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2008年11月30日 (日)

「ゆっくり行くから、聴こえてくるもの。」~青春18きっぷ~

18  12/1(月)から、冬の「青春18きっぷ」が発売される。キャッチフレーズは、「ゆっくり行くから、聴こえてくるもの」。ポスターは九州・久大本線の由布院~南由布間の風景だ。青空の下で、遠くにうっすらと雲がかかった由布岳が見える。列車は走る。ゆっくりと。時間に追われて空間を移動することは、観えるものも見えなく、聴こえるものも聞こえなくしてしまうのだろう。

 時には、「青春18きっぷ」を買って、列車に揺られながら、好きな駅で降り、町を歩き、また列車に乗る。気に入った町で泊まり、温泉につかる。夜は酒場へ、北の国がいい。寒いかもしれないが「北へ」と、物憂い日曜日の夜に妄想は膨らむ。

「青春18きっぷさかなのページ」Webサイト

AC長野パルセイロ 懇親会に参加する!

 12/6(土)に開催される「AC長野パルセイロ懇親会」への参加申し込みを先ほどFAXで送付した。「長野バスターミナル会館」18:00ということなので、当日早朝に奈良を出発する。交通手段は鉄道を利用する。長野駅着は12:00頃を予定している。ただ列車の予約はしていない。その日の午後は現地でゆっくりとする。宿泊は長野駅前の安価なビジネスホテルを予約した。12/7(日)朝、長野駅を発ち、奈良へは夕方頃に帰還する予定だ。ただ詳細については決めてはいない。

「長野バスターミナル会館」公式サイト

童謡・唱歌が流れている酒屋

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 最近は、最寄り駅の近鉄奈良線・富雄駅に着くと、メイン改札口の東出口からは降りず、概ね西出口から改札口の外に出る。富雄川側沿いに北へ歩く。すぐの信号を越えた右側に「岡米酒店」がある。夜、職場からの帰路にその前を通ると童謡・唱歌が流れている。ほっとした気分になる。森之宮駅近くの病院に入院している母の見舞い帰りにその店の前を通った。今日は日曜日だったので店は閉まっていて残念だった。

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 以前に、その店のおばさんに聞いてみたことがある。「この音楽は有線放送ですか?」 「いいえ、CDをかけています!」と微笑みながら答えていただいた。なぜ、童謡・唱歌なのですか?と聞く必要もなかった。その音楽が好きなのだ。だからこそ、店内だけでなく、店外にもスピーカーを設置して流している。私のようにふと立ち止まりほっとして聞き入る人もいるだろう。そのおばさんの想いなのだ。

 店の右側の通路に自動販売機が並んでいる。その一番奥の自動販売機が私のお気に入りである。「おたのしみチューハイ110円」と商品が見えないように周りを覆っている。大人がその商品を買うのだが、まるで、駄菓子屋の「当てもん」のようだ。その店の方の遊び心なのだ。幾人もの人がその自動販売機で買っている光景を見た。私もまたその「お楽しみチューハイ」を幾度となく買った。子ども心のままで酒を飲む。それもまた一興だ。その店の前に書かれていた。「がんばってます!」と。

「神武天皇聖蹟鵄邑(とびのむら)顕彰碑(生駒市上町)」

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 杵築神社から北へ富雄川沿いを歩いた。富雄駅方面行きのバス停「出垣内」の手前に、なんら案内板もなくコンクリートではさまれた小道が林の中へ続いていた。そこが、その碑への入口だ。その場所は奈良市ではなく生駒市に位置する。わが家からは徒歩で20分程度だ。

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 林の中の落ち葉を踏みしめてゆるやかな坂道を登ると、左側に立派な碑が見えた。階段を登ると富雄川を見下ろす丘に、「神武天皇聖蹟鵄邑(とびのむら)顕彰碑」があった。

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 紀元二千六百年(昭和15年)の奉祝事業として建立された神武天皇聖蹟顕彰碑は全国で19ケ所あるという。その内、奈良県内には7ケ所ある。そのひとつが、この生駒市上町にある。誰もいなかった、静けさだけが漂っていた。時代の流れで、近隣の人々でも知られていないのだろう。

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 その碑から西の方角には生駒山がある。碑の前から見下ろすと富雄川が望むことができる。ひっきりなしに乗用車が行き来していた。

昨晩、サッカー関係の本を手渡した!

Img  11/29(土)早朝に、一週間分のパソコンメールを確認した。おやっと思った。初めてのメールだった。わがクラブのジュニアユース選手の父親からだった。何かクレームなのかなあと一瞬脳裏をよぎった。内容を読んでみると、私のブログで紹介した本のことだった。その本に興味を持ち、出版社へ問い合わせると絶版だった。古本屋数軒に電話で問い合わせたが快い返事をもらえなかったそうだ。出来るならばその本を借りたいというメールだった。他のクラブでジュニアを指導している方だった。

 二重に本が並んだ本棚の置くから、「少年のためのサッカートレーニング」(ベネデクト・エンドレ・ベースボールマガジン社・1990.02)を取り出した。ハンガリーの指導者が書いたジュニア年代に焦点をあてた本格的な指導書だ。18年前にジュニアのための本格的な指導書は皆無に近かった。この本は確かに刺激を与えてくれた。

 18年前に出版された本だ。確かに私には大いに参考になった。ただその方に参考になるとは限らないが、午後7時、近鉄学園前駅でこの本だけではなく他3冊をその方に手渡した。余計なことかもしれない。ただ、本棚に眠っているより好奇心旺盛な興味を抱いている方の一助となればと心から願った。

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 「ゲームで覚えるサッカー」(ヴォルフガンク・コッホ・あゆみ出版・1993.05)
「クリエイティブ サッカー・コーチング」(小野剛・大修館書店・1998.12)
「21世紀のサッカー選手育成法ジュニア編」(ゲロ・ビザンツほか・大修館書店・1999.05)

2008年11月29日 (土)

奈良富雄・杵築神社へ出向いて

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 わが家から徒歩15分、氏神様である杵築神社を訪れた。富雄川沿いからまっぐな一本の道が神社へとつながっている。時代劇に出てきそうな松並木が印象的である。

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 杵築神社についての由緒を私ははっきりと理解していない。詳しい由緒については、またの機会に尋ねてみようと思う。ただ聞くところによると、西暦600年頃に、春日皇子(かすがのみこ)がこの地を拝領し治めたという。今も、春日という名は残り続けている。富雄駅からタクシーに乗り、「二名春日へ」と行き先を告げると、わが家近くまで送り届けてくれる。

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 ひとりの女性が手を合わせ拝んでいる姿を見た。静かな時間である。現代という時代のあわただしさの中で、失い欠けているものを人は補おうとする。同じ世界に住んでいるのだが、それぞれが多様な価値観に基づいて生きている。そのことを忘れがちになる。私は、社寺でよく見かける人々が、宗派の遺憾に関わらず、手を合わせ願い祈る後姿を美しいといつも想う。

信州は雪が降ったのだという!

1125   信州・中野市在住のパルセイロ・サポーターからメールが届いた。「スポニチ長野版」の新聞記事が添付されていた。ご主人は福岡県・本城陸上競技場まで応援に駆けつけられたそうだ。その熱意に敬意を抱く。選手・スタッフは打ちひしがれていたという。それ以上に信州から遥か離れた本城の地へ駆けつけたサポーター連はショックを抱いたに違いない。

 新聞記事に「JFLまた幻」という言葉が大きく記されていた。「幻」、それは幻想だというのだろうか。少なくとも、私には、「幻想」などというものではなく、「現実」として手の届くところにあったと思う。惨敗を喫したのならば、それは夢・幻にしか過ぎないのだろう。「負けた!」というよりは「勝てなかった!」。ただそれだけだ。

 想いを行動に移され現地で声援を贈ったサポーター諸氏、在長野でJFL昇格を夢見て声援し続けたサポーター諸氏、また選手・スタッフ一同へ、「本城の教訓」は、クラブにとっての大きな糧にきっとなる。未来へ道は繋がれている。

 雪が降ったいう。信州はこれから春が来るまで雪模様の寒い日が続くのでしょう。皆様へ、ご自愛ください。まほろば奈良の地より。

「公式記録」から見たAC長野パルセイロ1次ラウンド試合結果

AC長野パルセイロ 第32回全国地域サッカーリーグ1次ラウンド試合経過

対戦相手 ホンダ ロック 沖縄かりゆし バンディオンセ
得点 交代 得点 交代 得点 交代
時間経過          
         
15         ○11  
        ○16  
         
30            
    ○32    
         
45 ○44       ●43PK ←44
  ←47      
      ←56 ●53  
60     ○59      
○64        
  ←70・71   ←66  
75   ←72・74 ●71   ●70 ←73
●75        
      ←84 ←81
90 ●89PK ←88       ←87
△2-2 PK4-2 ○2-1 ●2-3
シュート パルセイロ 9 10 6
対戦チーム 12 9 10
GK パルセイロ 12 14 20
対戦チーム 5 10 6
CK パルセイロ 7 2 3
対戦チーム 3 2 6
直接FK パルセイロ 13 11 23
対戦チーム 27 16 26
間接FK パルセイロ 1 2 0
対戦チーム 4 4 4

 (財団法人日本サッカー協会公式サイト 「公式記録」より抜粋し表として作成した。)

※試合経過、得点経過、交代時間・人数、ファウル数の観点から自己流の表として作成した。
※パルセイロサイドから見て、白丸は得点、黒丸は失点。丸印の右側は時間を表示した。交代については「←」で表示した。 「(赤)がパルセイロ、「←」が対戦チーム、右側に交代時間を記した。

 数値がゲームのすべてを表すことはない。しかし、何かの「事実」は表す。だからこそ記録を必要なのだ。AC長野パルセイロ1次ラウンドでの財団法人日本サッカー協会公式記録としての数値のみを表とした。

 ゲームを直接観戦してはいないが、作成した表を見ながら、ゲーム経過を思い描いた。感想を一言書き記すと、数値の推移から、「負けた!」のではなく、絶好のチャンスに「勝ちきれなかった!」「勝ちを逃した!」というのが事実なのだろうか? 「多くの教訓を得た!」とおそらくクラブの中でも事実を検証し、次のアクションが実践されると信じている。まほろば奈良の地から、AC長野パルセイロの来年度の健闘を心から祈っている。

「波乱続出!明暗を分けた最終日」(サッカーダイジェスト)を読んで

 週刊「サッカーダイジェスト」(12/9 No.978)で「全国地域サッカーリーグ」の1次タウンド総括の「波乱続出!明暗を分けた最終日」という宇都宮徹壱氏の記事を読んだ。AC長野パルセイロ関係の内容を抽出した。以下の通りだ。

「全国地域リーグ決勝大会の過酷さと醍醐味は、まさにこのグループに凝縮されていた」
「このグループでは4試合中3試合がPK戦となったため混沌としたグループの行方に更なる歯車をかけることになった」
「全社で優勝し、前評判の高かったパルセイロの敗退は意外であった」
「ホンダロックとの初戦で、2点リードを守れずにPK戦に、持ち込まれたことがトラウマになってしまったようだ。これが、最終日での悲劇の伏線となってしまったようだ」

