう。私が高校生だった時、確かに信州の地に憧れを抱いた。17歳の時、初めて一人旅に出た目的地が信州だった。関西の大学へ入学したが、毎年夏には信州を訪れていた。妻も私と同様に信州の地に惹かれていた。私たちの初めての旅行も信州だった。結婚して、子どもができ、家族全員で旅行できるようになると、「また信州やの?」というわが子どもたちの声にひるむこともなく家族を引き連れて、7年間ほど毎年、信州の山々を訪れた。私の若かりし頃の想いは、もしかして繋がっているのだろうか。私の息子は、何の因果か縁か、今、信州・長野に住んでいる。

2008年1月15日 (火)

クラブマネジャ-検定試験について

 クラブマネジャー講習会のWebサイトで、検定試験の日時が決定されたことを確認した。
2/16(土) 12:45 渋谷の岸記念体育会館で事業計画書のプレゼンと口頭試問を受ける。提出した事業計画書を見直していると不完全な面だけが浮かびあがってくる。自虐的に能力のなさを痛感している。

 試験日のことを思い浮かべると気が重くなる。「検定試験で東京に行ってくる!」とまた妻に言わなければならないのが、もうひとつメランコリ-だ。私は情緒的で妻は論理的である。私は高校時代は文科系、妻は理科系その違いが明確である。「いつ?」「どこで?]「だれが?」「何を?」「なぜ?」「何のために?」「だれのために?」 というソプラノではなくアルトの声が聞こえてきそうだ。

 またまた加えて、経済的な弱者救済の御慈悲を妻にお願いしなければならない。もうそこは、今、巷で重要視されている論理的コミュニケ-ションではなく、情緒的コミュニケ-ションしかない。心に訴えるしかない。いずれにしろ課題は多いと感じる今宵である。

 

2008年1月14日 (月)

トップペ-ジの時計

 1/14(月・祝)18:55 ちょっとした魔除け厄除けに、トップペ-ジの「時計」のデザインを変更しました。

2008年1月12日 (土)

提出期限に滑り込みセ-フ!

 日本体育協会公認・クラブマネジャ-新資格取得の課題である「事業計画書」を、提出期限1/11(金)0:00の30分前にWebサイトを通じて提出した。A4サイズ25枚を書いたが、自分自身の能力と知識、表現力のなさ、パソコン技術の低さを痛感した。新年早々、仕事のトラブル続きで、物理的な時間のなさと心理的なわずらわしさを抱きながら、一時は期限に間に合うか心配であったが、まずはひと安心できた。

 休日前の夜中、わが部屋でひとり、第一関門突破のささやかな祝杯をあげている。2月にはプレゼンテ-ションと口頭試問で東京に行かなければならない。もうひとつ悶々とした日が残っているが、誰かに強制されたわけではなく自分で選択した道である。結果はともかく肯定的に捉えてチャレンジするしかない。

2008年1月 6日 (日)

悶々とした休日

 日本体育協会公認・クラブマネジャ-新資格取得の大きな関門である「事業計画書」を作成している。課題はあくまでも自分自身が所属しているクラブの5年計画を作成すること。能力も知識もなく悶々として、昨日は午前7時起床とともにパソコンに向かった。昼過ぎに妻の余計なというか当たり前なのだが、親子三人で東大寺正倉院裏にある三笠霊園に墓参りをした。その3時間ほどを除きパソコン・資料と睨めっこ。今日も午前7時起床とともにまたもやパソコン・資料と格闘している。提出期限は、1/11(金)Webサイトでの送付となる。今日までで累計A4サイズ20枚程度をおおざっぱに書いた。だがまだまだ未完成のままである。期日に間に合うか心配だ。

 事業計画の課題はクラブの概要、ミッション、ビジョン、達成目標、外部・内部環境の分析、プロダクト開発、事業内容、料金体系、施設の運営と管理、組織の基本的な考え方、組織図、報酬精度、労務管理、リスクマネジメント、5年間の収支計画書を仕上げることだ。水準が高すぎる。まだまだ仕上がらず気持ちがあせる。頭が痛く悶々としている。明日から本格的な仕事始まりである。平日の夜中しか書けなくなる。もうひとつ悶々だ。これを提出しても、2月にはプレゼンテ-ションと口頭試問で東京に行かなければならない。もう二つ悶々だ。

やはりその場所は「聖地」だ!

Photo 写真:「日本青年館パンフレット」より

 やはり、その場所は「聖地」だ。中央に「国立霞ヶ丘競技場」その下に「神宮球場」右斜め隣に「秩父宮ラグビ-場」とスポ-ツの聖地が集積している。写真中央左の赤いマ-クが「日本青年館」である。歴史的に見ても「若者たちの聖地」である。その象徴の「国立霞ヶ丘競技場」で、1/13(日)11:30全日本大学女子サッカ-選手権、同日14:00 全日本大学サッカ-選手権 1/14(月)14:05 高校サッカ-選手権の決勝戦が開催される。

2008年1月 2日 (水)

「廃市」に想いをよせて

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「日本アート・シアター・ギルド」は、1961年から1980年代にかけて活動し日本の映画史に多大な影響を与えた。「ATG」の略称で示されることも多い。ATGは公開作品ごとに映画小冊子「アートシアター」を発行し上映館のみで販売された。この小冊子は昭和58年(1983年)1221日に発行されたものだ。大林宣彦監督「廃市」の映画を観た時に購入した。

映画「廃市」は筑後柳川を舞台にしている。原作は作家・福永武彦の短編小説「廃市」だ。福永武彦は一度も柳川を訪れることもなく、北原白秋・田中善徳の「水の構図」を眺めながら短編小説「廃市」を書き上げたという。

今、その小冊子に掲載されている映画「廃市」のシナリオを読んだ。「柳川は このような ひとの心の模様 についての 空想のものがたりの よくにあう 美しく たおやかな 水の都である」「さながら水に浮いた灰色の棺である(北原白秋・おもひで) 映画の冒頭のテロップとして流れる。

 幾年か前にその映画を観て、筑後柳川を訪れたいと思った。一度目はひとりで、二度目はわが両親とともに出かけたが、今一度訪れたいと思っている。

「柳川市観光協会」Webサイト

「水の構図」

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 この本は、水郷柳河写真集「水の構図」の復刻版である。詩人・北原白秋がふるさとの筑後柳川を歌い、愛弟子の田中善徳が写真を撮った。初版は昭和18年1月25日、第3刷平成6年3月1日となっている。かつて私の長女がまだ佐賀県の大学に在学している時に、佐賀を訪れた帰路、水郷の町である筑後柳川へ立ち寄った。堀端の「北原白秋記念館」でそのときこの本を購入した。定価3,600円だった。

 詩人・北原白秋が命果てる前に、ふるさと水郷柳川への思いを歌った。本書はしがきに「水郷柳河こそは、わが生れの里である。この水の柳河こそは、我が詩歌の母体である。この水の構図、この地相にして、はじめて我が体は生じ、わが風は成った」と書き記した。

 ふるさとへの思いを切々と表現した北原白秋の詩とその風景を写し取った写真を、正月二日目の朝に繰りながら、2度も訪れた町、水郷・柳川に想いを馳せた。

「北原白秋記念館」公式サイト

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