« 信州松代・小布施を訪ねて(6) | トップページ | 信州松代・小布施を訪ねて(8) »

2008年8月 9日 (土)

信州松代・小布施を訪ねて(7)

Photo_4 Photo_5 Photo_6 Photo_7 Photo_8 Photo_9



写真:左から、正門、校内全景、文学所、西序、弓術所、剣術所
~旧松代藩文武学校~
 佐久間象山らの意見を取り入れ学問・武芸を奨励するために建設が計画され、1855年に開校した。松代の文武研鑽の場として多くの人材を輩出した。敷地内には、文学所、東序・西序(教室)、剣術所、弓術所、柔術所、槍術所、文庫蔵などが点在する。現在残る建物は、ほぼ開校当時の姿を伝えている。近代学校への過渡期における建築として現存する稀有な史跡である。

Img  松代を訪れたかった一因として、この「文武学校」の存在があった。その地に立つと、かつての藩校で学ぶ子どもたちの声が聴こえるようだ。近代以前のわが国の藩校では、「文」と「武」が両輪として学びの中で取り入れられていた。近代教育の「学校」は、本来、近代以前の「藩校」をベースにしたうえに、時代の趨勢にあわせ付加価値を築くべきであった。しかし、近代化、現代化は「藩校」という学び舎での「知」・「徳」・「体」育という核心部分を自然にか意図的にか消失させてしまった。現代は、「学」それも「受験学」が偏重されている。

 「文武学校」という名称を、「文」・「武」・「学」の「校」と分けて私は考える。「文芸」・「武芸」・「学芸」の学び舎、その中でさまざまな意味での有能な人材は育つ。そのバランスを欠いた時、「知」・「徳」・「体」のベースを持たぬ人材が噴出する。それは私という存在を含めてのことだが。今一度、「温故知新」。先人の軌跡の中に、新たな示唆がある。明治という中央集権国家で藩は解体したが、現代に至るまで、その風土での教育の成果は引き継がれている。それは「地域教育」の成果と解釈してもよいものだろう。松代も然り。

 私は、近代以前の教育の場というものに興味を抱き続けている。その当時中央集権的な国家は存在しなかった。各藩で独自の教育が施されていた。私は公教育に携わる者でもない。「教育」という言葉すらしるし述べ論じる資格などもない。しかし、一介の地域人として、「地域教育」「社会教育」に興味を持ち続けてきた。そのことを行動として実践できているかと問われると、笑止せざるをえない。

 ただ、「公教育」とは違ったスポーツを核とした子どもたちだけではなく、大人たちをも含めた「知」・「徳」・「体」の「教育」ではなく「陶冶(とうや)」の場としての「地域学校」が創設出来ないものかと常々思い続けている。旧松代藩「文武学校」の地を訪れ、私の心の中の琴線が鳴り響いた。

« 信州松代・小布施を訪ねて(6) | トップページ | 信州松代・小布施を訪ねて(8) »

旅びと(信州)」カテゴリの記事