 私はゲームを観戦してはいないが、試合経過だけを見ても同氏の言葉にあるように「パルセイロの敗退は意外であった」。「負けた!」というよりは、手の届くところにあった勝利に対して、「勝てなかった!」「勝ちきれなかった!」というのが私自身の想いである。AC長野パルセイロに対して、女神は微笑みきれなかったのだ。

2008年11月27日 (木)

「潜水隊」に出会って

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 11/23(日)、紀伊田辺・天神崎の海岸で「潜水隊」に出会った。「潜水」を今流に言えば「スキューバダイビング」というのだろう。そのカタカナ語はかっこよすぎる。やはり「潜水」だ。何人か集まれば、「隊」になる。天神崎で出会ったのは、私のとっては、まさに「潜水隊」だった。外見はカラフルでかっこよくもなかったのだろうが、海から上がり重い酸素ボンベを担ぎ、黒いウエットスーツのまま歩む姿は、人から見れば滑稽な姿なのかもしれないが、少なくとも私はそうは思わない。

 「かっこ悪いことは、なんてかっこいいのだろう!」 昔、昔のあるフォークシンガーの言葉だ。逆説的な美学なのだ。彼らは若者ではない。中高年の男女である。「潜水隊」、その後姿に彼らの生きている想いを感じた。天神崎で出会った無名の「潜水隊」に讃歌を捧げたい。

2008年11月25日 (火)

紀伊田辺駅をあとにして

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 11/23(日)14:30紀伊田辺駅に着いた。まだ時間があったので、改札口前のいすに座っていた。ポスターや看板を見ながら時を過ごしていた。そうか、ここは今注目を浴びている「熊野古道」の「中辺路」への入り口なのだ。「口熊野・田辺」という看板の意味を理解した。

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 15:00改札口を入り、ホームの5号車の乗車口前で待った。駅・ホームという場所はいつも心惹かれる。この場所からどこかへ旅立つ人、どこからかこの場所に降り立つ人、人生が交差する場所なのだ。

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 15:04発、特急「くろしお22号」がホームに入線してきた。後ろ髪を引かれる気分で乗車した。座席にすわると目の前に、可愛いパンダが微笑んでいた。

武蔵坊弁慶のふるさと

Photo_8  私はまったく無知であった。紀伊田辺は、武蔵坊弁慶のふるさとであるという。駅前には弁慶の銅像が建っていた。京都・五條の橋の上で、源義経と出会い、その後、生涯を義経に仕えた。最後は、「弁慶の立往生」と言われ、義経を守り、矢を受け立ちながら往生したと伝えられている。その弁慶のふるさとがこの地であるとは知る由もなかった。

最後は、やはり温泉だ!

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 「かんぽの宿紀伊田辺」へ立ち寄った。目的は温泉だった。館内に入ると、すでにサンタクロースがいてクリスマスモードだった。日帰りプラン700円を支払って5Fの大浴場へエレベーターを利用して登った。

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 5Fでエレベーターを降りると眼下に海が広がっていた。大浴場はあちらという案内板に沿って行くと、窓越しに海がより大きく見えた。浴室からの眺めも抜群で、青空の下に露天風呂があった。いい湯だった。浴室を写真に写そうと思ったのだが、幾人もの人がいたので、羞恥心から抑制した。残念であった。

「かんぽの宿 紀伊田辺」Webサイト

海へつながる道

Photo_3  この道は海につながっている。人影もない静かな道だ。左右の木々の緑にはさまれて、行く手に青い海と空が広がっている。いつか歩いたような、どこかで見たような、記憶の奥底に沈んでいた風景が今目の前にあった。歩きながら日常と非日常の時空の境目をさまよっているような心地だった。

紀伊田辺 海の中の鳥居

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 天神崎ヘ向かいながら海沿いの堤防を歩いていた。海の中に鳥居があった。あの島に神社があるのだろうかと想いながら歩いていた。立ち止まり地図で確認すると、その島は元島で、そこには元島神社があると記されていた。堤防伝いにその島へは行くことが出来るのだが、残念ながら時間がなく寄ることができなかった。ふと小学校1年生の時に祖母に連れられて行った東尋坊の雄島と、九州・対馬にある名前は忘れたが海が参道である神社のことを思い出した。奈良に戻ってきてから元島に上陸できなかったことを後悔している。いつか、その島に出かけて行く日があるのだろうか?

2008年11月24日 (月)

紀伊田辺 天神崎・日和山へ登って

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 11/23(日)午後、天神崎の海べりの道を歩いていたら、「日和山登り口」という標識が見えた。高い所へ登りたいという欲望が決断をさせた。どれくらい登ればいいのかも見当がつかないまま、欲望のままに登りはじめた。

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 20分程度は登ったのだろう。山頂直下の岩の上ををゆっくりと落ち着いて登った。山頂は岩だらけだった。頂上に立った。

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 「三級基準点」の丸い銘板が頂上にあった。眼下を見下ろした。田辺湾が一望できる。海抜は30メートルぐらいだという。それでも、その景色は美しく、おおらかな気分になる。「人はなぜ山に登るのか? 山がそこにあるから」という言葉を思い出しながら、高みから眼下を俯瞰することは、人の心の中にゆったりとした大切な時間を生み出す。

ナショナルトラスト運動発祥の地・天神崎へ

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 11/23(日)午後、わが国のナショナルトラスト運動発祥の地である「天神崎」を訪ねた。多くの人々が磯遊びに戯れていた。老夫婦が海を見ながらお弁当を広げ寄り添って食べていた。のどかでゆったりとした時間の流れである。美しい自然という存在を日常は忘失して生きているのだろうか。その風景と情景を見ながらそのようなことを感じた。

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「社団法人日本ナショナルトラスト協会」公式サイト

南紀スポーツセンターから観た朝やけ

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 11/23(日)朝早く起床した。1Fの自動販売機でホットコーヒー(80円)を買い、2Fの談話室で、備え付けの書棚の本を取り出し読んでいた。6:30過ぎに屋外に出た。朝やけが見えた。このような風景を観るのは久しぶりだった。宿泊室からデジカメを持ち出してシャッターを押した。毎日、神秘的な風景が繰り返されている。

南紀スポーツセンターでの更新研修会

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 11/22(土)・23(日)和歌山県・紀伊田辺の「南紀スポーツセンター」で、「平成20年度スポーツ少年団認定育成員研修会」の1泊2日の宿泊更新研修会を受講した。この4年に1度の更新研修はスポーツ少年団認定育成員と日本体育協会公認ジュニアスポーツ指導員の資格更新をも兼ねている。

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 いつも研修会を受講すると、日常での物憂さが消え去り新鮮な空気が脳の中を駆け巡る。心地よく真摯な気分になることができる。私にとっては再認識できた。そのコアセンテンスは、「スポーツは運動+人間性+プレー性」「人間の発達は他者との関わりを通して促される」ということだ。青少年の自我の発達、自己の形成のためにスポーツは格好のツールなのだ。

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偶然にも、奈良県のディアブロッサ高田FCの代表者の方も受講されていた。宿泊室も同室で、講義・食事もともに行動した。また夜には飲み物を一緒に買出しに出かけ、食堂で2人でさまざまなことを話をした。楽しい時間だった。研修会終了後は紀伊田辺駅まで車で送っていただいた。心からお礼申し上げる。

「和歌山県南紀スポーツセンター」公式サイト

「南方熊楠」(みなかたくまぐす)を訪ねて

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 11/22(土)10:30、南紀・紀伊田辺にある「南方熊楠顕彰館」を訪ねた。世界的な博物学者として著名な南方熊楠(みなかたくまぐす)が生前居住していた家が「南方熊楠顕彰館」隣にある。

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 南方熊楠は、19歳で米英に遊学後、37歳から紀伊田辺のこの地を終の棲家とし在野で研究に没頭し、菌類の研究、生物学、博物学、民俗学、宗教学に偉大な足跡を残した。上の写真は、南方熊楠の書斎だ。その部屋を見ながら彼が今でもそこにいるような錯覚に陥る。

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上の写真は南方熊楠邸にある書庫だ。以前は個々に膨大な資料が保管されてたという。今は隣の顕彰館で大切に保管され南方熊楠研究の重要な資料として大切に保管されている。

Photo_8  母屋である。南側に面した縁側に座りながら、その邸のおばあさんとに30分ほど熊楠の話を聞かせていただいた。空は青く、緑が鮮やか、日差しはきつく、冬なのかそれとも春なのかわからないほどに暖かであった。おばあさんの話に耳を傾けながら、熊楠を想った。話に耳を傾けるほどに、ゆったりとした時間の流れが心地よさを生じさせた。

「南方熊楠顕彰館」公式サイト

息子から携帯メールが届いていた!

 昨日、母が急遽入院したので、今日11:00頃に、大阪・森之宮駅近くの病院へ長女とともに見舞いに出かけた。見舞い帰り、「向こうは、旗が触れないほどの天気みたいやで、雨やて」と長女が私に言った。信州・中野市在住のサポーターが長女に現地情報を携帯メールで送って頂いていた。現地に出かけていらっしゃるのだろう。北九州も雨なのか、寒いのかもしれない。悪コンディシヨなのだろう。長女とは森之宮駅で別れた。

 大阪・鶴橋駅前で遅い昼食を食べようと中華料理「眠眠」へ入った。注文する前に携帯電話で速報を確認した。「AC長野パルセイロ2-3バンディオンセ加古川」の文字を見た時、ショックを受けた。ああ無情、AC長野パルセイロが敗れた。残念至極である。残念会のつもりでビールと酢豚定食(750円)を注文した。

 料理が出てくるまで、ビールを飲みながら携帯電話を見ているとメールが受信されていたことに気づいた。そのメールを開いた。息子からだった。13:43 「負けたわ。」 たったの5文字、それだけだった。返信はしなかった。ただ北九州の地にいる息子を思い描きながら、明日にむかって、やりきればよい!と心の中でつぶやいていた。

AC長野パルセイロ 1次ラウンド敗退!

11/24(月・祝) 本城運動公園陸上競技場
AC長野パルセイロ 2-3 バンディオンセ加古川 (2-1/0-2)

 第32回地域リーグ決勝大会1次ラウンド最終日、AC長野パルセイロがバンディオンセ加古川に、2ー3で敗れ決勝ラウンドへ駒を進めることができなかった。

AC長野パルイセイロ 携帯電話でゲーム結果を確認していた!

Photo  11/22(土)13:15 更新研修が始まる前、南紀スポーツセンターの誰もいない階段教室で、AC長野パルセイロ対ホンダロックのゲーム結果を確認した。携帯電話に登録してある「信濃毎日新聞」Webサイトをどきどきしながらアクセスした。「AC長野パルセイロ 2-2 ホンダロック (PK4-2)」の文字が眼に飛び込んできた。PK勝ちの勝ち点2を得た。勝利だ!
 17:00携帯電話で「AC長野パルセイロ公式サイト」で試合経過を確認した。前半に1点を先制し、後半オウンゴールで2-0となったが、最終的には終了間際に追いつかれ2-2となり、PK戦に突入したようだ。厳しく危ないゲーム内容だった。

Photo_2  11/23(日)13:30 「かんぽの宿紀伊田辺」で遅い昼食を摂ろうとしてレストランの海の見える席に座った。AC長野パルセイロが勝てば奮発して「刺身定食」、負ければ一番安価な「親子丼」にしようと思った。携帯サイトを開いた。 「AC長野パルセイロ2-1沖縄かりゆし」が眼に飛び込んできた。ウエイトレスを呼んで、「刺身定食、それに生ビールをお願い!」と注文した。海を見ながらのささやかな祝勝会だ。ふと、石垣島にいるような錯覚にとらわれた。

2008年11月22日 (土)

武骨なまでに奮闘せよ!

Photo_3   昨日、AC長野パルセイロは長野の町から北九州へ出陣した。長野から東京へ出て、羽田空港から飛行機で北九州へと向かい、現地でトレーニングを行ったという。クラブにとっての晴れの舞台である。わが息子もそのクラブに所属している。クラブ同様、息子にとっても、小学校年代からサッカーに興じて来て、最高の晴れの舞台である。少なくとも父親としてはそう思っている。

 クラブに勝利の女神が微笑むのかどうかはわからない。息子がピッチに立つか立たないか、活躍するかしないか、そのことは父親としては些細な問題だ。何が大切か? 一生懸命、一所懸命にその瞬間をサッカーのために、クラブのために、自分自身のために夢中になることだ。

 息子はサッカーをはじめてから多くの人々の支えを受けて今がある。身体能力に劣っていたとしても、選手として有能でなかったとしても、今までの想いを受けた人々のためにも、全身全霊をかけて大会に望んで欲しいと願う。全国地域リーグ決勝大会の初戦、南紀・紀伊田辺で心から勝利を祈っている。奮闘せよ! 武骨なまでに奮闘せよ! 

2008年11月21日 (金)

明日から、1泊2日で南紀・紀伊田辺へ

 明日から1泊2日で南紀・紀伊田辺にある「南紀スポーツセンター」へスポーツ資格の4年に1度の資格更新研修へ出かける。大阪・天王寺駅から8:02特急「くろしお1号に乗車する。本来ならば奈良を遅い時間にでても間に合うのだが、出来るだけ早く現地について、「南方熊楠記念館」へ立ち寄りたいために、朝一番の特急「くろしお1号」で出かける。

【11/22(土)】
自宅6:50発→富雄駅7:13発→大阪・天王寺駅発8:02 「特急くろしお1号」→紀伊田辺着9:58→南方熊楠記念館→町散策→南紀スポーツセンター着13:30

14:00開会式→15:00現況報告「日本スポーツ少年団の動向」→16:00講義「青少年の健全育成について」→18:00夕食→19:00研究協議「テーマ別分科会」→21:00終了

【11/23(日)】
9:00研究協議「テーマ別分科会」→10:30「全体会・閉会式」→11:30終了→町散策&温泉→15:04紀伊田辺発、奈良へ

AC長野パルセイロ 健闘を祈る!

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 明日から北九州市・本城運動公園陸上競技場で地位リーグ決勝大も火花が切って落とされる。AC長野パルセイロの輝かしい未来へのスタートだ!それぞれの選手が、積み重ねてきた誇りを胸に全力を尽くし健闘することを心から念じている。

2008年11月20日 (木)

北九州・本城陸上競技場へ想いを馳せて

 11/22(土)から、AC長野パルセイロは、北九州市・本城陸上競技場で、全国地域サッカーリーグ決勝大会第1次ラウンドを戦う。その日、私は1泊2日で和歌山県・南紀スポーツセンターでスポーツ資格の4年に1度の更新講習会だ。参加しなければ資格剥奪になる。恐らくそれがなければ、間違いなく北九州市・本城運動公園へAC長野パルセイロへの応援に駆けつけただろう。

 今晩、携帯電話で、「信濃毎日新聞サイト」をブックマークした。その中には、「全国地域サッカー速報」のページがある。本城運動公園陸上競技場へは出かけていくことはできないが、研修の合間に速報を確認できるレディネスを確保した。いよいよ二日後に天下分け目のゲームがはじまる。

「第32回全国地域リーグ決勝大会/JFL NEWS」

2008年11月19日 (水)

塩垂山長興寺へ寄る!

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 11/16(日)朝、出発前に、岡山・湯郷温泉の宿泊した民宿から徒歩1分の「塩垂山長興寺(しおたれやまちょうきょうじ)へ出かけた。「フットボール」と「日本の寺」、なんら関係もないと思うのか、大いに関係あると思うのか、人それぞれであるのだろう。でも、私にはつながっている。

美作遠征の夜、若き指導スタッフは一生懸命に・・・・!

 11/15(土)夜、岡山県・湯郷温泉の宿舎で、遠征に帯同したわがクラブの若き指導スタッフ2人は、夕食後に部屋で、35名余りのジュニアユース選手が提出した「サッカーノート」にコメントを一生懸命に無言で書き記していた。

 私は彼らの姿を見ながら、話すことを躊躇した。一生懸命にペンを持ちコメントを書いているのに、話かけたならば邪魔になってしまう。話をしたいと思えど抑制して、部屋の壁にもたれながら私は文庫本を黙って読んでいた。

 見えない世界で、帯同した若き指導スタッフは一生懸命に子どもたちのために、自分自身の大切な時間を費やしている。その光景を見て、心の中でつぶやいた。きっと、その時間は彼らにとっての未来の糧として繋がると。

11/22(土)から南紀・紀伊田辺へ出かける!

 11/22(土)から1泊2日で和歌山県・紀伊田辺にある南紀スポーツセンターへ、日本体育協会公認のスポーツ資格の4年に1度の資格更新研修に出かける。宿泊は同スポーツセンター内の施設となる。2週間連続で、1泊2日で我が家を空ける。今回のキーワードは、「子どもたちのスポーツ」と「南方熊楠」のふたつだ。出発時間を今のところ決めてはいない。現地では恐らくゆっくりとした時間を過ごすことが出来ないかもしれない。ただ、出来るだけ時間を有効に使いながら、何かに触れたいと思う。

週刊「サッカーダイジェスト」 地域リーグ決勝大会大展望

 本日発売の週刊「サッカーダイジェスト」(12月2日号 No977)で、「地域リーグ決勝大会大展望」と銘打って同大会を予想する記事が掲載されていた。同誌の同大会1次ラウンドの予想は下記のとおりだ。

【Aグループ】 
◎AC長野パルセイロ ○バンデイオンセ加古川 △ホンダロック △沖縄かりゆしFC
【Bグループ】
◎V・ファーレン長崎 ○カマターレ讃岐 △アイン食品   日立栃木ウーヴァSC
【Cグループ】
◎松本山雅FC ○グルージャ盛岡 △静岡FC   レノファ山口
【Dグループ】
◎FC町田ゼルビア ○矢崎バレンテFC △佐川急便中国   ノルブリッツ北海道

 同誌によると、Aグループは、地域リーグファンによると「死のグループ」と目されているという。そのグループの中であえて本命を選ぶとするならばパルセイロだろうかという一文があった。確かに、同誌予想に私は納得している。

 1次ラウンドを突破するのは、AC長野パルセイロ、Vファーレン・長崎、松本山雅FC、FC町田ゼルビアを思い描いている。そして、「石垣島の決闘」である決勝ラウンドでJFL昇格をかけた4チームでのリーグ戦が行われる。信州・長野から遠く遠く離れた南海の石垣島でのAC長野パルセイロ対松本山雅FCとの「信州ダービー」だ。

 最終的には、両クラブそろい踏みでJFL昇格を果たし、長野市・松本市がコラボレーションを成し、選手・サポーター・スタッフともども一同に介したイベントで、「サッカーに、信州あり」というわが国のサッカー界への強烈なアピールを発信する。そのような想いをほろ酔いの中で思い描いている。イマージュすることは楽しい。是非とも私のイマージュが現実に実現することを祈る。

2008年11月18日 (火)

AC長野パルセイロ JFL昇格を祈念する!

 11/22(土)~24(月)、第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会が開催される。AC長野パルセイロは、㈱ホンダロック、沖縄かりゆしFC、バンディオンセ加古川という厳しいグループAに組み分けされた。1次ラウンドを北九州市・本城陸上競技場で戦う。このグループで1位のみが次の石垣島での決勝ラウンドへ駒を進めることができる。三連戦、厳しい戦いが予想される。

 週刊「サッカーダイジェスト」(11/18号No,975)の中で、同大会の予想を記事として掲載していた。注目度の筆頭は、関東サッカーリーグを圧倒的な強さで制した「FC町田ゼルビア」だった。続いて「Vファーレン長崎(九州)」 「AC長野パルセイロ(北信越)」を有力候補としてあげている。

 いよいよ決戦がはじまる。北九州や石垣島へは、どうしても応援に駆けつけることはできない。まほろば奈良の地から、まずは1次ラウンド、Aグループ1位を奪取することを念じてやまない。AC長野パルセイロの健闘を心から祈る!

「第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会」JFAサイト

「AC長野パルセイロ」公式サイト

サッカーを観戦する老夫婦

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 10/16(日)午後、岡山県・美作ラグビー・サッカー場サブグラウンドで、わがソレステレージャのゲームを観戦する老夫婦の姿だ。ベンチに腰掛け楽しそうな表情で観戦されていた。彼らの孫がピッチを駆け巡ってはいない。

 それではなぜ? 実はこの遠征に帯同したわがクラブの若き指導者のおじいちゃんとおばあちゃんである。岡山県美作の近くにお住まいだそうだ。孫から電話があり、「美作へ行くから」と聞いたので、このグラウンドに出かけてこられたという。私がその老夫婦を見かけた時、どこかでお会いしたような気がした。それもそのはず、実は前日に勝央中学校グラウンドへも来られていた。

 孫がやって来るからと、グラウンドへ二日間通われた老夫婦、見ず知らずの子どもたちのサッカーを観戦している。彼らの孫はピッチには立たず、コーチとしてベンチに座っている。ただそれだけだ。その情景の中に、私は「人に対する想い」を感じる。人は自分自身のことだけでなく、誰かのことを想い続ける。老夫婦の後姿を見ながら、暖かい気持ちが涌いてきた。

今日、週刊「昭和」創刊!

Photo  今日、グラビア雑誌、週間「昭和」が創刊した。昭和20年の終戦から昭和64年の昭和最後の日まで40冊が刊行される。創刊号は昭和39年(1964年)号だった。「1964年東京オリンピック」が開催され、東海道新幹線が開通した年でもある。わが国が、まれに見る経済成長を遂げ世界の先進国の仲間入りを果たした象徴的な年である。

 確かに、「1964年東京オリンピック」はスポーツイベントとしてではなく、確かにその当時の大規模な国家事業だった。40年余りを経ても創刊号の表紙にとりあげるほど、その時代の象徴的なイベントだった。個人的には、もうすでに、6年前の「2002年日韓W杯」の印象は薄れてはいるが、44年以上前の「東京オリンピック」は、今も強烈な印象として心に焼き付けられている。豊富な写真や魅力的な記事が掲載されていた。ページをめくりながらあの頃を、あの時代を思い出した。

「週間昭和」スペシャルサイト

第6回フットボールカンファレンスの受講決定通知が届いた!

 昨晩、帰宅すると、第6回フットボールカンファレンスの受講決定通知が届いていた。新年、1/16(金)~18(日)の2泊3日の日程で、石川県・金沢市へ出かける。宿泊先はすでに以前に予約しておいた。金沢駅前の大浴場付のビジネスホテルだ。

 最終日の午後、金沢観光の「オプショナルツアー」の案内があった。そのキャチフレーズに、「冬の風物誌“雪吊り”の風景をお楽しみください」と記されていた。他に出かけたい場所があるのでそのツアーには参加しない。ただ“雪吊り”は確かに風情がある。兼六園には立ち寄ろう。

 まだまだ先の話だ。これから年末にかけて、ゆっくりと「フットボール、五高、鏡花、犀星」をキーワードにスポーツスーリズム計画を練ろうと思う。

2008年11月17日 (月)

勝央中学校の「坂道階段」を登る

 11/16(日)ゲームがはじまる前に勝央中学校正門前から眼下の景色を見ていた。ふと眼を右に向けると急な坂道と石の階段が見えた。好奇心から下ってみた。スキーのジャンプ台のように急勾配の坂道だった。足が滑りそうになり、途中から右側の階段を利用した。5分ぐらい歩いただろうか、車が通行する広い道に出た。ここが生徒たちの毎日の通学のスタートの場所なのだ。ここから山の上の中学校を目指して、階段を登り、授業が終わればまたこの道を通り降りてくるのだろう。

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 車が通る広い道から学校への登り口の左側に生徒用の自転車置き場があった。ここに自転車を置き、この急な坂道の階段を登り始めるだろう。

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 階段を登り始めてから、登ってきた道を振り帰った。左の写真が100段目、右の写真が200段目の風景だ。

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 200段目から登り方向を仰いだ。正門はまだ見えてこなかった。やっとのことで250段余り、階段がとぎれコンクリートの坂道を登ると、かすかに正門らしきものが見えてきた。息切れがして足も重くなった。

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 落ち葉が風情を醸し出す急な坂道を登り続けるとはっきりと正門と校舎が見えた。登りはじめて10分余りで正門前に到着した。

 勝央中学校の生徒たちにとって、日常的に登下校の折に、この「坂道階段」を利用しているのだろう。男女生徒にとって、今はただ登り降りの繰り返しの苦痛の道なのかもしれない。しかし、この中学校を卒業したならば、時が経てば経つほどに、この「坂道階段」を懐かしく思い出すだろう。また、どこの中学校にもない、唯一無二の魅力的な「坂道階段」だったと確信する日がきっと来るに違いない。

「勝央町立勝央中学校」公式サイト

「岡山湯郷Belle」の本拠地 美作ラグビー・サッカー場

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 岡山県湯郷温泉近くにある美作ラグビー・サッカー場は、なでしこリーグ「岡山湯郷Belle」の本拠地である。美作総合運動公園にはメインスタジアムの他に、芝グラウンド2面、人工芝グラウンド1面、クレーグラウンド1面がある。そのほか野球場、アリーナも併設されている。

 探検隊のようにいろんな施設を見てまわった。確かに奈良にはない立派な施設だった。近くには湯郷温泉がありロケーションとしては最高で、スポーツ合宿には最適だ。

「美作市総合運動公園/美作市ホームページ」

「岡山湯郷Belle」公式サイト

奈良県代表一条高校、開幕戦で鹿島学園と対戦 高校サッカー組合せ決まる!

 奈良県代表一条高校は、12/30(火)国立競技場での開会式後の開幕戦で、茨城代表鹿島学園と対戦する。一条高校は二度目の開幕戦でのゲームとなった。

12/30(火)13:10 国立競技場
一条高校(奈良) 対 鹿島学園(茨城)

一条高校は開幕戦に勝利すれば、2回戦1/2(水)岐阜工対野洲の勝者と対戦する。

「第87回全国高校サッカー選手権大会」公式サイト

2008年11月16日 (日)

岡山美作・芝・ボール・ゴール!

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 岡山・湯郷温泉近くの美作ラグビー・サッカー場サブグラウンドだ。大会が行われている合間の美しい芝のグラウンドで寝そべった。その時、このような風景が見えた。ボールの向こう側にゴールがたたずむ。選手としてサッカーの上手か上手でないか、それは些細な問題だ。誰もが彼方のゴールを目指さなければならない。

美作ラグビー・サッカー場で

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 11/16(日)早朝は雨、わが帯同チームは、9:00から勝央中学校グラウンドで、20分×3をして後に、10:30同中学校から美作ラグビー・サッカー場へ移動した。ソレステレージャジュニアユースU-14総勢がこのグラウンドに集結した。選手たちはこのような天然芝と人工芝のグラウンドで一日サッカーに興じた。

円陣を組み、ゲームは始まった!

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 ゲーム前の儀式、円陣を組み、いざキックオフ! 岡山・美作の空の下、ゲームは始まった。一泊二日体験学習、選手たちそれぞれが、自ら何かをつかみ得ることが出来るのだろうか? サッカーを通じての何かを。

岡山県・勝央町立勝央中学校グラウンドで

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 11/15(土)岡山県・勝央町立勝央中学校のグラウンドの空と雲

Photo_5  11/15(土)6:30に奈良・登美ケ丘北中学校を出発し、途中、中国自動車道加西SAで休憩し、9:30頃、山の上にある同中学校にマイクロバスで到着した。グランド端から眼下の風景を眺めた。






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 帯同させていただいた選手たちの出陣である。

 今回の岡山美作遠征には、ソレステレージャU-14の35名余りが参加した。マイクロバス2台に分乗して2チーム参加となった。11/15(土)、一方は美作ラグビー・サッカー場、もう一方は勝央中学校グラウンドでゲームを行った。私は、勝央中学校での付き添い人だった。選手たちの後ろ姿を見送った。どのようなプレーをしてくれるのか楽しみではあった。

関西高校が津山工に勝利! 高校ラグビー岡山県大会決勝

Photo  11/16(日)岡山県・美作ラグビー・サッカー場で、全国高校ラグビー岡山県大会決勝が行われた。関西高校(かんぜい)が、17-7で津山工業高校に勝利した。

 後半の残り10分ぐらいから観戦した。関西高校がトライ&ゴールで7点を先取していた。津山工業高校が、同点に追いつき、7-7となった。しかし、同点に追いついたのもつかの間、関西高校がトライを、つづくゴールも決めて、14-7と突き放した。つづいてトライを決めて17-7でノーサイドとなった。

 関西高校が岡山県大会三連覇を達成した。花園での活躍を期待する。

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岡山県・美作、湯郷温泉から無事帰還!

 ちょっとしたわが失敗があったが、選手・指導者ともども元気で、まほろば奈良へ無事に帰還した。宿舎は湯郷温泉の町中の民宿だった。昨晩も1回だけ宿舎の温泉に入った。今朝も選手・指導者が起きて来る前に、5:58秘密裏に朝風呂に入った。今からちょっと自宅の小さな湯船につかる。美作・湯郷の地で幾枚かの写真を撮った。風呂上りに一部を書き込み掲載する。掲載予定は21.45頃となる。

2008年11月15日 (土)

今日から一泊二日で、岡山県・美作へ

 今日から一泊二日で、岡山県・美作へ、ソレステレージャジュニアユース選手を乗せて、マイクロバス運転手として出かける。帰宅は、11/16(日)夜になる。時間は未定。

2008年11月14日 (金)

11/22(土)第32回全国地域リーグ決勝大会がキックオフ!

 11/22(土)第32回全国地域リーグ決勝大会1次ラウンドがキックオフする。JFL昇格を目指して熾烈な戦いが始まる。日本代表、J1、J2に劣らぬ熱狂的なサポーターに支えられたクラブが、その未来を賭けてゲームに望む。大きくはメディアに報道されてはいないが、そのカテゴリーのフットボールが、わが国の「サッカー文化」、いや「フットボール文化」醸成の指標となるほどの大きな存在価値を持つと、私個人は思い込んでいる。

 わがAC長野パルセイロも準備万端として、その大会に臨むだろう。来週からは、「ロシアから愛をこめて」ではないが、「まほろばから想いをこめて」、AC長野パルセイロに関して、個人的につれづれなるままに集中掲載をしようと思っている。

鶴橋 「高坂書店」で文庫本を買った!

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 近鉄鶴橋駅西口前の「高坂書店」で文庫本2冊を買った。小説ではなくノンフィクションものだった。駅前という好立地にあり、文庫本・新書本の新刊の品揃えが豊富で、私にとって重宝している本屋だ。仕事帰りに立ち寄るには好都合な場所にある。

 私が幼かった頃は、鶴橋駅高架下から千日前通りに沿って西側に100メートルほど歩いたところにあった。その場所から鶴橋駅西口前へ移転した。その店の前を通る時、自然と吸い込まれるように書棚の前にたたずんでしまう。少なくとも私にとっては、場末の町にある大切な本屋である。

2008年11月13日 (木)

とりとめもなく歩きながら~大成通り~

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 なにげもない場末の町の小さな店だ。人から見ればなんら印象深くもない風景なのかもしれない。しかし、私には違う。この大成通りに住む人々には、私が子どもだった頃にお世話になった。

 あれから45年以上も経つ。家から徒歩1分のこの店で文房具、祖父や父のたばこをよく買いに行った。この牛乳店のおじさんが、小学校のソフトボールの練習の時に、グラウンドへ大きな運搬用の自転車に乗り、私たちのためにフルーツ牛乳を運んでくれた。夏にそれを飲んだ時、元気が出たり、少し上手になったような、強くなったような気持ちになった。その時のことは今も忘れていない。

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 朝早い時間だった。店は開いてはいなかった。静けさが漂っていた。私の懐かしき人々が住む家だ。彼らは元気にしているのだろうか?.その日の早朝にこの地を歩きながら、「パトリ」(郷土)である、大成通と大成小学校第三分団のことを思い描いた。

「旧大阪市立博物館」を眺めて

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 大阪城天守閣前にある旧大阪市立博物館の建築を眺めた。1931年、旧陸軍第四師団司令部として建築され、戦後は大阪府警本部の庁舎となり、その後、大阪市立博物館となった。現在は博物館は移設されて、建物だけが残っている。有効的な活用をするのかそれとも取り壊すのか定かではない。いずれにしろ、今、私の眼前にそのロマネスク様式の建築は存在している。

 この地にある旧大阪市立博物館、天王寺公園にある大阪市立美術館の二つの建築は、私には「昭和の匂い」がする。建築は時代を表現し、時代は建築を築くのだろう。旧大阪市立博物館の建築を観ていると、タイムスリップした気分になった。

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思郷のこころ湧く日なり

 「オモニも済州島で生まれ育ったんやろ。なあ、元気な内に一度帰ろう!」と鶴橋の居酒屋「うをさ」で隣の席から話し声が聞こえてきた。意識的に耳を傾けなくとも、酒の酔いのせいだろうか、その男性の大きな声が自然と耳に入った。私と同年代ぐらいの男性二人とそのご両親なのだろうか、老齢のご夫婦が同席していた。

 「今、帰えらなければ帰られへん。なあ兄ちゃん、お父ちゃんもそう思うやろ。みんなで済州島へ帰えろうや。おじいちゃんの墓参りもせなあかん!」と大きな声が店の中にとどろき渡った。わがふるさと場末の町で酒を飲みながら、その家族と彼らの郷里・済州島に想いを馳せ、いつになく、わが思郷の湧く日となった。

病のごと
思郷のこころ湧く日なり
目にあをぞらの煙かなしも 
(石川啄木)

2008年11月12日 (水)

「修道館」でのアルバイトを思い出して

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 大阪城内にある大阪市立「修道館」だ。柔道・剣道の道場だ。ここで私はある時期、アルバイトをしていた。どのようなアルバイトかといえば、畳の上げ下ろしという肉体労働だった。柔道の試合があって、今度は剣道の試合があるという時に畳を上げる。次に柔道の試合があるという時には畳を敷く。その繰り返しのアルバイトだった。大部分が夜だった。

 夏の暑い日には、畳の匂いにむせながら汗が玉のように吹き出た。鶴橋の実家からは自転車でやって来た。土曜日の夜など、汗を拭きながらタオルを首に巻き、公園内を通って帰宅した。よく仲の良いカップルとすれ違った。楽しそうに二人で笑顔を振りまきながら会話をしていた姿を垣間見て、うらやましくて、うらやましくて、居たたまれなかった。「修道館」の建物を見て、そのような日々をふと思い出した。

「大阪市立修道館」公式サイト

大阪城・大手門

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 大阪城の表門である大手門から城内に入った。最寄り駅は、地下鉄谷町線「谷町4丁目」だ。地下から地上に出て緩やな坂道を東の方へ徒歩10分で、大阪城大手門へ出る。天守閣へは一番緩やかな行程だ。JR環状線森ノ宮駅、大阪城公園前駅から天守閣をめざすと、老齢者・障害者等には少しハードな登りとなる。そして距離も長い。初めて大阪城へ出かける人には、歩く負担の少ないこのコースがお勧めかもしれない。

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「旅ゴタエ 大分」キャンペーン!

Photo  「旅ゴタエ 大分」という旅行パンプレットをJR環状線・鶴橋駅で手に取った。「大分トリニータ」がナビスコ杯で優勝したこととは全くの別に企画されたものだが、偶然にもタイムリーだった。「大分」へは何年前かに訪れた。ふと、その小冊子を見ながら、いつかまた出かけてみたい「大分」を思い描く。

 そのパンフレットを見ながら、訪れた場所を追想した。別府温泉、由布院温泉、筋湯温泉、佐伯・国木田独歩記念館、臼杵の町、臼杵石仏、等々。行きそびれた場所もある。福沢諭吉の中津の町、宇佐神宮、国東半島、そして、いつかは必ず訪れたい滝廉太郎「荒城の月」で有名な城下町・豊後竹田だ。

 ただの駅頭に置いてある無料のパンフレットを手にとり、帰宅途上の電車で見ながらふと旅情に誘われた。

 「旅ゴタエ 大分」公式サイト

2008年11月11日 (火)

携帯メールアドレスを変更しました!

 携帯電話をドコモに変更しました。それに伴い、携帯メールアドレスも変更となりました。関係者諸氏にはご迷惑をおかけいたしました。お詫び申し上げます。

 先頭のアルファベット7文字は変更いたしておりません。それに続く「@docomo.ne.jp」へ変更となりました。

 私以外の家族の面々が、すべて「docomo」であり、今般、祖母が携帯電話を持つことになり、それも「docomo」となったため、私もやむなく、家族の仲間に入れてもらうために「docomo」に変更した次第です。やっと、家族の一員に入会させていただいたような気分です!

岡山県・美作と和歌山県・紀伊田辺へ出かける!

 11/15(土)~11/16(日)、一泊二日で岡山県・美作へ出かける。クラブのジュニアユースの遠征に帯同する。実は、指導者としてではなく、マイクロバスの運転手として選手たちとともに出かけるに過ぎない。ただそれだけだが、私にとっては楽しみの時間だ。

 11/22(土)~11/23(日)、一泊二日で和歌山県・紀伊田辺へ出かける。南紀スポーツセンターでスポーツ資格の4年に1度の更新研修に参加する。これも、私にとっては楽しみの時間だ。さまざまな人々に出会える。また、紀伊田辺は、博物学者・民俗学者である南方熊楠(みなみかた くまぐす)のふるさとである。記念館に立ち寄りたい。それも付加価値として楽しみだ。

 いずれにしろ二週間連続で、我が家を空ける。未だ、妻にはそのことを伝えていない。別段に許可を得る必要はないのだが、また我が家の態勢には影響はないのだが。明日の夜には言おう!

富雄川沿いの道ですれ違って

 今晩、最寄り駅の近鉄奈良線・富雄駅からいつものように徒歩で富雄川沿いを帰宅した。早い時間の帰宅だった。少し肌寒さを感じた。19:50頃、自転車に乗った二人連れが向こうの方からやって来た。紺地に黄色のラインが入ったウインドブレーカーが眼に入った。あっ!と思ったが一瞬のうちにすれ違った。わがクラブ、ソレステレージャ奈良2002のジュニアユース(中学生)の選手だった。

 自転車を利用して、クラブの練習に参加している。最寄り駅の富雄駅からは徒歩であれば30分ぐらいはかかるのだろう。自転車でも10分あまりはかかるのだろうか。あの丘の上のグランドまで練習に参加している。最寄駅からは電車で自宅に帰るのだろうか。

 もう、彼らは自宅には帰っているのだろう。今日、暗がりの富雄川沿いですれ違った選手がサッカーのプレーの上手であるのか上手でないのかは知らない。そのようなことなど些細なことだ。自分の力で、あの不便な丘の上のグラウンドまで、サッカーを取り組むために行くことそのものが、彼らの存在としての大きな評価だ。

 今晩すれ違った彼らだけでなく、クラブ創設からの幾人もが、学校の授業がおわり、それぞれの離れた場所から二名中学校・登美ケ丘北中学校グラウンドへ向かい、そこでボールを追いかけ続けている。その想いは、きっと未来に繋がる。サッカーだけでなく、生きていくということに。妻が買ってきた「かのか」という安価な焼酎のお湯わりを飲みながら、とりとめもなく私はそのような想いを抱いた。

奈良公園の鹿

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 正倉院展の帰りに、奈良公園を歩いた。恥ずかしながら素朴な疑問が涌いた。なぜ、奈良公園には、「鹿」がいるのだろう? それはいつの時代からなのだろう? 私は理解していない。「鹿」を見ながらとりとめもなく思い描いた。

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奈良県小学生サッカー大会結果11/9

11/9(日)橿原公苑陸上競技場
【決勝】
ディアブロッサ高田FC 2-0 奈良YMCA (1-0/1-0)
【3位決定戦】
スクデッド 2-1 鳥見SC

2008年11月10日 (月)

記念すべき、10万アクセスを突破!

 皆様方に心から御礼申し上げます。今日、午後2時頃だと推測する。ブログのアクセス数が10万を突破した。

 2007年6月2日にブログを公開してから1年5ケ月で、10万アクセスを記録した。それほどの内容もなく、誤字・脱字が多く、また悪文をとりとめもなく記しているにも関わらず、わがブログを見ていただいている方々に、重ねて感謝申し上げます。

2008年11月 9日 (日)

橿原神宮前駅構内の「きはる」に寄る

Photo_7  11/9(日)高校サッカー奈良大会を観戦して、橿原神宮前駅構内の居酒屋「きはる」で、ビールを飲みおでんを食べ、ゲームを振り返りながら、その余韻に浸った。ゲーム中に書き留めたメモを見ながら、ひとりの観戦者として結果の勝敗云々よりも、そのゲームの内容はどうだったのだろうかと自問してみた。選手・スタッフは全力を投じてゲームをしたことは事実だ。しかし、少なくも私にとって、結論としては、どちらのチームにとっても、その持ち味を最大限にピッチで表現し尽くすことなく、不完全燃焼のままに勝敗が決したように思う。ただ、ゲームとはそのようなものかもしれないが。

Photo_8  高校サッカー奈良大会決勝戦を観戦した後は、恒例のように、ちょっといっぷくして、ビールを飲んで帰宅する。今日は橿原神宮前駅構内の「きはる」だった。おでんとビールを注文して、ひと時を過ごした。車で観戦に出かければ便利なのかもしれないが、余韻の趣きに欠ける。私にはやはり、フットボール観戦は公共交通機関に限る。ゲーム後、あたかもイングランドのパブでいるかのような気分でグラスを傾ける。そこでフットボール談義に誰かと興じることができれば良いのだが、ちょっぴりと秋の日の寂しさを感じてしまう。でも、そのような相手がいればまた問題が生じる。話に興じて帰宅が遅くなってしまう恐れがあるからだ。橿原神宮駅構内の若草書店で文庫本を買い、電車の中で心地よくほろ酔い気分で読みながら帰宅した。

一条高校 2-1 奈良育英高校 高校サッカー奈良県大会決勝

11/9(日)橿原公苑陸上競技場
一条高校 2-1 奈良育英高校 (0-0/2-1)

 奈良市立一条高校が奈良県代表として第87回全国高校サッカー選手権大会へ出場する。

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 第87回全国高校サッカー選手権大会奈良大会の決勝戦が、大和三山のひとつ、畝傍山の麓にある「橿原公苑陸上競技場」で行われた。ゲーム開始前、勝った負けたの世界とは一線を引いた、まほろば「万葉の心」をふと想い起こさせる畝傍山の姿だ。橿原公苑陸上競技場は静寂が漂っていた。ゲーム前のこの時間と光景に、いつもほっとした気分になる。何時間後には、当たり前のことだが、喧騒の果てに勝者が決定する。そのような思いを抱いて、競技場へと入った。

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 有料入場者数1912人の中、一条高校キックオフでゲームが始まった。奈良育英が中盤でのアプローチ、ルーズボールへの寄りのの速さで、7対3の割合で相手陣内へ攻め込む状況だった。ボールと人の動き、空中戦でのボールの奪取に対して優位を維持した。左右のサイド攻撃に一条は守勢に回っていた。やむなくDFラインから前線へのフィードボールでカウンターを仕掛けるしかなかった。一条の中盤でのボール保持は垣間見れなかった。前半は、大きな見せ場もなく全般的な状況では奈良育英が優位だった。

 後半序盤も奈良育英優位にゲームが運んだ。後半14分、左サイドからの中央へのボールをFWがボレーでシュートを放ちゴールに突き刺さった。奈良育英が先制点を叩き出した。奈良育英1-0一条。

 そのあとすぐの後半16分、一条はこのゲーム初めてといってよいほどに中盤で安定したボール保持から左サイドへボールが渡り、左サイドペナルテイエリア外からパスを受けたFWがドリブル突破を試みた。その対応の中で奈良育英DFがエリア内でファウルを犯し、一条はPKを得た。

 一条のPKを奈良育英GKがはじくもこぼれたボールを一条FWがシュートを放ちゴールへ突き刺さった。一条、追いつく。と思いきやラインズマンのフラッグが上がった。PKをける前にGKが動いたという判定で、PKのやり直しとなった。今度は確実に左隅に決めて、後半18分、一条が奈良育英に1-1と追いついた。

 ゲームの流れが変わった。奈良育英の中盤でのアプローチの甘さが出始めた。続く後半23分、一条は中盤でボール保持し、奈良育英DFが高いポジションを取っていた裏側スペースへ浮いたボールを出し、GKが前に出ていた所を、FWがボールを受けGKをかわし、誰もいないゴールへとシュートを放った。ゴールが決まり、一条が2-1と奈良育英を突き放した。その後は一条・奈良育英とも、大きなチャンスもなく、ゲーム終了のホイッスルが鳴った。

 一条高校が第87回全国高校サッカー選手権大会奈良県代表の栄誉を勝ち取った。本大会で奈良県代表として、上位の成績を残すことを、また、敗れた奈良育英高校の今後の健闘を心から祈念している。

「箱舟」のような塊を見て

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 11/2(日)午前、大阪城公園内の「大阪砲兵工廠」跡あたりの大阪城堀端づたいの道を森之宮駅へ向かって歩いていた。周りの風景と違和感がある「塊」が私の眼に飛び込んできた。何だろうと思い近づいて見た。名所・旧跡ならば立て札があるはずだが何もなかった。もう一度周りを見回した。どうしても違和感だけが生じた。この道を整備した時に、なぜ撤去しなかったのだろう?と不思議さを抱いた。

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 その「塊」の上部は窪みがあり、まるで小さな池のように深緑色の水が溜まっていた。変わった形をした「石」だなあと思いながら、手で触れてみた。あれ? 「石」? いや違う。それは「石」ではなくその手触りから間違いなく「鉄」だった。戦時中にこの場所にあった東洋一の兵器工場「大阪砲兵工廠」と何か関係があろのだろうか?と思いながらその場所を立ち去った。

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 奈良・富雄の自宅に戻ってからも、その「鉄の箱舟」のような塊が気になり、インターネットで、「大阪砲兵工廠」というワードで検索したら、私が見た「鉄の箱舟」ような塊のことが掲載されていた。確かに「大阪砲兵工廠」の遺物だと知った。溶鉱炉の底の鉄が固まったものだという。また、怖い話も載っていた。あまりの重量で撤去でできなかったようだ。60年以上もその場所に存在し続けていることに、私は不思議な想いを抱いた。

2008年11月 8日 (土)

国宝「阿修羅像」出陣! 春三月 東京へ

Photo_3  奈良・興福寺の魅力的な仏像、国宝「阿修羅像」が興福寺創建1300年記念として、来春、3/31(火)~6/7(日)東京国立博物館で開催される「国宝阿修羅展」へ、はほろば奈良から東京へ出陣する。

 いつもは興福寺の国宝館で概ね正面からしか拝謁できないが、360度からその仏像を拝顔できるという。初めてのことのようだ。「阿修羅像」は少年なのだろうか、それとも少女なのだろうか、そのことを知る由もないが、人を惹きつける仏像の一体であることは誰もが否定できないだろう。「阿修羅像」東京出陣を知り、正倉院展の帰路に、その姿を拝謁した。美しさに魅了された。

 「阿修羅ファンクラブ」というWebサイトも立ち上がった。「仏像」はただの「ぶつぞう」ではなく、今を生きる人々にとっての「心の穴」を埋めてくれるものなのかもしれない。願わくばその季節に東京へと出かける大義名分の所要が生じればと念じている。

「阿修羅ファンクラブ」公式サイト

「日本浄土」

著者:藤原新也/発行:東京書籍㈱(2008.08)/定価:1700円+税/P.237

Photo_2  【コンテンツ】 島原 口紅/天草 海とまねき猫/門司港 夕立/尾道 雲煙過眼/能登 サザンカの海/房総 サクラの歌を聴けば/ほか

 写真家、作家といえばよいのか、藤原新也氏は砂上の楼閣、虚妄としての「日本」を撃ち続けてきた。かつて、まだエネルギーを噴出していた雑誌「フォ-カス」で掲載された、インドでのひとつの写真に私は衝撃を受けた。もしかしたたら、その写真のことを覚えていらっしゃる方がいるのだろうか。あの日から、私は写真家、文筆家である藤原新也氏に興味を抱き、惹き続けられている。その新刊著作「日本浄土」を読んだ。

 観光地でもない、賑わいからは程遠い街をめぐり、著者はある想いを抱き日本漂流をする。漂流などではなく、源流を求めて。ほんとうはわれわれが、行くあてもなく漂流しているのだろうか、そのことも気づかずに。人は「聖地」、「浄土」を求めて、そうだ「生地」を求めて歩み続けているのだろうか。著者はいう、「聖地はここにある。歩き続けることだけが希望であり抵抗なのだ」と。

「写真家・藤原新也」公式サイト

明日11/9(日)、高校サッカー奈良大会決勝戦

Photo 第87回全国高校サッカー選手権大会
奈良大会 決勝
橿原公苑陸上競技場13:00キックオフ
奈良育英高校 対 一条高校

 決勝戦までの両チームの道のりは、
【奈良育英】           【一条】
2回戦   5-1 奈良
3回戦  11-1 帝塚山     5-0 高田商業
準々決勝 5-0 香芝      4-0 高田
準決勝   6-1 生駒      4-0 法隆寺国際

 奈良育英は4試合で得点27、失点3、得失差24。一条は3試合で得点13、失点0、得失差13。

 一条は本大会無失点を誇る。奈良育英の速いボールの動きに安定した守備を堅持できるか、中盤での奈良育英の速いアプローチとプレッシャに打ち勝ちボール保持をし、前線へ確実なボールを供給して、最終ラインを突破できるか、昨年の雪辱をはらして全国への道を歩めるか。

 奈良育英はスピードのあるサイド攻撃と多彩な攻撃が光る。一条のボールポゼッションを中盤で封じ、相手FWへのボールの出所を抑えきれるか、一条の個人技術を最終ラインで防ぎきれるか。

 昨年は奈良育英に軍配があがった。最近6回の奈良大会決勝では、3度づつ優勝を分けあっている。いずれのチームが全国大会切符を獲得したとしても、奈良県代表が今年こそは本大会で、まずは3回戦進出を果たして欲しい、もっと上位をというのが本当の願いである。

 明日、奈良県大会の決勝だ。両チームの選手・スタッフの健闘を心から祈っている。

高校サッカー奈良大会決勝戦 前所属チーム選手数

 11/9(日)13:00、橿原公苑陸上競技場で第87回全国高校サッカー選手権大会奈良大会の決勝戦、奈良育英高校対一条高校が行われる。両チームの前所属チーム(中学年代の所属クラブ)の内訳を見てみた。エントリー選手数50名の内、クラブチーム出身選手数36名(内県外クラブ6名)、中学校サッカー部出身選手数14名だった。

 前所属チーム選手数の多い順に列挙すると、
① 8名 ディアブロッサ高田FC  
② 6名 ソレステレージャ奈良2002・奈良YMCA 
③ 3名 東和FC  
④ 2名 ポルベニルカシハラ・吉野中・三笠中・富雄中・平群中
⑤ 1名 FC都南・生駒SC・奈良国中FC・桜FC・桜井FC・八木中・大淀中・奈良育英中・新庄中・都南中・上牧中・名古屋ユニオン・宇治FC・柏原FC・柏田SC・京都FC長岡京・FCフェルボール愛知

高校サッカー奈良大会 クラブチーム出身選手数ベスト10

 第87回全国高校サッカー選手権大会奈良大会におけるエントリー選手数759名の中で、前所属チームがクラブチーム出身選手数は258名である。その内訳をクラブ別に選手数を見てみた。エントリー選手数の多いクラブ、ベスト10は以下の通りである。

①ディアブロッサ高田FC 33名  ②ソレステレージャ奈良2002 28名  
③奈良YMCA 23名  ④ディアブロッサ高田FC大和 17名  
⑤桜FC 16名  ⑤東和FC 16名  ⑦ポルベニルカシハラ 15名  
⑧天理FC 14名  ⑨王寺SC 12名  ⑩生駒SC 12名 
(高校サッカー奈良大会プログラムから抽出) 

2008年11月 7日 (金)

寺山修司の声を聴く 現代短歌朗読集成

 休日前の夜、「現代短歌朗読集成」で自作の短歌を朗読する寺山修司の声を聴いた。不思議な想いが湧き出てきた。学生時代に惹きつけられ、今も魅了し続けている。劇作家、詩人、歌人、映画監督という枠にとらわれない表現者としての存在が、私の中で今も輝き続けている。その肉声を聴きながら、寺山修司の短歌をぼそぼそと小さな声で詠んでいた。

ほどかれて少女の髪にむすばれし葬儀の花の花ことばかな

濁流に捨て来し燃ゆる曼珠沙華あかきを何の生贄とせむ

吸いさしの煙草で北を指すときの北暗ければ望郷ならず


「寺山修司/死の1ケ月前のインタビユー」 You tubeサイト

「現代短歌朗読集成/オンラインショップ」Webサイト

あの日、僕たちは小旗を打ち振った!

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 もう45年以上前、1962年(昭和38年)の頃だ。近所の鉄工所のおじさんに路地裏小僧の数人が声をかけられて、鶴橋駅まで出かけた。おじさんは鉄工所の名が記された大きな旗を、僕たちは小旗を持ちながらあひるの行列のように駅へと向かった。春四月、集団就職で九州・宮崎からやってくる中学校を卒業したばかりのお兄ちゃんたちを出迎えに。

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 しばらくして、男の人に引き連れられて、二人のお兄ちゃんがこの階段を降りてきた。黒い学生服に学生帽をかぶり、手には重そうな大きなバッグを持っていた。その姿を見るなり、おじさんは大きな声で叫んだ。何を叫んだのかは今となっては思い出せない。僕たちは威勢よく歓迎の小旗を打ち振った。でも、お兄ちゃんたちは少し不安そうだった。

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 僕たちの一団は駅の構内からすぐ前の電車道(千日前通)沿いに東へ、おじさんを先頭に、続いて二人のお兄ちゃん、その後が僕たち路地裏小僧の順に列を組みながらわが路地裏へと向かった。疎開道路の信号を渡った。

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 この家の角を右に曲がり、すぐに左に曲がれば、わが路地だ。いつも僕たちはこの角を曲がり家路についていた。近道だった。でも、おじさんは曲がらずに直進した。遠回りだった。ぼそぼそと誰かがつぶやいた。「おっちゃんは、ええかっこしとるで。にぎやかな路を通らせたいんや!」

 この角を曲がれば近道だが、あまりきれいではない。電車道沿いのほうが少しはにぎやかさがあった。僕たちは、次の角である「アジアコーヒ」の所を右に曲がり「大成通商店街」を通っておじさんの鉄工所へと着いた。

 あの日、鶴橋駅で小旗を打ち振ったことは鮮明な印象として今も残っている。おじさんに言われたから振ったのではなく、僕は素直な気持ちで振った。それは間違いないと言える。おじさんが、あの日、近道をせず遠回りの道になるのだが、少しはにぎやかな道をこの街に来たはじめてやってきたお兄ちゃんたちに歩ませたことは、僕には、「ええかっこをした」というのではなく、おじさんが少しの「希望」をお兄ちゃんたちに伝えたと今も思い続けている。あの日から45年後、今は亡き鉄工所のおじさんへの心からの賛歌としたい。

2008年11月 6日 (木)

「大阪城甲冑隊」に出会って

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大阪城天守閣前でイベントが開催されていた。「大阪城甲冑隊」という名の一団が参加していた。舞台では演技が披露されていた。紹介のアナウンスを聞いていると、信州・上田市にある「上田城甲冑隊」とともに活動をしているようだ。「大阪城」と「上田城」、なぜだろうと一瞬何の繋がりか即座に解らなかった。しばらくして、そうか、「真田家」なのだと理解した。

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 「NPO法人大阪城甲冑隊」公式サイト

「上田城甲冑隊」公式サイト

松本山雅FC 全国地域リーグ決勝大会へ?

 松本山雅FC(北信越・長野)が全国地域リーグ決勝大会へ出場することになったらしい。全国社会人選手権大会枠で出場を決めていたNECトーキンサッカー部が全国地域リーグ決勝大会への出場を辞退した。全社枠の中で全国社会人サッカー選手権大会4位の松本山雅FCが繰り上げ出場資格を得るようだ。そうなれば、より一層に楽しみが増える。AC長野パルセイロとともに、全国地域リーグ決勝大会1次ラウンドを勝ち抜き、決勝ラウンドで合間見えるという楽しみとなる。

「第32回全国地域リーグ決勝大会/JFLnews」Webサイト

「第15回大阪ヨーロッパ映画祭」が開催されている!

Photo  「第15回大阪ヨーロッパ映画祭が開催されている。特別上映として、ニュープリント版の「アラビアのロレンス」が上映される。1962年に製作された不朽の名作だ。11/21(金)15:00上映と案内に掲載されていた。残念ながら、平日の午後、仕事中で鑑賞はできない。

 さまざまな作品が上映される。今年で15回目の映画祭で初上映作品も多数ある。詳しくは、下記のWebサイトを参照願います。

「第15回大阪ヨーロッパ映画祭」公式サイト

2008年11月 5日 (水)

「大阪城」の雄姿を見ながら!

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 JR大阪環状線・森ノ宮駅から大阪城公園に入った。大阪城の表玄関・大手門からは程遠く裏門にあたる玉造口から大阪城を目指した。とぼとぼと歩きながら、大阪城がだんだんと近づいてきた。とびっきりの観光名所がどうかは知る由もないが、この城と公園には愛おしさを感じる。

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 私が在学していた高校から、大阪城公園へは自転車で15分程度だった。高校時代に授業に出席せずに、私は大阪城公園でのんびりと昼寝をしたり、母が作ってくれたお弁当を学校で食べずに、この公園で食べながら時を過ごしたこともあった。同級生は教室で授業を受け勉強しているのにも関わらず。

 そのことだけでなく、さまざまな要因で、出席日数がたらずに、高校2年生、3年生と連続で「留年」、すなわち「落第」の協議をする職員会議にかかってしまった。私の父は、「お前は本当にまっとうに生きていけるのか? 普通に生活できるのか?」と、17歳の私に言った。父親としては息子のことが心配だったのだろう。

 今、私は55歳になった。自分自身で言えば、30年あまり当たり前のように普通に生きている。人に誇れるものは何もないが、ただ父が心配するようなこともなく生きてきた。それは不思議なくらいだ。大阪城の天守閣を仰ぎながら、17歳だった頃と今を比較しながら、本当に成長したのだろうかと自問しながら、今は亡き父を想った。「おとうちゃん! 俺はなんとかまっとうに、普通に生きてるで!」

「亀之橋跡」の前で

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 わが実家近く、大阪市東成区玉津二丁目にある「亀之橋跡」である。変体仮名で「かめのはし」と彫られた小さな石である。私の妹の同級生だった友人の家の前にある。そこは、むかしむかし川が流れ、橋がかかっていたのだろう。人から見ればただ何の変哲もない石だ。ただ何の変哲もない石でありながらも、ずっとその場所に存在し続けている。無用なものであれば取り除けば良い。しかし、その小さな小さな石柱はそこにある。歴史はいとも簡単には切り捨てられない。

2008年11月 4日 (火)

高校サッカー選手権奈良大会 優勝回数

 高校サッカー選手権奈良大会の過去優勝回数は、大会プログラムを参照すると次のようになる。あくまで第51回(昭和47年度)から前年度第86回(平成19年度)までの36回だけだが。

①奈良育英 14回  ②大淀 7回  ③一条・天理 3回 
⑤耳成・女子大付・上牧 2回  ⑧畝傍・北大和・広陵 1回

「前所属チーム クラブチーム・中学校サッカー部出身の比率」 高校サッカー奈良大会

 第87回全国高校サッカー選手権大会奈良大会も決勝進出チームが決まり、11/9(日)橿原公苑陸上競技場で決勝戦が行われる。大会プログラムを見ながらさまざまなことに想いを巡らした。

 奈良大会は33チームが参加している。学校統合で参加チーム数は減少している。全国的に中学校部活動も危機に瀕している状況は奈良県も変わらない。今大会において、エントリー選手が、前所属チームが中学校サッカー部、クラブチームのいずれに所属していたのか数値を把握したいと思い、大会プログラムから抽出した。

クラブ① 部活 計② クラブ率(%)
①÷②×100
全参加チーム 258 501 759 33.99
ベスト8チーム 116 82 198 58.58
ベスト4チーム 68 32 100 68.00
決勝戦進出チーム 36 14 50 72.00

 奈良大会のエントリー選手数は759名で、クラブチーム出身者数は258名だった。比率で33.99%となる。
 ベスト8進出チームでは、エントリー選手数は198名で、クラブチーム出身者数は116名だった。比率で58.58%となる。
 ベスト4進出チームでは、エントリー選手数100名で、クラブチーム出身者数は68名だった。比率で68.00%となる。
 最後に決勝戦進出チームでは、エントリー選手数50名で、クラブチーム出身者数は36名だった。比率で72.00%となる。

 以前は大部分が中学校サッカー部出身者が多数を占めていたが、奈良県でもジュニアユース年代で多数のクラブチームが創設された。そのような状況の中で、大会上位チームになればなるほど、クラブユース出身者の比率が高くなっている。高校サッカー選手の前所属チーム状況も上記のように大きく変化した。

2008年11月 3日 (月)

法隆寺国際高校のゲームを観戦して

 恥ずかしながら、初めて法隆寺国際高校のサッカーゲームを観戦した。素直に言えば、少なくとも私にとっては興味深く魅力的だった。今日、高校サッカー奈良県予選準決勝、一条高校に0-4で敗れた。勝敗は確かに結果として一条高校に軍配があがった。ただ、そのゲームを観ていて興味深い思いに浸った。

 ゆっくりとしたポゼッションで丁寧にボールを回す。ショートパス多用だった。その距離間は一条高校よりも短かった。グランダーボールの頻度が多く、中盤でも細かなショートパスと巧みなドリブルを駆使した。個人的な高い技術力を感じた。技術力を礎にした1対1のボール奪取力に優れ、ここぞという時のアプローチが早かった。頻度は少なかったが、早いパス回しからのくさびを打ち込み、ワンツーの縦への攻撃も魅力だった。

 確かに、敗れたということは事実だ。それは強くはないという証なのだろう。しかしながら、指導者・評論家でもなく戦評など書くことほどに能力もないが、ひとりのサッカー観戦者として、少なくとも私にとっては魅力的なチームだった。顔を上げて前へ、法隆寺国際高校サッカー部の今後の健闘を心から祈る。

一条 4-0 法隆寺国際 高校サッカー奈良県予選準決勝

11/3(月・祝) 橿原公苑陸上競技場
【準決勝第2試合】

一条高校 4-0 法隆寺国際 (2-0/2-0)

 
準決勝第1試合、奈良育英対生駒戦とは違い、静かにゆっくりとしたペースでゲームが展開した。前半序盤、どちらかといえば、法隆寺国際がポゼッション優位で落ち着いてプレーしていた。一条は本来の持ち味が出せていない状況が続いていた。

 前半23分、一条は相手陣内左サイドでボールを保持し、右サイドへと動かし、すばやく中央ゴール前へ、揺さぶりの中で先制点を奪った。その後も、一条らしさ影をひそめ、法隆寺国際のポゼッション優位が際立った。前半34分、一条は中央左フリーキックからのシュートが直接ゴールに突き刺さり2点目を奪った。

 後半6分、右フリーキックからのシュート、そのリバウンドボールを中央でダイレクトシュートを放ち、3点目を追加した。その後も、戦況は互角の戦いだった。後半36分に4点目を奪いゲームは終了した。

 経験と地力に勝る一条が法隆寺国際に勝利した。敗れはしたが法隆寺国際は悲嘆にくれる必要もない。点差ほどの実力差はない。勝負は女神の采配でしかない。ピッチでコンセプトを抱き、個性的、魅力的なサッカーを展開したのだから。

奈良育英 6-1 生駒 高校サッカー奈良県予選準決勝

11/3(月・祝) 橿原公苑陸上競技場
【準決勝第1試合】

奈良育英高校 6-1 生駒高校 (1-0/5-1)

 
奈良育英高校が生駒高校を圧倒した。序盤は均衡状態が続いた。奈良育英は20分、右コーナーキックから中央でヘディングであわせ先制点を奪った。キックオフから7本目のコーナーキックだった。37分、生駒は右コーナーキックから中央でシュートを放つが惜しくも右に外れた。前半は1-0で折り返した。奈良育英の早いアプローチと中盤でのボール奪取が目だった。点数差以上の奈良育英優位のゲーム展開だった。

 後半も続いて奈良育英のすばやいプレーシャーとボールの動かしに生駒が対応できない状況が続いた。後半18分、中央左よりからゴールに向かってのドリブルで果敢にペナルティエリア内に突破を図り、生駒DFがファールを犯した。レッドカードが提示され退場となった。PKを確実に決め、奈良育英は追加点を奪った。後半25分、左フリーキックから中央でヘッドから3点目を奪った。続いて2点を追加して5-0となった。後半35分、生駒はペナルティキックを得たがゴールキーパーのセーブに阻まれた。つづくコーナーキックでゴールを決め1点をもぎとった。すぐに、またも奈良育英は6点目を奪いゲームは終了した。

 後半での、奈良育英の選手の判断と動き・ボールの動きのスピード、ダイレクトプレー、サイド攻撃は光った。序盤戦で生駒が先制点を挙げれば、ゲーム展開は変わっただろう。後半18分のペナルテイキックがゲームの転換点だった。

 生駒は地力に勝る奈良育英に敗れたが、近年、県でも上位の成績を残している。今後が楽しみなチームである。試合終了後、ソレステ出身選手と顔があった。挨拶をした。元気でがんばっている様子だった。

ピンクの自転車に乗る少女

Photo_6  11/2(日)午前、あるテーマを抱いて大阪城公園を訪れた。自分自身の社会体験学習の時間が終了し、歩きつかれて森之宮口近くの噴水の前のベンチに座っていた。ぼんやりと噴水を眺めていた。突然に「ピンクの色彩」が私の視野の中をあわただしく行き来した。緑、白、茶という色彩の中でピンクは刺激的であった。ピンクの自転車の動きが妙に気になりだした。その少女は躍動的に噴水の周りを疾駆していた。もしかしたら、空へ飛んで行ってしまう程に。

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大小橋命の胞衣塚(えなづか)

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 鶴橋駅から千日前通りを東へ今里の方角へ2分ぐらい歩くと、千日前通りと疎開道路の交わる玉津3丁目の交差点に出る。その北西角に、この「胞衣塚(えなづか)」がある。わが実家近くにある比売許曽(ひめこそ)神社にまつられている大小橋命(おおばせのみこと)の胞衣(えな)を納めた塚と伝承されている。子供の夜泣き封じに効能があると言われ“えな塚”が“よな塚”と広く知れわたったようだ。「胞衣塚」の前、千日前通りをひっきりなしの車が行き交う。その交差点の四隅の一角に、この塚がいにしえから鎮座している。

「さよなら、夢の超特急」 希望と憧れ

Photo  2008年11月30日「0系新幹線」が44年間の営業運転を終了する。「東京オリンピック」開催年の1964年10月1日に東海道新幹線が開通し、「0系新幹線」がデビューした。「夢の超特急」という愛称だった。わが国の高度経済成長期の象徴でもあった。

 富士山を背景に弾丸のように疾走する「夢の超特急」は、希望と憧れを小学生時代の私に与えた。今まで見たこともないような流線型の車体は、「夢の乗りもの」という未来が現実となった驚きを私に感じさせた。すごい!という一言だった。「夢の超特急」は、私の少年時代の希望と憧れが投影された象徴だった。

 今も新幹線に乗ると、富士川鉄橋や富士山の麓を通過する時は、心がときめく。あの頃に見た「夢の超特急」が疾走する映像を思い出してしまう。私の記憶に強烈な印象を刻んだ映像は消え去ることはない。「さよなら、夢の超特急」、人々の記憶の中で、その雄姿はずっと走り続ける。

「ありがとう0系新幹線スペシャル」Webサイト

2008年11月 2日 (日)

JAZZ パークライブ 大阪城公園

Photo_5  「ストリートライブ」というよりも、公園の中の通り沿いのライブ、「パークライブ」と呼んでもいいのだろう。スタンダード「枯葉」を聴いた時、昼日中、屋外でライブで聴いたのは初めてだった。素敵だった。演奏だけでなく、楽器を自分自身で運び、通りすがりの人々に「ジャズ」、いや「音楽」の楽しみを伝えようとする。彼らの想いは木漏れ日の中で輝いていた。さまざまな領域で「情熱」を抱いて行動している人々がいる。彼らに乾杯!!

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バス停「春日橋」から

Photo_7  最寄のバス停「春日橋」だ。以前はこの風景の中で、田んぼがひろがっていた。この地に来春までに大規模な飲食店が建設される。どのような店ができるのかは、はっきりと理解していない。開店すれば多くの人々が、車で訪れるのだろう。食を求めて人は賑わう。

 この地に飲食の場ができるのだとすれば、私には鶴橋の居酒屋のように、「まぐろの造り」が安価で美味しい小さな店が開店するだけでよい。「春日亭」と名づけようか、いや、ハンフリーボガード、イングリッド・バーグマンの映画「カサブランカ」のようなイメージで、いや日本的に「かすば亭」かなと、ふと想いを巡らす。空想はさておきいずれにしろ、田んぼはなくなり、大規模飲食店が近々建設されることは事実だ。

駒澤大学 3連覇 全日本大学駅伝

 11/2(日)、「秩父宮賜杯 第40回全日本大学駅伝対校選手権大会」で駒澤大学が優勝し3連覇を飾った。
【順位】 ①駒澤大学5:16:17 ②早稲田大学5:17:01 ③山梨学院大学5:17:54 ④東洋大学5:20:18 ⑤中央学院大学5:20:55 ⑥日本大学5:21:16 (以上が来年度シード校)

 今年も、関東勢の牙城は崩れなかった。九州勢の第一工業大学は5:23:07で7位、惜しくもシード権を逃した。立命館大学は14位(5:29:07)、京都産業大学は15位(5:34:42)だった。わが奈良県勢の奈良産業大学は18位(5:39:43)と過去最高順位である17位を超えることはできなかった。

 中京大学は23位(5:47:49)、信州大学は25位(5:51:11)に終わった。わがいとしの両大学は順位は別にして、心からの激走をしたと信じている。「伊勢路」は、明日も続く!

「第40回全日本大学駅伝/朝日放送」公式サイト

「秩父宮賜杯第40回全日本大学駅伝対校選手権大会」公式サイト 

青空へと伸びる樹

Photo_14  大阪市・東成区、大阪市立玉津中学校に隣接する公園にある一本の樹だ。中学校横のグラウンドでは、当時、サッカー日本代表がメキシコオリンピックで銅メダルを獲得した影響で、ある日突然にみんながサッカーに夢中になり、日が暮れるまでゴムボール追いかけた。「南米では裸足でサッカーをするんやて。ボールの感覚を足に感じさせるらしいで!」という友人の言葉に触発されて、私たちは運動靴を脱ぎ、土のグラウンドを裸足の一団となりボールを追いかけたこともあった。足の裏が痛かった。

 私の中学校時代を振り返り、確かにこのような大きな樹があった記憶がない。当たり前のことだった。あれから45年余りの時が過ぎ去っている。あの時は、細く背の低い樹だった。樹の幹も太くなり空へと広がり大きくなるのは自然だ。樹は子どもから大人になった。その成長は目を見張るものがある。それに比べて私はといえば、成長したのか退化したのか、いずれなのだろうか? 青空に伸びる樹の緑の色合いに、とりとめもなくそのような想いを抱いた。

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奈良育英 6連覇 女子高校駅伝奈良県予選

第59回全国高校駅伝競走大会奈良県予選
11/1(土)橿原公苑周回コース
①奈良育英1:15:08 ②添上1:21:44 ③郡山1:26:24 ④桜井1:27:04 ⑤一条1:28:16 ⑥生駒1:28:41 ⑦橿原1:31:00 ⑧奈良北1:31:43 ⑨高田1:33:11 ⑩十津川1:36:18

奈良育英は大会6連覇

智弁学園 14連覇 男子高校駅伝奈良県予選

第59回全国高校駅伝競走大会奈良県予選
11/1(土)橿原公苑周回コース
①智弁学園2:08:45 ②大和広陵2:16:58 ③添上2:19:02 ④橿原2:19:34 ⑤奈良2:23:50 ⑥畝傍2:26:43 ⑦郡山2:27:13 ⑧平城2:28:00 ⑨桜井2:29:40 ⑩東大寺学園2:30:32 以下省略

智弁学園は大会14連覇で圧勝した。

大阪「鶴橋市場」を歩く

Photo_3   11/1(土)朝、久しぶりに「鶴橋市場」の中を歩いた。私が幼かった頃には、数え切れないほどにその市場の中を探検した。大阪・環状線、近鉄線、地下鉄谷町線が交差するターミナル「鶴橋駅」を降りてすぐにその市場がある。利便性は申し分なくあらゆる食材が並ぶ。小さな店が密集した大規模な卸売市場が広範囲にわたっている。

 街中にこれほどまでに食材が揃った卸売市場は大阪にはない。戦後まもなくの闇市がその初めで、現在まで連綿として存在し続けている。そこは雑然としながらも魅力的なマーケットである。私はいつもその中を歩くと、「アジア」の匂いを嗅ぐ。戦後、加速度的に欧米化が進む過程で、アジア的なものは消失しかけている。ここは、別名「国際市場」と呼ばれる。「インターナショナル・マーケット」、その言葉の通りに、そこは私にとって、「国際的」な「アジアバザール」だという想いがある。

 鶴橋駅を降りるとすぐに広がる市場の中に足を踏み入れると、アジア的な混沌と熱源を感じるだろう。わが国のどこにもない渾然とした個性的な光景が広がる。独特な魅力が人をとりこにする。永遠にその市場が存在し続けることを、私は願っている。私の原風景のひとつとして心から祈りながら。

「大阪 鶴橋市場」公式サイト

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2008年11月 1日 (土)

「新橋通商店街」で見た子どもたちの書

Photo_4 わが母校、大阪市立大成小学校の児童が毛筆で書いた「街」という想いだ。その字が上手なのか上手でないのかは私には解らない。そのようなことは些細でどうでもよいことだ。ただ、学校の授業での強制か自主的かも問う必要はない。私の眼前にその文字はある。それも、小奇麗な会館や学校の教室ではなく、学校近くの商店街である大阪市東成区・今里「新橋通商店街」のただの無機質な壁面にずらっと並んでいた。恐らく、その商店街の方が企画されたのだろう。卒業生の一人としてその想いに共感とともに敬意を抱く。

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 あたかも教室の黒板に掲載されているかのように見えるが、かつての賑わいが消えうせた商店街で、子どもたちが書いた毛筆の文字を見ていて、この企画を考えられた方の想いへ心を巡らした。確かに、地元の小学生の毛筆を商店街に掲載してからといって商店街に多大な振興を即効的に成果が生じることもないだろう。しかし、収益、経済だけで人は想い行動するものでもない。

 今里・新橋通商店街は、かつて市電の終点として賑わいを見せていた。わが実家から最も近い「繁華街」だった。映画館が二館があった。その当時の有名俳優もやってきてサイン会なども催されていた。私が高校生の時に、大きなレコード(LP盤)をはじめて買ったのもその商店街だった。愛おしく忘れがたい商店街である。その場所で」、はるか後輩の書き記した「書」というか、「文字」を見た時、えもいわれぬ感慨を抱いた。

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 朝早い時間だった。商店街の店はまだ開店していなかった。ゆっくりと歩きながら、子ども頃を思い出した。その頃にあった店はいくつか今も営業しているようだ。あれから45年以上も経つ。今里「新橋通商店街」は、私自身の心の中に、今里車庫終点としての「賑わい」が、今も脳裏意に焼きついている。

[全日本大学駅伝」の前夜に

 「全日本大学駅伝」で関東勢以外が優勝したのは第17回(1986年)での京都産業大学以来、皆無である。ことごとく関東勢が制覇している。打倒関東!その旗印の下に、それぞれの大学が挑む。6位以内が来年度のシード権を得る。関西勢にはシード権獲得への力走を期待する。

 中京大学が10年ぶり29回目の伊勢路を疾走する。第1回~第16回まで10位以内を確保し続けた。最高順位は第4回の2位だ。それ以降は低迷した。第30回大会以降、10年ぶりの復活だ。「東海の雄」として誇り高く駆け抜けることを願う。信州大学は6年ぶり8回目の出場を果たした。第13回の16位が最高順位だ。わがいとしの信州大学には是非とも最高順位の更新を願っている。

11/2(日)号砲!全日本大学駅伝

 11/2(日)8:15 「秩父宮賜杯第40回全日本大学駅伝対校選手権記念大会」のスタートの号砲が鳴る。名古屋・熱田神宮西門前から伊勢神宮内宮宇治橋前までの8区間・106.8キロlで「大学駅伝日本一」を決める「伊勢路決戦」が行われる。

 「全日本大学駅伝」は106.8キロ、先月の「出雲駅伝」は44キロと距離が2.4倍と長丁場の激突となる。関東勢優位は揺るがない。出雲駅伝2位と優勝を逃した駒澤大学が本大会三連覇を狙う。出雲駅伝を制した日本大学、同駅伝4位の山梨学院大学、などが注目される。九州勢では、出雲駅伝3位の第一工業大学に期待がかかる。

 関西勢では、出雲駅伝7位の立命館大学、13位の京都産業大学が関東勢相手にどこまで上位に食い込めるかが楽しみだ。奈良県勢では、奈良産業大学が出場する。過去大会の最高順位は17位、是非ともその順位を上回り伊勢路を駆け抜けて欲しいと願う

「全日本大学駅伝/asahi.com」公式サイト

「全日本大学駅伝/tv-asahi」公式サイト

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